作家でごはん!伝言板
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そうげんさま

もんじゃ

 そうげんさま

 5150さんの人柄のようなもの、これを前提にもんじゃは5150さんの表現を拝読しました。
 なので冒頭の、ブランコはブランコから落ちて云々、みたいなテキストに接したときも、それ即ち直ちにオチョクリのようには取れずその先に目を凝らした次第です。けれども、人柄を前提に作品を読む、などという読み方は確かに褒められたものではありません。
 作品を純粋に作品として読もうという真摯な読み方をされたからこそそうげんさんは五枚でブラウザを閉じられたのかもしれませんね。そちらが当たり前なのでしょう。
 弁明させてください。もんじゃが冒頭について表した、笑えました、という表現も、フォードブロンコについて表した、椅子から転げ落ちました、という表現も、嘲笑ではなく丸める意図をこめた表現でありました。ブロンコさんのアタックのお陰で何かをブレイクスルーしたような表現が5150さんの中で誕生したのだとしたらそれはブロンコさんの創作なるもの一般に対する貢献なのではないか、ということを匂わせたつもりでした、ブロンコさんの表現が独特なのでそれに拮抗しうる言い回しをいたしましたが。意図したことは調停であり、緊張のもみほぐしでありました。対立に油を注ぐ気持ちは一ミリもありませんでした。
 けれども、その表現がおそらくは独りよがりだったのでありましょう。作品もまたそうなりがちなのですが、もんじゃの言葉はたぶんいろんなふうに受け取れてしまう曖昧なものなのかもしれません。
 なので、そうげんさんや、あるいはサイト内であのもんじゃの言葉を目にした方々に不快な思いをさせてしまったのかもしれず謝罪いたします。ブロンコさんは、当人に関する言葉でもありますし、もんじゃとは感想欄にて幾度か微妙なやりとりを重ねてきておられるので、もんじゃの言葉に含まれた何やらを相応に受け止めてくださったのではないかと思っていたのですが、そうでなかったらブロンコさんにもすみませんでした。
 今後は、作品はともかく、感想や伝言など正しく伝わらなくてはいけない言葉については十分な注意をはらってゆきたいと考えています。
 このような表明で今回はご容赦いただけますでしょうか? 寛大なるご返信を切に希望しています。

もんじゃさんへ

そうげん

ありがとうございます。しっかり正対していただけたこと感謝で一杯です。
先に書きました通り、わたしは5150さんの作品を最後まで読み通すことができませんでした。
ですので、もんじゃさんが感じられた当作品の意義について同じ土俵でやりとりすることができないかもしれません。
わたしが着目していたのは、作品における「筆致」というものでした。
その筆致がわたしにとっては読み進めるにはいささかためらわれる質の物であったから、ギブアップしましたという態のものでありました。
鍛練場に挙げられている作品でも、同様に、これ以上は読み進められない、と感じるものがあれば、その作品には一切コメントを書くことはなく通り過ぎてしまいます。読むなら一字一句読みこぼしなく、かつ読むことで変化していく万華鏡のような微妙な読み味の変化も十全に味わいながらラストまで読みきりたいと思うのですが、自身の好悪の「悪」のように敏感になってしまえば、ほとんどの作品はもういいです、となってしまうので、ごまかしごまかし読むことも多いです。でも、なぜ作者はこの作品を書こうとしたか、また何を描こうと苦心したか、あるいは面白い試みをされている箇所があれば、それをピックアップしていきたいという気持ちを持っていれば、いろいろな作品を味わい、楽しみ、受容することができる自分を保つことができます。
5150さんの作品について、文章の運びの点で、わたしはそりが合わなかったというところがあります。もし、エッセイ、あるいは随筆の文章で、丁寧な筆致によって、ブロンコ氏の行動に関する問題点とか、モラル面のすり合わせとか、一人の書き手としての等身大の投信とか、そういったものであれば、読み進められたかもしれません。小説という形で書かれたものが、わたしの小説感、小説をどのように組み立てるかという手つきについて、わたしの世界観とは相いれないものだったから、申し訳ないけれど、これ以上は読めないということになりました。
ともあれ、もんじゃさんの真摯なご意見をうかがうことができてうれしく思っています。

