全体責任で人類みんな死んだらいいんです
↓こんなのが”人類”とか、もう無理ですよ、神様と地球に謝れしかないでしょ
>面白いか、面白くないか、で読むのではなく、
これがもっとも重要ですよ。
他はどうでもいい、と言ってもいいくらいです。
逆に綺麗な文章の小説でも退屈であったり、理解しにくいものは苦痛でしかない。
現代文のテストを受けているわけではないので、直ぐに挫折した方が良いです。
本来、小説とは楽しむものです。
それに小説の先生ではないので、あーせよ、こーせよ、と指導する義務もない。
もっともそんなレベルではない。お気軽でいいと思いますね。
四月は君の嘘から余命一年の僕が余命半年の君と出会った話へ
私が出てきて笑えた? またどこかで私のニセモノが出たのでしょうか。犯人はやっぱり「通りすがり」という匿名であちこちで媚び回ってる人? まあ、なんていうか、陰でコソコソコロコロそんなことをしても虚しいだけだと思いますよ。
で、偏差値45さん。ぜんぜん違うし、もう、だからヘタの横好きと思われてしまうんですよ。スキルの話と内容の話は、次元が違います!
メタファー、描写、神視点、みたいなものは、どれも初歩で、習得しておくべき基本的な技術なんですよ。なので好みの問題とかじゃなくて、ただの基礎知識みたいなものだから、そういった知識があってわかってないと、まともな小説は書けません。それだけのものです。はっきり言わなかったのがよくないのかもしれません。だからはっきり言います! 偏差値45さんの書いているものは「小説」ではないんですよ。子供の作文です。
たぶん、ご自分でも、なんとなくわかっているのではないでしょうか。だから小説なんて、創作物なんて、ただの自己満足だ、恥ずかしい、となるのです。つまり、思春期の子供が、小説家のまねごとをしていて照れて恥ずかしく、友達にも親にもいえずに隠れて書いているみたいな感じ?
そういう卑屈さというか照れ臭さはですね、本気で小説の書き方を勉強してる、ってなれば、解消されますよ。もちろんそうなるためには真剣に取り組まなければなりません。つまらないと言われたら悔しいと思わなくてはダメなんですよ。
で、何度も言うようですけど、まずは「視点」です。これは私が勝手に決めつけてそういっているのではありません。たとえば小説の書き方を知らない人は、視点の感覚がないから、神視点になってしまうのです。それで、公募では神視点は落とす、なんて言われるくらいのこともあるので、視点についての理解は不可欠なのです。
神視点をわかりやすくいうと、日本昔ばなしみたいな感じですね。むかしむかしあるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました。と、語り手が、聞き手に向かって、話してますよね? この感覚で、偏差値45さんは、読者に向かって、文章を書いているというか、説明しているのです。掌編のような短いものなら大人でも読めるけど、長編になると、つまり小説になると、そういうスタイルでは、読むのが苦痛になります。原因は、幼稚すぎたり、説明調が飽き飽きしてくるからですね。
視点の感覚がわかるようになるためには、他人の小説を読むとき常にどういう視点で書かれているか意識してみるといいと思います。そしたらだんだんと小説のうまいへたの区別がつくようにもなると思います。好みの問題をいう前に、まずは小説の形になっているかどうか、です。肉まんかあんまんか、じゃなくて、まずは、食べられる饅頭か、泥の饅頭か、の区別です。
たとえば飼い猫ちゃりりんさんのを読んでみてください。「私が運転し〜」と語ってますが、「私」はいったい誰に向かって語っているのでしょうか? そういうのを意識して読んでたら、「だが私の心は曇っている」っていう書き方は、まさに気恥ずかしくなりますね。三人称にして「だが◯◯の心は曇っている」なら許されるかもしれません。
勉強ですから、面白いか、面白くないか、で読むのではなく、誰の視点で書かれているか、またその語り手は、物語の外側にいるのか、内側にいるのか、そして、誰に向かって語っているのか、ただの独り言なのか、までを意識してみてください。
独り言というと語弊があるかもしれませんので、一人称の小説の「私」は自分自身に向かって語っているように書いている、と覚えておくといいかもしれません。脳の研究でも実際に人間は毎日自分と会話しているらしいですよ。だから自分に向かって語るのは不自然なことではありません。むしろそうすることで、読者は主人公に共感しやすくなります。
いろいろ書きましたが、私はべつにマウントを取るつもりで書いているわけでもないし、他人を見下すために書いているわけでもありません。また議論をして勝ち負けを競うつもりもないしだから屁理屈を言ってるわけでもありません。ふつうに、ただの、客観的な事実、ですね。それを書くことで自分自身が理解を深めるし、これを読んでいる人の参考になると思って書いているだけです。
>文学的センスとは?
