拾った犬
その日はどんよりとした雲が空を覆い、大粒の雨が激しく降る最悪な天候だった。
電信柱の下、ゴミ置き場には一つの濡れた段ボールが置かれていた。
表面には拾ってくださいと無責任な一文が油性ペンで書かれている。
興味本位で中を覗くと一匹の子犬が寒さを堪えるように体を丸めて蹲っていた。恐らく面倒を見きれなかったどこかの誰かが捨てていったのだろう。
このまま誰にも拾ってもらえなければ、やがて栄養失調で野垂れ死ぬに違いない。
可哀想だとは思ったがただそれだけで、たかが知らない犬一匹の命こちらが背負う理由も義理もないなとその場を立ち去ろうとしたその時だった。
「拾わないんですか?」
突如、後ろから女の声がかけられる。いったいなぜ私がわざわざそんなことをしなければいけないのか?いつから私のことを見ていたのか?なんにせよ、面倒な人に絡まれたなとげんなりとした気持ちで声のした方へ視線を向ける。
そこには傘を差した腰までかかるほどの長い黒髪をした色白の綺麗な女が立っていた。
「貴女が拾えばいいじゃないですか?」
ぶっきらぼうに私がそう言う。すると女は無表情にこちらへと近づき私を無視して、ダンボールの前に屈んで中にいた子犬を拾い上げた。
「そうします」
女はこちらに向き直ると無機質な目でまっすぐ見つめそう言って、私の横を通り過ぎる。
子犬を抱き上げ去っていく女。後ろから見たその背中はなんだか酷く脆く見えた。
土砂降りの雨が降りしきる中、その場で一人取り残される。一体なんだったんだろうあの人は。
ある晩、学校から帰ると玄関に見慣れない男物の靴と母のものだと思われるヒールが乱雑に脱ぎ捨てられていた。
居間の襖の奥から母の嬌声が聞こえる。どうやら男との情事の真っ最中らしい。
二人に気づかれないようにして、部屋に戻ると必要最低限のものを鞄に詰めて外へ出た。
母はこうしてよく知らない男と帰ってきては私のことはお構いなしに情交に耽る。
なんだったら、私が家にいると外に追い出すくらいだ。
恐らくそれは自分が水入らず男とイチャつきたいためという理由もあるのだろうが、私が出ていった父の娘という理由もあるのだろう。本当なら顔も見たくないに違いない。
いつも通り朝になるまでファミレスで時間を潰そうと向かう途中、声をかけられた。
「あ、この前の」
その声には聞き覚えがあった。たしか犬を拾っていた女のものだった。
咄嗟に女のほうを見るとニコニコとこちらを見つめていた。
「どうしたんですか?こんなところで。学校から帰る途中ですか?」
知り合いというわけでもなく、たった一回言葉を交わしただけだというのに親しげに話しかけてくる女。いうまでもなく私から女への警戒心は最大限に達していた。
肩にかけた鞄を持つ手に力を入れる。そんな様子に焦ったのか、怪しいものではないとアピールする女。だがなんと言われても説得力など微塵もなかった。
「うーん、困ったな……あっ、そうだ!これからお時間あれば少しお茶しませんか?近くのファミレスで」
私はドキリとした。もちろん恋的な意味ではなくこれから向かおうとしてるところに女が誘ってきたことで、もしかしてここで断っても女はついてくるのではないかという疑念が出来たからだ。
そんな私の心情を知らずに女は続けて「いかがですか?」と聞いてきた。
正直なことを言うと断りたかったが、後のことも考えてこれ以上付き纏われたくなかったため渋々女の提案を受け入れることにした。
「いいですよ。どうせ今回だけでしょうし」
女とファミレスに入ると適当な席に座った。その際、女が禁煙席を指定していたので喫煙者ではないということがわかった。もちろん、こちらに配慮して吸わなかっただけという可能性もあるが。
「私が奢るから好きなもの食べていいよ?」
「いいです。自分の分は自分で払います」
「まぁまぁそう言わずに」
誘ってきた時もそうだったが、やけに強引な人だなと思った。
「まぁ、そういうならお言葉に甘えて」
素直に受け入れたのは、この人の性格上簡単には引き下がらないだろうなと感じたのもあるが、母からは一週間分の食費を渡されるだけで、あとは何も食べさせてもらえてないので、少ない所持金でやりくりしなくてはいけない現状、この申し出はありがたかったからだ。
料理が運ばれるまでの間、早速と言うように女が自己紹介を始める。
「私の名前は坂倉蓮子っていいます。よろしくお願いしますね」
何をよろしくするのかはわからなかったが、奢ってもらう身としてはこちらも名乗らないのは失礼だと思ったので、迷ったが本名で名乗ることにした。
「真柴千鶴です……よろしくお願いします」
またしても何をよろしくするのかはわからないが、相手のセリフに合わせてみることにした。
「この前拾った子犬、元気に育ってますよ」
一瞬なんの話かと思ったが、この前の子犬のことについての話しだとわかった。
「ああ、それは良かったですね」
私が気にしてると思ったのだろうか。そんな話をされても、無難な返答しかできない。
「それでですね、その子犬がもう可愛くて可愛くて」
適当に相槌を打って坂倉さんの会話を聞く。
正直子犬に興味はなかったため、今か今かと料理が届くのを待った。
一方的な会話が続いていると、ようやく注文の品が運ばれてきて私の前に並ぶ。
いただきますを素早くして、会話から逃れるように目の前のハンバーグにありつくと、いかにも食事に集中してますという体を装い、彼女からの言葉をシャットアウトした。
坂倉さんもその様子を見て今話しかけるのは無駄かと諦めて、黙々と料理を食べ始めた。
ご飯も食べ終わりしばらくの沈黙があった後、坂倉さんがおもむろに口を開く。
「真柴さんってよくここで時間を潰してますよね?」
なぜ知ってるんだと不信感を持って私は彼女の顔をまじまじと見つめた。
すると彼女はその場にそぐわない人懐っこい笑みを浮かべる。
「ここの通りの先にコンビニがあるでしょう。そこに向かう途中のファミレスを通る時、よく窓ガラス越しに見てて思ったんです。学生がこんな時間まで危ないなって」
「だから、声をかけたんですか?」
「はい」
彼女は補導するつもりで私に声をかけたんだろう。事情も知らないで余計なお世話だと思い、私は席を立ちその場を去ろうとした。
「待ってください。よければうちに来ませんか?」
「私の家の方が安全ですよ」
訝しげにしてると続けて微笑むようにして彼女は続けて言った。
この人はどうゆう神経してるんだ?
私は未成年なため万が一のことがあったら大変なことになるのは自分だというのに、自ら厄介ごとを持ち帰るなんてとても正気とは思えない。
知らない犬を拾ってることから悪い人ではないのかもしれないが、信用できるかと言われればもちろんできるわけがない。
「うちは暖房きいてますし、来てくれたら美味しいプリンだってあげますよ」
ただまぁ、彼女は見る限りひ弱なように見えるので、何かされても返り討ちにできるだろうと考えた私はその提案に乗ることにした。
プリンに釣られたわけではない、決して。
執筆の狙い
一ヶ月前に書いて寝かせてた、連載を目的に書いた作品になります。
親から愛されずに育った少女と少し訳ありな大人の女性の恋愛物語をイメージして、途中までは書けました。途中までは。
その後の展開について何かいいアドバイスが欲しいです。よろしくお願いします。