作家でごはん!鍛練場
金木犀

価値を叫ぶハラワタ

 価値が欲しい。
 そう、価値が!
 価値が、価値が、価値が、価値が! 
 価値が!
 欲しい!
 
 渇いていた。
 喉を潤す水を求めるように、ひりつく熱さが神経を伝い、ハラワタを苦しめた。
 鼓動が痛い。どこもかしこも痛い。
 ハラワタは息を荒くし、目を堅く瞑る。
 思い起こすのは跪いて祈り、身も心も神に捧げる母の姿。
 母を罵る父親の振り上げて止まった拳。
 母を蔑む他人の目。
 それがハラワタにとっての原風景だ。
 母の生き方をせめてハラワタだけは肯定しようと思った。
 
ーーそれが間違いだと気づいたときにはもう遅かった。

 はっきりするまでは、正と誤の境界線は混濁としている。
 降り積もった綻びは底に沈殿していくのに。
 降りしきる雪の日に、母は公園のヒマラヤ杉の木に首を括り付けた姿で発見された。
 眼前に突きつけられた真実は、ハラワタの全てを否定した。
 罵詈雑言を浴びせていた父や世間の目がハラワタの心臓に突き刺さった。
 心臓から滴り落ちる痛みは、一生消えることはないのだと悟った。
 ハラワタは神を憎み、宗教を憎んだ。
 憎んだところで、無意味だった。
 気づけば、底辺である。家も家族も金も職もない。年も重ねすぎた。
 無能な自分。誰にも必要とされない自分だけが残った。
 ハラワタは自分が今まで見過ごしていたものを求めた。
 神以外の誰かに、自分の居場所を。
 必要ではないと思っていた自身の価値を求めたのだ。

 価値が欲しい。
 そう、価値が!
 価値が、価値が、価値が、価値が! 
 価値が!
 欲しい!

『死ね』
 人が行き交う雑踏の中で、ふと聞こえた。
『なにあれ恥ずかしい』
 郵便ポストの口から。
『あはは見ろよあいつ』
『ばーか』
 ポプラの木の根元から。
『消えろ』
 スマホにUSBアダプタを差し込んだ場所から。
 いたるところから、嘲笑が。
 暗号のようにぶつぶつとつぶやく声が。
 ふと衝動が、身体を支配した。
 叫び声をあげる。
 ショーウインドウのガラスを蹴りつけた。
 サインスタンドを手に取る。
 振り回そうとしたとき、後ろから誰かにおさえつけられた。
 振りほどこうとがむしゃらに抵抗する。
 見上げた人の輪郭が、見上げた人の輪郭が、肩越しに見えるスクランブル交差点で点滅する信号が、ぐにゃりと形を崩す。

 火花がハラワタの目の前で瞬く。
 音が吸い込まれるように消えて。
 −−目を覚ますとハラワタはベッドの上にくくりつけられていた。
 糞便が溢れる感触とズボンの中から漂う悪臭がハラワタを惨めにさせた。

 何日もぼうっとしていると、やがて拘束はほどかれた。
 誰かと談話する気にはなれず、テレビの前に置かれた本を無造作に手に取る。
 最初はぱらぱらとめくっているだけだったが、気がつけば夢中で読んでいた。
 ハラワタを夢中にさせたのは『異世界転移』『異世界転生』というジャンルの本である。
 どこまでも主人公に都合が良い世界、荒唐無稽な世界が展開されていた。
 それはハラワタにとって、五臓六腑にしみるものだった。
 現実逃避だとわかってはいても、その物語の数々は、ハラワタに希望をもたらたした。
 ハラワタはいつしか読むだけではなく、別の世界がもしもあったら、と妄想し文字に書いて具現化するようになった。
 祈りの代わりに得た、ハラワタの価値だった。
 ハラワタはただ没頭した。
 入院中はえんぴつで思うまま書きなぐり、退院したあとはバイトをする傍らネットで異世界転生小説を毎日書き連ねる。
 ハラワタは作業に没頭した。
 誰にも迷惑を掛けず、思うがまま、わがままに、自分という存在の価値を妄想できたから。
 小説を書いているときだけは、どんな声も聞こえてこなかった。
 自分より遥かに年下の子にあごで使われたとて、他の同僚とあからさまに差別した対応をされたとて。
 
 あるときハラワタが書い小説のPV数が跳ね上がった。あるレビューが引き金になったらしい。
 瞬く間にブクマ数が増え、ランキングに名前が載った。
 出版社から声がかかり、世間からの賛美が聞こえるようになった。

