作家でごはん!鍛練場
しまるこ

猫の詩 バガヴァッド・ナーター

午後一時。

午前中に買い物を済ませて、夕食の準備までして、風呂掃除も終えて、ひと段落ついた母は、コタツに潜って、うつ伏せでiPadを触っている。最近はiPadでLINE漫画を読むのにハマっているらしい。我が母ながら、62歳にしてはなかなか近代的な過ごし方である。母は昔は三島由紀夫なんかをよく読んでいたけど、今では本を読む影もなし。マッサージ先の80代のおばあちゃん達も同様で、昔は読書や編み物をして過ごしたというが、今じゃIPhone片手に韓国ドラマを見ている(←本当だよ)

こうして文明は、若者だけでなく、60代も年寄りもダメにしていっている。もうこの世は当分は安泰ではないと思った。

コタツの隣にソファーがある。10万円ぐらいした三人がけ用のソファーなのだが、レオンヌが体を大きく伸ばしてすやすやと寝ている。このように、いつもレオンヌの特等席になっているため、人間はめったに座れない。

母はコタツでうつ伏せになってLINE漫画を読みながら、テレビでYouTubeを流していた。55インチの大型テレビにYOASOBIのライブ映像が繰り返し流れていた。

「YOASOBI好きなの?」

「だって、いいじゃない、この子達」

「あの紅白はすごかったね」

去年の紅白はYOASOBIのものだった。というより去年はYOASOBIのものだった。特に紅白は神がかっていた。

https://www.nicovideo.jp/watch/sm43244792

この4:08からの顔。霊威が宿っている。この子がいるなら、J-POPは当分は安泰だろうと思った。

親子で感性が似るんだなと思った(LINE漫画は読まないがね)。しかし、60代でもYOASOBIが好きなのか。これが世の60代に普通に起こっている現象なら、60代も当分は安泰だろうと思った。おばあちゃん達も紅白でYOASOBIを見ているかもしれないから、この世は当分は安泰だろうと思った。

「あ、そうだ」と言って、母はコタツから身を起こし、座り直して、テレビに映っている動画を変え出した。

「レオンちゃんがね、アヒルが好きなのよ。猫ってアヒルが好きなのかしらね?」

「さぁ」

「ほら、レオンちゃん」

ソファで大の字に寝ていたレオンヌが、呼びかけに目を覚まし、テレビ画面に反応した。

レオンヌは確かにテレビに映ったアヒルに目を奪われていた。アヒルがプリケツを動かすたび、レオンヌの顔が連動して動いていた。

「今日はやらないけど、テレビの真下まで行って、アヒルをずっと見ていることがあるのよ」

「へえ(ケツを見てんのか? なんなんだ?)」

「この前なんて、30分ずっと見てたんだから!」

「さ、30分!?」と言って俺は笑った。

「でさ、ちょっとこれも見てよ!」

そういって母は、また別のYouTube映像を流した(どんだけYouTube使いこなしてんだよ……)

「ねぇ、この猫、レオンちゃんに似てると思わない?」

今度は猫のチャンネルだった。外国人YouTuberが、飼い猫の日常動画を投稿しているチャンネルらしい。

「すごいね、めっちゃ似てるじゃん」

本当によく似ていた。

「このチャンネルがあれば、レオンちゃんの動画を撮っておかないでいいねって、お姉ちゃんと話してるの。撮っておいても見ないからねぇ」

「ちょっと、見れないね」と俺は言った。

「ランちゃんとルーちゃんが生きてた頃は、もっと撮っといた方がいいかもって思ったけど、撮らなくて正解だったね。見返さないもん」

「見返さないけど、たまに思い出すよ」と俺は言った。

「私なんてしょっちゅう思い出してるよ」

母は続けて言った。

「写真を見てると悲しくなってくるんだけど、頭の中で思い返している時って、そこまで悲しくならないのよね」

「人間も同じかもね」と俺が言うと、母はフッと小さく笑った。誰を指しているのか、俺と母の間ではすぐにわかることだった。

人間が本当に生きていると言える時間があるとしたら、それは誰かに自分のことを考えてもらっているときじゃないだろうか? 俺たちが考えているとき、ラン吉も、ルルも、生きているような気がするのだ。写真だとやっぱり死んだような気がしてしまう。

