作家でごはん!鍛練場
茅場義彦

鮎と予言と子安貝

 神音は当麻国王の第一皇女である。愛らしい形のよい耳と眉をしていて、夜になるとひどい歯軋りをして眠る。神音の父親である当麻国王にはこれが不安でたまらない。なぜ娘が夜中にそのような無粋な音を一晩中奏でるのだろうか。これでは新郎が初夜の後で神音と添い遂げることを翻意するのではないかと。といっても神音に許婚がいるわけではない。神音はまだ十歳の子供といってよい年頃の娘なのだから。王はただ愛娘の将来を心配しただけである。

 そこで当麻国王は神音を神官の老人のところに連れて行った。神官の屋形は王の屋形と同じく木造で出来た巨大な高床式の住居である。地面から離れている為に湿気から免れて、快適に暮らせる。食べ物も長く保てるし、疫病にも罹りにくい。神官の家は王家と先祖を同じくしており、王家の一部ともいえる高貴な家柄である。
「王よ、姫をつれて如何しました」と神官の老人は怪訝な顔をして王を迎えた。早朝の突然の王の来訪に明らかに戸惑いの表情を浮かべている。
「姫が夜になると不快な歯軋りをする。侍女が申すことじゃで放っておいたが、三度も言われれば無視もできん」と王は生真面目な表情で来訪の理由を告げた。そして姫を置いてさっさと自分の館に戻っていった。政務で忙しいのだ。

「姫よ何か悩みごとでもあるのでしょうか」と神官は眠い目をこすりながら、神音姫の幼い顔を覗き込んだ。
「毎晩恐ろしい夢をみるのじゃ」と神音は可愛らしい唇を、空気の薄いところでパクパクさせる魚のように運動させて言葉を発した。神官はしばらくぼんやりとその唇の動きを眺めていた。
「・・・・・・どんな夢を見るのです」と老人は儀礼的に聞いたが、あまり興味はなかった。王の大事な姫の話とはいえ、彼には他にやることが山積している。外交、内政、神職、占い、医療、農業、裁判と王が老人に頼きるので、彼が決済せねばならないことが多過ぎた。子供の悩みなど煩わしいばかりであった。

「我が一族が巨大な貝に食べられる夢じゃ、父上も母上も弟も」と姫は眉間にわずかばかりの皺を寄せて深刻な顔で言ってのけた。神官の老人は少し困った顔で娘を眺めていたが
「我が国は海から遠い山国じゃ。そのような貝の化け物なぞに誰も食われませぬ」と疎ましげに言った。早く山積する政務に取り掛かりたかったのである。
「あ、こ、この貝じゃああああ」と彼女は老人の足元に転がる貝殻を見つけて引き攣った顔をした。まるで白昼で幽霊でも見たかのように蒼白な顔でぶるぶる震えている。
「ええ、これは子安貝といって南方の海でとれるまことに目出度き貝です。豊穣をもたらすと言われております」と老人は愛しげにその白い滑らかな貝殻の表面を撫でて見せた。
「この貝が夜な夜なわらわの夢のなかで山のように大きくなって、父上や母上、弟をすべて飲み込むのじゃ」そういって姫は泡をふいて失神した。老人は慌てて、医師を呼びに走った。

姫が倒れる三月みつき前の話・・・・・・・

 当麻国に子安貝を銭ぜにとして使うように勧めてきたのは、隣国の崇美国の王であった。両国の王家は婚姻を何度も行い、戦にも協力してあたってきた言わば兄弟のような間柄であった。崇美国は最近遠い南の国から子安貝を、米や山の獣の皮と交換するようになった。何故そのような食べられもせぬ、貝殻とそのような貴重なものと交換するのか当麻国王には分からなかったし、最初は興味もなかった。

「この貝は国を豊かにする魔法の道具よ」と崇美国王は当麻国王に熱のこもった口調で言った。それは両国が秋の収穫を共同で祝う祭りでの出来事だった。当然、二人の王の前では国中から選ばれた美しい娘たちが神に捧げる神楽を舞っており、食膳には普段は目にしない豪華な食べ物と酒があった。

