作家でごはん!鍛練場
5150

啓示

 巡洋艦の上を呑気に飛び回るカモメの鳴き声に気を取られて、小松純二は妻の言ったことがよく聞こえなかった。眼前に停泊している巡洋艦から、妻へと視線を再び戻した。
「純二さん、待っているわ! 必ず帰って来てね」
 妻幸子の言ったことが、今度はよく聞こえた。朝日が妻の平たい顔に陰影をつけている。光るものが流れたように見えたが定かではなかった。潮の薫りを含んだ風が吹き抜け、幸子の開いた口に髪の毛がかかった。和服姿の幸子の身体はしなやかで肌は若かった。純二は何かを必死に押さえつけているような表情の妻を抱きしめたかったが、船の前には見送りに来た家族らの姿でごった返していて憚られた。
「そのつもりだ。帰ってくる。絶対に」
 表情を変えずに純二は答えた。海軍の制服を着込んでいると背筋がビシッとして気が引き締まる。同じ恰好をした仲間が大勢集まっている。隊においての盟友になる顔であり、みな凛々しい。海の向こう側では大砲が飛び交い、異国の戦闘機が空を旋回しているのが現実なのだ。
「約束よ!」
 頭上に広がる呑気な青空に活を入れるように警笛が鳴り響く。
 純二の首には双眼鏡がかかっている。海軍兵学校を優秀な成績で卒業し授与されたときのものだ。練習艦隊での実習は終えているので、今回の船出は本番となる。お守りのように思えた。
 今朝は妻の幸子と二人で朝食を食べながら、食卓のラヂオから流れる日本軍の戦況や西洋国の情勢に、聞き耳を立てていた。味がまったくわからなかった。幸子は終始にこやかだった。あとでお腹が空くといけないからもう少し食べていったらと訊かれた。ああ、それじゃあと、純二は一旦口にしてから、慌てて自分で白米を取りに席を立った。そんな、大丈夫ですのよ、と、幸子は幸せそうな顔を浮かべた。椅子に腰かけたまま、下腹に手をそっと添える。あの幸せそうな表情があったから戦況を聞いても実感が湧かなかったんだと思えた。
 別れの時間がきた。幸子の顔は今にも泣き崩れそうだ。純二は見るのが辛くなり、巡洋艦の方へ身体を向けた。戦地へ赴くのだとようやく実感が伴ってくる。武者震いに襲われた。震える身体を抑えつけ、入口で兵に敬礼をして、乗り込んでゆく。振り向けば妻の顔を見ることができただろう。しかし振り向かずに前へと進んだ。
 新しい命をこの目で見ることができるのだろうか、と純二は思った。故郷へはもしかしたら、もう二度と戻って来られないかもしれない。いや、今からそんな弱気でどうするんだ。絶対に帰ってくるぞ。いろんな気持ちが混じり合っての旅立ちだった。 
 複雑な胸中の純二の頭上には、海鳥たちの大群があった。
 純二は空を見上げる。
 さっきまでは見えなかったはずなのに、いつの間にか空を覆い隠さんばかりに、何千もの海鳥の黒々とした塊が突如現れた。空をキャンパスにして何かの形を成していた。あれほどの数の海鳥が群れをなしているのを見るのははじめてだ。鯨の尾のように見えた。
 武者震いは止まっていた。やれることだけを精一杯して、あとはすべてを天に委ねてもいいのではないかと思えた。戦争の行方など、誰にもわからないし、杞憂しても仕方がないのではないか、と。吹っ切れた気持ちになった瞬間、どこからか別の力が身体に漲ってくるのが感じられた。
 水平線をじっと見据える純二の表情は、早朝の空気のように澄み切っている。巡洋艦が大海原の戦地へと向けて出航したとき、鳥の群れはもうなかった。あれは啓示だったのだろうか、と純二は思った。

啓示

執筆の狙い

作者 5150
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久しぶりの投稿になります。よろしくお願いします。

コメント

しまるこ
133.106.243.160

5150さん、こんにちは。 最近はなんだか久しぶりの人がよく現れますね。本当に不思議なことなんですが、数日前に、5150さんのこと思い出したことがあったんですよね。気持ち悪かったらごめんなさい(笑)

文章が流れ出してくると、するすると読み心地が良く、よかったのですが。冒頭部分ですかね。冒頭部分に、作者様の特別な意味合いが込められているような気もするのですが、ややリズム感があまりよろしくないような。