「こいつねぇ、本当に食いしん坊で、台所の棚を開くたびに、チュールくれると思って飛んでくるのよ! 本当に、2階から飛んでくるんだから! 気づかれないようそっと開けてるのに、なんでわかるのかしらねぇ?」

「そうなんだ」

「それでね! 聞いてよ! ランちゃんが6kgでルーちゃんが4kgだったでしょ? この子今何キロだと思う?」

「んー? 8kgくらい?」

「11kgあるのよ! この子、ランちゃんとルーちゃんを合わせた分より重いのよ!」

「そう」と言って俺は苦笑した。

「まったくデブちゃんなんだから!」母はソファからレオンヌを抱き上げると「ねー、デブちゃん♪」と言った。

「なー」

「だってデブちゃんじゃーん♪」

「なおおおおお」

「なーなのー」

「なー」

「あー重い! あたたた! 本当に肩外れちゃう!」

母は殊の外嬉しそうに語った。これだけデブなら当分は安泰だろうと、自分と俺たちに信じ込ませるためだ。

「チュールねぇ。キャットフードに比べたらおいしいのかね?」と俺は言った。

俺はリビングに誰もいないとき、キャットフードをポツポツ食べてみたことがあるが、まずいともうまいとも思わなかった。が、こんなものしか食べられない人生なんて酷いもんだなと思った。レオンヌも同じ感想のようで、キャットフードを食べるときは仕方なさそうに食べるが、猫チュールとなると2階から飛んでくるのだ。

何が違うんだろう? 猫チュールには少しは味がついているのか? しかし塩分は限りないほどカットされているはずだ。それでもこれだけ猫を夢中にさせる味とは、いったいどんな味だろう? 健康的かつ美味しいなら申し分ないが。俺は猫チュールが猫の身体にどれくらい適しているのか調べるために食べてみようと思ったが、猫じゃない俺が食べても分かりそうにないからやめた。しかし、猫だって、人間と同じで、できるだけ自然なものを自然な状態で食べる方が身体にいいはずだ。

「やっぱり肉食動物だから、生肉を食べさせるのがいちばんいいのかな? その方が長生きするかな?」と母に言ってみた。母は、一瞬、深く考えた顔をして、「めんどくせ」と言った。

まぁ、今更か。これまで生肉なんて一口もしてこなった生き物が、たとえそれが適正食だったとしても、内臓に負担を強いるだけか。初めから生肉を食べていれば、あるいは。しかし、クマなどをペットにしている家庭は、決して肉を食べさせないらしい。肉を食わせると性格が獰猛になるからだ。

「あんた悪いけど、午後に出かける予定ある? なかったら家にいてくれない? 私これから杉山さんのところに行かなきゃいけないのよ」

「お姉ちゃんがいるじゃん」

夜勤明けで帰ってきた姉が、2階の自室で寝ていた。

「それが問題なんじゃない! レオンちゃん、イビキうるさいでしょ? そのせいでお姉ちゃんが寝れないのよ! この子寂しがり屋だから一人で寝れないでしょ? だからお姉ちゃんの部屋に入っていっちゃうのよ!」

「ドア閉めときゃいいじゃん」

「『開けてくれー!開けてくれー!』って鳴くのよ! ドアもガジガジするし!」

俺は、呑気にソファで寝ているレオンヌの方を見た。誰もいなくなったリビングでも、こうしていつまでも寝ていそうに見えるが。

「だからあんた、ちょっとレオンちゃんがお姉ちゃんの部屋に入らないように見張っててくれる?」

「わかった」

レオンヌは鼻の穴がとても小さいためか、すごい音のイビキをかく。猫とは思えない、人間以上のイビキだ。しかし、人間と違ってイライラさせないからずるいものだ。俺はイビキをかく猫なんて初めて見たからびっくりした。

「この前、15歳になったんだもんね」

「なー」

「なーなのー。この子、えらいよね、本当に何でも返事するんだから」

さっきから、ふざけて「なあああ」と書いているが、この猫のいちばん特殊な部分はここである。「おい」と言って声をかけると「なあ」と鳴く。もう一度、「おい」と言うと、また「なあ」と鳴く。三回目となると、もう言ってくれなくなる。

これは何なんだろうといつも思う。他の二匹の猫にはこんなことはなかった。彼流の挨拶なのか? 別に声をかけなくても、近づいていって、目線を合わせていくと、「なあ」と鳴く。「おはよう」と言っているのか、「おはよう」や「こんにちは」といった、挨拶になる前のものを指しているような気がするが。朝がいちばん大きい声でやってくれる。夜になるにつれてだんだんとやってくれなくなる。存在と存在を確認し合う時間のような、ちょっと人間同士の挨拶とはまた違うんだな。