「何故このようなちっぽけな物で国が豊かになる?」と当麻国王は不審げに聞いた。酒をあたかも水のように飲むその武人の肉体はわずかに前後に揺れていた。
「例えばこの貝一つで米が両手一杯、山鳥なら一羽、鮎や山女などの小さい川魚なら一匹と交換できるとしよう」と崇美国王が賢しらに説明を始める。
「ふむ、それで」と当麻国王は相槌をうつ。幼い頃から聞くことが、長おさの仕事だと教わってきた。
「貴公が、ある日沢に行って鮎を途方もなく多く釣りあげたとしたらどうするかね?」
「自分や家族で、それを飽きるほど食うだろうな」と当麻国王はつまらなさそうに言った。
「そうだ、しかし食べきれぬ程の量であったらどうする?」
「捨てるのが惜しいから、親族や近所の者にでもやるだろうな」と面倒くさそうに当麻国王は言い放った。
「そうじゃ。鮎は貯蔵できんので、ほっておけば腐る。それなら誰かにくれてやる方がいいだろう」と崇美国王は上機嫌で鮎の焼き物を頬張りながら言った。
「うむ」何を当たり前のことをと、当麻国王の酔眼が笑う。
「しかし、もしその鮎を永遠に腐らせずに自分の物にすることが出来ればどうじゃ?」と崇美国王はニタニタ笑いながら言った。
「そんなことは不可能じゃ」聞いていて馬鹿馬鹿しかった。
「それを可能にするのが、この貝殻じゃ」と崇美国王が勝ち誇るように言った。
「どうやって?」と憫笑しながら当麻国王は言った。
「市場で鮎と貝殻を交換するのじゃ。そうして鮎が食いたくなればその貝殻をもってまた市場に行けばよい。そうすれば誰かから買って鮎は再び手に入る。すなわち永遠に鮎を腐らせずにもっているのと同じじゃ」と崇美国王は一気に言った。
「しかし、市場に行って鮎を売る者がいなければどうする」と当麻国王は顎髭を撫でながら質問した。
「その通り。だから市場は大きければ大きいほどよい。そうすれば鮎を売る者が一日一人は見つかるようになる」と崇美国は妖しい熱狂をその小さな目に宿らせてクスクス笑いながら言った。
「簡単に言うが、市を大きくするのは口で言うほど容易ではないぞ」と当麻国王は言った。
「だが銭の力を使えばそれが可能だ」と崇美国王は陽気な声で言ってのけた。
「そんな簡単に上手くいくかのう」と当麻国王は太い腕を組んで唸るように言った。半信半疑なのである。

 当麻国王は銭ぜにの話を国に帰ると、早速神官の老人に話した。神官は行政の長官も兼ねていたのである。
「”銭ぜに”でございますな。海の鮫島国などの大国でそれを使用するは常識であるとか」と老人は自分の知識を誇示するように重々しく発言する。老人は一族の中で唯一海辺の大国の鮫川国に若い頃に学問をしに行ったことがあり、そこでの体験を始終ひけらかして周囲の顰蹙を買っていた。しかし、当麻国王は老人の知識をその癖のある人格に関わらず尊重し、むしろ積極的に重用していた。

「何、それはまことか」と王は素直に驚いてみせる。この素直さが、偏屈な老人を饒舌にし、知識を吐き出させる。
「王は立派な戦人ではありますが、政まつりごとの仕組みには本当に疎い疎い」と老人はやれやれという風情で言った。
「ふむ、戦は我が担い、政まつりごとはそちが行うのだ」と王は老人の非礼に頓着せずに鷹揚に言ってのけた。
「有難き、お言葉」と神官は満足そうな微笑を浮かべる。 二人はお互いに得意分野で力を発揮して支えあっている。

 王と神官が”銭ぜに”の話をしている頃に、前述の通り神音は恐ろしい夢を見るようになった。一族が子安貝の化け物に飲み込まれる夢。神官の老人に話しても全くとりあってもらえなかったので、神音は弟の甲斐かいにその恐ろしい夢の話をした。

「そんな貝殻に恐ろしい力があるかのう」と甲斐は半信半疑で言った。姉の根拠のない予感が、不思議と当たることは度々目撃してきた彼であったが、貝殻が“一族を飲み込む”というのはどうも想像ができない。荒唐無稽としかいいようがない。
「神が何かを警告しておるのじゃ」と神音は切迫した顔で弟に言った。
「俺にはよう分からん」と少年は、ため息をつく。姉がいくら興奮しても、子供の自分たちに何ができるのかと思った。
「あの貝殻は化け物なのじゃ」と姉はまだ言っている。
「それならこっそり、砕いてやるか」と皇子は思いつきで言ってみた。
「うむ」と神音は、彼らの父親がするように重々しくうなずいた。弟は深いため息をついて、頭を左右に振った。
二人は夜遅くに神官の老人の屋敷に忍び込んだが、朝方まで探しても貝殻は見つからなかった。最後にその家の奴婢に見つかり追い出されてしまった。神官の老人はそれを家人から聞いても、子供の仕業とあって、王に訴えることはしなかった。