5150さまへ

そうげん

正直に申し上げますと、わたし、冒頭5枚分くらい読んだところでリタイアせざるを得ませんでした。
いかに架空の物語として読んでいくにしても、すでにブロンコ氏の印象を根底に置いて読んでしまいますので、そこに11歳の時期のことを、実際にはそうではないであろう架空の過去の事績について(ブランコで転んだ等)の事柄がつぎつぎ書かれてある文章を読んだときに、ちょうど5枚くらい読んだあたりで、これ以上は読めないなとなってしまいました。

これはわたしの文章の読み方に起因するのだと思いますが、ちょうど、トーマス・マンの『魔の山』をはじめて読んだのが26,7歳のときだったのですが、毎日、50ページを8時間かけて、3~4週間ついやして読んだことがありました。ひとつひとつの字面を丁寧に追いながら、可能な限り頭と心の中に蓄積させながら読むということを心掛け、文章の流れに振り落とされないように必死に集中して読んでいく読書体験でした。現在、どんな文章でもちゃんと読むときには、この読み方の影響がすくなからず表れてしまっていて、出てくる助詞の並びというか、順序というか、リズムみたいなものとか、テンポとか、単語と単語が連なることで奏でられていくアンサンブルといいますか、単語のつらなりによってこちらの心に訴えかけてこられる印象ともども、そういったものを味わいながらひとつひとつの活字を拾っていく読書を至上のものとしています。

ですので、ラストまで丁寧に読んでいけばおっしゃる通り、とてもいい体験ができるのかもしれません。しかし5枚を読んだ中で、字面を辿っていくことで得られる調子が、わたしには合わないと感じられてしまったのです。それはもしくはわたし自身、他者から陰口をたたかれることも多かった人生を送っていたからかもしれません。またそれがちゃんと耳に聞こえて、目について、心を痛めた過去がありますので、誰かが誰かに対して、貶めようとしている【ように】受け止められる文言が並んでいると、ついそこを強調された文字のように受け取ってしまいます。5150さまの今作について、期待されたような読み方がわたしにできなかったのは、こちらとしても残念でなりません。わたしが原因で掲載を休止されることのないように願いたいです。わたしはこう感じたということをこちらの伝言板に書いてしまいましたが、出過ぎたまねであったかもしれないとも危惧しております。また従来通り、やりとりをさせていただければと思っております。それでは失礼いたします。

夏の魔物さま

5150

夏の魔物さま

本当にありがとうございます。

100パーセント納得です。もうまさしくその通りで、こちらから言うことがないくらいです。

で、少々、弁解っぽくなってしまいますが、こちらの考えを書きます。拙作は出来た時点で、リアルつまり、作品のコア部分はつかめたという手応えはありました。しかしながら、これを一般の人が読むような、つまりこんな拙作のようなアマくさいものではなく商品と考えると、読み物として捉えたらおそらく、まだ六〇パーセントくらいのできだったのではないか、と客観的には思われます。もんじゃさまにはほぼ100パーセント作者側の趣旨を理解してもらったように思えますが、あの方は、経験もあり語感には非常に敏感で、鋭い感性の持ち主でもありますので、むしろ例外的な存在になるかなと、5150は考えています。

冒頭の一文を見ればおわかりのように、当初は軽いユーモアを込めて、表面的には、変だけど憎めない人みたいなイメージがあって書き始めたのですけど、書くにつれて逆の方向へ行っていました。おそらく、全体にユーモアを込めて、もう一度全部書き直すのが一番の理想だったのでしょう。あ、ここでいうユーモアとは、キャラを馬鹿にするということではなく、キャラがたとえ変であろうが何だろうが、優しく筆で包み込んであげる、という意味です。そのあたりはどうしようもないくらいのこちらの筆力不足をモロに感じます。

