作家でごはん!鍛練場
平山文人

転生の果てに……

 子どもの顔が出来上がってくるのはいつ頃だとか、そんな事はこれまで全く考えたことはなかった。そもそも俺には結婚願望自体あんまりなかったのだが、何となく成り行きで職場の同僚だった恭香と付き合ってそのままゴールインしてしまった。そのこと自体はとても良かったと思っていたりする。愛する人と過ごすことは素晴らしいことだと俺みたいなろくでなしでもしみじみ実感したものだ。そして、恭香が妊娠した時、二人ベッドに横たわって、こういう会話をしたのを今思いだしている。
「男の子かなあ、女の子かなぁ」
「女の子の気がするの。名前は……」
「名前は?」
「ミユキにしよう、ミユキ」
 俺は深く考えないで、いいよ、じゃあ男だったら弁慶な、と言って笑われたのだが……。俺は今2歳になろうとしている美幸をリビングで抱っこして、その顔をまじまじと見ている。今日、今この瞬間に俺はある事に気づき、心臓の鼓動が三倍速ぐらいになってしまった。思わず振り返ったが、台所で料理をしている恭香は何も気づいていない。テレビでは軽快な車のCMが流れている。美幸は無邪気な顔でごはん食べる、などと言っている。俺はそんなに記憶力がいいほうではないが、人の顔は覚えているほうだ。恭香がお皿にハンバーグとポテトサラダを乗せてテーブルに持ってくる。似ていない……。美幸が産まれた時、お父さんである俺にも、お母さんである恭香にもあまり似ていないねぇなどといろんな人に言われたものだが、お互い全く気にしていなかった。赤ちゃんの顔なんてどんどん変わっていくよ、とおかんにも言われたし。
「あなたどうしたの? なんか変な顔してるよ」
「え? あ、ああ、それは元からだ」
 なに言っているの、と笑いながら美幸を受け取り、椅子に座らせて前掛けをかける。俺も黙って自分の席について食べはじめたが、全く味がしない。お茶を飲もうとしたが、手元が狂って見事にひっくり返して盛大にこぼした。
「もう! 美幸じゃなくてあなたがこぼすわけ?!」
 恭香が不機嫌になってダスターでテーブルを拭く。ごめんすまんと言って、俺あんまり食欲がないから、ちょっと調べものがあるから、とだけ言って、食事もそこそこにPCのある寝室へ向かう。残っているのだろうか……あの事件から5年。PCデスクに座り、検索バーに「乙羽美由紀」と入れてEnterキーを押す。そして画像検索をクリックする。そうだ、この顔だ……。何枚か並んだ女性の顔、改めてはっきりと思いだした。もう一度リビングに戻ると、二人はむしゃむしゃと美味しそうにお昼ご飯を食べておられる。俺は真剣なまなざしで美幸を見つめた。そっくりだ……乙羽美由紀に。一体これが何を意味するのか、俺の頭脳では処理しきれない。気づけば二人ともテーブルの前でUFO目撃者みたいな顔をしている俺を不思議そうに見つめている。そこで俺は
「安心してください。何もないですよ。HOY!」
 と、体をくねくね動かして叫んだ。美幸はこれが大好きでいつも大笑いする。恭香は胡乱な目で俺を見つめていたが、また口を動かしはじめた。うまく誤魔化せたが、俺は全く落ち着かない。吉広に連絡せねばなるまい。俺は棚の上に置いているスマホに手を伸ばした。