「純二さん、待っているわ! 必ず帰って来てね」

から始まってもいいような、

「そのつもりだ。帰ってくる。絶対に」

と、大胆に、ここから始めてしまっても、通じる内容になるんじゃないか? 締まった感じになるんじゃないかな、と個人的には思いました。

今回はプロローグ的なところですから、内容どうこうというのは、これからだと思いますので、ここだけ絞ってコメントいたしました。

夜の雨
ai193039.d.west.v6connect.net

「啓示」読みました。

南方の海戦とかに参加するのですかね?
純二の乗船する巡洋艦がどんな艦隊に合流するのかが書かれているとわかりよいのですが。
大和にしろ武蔵にしろ、ほかにも大型の戦艦を軸とした艦隊がありましたので全体像がイメージが出来ると思いますが。
どの艦隊にしろ、壊滅に近い状態になっているので、純二も無事には帰れないと思いますが。仲間の死とかを目前に見るので、負傷はしなかったとしても精神は破綻する際まで追いつめられると思います。

御作に描かれている部分は、その純二が日本の港から巡洋艦に仲間たちと一緒に乗船して戦地(海)へ向かう場面です。
妻の幸子も見送りに来ています。
彼女のたおやかな身体のことも書いてあるのでおそらく昨夜の二人寝のことが頭をよぎっているだろうと想像できます。
妻の方は現実的なことを考えているようですが。
>あとでお腹が空くといけないからもう少し食べていったらと訊かれた。<

話としては海鳥が敵の戦闘機を暗示しているようでしたが。
>さっきまでは見えなかったはずなのに、いつの間にか空を覆い隠さんばかりに、何千もの海鳥の黒々とした塊が突如現れた。<


文章について。

 >巡洋艦の上を呑気に飛び回るカモメの鳴き声に気を取られて、小松純二は妻の言ったことがよく聞こえなかった。眼前に停泊している巡洋艦から、妻へと視線を再び戻した。<
カモメに気をとられていたのだから、これだとカモメから視線を妻に戻した、という事になるのでは。しかしカモメよりも巡洋艦のほうが重要なのはいうまでもありません。
したがって、これから戦地に向かう巡洋艦を見ていたところカモメの呑気な鳴き声に目を向けたところ妻が軍服の袖をつかんだ。
「純二さん、待っているわ! 必ず帰って来てね」

>朝日が妻の平たい顔に陰影をつけている。光るものが流れたように見えたが定かではなかった。<
これは妻の涙ですか。

>「そのつもりだ。帰ってくる。絶対に」<
「そのつもりだ。」が気になりました。「そうしたいと思っている」という意味なので。
「そのつもりだ。いや、帰ってくる。絶対に」

>海の向こう側では大砲が飛び交い、<
「大砲」は飛びません。砲弾(弾丸)が飛びます。

 >頭上に広がる呑気な青空に活を入れるように警笛が鳴り響く。<
「呑気な青空」冒頭の呑気なカモメというのはありだと思いましたが。青空は天候なので「呑気という」イメージがしにくいですね。

 >今朝は妻の幸子と二人で朝食を食べながら<
「今朝」と「朝食」が被っているような。

>空をキャンパスにして何かの形を成していた。<
「キャンパス」は敵性語ですが、おまけに「キャンバス」と間違っているし。

「キャンパス」と「キャンバス」は、絵画を描く際や大学に通う際などに用いられる言葉ですが、意味は異なります。
「キャンバス」は、油絵用の画布を表します。
「キャンパス」は、大学の構内や校庭を指す言葉です。


キャラクター
幸子の人柄やら容姿のイメージは湧きました。
純二のまじめな人柄も伝わりよかった。


違和感がある文章が目立ちましたが、内容は伝わりました。


お疲れさまでした。

神楽堂
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>5150さん

読ませていただきました。
戦争ものの作品は私も何作か書いたことがあるので、興味深く読ませていただきました。
全体を通しての印象ですが、文体がやや幼いです。

さて、題名は「啓示」ということで、
出港時に空を覆った鳥がそれを表しているとのことですが……
主人公はどんな啓示を受けたのか、
また、啓示を受けたことでどのように変容したのか。
そこは明確になっていると言えるでしょうか?

空を覆う海鳥の大群を見て、どういう印象を受けたのかは描かれていません。
プラスですか? マイナスですか?
>鯨の尾のように見えた。
で?
主人公はそこから何を得たのでしょうか?