「たぶん人間の話す言葉もわかってるのよ」

母は本当にレオンヌが人間の言葉をわかっていると信じている。しかし一方では、猫って視界がモノクロに見えてるんでしょ? とか言うから、どこまで差別をして差別をしていないのかわからない。

「ランちゃんは13歳と4ヶ月で死んで、ルーちゃんは15歳と2ヶ月だったでしょ? もうルーちゃんが死んだ年になっちゃったね」

本当に女というのは、こういった数字をちゃんと覚えてる。結婚記念日とか、親父とのアレはいつだったとか、俺が何年の何月に麻疹にかかったとか、初めておたふくになったのはとか、ぜんぶ記憶している。親父は一つも覚えちゃいなかった。脳の問題? 気持ちの問題? それは得意だから? 関心があるから? 俺もランとルーを愛していたと思うが、親父と一緒で記憶が曖昧だ。でも姉ちゃんも何も覚えてないから、ここに性差はないかもしれない。

「もうあと、1、2年かもしれないから、覚悟を決めておかないとねって、お姉ちゃんと話してるの」

「うん」

母も大概だが、姉も大概だ。姉は昔、大学時代、ラン吉(さっきからランちゃんと言われている猫、チンチラシルバー、オス)と別れるのが辛いと言って、一人暮らしをやめてしまったほどだ。俺も、上京する時にそれがいちばん辛かったから、気持ちはよくわかった。

ラン吉が死んだ時、恐ろしいほど家の中が暗い空気で蔓延していたらしい。らしいというのは、その時は俺は埼玉の大学で一人暮らししていたから知らなかった。その時、ルル(チンチラシルバー、メス)は生きてたんだけど、ちょっと役不足だった。メスっていうのがちょっとね。女中心の家庭は、メス猫じゃどうしても力及ばないところがある。でも、やっぱり、もう一度飼った猫はチンチラだった。

今度はチンチラゴールデンだったが、レオンヌがやってきたことで、我が家は明るい光を取り戻した。親父もよく、レオが来てくれたおかげで家の中が明るくなってよかったと言っていた。ルルでも及ばず、一家の大黒柱でも力及ばず、俺が帰ったところでも同じだったろう。その光は今も続いていて、最近は、実家に帰ると、家の中のどこを歩いても、(あと、レオンちゃんとどれくらい一緒にいられるだろう)という空気にあふれている。本当は、この問題を、もっと深刻に受け止めるならば、ずっとレオンヌを抱っこして、ずっと顔を見合わせて、「なああ」と言って、「なーなのー」ってやっていればいい。でも、それができないことが重しをかけている。物質界の”グナ”の習性にしたがって、我々は、 プラーラブタカルマによって定められた肉体が通り抜ける間隔によって、する行為を決められていて、行為をしないということができないのだ!

俺自身は身土不二というか、日本はもう一度鎖国するべきだと思っていて、まぁ、鎖国主義者ではあるのだけど、正直、日本の猫はそれほど可愛いとは思わない。いや可愛いのだけど、血統書付きの、西洋の猫の方が可愛いと思ってしまう。そこらの野良猫を見ても、運がなさそうな顔してるなぁと思ってしまったり。みんなが、もちまる、もちまる、と言って、もちまるをもてはやすのも、そんなところだろう。野良猫ともちまるでは、顔に表れている運がまるで違う。

でも、日本はやっぱり暑いかね。おまけに静岡といったら、ねぇ? みかんを食べるわけでも、お茶を飲むわけでもないし。年々暑くなる夏は、お前の長すぎる毛並みにとっては地獄だろう。夏は、玄関のタイルがいちばん冷たいからか、いつもそこで寝てるしなぁ。そこはいつも申し訳なかったと思うけど、優しいね、お前は、一つも文句言わないんだから。

「地震の時とかに、ペットを置いて行けないって、そこから逃げない人がいるっていうけど、その気持ちもわかるよね。悪いけど、私もこの子と死のうと思う」

「うん」

俺はろくに想像もせずに返事をした。

そうかい、俺と姉ちゃんより大事かい。 まぁそれはいいんだけどさ。ただ凄いと思うのが、国も、性別も、生物も、ぜんぶ違うのに、そして、あと1、2年で死んじゃうってわかってるのに。