 空が真っ青な5月の休日、俺はせかせかと歩いて、久しぶりに吉広のマンションにやって来た。このところは休暇の日は子育てに忙しくて特に誰とも遊んでいなかった。吉広の部屋の隅にはボクシンググローブが転がっている。あの「乙羽事件」以来、吉広は体を鍛える必要を痛感してボクシングジムに通い始めたのだった。どれぐらい強くなっているか分からないが、体は筋肉質になって、少しだけ自信があるような立ち振る舞いにはなった。
「どうだ。どう思う」
 俺が見せたスマホの美幸の画像を穴が開くほど見ている吉広の顔が戸惑いに満ちていくのが分かる。
「う、うん……似ているかもしれない」
 吉広は生唾を飲んで、ノートパソコンに表示した乙羽美由紀の顔と見比べる。
「いや……もう思い切っていうよ。瓜二つだよ。このまま成長したら間違いなくこの顔になると思う」
 俺は天を仰いだ。一体どう考えたらいいんだ。
「おい、そう言えば朝香さんに最近会ってるか」
「いや、全く。もう三年ぐらい全く見てない」
 俺もだ、とため息をつく。
「あそこ行ったら会えるのかな。名前なんだっけか」
「あー、あの廃ホテルか。なんだっけな。調べたら分かるけど……蓬生なんちゃら」
「これは大変ねぇ。輪廻転生ってやつかしらね」
 吉広の後ろから突然声がして二人ともおったまげた。
「あ、朝香さん、えらいお久しぶりです」
「いいタイミングすぎません?」
 朝香は白のシャツにチノパンというラフな格好で、やはり半透明だ。全然変わらない雰囲気なのは、幽霊は年を取らないからだろうか。
「何となく虫が知らせたのよね。で、来てみたらこれよ。美幸ちゃんっていうの? なんで同じ名前にしたの?」
 俺は眉をひそめる。なんでって……嫁さんがミユキがいいって言ったんですよね、と歯切れ悪く説明する。
「その辺からもう導かれてるのか……。今2歳か。しゃべりだした?」
「はい、よくしゃべりますけど、まだカタコトぐらいです……」
 朝香は吉広の横に座り込んでノートパソコンの乙羽をじっと見つめている。静かな時間が流れる。俺も吉広も何も言わないで久しぶりに会った朝香の顔を見つめていた。
「会ってみる。何とかして奥さんをどっかに出かけさせて。話を聞かせたくない」
 俺は頷いたが、さてどうやって奥様だけを出かけさせるか考えたが、どうにも難しい。恭香は今は働かず、子育てに専念してもらっていて、ほとんど一心同体状態なのである。
「たまには映画でも見てショッピングして来い、とかなんとかいうのよ」
 なるほど、と俺は手を打った。
「でも、会って何を話すのです?」
 朝香が瞳を閉じて考え込む。
「考えておくわ。取りあえずできるだけ早い日に会いたい。というか今から取りあえず見るだけ見てくるわ」
 俺たちは分かりました、と返事した。途端に朝香が立ち上がって消えた。俺も慌ててポケットにスマホをねじ込んで、じゃあ帰るから、と吉広家を後にした。

   ※この章は朝香目線になります

 ここか、幸人の新居は。まぁまぁ綺麗じゃないの。奥さんがしっかりしてるのね。なんてことない2LDKの賃貸マンションだけど。そっとドアをすり抜ける。幽霊なので移動は自由自在だし、イメージがはっきり分かればそこへ瞬時に行くことも出来る。生きている人間の世界の物理法則は一切関係ない。リビングには誰もおらず、とても静かだ。壁にかかっている時計を見るとお昼の三時過ぎ。ママも娘もお昼寝の時間かな。隣の部屋に入ると、二人がいた。やはり予想通り眠りの中にいる。私は美幸に近づいて、まじまじと顔を見つめる。瞳を閉じているのでいまいちわかりにくい。と思った瞬間、美幸がぱっちりと瞳を開いた。思わず後ろに下がったが、よく考えたら見えないのか、私の事は、と思い直し、じっと美幸を見つめ続けた。

━━あなたはだれ?

 と、突然心の中に声が響いてくる。なんですって、今話しかけてきたのはもしやこの子? とたじろいでいると、更に続けて話しかけてくる。

━━お姉ちゃん幽霊なんだね。かわいそう。男の人にひどい目にあわされたんでしょう。

「あ、あなた……は……どうして……生まれ変わってきたの?」

━━お姉ちゃん、いろいろ知ってるんだね。お姉ちゃんは私のてき?

「敵じゃないわ。私が知りたいのは、あなたが何をしたいか、よ。乙羽美由紀さん」

━━わたし? わたしはしあわせになりたいの。

 しあわせになりたい? それだけ?それだけなら、何の問題もない……。
「そう……前世は大変だったものね。心から同情するわ。でも、もういいのね?」

━━いいわけないじゃない。わたしのしあわせは、男をみなごろしにすることよ

 うわわやっぱりそういう感じかぁぁ。気づけば、美幸の顔がうっすら赤くなっているように見える。この子の霊能力は途轍もない。自分の出演したビデオを見ただけで、その男を不能にした上に突然死させることが出来たほどだ。

「でも、今はまだ殺してないのね。まだ小さいから?」

━━パパとママに愛されて過ごす毎日はたのしかった。わたしは、愛されることをしらなかった。みたされてた。でも……もうそろそろいいか、あなたみたいに気づく人が出てきてしまったものね。