 ハラワタが求めていた価値が、眼前にあった。
 妄想ではなく、現実に、世間が認める価値はあった。
 眼前にある価値を見て、ハラワタは、自分は嬉しいはずだと思った。
 おめでとうという感想に作者レスをしようとして開いていたパソコンの画面がぐにゃりと形を崩した。

 気がつけば、吐いていた。
 価値ができたのに。
 価値が生まれたのに。
 なぜだ。
『価値がほしい!』
 と叫ぶ声が止まらない。
 これは誰の声だ。
 ハラワタにはもう価値はある。なのに、誰がまだ叫ぶ。なにを叫ぶ。なぜ叫ぶ。

 母を殴る父親の叫び。
 母を罵る世間の声。
 母を殺した宗教指導者の祈り。

 首をくくりつけた母の姿が!

 ハラワタが求めるものは、
 ハラワタが求めていたものは、
 母を殺したものではないか!
 
 母を、ただあの愚かでどうしようもない母が、ただ幸せになれる世界はいったいどこにあるのか!


 価値が欲しい。
 そう、価値が!
 価値が、価値が、価値が、価値が! 
 価値が!
 欲しい!

 
『たた大なる聲の御座より出づるを聞けり。曰く『視よ、神の幕屋、人と偕にあり、神、人と偕に住み、人、神の民となり、神みづから人と偕に在して、かれらの目の涙をことごとく拭ひ去り給はん。今よりのち死もなく、悲歎も號叫も苦痛もなかるべし。前のもの既に過ぎ去りたればなり』 (ヨハネの黙示録21:4)文語訳

価値を叫ぶハラワタ

執筆の狙い

作者 金木犀
116-91-69-85.east.xps.vectant.ne.jp

浮離さんに触発されて投稿しました。
表現したかったのは、「価値はひとそれぞれの主観に根ざす」みたいなことですかね。

忌憚ない感想をお願いします。

コメント

偏差値45
KD106180000180.au-net.ne.jp

尽きることのない欲望みたいなお話かな。
ラストは成仏したような境地でしょうか。
まあ、本当の価値は生きていること。
なぜなら、百年後には皆死んでいる。
だから、自死なんて実にもったいないんだね。
そんなことを思った次第です。

クレヨン
softbank060106192217.bbtec.net

金木犀さん、拝読しました。

 街中で人々に馬鹿にされるくだりのところだけセリフがあると思うんですが、あれが直接的すぎて心にグサグサ刺さりました。

 他の部分は思い出を追想しているようなかんじであるおかげなのか読めるんですが、セリフの部分だけダイレクトすぎて心が痛くなって読めませんでした。

 作中で価値という言葉が繰り返されることで歌のリフレインみたいになって、文章にリズムができていて、価値という言葉が頭に残りました。

 客観的に見れば、価値を手に入れることがゴールではなく価値を求めないことがゴールなのだと言うことはできるかもしれません。しかし感情というのは思うままにならないものです。

 口で言うのは簡単だけど、その通りに心を動かすのが難しい。どうしたらいいかわからない。それらが一層主人公を苦しめている。これは作中には書かれていませんが、勝手に読み取りました。

 主人公の悩みを通して悩んでいた自分を思い出す、みたいなかんじがして面白かったです。

fj168.net112140023.thn.ne.jp

ハラワタは、わたし(こころ、性根)。
母への想い(懷念)が奸寧となり、邪智を生む(奸佞邪智)。

出版されたのですか(素朴な疑問 笑)?

西山鷹志
softbank126077101161.bbtec.net

拝読いたしました。

語り口が斬新というか己を震え絶たせているような感じでした。

ハラワタ何を意味するのか分かりませんでした。
ハラワタ=腸とも違うようですが
これは心の感情なのでしょうか。

豪快な語り口は面白いですが。
頑張って下さい。

金木犀
116-91-69-85.east.xps.vectant.ne.jp

偏差値さんお寄りいただいてありがとうございます。

本人からすれば自分の命をどうするかは自分で決めるということなんでしょうけど、身内からすればたまったものではないんですよね。
どうせ死ぬんだから、死ぬまで生きれば良いのにと、僕も思います。

ありがとうございました。

金木犀
116-91-69-85.east.xps.vectant.ne.jp

クレヨンさん、読んでいただいてありがとうございます。

台詞は臭すぎたかな、とちょっと懸念していた部分でした。

食欲とかと同じで、承認欲求も本能です。
あまり軽視しすぎても病みますし、のめりこみすぎても病む。ちょうどいいとこに落ち着くのが一番ですよね。
言うても病気はその人の体質や性質に依ったりもして他の人と同じようにしていても病むときは病むわけで、現実問題思うようにいくものではないと思います。
その苦しみは経験しないとわからないですから、経験した事ない人からすれば「甘え」に見えてしまうものなのかもしれません。