>武者震いは止まっていた。やれることだけを精一杯して、あとはすべてを天に委ねてもいいのではないかと思えた。

鯨の尾のように見える海鳥の大群を見たから、天に委ねる気持ちになったのですか???
ごめんなさい。
話がつながっていないように思います。

見たことがないくらいの海鳥の大群、
そこから何を連想するのか。
怖い、不安、脅威、そういうマイナス感情でしょうか?
(私としては、こっちの方かな、とは思いましたが……)

それとも、大勢に見送られる、たくさんの海鳥が生きている、自然のすごさ
といった力強さ、生命力などのプラス感情でしょうか?
(天に委ねる気持ちになったとあるので……)

海鳥の大群を見てどう思ったのか、どう考え方が変わったのか
それらを、読者が納得いくように書くことができれば、小説という形になるように思いました。

さて、私だったら、という話になるのですが、
他の読者様もおっしゃっていましたが、
空を覆う鳥の大群 = 敵機
という解釈でいくのもありかな、と。
実際、第二次世界大戦では、艦船の多くが航空機による攻撃でも沈められています。
つまりは、艦船にとっては空からの攻撃は脅威なわけです。
(戦艦大和も戦艦武蔵も、砲撃で沈んだのではなく、航空機からの攻撃で沈みました。)
鳥の大群を啓示と捉えるのであれば、
この巡洋艦は空を覆う敵機の大軍によって沈められる運命
という解釈もできそうです。
となれば、妻や、これから生まれてくる我が子に会えない可能性が高くなりますし、
>やれることだけを精一杯して、あとはすべてを天に委ねてもいいのではないかと思えた。
なんて呑気なことを考えている場合ではありません。

もし、主人公にこう考えさせたいのであれば、
この巡洋艦は敵機の大群によって沈められるかも知れない。しかし……それでも生きて帰る!
など決意を固める心理描写にもっていくのであれば、天に委ねる気持ちになる結末になるのもありかな、と。

いろいろ書いてしまいましたが、読ませていただきありがとうございました。

飼い猫ちゃりりん
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5150様、お久しぶりです。
文章自体は以前よりかなり良くなっていると思う。
戦争という難しいテーマに挑んだことも賞賛したい。真面目な戦争小説は、戦争体験がないと中々書けない。だから飼い猫は「真面目な戦争小説」は書かない。書けないから、つまり逃げているんです。
さて小説の内容ですが。他の方が指摘した事は繰り返し言いません。
飼い猫自身の反省も込めて言うのですが。先にテーマを決めて、それに向かって物語を構築する……。これは捏造になってしまう危険性が大きい。
先に『啓示』というテーマを決めて、そのオチに向かって物語が構築される。これは物語を作っているから、どうしても嘘っぽくなる。心理描写も甘くなる。なぜなら、「作っている」から。
お勧めしたいのは、5150様の心に浮かんだ心象を、ただそのままスケッチしていく。テーマは無いのです。題名は後で決めればいい。
作者と言うのは旅人です。どこに行くかは作者自身わからないことがあります。案内人はいないのです。これは怖い旅です。恥をかくかもしれません。自分が愚か者であるということが明らかになってしまうかもしれません。誰も味方してくれません。素っ裸になって自分だけで戦うしかない。はっきり言って無様です。
でも、その旅には真実があります。伝わる人には伝わると思います。作者の思いや誠実さが。

5150
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しまるこさん、感想ありがとうございます。
お久しぶりです。投稿を続けられているようで、こちらも元気づけられます。

>ややリズム感があまりよろしくないような。

冒頭はいつもそうなんですよね。こう読ませたい、情報を入れたい、などでぎこちなくなっちゃうんですよね。

>「純二さん、待っているわ! 必ず帰って来てね」
から始まってもいいような、

うん、そうですね。状況の把握しにくい冒頭になっているので。

そちらにもお邪魔させてもらいますね。

5150
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夜の雨さん、感想ありがとうございます。
細かなところを拾ってもらえてとても勉強になりました。

>南方の海戦とかに参加するのですかね?
純二の乗船する巡洋艦がどんな艦隊に合流するのかが書かれているとわかりよいのですが。
大和にしろ武蔵にしろ、ほかにも大型の戦艦を軸とした艦隊がありましたので全体像がイメージが出来ると思いますが。

戦争小説として見た場合のリアリティ記述が足りない、ということですね。仰る通りだと思います。
せめてどの船なのかくらいは描いた方がよかったのでしょう。

>彼女のたおやかな身体のことも書いてあるのでおそらく昨夜の二人寝のことが頭をよぎっているだろうと想像できます。
妻の方は現実的なことを考えているようですが。

もっとウェットにするべきかなとは思いますが、当時の人々の在り方から仮定すると、あの状況で妻はむしろ、現実的にならざるを得なかった、というつもりで書いていました。

>カモメに気をとられていたのだから、これだとカモメから視線を妻に戻した、という事になるのでは。しかしカモメよりも巡洋艦のほうが重要なのはいうまでもありません。

はい、カモメから視線を戻したつもりで書いていますので合っています。この文は出征で落ち着かない気持ちを、直接的に書かずに、読者に感じさせるために書きましたが伝わらないですね。