すげぇなぁ。こんなに愛されて。なーんにもしてないのに、なんにもしてないからか? 人間よりよっぽど愛されてる。人間よりよっぽど愛してないのに。

【ひとつの美徳がある。私が非常に愛している唯一の美徳である。その名を「わがまま」という。私たちが書物で読んだり、先生のお説教のなかで聞かされたりするあの非常にたくさんの美徳の中で、わがままほど私が高く評価できるものはほかにない。けれどそれでも人類が考え出した数多くの美徳のすべてを、ただひとつの名前で総括することができよう。すなわち「服従」である。

問題はただ、誰に服従するかにある。つまり「わがまま」も服従である。けれどもわがまま以外のすべての、非常に愛され、賞賛されている美徳は、人間によってつくられた法律への服従である。唯一わがままだけが、これら人間のつくった法律を無視するのである。

わがままな者は、人間のつくったものではない法律に、唯一の、無条件に神聖な法律に、自分自身の中にある法律に、「我」の「心」のままに従うのである。わがままが、さほど愛されていないのは残念なことである!――ヘルマン・ヘッセ『わがままこそ最高の美徳』より】

【この主題、すなわち自己信頼に関していえば、自然は子供や赤ん坊、ときには獣の顔や態度を通じて、なんと素晴らしい神託を与えてくれていることだろう! 幼な子や動物には、あの分裂した反逆精神は見られない。自分の感情を疑い、損得だけを考えて、目的とかけはなれた力や手段を選ぶこともない。彼らには完全な精神と、まだ何者にもとらわれていない目が備わっている。その顔をのぞき込めば、思わずこちらが狼狽してしまうほどだ。幼児は誰にも従わない。世界が幼児に従うのだ。それが証拠に、赤ん坊がひとりいれば、その周囲では四、五人の大人たちが片言でその子に語りかけ、あやそうとしている。――エマソン『自己信頼』より】

わがままだけが好かれるんだ。家も仕事も恋愛も、わがまま者に服従される。わがままってのは我がまま、自分のままってことだ。この何者かに変えようとしてくる社会で、ただ自分であり続けること、それだけが我々の成すべき偉業で、そのことを、この体重11kgの物体が教えてくれている。レオンヌはたった一度も何者かに変えられた事はなかった。猫なら誰でもできるってわけじゃない。猫でも、外郎売りみたいな、人間の下品を被ったような猫もいて、人間みたいな媚びを売るような猫もいて、やたらと人の顔色を窺って、やたらと甘ったるい声で鳴いたり、一種の粘性を持った猫がいるものだ。

運がいいねぇ。こんなに愛されて、こんなに大事にされて、一緒に死ぬって言われて、仕事もしなくて、いつも、家のいちばんいいソファを独り占めして、仕事もしなくてさ。まぁ、去勢されてセックスはできなかったが。今回の人生はどうだった? 楽しかったか? 俺たちの家に来れてよかったか? お前、お母さんと本当のお母さんとどっちが好きだ? 死んだ後はさぁ、半霊体として地上に残るらしいけど、お前は家の外に出ると、すぐに家の中に戻ってきちゃう、一歩も外に出れない猫だったから、30日間この家の中に残るんだろうなぁ。たぶん半霊体になって、どこでも行けるようになってもさ、それこそ、自分が生まれた土地に戻れるかもしれないけど、それでもお前は、30日間、ここでお母さんと一緒にいるんだろうなぁ。このソファでさ。俺の修行がもう少し進んでいれば、半霊体のお前の姿を見えたかもしれないけど、悪いな、ちょっと間に合いそうにはない。

不思議とそれはわかるようで、ラン吉が死んで、30日ぐらい経ったとき、母親が、「何かランちゃんの気配を感じなくなったのよねぇ?」と言っていた。俺にはわからなかったけど、そういうことがあるのだ。母親の方が悟りは近いかもしれない。

でも、母親は、「レオンちゃんがいちばん可愛い」と言う。

一つだけわかったことがある。前の猫が死んで、2ヶ月もしないうちにお前がやってきて、なんて淡白なんだろうってご近所さんたちの目も憚れたが、無理だったんだ。エーリックフロムがいうように、必要だから愛しているんじゃなくて、愛するために必要なんだ。愛する喜びを覚えちゃったからね。仕方のないことなんだ。そう考えると、本当のところは、レオンヌを愛しているというよりも、愛することを愛しているからと言った方が正しいような気がするが? いや、ルルでは無理だったことを考えると、それは虫が良すぎるか(笑) ……。それを、人じゃなくて猫から教えてもらうってのは、運がいいのは、俺たちの方かねぇ? 

