作家でごはん!伝言板
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無題

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下手とか上手な文章ってたぶんに読者の好みの問題じゃないのかなーと思うわけで。
プロ―――芥川賞作家とか、ここで(ごはん)でみんながよく言っている、(視点)(人称)違うでしょう?ミタイナ人も受賞しているしね。
あとノーベル作家―――アッタマ良すぎてあたしにはイミフ?
まあ、それぞれ自分にあった文章の作家さん、読んで参考にすればいいんじゃね。
だって、小説を上手いか下手かなんて、(日本語)で論じたって解んないんだわ。

うそげんについて

そうげん

過去に、わたしは戯作者ですと書いたことがありました。小説は戯作のようなものという感覚で書いたものでしたが、それが向こうさんにとって好餌となりまして、うそもんを作ってる人間だみたいなことになったかと思います。もうひとつ、こちらのほうが大きいですが、過去に自分の意見を通す際に、古往の文学者の言葉を引用したりして持論(だれがいっているわけでない自分の中にある論拠)を展開したところ、それはおまえの妄想だみたいなことを指摘されて、わたしはうそをいう人間だというからかいの目的で、HNのそうげんをもじって、「うそげん」と呼ばれております。しかしそれは逆に気に入ってもいまして、はじめにこの名前を付けた人に対しては、賛辞を述べたいとも思っています。わたしをうそげんと呼んでいるのは、このような経緯が過去にあったからであります。ひらがなだったら、イメージが柔らかいからたいていのことは許せます。

あと、あたまつんつるりんというのは、スキンヘッドの事じゃあありません。フックに引っ掛からない。脳みそに皺がない。言葉の自動機械になっている(by宮台真司さん)。そういう意味であります。

書きものは亀足ながらちょっとずつ書いております。
いま書いているものは書けたらこちらに投稿させていただくつもりですので、よろしくお願いします。

最初の話に戻って考えてみた

気分を変えて

このサイトで学んだことの一つは感じたものを言葉を用いて伝えるスタイルと感じたままを言葉として表現するスタイルとがあること。そして、その二つが相交わることは本当に難しいのだということです。時折話の流れの中でスタイルの違いの優劣が語られる場面があるのですが、100の要素から10のエッセンスを抜き出して伝えるやり方と100の要素を差し出して10しか伝わらないやり方の優劣は、10しか伝わらない拙さという意味で、さながらきのこたけのこ戦争のようであり、拙さを含めて自分の好みかどうかとかそういう問題のような気がします。

話を元に戻すと文章が下手でデビューしたと言われている作家さんの文章はデビュー当事ほんとうに下手だったのだろうか? とまずそこを疑わねばならないと思います。ジャンルによりますけれど、日本語的な意味での表現は拙くとも言葉はきっとところどころ行き届いていて、群青さんの言葉を借りると小説的な意味で言葉をちゃんと発しているのだろうと思います。細かい表現の拙さが、めぐりめぐってところどころしか行き届いていないという欠点を産んでいて、確かに言葉が不自由だと行き届かないわな、という意味で下手と言えるのかもしれません。小説的な意味での言葉というのが漠然としていて分かりにくいのですが、結果として吐き出された言葉がそれ以外にありえなかった、つまり、そういう姿勢で書かれたものであったとかそんなことではないでしょうか?オリジナリティは小説的な言葉とほとんど同じ意味のように思います。ところで、いい例かどうか分からないですが、小さい子の訴えはたどたどしい中に唯一のものとして心に響くものがありませんか?これを小説的な意味での言葉であるとするのは少し飛躍が過ぎるでしょうか?

読者にとって読みやすい文章を書けるというのは、言うまでもなく優れていることを示してますし高い文章技術を裏付けるものです。しかし、必ずしもそうならないのが選んだスタイルがもたらしむるややこしいところで、ただ、再度書きますように、仮にそれがわかりづらい表現である場合、あくまで結果としてそうなった難解さであって、難解なものが高尚であるに違いないとかそういう倒錯した思考や姿勢で書かれたものは、見た目の書式や内容が同じであっても、小説的であることとは全く逆の方向に位置しているような気がします。この違いの見分け方については分からないので、誰かご教授ください。

やってて楽しいのか?

<反省のないあたまつんつるりんの能無しの弁>って、昔は反省のため剃髪(ツルツル)にして
恭順をしてしたんだが。意味ねえ罵倒合戦すより、ナニか書いたら?そうげんさん。
某サイトでは、あなた<うそげん>とかバカにされてんだし。意味わからんけど。

反論

そうげん

罪のないA君の事を

⇨ 自己弁護のための筆ですね。

自分は罪がないといいたいばかりの書きぶりです。
恬として反省のないあたまつんつるりんの能無しの弁です。

コウさんへ

老婆心

 そうげんさんも群青さんと同類で、無自覚な悪文書きなんです。読解力もかなり低いんです。それはもうわおわかりですね? 物事を総合的に判断する力がないので物事の本質を見抜く事ができず、頓珍漢な事を確信を持って断言しまうという悪癖があるんです。一言でいうと独善的なわけです。
 小学校の時、いませんでした? 誰も問題視していないのに、終わりの会で罪のないA君の事を「A君がこんな事してましたー」と吊るし上げようとする正義のヒーロー気取りの痛い人。あのタイプです。

 だから群青さんと同じくお触り禁止物件です。スルーしましょう。

失礼しました

コウ

微妙ですね

そうげんさん

コウ

たしかに徒党を組むのはみっともないですね。私も誰とも組む気はありません。

ですが投稿を見て、人って拘る箇所が違うものだとつくづく思いました。
そうげんさんは、「諦めず、地道に努力しましょう。人類がコロナ撲滅を目指すのと同じように。」を、他者を病原体に喩えて投げつけたと怒った。

しかし正確に読むとこれは「諦めず、地道に努力しましょう。」に掛かった比喩で、他者を喩えたものではないでしょう。これが駄目なら、比喩は使えない。

群青ニブンノイチさんからヒステリックに、「ゴミクズ」や「北京原人」と直接投げつけられた私としては、違和感を持ちました。

再び記します

そうげん

デリカシーもリテラシーも欠如しているのでしょう。
人の性格を病原体と同列に扱う比喩を用いる時点で、言葉を扱う人間としての最低限のマナーがなっていない。つまり、碌でもない思想の持ち主であるということを示しています。
よく子供の頃に耳にしました。「おまえ近寄るな、バイキンが伝染(うつ)る」。小学生並みのメンタリティということです。大の大人がそんな言動をすること自体恥ずかしいことだと思います。

私の失言でしたね

老婆心

「コロナ撲滅」ではなく、「コロナと共存」でした。
 撲滅させるのは無理だからあきらめて、被害に遭わないように十分に警戒して寄せ付けないように予防する必要がありますね。一人一人の自助努力は欠かせません。