 最後の口調が大人びた感じに変調したのを感じた私は一歩下がった。美幸がすっくと立ちあがった。そして、こちらを見て微笑みながら……なんと、どんどん大きくなってゆく!なんてこと……。私は息を飲んだ。着ていた服は破れ、裸になったその姿は、20歳ぐらいの女性のそれだ。間違いなく、乙羽美由紀がそこにいた。

━━お姉さんは幽霊で良かったね。もう死なないものね。

 言いながら美幸は母親のクローゼットを開け、下着など身に着けてゆく。呆然と見ていた私は、一体どうすれば……と混乱した頭を必死に落ち着かせる。そうだ、この子はどこへ行く気なのだ。

「いったい今からどこへ行くの?」

━━私を地獄に落とした男たちがまだ生きている。取りあえずこいつらを全員殺すよ。その後も男をひたすら殺していくの。それがわたしのしあわせ。

 その時の乙羽の凍り付くような視線が忘れられない。一切の優しさや思いやりという種類の感情がゴミのように思えてしまうような。私はもはや何も言えなかった。乙羽は母親のブランドバックの中にあれこれ詰め込んでいる。何を言っても無駄だと分かった私はうなだれて彼女を見つめる事しか出来なかった。乙羽は悠然と家のドアを開けてどこかへ消えていった。幸人は何をしている? 瞳を閉じて居場所を想念してみた。マンションのエントランスでちょうど乙羽と会うところだ! 私も急いで移動することにした。

 吉広の家を出た後、俺は急ぎ足で家に向かっていた。季節は過ごしすい5月だが、余り早く歩いたので汗をかいてきた。まず、恭香と話をせねばならない。一体、朝香さんと美幸が話せばどうなるのか。というか、美幸には朝香さんは見えるのだろうか……などと考えていると、住んでいるマンションについた。入口のオートロックを解錠し、中に入ると、若い女性が前から歩いてくる。何気なく顔を見て、俺の足は止まった。止まるに決まっていた。鼓動が一気に早くなるのが分かる。歩いてきたのは……まさか……大人になった……。女性も足を止めた。その顔には一瞬の戸惑いが浮かんだ。が、次の瞬間、視線を逸らして、すれ違って去ろうとする。俺は必死に呼吸をしながら叫んだ。
「待って、待ってくれ!」
 と思わず呼び止めた。
「あなたは……乙羽美由紀さんだね」
「パパ」
 振り返った乙羽はニッコリとほほ笑んだ。間違いなく、まごうかたなく、この顔をさっきまでネットの画像で見ていた。可愛い……などと見当違いの事を一瞬思ってしまったが、すぐに思考を戻す。
「この子は乙羽美由紀よ」
 横から朝香さんが声をかけてくる。途端に乙羽の表情が曇った。
「パパ、この女の人と知り合いなの? 幽霊の知り合いがいるなんて意外だね」
「あ、ああ。なんか過去の縁でね。というか……今からどこに行くんだ、美幸」
「パパは知らなくていいわ。……パパ、今日まで愛してくれてありがとう。わたし、しあわせだった。でも、もう終わりなの」
「終わりだなんて……これからも仲良くみんなで暮らしていけばいいじゃないの。復讐なんてやめなよ! それより、一人の女性としてのしあわせを求めればいいじゃない!」
 乙羽の顔がみるみる紅潮していく。体の周りが揺らめいて見えだした。いかん、めちゃくちゃ怒ってる。
「お前なんか……お前なんかに私の怒りが分かるか。何のためにもう一度産まれてきたと思ってるんだ。消えろ!!」
 突然乙羽の後ろから凄まじい突風が吹いてきた。俺は後ろに吹っ飛んだ。が、誰かに後ろから抱きしめられたので背中などは打たなかった。
「パパ……パパには何の恨みもないわ。もう行くから、探さないでね。さようなら」
 という声が耳に入った。
「美幸……待ってくれ。行かないでくれ。パパは……お前に誰も殺してほしくない。誰かを殺してほしいなら、俺が代わりに殺してやる。お前には、普通の女の子としてしあわせに生きてほしい。だから……」
 後ろから抱きしめられたまま、俺は思いのたけを精一杯乙羽に伝えた。そう、乙羽美由紀の生まれ変わりであっても、お前は俺の大事な娘、美幸なんだ。
「これは、わたしがすることなの」
 この声を聞いた後、俺は目の前が暗くなり、何も分からなくなってしまった。

