作家でごはん!伝言板
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青葉真司

中野太郎

青葉真司は比較的社会性があって真面目だったのですが定時制高校しか出てないというハンデキャップがあってしかも障害者で生活保護だったらデイケアかB型作業所に通わないと引きこもりになって症状が悪化したパターンですね、そこら辺の障害者スキルを失敗したんだろうなという気がします。周囲も支えてあげられなかったのかな。医師も相当指導に失敗してますね

京アニの失敗

中野太郎

これはアニメ業界全般に言えることですが若者だけを描きすぎる四苦八苦を描ききれない学園もの路線ばっかりなため作品に社会性が育たず幼稚なファンが連続幼女殺人事件や今回のような社会性を抜けたファンを作り出すのかなと思います。人間は老いて病んで死ぬその繰り返しを描く純文学ラノベやアニメが必要だと思います。その意味で鬼滅の刃はそこら辺のフォローが出来ていて秀作でした。

京アニ放火殺人事件を悼む有志求む

中野太郎

ついに来たなということで、京アニ放火殺人事件を題材にした村上春樹的ファンタジー小説が投稿されました。
他ならぬ作家の底辺である青葉真司がエリートの作家集団におそらくなんらかの嫉妬して殺したという痛ましい事件で、亡くなられた方のご冥福をお祈りしますとともに、負傷された方々、ご遺族の皆様、京アニの経営再建等々、未来に向けて改善があるよう心からお祈りするものです。
私は青葉真司に作家としての戦いをやめず、盗まれたならまず常識で法テラスと警察に向かってくれれば統合失調症の妄想だねということで、薬変えようね、入院しようかと笑い話で済んだ話だったのだろうなと思います。もちろんそれをネタに定時制私小説ラノベを目指してれば、或いは滝本竜彦に至る器になれたのになと残念です。

猫からの贈り物

飼い猫ちゃりりん

スタスタスタ
うーん。
ポットーン……
ガシャガシャガシャ
スタスタスタ……

作者批判

飼い猫ちゃりりん

 母は自分が産んだ子にどのような責任が負えるのだろう。母は確かに産んだ。ただ、母は子供を製造したわけじゃない。母に製造者責任などない。
 芸術作品は製造されるのではなく、生まれるものなのだ。逆に言えば、製造された作品は偽物である。その作品には生命力が宿らない。
 芸術作品は作者を母とし、自然を父とする生命である。作者の理性が製造した作品は作り物。そして哲学や心理学は理性の産物。結局、子供(作品)が生まれる理由なんて、作者にもわからないのだ。

僕は好きだな

アフリカ

超合金のように硬いだけの文章を変えてみたくて最近はずっと、女性作家の作品を読んでるんだけど

女性の目線て凄く繊細で揺るぎなく綺麗

それって、日本語として綺麗ってワケじゃなくて読んでいて心地いい

僕は偉い誰それの有名な小説を読みたいワケじゃなくて面白いものを読みたい

どこの企業に勤めて、どのポジションにいるのか?ってことが面白い小説を書ける基準になるとは一ミリも思えない。

同じように有名な読むべきだと連呼される文章に似てるからとか寄せてるからとか全く興味がない。

クラプトンのギターは素敵だと思うし、あいみょんだって可愛い
だから、新曲が出たよって聞いたらどちらも直ぐに聴きたいしウズウズするし
聴き逃してたりしてたら恥ずかしくてたまんない

小説も好きな作家のはダメだなって評価をもらってる作品も読みたい

だって好きな作家の作品だから
同じく嫌いな作家の作品はどんなに人気があっても読まない

誰が書くのか?ってのは
僕は大切だと思う

ここでさえ、それはとても強く働いていて読みたい人のは先ずニヤニヤしてからゆっくり読む

皆違うのかな?

僕は、でしょさんが言ってること
間違ってる気はしない

まぁ、間違いなく
口は悪いけどね

認知バイアス?