 王と神官が村人たちを集めて子安貝を”銭”として流通させようとした時は、大変だった。みな“銭ぜに”の意味が分からなかったのだ。
「なんで俺たちが丹精こめて作った米をこんなちっぽけな物と交換するのでございますか」と東の国境付近の村長むらおさが子安貝を指さして言った。
「何故ならそれが”銭ぜに”だからだ」と王は大声で叫ぶ。大声で言えば皆が納得するとでも思っているかのように。しかし王の意に反して村長たちは意味が分からずお互いの顔を見つめる。
「そもそも“ゼニ”とはなんでございますか」と今度は若い別の村長の一人が叫んだ。
「銭とは便利なものだ。これがあれば、鮎を永遠に腐らせずに貯蔵できるのだ」と王が陽気な声で言った。村長たちの困惑は更に大きくなっていった。
「何故この貝殻で鮎を腐らせずにおけるのですか?」と最初に質問した村長がたまらず言った。
「貝殻を交換の媒介に決めるのじゃ。貝殻一つで米が両手一杯、山鳥なら一羽、川魚なら一匹と交換できると決める。その媒介の道具が“銭”じゃ」と神官の老人が厳かに言った。自分の説明に少し酔いしれている。
「それを法で決めるのですか」
「そうじゃ、貝殻と何をどれだけと交換するかを法で決める。そうすれば、釣りで余った鮎を貝殻と交換しておけば、いつでもまた貝殻を使って鮎を買い戻せるのじゃ」と神官の老人が言った。
「貝殻より、米のほうが良いのではないですか」と、それまで黙って話を聞いていた西の山際の村の長が言った。
「米ではいつか、腐るではないか。貝殻は腐らん。しかも持ち運びが便利だ」と神官の老人は言った。
「しかし、なあ」と村長たちは顔を見合わせて困惑の様子だった。どうも銭の魅力は伝わらないようで、王と神官は失望し、疲れ果てた。

「おい老人、誰も銭の有り難さを理解できなかったぞ」と王は屋敷に戻ると神官を責めるように言った。なんだか全てが馬鹿馬鹿しく思えてくる。自分は崇美国の王にからかわれていただけではないかと。
「村の者たちが、銭の有難さを理解できる方法を考えねばなりませぬな」と老人は真剣な声で言った。そして三日ほどして持ってきた老人の計画は凄まじく下卑た謀はかりごとだった。あまりの下品さに王は老人の人格を疑ったが、それはひとえに国の発展を願うものだと苦しく解釈した。

 初めはその下品さに呆れて実行を躊躇っていた王であるが、時が経つにつれて、“その方法”が銭の素晴らしさを国民に知らしめる最良の物に思えてきた。何故なら昔も今も人は“欲望の動物”であるからである。王は家来を使って、その謀はかりごとに相応しい娘はいないかと国中を探索させた。そしてその娘を見つけたのである。山際の貧しく痩せた土地の村にその娘、“鮎”は生存していた。彼女には生まれながらに足に障害があり、まともな耕作器具もない過酷な農作業に従事することが出来ず、兄の厄介者となっていた。鮎の性格と容姿の素晴らしさを理解しない若者はいなかったが、農作業に全く役立たない鮎を娶るほど豊かな農民は当麻国には一人もいなかった。

 王はこっそりと家人を遣わして鮎を屋敷の庭に招いた。彼女は野草の花のように地味ながらも清清しく、噂にたがわぬ目鼻立ちの調った娘であった。形の良いその小さな顔は、賢くて愛らしい野生の栗鼠にも見えた。
「鮎、そなた今幾つだ」と王は鮎に話かけた。
「15になりました」とまっすぐに王の眼を見つめながら、鮎は答えた。 声も実に可憐で魅力的だった。
「うむ、前が我が国で一番の器量だと聞いたのでここに呼んだ」と王は鮎を褒め上げた。
「お戯れを。足萎えの私には、未だ将来を約束した男などおりませぬ」と娘は悲しげに笑いながら、不自由な右足を撫でた。村の男たちは鮎の生む子供が同じような障害を持って生まれるとかたく信じている。
「お前、どうやって今、食べている」と王は痛ましいものを見る目つきで鮎の足に視線を投げかける。
「兄の子供の面倒をみて、兄に食べさせてもらっておりまする」と鮎は疲れた口調で言った。
「その兄の子供が大きくなればどうなる」と王は性急に聞いた。早くこの会話を終わらせたかったのである。
「あたしは用無しです、山に捨てられるでしょう」と鮎は儚げに微笑んだ。王は鮎を自分の女にすべきではないかと一瞬思った。しかし、王には有力豪族出の正妻(神音の母)がいて、彼女を怒らせれば面倒なことになる。王は諦めて、神官の老人の計画を実行することにした。