 気が付くと、朝香さんが座り込んだ俺の顔を覗き込んでいる。見える景色から判断すると、まだマンション一階のエントランスにいる。
「美幸は……というか、朝香さんは大丈夫だったの」
「私は幽霊よ。あんな風なんかなんでもないわ。それより……乙羽美由紀が今どこにいるか、私の能力でも分からないの。気配というか、そういうのを消せるみたい」
 俺は立ち上がって首を軽く振った。止めないといけない。
「俺は止める、美幸を。もうこれ以上誰も殺させない。あの子は、俺の可愛い一人娘なんだ」
「よく言った。そうだ、止めよう。どこへ向かったかは想像がつくよ。最後に勤務していたソープランドだと思う」
「……吉広ともう一度合流しよう」
 俺はスマホを取り出して電話をかける。

 吉広にともかく俺の家に来るようにと言って、俺は重い足取りで階段を昇る。恭香に一体どう説明すればいい?
「破けた服があるから、かえって変な想像してしまうかもしれない。バッグとか財布とか持って行ってたし、泥棒に入られたと思うかもね」
 朝香さんも困り顔だ。どう説明すれば納得してもらえるか。
「ふぐぅ……美幸自体はいなくなってるし、捜索願いを出すとかもいいかねないな。朝香さん何か出来ない?」
「……そういう能力はないなぁ。これ困ったねぇ。正直に全部話すしかないと思うけど、信じるかな。そういうオカルト系の話に理解ある人?」
「あんまりなさそう。テレビで心霊動画の特集とか見たら怖い怖い言ってるけど、そのレベル」
 我が家について扉を開けて入った途端、恭香が悲壮な顔をして走り寄ってきた。ボロボロになった美幸の服をもって。なるほど、完璧に破けていて、事件の匂いしかしない。俺は腹をくくった。少々のごまかしでは納得させることは出来ないと分かったからだ。ひとまず、服を受け取り、リビングのソファに二人並んで座る。朝香さんが意図的に恭香の前に立ったが、無反応だ。見えてない。
「恭香、落ち着いてくれ。まず、美幸は無事だ。元気いっぱいだ。ひとまず心配はない」
「一体どういうことなの? あなたがどこかへ連れて行ったの?」
 俺はうつむきながら、いや、そうじゃない、自分で歩いて行ったんだ、と本当の事を話した。恭香は何を言ってるの、あの子が一人でどこかへ行ったってこと? それならなぜ止めなかったの、と怒りをあらわにしだした。当然だ。
「恭香、俺が今から話すことはにわかには信じられないかもしれない。だが、全て真実なんだ。だから、よく聞いてくれ」
 と、俺はシリアスそのものの面持ちで全てを説明した。乙羽事件の事、今いる朝香さんの事、美幸は乙羽美由紀の生まれ変わりであること……。インターホンが鳴った。朝香さんが気を利かせて迎えに行く。鍵は開けてあるので、すぐに吉広が青ざめた顔で入ってくる。恭香は……何が何だか分からない、と呆然としている。
「そんな……もう大人になったって、まだ一人でトイレにもいけないのに? そんな話信じられない。もう可愛い美幸は帰ってこないの? 死んじゃったの?」
「死んではいない。ただ、もう2歳には戻らないと思う。でもな、ここに戻すことは場合によっては可能なんだ。すぐに出かけないといけない。落ち着いて待っててくれるか?」
「美幸ちゃんを助けに行くのね? それなら私も行くわ。すぐに行きましょう」
 俺は朝香さんの顔を見る。朝香さんは試案顔だったが、乙羽美由紀が恭香に懐いていたことを思い出して、得になると判断したのか、うなずいた。
「いいわ、一緒に行きましょう。早くしないと間に合わない。もっとも、乙羽はタクシーか電車で移動してると思うけど」
 俺はすぐ恭香に着替えるように言う。そして車のキーをポケットに突っ込む。
「あんたいま何に乗ってんの」
「ただのステップワゴン」
 ベランダの向こう側にはまだ青い空が広がっている。暗くなる前に見つけたいが……。誰も殺させない。俺は固く決意して、拳を握りしめていた。