読み返してみると、やはり棘がありすぎるように思えます。毒が強すぎる。なので、そうげんさんの解釈をこちらが否定することは、少しもできません。むしろ、それが一般的な見方だと思えるくらいです。自分なりにキャラのブランコの心情の歩み寄りはしていたつもりでしたが、まだまだ十分でなかったように思いました。キャラのマイについても、こちらはかなり反省
しているところです。考慮がまったく足りていなかった、と。こちらの考えが全体的に及ばなかったため、つまりは5150の未熟さゆえ、かと思っています。

ここからは思いっきり弁解ですが、例の件があって、しばらくして構想が出てきました。実際にかかった正味時間としては、おそらく四日間くらいだったでしょうか。本来ならもっと寝かしておいて、足りない部分を考慮するべきでしたが、ほとんど初稿のままで推敲をして投稿した、ここに5150の過失があると思っています。

黙っていればすんだことを、わざわざ書いてくださったその気持ちを、本当に嬉しく思っています。ありがとうございました。

5150さまへ

夏の魔物

私は「こういう作品を作るという発想を持つ人が私以外にいるんだな、」程度で『ブランコ氏の憂鬱』を読みましたが、そうげんさまの意見を読んで『動機はいいが、料理の仕方を間違えてしまったのでは』と思いました。
確かに5150さまの中には『ブロンコ氏は惨めなやつに違いない』という考えが前提にあったからこそ、このような物語になったのだ、と思います。
しかし、このままでは読み手は5150さまが勝手に作品の中で氏を不幸な奴として、これ以上ない悪意を持って書いたものと受け取ってしまう危険性が高いです。
それこそ、作品は構想から発表まで他の人の目がないわけですから、独りよがりなものが出来上がるのはしょうがないです。

そこで、次は氏がハッピーエンドを迎える作品を書いてはどうでしょうか。(その中にも氏の人間性、攻撃性を十分に入れ込むことができるはずです。なんならコミカルに書いてもいいでしょう)(私の次作では氏は単なる脇役として登場する程度なので問題ない予定です)
そうすれば、そうげんさんも(私のような中立派も、いやどちらかというと5150さまより?)納得できる作品になると思いました。

そうげんさんへ

5150

そうげんさまへ

伝言板読みました。

正直に書いて下さって心より感謝します。本当に嬉しいです。なので、こちらも正直に書かせていただきます。そうげんさんが「ブランコ氏の憂鬱」についての趣旨をほとんど理解して下さらなかった、と思うと残念でなりません。そうげんさんのように端正な文章を書かれ、なおかつ知識がある方なのに、拙作のほんの表面をかする程度でしか受け止めていただけなかったように感んじられました。というかほとんど拒絶されたように感じられました。

作品、創作として評価して見ていただけなかったことについてです。おそらくはそうげんさんの私情と5150の下手くそな文章のおかげで読み込んでいただけなかったのでしょうが、あれはただの怨みだけで書けるわけがありません。拙作はブランコのこちら側の創作面が7割、実際のことが3割くらいだと思って書いていました。作品として発表するわけですから、僕はこれに全身全霊を込めて書きました。意味を込めて、リアルを込めて、自分のできうる限りの想像力を込めて、テクニックを込めて、丹念に、ブランコという想像上の作品だけのキャラの心情に沿う形で、心を込めて書いたつもりです。推敲にも手をかけました。で、作品になったという自負があったからこそ、発表しました。落とし込めたと、自分では思っていました。一言でいうと、昇華です。そこだけが拙作を書いた唯一の意味でありました。

むしろ、適当に書いて、恨みだけで書いてしまっては、よほどブロンコ氏に対して失礼にあたると思って、書いたわけです。ブロンコ氏については、mayさんの感想欄にて(ここがよくなかったのは百も承知です)、こちらの論点を明確にした形であったはずなのに、それに対し、そうげんさんのようにきちんと反論をせずに、ブロンコ氏は罵詈雑言という形で逃げた上に、他者の感想欄にて同じことをしていたための、こちら側でも同じような対応をしたまでだと、5150側は解釈しています。目には目をというやつです。