>これは妻の涙ですか。

はい、そうです。わざとぼかした表現にしています。

>「大砲」は飛びません。

 はい、大砲が飛んだらシュールですね。

>青空は天候なので「呑気という」イメージがしにくいですね。

 別の表現にすべきでした。純二の気持ちを反映したのと、戦地での空は違って映るだろう、という対比をしたかったのですがダメでしたか。

>「今朝」と「朝食」が被っているような。

被ってますね。数時間前の朝食ということを書きたかったのですが、別の表現がいいようですね。

>おまけに「キャンバス」と間違っているし。

 お恥ずかしい。

5150
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神楽堂さんの趣旨をまとめてみます。

啓示が読者に伝わるような書き方になっていない。あとはすべてを天に委ねてもいいのではないかと思えた、と考えるのはあの状況ではおかしい。
啓示について純二の心情がわかるように書かれていないので、小説にはなっていない。
海鳥の大群を見て、吉か凶か、どう受け取ったかが書かれていない、普通の人だと、凶の印象で受け取るのでしょうし。

 言い訳がましく、作者の意図を書いてみますね。

作中には書いてはありませんが、戦況からして当然ながら生きて帰れない、という前提と覚悟の上で出征したと想像しています。帰ってくると、妻には言うものの、このセリフは建前です。いくら妻とはいえ、本音は言えないかと思います。読者のことを考えると、もっと湿っぽく書いた方がわかりやすくてよかったのでしょうけれど。

でも純二の身体は帰ってくることはできないかも、とわかっている。武者震いがそうだし、カモメに気を取られたのもそう。嘘はつけない。妻だって、夫に本音は言えない。妻としてできることはきちんと見送ってあげることだけ。つまり純二の本音は、帰還できないだろう、いや帰ってくるぞ、の間で、揺れ動いている。

これが鳥の大群を見て、気持ちがフッと収まった、雑念が消えた、というだけのことを書きたかったのです。

あの状況で、天に委ねると書いてしまったことが、よほどおかしかったのでしょうね。

直接的に感情を書かないで、細かな箇所でそれとなく伝えたいと思ってわざとそうしているのですが、人に伝えるのは難易度が高いです。そういうふうに書けば、読者の共感部分がなく、入り込んでくれないのですから。まあ、練習作ということであるし、伝わっていないなら、けっきょくその程度の力しかないということでありましょう。

読んで感じてもらったそのままを書いていただいたので、こう読んだということがわかり、とても参考になりました。ありがとうございました。

5150
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飼い猫ちゃりりんさん、お久しぶりです。

戦争小説を真正面から書いてしまいましたが、ほんとうはもっと角度をつけたり、何か別の展開の中で書く方がよいと思うのですけどね。

今作は練習作でもあるので、おっしゃるように物語を作るということをしてみました。実を言えば、まず鳥の大群の絵があって、ぼんやり眺めていて、出征のことを書いてみようかなと思っただけなのです。祖父が海軍学校を卒業して海軍にいたので、その影響ですね。

心の赴くままに、というのはよくわかります。飼い猫さんが一貫して述べているスタンスですよね。ただね、凡人にはやはり難しいんですよ。どうしても構えてしまうから。裸になるのって、勇気がいるのですよ。そういう意味では自分はまだまだこだわりがありすぎて、すべてを捨てられない。執着しちゃうんです。体験しちゃうほどに、子供みたいに真っ白に戻るのは難しくなってゆきます。

飼い猫さんが繰り返し改稿されている作品は前から読んでいました。思うに作品の根底にあるもの、芯になるものって、ほぼ同じところにありますね。それをどう表現するのか、を、試行錯誤している。それを飼い猫さんの作品から感じ取ることができます。新しい作品ではなく、一つの作品をここまで徹底的にこだわり抜いて磨き上げることのできる根気というのも、一つの才能なのでしょうね。でも、さすがに純粋な旅人にまではなっていない気がしますけど。だって、人様に読んでもらうわけで、ある程度の意図や技術は必須。

飼い猫ちゃりりん
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5150様
飼い猫は純粋ではない?
その通りです!
作品をアップしてる以上、すでに社会に毒されており、純粋な気持ちとは言えません。
やたらめったら吠えまくることが純粋と勘違いしている人がいるけど、あれは完全に他者に心を侵食された状態。純粋とは真逆です。
純粋とは法則性なんだと思います。これ以上はやめておきます。絶対誰にも理解されないから。

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