 目的地のソープランドの場所を調べるために朝香さんが離れている間、俺と恭香と吉広はコンビニの駐車場に止めたステップワゴンの中で待つしかなかった。空がだんだん薄暗くなってくる。やがて、後ろの座席に朝香さんが戻ってきた。
「言うよ。吉広、メモの準備はいい?」
「う、うん。どうぞ」
「東京都〇×区大〇町4丁目6-55」
「OK」
 俺は聞き耳を立てていて、即座にカーナビに住所を打ち込む。ただし、20数年前の住所だ。今現在もそこがソープランドである保証は、はっきり言って、ない。ないと分かっていても、行ってみるしかない。俺は車を発進させる。
「裁判所の記録って事件性があるものでも15年が最長っぽいのよね。知らなかったわ。だから、内閣府の資料室に行って乙羽事件のファイル漁って見つけたのよ。だから時間かかった」
「ああー、公然と噂になってたけど、事実だったのか。乙羽事件についてのネット情報を政府が消し去ったってのは」
 この手の噂は何をどうしてもネット全盛期の今、何かしらは漏れるものだ。乙羽事件のあと、やたら政府のお偉いさんたちが強姦を未然に防いだ、というニュースが連発して世間を騒がせたが、誰か霊能力というか、予言が出来る人が教えたんだろうな、とか俺と吉広は想像していたものだ。このおっさんらも何らかの理由であの呪いのAVを見たんだろうな、とか。街が本格的に暗くなってきた。俺はヘッドライトをつける。恭香は全くしゃべらない。瞬きが激しいので、さっき俺たちが教えた情報を反芻しているのかもしれない。吉広と朝香さんも無言だ。みんな、何をどう乙羽美由紀に言えばいいか、と考えているのかもしれない。確かに、復讐の鬼と化している乙羽にどんな言葉を並べても無駄に思える。おまけに、どれだけの能力を持っているのか想像もつかない。最悪、ひと睨みだけで人を殺すぐらいできるとしたら……。俺たちはともかく、吉広は危ないかもしれない。こいつの空気読めない性格は変わってないしな……。国道を抜け、夜を受け入れ始めている商店街の一角に入っていく。
「いた!!」
 と朝香さんが絶叫した。俺たち三人は思わず飛び上がった。ん? 三人? ということは。
「恭香、朝香さんの声が聞こえた?」
「聞こえた! 女の人の声!」
「それはいいけど、ほら、通り過ぎたよ!」
 恭香に気を取られて目視出来なかった。ともかく、車道の端に寄せて止まる。暗くなっているのもあって、サイドミラーからでは確認出来ない。
「横道に入ったんだわ。行かなきゃ」
 なかなか人通りの多い商店街だ。駐禁を取られたくないし、余り役に立ちそうもないので、吉広を置いていくことにする。
「お前は残れ。最悪、乙羽美由紀に殺されるかもしれないしな」
「分かった。上手くいくことを祈ってる」
 という事で三人、人間ふたり、幽霊ひとりは車を降り、小走りで道を戻る。
「この向こうだと思う。ほら、電柱」
 確かにここは〇×区大〇町だ。
「ソープランドの名前分かります?」
「えー、なんだっけ、ムーンシャドウゾーンかなにか」
「あの女性?」
 少し前を歩く若い女性が、ある建物に入っていく。見上げた俺の目に入ってきたのは「ムーンシャドウソープ」という白い照明に輝く店名。ちょっと違ったな、と思いつつ、全速力で走る。
「美幸っ、待てっ!」
 と俺は大声で叫んだ。