飼い猫ちゃりりん

 認知バイアスなんて関係ないですよ。連続殺人鬼が書こうが、キリスト様が書こうが、飼い猫には関係ありません。作品は別者だから。

マインスイーパ・シンドローム

アリアドネ

 感想なり作品なりで小説をちゃんと語ってくれ。話はそれからだ。キリッとな。

 小説なる表現を信仰しているようで、その実、小説の言葉を窮屈にしたがるばかりのペテン師ってのは往々にして、そこがズレているんですよ。小説的であることから遠ざかっているのよ。巡りめぐって小説を馬鹿にしてんの。ギターを叩き割るための楽器だと勘違いしてんの。まじまんじ。
 小説は人だけど、人は小説ではないんだぜ。あたりまえのことじゃんか。
 確かにつまんない見栄や魂胆で小説を書いているなって透けて見えることもあるけどさ、問題はそういうのが作品に透けて見えるところにあるわけじゃん。作品との向き合い方が足りないから表現に神経が結局通わないところにあるわけじゃん。そのへんを同一視しちゃって、文は人なり、ドドンと立派な旗を立てて、そこですでに言葉をてきめんに窮屈にしちゃっているワケよ。
 つまらない魂胆も怨念級になれば、神経が通って、面白い未来を照らすこともあるんじゃないかなってぐらいには、言葉に信頼を置いてますよあたしゃ。だから、叩くべきは作品であって、作者じゃないワケよ。小説は人というところを認めるにしても。
 それでもまあ分かることはあるよ。作品がつまんない見栄でしかできていない場合は、作者のことにまで飛び火するのは、もう自業自得つうか、当然の帰結だろうとは思うから。満たされたい自意識みたいなものが欺瞞という形でダイレクトに作品の中心に座っているものは特に。自意識を憑依させている以上、痛みを伴うのは仕方がない、というか、憑依ってのはそういうものだからね。でも、そうなるのは、自業自得的帰結としての飛び火で燃え盛る昏き獄炎であって、着火マンで火をつけるべき最初の着火剤じゃないわけ。叩くことが良いとか悪いとかじゃなくて、言葉と向き合うための順序の話。順序が狂っているワケ。クルクルサイコロジカルなワケ(西尾維新先生の作品にそんなのあったなー)。人の前に言葉なんだよ。言葉は自立するし、言葉の背後にいる人なんてどうあったって供物になるだけなんだから。違うかなー?
 もちっと書くなら、SNSコミュにおける人権尊重とかそういう話をしたいんじゃなくてね、野球なんだからキャッチャーミットに向かってボールを投げなよねってことなのかもね。バッターに向かって投げたって、所詮、ボールかデッドボールで、ストライクにはならないよ。野球にならないんだ。そういう不純は深い洞察あっても芯を食ったことにならないのよ。野球なんだからね。物事をすりかえちゃいけないんじゃなイカ? まじまんじ。


 馴れ合いを嫌うから叩く、これぞ研鑽であり自由なり、なんていう、観客席にいるガヤの方々の逆張りの精神も考えものだよ。それってば慣れ合いとまったく同じ精神構造なワケよ。言葉は考え抜かれるべきだっていう当たり前の払うべき労力からのエスケープ内閣樹立で、総理としてマウントをとりたいわけよ。馴れ合いと同じくムードでゴリゴリごり押して居心地よくしたいワケよ。うぇいうぇい脱法ハーブお手軽気持ちうぃーなワケよ。わかりみごー。根っこが繊細なわりに段取りが雑なワケ。子供は宝と言いながら育児はテキトー、 Here we go案件なワケよ。

 ここは小説を語る場なんだよ。

 野球場でバットもってBBQをやっている人間に用はないのさ。BBQをやっているのが仮にキヨ○ラパイセンでもマー君だとしても、あの、野球やってくれませんかねーって思わないですか。あ、パイセンはシャブシャブか、この場合。なんてね。まあ、素人がワイワイするサイトでもあるので、試合の後に打ち上げで喧嘩したり管を巻きながらBBQやるぐらいは別にいいんじゃないかとは思うけど、とりあえず試合中は野球やろうぜ磯野。ってなナカジマ感。まあ、ブーメラン自爆なんだけどね。