ほんと、世の中というのは理不尽なもんです。理不尽は身近にあるのに、うまくいっているときは誰も目に入らないかのよう。

そういう部分を、小説で書いていけたらいいと思います。面白く書けたらいいな。

それでは、感想ありがとうございました。

金木犀
116-91-69-85.east.xps.vectant.ne.jp

凪さん、寄っていただいてありがとうございます。

当然この作品はフィクションですよ。
隙あらば書籍化されたいだけの人生を送ってます。いつだって頭の中はベストセラー連発してるんですがおかしいですねなんで誰も……orz


感想ありがとうございました。

凪さんの作品を読んで文章力を上達させたいと思います。カクヨムで徐々に読み進めさせていただきますね。

金木犀
116-91-69-85.east.xps.vectant.ne.jp

ドリー……いや西山さん感想ありがとうございます。

いつもマイペースに執筆されていますよね。その立ち振る舞いは軽やかで、趣味として割り切っていらっしゃるのがよくわかります。これからも末永く執筆なさいますように。

さて、ハラワタの意味ですが……ぶっちゃけそんな深い意味はないんですよね〜。
最初はケダモノにしようかなと考えていましたが、ラケンにいるある作者が脳裏に浮かんで、ちょっと名前を拝借させていただきました。
なんとなくケダモノより、内臓のほうが腑に落ちまして。人はどんな奇麗なものを口にしても吐き出す過程が必要になるじゃないですか。臭くてみっともない部分、だけどそれが人間の根幹部分で、そういう臭くてみっともないところを奇麗に描けるようになりたいと思ってます。

それではドリー……じゃなかった西山さん感想をありがとうございました。

クレヨン
softbank060106199201.bbtec.net

 金木犀さん、誤解があったようなので訂正します。

 セリフが心に痛いっていうのはイタイやつとかっていう話ではないです。

 セリフが直接的な罵倒だったので、自分が言われたときの気持ちがよみがえって嫌だったんですよ。それだけです。

金木犀
sp49-96-230-246.msd.spmode.ne.jp

クレヨンさん、ありがとうございます。

いえ、そこはちゃんと伝わっていました。
が、返信しようとしたときに痛みを覚えさせてしまってすいません、とか、意外に刺さったみたいですねとか書こうとしたんですよ。

書いたあとなんか違うなぁと思いまして。

クレヨンさんの気持ちとかを勝手に虚飾したくないなぁと感じ、自分が書いたときの懸念だけ作者レスすることにしたんです。

結果的によくなかったみたいですが、ちゃんと伝わっていたということはお伝えしたいと思い取り急ぎ返信させていただきました。
では!

夜の雨
ai249153.d.west.v6connect.net

「価値を叫ぶハラワタ」読みました。

読み始めたときは、意味が分からなかったのですが、
 >喉を潤す水を求めるように、ひりつく熱さが神経を伝い、ハラワタを苦しめた。<
ここで、ますます理解不能というか「ハラワタ」って、臓器だろうと、作者は大丈夫なのかと思いながら、読み進めました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 母を罵る父親の振り上げて止まった拳。
 母を蔑む他人の目。
 それがハラワタにとっての原風景だ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ここで、「ハラワタ」が内臓ではなくて人間の名前だという事がわかりました。
何しろ、母をノノシル父がいるのですから。
やっと、まともな作品というか、人間ドラマとして御作を読み進めることができるようになりました。

>気づけば、底辺である。家も家族も金も職もない。年も重ねすぎた。
>無能な自分。誰にも必要とされない自分だけが残った。
● そしてココです。
「誰にも必要とされない自分だけが残った。」なるほどと、ココで冒頭から書かれている

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 価値が欲しい。
 そう、価値が!
 価値が、価値が、価値が、価値が! 
 価値が!
 欲しい!
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
という叫びが何であるのかがわかりました。
要するにこの主人公の「ハラワタ」という人物は、人様の役に立つ「価値」が、欲しいというわけです。