かんたんに言えば、好みの問題に等しい。
中華まんで、肉まんが好きか? あんまんが好きか? その程度の問題ですね。
どんなに完璧にあんまんを作ったとしても、食べる人があんまんが好きではない、
そんな人であったらまったく意味がないです。
一方で小説は? と言えば、同じ理屈が成立する。
メタファーだの、描写だの、神視点だの……、そんなことを言っても読者が求めているものでなければ意味がない。
要するに需要と供給の問題とも言えますね。
どんなに作家さんが素晴らしい作品だと思っても、読者にポンコツ認定されたら終了ですね。
自己満足のオナニー小説ということでしょうからね。恥ずかしいですね。
でも、小説に限らず、創作物は総じて恥ずかしいものです。
なんと恥の多い生涯を送って来ましたね。
とはいえ、あんまんが好きではない人であっても、
とある人からもらった、あんまんが美味しく感じることもある。
そこに、もしかしたら意味があるかもしれない。
そう言えば……。
昨日、トライアルで半額になった、大きな肉まんを買ったよ。
正規の金額では2個で400円ちょっと。
まあ、美味しいかったですね。肉がいっぱい詰まっていて、人生で一番美味しかったかもしれない。
最近、暖かったからね。肉まんが売れなかったのでしょうね。
きみたちに好きになって欲しいらしいので転載
通りすがり
2026-03-31 12:57
116-220-41-241.rev.home.ne.jp
浮世離れを自称する人が、長いものを書ける人、純文学でブレイクできそうな人を、目ざとく見つけては、執拗に噛みついて。形勢不利と茶化したら、ののあの氏が出てきたの笑えました
ほら、笑ってあげてそこのきみ
”あるなし”と一緒ってこと、きみはすぐにわかりましたか。
悪しく罵る対象あっての言説しか取れない、っていうのは結局のところ”依存”でしかないんですよね。
批判対象に依存して批判する。
このサイトでも懲りず繰り返される”こじきムーブ”ってやつですね。
罵る対象に刺激されないと言いたいことも思いつけない、っていうかそもそも言いたいことなんてない卑屈さしかないからこその”依存アンチ”ってこと。
そんな姑息さ、ってことですよね。
っていうか所詮その程度の認知と理解のつもりしかないから既知情報ばっか受け売りでしかも悪影響しかないのにそれを自分の言説に掛け替えて見栄に化かせるつもりらしい乞食根性ばっか見透かされて見下されるばっか、っていう当たり前の客観すら持てないんですよねこの人
暴露におもねる主張なんてYouTubeですらとっくに下火だし、とっくに非合理どころか悪影響しかないってこと気づきはじめてる普通の人だって少なくないはずなんですよね。
陰謀論とかくだらない、とかじゃないですよ、もっとくだらない”人間”っていうたかが必然ってことですよわかりますか。
時代遅れもなにも、なんにもわかってないですよねこの人↓
ついに日本感染症学会が言っちゃった。
コロナ元年2020から一貫してコロナの危険を主張し、コロナワクチンを激推してきた日本感染症学会が言っちゃった。
『普通の風邪と大差ない』
ならあの過剰な感染対策は、何だったの?
ビニールの垂れ幕。
マスク常着、ついにプールマスク、銭湯マスクまで。
飲み屋営業自粛。
極め付けが治験中のコロナワクチンを半強制的に頻回接種。厚労省が認めただけでも、ワクチンの副作用の被害は膨大ですよ。
ワクチン真理教の人たちは、どう頭を整理するの? ま、考えないことです。じゃなきゃ自分を保てない。
すごい
猫にじゃらされ過ぎでは?
文学的センスとは?
欧米人は文学というとメタファーを言い出します。メタファーを日本語に直すと隠喩ですね。つまり比喩表現で、直接言えないことを隠して、遠回しに表現するのが、文学って感じなのです。
たとえば欧米では、圧政や人権侵害、人種差別に耐えかねた作家が、文学の中で暗に批判していたりするんですね。でも日本では欧米に比べ実質そういった圧政や人権侵害、人種差別がなかったので、洗脳教育、反日教育に対して、闘ったほうがいいかもしれません。あと、カルト宗教とか、反ワク活動家とか、逆に表現の自由が守られすぎてデタラメなことを吹聴して不安を煽っている人やオールドメディアとか。
当たり前ですが、小説には、さまざまな意図、意味がありますよ。そしてそういうものがある人が作家になるし、なれるのではないでしょうか。真剣ですから。ですが、読者によって、読めなかったり、わからなかったりします。もちろん表層的な娯楽を楽しむことをしてもいいと思いますが、通底では、作家と読者で、繋がっているところがあります。
猫に小判という諺があります。意味は《価値の分からない人に貴重なものを与えてもむだであることのたとえ。》です。ふつうに、小説に「意味がない」といっている人の書いたものを読む読者なんていませんよ。相手にされません。騙される人はいないと思いますが、中高生もいるかもしれないので書いておきます。
意味がないけど、ある。
スーパーで無料でもらえる水がある。
それをもらって来て、自宅でわざわざミネラルウォーターが入っていた空のペットボトルに入れる。
そうすると、なんとなく0円から80円ぐらいの価値になった気がする。
スターバックスのロゴ入りマグカップを買って来る。
それを使って自宅でスティックコーヒーを飲みます。
なんとなく気分はスターバックスになります。
神仏なんてものは信じてはいないけど。
神社では、二礼二拍手一礼をやります。
なんとなくご利益があるような気がしますね。
まあ、人間なんてそんなものですよ。
そういうものを面白がってやっていると楽しいですよ。