 まあ、アレだよ、感性で書かれるだけのハッタリ言葉なんてペテンでしかないし、理性で書かれるだけのキッパリ言葉なんてハリボテでしかないし、感性ってのはほっておくと自分から腐っていくアポトーシスだし、理性ってのはほっておくとブラインドオートマトン一直線だし、どちらの場合も、そのくせ万能感だけキッチリ育って完凸モンスター。わかりみごー? 注文してもいない感性と理性のトンチキ大盛りAランチヘイお待ち!ってのが、よろしくないってことなんかな、知らんけど。

 言葉を尽くすっていったいどういうことなのだろうか?

 そこをちゃんと自問自答できないからボクらは所詮ペテンハリボテクソヤロウなんじゃないかな? このサイトならではの吐かれる言葉としての不適格のお話だし、作者側だけでなく感想者側においても見える魂胆のお話だし、うん、そうだね、プリピュアに見せかけた不純物マシマシトキシックってお話だね。動機が純粋でもさ、怠惰なままのマイプレイスシンドロームをパッシブ発動しちゃうから結果として不純になっちゃうワケよ。だから、言葉が言葉を裏切りつづけるワケだけど、変わらずピュアなつもりでいるから気づけないのカモよ。花は枯れないけど、根がどんどん弱っていく。それとも根が弱っちいから花が枯れていくのかな? わからんけど。ハッタリってのは結局そういうところを取り繕うために必要なものだからね。全体の空気感ってのはそうやって知らんうちにがらんどうを取得して育って伝播して醸されていくからよろしくなくなるのかな。こうやって、じっくり考えると、なんつーか、和気藹々とした中でぽつねんと沸き立つ孤独みあるよね、ある、よね?


 久しぶりに来たんで、つい筆がノってダラダラ書いちゃったけどさ、本質はきっとそんなことじゃないんだよね。ボクらのいちいちの発言にユーモアがないから面白くないのさ。きっと。「みんなー、楽しんでいるかい?」という言葉の語感の軽妙さ程には、言葉で楽しむってそんなにお手軽にできることでもないんだろうね、このコメントのうぇいうぇい語録にしたってさ、たはは、極寒ツンドラ滑り台だよねー。まじまんじ。わかりみごー(自爆)。


マインスイーパ矯正終了。

そうげんさんへ 返信です

5150

カモさんとの過去については何も知らないし、あまり興味を惹かれることでもないのですが、作品についての見解は興味深く読ませていただきました。

>この作品の主人公――性格が劣悪すぎるでしょう。行動が劣悪でも、小説の主人公であれば、反対にユーモアなり、憎めない部分が押し出されていたりするものです。社会に対する悪意ばかりを振りまいていると思わざるを得ません。その提案された見方について、わたしは到底同調することはできない。

言いたいことは理解できます。ただ、それはそうげんさんの作者としてのスタンス、という意味で書いたのかなと思ってしまいました。

ここ、5150はそうげんさんとはかなり異なりますね。5150は普通に読んでいて、出てくるキャラみんながみんな感情移入できるような人である必要はないです。主人公が劣悪でも、頭が悪くても、社会を恨んでいても、やっぱり惹かれる小説は惹かれます。それで問題なく読んじゃいます。ああ、こんな人もいるんだ、くらいに読んでいる5150の方が、ズレているのかもしれませんが。100%感情移入できて、同意できる行動をとるキャラというのが、あまりいないように思えます。

>感想については、自分で意図的にそうしています。他に書かれている感想を読むときに、技術的な話をされているものを見かけますが、ときおり、それはどうなんだろう、むしろ書き手それぞれが決定すべき方針じゃないのかと思うことがありまして、中国のことわざの《角を矯めて牛を殺す》という言葉を何度もコメント欄で書いてましたが、ほんとこれだと思うのです。ですので、一般的にいわれる「感想文」的なもの、それも意見の押しつけをできるだけ抑えたいので、自分のことを引き合いに出して作品を読んだときにこういうことを思いましたということを主にして文章を書くようにしています。