「お前に生きる道を与えよう」と王は憂鬱な声で言った。出来るなら誰かに代わって欲しかった。
「どんな道ですか?」と鮎は緊張した声で応える。 その声は残念なくらい美しく澄んでいて、王のやり切れなさを更に煽る。
「お前に男たちの相手をして欲しい」王はわざと視線を庭の竹林に据えてぶっきらぼうに言った。
「は?」 と鮎の美しい小さな唇がかろうじて音を発した。
「お前は貝殻を5枚持ってきた男と寝るのが仕事じゃ」と王は陰鬱な声で言った。
「ね、寝るというのは」と鮎は震える声で聞いてくる。
「“まぐわう”のだよ、鮎。お前は生まれたままの姿で男たちを迎え、抱かれるのだ」と王は言った。
「な、なんのために」と鮎の悲痛な声をあげる。
「つまり、お前は銭の有り難さを伝道する巫女なのだ。銭を懸命に集めた男はお前を抱くことで初めて銭の効用を知る」
「銭とはなんですか」と鮎は呆然とした声つぶやく。
「この貝殻が銭じゃ」と王は鮎の小さな手に白く輝く子安貝を置いた。
「……奇麗ですね」と鮎は消え入るような掠れた声で言った。
「お前のほうが遥かに奇麗じゃ、鮎」と王は鮎の髪を優しく撫でながら言った。
「・・・・・・お、・・・・仰せに従えば・・・・・・わ、私は食べさせてもらえるのですか」 と鮎は不安で青ざめた顔で王を見上げながら言った。
「無論じゃ。しかも、お前が生む子供は全員王家の奴婢にしてやろう」と王は静かに説明する。鮎はその普通なら吐き気が出るような話を結局は受けた。兄の子供が大人になれば山に捨てられると諦めていたのに、“生存”を許されたのだ。鮎にとっては望外の喜びである。

 ある晩のこと、王の屋敷の隅に用意された寝室で鮎が寝ていると、絹の服をきた明らかに身分が高い少女と少年が二人忍び込んできた。
「そなたが鮎か」と自分よりも年下の少女が鮎に高飛車に聞いてきた。
「そうです。あなたさまはどなた様ですか」と鮎はとまどいつつも聞いた。
「私は王の娘で神音という。そなたを逃がしにきた」と皇女は張り切って鮎に言った。
「なぜ?・・・・・・」と鮎はその美しい額にわずかな皺を作って訊ねた。
「あの貝殻は不吉なのじゃ。噂によればそなたが、村人たちにあの貝殻の“良さ”を村人たちに説得すると聞いた・・・・・・」
「説得ですか・・・・・・あれを説得というのか」と鮎は複雑な感情を言葉に現わして口ごもる。
「さあ早く逃げるのじゃ、絹を用意したからこれを売って暮らせ」と少女はどこからくすねてきたのか、豪奢な刺繍のついた絹の反物を鮎に押し付けてくる。
「姫君さま、私は逃がしてなどいりません」と鮎は自分よりも5歳も年下の姫にきっぱりと言った。
「な、何故じゃ、そんなに王からの頼みごとが重要なのか」
「あなたさまのように“飢える”恐怖を知らずに生きてきたお方にはわかりませぬ」と鮎は轟然として言ってのける。
「な、なにを申す。わらわはそなたを助けようとしておるのに」と唖然として神音は目の前の美しいが“足萎え”の貧しい娘を睨んだ。
「無学ながらも、私には"銭"が素晴らしいと分かるのです」と鮎は幼い姫に静かに諭すように言った。
「あの貝殻が素晴らしい?どこがじゃ、我が一族を呪うかもしれぬというのに」
「呪い? とんでもない・・・・・・銭は人を自由にする気がするのです。銭があれば“足萎え”であろうと、親のない子であろうと、罪人の子であろうと自由に生きていけると思うのです」と鮎はゆっくりと静かに語った。
「そなたに自由がなかったのか」と神音が鮎の右足を見ながら訊ねる。
「ありませんでした。両親がなくなってからは、兄と兄嫁の顔色を見て暮らしておりました」
「どうしても、村に帰らないのか」と今度は甲斐皇子が鮎に語りかけた。
「せっかくのお心遣い有難くですが・・・・・・」
「姉上、鮎の気持ちを考えてあげましょう」と皇子が言うと
「残念じゃ」といって神音は豪華な反物を床に叩きつけて、鮎の部屋から出て行った。