 自動ドアの前に立ち、店舗の中に入ると、とても静かだ。受付には誰もいない。
「うわ……死んでるよこの男の子」
 朝香さんが覗き込む受付台の後ろに、首が180度曲がった若い男が口から血を流している。いかん、思った以上に本気だ、と思った瞬間、ぎゃあぁぁあぁあという絶叫が奥から聞こえた。
「行くよ!」
 と朝香さんが進んでいくが、恭香の体の震えが止まらない。俺は彼女の肩を抱いて、二人一組で進む。ソープランドだけあって、甘ったるいソープの匂いで充満している。廊下を進むと、また一人男性の店員が壁に顔を打ち付けて動かなくなっている。女性の悲鳴が店内に響き渡る。駄目だったか……乙羽に人を殺させてしまった。
「みゆきっ! やめろっ!」
 俺は力の限りの大声で叫んだ。うぎゃわああっ、という男性の悲鳴が聞こえてくる。一番奥の事務所に俺、朝香さんの順番で駆け込む。そこには……片手で頭の禿げた男性の首を掴んで持ち上げている乙羽がいた。次の瞬間、男は口から大量の血を吐く。
「こいつじゃない。こいつでもない」
 と乙羽はつぶやいて、男の体をすごい勢いで壁に投げつけた。ダンッ、と、ぐしゃっ、と言う音が同時に聞こえた。
「あなた美幸ちゃんなの?!」
 俺の後ろにいる恭香が震えながら問いただした。修羅だった乙羽の顔がみるみるほころぶ。
「ママ。どうしてここに来たの」
「やっぱりそうなのね! 美幸ちゃん、家に一緒に帰ろう! 大好きなきのこパスタ作ってあるんだよ。だから帰って一緒に食べようよ」
 乙羽の顔の表情が引きつる。いいぞ、葛藤している。
「美幸、もう帰ろう。これでもういいじゃないか。お前を本当に苦しめた奴は俺たちが調べあげてぶち殺してやるから。お前の復讐はこれで終わりにしよう」
「パパにはあのゴミクズどもがどこにいるのかわかるの?」
「分かる。すぐには無理だが、調べれば。そして、そいつは俺が殺す。お前の、最愛の娘の敵討ちをする」
 突然恭香が乙羽に駆け寄って抱きしめた。そしておいおい泣き出した。みゆきちゃん辛かったね苦しかったね、一人で寂しかったよね、でももう今は違うのよ、パパもママもいるの、あなた一人じゃないのよ、一人じゃないんだから!
 俺は乙羽の瞳に涙が浮かぶのを見た。そしてがばぁと二人に覆いかぶさるように抱きついた。それしか出来なかった。
「大変よ! サイレンの音が聞こえる。誰かが警察に通報したんだわ!」
 と朝香さんが叫んだ。
「逃げよう!」
 と俺はもう無理やりに乙羽と恭香の体ごと運ぶ勢いで部屋をにじり出た。乙羽は抵抗しない。三人ひとかたまりになって店を出た。しかし、もうすぐそこまでパトカーが来ているではないか。
「任せな。どっかに追いやってやる」
 と、朝香さんが消えてゆく。俺と恭香の二人で乙羽の両脇を抱えて車に向かう。全く抵抗しない。そのままステップワゴンの後部座席に押し込む。後ろから急ブレーキの音が聞こえた。朝香さんが上手くやってくれたのだろう。突如やってきた乙羽に吉広が驚きの表情を見せる。が、上手く行ったのだな、と分かったらしく、何も言わず、一番後ろの席に移動する。中列に並んで座った恭香はずっと乙羽の手を両手で握りしめて泣いている。乙羽は、放心したように何も言わない。俺は運転席に乗り込んだ。助手席に朝香さんが戻ってくる。
「帰ろう、みんなのお家に」
 そうしよう、と俺は返事して、ステップワゴンを急発進させた。

 しんしんと夜が更けてゆく。俺は眠れないので真っ暗なリビングで珍しくウイスキーを水割りで飲んでいる。飲んだって全く酔わない。隣の寝室からは物音一つ聞こえない。恭香と乙羽が並んで眠っているはずだ。あの後、俺たちは家に帰り、三人で恭香の作った特製きのこパスタを食べた。乙羽は無邪気な顔でぺろりとたいらげ、その後俺と恭香の馴れ初めを興味津々な顔で聞いてくるので、二人してああだった、こうだった、と照れ臭いながらに説明した。
「そう……それで私が産まれてきたのね」
 と、乙羽は肩まで伸びている髪を指で触りながらつぶやいた。
「恋愛って、素敵なものなの?」
 俺たちは顔を見合わせた。そして、同時に頷いた。
「もちろん。世界が変わるわ。希望に満ち溢れた素敵なものになるのよ。何でもない事すら素晴らしいものに思えるのよ」
 乙羽は首をかしげた。そしてこういった。
「わたしも、してみたいな。でも、男は嫌い」
「男がみんなみんな嫌な奴ってわけじゃないわ。素敵な人もいるよ」
「そう、俺みたいな」
 恭香はどうかな、という目でちろっと俺を見た。その表情がおかしかったのか、乙羽は声をあげて笑った。はじめて笑った顔を見たな、と俺は何となく安心した。
「ね、ママの若い頃が見たい。アルバムとかないの?」
 あるわよ、と恭香がクローゼットを開けに行く。乙羽もついていく。そして、二人でリビングのじゅうたんに座って仲良く見はじめた。俺はお風呂に入るから、と場を外し、出てくると二人は隣室へと消えていた。そして、今に至る。朝香さんが今頃乙羽に借金を背負わせ、騙したクソ野郎の人定をしてくれているはずだ。そいつだけは……必ず俺が始末をする。と、強く拳を握りしめていると隣に朝香さんがやって来た。こともなげに椅子に座る。
「どこにいるか分かったよ。まだ生きてやがるよ」
「今何歳なのそいつ」
「66歳。一人寂しくアパートに独居してるな。昔は暴力団の末端構成員だったようだけど、所属してた組も潰れ、今は惨めな貧乏一人暮らし」
「一人なのはいいな。目撃者もいないし」
「あんたがやらなくていいよ。私がやる。こんなのその気になればすぐよ、すぐ」
「いや……俺じゃなきゃダメなんだ」
 朝香さんは俺が言っている事の意味は分かったようだが、納得はいかないらしい。
「あんたがどうしてもやるというんなら場所は教えられないな」
「美幸のためなんだよ。約束したからな。お父さんが娘の仇を討つんだ」
 朝香さんは天を仰いだ後、分かった、住所を教えるから、とだけ言った。俺は紙とペンを用意した。