小説のたんに技術上のことだけであるなら、むしろ色々突っ込んでみるべきだと、5150は思っています。小説における技術的なことと、感性的なこととは全く別ものだからです。あくまで技術の範囲内であるなら、作者さんの感性には直接触らないものだと思っていますので。技術的な問題のみに引っかかっているなあ、と感じられたときには、具体的に書くことが多々あります。小説での感性的な部分が大きいところには、主観的な感想のみで、触らないようにしてきたつもりです。

ここからについては説明するのが難しいです。たぶん5150のように考えて感想を書いている人は皆無なように思えますので。

基本的に、5150は他者への感想は、自分自身のためにやっていることです。他者のテキストを自分が書いたことのように扱っています。普通は自分の作品が可愛くて仕方なく、他人のはぞんざいに扱うでしょうけど。みんな自分が可愛いはずですので。

ただ他者のテキストであっても、すごく真剣に考えてから感想を書きます。他者に感想を書くときは最低でも二、三回は読み直します。例えば料理でも、素材の組み合わせや他の選択などは料理人の感性の範疇だし、そこはノータッチ、でも、この素材のときはこういう扱い方を自分ならするよ、ということはどんどん書いてみるべきだと思っているからです。具体的には、小説の技術的な流れとか出し入れのタイミングとか、順序とか、その程度のことでしかありませんので。先生のように上から採点しているつもりは全くないし、そもそもそんな実力など自分にこれっぽっちもないのは自明です。

感想をどうするかは、あくまで作者次第のように思えます。個人的な考えですが、作者さんが、感想人の指摘を従順に真面目に全部受け入れて、自作を全部他人の言った通りに書き直してしまうような方ならば、そもそも伸びる余地はあまりないなと思っています。それこそ、角を矯めて牛を殺す、であり、それを作者さん自らやってしまっていると、5150は解釈します。そこは、よい意味で、貪欲に、不器用に、あくまで自分がいいと思った他人の意見しか受け入れない、くらい頑固な人の方が長期的に見たら、伸びるのではないかと個人的に思っています。なので前提として、そもそも赤の他人が何をいくら書いたところで、やっぱりは作者さん次第、つまり他人の感想の受け入れ方も、その方の素質の一つだと思えます。いくら他人がその人のことを思って真剣に感想をどんなふうに書いたところで、こればかりはどうにもならないことだと思っていますので。そこはブロンコさんとは正反対です。なので、5150が真剣に書いた感想をくだらないと書かれてもスルーされても、ほとんど気になりません。割り切って感想はあくまでも自分のための鍛錬としてやっていることになりますので。

反発はあるかもしれませんが、そんな感じです。途中でわけわかんなくなってしまいましたが。

>好き嫌いではないですね。「無理」というのが率直な感想です。

なるほど。生理的に受け付けない、というやつですかね。

ありがとうございます。

5150さまへ

そうげん

>鍛錬場の規則を読んだことが実は一度もないのですが、それでも伝言板に他人の作品の感想を、しかもああいうふうに書くのは、えげつないと思いました。酷評だから、じゃありません。くだらない作品だと思ったら、そのまま本人の作品の感想欄にそう書けばいいことです。それすらしてませんね。感想は何を書こうが自由なはずですが。

>それをせずに、伝言板で、しかもブロンコさんの追従をするように、さらっと毒を入り込ませた言葉で書いています。ものすごく卑怯だな、と思いました。ブロンコさんの庇護下でなければ、怖くて自分の本音が書けないのでしょうか? そうげんさんがカモさんのことを嫌いなのはわかります。過去に何があったのか、5150は知りませんけど。

