シャーピン
駅前の平時なら車が行き交う大通りは閉鎖され、代わりにごちゃごちゃと詰め込まれるは人、人、人。その左と右。両サイドに居並ぶ100を超える屋台たち。今日の天気予報は降水率40パーセント。正午過ぎまで雨が降り続いていた。それでも大変な賑わいだ。
僕は人混みが苦手だ。休日に映画館に人が沢山いるのは嫌だから、仕事は平日が休みのカレー屋を選んだし。宴会とかパーティとか気が滅入るので、友人も少ない。それは余り関係ないか。結婚もしていない。うーん。恋人もいない。それはもっと関係ない。
いや、わかってる。そんな冗談が下手なくせに、なんとなくいい加減に言ったりしちゃってるのが、たぶん真剣な友人が少ない本当の原因。
そんな僕が七月十四日は日曜のゴールデンタイムの駅のまんまえ、普段でさえありえないシチュエーションに、浴衣の女子中学生やらカップルやら酒の入った神輿の担ぎ手やらが集う祭りの最高潮に混じってるのは何故か。それは手をつないでいる七才のガキんちょ、いやいやオネエサマの大切なお子様、「タックン」のせい、ああああ、おかげ様なのである。
うちの姉の旦那がどうにもこうにも市役所の公務員で、お嫁になる時は「玉の輿」なんてはやしたものだが、繊細なる地方公務員とのこと、胃に穴を開けてしまい入院。姉は姉で仕事もあるし、家事もあるし、付き添いもあるし、てんてこまい。休日はぐったりで、まいってしまった。おまけに夏風邪。
それが「タックン」がずっと楽しみにしていた夏祭りとバッテングしたものだから、さあ大変、ここは愛しの弟の出番ということになる。
「タックン、楽しみにしてたの。お祭り。ライダーのおめん買うんだって。わたあめ買うんだって。ねえ、タックン、はじめてなのよ、こんな大きなお祭りに出かけるの。いや、これまでは町のちっちゃなお祭りには行ったけどさ。だから楽しみにしちゃって。ほんとにいいこでいたのよ。朝寝坊もしなくなったし、おこづかいも今月はカード買うの我慢してくれたし」
タックン自慢が始まった。そこまで愛してるなら、風邪を押しのけて行けばとふつうなら思うところだが、その姉の声がいがいがに荒れて時折せきこんだりするので、そうは言えない。
「あっ、お祭りではお金使いすぎないでね。1000円まで。えっと、何時もの貯金から500円、お祭り用のお小遣いで500円、合わせて1000円。お金って、散財する癖ができるとあとが大変だから。旦那だって若いころはパチンコ屋に開店から夜まで入り浸って」
ああ、僕が子供を連れていくことはもう既定路線なのな。相変わらず、強引だな、姉よ。
「あんたにもお駄賃あげるわよ。大人なりのね。プレイステーションVRって知ってる? そうVR元年の。ゴーグルをつけるとね、画面が、シマシマの熱帯魚がもう、飛び出すみたいにそこにあるの。凄いわよ。そのゴーグルだけあげる」
ぶいあーる元年。少し前に話題になった。確かにテレビゲームとは遠ざかっている自分でもちょっとプレイしたい。自分の中の何かにも元年が来るかもしれない。姉は僕のことをよくわかっている。少し楽しみになってきた。
*
それにしてもオメンか。僕はウルトラマンの、確かウルトラマンタロウ、そんなマイナーな名前だって憶えてる。その仮面を親父を泣き落として買ってもらった覚えがある。そしたら姉も、「わたしも、わたしも」と僕よりもベソをかいてセーラームーンの、セーラーなんちゃらのオメンを買ってもらったっけ。僕もその夏はそれを毎日のようにかぶって遊んだが、姉は姉で被るのではなく一年くらいインテリア、よくわかないが宝物を飾るように机の上に置いていたっけ。姉はそんな話をタックンにしたのだろうか。まっ、わざわざ聞かないけど。
*
タックンのあくびは神輿がデパートの前を通ると、立ち消えた。茶髪のあんちゃんから、ゴリラっぽいおっさんまで暑苦しく担ぐは、ところどころがライトアップされた大神輿。カバよりも大きな金きらに飾られた神輿が、夜の街の人混みを、熱を分けるかのように練り渡っていく。それでも自分にはやっぱりしょぼさとかは感じるけれど、タックンにはディズニーのエレクトロパレードなのだろう。なんて、自分は去年の冬にディズニーランドに一人で行って、寒空の中で一人で待って、それでも感動したのだから、なんとなくわかる。だけど、タックン、ここには僕がついている。
「凄いな、でっかいな」
なんて手に力を込めて呼びかける。
「うん、おっきい」
「うん、そうだな」
「ナンビャクマンエンするのかな」
ははは。
「五百万円くらいするんじゃないかな」
思いついたままの出鱈目。
「うわー」
それを信じるあたりがお子様だ。
*
「言っとくけど、使っていいのは1000円までだよ」