良い猫だった。悪い事はしないし、良い猫だったから、来世は良いスタートを切るだろう。次は人間になれるかねぇ? もう一度猫やってもしょうがないしな。とある宗教によると、人の出会いっていうのは、前世で縁あったもの同士が、またもう一度、舞台を変えて現世で出会うらしいよ。前世、前前世から、そんな、君の名はみたいなことをやっていて、ずっと同じ人間同士が出会っているだけらしいぜ。俺たちはまた出会うだろうか? 俺は出会うと思ってる。



「レオちゃーーん!」

「レオちゃーーーーん!!!」

「レオちゃーーーーーーーーーーーーん!!!」

「お仕事の時間よーーーーー!」

だっだっだっとレオンヌが二階から降りてくる。

「ほら、お仕事、お仕事」

「なー」

「お兄ちゃんにいってらっしゃいする時間でしょ」

俺がニートマンションに帰る時、母は必ずレオンヌを抱っこしながら見送ってくれる。レオンヌの手をとってバイバイと手を振るのだ。

毎回、朝だろうと夜だろうと、姉ちゃんが出勤する時にもやっている。結婚生活を夢見る男女ってのは、案外これがやりたくてやられたいから結婚するんじゃないかってやつだ。

車に乗り込んで、発進するとき、また振ってくれる。

「なー」

良い気なもんだ。こっちは、お前がちゃんとデブでいてくれるか、気が気じゃないんだぜ? そして、いつか、遠くない未来には、今度は抱っこしている方の人がどうなってしまうのかという、もっと大きな問題が待ち受けているんだから。

実家に帰って、いちばん嬉しくて、いちばん悲しい時間だ。たぶん、姉ちゃんも、バックミラー越しに見ながら、同じ気持ちを抱いている。

猫の詩 バガヴァッド・ナーター

執筆の狙い

作者 しまるこ
133.106.226.179

実家に帰ったときの心象スケッチみたいなものです。 笑える作品の方が好きなのですが、たまには趣を変えて投稿してみようと思いました。

コメント

浅緑
119-170-238-65.rev.home.ne.jp

拝読しました。最初から最後まで、うまいなあ、とつくづく感じながら読み終わりました。
余韻のある最後ですね。
静かで淡々とした語り口がよかったと思います。

終始一定のリズムで保たれている安定感があり、安心して読み進むことができました。

文章も構成もひっかかる箇所もなくストレスなく読めました。
なによりも冒頭から内容がおもしろくて途中でやめられなかったという感じです。

母親と猫の関係に対する観察眼も鋭いですね。
家庭内の雰囲気まで伝わってきて読んでいてほんとに愉しかったです。

『野良猫ともちまるでは、顔に表れている運がまるで違う。』
なるほどとおもいました。

もしも途中で『ここから先は有料です』となっていたら迷わず課金していたとおもいます。
そのくらいおもしろかったです。

すばらしい作品を読ませていただきましてありがとうございました。

しまるこ
133.106.226.74

浅緑さん

はじめましてかな。コメントありがとうございます。

ただの日常生活の一隅で、先も糞もないような気がしますが(笑)、先が気になってくれたのは嬉しかったです。

自分としては、笑いどころもないから、最後まで投稿するか迷いましたが、浅緑さんにそう言っていただけて書いた甲斐がありました。遠く離れた、顔も名前も知らない一人の読者の方に、ここまで言ってもらえたことは望外の喜びであり、課金されることよりも価値があると思っています。

茅場義彦
sp49-96-233-91.msc.spmode.ne.jp

女優のエッセイかい 猫いいね。わいも猫派

しまるこ
106154187206.wi-fi.kddi.com

女優のエッセイとは言い得て妙ですな。中村アン臭がしますな。

神楽堂
p3339011-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp

>しまるこさん

読ませていただきました。
はじめは、お母様の生活実態がメインの話なのかと思いきや、
物語の主役は猫に奪われましたw

ペットを飼う人はみな、この物語に共感すると思いました。
人間の言葉がわかる(ような気がする)(いや、ちゃんと分かっている)
いつか訪れる別れのときが……
過去に飼っていたペットに思いを馳せる
あるあるですよね。