2020年6月下旬に加茂ミイルさんが投稿された「日本史上最大の傑物 織田信長」(No.18095)のコメント欄でやり取りをしたときに最終的に《どうぞ、ご勝手に。/もう言いません。》という言葉で発言を終わりました。カモさんの感想欄に感想を書きこむことはおそらくもうないでしょう。

>それをせずに、伝言板で、しかもブロンコさんの追従をするように、さらっと毒を入り込ませた言葉で書いています。ものすごく卑怯だな、と思いました。

《何で自分より学歴の低い人間から偉そうにされなきゃならないんだと思うと、腹が立ってしかたない。
 俺はホームの階段を上る際にも、また、改札口を通る際にも、あの糞上司から言われた悪意にまみれた言葉の数々を思い出し、ますます機嫌が悪くなって行った。》
《俺はその時の自分の心が荒んでいるとは思わなかった。これくらいが何だというんだ。俺は会社で、上司からもっとひどいことを言われているんだ。こんな人通りの多いところで歌っているのなら、通りがかりに何を言われるのも覚悟の上だろう?》
《出世競争でもまれた人間にありがちな、どことなく狡猾で尊大な雰囲気がない。強くなればなるほど、人は悪魔に似て行くのではなかろうか?》
《疲れているということもあるが、それ以上に、性格の悪さが顔に出てしまっているみたいだ。特に今日は出たくもない休日出勤の上に上司とも喧嘩したから、余計人相が悪い。》
《彼らが甘い言葉で囁けばささやくほど、それを手玉にとってどう相手の裏をかくかということばかり考えるようになっている。騙し合いの連続の中で、どちらが最後に勝利するか、そんなことばかりで俺の人生は消費されて行く。》
《どうせ、努力したって、報われないんだよ。どんなに夢を追いかけたって、結局、俺みたいになるんだ。その日その日を生き抜くために、道化を装い、人を欺き、そしてわずかばかりの報酬のために魂を売る。みんな、そうなるんだ。だから、やめちまえ。みんな、やめちまえ。どうせ、報われないんだから》

この作品の主人公――性格が劣悪すぎるでしょう。行動が劣悪でも、小説の主人公であれば、反対にユーモアなり、憎めない部分が押し出されていたりするものです。社会に対する悪意ばかりを振りまいていると思わざるを得ません。その提案された見方について、わたしは到底同調することはできない。根底にそういった性根を秘めたまま、明日を生きることに対して、言葉のうわべだけ取り繕って、

《 よし、俺も木村や彼を取り巻くクラスメートたちに負けずに、楽しむぞ。
 だけど、誰かと張り合う感じじゃなくて。自分は自分のペースで。もう一度信じてみてもいいじゃないか。何を? 自分の未来を……眩しい夜明けを。
 好きなことに精一杯取り組もう。一度きりの人生、楽しんだもの勝ちなんだ。分かっているけれど、それをやり通すには勢いが必要だ。
 そうだ、盛り上げていくぞ。パーティはこれからだ!
 さあ、コップを打ち合わせて。
 乾杯しよう、この三文喜劇の人生に。この俺の見事な道化っぷりに。滑稽な笑い声と共に流す悲しみの涙に。
 まさに、今宵、宴もたけなわだ!》

なんて言葉で話を結んでいる。結局《負けずに》だし、《楽しんだもの勝ち》だし、《乾杯しよう、この三文喜劇の人生に。この俺の見事な道化っぷりに。滑稽な笑い声と共に流す悲しみの涙に。》この言葉は上滑りしているし、《まさに、今宵、宴もたけなわだ!》なにがたけなわなのかさっぱりわからない。

