革命戦士の涙
宇宙には幾千の星が瞬いている。私は星を見て、ユミに呟いた。
「僕は永遠の愛を信じている。君と出会ってから」
そう言うと、私は照れくさくなって、また星を見上げた。真っ暗になった空を見上げると流星が煌めいた。
「永遠の愛も流星みたく消えていってしまうのよね」とポツリとユミが言った。
「あなたもいつかどこかに消えてしまいそうで」
「私がどこかへ消えたとしても、君を忘れはしないよ」と私は強い気持ちを抱きながら言った。たとえ私が死んだとしても。と付け加えるのを躊躇して。
永遠の愛、なんて本当にあるのだろうか? と歳を取っていくと疑問を感じる事がある。私があの時、好きな人に言った言葉は本当は嘘だったのではないだろうか、と。ただ、好きな気持ちを上手に伝えきれなかった事には後悔はしたくなかった思いはある。だけど、真実を伝えきれたのだろうか、本当に愛情を伝えられたのか、とユミと縁が切れてから最近になって思い出す事がある。
愛ってなんだろう。キリスト教の愛は日本人には馴染まない。愛という言葉は西洋から輸入されてきた言葉だろう。恋は下心。愛は真心、なんてトンチみたいな言葉を知っているけれど、たいして私の心には響かない。きっと私は日本人だから西洋圏の愛、イエスの言う愛を知る事はできないのだろう。この世で愛を知る人は果たしているのだろうか、と疑念すら起きる。でも、それはきっと私が本当に身を焦がす恋をして、自己犠牲の愛を知らないからだろう。この歳になって、愛を知らない事は人生を生き切る上で限りなく人生の落伍者だろう。愛を知らない事は、人として、哲学者として、苦悩者として、預言者としても失格だろう。そう、僕は神の召命を受けた預言者なのだから。
神はいるのか、いないのか。私は神を知らなかった。神がかりの人間を知っている。精神病院には神がかりの人間がたまにいる。私はこの目で見た。ソクラテスのような風貌の入院患者が私に話し掛けてきた。
「君は永遠の愛を信じるかね?」
「はぁ、愛ですか? 永遠は唯物論的ありえないので。だって物質は消える定めですからね」と私はソクラテスの風貌の男に言った。
「ふぅむ、唯物論的とは、うまく答えたものだ。確かに物質は消えるが、愛は物質かね?」
「愛も物質ですね。人間は物質なので」と僕は挑戦的に答えた。
「なるほど、君は全ては物質が成せる事だと思うのか」
「えぇ、愛は電磁波の一種でしょう」と僕は頭にアルミホイルを巻いているような答えをした。そう答えたらソクラテスの風貌の男は鏡に映った僕だった。女性の看護師さんが、僕を見つけて優しい声で言った。
「お薬は飲まないとだめですよ」
「薬は唯物論的に弁証法を阻害するから飲みたくありません。僕は哲学者であり、預言者なんです。革命を遂行するためには現代医療は悪法です。ソクラテスは悪法も法なりと言って、肉体は死にましたが。私はまだ精神を殺したくはないです。しかもフーコー的に言って現代社会は本当の天才を殺害しているだけです。天才と狂気は紙一重なんです。ちなみに僕は天才ですので精神病院は革命の邪魔をしている。世界的な陰謀なんです。それは唯物論的に証明できます。ちなみに僕はカールマルクスはニートだったので嫌いなんです。子供が人参を嫌うように証明してみます。極端な例を言いましたが、現代社会に画期的なアイディアが生まれないのは精神病の烙印を押すのが容易な社会を作り出したのが一つの要因なんです。まるで中世の魔女狩りだ。だから後世になれば暗黒時代と呼ばれる日が来ますよ」と持論を滔々と語る僕は少しスッキリして看護師から背を向けた。
主治医は僕が幻覚を見てるのを推察してより強力な薬に変えた。
つまらない入院生活。長引く服薬治療。寛解しない病気。絶望した入院患者たち。そして、いつまでも狂った人間たち。
眼鏡を掛けている臨床心理士が僕に挨拶をしてくれた。私も挨拶を返した。僕が好きになる人は眼鏡美人と相場が決まっているので、僕は恋をした。それが幻覚だとも知らずに……幻覚の見せる女性に恋をした。潜在意識が眼鏡美人を強く望んだ結果だろう。ここは閉鎖病棟の奥にある便所とベッドしかない牢屋みたいな一室なのに。
看護師さんは最近、悪魔に見えるようになった。僕は悪魔を殺すつもりで、朝食の皿を鋭利に削って刺そうとした。それから看護師さんは男しか来なくなり、前は一人だったのに、二人で来るようになった。用心しているのだろう。皿の材質も変わり、刃物のように扱えない物になった。このままでは、僕は一生、この掃き溜めの牢屋で死ぬのだろう、と恐怖を覚えた。策を弄して抜け出そうと誓った。
数日間、大人しく過ごしていた。挨拶をしてコミュニケーションを取るようにして寛解したフリを装った。しかし、精神科医は人の心を観察するプロである。つまらない策は見破られる。精神病院の看護師も精神科医ほどではないが、知識も多少はある。しかし、僕は革命を遂行する義務がある。この腐った牢屋から出るために完璧に演技する必要がある。それからというもの、演技力に磨きをかけるために看護師の観察、精神科医が僕をたまに観察しに来るたびに正常だと思わせるために正常な人間の演技をした。緊張感のない笑顔を主治医に見せ、敵意がない事を見せた。忍耐強く、日々を過ごした。
そして、遂に、僕は……。この世に絶望した。いっこうに閉鎖病棟の一番奥にある牢屋のような部屋から出られない。このままじゃ、本当に狂人になってしまう。健常者でも気が狂うだろう。
窓もない一室。僕の心は死んだ。そう、文字通り廃人になってしまった。思考も何もない。きっと絶望したせいだろう。本当に絶望すると何もできなくなる。この部屋で死のうと思った。その時だった。主治医が来た。
「部屋を変えようか」と一言だけだった。主治医の側には看護師が三人いた。
「はい、わかりました」と僕は答えた。
僕の心は死んだ。
部屋が変わった。その部屋には窓がついていた。あの牢屋のような部屋とはまったく違った。夜になって空を見上げると、満月が輝いていた。幻覚が見せた女性を思い出した。永遠の愛は僕には無縁だと思った。きっと、僕は精神病院で一生を過ごすのだろう。そう思うと、ふと涙が出てきた。
執筆の狙い
私の絶望を小説にしてみました。本当に絶望すると何もできない事を表現できているでしょうか?挑戦は、相変わらず眼鏡美人を題材に。