そして、物語は急に哲学的な展開を迎えます。

美徳=わかがま
それをすべて総括する「服従」

納得です。

>問題はただ、誰に服従するかにある。
>唯一わがままだけが、これら人間のつくった法律を無視するのである。

読者の多くが共感することでしょう。
お見事です。
そして、この哲学をそのまま表現している存在が「猫」なのですね。

おもしろかったですし、考えさせられる作品でした。
読ませていただき、ありがとうございました。

しまるこ
133.106.206.138

神楽堂さん

いつもありがとうございます。

やっぱり悲しくて、写真や動画は見れないですね^^; そのあたり、皆さんはどうなんだろう。

共感といいますが、読者の中の猫ってこういうものだよねっていう概念や記憶に頼っているところが多く、作品中で直接的に猫のわがままの要素を取り出して動かした部分は無いのですよね(笑) まぁ、それをやり出したら面倒なことになるのでやらなかったですが。偉人の格言を引用して終了ってな具合で。一つ一つのエリアは短めの世界の車窓からみたいな感じになったのかと思っております。

5150
202-231-88-167.east.ap.gmo-isp.jp

しまるこさん、読みました。

 相変わらず自分の持ち味でしっかり書かれていますね。好きな人や合う人には中毒性がある作風だと思います。それは話の進め方や、よい意味で既存の小説を無視した構成によるのではないでしょうか。

>人間が本当に生きていると言える時間があるとしたら、それは誰かに自分のことを考えてもらっているときじゃないだろうか? 

 やたらと増えるばかりの写真の数を見てもそう思います。

>存在と存在を確認し合う時間のような、ちょっと人間同士の挨拶とはまた違うんだな。

 猫と触れ合う日常を過ごし実感として出てきた言葉ですね。

しまるこ
133.106.55.26

人に偉そうにコメントしてまわったけど、自分が思ったことをそのまま書いているだけですね(笑)

公明正大の精神に則り、他者の深部感覚と自分のそれがシンクロシニティするように書いているつもりですが、ぜんぶ我流になっちゃいますね。5150さんも、ご健筆を、またいつでも語り合いましょう。

えんがわ
M014008022192.v4.enabler.ne.jp

ネット動画で有名なもちまるは「人工的」(作為や仕掛けや演出によって必要以上に誇張されている)かわいらしさがあって苦手ですが、本作の猫さんは「自然」というか「生活の中に溶け込んでいる」感じがして、好きですよ。愛情を感じます。
「人工的」な猫物語は、創作物にも「旅猫レポート」やら「チーズスイートホーム」やら色々あって、そっちの方がむしろ受けているのかな、なんだかなぁという気持ちに

話が逸れました。
猫がいることで「生活がバラエティをもつ」、たぶんそれは良いだけでなく自堕落にも似ていて、健康に悪いとは知りつつ餌をやり過ぎて太らせる、そういう自分勝手な愛情も含めて、猫愛が正直に素朴に描かれていて、とてもほっとしたというか、ああそういう生活があってもいいんだよなぁ的な、そういう心の確認作業になり、自分の横の椅子に今も猫がいるのですが、なんかそんな気分になりました。

後半のちょっとそういう生活描写を理論化させようとする部分は、理屈っぽいのが苦手な自分の好みもあり流し読みになってしまいましたが、こういうのは難しいですね。

このまま日常描写を続けても、オチをつかせにくいのも分かるし。言いたいこと言った方がすっきりするのかな。

しまるこ
133.106.224.105

えんがわさん、ありがとね。俺もなんだか他人の創作姿勢まで立ち入ってしまってちょっと申し訳なかったみたいなw

こんなものは遊びなんだから、自分が楽しくやるのがいちばんです。シャーピンに対して、特別な思いをもって描き表したいというその素敵な感性が、この時代に必要となってくるでしょう。

