作家でごはん!伝言板
詳細

掲載コメントを削除するためのパスワードを設定できます。

まあお前も

作家としての感性を持ち合わせているようだから普通に書けばよい。次はお前なりの春夏秋冬でも描いたらどうだ?
過去のトラウマを自身で突き破らねば、死ぬまで魔女のままここに居続けるだけだ。

まさか、エルフではなかろうに 笑

おためごかし

浮離

たかが自分の楽しみ程度にも夢中になれないたかが下手くそらしく言い訳必要なくらいなら余計な見栄も欲しがるな企むな言い訳ばっかどもがみっともない


とっくに透けてんのにいつまでもくだらないことばっか馬鹿なんじゃないの

re:もっと簡潔に言えないの?

偏差値45

確かに、おっしゃる通りですね。
お坊さんのお経のようで意味も分からず、有難く思ってしまうようなものかな。
もはや信仰の領域かもしれない。

>他に面白いものあるのに書いたり読んだりしてるんですか?

偏差値45

創作理由を問うているのかな。究極的には暇つぶしなんでしょうね。
特別、「小説を書いたり読んだり」だけをしているわけではないですけど。

>私は知識欲を満たすか気づきをもたらすかの小説にはリアルより面白さを感じるな〜。
知識欲、気づき……。ですか。
僕はそのようなものは最初から期待していないですね。
その時、その時の気分次第かな。
何気なく図書館に行って、有名な人の作品だから借りて帰ろう。その程度かな。
面白い本があったら紹介してもらえると助かりますね。

もっと簡潔に言えないの?

飼い猫ちゃりりん

小説なんて、面白ければ何でもいいよ。分かる?
音楽聞いて、楽しければそれで良いし、つまらないなら聞かないだけ。
音楽も小説も好き嫌いがあるから、あの人がすばらしいって言っても、この人はつまらないと言うなんて事は普通だよ。
でもね、「全然何言ってるかわからないけど、面白い!」ていう心に問題があると思う。これは意味乞食。
「この作品には深い意味がある!」
意味なんてどうでもいいよ。笑

興味本意

ぷりも

ラピスさまは受賞歴があって、ののあドールさまはなんだか知識豊富な方のようなのですが、どっちがすごい人なのかなと。
場外乱闘じゃなくて、純粋なごはん作家勝負をみたいものです。ごはんのNo.1作家って誰なんでしょ?


もしかして




OKはザマさん(仮名)?

感想返し

ラピス

月が雲に隠れていても闇夜とは限らない、とのつもりでの冒頭の一文でした。
ただ、数十行先の「闇に沈む黒い髪」はミスですね。

ののあさん、あなたの嫌な点を書いて、あなたの為に私もお節介します。

自分を賢いと思い違いをしている。屁理屈論調で嫌味。結果も出さずに謎の上から目線。無神経。礼儀知らず。嫌われても喰らいつく、しつこさ。バランスの悪さ。察し能力のなさ。

感想としては総じて「青二才」ですね。

最後にもう一つ

ぷりも

"ののあドール"さまのSF(じゃなくても良いですが)がどんな素晴らしいものか読んでみたいので鍛練場に投稿してもらえませんか?
ラピスさまは作品投稿してますもんね。それをこの安全な場所から批評するだけなのは片手落ちだと思うんですよ。

なるほど

ぷりも

あれ?金木犀くんは以前からいろいろ変えてるけどなんで大丈夫なんでしょ? 彼はあとで正体を明かすというマイルールあるのは割とみんな知ってますね。いいこと聞けました。ありがとうございます。 

ついでに聞きますね。不都合ならスルーしても良いですよ。
まず、浮離ちゃんの作品を一般的な人にわかるよう解説してもらっていいですか?

あと、なんでラピスさまと仲悪いんですか?興味あります。
ののあドールさま=浮離ちゃん疑惑ありましたけど、その線はないと思うんですよ。それだとあの仲の悪さが説明つかないので。あ、正体暴きかがしたいわけじゃないですよ。

最後に、ののあドールさまが初めてここで僕について語ってた時の話です。
あのちょっと前、僕は伝言板自体が閉鎖したと思ってたわけですね。
それを、ののあドールさまは知ってた上で、ここで僕に語りかけていたのはなんでですか?「伝言板が閉鎖したんじゃないです。ぷりもさんがアク禁になっただけなんですよ、そんなおっちょこちょいな自分にゴメンなんですよ」的なこと書いてましたよね。
別の手段で見ているかもしれない可能性を考えていたならするはずない発言ですよね。返信がこないと踏んだ上でのパフォーマンスだったということであってます?