「知ってるよ。1000円もだよね」
意外な反応だ。祭りの相場を知らない。焼きソバとワタあめを買ったらそれで無くなってしまうくらいの額だとは、わからないのだろう。たぶん、ライダーのオメンを買ってしまったら、残りではそのワタあめも買えないだろうことも。
「そうだよ、1000円もだよ、太っ腹だろ?」
でも、1000円って確かに自分の子供のころは大金だった。昔は今よりも随分となんというかお金の価値が高かった気がするが。それを除いても、確かに小銭じゃなくて、お札一枚はとてつもなく重たいものがあった。
「1000円も出すんだから、100円でも、1円でもオーバーしたらいけないよ。ゴチになります、だよ」
うーん、子供はこのテレビ番組を知ってるのか。とぼけた反応からは伺えない。そのうえ、思いついたかのように
「じゃあ、おじさんも1000円までね! みんなびょーどー、じゆう、へいわ」
姉譲りか、実に世知辛い提案までしてくる。大人の余裕で、泣く泣く飲んであげた。
*
小雨が降る夜の薄暗い道。その両サイドにぼうっと屋台の光のライン。
高校の名前を背中にプリントした女子高生の五人組。青に花の浮かぶ浴衣。それが人混みにぶつからないようにかばいながら歩く彼氏。フランクフルトをかじりながら歩く子供。すれ違い際に友達にハイタッチする中学生。そんな光景が、それよりも沢山の光景が通り過ぎた。
随分と歩いた。屋台の隅から隅まで、片道二十分はある人混みを往復した。人混みで歩みはスローなので足は疲れないが、心はわいわいと使ってしまう。高揚感はあって、少し楽しいが、それでも、もう一往復となると、ためらいが生まれた。
時代というものか。何十もある屋台にはオメン屋が一つもなかった。アンパンマンやら不細工な女の子用のオメンまで、あんちゃんの後ろにずらりと並ぶあのシーンは、もう過去のものになってしまったのか。
タックンもゲソ焼きにもタコ焼きにもオコノミ焼きにも目をくれないで探したが、見つからなかった。それでも声を弾ませていろいろと僕に尋ねながら、祭りというものを楽しんでいるようだ。
「ねー、ガーリックシュリンプってなに?」
確かにそんな店があった。でも、何を売っているかは、目は泳ぎ、通り過ぎた。「ハワイ名物」とか謎ワードだけが残っていた。
「ガーリックね、ニンニクのことだよな。ガーリック、にんにくの漬け物は、流石に祭りじゃないか」
「なに? ラッキョウヅケみたいなの?」
「ガーリックライス、きっとニンニクを焼いたものだ」
確かめに、引き返そうにも、人の群れは流れを作っていて、その逆を行くように、縫って歩くのは、幼児連れには厳しい。
確かに心の疲れには、タックンがあれこれとふらふらして、その背の低さに見失わないように気を使ったのもあるだろう。ただ、会話自体は仕事のカレー屋でのような親切という名の神経を使うものではなく、楽に素で自然に出来てしまう。それは子供だからだろうか、いや、血のつながりというものがあるのだろうか。そんなものあまり信じてなかったけど。
*
オメン本命、超第一志望だったタックンはまだ1円も使っていない。僕が何かを買うと見せびらかしてしまうようで、だから僕も1円も使ってない。
歩いただけ、とも言える。
それでもタックンは屋台の群れから第二候補を見つけたらしく、屋台探索二周目はそこへとまず向かった。
だけど、それがオメン屋ヨロシク、クジ屋だった。なんだか凄そうなモデルガンがずらずらと後ろの棚に並んでいるのには苦笑いだ。五百円出してスカのBB弾みたいな弾のパッケージを掴まされるのは目に見えている。弾だけあって、それを撃つ本体の銃がない。そんな生き方はあまりに虚しい。僕でもそうなりたくない。それに当たったら当たったで幼児に攻撃性の高いおもちゃをとか、あとがうるさそうだ。姉ならきっとウルサイ。
必死に説得して、ようやく諦めさせる。
*
タックンが祭りで選んだのは、神戸牛ビーフ800円だった。縁日価格の祭りでもお高めの値段だ。
なんでも「クロゲワギュウ」を食べるのが夢だったそうな。姉が良く言っていたそうだ。
「あなたの給料じゃ、フォアグラも黒毛和牛も」
子供にはちょっと大きすぎるくらいのサイズの串に肉がどででんと貫かれている。煙がもうもうと立ち込めた先の、黒っぽい焼き目に、微妙な高級感がある気がする。きっとアルゼンチンの牛なんだろうけど。
「うわっ、にくの味。やきにくよりずっとぶあつい」
「そっかそっか」
「でも、ちょっと、かたい」
「そりゃ、調理が悪いんだよ。ふだんタマゴチャーハンを作ってるようなお兄さんが焼いてんだもん。僕はカレー屋だけど、きっとやわやわに作れると思うよ。くろげわぎゅうってのはね、高級なだけに、作り方も高級で」