なるほどなぁ、と思いました。
となってくると御作は文学の部類に入るわけです。
価値ある作品で「社会性」もあります。

このあと雑踏の中からとか郵便ポストの中からとか、あらゆるところから誹謗中傷、嘲笑が聞こえてきます。

ここは、世間から隔離されていることを意味していると思います。
世間とつながっていない主人公のハラワタという事になります。

それで衝動から「叫び声をあげ」て「ショーウインドウのガラスを蹴りつけた」。
という事になれば、精神病院での隔離という事になります。
ここで、本当の世間からのというか自由な社会生活からの隔離になりました。
まあ「自由な社会生活」といっても、本人に自覚がなければ自由が自由ではないと思うかもしれませんが。
現実に身のまわりを見れば「おかしな世の中なので」それは「自由過ぎて」『自己中が蔓延しているからでしょうね』。
歩道を歩いていても背後から自転車で真横をかなりなスピードで追い抜いていくし、スマホを見ながらとかもいるしで、自由万歳、他人の不幸などは関係がない。
自分さえよければよい。
自由社会だ。
てな具合だから、それの大きなのが戦争になる。
世界各地で戦争が起きている、これらなどは自己中の大きな奴です。

と、能書きを言いましたが。
御作では、病院で隔離されていた主人公の「ハラワタ」が、拘束を解かれる日がやってきた。
そこで他人とは接触する気にはなれなかったがテレビの近くにあった『異世界転移』『異世界転生』というジャンルの本を手に取る。
面白いので夢中になり読むうちに自分で執筆するようになる。
病院を出た後も書いていてそれが世間様に知れ渡るようになり、ハラワタも世間とつながるようになる。
やっと自分の「価値」がというか「人様の役に立つ人間ハラワタになった」。
価値のある人間になったが、それでも何かおかしいことに気が付く。
それはあの母が、愚か者の母のことを思い出したからだ。

ここで再び『価値がほしい!』という叫びが聞こえてくるが、それが誰の声なのかがわからない。
自分には、すでに価値はある。
しかし、母のことを思ってしまう。
あの母が、愚か者の母が幸せになれる世界はどこにあるのか。

ということで、宗教に幸せを求めた母は自殺したし、本当のところの幸せはどこにあるのかということで、宗教にはないだろうなぁということですがな。
まあ、宗教って逃げているよな、本当の世界から。

作者さん、たいしたものだ。

以上。

ヨハネの黙示録
引用された箇所は、神の御座から大きな声が聞こえ、神の幕屋が人々と共にあり、神が人々と共に住み、人々が神の民となり、神が人々と共に在り、人々の目の涙を拭い去り、死も悲しみも苦痛もなくなることを示しています。


お疲れさまでした。

浮離
KD111239168030.au-net.ne.jp

>価値が欲しい


それも強調して連呼として書いてしまうのは、あたしとの決定的な違いだなあって感じさせられます。
どっちがいいとかそういうことではなくて、むしろそれについて許容は示しても指摘はないみたいなところ、そういうところがこのサイトのつまらなさだとか物足りなさとあたしは感じてしまう、っていうこと言ってます。


>ーーそれが間違いだと気づいたときにはもう遅かった。

これを書いてしまうのも、個人的には”小説”的ではない感触を受けるもので、書かない上で書くために別の書き方を考える必要に伏せられるものを例えば”テーマ”と呼ぶ気がするし、あたしはそういうことを試しどころのようなつもりで”小説”するのを当たり前としている気がするんですね。

m.sさんと”わかりやすい”みたいなことについて、あまり重きを置かずに創作に当たれる意図の妥当性みたいなことをことあるごとに共有させてもらっているつもりでいるんですけど、つまりそういう”小説”っていう感覚や認識だとか、スタンスだとかってことですよね。
やっぱりどっちがいいとかそういうことではなくて、あたしはそう感じてしまうっていうことです。


同じ意図としてもはっきりと言ってしまえるとするなら、それに続く

>正と誤

という箇所のはずで、作品っていう意図のなかで受け持つパーツとしての役割とかは別の話として、単純に二軸的な表記って案外迂闊な筆致のように個人的には感じさせられなくもないところがあって、例えるならチョークポイント、お話としての柔軟性っていうかむしろ恵まれるべき模倣性だとかまだまだこれからどうにでも出来そうなゆとりをみすみすスポイルしている印象を受けなくもないだとか。



そういうことを、いちいちいちゃもんと捉えたがる人がかなり多いと思うんですけど勘違いしないで欲しいんですよね、単純に、ただの読者としてのフラットな要求として物足りないっていうレビューでしかないですし、そうとは捉えられないならそもそも”書く”としたらしいその意図なり動機から怪しいもんだ、なんて思わされなくもない気がしてしまうってことですよね。

そんなつもりはない、といった抗弁の肩を持ちたがるならむしろどうせ似た程度のものが言うことだと個人的には思ってしまいそうですし、そうではないレベルの人ならそもそもこういった筆致には至らない気がするし、選ばない方が当たり前と理解するはずだと思うけどなあ、っていう一手先から立ち戻って疑問を投げているということも、理解して欲しいところなんです。