こんなクソみたいな猫の作品の感想返しなんて、めんどくさいから、向こうのほうの返信するけど、

>しまるこさんがビジュアルがあったら的な感じで言ったのも、シャーピンの作る場面、食べる場面だったのかな。

https://kanzakikarin.com/illust_gallery/sasie_illust/

かんざきかりんさんという私の好きなイラストレーターがいるのですけれども、この人のような絵と、えんがわさんの文章が合体したら、相乗効果で凄くなりそうだと思っただけですよ。今作に限ったことではなくて、以前の、かぼちゃの馬車だか、馬獣姦だか(笑) 世界観が絵本的というか、 読めない読者のために、絵があったら、文章から想起できない層にまで魅力が提供できるような気がしただけのことですよ。

昼野陽平
softbank126036003206.bbtec.net

読ませていただきました。
ちょっと考えさせられてラストには余韻があってなかなか良いものだなあと思いました。
僕の母も猫好きで常に実家に猫がいて帰省するとなんか色々と考えさせられるんですよね。
良い話でしたが小説の技術としては描写がないかなと思います。
ありがとうございました。

しまるこ
133.106.218.38

ご指摘いただいてありがとうございます。自分でも、心理描写でごまかして、視覚的な表現を逃げてきたのは、昼野さんには見抜かれたかなぁというところですね。ちゃんと、この辺りを勉強しようと思います。こちらこそありがとうございます。

夜の雨
ai248162.d.west.v6connect.net

「猫の詩 バガヴァッド・ナーター」読みました。

自宅に帰省している主人公(主人公視点)から見た家族の風景、とりわけ母と猫の「レオンヌ」の話しといったところです。
主人公は「しまるこ」さんらしいですが、ほかには姉と父がいる。
主役は「レオンヌ」という猫で、母が猫に寄り添っているという展開ですね。
猫ならどれでもよいというわけではなくて、前までいたランちゃんやルーちゃんとは一味違う。
御作を読んでいて思ったのはたぶんレオンヌの存在感から、母が溺愛しているのだろうと思います。
何しろ11キロの体重なので。
「ランちゃんが6kgでルーちゃんが4kg」ということで、レオンヌの体重は一匹だけで両方の猫を越えています。
さすがに11キロあると存在感が違うと思います。
それに母からしたら二人の子供は成人しているので、自分から離れて自立しているので「構う事が出来るのはレオンヌ11キロということになります。
>「11kgあるのよ! この子、ランちゃんとルーちゃんを合わせた分より重いのよ!」<
この母のセリフからしてランとルーとは一味違うといったところでしょうか。

それに「YOASOBI」が好きだということなので世間(流行)に流されやすいところもあるのでは。

実家の風景が母と猫が中心ということで平和な感じがします。

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「地震の時とかに、ペットを置いて行けないって、そこから逃げない人がいるっていうけど、その気持ちもわかるよね。悪いけど、私もこの子と死のうと思う」

「うん」

俺はろくに想像もせずに返事をした。

そうかい、俺と姉ちゃんより大事かい。 まぁそれはいいんだけどさ。ただ凄いと思うのが、国も、性別も、生物も、ぜんぶ違うのに、そして、あと1、2年で死んじゃうってわかってるのに。

すげぇなぁ。こんなに愛されて。なーんにもしてないのに、なんにもしてないからか? 人間よりよっぽど愛されてる。人間よりよっぽど愛してないのに。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
このあたりのエピソードに平和だけれど「母の孤独が見え隠れしている」のではないかと。

それにしても父親は存在感がないのか、あまり出てきませんでしたね。
父は母と近い年代だと思うので、少しはかまってやればよいと思いますが。
一緒に「どこかへ出かける」とか、共同作業(例えば庭で野菜作りとか)をするとか。

そうすると母もレオンヌだけではなくて、周囲に目が向くと思います。

作品全体では実家での母と猫のことがよく描かれていたと思いますが。
主人公はちょいと離れて母を見ているし多少は猫に嫉妬しているかもね。
いや姉も父も猫に嫉妬しているのじゃ。
それとも猫に母を押し付けているのか(笑)。


お疲れさまでした。

しまるこ
vc078.net183086183.thn.ne.jp

いやはや、やっぱり感想していると、感想返しで、いっぱいコメント届きますな。この手の作品は恥ずかしくて、こっそり載せて、一人か二人に見てもらえればいいななんて思ってたけど。一個前の、出会い系ちんこペチペチの方が私らしくていいなと思わないこともなかったり。

>主人公はちょいと離れて母を見ているし多少は猫に嫉妬しているかもね。

(笑)

誰もが、猫のように、自由に生きて、愛されたいと思っているでしょう。

夜の雨さん、ありがとうございました。

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