劣等感を創作の力にする、ということは誰でもやっていると思います。では、それがネガテイブな感情であってはいけない、ということでしょうか。たとえば日本を席巻したqueenは、当時のプロデューサーの行為に対して
恨み辛みを込めて、Death on two legs という曲を書きました。ヘヴィメタルの歌詞には、憎しみ、怒りが込められています。僕が大好きでしかたないThe smithsには、あからさまに他人への辛辣な言葉が羅列されています。だからとって拙作を擁護しているわけではなく、たった一つの争点は、それが果たして作品になっているかどうか、昇華されているかどうか、だったと僕はこれまでずっと思ってきました。

もちろん反省していないということではありません。やはりあからさますぎたなあと、そうげんさんの反応を見る限り、かなり悔しい気持ちで一杯に
なっています。もう一点は、拙作は、ブロンコ氏への批判を込めているのは間違いないですが、作者としてはできるだけ客観的に、中立の立場でキャラを描いていたつもりでいた点もまったく理解されていなかった、ということに愕然しています。悔しいという気持ちしかありません。

そうげんさんのような方さえ理解できないのでしたら、おそらく事情を知らない人たちは反発心ばかりしかないことと思われます。というわけで、こちらの反省も含めて、掲載停止を考えているところです。

他者のハンドルを挙げての返信不本意なれども

もんじゃ

 そうげんさま

 では正対します、もんじゃのスタンスはそうげんさんのスタンスとたいして違っていないように思われますが、明らかに違う面もあるようですね。
 かの作品に対するもんじゃの反応は、調停です。書き手に加勢して書かれた相手を侮辱することを微塵も意図しておりません。
 ブロンコさんの、つまんねえ、みたいな台詞には、あなたがね、と返したいし、甘いんだよ、との台詞にも、あなたがね、といつか向かってこられたあかつきには返したいところだけど、今はそうしません、氏のもんじゃに対する角度が百八十度じゃないからです。ですが、つまらない、甘い、と叫ぶ氏の在り方をことさらに否定するつもりもまたないのです。
 ブロンコさんの表現も含めていろんな表現が咲いて構わないようにもんじゃは思うし、そういうスタンスを表明してきました、体現してきたと言ってもいい。だから5150さんへの氏のアタックも、もんじゃを含む誰に対する氏のアタックも、一概に全否定すべきものとは思わない。場の空気が悪くなり無関係の第三者が不快感をおぼえることについては、別に考えなくてはいけない課題かと思われますが。
 そしてですよ、そうげんさん、これはもんじゃの感じ方ですが、5150さんでさえも、かの作品を十分に読み込めばわかるように感じるのですが、ブロンコさんのアタックを全否定していない、受け止めて昇華しようとしている。これが創作でなくてなんなのか、と、もんじゃは感動したのです。mayさんへの配慮についてはちょっと、でしたが。
 5150さんの表現を逸脱と評することは簡単です、けれども5150さんの表現にもんじゃはきわめてマコトなものを見ます。マトモじゃないけどマコトです。ブロンコ氏のいろいろに受け取れるアタックに対して、マコトをこめて生まれた作品をもんじゃはめでたく思います。あの作品、単なる意趣返しでは全然ないですよ。ブロンコ氏もコスパの低さに言及してるけど、なみなみならぬエネルギーにより、苦しみの果てに産み出されたものです。おまえのかあちゃんでべそ、では断じてない。
 そのくらいの反応をされて構わない覚悟でブロンコ氏もアタックしているのだろうし。事実そう書いてるし。
 この件については、そうげんさんと真っ向からぶつかります。ブロンコ氏を侮辱する気にはなれませんが、5150さんの逸脱に意味を感じる気持ちは強いです。