 昔読んだ漫画にあったよな、「神様、どうか、このぼくに人殺しをさせてください……」と祈る場面が。俺も今同じ気分だよ。俺は一人で、乙羽を借金地獄に落とし、自殺に追い込んだクソ野郎、屋澤大介のボロアパートの前に来ている。道具は持ってきていない。衰弱気味の老人のようだし、締め落として殺す。空は今日も青く、午前の涼しい時間にさわやかな風が通り過ぎてゆく。
「ついてきたのかよ」
「ついてきちゃダメなの?」
 朝香さんがすぐ後ろにいる。
「頼むから俺にやらせてくれ」
「わかってる。私は万が一あんたが負けそうになった時助けるだけ」
「そんな事にはならないよ……」
 屋澤の部屋は二階か。インターフォンを押す。はい、とくぐもった声で返事が聞こえた。
「おはようございます。〇〇急便です。お届けものです」
 というと扉が開いた。問答無用に腹を思い切り殴る。屋澤が声を出しそうになるが、構わずもう一度腹を全力で打つ。男が跪き苦悶の表情を浮かべる。俺は男を部屋の中に突き飛ばし、扉を閉める。そして、膝を顔面に二発ほど入れる。男が小声でうぐっと言うので、思い切り拳でこめかみの部分を殴った。痛みに悶絶してのたうつ。俺は馬乗りになって屋澤の首を両手で絞める。意識を失わせるまでは柔道の練習や試合でやったことはあるが、もちろんそこまで。殺したことはない。力を抜くな。やらなければならないんだ……だが、次の瞬間、俺が意識を失ってしまった。

━━もういいよね、美由紀さん?

━━パパは本当に私の仇を討とうとしてくれた。だからもういいよ。

━━こいつは私が今から殺す。

 気付いた時は、ステップワゴンの運転席だった。はっと周りを見渡すと穏やかにほほ笑む朝香さんが隣にいる。俺は全てを悟った。
「首はタオルで拭いといたから。指紋は残ってない。何も心配いらないよ」
 俺は目頭をこすって、しきりに何度もうなずいた。でも……乙羽になんて言えば……。
「全部知ってるよ。そういう能力も持ってるのよ彼女。パパは私の仇を本当に取ろうとしてくれたって喜んでたよ」
「そっか、そうなのか……そっか」
 俺は顔を両手で覆った。これでよかったのか……。
「それでさぁ、乙羽美由紀さんの事なんだけど」
 朝香さんがまじまじと俺の顔を見つめてくる。相変わらずこの人美人だよな、とか思いつつ、なんですか、と返事をした。
「子どもからやり直したいそうなのよ。急に大人になってさ、スマホの使い方もパソコンの使い方も知らないわけじゃん?それに、急に大人になったら、健康保険とかも利用出来ないわけでさ」
「ああ、なるほど、そりゃそうだ。実際の美幸はまだ二歳なわけで」
「という事で、お家に帰ったら元通り二歳に戻ってるらしいよ。恭香さんと今お話ししてる」
「ということは……復讐とかはもういいってことかな」
「取りあえず直接の復讐は果たしたわけだし……もうあとはあんたたち次第よ、あの子をしあわせに出来るかどうかは。だから子育てがんばるのよ」
「う、うん、メチャクチャがんばるぜ!! じゃあ帰りましょう」
 俺はこれでもかと勢いよく車を発進させたので、電柱に派手にぶつかってしまったのだった……。

             
あとがき


 本作は、軽い気持ちで一話完結で書いた肝試しの作品で、「リング」のオマージュ作品である「恐怖のたるみなき結末」の三部作目です。「リング」が「らせん」「ループ」と三部作になっている事を考えたら、三部作で終わらせたほうがいいかな、と少し無理をして書いたものなので、二作目の「呪いのAVとの奮闘記」と、やや整合性が欠けているかもしれません。その辺りのご指摘などいただけたら嬉しいです。また、本作は余りギャグ要素を入れるべきではないと判断したので、あまり面白くないかもしれません。笑える要素はほとんどないです。二作目で救えなかった「乙羽美由紀」をなんとか救おうと、このような展開にしました。また、作者は女性を性風俗で搾取することに嫌悪感を抱いている人間なので、このような物語になりました。読んでくれた方に何かを考えていただけたら作者冥利に尽きます。感想などあれば書いてくだされば嬉しいです、よろしくお願いします。