スタジオジブリ『紅の豚』より引用!(ジーナ!)

ののあドール

教養なんて関係ないですよ。というかむしろそれ危険。戦後の洗脳教育で育った老人たちがつくり上げた日本社会やマスコミのせいで、私たちがいまめちゃくちゃ被害を受けてるじゃないですか。カルトの2世信者みたいに。自覚のない人が多いけど。

私が思う必要なものは〝察し能力〟ですね、〝お察し力〟。察することができること。この人、なんでこんなこと書いているのだろう、とか。もちろんそれはいい意味でも悪い意味でも。

そもそも「わかりやすさを一番に考えてる人」って誰なのか知りたいところですが、やっぱり浮離さんの小説が読めなかったぷりもさんや凪さんが代表格でしょうか。

今回の浮離さんの小説、それからすべての文学作品も、教養があるだけでは読めません。もちろん文学作品の中にはレトリックとして他の作品を知らないと理解できないものもあります。が、そういうのは本質ではないですね。本質は、シミリー、メタファー、アレゴリー。つまり比喩。ようするに書かれている事柄が、何の比喩になっているのか察することができないと、読めない。興味もわかない。でも、そういうのがわかるというか察すると、テンションが上がる。しぜんと繰り返し読むようになり自分の考えとの違いをも明確にわかってくるというか、触発されて、自分自身が新たに独自の考えをもつようにもなる? で、自分の考え、自分の意志、そして興味関心がないと無理だっていうのもわかってくるのではないでしょうか。

たとえば浮離さんのは、キメラでしょ。異質同体。同一の個体に、複数の異なる遺伝子情報が混じっている状態の生き物? ある意味、バケモノ? でもそれが未来の象徴的な人類の姿? たぶんそれを乗せた宇宙船が悠久の時の中に漂っている? もしかしてそれが宇宙空間に漂う終末期の地球? そこらへんの読み取りの正誤はあるかもしれませんが、とにかく、複数の意識体が、同一の個体として繋がり拘束されていて、バチバチやり合っている? 意識をぶつけ合っている? で、それらが意味するものとは? 個のなかに生じる意識体とは?

教養は関係ないといったけど、かりにそれでいうなら、人類という究極の意識体、その発現や終末の、示唆に富んだポストアポカリプス。つまり黙示文学的なスタイル? で、ご自身がコメント欄でまじ天才かもと冗談っぽくおっしゃっている部分、すごいですね。すごすぎて偉い人がつい調子に乗って本気で書いてしまい、正体がバレないようお花畑だなんだと誤魔化しているのではないかとも疑ってもみたり……

まあそれはいいですが、ラピスさんの作品のわかりにくさは浮離さんのとは違いますよ。また良かれと思ってお節介しますが、あなたのは自分が何を書いているのかわかっていないのが原因だと思う。それにうっかり屋さんで、推敲するときに満足に想像力を働かせていない。田舎で月が雲に隠れてたら真っ暗ですよ。独自に発光しないと花は浮かび上がりません。比喩としても意味がない。中身がない。(あ、もし独自に発光するなら誤読されないようにしておかないと。)

また一人称にしているので、描写の視点がおかしいし、主人公がふつうに語りすぎてハードボイルドにはなってない。そのギャップが滑稽。愛を語ってしまうハードボイルドおじさん、センチメンタルすぎ。根っこにLGBTがある? 「死体をモンハ・ブランカの咲く土の下に葬った」というのは「桜の下には死体が埋まっている」的なものでしょうか。なんとなく文学的雰囲気? しかし死体を埋めるために土を掘り起こし、そのうえにまたわざわざ花を植えているハードボイルドおじさんを想像するとこれまた……

オルガの突然自決シーンは過激でびっくりですね。けどこれ『赤毛のアン』でアンたちが物語クラブをつくったとき、ダイアナが人物の処理に困るとすぐに殺してしまうというのがありましたがそれを思い出しました。お喋りなペドロさんもダイアナさんに殺されてしまったのではないでしょうか。

文学とは何か。まさに〝わかりやすく〟いうと、いま私たちが生きているこの世界の延長線上に、その世界がある、というものです。カートヴォネガットも自身がSF作家とレッテル貼りされることを嫌ってました。察すると、SFとはたんに未来を舞台にしたもので、この現実世界と繋がっている、という認識ですね。時間軸が違っても地球上のどこかにそういう人たちが生きていても違和感がない。つまり文学作品の定義は、この世界の、現在、過去、未来、であると錯覚できるもの。だからリアルが追求される。また比喩だとしても、中身がある、と思えるものにしないと。