思うこと。

そうげん

へそを曲げて、個人に対する難詰を1:1の関係に落とし込んで感想欄や、伝言板であれこれあげつらうのは自分としては許容できるんですが、個人の責任の範疇に置いて融通することのできる作品として、個人を対象にあれこれ詮索? 料理? するような手つきについては、わたしは断固、支持することができません。作り手の醜悪さがあらわになる手法だと思います。5150さんの作品について、わたしは嫌悪の念をもよおしました。対象の名前をいかにいじくったにせよ、この文章の示唆している事柄は、おまえのかあちゃんでべそ、というような、むしろ口にした方が負けというのか、正当なやり方では敵わないと思った本人が、他者が介在することのできない手法において、日頃の欝憤を晴らそうとした気味すらあります。

わたしは作品に関して、もんじゃさんの反応が残念でなりません。まがりなりにも作品として発表されたものとして挙げられた作品があんな形式であるにもかかわらず、それに迎合する形でコメントを寄せていられる。失望を感じました。失望したということは、ちゃんと希望を感じていたということです。コメントに関してはコメントで同じ程度の圧をかけて、彼女と対する。それなら理解できます。しかし作品というのは、一種、作者の中で固定されていて、いかに読者があれこれいうにせよ、それはむしろ作品として発表された時点で、固定されてしまうなにがしかがそこには存在しております。だから他者がどうすることもできない境涯において打ち立ててしまう言葉の暴力だと思います。だからこそ、伝言板なり感想欄なりで、ブロンコさんがなにか言葉を発したならば、それに対しては正対する形で、伝言板なり感想欄なりで同じ強度において反論を試みるべきだと思っています。

作品という隠れ蓑を用意することによって逃げ場を確保したとしか思えません。すでに負けているということです。わたしは残念でなりません。

ごはん食べながら読み返してみたら誤変換渋滞すご

ブロンコ

しかもまあまあ酔っぱらってたからあんまり覚えてないし、でもまあまあムカつく殺傷能力は自動書記なりにそこそこいい仕事してるみたいだからまいっかと。



>友達いない青春びしょ濡れ野郎夏のなんとか



われながらこれオモシロすぎて、ちょっと黙ってられませんでした。
すみませんでした。

さてと

ブロンコ

他人にどう思われるか、自分のことをどう思われたいのかばっかにしか興味ないみなさんおはようございます。

ようやくおあつらえ向きの作品が投下されたので、そんな皆さんの腕の見せどころですよ、見栄の吐きどころ馬鹿のほっかむりしどころでも何でもいいですどうせバレバレなのはわかり切ったことなんですし。


ただいま一面にあるアフリカ氏の『甘口』
サクッと読めちゃうのですでに読了という方は少なくないと思うんですけどここで問題。

あの書き方の一体どこがダメなんですか?

それをちゃんともっともらしく説明できるまともな人いませんか。
物語はその人が思う世界だからそれでいいけど、それをちゃんと面白く招待してくれるのが親切というもので、その案内に不満を思いつくのは読者としての適正な役割で全然いいと思うんですよ。


つまんないな、そんな案内じゃあさ。
って一読者としてはな。


それを説明して見るものを引き付けるのが感想というここの役割で、そこに全てを使いこなせないでコスパの悪い性格悪いとんちんかんな仕出かしで何かを認めさせようなんてそもそもゴミクズの思考なんですよ、ってことはもう十分皆さんもわかったと思うんですけど、ならばどうなんですか。


ちゃんと出来ない奴らばかりの何かを見て、雰囲気が悪いとか、とっつきにくいとかまんまと凡人に埋もれてばっかのそこのあなた。
自分のままばっかじゃ出会えないもんはやっぱあるって、ちゃんと気付いた方が、実感した方が近道ですよ。
それって、あんた自身ばっかのハナシだから。


頑張ってごらんよゴミクズなんかよりまともになってみなよここは自由だ。
退屈なくらいにさ。