 翌日鮎は今まで着たこともない極上の絹の着物を着せられて更には当麻国一の駿馬に乗せられて、各村を訪れて“銭の有難さ”を伝える旅に連れ出された。村にいた頃は、汚れたみすぼらしい麻の着物しか着せられてこなかった鮎が、天女のような姿で村を廻った時は、娯楽のない時代でもあり、国中の男が沸き返るような騒ぎとなった。民は一度王家に出入りしただけの、貧農の娘に権門の高貴な匂いを嗅いだのである。
 子安貝(=銭)を集めれば鮎を抱ける。しかも、彼女が生んだ子供は王の屋敷で家人として使ってもらえる。話を聞いて国中の妻を持たない男たちの目の色が変わった。 昨日まで食べられもしない貝殻を馬鹿にしていたものが、いきなりそれは”銭”という鮎と寝るための”宝”に化けたのだ。あとは人々が勝手に、”銭”の価値を決めていった。 法律の定めなど必要なかった。銭は鮎の身体を“担保”にして、流通し始めたのである。“鮎の成功”を確認した王は更に効果的に銭を宣伝するために、他にも何人かの“巫女”を使ったが、鮎の人気を上回る者は出なかった。

 三年もたつと鮎の役割は完全に終わった。なぜなら“銭”はすでにその“価値”を国中の民に認められたからである。鮎には父親が分からない男の子が一人だけ生まれ、彼は王家の家人として成長していった。名を鮎夢あゆむと王に名づけられた彼は、母親の鮎に似て美しく聡明で物覚えの良い少年に育ち、王の計らいで貴族の子供と同じように学問を身につけさせられた。そして、12歳から年老いた神官の手伝いをするようになり、行政に関わる様々な台帳の管理を任されるようになった。その過程で鮎夢は自分をこの世に生み出した“銭”の仕組みに興味を持った。

母が不特定多数の男たちとの交接による過労で病に倒れ死んだとき、鮎夢は16歳の秀麗な若者に成長していた。いつのまにか前王は亡くなり、嫡男の甲斐王子が新たな当麻国王として即位した。その頃には銭に関わる政まつりごとで鮎夢の知識と経験で敵うものは王家ではいなくなっていた。何故なら神官の老人が新王の即位から半年後に、同じくこの世を去っていたからである。王は幾人も古くからの重臣を差し置いてまず、若い鮎夢を呼んで政についての彼の意見を聞いた。

「銭はわが国の最大の武器。銭の力を高めることで、当麻国が高原の盟主となることも可能と思し召せ」と鮎夢は気負いのない態度で、目も眩むような話を新王に言った。それはいずれ前王をしのぐ為政者になろうとしていた若い王の欲望を少なからず刺激したが
「銭で高原の覇者になるじゃと、夢物語であろう」と新王はわざと薄笑いを浮かべて気乗り薄の態度をとった。
「高原の七カ国のうち、わが国と崇美国を除く他の五カ国は、銭の換わりに米や絹を交換の媒介にしております」と鮎夢はたんたんと説明を始める。
「うむ、知っておる」
「そのため、他の五カ国の王家と豪族たちは必要以上に米や絹を倉庫に溜め込んでいるものです」と鮎夢は見てきたように平然と言った。しかし、高原の諸国への隠密活動も鮎夢の任務の一つであることを王はよく知っていた。
「うむ。物の決済で必要であるからのう」
「もともと米や絹は交換の“媒介”として使うには難が多くあります。遠方の商売にそれを運ぶ手間は大きく、劣化もするし、品質のばらつきがありまする」
「なるほど、だから前王は“銭”の普及に踏み切ったのであろうな」と新王は気弱にうなずく。王家が鮎夢の母親を犠牲にして、銭の流通をはかったことは彼にとっては王家の恥部だった。

「そのため、庶民はもともと安定した品質を持ち、かさ張らない“銭”を使いたがるものです。幸いにしてわが国の市いちは高原の七カ国のなかで最大規模を誇ります。これを更に育てて、他国からの商人も我が市では我が国の“銭”の取引しかできないようにするのです」
「なるほど、それなら“銭”は他国にも普及するかもしれぬ」
「その通り。我が国が発行した“銭”での決済を五カ国でも浸透させれば、もはやわが国に対抗できる国は高原ではなくなります」
「何ゆえじゃ」
「他国の王家の持つ米や絹の価値が暴落するからです。媒介物としての価値が銭に負けてしまいますので」と鮎夢は熱っぽく新王に説明する。
「それはつまり・・・・・・」
「彼らの経済力は弱体化します」と事も無げに鮎夢は応える。
「・・・・・・それほど、簡単にいくだろうか」と政の経験のない王は半信半疑の様子である。
「それでなくとも、物の価値をこちらで決めることができるのは、諸国を圧する最大の武器ですぞ」
「そ、そうなのか」と王は催眠にかかったように小声でつぶやく。
「予めその年の銭の発行量を多めにすると分かれば、“銭”に対する物の値段はあがるので、我が国では銭より物資を確保することで儲かります。逆に“銭”の発行を通常より少なくすれば、物の値段が下がるので、物を売って銭をかき集めることで儲かります」
「な、なるほど」と新王は鮎夢に圧倒されながら、言った。
「それに“銭”を自由に発行できれば、他国からの武器の調達にも有利となります」
「それで戦でも強くなれるということか」
「その通りでございます。しかし、そこに至る道のりは簡単なことではないとお心得ください。銭の戦は人が生き死にする戦よりも地味ですが時間がかかり、執拗さが肝心です」と鮎夢は自分に言い聞かせるようにして言った。

