エル・カミーノ
月は雲に隠れているが、モンハ・ブランカの花は白く浮かび上がり、夜を飾っていた。希少なその蘭を形づくる三つの花びらは清らかすぎて、不吉な気配を醸す。
秘境とも言える場所で群生するモンハ・ブランカは、おれが先へと進めば嫋やかに揺れて道を造った。ほの白い道だった。
影が生き物のようにおれを追う。 おれの魂に寄り添う動物霊《ナグアル》はコヨーテだと、幼い頃に婆さんから教えられた。おれが進む道を、コヨーテも大きな尻尾をふってついて行くのだとさ。
《ナグアル》のコヨーテは、おれが走りだすと駆けだし、止まると四肢を休める。おれと共に生き、死ぬ。 四方八方に枝を伸ばす高らかなセイバの樹に辿り着くと、影のコヨーテもおれも身を潜めた。
「どこにいるの? わたしはオルガ。ここにいる」
オルガが来て、か細く呼びかける。脛から花が生えたようにモンハ・ブランカに足をうずめていた。闇に沈む暗く長い髪と服で、女の肌と花びらが引きたつ。
「セニョリータ、ここだ」
セイバの樹の陰から現れたおれがすばやく前に立つと、オルガは怯えた顔で後退った。
「コヨーテ?」
「ああ、おれはコヨーテだ。おまえの待つ、密入国斡旋団のコヨーテじゃないが」
雲間から月光が射し、辺りが明るくなった。モンハ・ブランカの花びらが光を受けて、いっせいに輝く。
「ならず者のコヨーテ!」
顔に獣の刺青をしたおれを見て、オルガは悲鳴を上げて駆けだした。
「オルガよ。なぜ、リーダーを裏切った? 愛を踏みにじった?」
モンハ・ブランカを泥足で蹂躙し、逃げるオルガを追い詰める。
(逃がすな。メヒコを越えてアメリカへ行かせるな)
リーダーの声が頭の中でこだました。うるさい。おれに命令するな。
オルガの長い後ろ髪をつかみ、引っ張る。オルガは金切声を上げて抵抗した。おれが鋭い切先のマチェーテを振り上げると、ふるえながら哀願する。
「お願い。殺さないで。わたしは、あなたのリーダーを愛せなかっただけ」
「ペドロと居たいんだろ? いいさ。おまえの行きたい場所まで送ってやる」
可愛い女だ。いじらしいオルガに、本気でやさしく囁いた。なのに、オルガはおれを睨んだ。
「ペドロはどこ?」
「ペドロはここへ来ちゃいない。あの坊やは、おまえを置いて一人で行ったのかもな」
「嘘。あなたが殺したのよ。このギャングめ! 人殺しめ!」
そうだ。おれのいる組織《マラス》はギャングだ。通りにあるすべてのものを食らい尽くす蟻の集団と恐れられている。おれは、ごくりと唾を呑んだ。人を殺した数を覚えちゃいない。糾弾されて、力なく手を下ろした。
オルガは、おれからマチェーテを奪い、自らの首を切り裂いた。一瞬だった。血を吹きだし、死んだ。
月は太陽に照らされて光る。うつくしい夜の真珠――裏側を見せずに世界を巡る。輝く星々を従えて、永遠に降(くだ)らない。
オルガの死体をモンハ・ブランカの咲く土の下に葬った。
破れたシャツを着たペドロが、のろのろと山道を登ってくる。「他の連中に追われて遅れたんだ」そう言い訳をしてペドロは「オルガは?」と周囲を見回した。
「悪魔に捕られた」
目を落とした先のモンハ・ブランカが血に染まっている。
ペドロは目を見開いて、おれの肩をゆすった。
「嘘をついたのか。あんたは、ぼくを助けると約束したじゃないか。知ってるぞ。あんたもオルガに惚れてた。オルガは――」
マチェーテを振り下ろすと、お喋りなペドロは血飛沫のなか、息絶えた。
おれの分身《ナグアル》のコヨーテが吼える。おれは地球。月に恋した。太陽《マラス》から離れられない。
首からぶら下げた十字架を握りしめ、これまで来た道をふり返った。血で汚れたモンハ・ブランカが風にそよぐ。
神よ。おれを救ってくれ。
執筆の狙い
数年前に投稿したものを再々改稿しました。当時、ごはんにいた人も少なくなったので、あまり知られてはいないと思いますが。
よければ感想を聞かせて下さい。