作家でごはん!伝言板
詳細

掲載コメントを削除するためのパスワードを設定できます。

素朴な疑問

青木 航

 小説家、画家、書道家、陶芸家など何故、後ろに『家』を付けるのでしょうか? 

 これらを総称して『作家』という言い方も有りますね。その他、料理研究家とかも有るし、武道家というのもあります。
 
 元々は、『家』として武術や伝統芸術などを受け継ぐ家元制度から来ている家業を表す呼び名だったんでしょう。

 上記の中で興味深いのは料理研究家ですかね。単に料理をする人は『料理人』若しくは『調理師』と言います。『料理研究家』と言うと研究者、創造性と言うニュアンスを含んでいるように思えます。陶工と陶芸家の違いとかも有りますね。

 調理師には資格が要りますが、料理研究家と名乗る事には資格は要らない。勿論、代金を取って不特定多数に料理を提供するには、調理師資格が要ることは当然ですが。

 伝統芸能や古武道には家元や流派と言うものが付属し、国や公の資格ではなく、内部で認められる習熟段階を表す呼称が有るが、小説や陶芸、絵画などにそんなものは無いから、同じ『家』が付いても、性質は全く異なるでしょう。

 では、何故『家』を付けるのかと言うと、『作家』と言う呼称は文章でも、絵画でもその他の分野でも “想像” と言う意味を込めているように思える。では、誰がそう名乗り始めたのでしょうかね。

 小説家、作家とご自分を表現される方が何人もいらっしゃるようだから、その辺のトリビアを是非ご披露して頂きたいものですね。

 ところで、小説家、作家と自称する条件ってなんなんでしょうね?

 両極端の定義を並べれば、

A.小説が好きで書いていればそう名乗って良い。

B.少なくとも生計の大半を印税若しくは原稿料で賄えるほどでないといけない。

C.その間として、文学賞の受賞、一度でも原稿料を貰ったとか、いろんな基準が設定できるでしょうが、文学賞と言ってもピンキリですし、少なくともプロと名乗るのはBであって欲しいなと思う次第です。

そもそも

界隈

小説は数学のようにひとつの解などない

自説の水掛け論に陥る前に早々と見切ればいい話

お、たまにはいいことを言いますね。

飼い猫ちゃりりん

枝葉末節にこだわることは、実は大切なこと。句読点の位置ひとつに徹底的にこだわるべき。
なぜなら、小説は絵画であり音楽でもあるから。一本の線の乱れが絵画をつぶす。美女の鼻から一本線が出ていたらどうするの。
同じピアノ曲でも、弾くピアニストによってゴミにもダイヤにもなる。

しかしながら、

枝葉末節に注力できない者がのうのうともの書きを語る行為は、嘲笑の的となろう。

これだから、蝸牛角上でしか生きられないのだよ(笑)

>本当に謙虚な性格であれば、素直にミスを認め、指摘した読者を攻撃なんてしないでしょ。

その文才に見切りをつけた者が相手ならば、主張するのは当然の行為。

古より繰り返される「もの書きの文化」とも言える。

re:それがそうでもないのです。

偏差値45

で、あるならば……。
育児放棄ではなくて、過保護のモンスターペアレントかな。

作品に対してアイデンティティがあるのでしょう。
作品の批判を自分への攻撃とみなしてしまうのかもしれません。
そういう人物は過去にも複数存在している。たぶん、性格なのでしょうね。
寛大な気持ちが大事です。

偏差値さん。それがそうでもないのです。

飼い猫ちゃりりん

その証拠に、ミスを指摘されると、指摘する奴の性格の問題とか言って、騒ぎ始めるのです。
本当に謙虚な性格であれば、素直にミスを認め、指摘した読者を攻撃なんてしないでしょ。

re:育児放棄

偏差値45

>「こんな作品に文学的価値は無い」
>「こんな作品に真面目にコメントしてくれてありがとう」

たぶん、卑下、謙遜の類でしょう。
自分の妻を愚妻、自分の息子を愚息と言うようなものかな。
拙作という言葉も時々目にします。
日本人としては普通の感覚ではないでしょうか。
ちょいと飼い猫さんの解釈は歪んでいる気がしますよ。

小説家、反ワク医師、空手家、浅野浩二のブログ

浅野浩二

昔はブログ真面目に書いてた。

今も真面目に書いているけど

https://blog.goo.ne.jp/daitou8/arcv/?page=1&c=&st=1

小説家、反ワク医師、空手家、浅野浩二のブログ

浅野浩二

小説家、反ワク医師、空手家、浅野浩二のブログ

https://blog.goo.ne.jp/daitou8