 当麻国王家は熱心に市場の拡大と銭の流通を奨励していった。その政策の中心にいたのは常に鮎夢である。彼は“銭の繁殖”を促進するような政策を常に考え、提言し、実行した。
 それまで農民や職人からは農作物で税を納めさせていたが、銭で納める場合は税を軽くした。さらに銭である子安貝が劣化しないように漆で表面を塗り、更に複雑な紋様を施して、簡単に偽物が作成できないようにした。その精緻な紋様の作り方を考案した職人はその秘伝を外に漏らさせないために、密かに鮎夢の配下が殺害した。もちろん、他に銭を偽造するものは誰であろうと死罪とした。

 鮎夢のたゆまぬ日々の努力により、当麻国の発行する子安貝の“銭”は高原の諸国で徐々に信認を得ていき、唯一自前の通貨をもつ崇美国を除く高原の全域に流通するようになっていった。そして当麻国の市場には他国の商人を見ない日は無いほどの隆盛を極めていく。市場が大きくなればなるほど当麻国王家は豊かになり強大になっていった。なぜなら鮎夢あゆむが王を説得して、王家の財源を農作物から市場の課税収入に基礎を置くようにしたからである。そして、鮎夢は市場の税収の管理を一任されるようになり、関係する利権を使って自分でも莫大な銭を蓄財していく。しかし狡猾な彼は自分の屋敷はわざと廃屋の如く惨めな状態にしておいて、政敵に警戒されないように心がけた。

「崇美国を併合する時期がきました」と鮎夢が王に進言したのは、甲斐王子が王に即位してから六年が過ぎた頃であった。
「き、気でも狂ったか」と王は青ざめて、若いながらも最も権力を誇る重臣の顔を睨んだ。
「高原の諸国でわが国の銭を使わないのは、もはや崇美国だけであります」
「だから、目障りというのか」と王は神官の意図を先回りして言った。
「幸いにして王のお后は崇美国のお方。先年お生まれになった皇子を形ばかりの崇美国の王になさいませ」と、さも目出度きことを祝うかのように鮎夢が明るい声で言った。
「そこまでする必要があるのか・・・・・・」
「彼我ひがの国力の差を考えれば、崇美国は否とは言えませぬ」と鮎夢は頼もしげな微笑を浮かべて言った。
「それは、当家と崇美国王家の先々代からの紐帯を知ってのことか?」と王は鮎夢を厳しく詰るように言った。
「もう時代がそういう馴れ合いを許しませぬ。高原の諸国の統一は急務なのです。うかうかしていると鮫島国などの海の大国に七カ国が滅ぼされかねません」
「し、しかしだな」
「崇美国をわが国の支配下に置くことは、彼の国の安寧につながります」と鮎夢は信者に説法する僧都のごとく朗々と説く。それを聞いて王も崇美国を支配化に置く罪悪感が薄まっていく。それに高原での覇権は野心家の王にとって魅力的だった。
「崇美国の商人の支持があることは間違いありません。今まであの国の民だけが、自国でしか使えぬ銭を強いられておりました故」
「なるほど、崇美国の民はわれらの支配を求められているというのだな」と王は陶然とした顔で言った。

 当麻国の財力と兵力に恐れをなした、崇美国は当麻国の要求を飲み、現王を退位させ、当麻国の王子を推戴する道を選んだ。実体は恫喝による併合である。当麻国の領土は膨れ上がり、その通貨の権威はいや増した。