ごめん、名も知らぬ屋台のあんちゃん。子供にジューシーな夢を見続けさせるためだ。すまん。
僕は前から決めていたチョコバナナを買うことにした。じゃんけんで勝つともう一本もらえるってやつだ。でも、屋台のおねーさんは異様なくらいにじゃんけんが強い。並んでいる中学生も小学生も浴衣美人も、呆気なく負けた。じゃんけんマスターだ。
僕はタックンに大声で呼びかける。
「勝ったら、戦勝祝いにチョコバナナ一本おごるよ」
「本当?」
じゃんけんがはじまる。グーかチョキか迷って、どちらでもないパーに決めていた。自信をもってぶつけたパーはそのまま勝利を掴んだ。
「やった! おじちゃん強い!」
「おねーさん、ありがとな」
こぶりのバナナの黄色を覆いつくした茶のチョコレート。けばけばしい蛍光色にも似たトッピングのチップがかかったそれを、二本いただいた。
おねーさんはタックンに「ばいばーい」とちょっと高い声。
おねーさんはわざと負けたのだろうし、僕は勝つために子供を山車に使った、それもおねーさんは折り込み済みで負けてくれたのだろう。
そんな大人な駆け引きは、まだ幼児には早いのだよ、タックン。
*
タックンが最期に選んだ店は、ちょっと変わっていた。僕も今まで見たことない種類の食べ物で、それでも似たようなものが三件もあった。久しぶりの大きな祭りだったから知らなかっただけで、スタンダードなのだろうか。不思議な名前。
シャーピン。なにか漢字も横にふってあった。餅なんたら。
顔まで中華のおっさんが、うどんのような生地、小麦粉を感じさせるが、ぷるぷるとしている。それをぷよぷよみたいにおっきな団子状に掴んで、片手でミンチ状の肉を取って、その中に流れるように包み込む。そのまま熱せられた鉄板の上に置く。じょじょに丸い球体は、お好み焼きのような、それよりは一回り小さな円盤状にへっこむ。ヘラで更に楕円に伸ばして、そしたら、ひっくり返す。その屋台の布カバーには「肉汁がとびでる! どっきり!」と書いてあった。
そして「400円」とも。
タックンの小遣いは1000円。800円の牛串を買った今、200円だけ残っている。足りない。圧倒的に足りない。ゲソ焼きだって買えないだろう。買えるのは塩ふりキュウリ。キュウリが一本まるごと串にささっている。それにしたって祭りの熱気をおさめるにはショボい。
「ねー、半分だけって出来ない? 半分な代わりに、200円で」
なんて無茶な。
「ねー、おじさん、聞いてきて。できないかな……」
いや、無理だって。だけど、タックンは諦めない。
「ボクね、たこ焼きだって、お好み焼きだって知ってるよ。トルコのケバブだって知ってる」
「へぇ」
なんかショボい博識っぷりに少し苦笑い。
「でも、これ見たことないよ。シャー」
そうして後ろの屋台へと背伸びする。見慣れぬ文字を確認している。
「シャーピン」
そうだな。僕は笑っとかなきゃ。
「いかにも中華って名前だよね。ショウロンポウみたいな。おじさんも初めて見るよ」
「えっ! おじさんもはじめて?」
「ああ」
「そーなんだー、すごい、シャーピン」
思いっきりセリフに感嘆がこもっている。
「うん。そうだな。ワリカンって知ってる?」
「ワリカン?」
「二人でお金を出し合って買うの。おじさんも買いたくなったからさ。二人で出し合って、なんと合計800円になる。二つ買って、それぞれはぐはぐして帰ろう」
*
タックンはさすがに疲れたらしく、立ち止まることが多くなった。前から歩みが遅くなったとは思っていたが、それに今まで気づかないでいた自分が恥ずかしい。「はいよっ」と背中でおぶって、大通りから外れ、脇道に入る。光がぐっと弱まり、曇り空に薄暗い。それでもぽつぽつと人が行き交う。
焦げ目のついた白いお焼きのような色形の、それでも一回り大きなシャーピンが、藁色の包み紙に収まっている。そこからはみ出させて、クレープのようにがじがじと直に口にする。シャーピンは宣伝通り飛び出すほどに肉汁たっぷりってわけではなかった。味としては小麦の皮に豚ひき肉、ぎょうざに近い。だけど分厚く、ふわふわの皮が温かく柔らかく肉を包んで、優しい感覚がした。
タックンは「おいしい、クロゲワギュウよりも」しか言わなかったから、その感覚がわかったかはわからない。
だけど、祭りのオメン屋は消えてしまったけど、僕のそれのように甘く、少し湿り気を帯びた思い出として残ったら嬉しい。もう背中で眠ってしまったのか、まだ起きているのかわからないけど、タックンにぽつぽつと姉との昔話をしながら夜道を帰っていく。
執筆の狙い
シャーピンのような作品を目指しました。……シャーピンって知ってます?