作家でごはん!伝言板
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でしょさんへ

そうげん

わたしは第一段落を見て、読むのをやめました。シェイクスピアの戯曲にあるように、第一段落をト書きとして、第二段落との間に行明けをするなりして、以下の文章と差別化してくださってれば、まだ先を読んだのでしょうけれど、第一段落、8歳の男の子のことを説明しながら、その説明する人物が何者なのか、なぜこの子にクローズアップしてその先の文章を綴っていくのだろうかという点に興味を持てなかったために、第一段落を読む前に戻るボタンを押してしまいました。ですので、この作品がどのように展開するのかは知りません。他の方が寄せてらっしゃる感想のようなものを書くところまで読む根気もわきそうにないため、わたしにとってはそれだけの受け止めしかできなかった作品でした。

※しかしいま読んでいた新潮2月号の村田沙耶香さんの「平凡な殺意」がよかった。おすすめです。

自由な絵本屋さんぽんくんが日本語不通なので

でしょさんから問題です。

当該スレで指摘した“書き出しの回収”について、ちゃんと理解して説明してくれるいかちい人を募集します。


応募資格は“自由”とか単純な活用間違えをしない人です。
実にシンプルですね。


あたしがいるうちはシカトしてれば勝ちみたいなつもりでいる下手な感想書きどもがウロつかなくて快適なのでやりたいことやっておきましょうとも。



見栄も機嫌もそんなもん知るかですよ、下手の馬鹿ってサイアクでしょ。
何しにきてんの? っていうただのあたりまえを清々とぶちアゲなくてどうすんのそこのキミ。


あたしが言ってることって間違ってんの?
おまえらが勝手にビビって苦手に思ってるだけでしょそんなもん。

あたしは、ちゃんと目につく気に留まる当たり前のことを言ってるだけ。
わかんないならあたしが教えてあげるからケチな馬鹿以外はちゃんとやったほうがいいですよ、楽しみたいならさ。


あんな不用意な書き出しってないでしょ?
そんなこともわかんないって、指摘されてヘソ曲げるって、そんなやる気のねじ曲がり方ってある?


あたしはそんなもん、ただのクズだと思うんですよ。
それの何が悪い?

わからないなら、わかりたくなるのが“好き”ってことなんじゃないの?
好きな人に、自分の都合ばっかわかってほしいってクズの思想でしょそんなもん。


なんであんな馬鹿っぽいものを安直にほこりたがるのか、ほこれるのか精神構造まるごとあたしにはわからん。



あたしは気が短いからイラつくだけでおハナシになんないから、

いかちい人、かかってこい。
あたしには出来ない説明の仕方で格好つけてみてくださいよ。
あんなくだらなさったらないでしょ。

みっともなくて見てらんないまじで。

作家の自殺について

お節介

最近は作家の自殺を聞きませんね。
昔は良い薬が無かったんでしょう。
今は良い薬で押さえつけて書いてる人がいるんでしょう。
その人が自殺した作家より先に行けるかは分かりませんけどね。

でっけぇ独り言だな

虎口脱险迅雷

おい
クソ日記やめろやハゲ

『夏物語』

そうげん

川上未映子さんの『夏物語』がよかった。文庫で読みました。
第一部は『乳と卵』からの引用も多数ありました。『夏物語』を読み終えたあとに、芥川賞受賞作である『乳と卵』を再読しなおしたなら、おそらく川上さんがこの作で書き切れなかったけれど、実際には表現したかったものがおぼろげながらもその姿を見せてくれるんじゃないかなって思いました。わたしは『乳と卵』は受賞後すぐに購入したけれど、読もうと何度試みても跳ね返されました。読み進められない。どうしても自分の心で文章を辿ることができなかった。でも四年くらい前になんとか通読できるところまできました。読んだけれど、未消化の部分がたんまり残る読後感でした。しかしあいだに『夏物語』を挟んだことで、『乳と卵』を自分なりに読み解くだけのヒントが得られたんじゃないかと思ってもいる。『夏物語』。いい作品でした。ラストシーンが本当に川上さんが求めている展開かどうかはわかりません。そこに至る過程に主人公が辿った葛藤の遍歴がこの作品を優れたものにしたと思います。2022年になってはじめての読了本でしたが、わたしは読んでよかったと思える作でした。もちろん合う合わないはあるでしょうけれど、ひさしぶりにお薦めしたい作品だと思いました。

無題

そうげん

可哀そうになってきた。がんばって。

さよなライオン

虎口脱险迅雷

木工用ボンドは白い
白とは純粋である
つまり、木工用ボンドは純粋である

並みの間違った三段論法で、自殺と作家を結びつけたまま、話を進めるのはどうかしてると思うわ。
 いつの誰に憧れるのは自由だけども、あの時代に生まれたかっただの、地球が自ら回っていることが気に食わないだのと同じレベルの話をされても呆れるだけなわけ。

 文豪=自殺が成り立たないので、論理としても破綻してる。そもそも自殺が上手ければ作家になれるわけではない。自殺が目的であるならば、いちいち宣言する意味がない。目的が作家に文豪になりたいことであるならば、自殺という手段でその目的は天地がひっくり返っても達成できない。なぜなら、文豪になった後に自殺している者はいるが、文豪になる前に自殺をして、その自殺によって文豪と評価された者を私は知らない。自殺をしようがしまいが、その前後に関わらず、文豪は文豪のままである。つまり、自殺の有無と文豪であるかそうでないかに因果関係はない。Q.E.D.証明終了
 なんで、こんな事説明してんだろ。

 あ ほ く さ。

 どっかのコピペに、「死にたがってるアナタの今日は、昨日明日を生きたかった誰かの今日です」 みたいのがあってだな。生かされてる内は精一杯生きなきゃ失礼なんだよ常考
 飯食ってクソして歯磨いて寝ろ!

死にたい作家と生きたい作家

そうげん

作家の中には自殺した人もいるけれど、自殺したからと言って作家になれてるわけではないですし。自殺しない作家にも優れた方はたくさんいらっしゃるでしょう。物を書く人生において自分を殺す方向に・自分の存在を無きものにしてしまおうといった判断に至る道に集束していったのが自殺者でしょう。個人的には太宰治よりも、太宰と同年生まれである中島敦のほうが好きです。病から死に追いつかれてしまった臨終の場で、もっと書きたかったという想いを夫人に告げたという事柄を知ったことから、さらにこの作家のことを知りたいと思うようになりました。

中島敦『光と風と夢/わが西遊記』(講談社文芸文庫)「作家案内」 p.241より

《死の床で中島は〈書きたい、書きたい、俺の頭の中のものを、みんな吐き出してしまいたい〉と夫人に涙をためて語ったというが、帰国後約八ヵ月の創作活動はめざましく、爆発的な開花であった。それは丁度出発の時間が迫った旅人のように、残された時間と戦ってひたすら書きに書いた、奇蹟の八ヵ月と呼ぶのが最もふさわしい一閃の光芒であった。》

(文・鷺 只雄)

作家の自殺は美学とは思わない。

青木 航

明治には作家の自殺を美学扱いしましたね。そう言う、うだうだしたのが大嫌いです。
私小説の美学を引きずった純文学も嫌いです。簡単に言えば、ぼっちゃんは好きだが、人間失格は嫌い。
色々異論(韻を踏んじゃったかな?)はあるでしょうが、好みの問題です。

死にたくなってきた

風のみた夢

偉大な作家は自殺したりしますけど、僕も文豪になれますか