「奴を殺さねば、そなたが危険なのが分からぬか」と神音は叫ぶように言った。
それは高原の西にある馬瑠国に嫁いでいた神音が10年ぶりに当麻国を訪れて、弟に最初に言った言葉だった。崇美国が高原の一角から消えた一年後のことである。
「姉上はこの当麻国が高原の覇者になることに反対なのですか」と弟は姉をさも馬鹿にしたように言った。
「愚か者め、お前はあの“貝殻”から生まれた男に操られているだけなのじゃ」と神音はその美しい双眸を狂った山猫のそれのように見開いて言った。
「私が操られていると申すか」と心外そうに王は言った。
「お前の周りにいるのはみな“貝殻”に気脈が通じている者ばかりではないか」
「銭の価値も分からぬ門閥の重臣たちを放逐したことがご不満ですかな」と王はやれやれと頭を左右に振った。その弟の子供の頃からの仕種を見て、神音は懐かしさでたまらなくなった。しかし、それと同時に心の中に沸き上がるどす黒い不安の高まりを感じないではいられない。

 神音が危惧するように、王が知らぬところで社会には急激な変化が起きていた。銭がない頃はみな、ほどほどの猟の収穫や釣果で満足し、もし獲りすぎても皆で分けあった。しかし、銭が出現してからは才能のある者は食べきれない野鳥や鮎や山女やまめ、農作物などを市場に並べて銭を集めた。以前はそういった者たちから収穫を分けてもらった者は窮迫していく。自然破壊が進行して、自然の恵みに頼って生きてきたもの落魄が一番ひどく、農業か人々の主要な生存方法となっていく。
能力とやる気のある者は銭を貯めて、どんどん富むようになっていった。そしてその"流れ"に乗れず没落した農民や猟師等を奴隷化していく。それまで王と小数の豪族と自由民で構成された社会が急激に変化していった。人々は原始の共同体から離脱し、"成功する自由"と"没落する自由"を同時に手に入れたのである。
 野山から鳥や魚がなくなると、銭をもった男たちは奴隷を使って山の木を切り倒して、開墾して畑や水田を作り私有地を拡大していった。農業と商業で力を蓄えたこれらの新興豪族たちは"銭紳せんしん"と呼ばれた。
 人々は素朴な自然や神を敬うことをだんだんと忘れていき、それと共に王権を無条件で尊重する心を無くしていった。銭を介して、商業が発展するにつれて、契約の概念が発達していったのである。

「王は王であるから、無条件で尊ばねばならない」というのが前王の時代であった。しかし今では
「王は豪族たち、特に"銭紳せんしん"に"銭"を獲得させてこその王である」というのが、昨今の風潮になってきていた。無味乾燥な契約の概念が王と臣下に生まれてきたのである。しかも、前王の時代は国土の大部分が王の直轄地であったのに、今は"銭紳"の領土が王の直轄地を凌駕していた。新たに開墾された土地のほとんどが"銭紳"の物だったからである。そしてその新興豪族"銭紳"の中心にいたのが、鮎夢である。神音の懸念はただの霊感だけからくる物ではなかった。

「崇美国の件を死んだ父上が聞いたら何と思うか」と神音は真心をこめて弟を諌めようとする。
「併合は、崇美国の民に幸せをもたらしました」と現当麻国王が微笑む。
「併合されて、崇美国の旧来の銭が無価値となったと聞いた」と神音はいまいましげに言った。
「致しかたありませぬ」
「そのために破産した者は、亡き父上と親しかった方ばかりと聞くぞ」と神音は悲痛な声を上げた。
「それはその者たちが、愚かだからです」とまるで鮎夢が乗り移ったかのように当麻国王が明快に言った。
「本気でいっておるのか」と神音は目を剥いた
「我が国の銭を容認しない国は滅びるだけです」と神託のように王は言った。
「傲慢なことよ」と呆れかえって、神音は目を閉じた。
「姉上は古いのですよ」
「"銭"が全てなら、あの貝殻から生まれ男がまさに"銭の神"であろう」
「あの神官は良くやっております」
「奴がお前より王に相応しいと言うことになるではないか」
「まさか、奴には我が娘を嫁がせております。私は舅なのですよ」
「甘い甘い」という神音の叫びは、不幸にも当麻国王には響かなかった。