自虐芸をさらすにしても、うわべの言葉ではなくて文章の行間からユーモアが滲むようにしてこそ文芸だと思います。

>あれでは、最後まで読んだように誤読してしまいますよ(昔のことだし、今さらどうでもいいことですが、5150過去作『ブランコ氏の憂鬱』でも、はっきりそうげんさんは最初の数文しか読んでいなかったのに、全部読んだように堂々と書いていましたよ。後になって白状してましたもんね。下手クソすぎてあんなの読むに耐えられなかった、で全然オッケーなんですよ、作者としたら。文法がデタラメすぎて、読むに耐えられない、でいいんです。でも、読まないのに全部読んだフリをされ、一蹴されてしまうのは作者として非常に傷つきます。少なくとも5150はそうです。あれはさすがにこたえましたよ。それだったら読んだ範囲内で、思いっきり汚い言葉で罵ってくれた方が何倍もよいです。正直ですから。冒頭だけしか読めなかったのなら、そういうニュアンスで書くべき。それがフェアだと思うんですね)。

これはそのとおりです。わたしは最初の部分しか読みませんでした。題材を選択する過程において、わたしは納得がいかなかったので読み進める原動力を得ることができませんでした。

>えーと、この際だからこれまで思っていたことをはっきり書きますが、そうげんさんの書く感想は、文字通りの感想文もしくはアマゾンの素人レビューみたいな感じに思えます。あまりに表面的なことだけを書いているように思えるんですよ。すみません。つい本音を書いてしまい、失礼しました。小説の本文はすこぶる上手かつ上品なのに、感想ははっきり言うと下手くそですよ。加えて言うなら、対象を何も見ていない、自分語りに終始している感想の書き方にしか思えないんです。まあ、感想は何を書いてもいいはずだけど、でもあれはなあ。まあ、あんまし人のことは言えませんが。

感想については、自分で意図的にそうしています。他に書かれている感想を読むときに、技術的な話をされているものを見かけますが、ときおり、それはどうなんだろう、むしろ書き手それぞれが決定すべき方針じゃないのかと思うことがありまして、中国のことわざの《角を矯めて牛を殺す》という言葉を何度もコメント欄で書いてましたが、ほんとこれだと思うのです。ですので、一般的にいわれる「感想文」的なもの、それも意見の押しつけをできるだけ抑えたいので、自分のことを引き合いに出して作品を読んだときにこういうことを思いましたということを主にして文章を書くようにしています。コメント(感想)はざっとはじめからおわりまで書いてしまったら、読み直すこともなく書き込んでしまいます。改善案などは、本来自分が出したところで、その内容に、書き手の今後の進歩に対してなんら責任を持てませんし、よほど真っ当と思えるようなことくらいしか出さないようにしています。前述のとおり、《角を矯めて牛を殺す》ですので。

>カモさんの今作は、何かいい意味での変化が見られます。気のせいかもしれません。今回だけなのかも。でも、そういう傾向が少しでも見えたら、やっぱり誰かが言及してあげなくては鍛錬にはならないし、成長できないと思うからです。作品の完成度なんて二の次でいいじゃないですか。今回のは、カモさんのエネルギーが正しい方向に作用している作品に思えるからです。

これはわたしと見方が異なります。ただ推測が勝ちすぎる内容ですので、中身は伏せておきます。


>このサイトでは、少しポジティブな言葉だと、何かと褒め言葉(褒めるイコール禁句、鍛錬場だから)ととられる傾向にあるようですが、褒め言葉ではなくて、認める、というふうに5150は受け取っています。褒めると認める、って似てるようで違うはずです。悪いところは、必要以上に貶すくせに、いいところがあると、無視するか見てみないふりをする、そんな傾向がこのサイトにはあるとずっと思っていました。

加点方式ではなくて、減点方式の思考法を採用している人が多いようには感じてます。ごはんに限らず、世間一般の風潮として。ですので、おっしゃることの意味はわかります。

>で、もしそうげんさんがカモさんの新作を最後まで読んだ上での、あの感想(らしきもの)だったのなら、よけいにそうげんさんに対して失望の念を覚えてしまいます。何のために今まで本をたくさん読んできたのか、とはっきり思います。好き嫌いという範疇を超えているような気がします。

好き嫌いではないですね。「無理」というのが率直な感想です。