転生の果てに……

執筆の狙い

作者 平山文人
zaq31fb1c44.rev.zaq.ne.jp

前作で夜の雨様に「乙羽美由紀を成仏させてあげられないか」というような
指摘をいただいて、なんとか乙羽を救いハッピーエンドにしたいと思い、今作を書きました。
あとはあとがきも参照していただければ嬉しいです。文章はどうだったか、物語の展開を
どう感じたかなど、感想をいただけたら嬉しいです。よろしくお願いします。

コメント

夜の雨
ai193180.d.west.v6connect.net

「転生の果てに……」(あとがき)込みで、読みました。

よかった、細かいところで違和感があったところはありますが、本筋の流れは問題なかった。

かなりのレベルで描かれていて楽しめました。
ホラー作品でここまで楽しめる作品はめったにありません。

しかし、まさか主人公の「俺」が、ことの成り行きで職場の同僚である「恭香」と結婚してできた子供に「乙羽美由紀」が転生しているとは。
だけど、子供の名前に「美幸」とつけるとは。
「美由紀」=「美幸」、これは、なかなかのアイデアですね、ホラーのトリック。

二歳の美幸が服を破って二十歳の美由紀になるエピソードなどもよいですね。
臨場感を出すには、変化する過程を描写すれば迫力がありますが。

幽霊の「朝香」や友人の「吉広」をともなって、主人公の俺が、「恭香」も含めて四人でステップワゴンに乗って、美由紀が復讐しに関係者を殺しに行くのを止めるエピソードは緊迫感があり、楽しめますね。
だけど事実上無関係なソープランドの店員の男の子が殺戮されるのはかわいそうです。二人やられました。
まあ、ホラー小説なので、盛り上げるための演出の犠牲者といったところでしょうか。
そのあとの現場に「俺」やら仲間たちが到着して悲惨な現場を見ていると、そこにパトカーが到着する。
このエピソードなどもなかなかなものです。
それも朝香が対応するとか、言っていましたが。
どういう具合に対応したのかは描かれていませんでしたが、作品の長さからして、特に問題はないと思います。

ラストですが、結局は美由紀の幼いころが「美幸」になるわけですか。
これって、両親の「俺」と、「恭香」の心中は複雑でしょうね。
この美由紀は、以前からいた美由紀なので二人の子供の「美幸」とは、違う魂の持ち主だと思うし。
悩ましいところです。

しかし、裏を返せば、こういった問題を抱えたまま終わるところがホラーらしいのですが。

作品全体でいえば、かなりよくできているのではないかと思います。
前作よりもよかったので、進化しています。


お疲れさまでした。

平山文人
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夜の雨様、今回も感想をありがとうございます!

乙羽美由紀をなんとか「しあわせ」になれるようにと悩んだ挙句、転生させることにしたのですが、
やや無理筋の展開だったかと思うのですが、流れは問題なかったと言ってもらえて嬉しいです。

ソープランドの店員を殺すことにしたのは、乙羽の怒りの凄まじさを表したかったからです。
男皆殺しなどと言わせてしまったので、整合性と、ある種のカタルシスを乙羽に体験させることで
呪怨を薄れさせる効果を狙ってのことでしたが、やっぱり可哀そうではありますね。

乙羽美由紀は二歳になろうが、結局人格はそのままですからね。成長すれば乙羽になってしまいますが、
幸人と恭香には二人目という考えもありますし、このまま幸せになってもらいたいので「美幸」という漢字なのです。

オマージュ作品を書いてみて、土台のアイデアを借りて小説を書くのは楽だなと思いましたが、
本作のように90%ぐらいはオリジナルの展開だと本当に自分の力量が問われるというか、どこを丁寧に描写すべきか、
どうやって物語を動かしていくかなど、書くのが本当に大変でした。また、ホラー作品って、ある意味何でもありに
なってしまうんですよね。超常現象、霊能力って定義がないのでやりたい放題になってしまいます。
これは書く側には便利ですが、余り考えないで「霊能力でドーンとやって殺しました~」とかが可能になって
しまうので、余りアマチュア作家が研鑽するためには良くないかなと思いましたね。

次回作はオマージュはやめて、100%オリジナルのホラー以外の小説を書こうと思っています。
そうでなければ意味がないと思いますので。


夜の雨様の次回作も楽しみにしています。それでは失礼します。

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