 それから三年後には、当麻国の南に位置する金馬空国で銅が算出するという情報を得ると、鮎夢は王を説得して彼の国に兵をだした。その時の戦場で最も危険な先鋒を旧崇美国の兵が務めたのは言うまでもない。その戦を境にして鮎夢は“国父”と呼ばれるようになり、高原の七カ国で最も恐れられる存在となっていた。何故なら当麻国王とその皇子が、戦の最中に流れ矢に当たって死んでしまったからである。敵がいるはずのない場所から、突然飛んできた矢は、当然幾人かの重臣たちに不審の念を与えたが、もはや誰も下手人の調査を主張する者はいなかった。“銭紳”たちは、自分たちを更に“儲けさせる”鮎夢を“国父”として推戴することに躊躇しなかったからである。新たな国王として即位したのは死んだ王の外孫で、ひ弱な六歳の子供だった。その母親は前王の次女であり、鮎夢の妃であったのだから事実上、鮎夢の政権が始まったといえる。
当麻国の銭は銅貨となることで、その地位を不動のものとした。貝殻に比べて確実な実質価値をもち品質の劣化と無縁のため、海の大国にまで流通するようになっていった。そのため莫大な通貨発行益(表面価値と製造原価の差額)が当麻国にもたらされるようになった。経済力で完全に覇者となった当麻国がその豊かな財力で最大の兵力を持つようになった時点で、高原の残り3カ国の命運は決したといえる。
鮎夢が高原全域の兵を牛馬の如く使役して、海辺の大国の鮫島国を攻略するようになった頃には神音はとっくに亡くなっていたが、それは彼女にとってむしろ幸せであったことだろう。それまでには高原の六ヶ国全ては当麻国に支配されて、神音の嫁いだ馬瑠国は跡形もなく地上から消失してしまっていたからである。その頃、決済の基本通貨として7カ国に流通していた当麻国の銅貨に描かれていたのは、化け物のような権力を誇示した国父の鮎夢でもその息子の国王の姿でもなく、大昔に銭の流通で犠牲になった足の悪い可憐な少女の姿である。

鮎と予言と子安貝

執筆の狙い

作者 茅場義彦
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おっぱい誰か見せてええ7877⁸88y5

コメント

茅場義彦
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撤回します。見せてくれなくて結構です

神楽堂
p3339011-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp

読ませていただきました。
おもしろかったです。

正直、執筆の狙いを読んだ段階では、開く気にもなれなかったのですが^^;
一応読んでみるか、と思って開いて読んでみたら……豈図らんや
貨幣経済社会の成立を描いた作品だったとは。
金本位制の金の部分を「性」にする試み、斬新ではありますが、
なるほど、と唸らされる一面もありました。
政治の主力が、権威あるものから経済力のあるものへと移行していくあたり、
日本史での平安時代の荘園の発達による貴族社会の成立に近いものを感じ、おもしろかったです。
実際、その後の日本では中国から宋銭などを購入し、徐々に貨幣経済へと移行していくわけですが、その流れもこの作品でなぞっており、興味深い作品でした。
読ませていただきまして、ありがとうございました。

茅場義彦
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神楽堂さん 褒めすぎやない あっしのおっぱい狙ってるね。みせないからね。読んでくれてありがとう

しまるこ
133.106.220.182

私もほとんど神楽堂さんと同じ感想を抱きました。
普段こういったものは全く読まないから新鮮で楽しめました。前より文章が上手くなったような? 物語の描き方も緻密でありながらスケールアップされたような気がしました。

茅場義彦
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しまるこ先生のーご活躍みて触発されて 出してみた。ごめん これ相当前のー作品でがんす。お目汚しを おっぱい見せなくていいですよ。私のも見せません

飼い猫ちゃりりん
118-105-110-90.area2a.commufa.jp

茅場義彦様
お久しぶりです。飼い猫のことを覚えてくれていますか?
さて作品ですが、いやー、素晴らしいの一言です。
文章は読み易く気品があり、ストーリーは歴史の流れを感じさせる。最後の落ちも非常に良い。
(文章については、金魚パクパクのところだけちょっと引っかかりましたけどね。その時代に金魚っていたのですか? もしいたのならすみません。)

おそらく、この作品は、ストーリーが正々堂々としているから、良くしようと思えばまだまだ良くなると思います。それは欠点があるという意味ではなく(もちろんどんな作品でも欠点はあるのですが)、正攻法で攻めている小説だから、よくすることができるという意味です。
このサイトには、策士策に溺れる的な、一発芸人みたいな作品が多いので、この作品は手本となることでしょう。
素晴らしい作品を読ませてもらいました。

おっと言い忘れた。
相変わらず「執筆の狙い」も素晴らしい。おそらく「執筆の狙い」で茅場様を凌駕する作者は、このサイトにはいないでしょう。

茅場義彦
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猫様 お久しぶりです。執筆の狙いを褒めていただてさーせん。春なんで頭わいてて。神殿売春って古代あったみたいね。神社で売春とか。

ラピス
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王道ですね。物語が予想通りに進むので満足感がありました。
ただし、長編で書くべき内容を短くまとめられたので、端折りや描写不足が見られます。

執筆の狙いは普通にしたほうが読者が増えたでしょう。

茅場義彦
M106072182224.v4.enabler.ne.jp

ラピス様 売春を中心にしたのってそんなあるんかに お目汚しを

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