純文学は美しい文章で読みやすいとかいうのは先入観です。歴代の芥川賞作品を見れば読みにくく意味のわからないのはたくさんありますよ。けど、月明かりがなくなったら花びらが浮き上がったり、夕方になったらなぜか太陽光が葉っぱを透かしたりする世界の意味のわからなさ、理屈ありきでイメージできない嘘くささ、とは違います。端的にいうと、観念的な描写をする人は、意識が幼いんですね。プロへの憧れで小説を書いているので「子供の空想」っぽいんです。少なくともそういうのを感じさせてしまう。そういったラノベ的なのは〝文学〟として認めてもらえない。あ、もちろんラノベはラノベで今後の〝文芸〟業界? 商業主義の? 中心になっていくでしょう。需要の関係で。そして文学的要素はラノベの中に取り込まれる?

結論として、大事なのは〝真剣さ〟ですね。で、あの〝すべからく〟の名言を言い換えると、「真剣にやっている者が全て報われるとは限らん。 しかし!  成功した者は皆すべからく真剣にやっておる!」

そこでふざけた複数名称の使用(禁則事項)で出禁になったぷりもさん。自分がルール違反をしていることすら理解できなくて「アク禁くらってしまった」って、無教養であることよりひどいですね。それがぷりもさんの小説を舐めてる態度に表れてる。だから真剣には読むには値しないものを量産してたし、他人の真剣さも理解できていなかった。問題は、教養が浅いというより、小説との向き合い方が浅い。だから真剣な人からはバカにされる、ということになっていたのではないでしょうか。

浮離さんがmsさんのところでやっている小説談義はものすごく参考になりますよ。いろいろ意見はあったりすると思うけど、あったらあったなりにそれを切っ掛けとして自分の考えを自分の中にもてるようになったらどうですか。自分が空っぽだから理解できないし、けっきょく自分が理解できないから、底の浅いことしか言えないのです。

平家物語の文章は美しい、ですか。なぜですか? たしか祇園精舎には鐘なんて存在しないらしいですよ。というかなんで「鐘の声」なんですか? 「鐘の音」ではなく? そもそもなぜ琵琶法師が語っていたのですか? どうやらそこに秘密があると思いませんか? 私は平家物語なんてまともに読んだことはありませんよ。雑学でそういうことを知っているというか聞いたことがある程度です。

『羅生門』は芥川龍之介ですね。知ってましたか? 芥川龍之介や夏目漱石が現代の日本の書き言葉の基盤をつくったという話。それまでは文章の書き方は漢文の書き下し文みたいなもので、どうやって書いたらいいか彼ら文豪たちが試行錯誤したとのこと。たとえば落語を参考にしたりなど。だから「ござる」とか「ありんす」とか残ってないのです。もちろん言文一致運動は国あげてのもので、文豪だけが苦労したわけではありません。でも国内で統一するのに苦労しました。「ですます調」「である調」と二つの書き方があるのは日本だけではないでしょうか。統一できなかった苦労がうかがえますね。それを踏まえて芥川龍之介がすごいのは、
《下人は、老婆をつき放すと、いきなり、太刀の鞘さやを払って、白い鋼(はがね)の色をその眼の前へつきつけた。》
みたいな文章を残しているからですよ。わかりますか? 「白い鋼の色」って何か? かっこいいというかオシャレというか、センスを感じさせますね?

『老人と海』もいまでは当たり前ですが、それまでの小説は長い段落で作者がベラベラ語っているのがふつうだったんですよ。それがライトノベルのように読みやすくなっている。過去の話を語るのではく、いま事が起きているように書く。臨場感を感じませんか? 作者のヘミングウェイは客観的に書く、つまりハードボイルドで、余計な感情を書かない、というスタイルを広めた感じでしょうか。文体の芸術性でいえばそういうところだと思われます。

日本では琵琶法師が平家物語を謳ったように、海外では吟遊詩人がいました。ようは印刷物が発行できない時代は、書くのではなく、暗記しなければならないので、歌ったのです。歌って覚えたのです。音に合わせると覚えやすいので。そして歌うために、美しい文章の流れになるのは必然だったのではないでしょうか? だからもし美しい文章を書きたかったら、推敲するときに声に出して読むといい、というのがあるんですよ。「鐘の音」と発音するより「鐘の声」とすると、なんかいいですよね?

ちょっと長くなってしまいましたが、けっきょくこの二行だけだったかもしれません。
「もしも一般読者を見下すことが楽しいから文学読んでる書いてるってことなら、僕には分からなくていい世界です」
「そう。ここではあなたの英語カテより人生がもうちょっと複雑なの。恋(じゃれあい)だったらいつでもできるけど……」