ストーリーについてはそれこそあたしなんか言える立場ではないし見てる人たちが相変わらず不愉快噴き出すと思うので手控えます。



あたしに触発されるなんて馬鹿ですよ。
もっと引き締めて掛からないと無駄な怪我負うばっかですあたしは極端なので。

金木犀
sp49-96-229-132.msd.spmode.ne.jp

 夜の雨さんあったかい感想ありがとうございます。
 感想を読みながら「あったかいんだから」というフレーズが頭に浮かびました。あの芸人はいまどこにいるのでしょうね。耳に残るわりに、芸人自体は残らなかった残念な例になっていないか心配です。

 郵便ポストとかは幻聴が聞こえてくるときのよくある例を持ち出した感じですね。
 今作は母を罵る父も、母を蔑む世間も、一概に悪い者として書いたつもりはなくて、むしろ母を思うからこそ、子供の将来を心配するからこそ……つまり関心があるからこそ向けられたものでもあるという認識で書きました。
 だけど、そうした「常識」からくる「価値」が「ハラワタを否定する」というのは現実問題としてあり、そうした否定から逃れるようにハラワタは世の中に迎合する訳ですが、迎合した途端、それが自分に取って異質の価値観だと悟る……というような感覚でラストを書きました。
 社会的な価値なんてなくてもいい、ホームレスになっても、人間みんな同じ価値だというふうにハラワタは思っていたはずなのに、いざ放り出されたらそうした価値にすがるしかない自分のみっともなさとか、色んな言葉にできない違和感を覚えて、頭がパンクする……というような感じでしたね。

 おっしゃるように、宗教に依存しすぎたとき、依存できている間は良いのですが、一旦疑問を抱き間違っていると判断したとき傷がつきやすいものです。アイデンティティクライシスが起きるのでね。
 言うても、かつてはみんな宗教を当たり前のように信じていた訳で、科学の発展により価値観がたかだが200年程度で変移してしまったことが根本の原因だと思います。
 宗教二世問題などは時代の価値観との軋轢によって起こっているもので、時代の必然というふうに僕は認識しております。


 と……それでは感想ありがとうございました。

金木犀
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 浮離さん感想ありがとうございます!

 浮離さんに関しては勝手に僕が巻き込んでしまったような感覚でいてとても気が気ではありませんでした。
 なので、今も変わらず執筆ができているようで、本当に勝手ながら、及ばずながら、ほっとしたような気持ちでいます。


 さて、ご指摘いただいた『価値と連呼すること』『間違い』『正と誤』という表現について安直であるとおっしゃっておられるものと認識しました。

 鋭いなあ、と思いました。

 以前友人に「視覚」とか平気で書いちゃうのは小説的にはアウトだと言われた事があります。
 それを書かず「描写」するのが小説なのだと。
 照らして考えればここでいう「価値」とはなんなのか。「間違い」とは。「なにをもって正しいとするか、誤りとする」か。は少々それぞれの単語の依存しすぎてしまっている気がします。
 おっしゃるように安直な表現のような気もします。
 ぱっと浮かんだ語句をフレーズみたいに使用しましたが、小説を読み慣れているひとほどこの安直な表現にひっかかりを覚える……もしくは文章の醸す雰囲気、リズムにつたなさを感じるものなのかもしれませんね。

 ご指摘本当にそのとおりだと思いました。
 ありがとうございます。
 今度はこういう単語に頼らず、表現豊かに「価値を求めて苦しむ」描写を考えようと思います。


 この小説を浮離さんに読んでいただいて、作者冥利につきます。浮離さんに読んでほしくて、一日を費やしたので。

 これからも浮離さんが末永く執筆なさいますようお祈り申し上げます。ありがとうございました。

飼い猫ちゃりりん
123-1-26-77.area1b.commufa.jp

金木犀様
感想返しです。
文章は読みやすかった。
ただ、読んだ後、頭の中に何も残っていないんです。
人間の記憶は映像とともにある。だから、風景や情景の描写が無いと、何も記憶に残らない。
どんなに鋭い言葉を連ねてもです。
小説には舞台設定が必要。舞台設定がリアルでしっかりしていると、それが鋭い言葉を受け止めるボードになるのです。
そのボードがないと、いくら鋭い言葉を発射しても無意味。空中に向かってマシンガンを発射しているのと同じです。
ただし、舞台設定が詳細でリアルであればあるほど、小説家は苦しくなります。当たり前ですね。その舞台設定に文章が拘束されるからです。つまり、小説家は自由を奪われる。好きに書けないわけです。
下手に書けば、すぐに矛盾が生じて、読者から笑われるから。

金木犀
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 どうもどうも!
 飼い猫さんの作品は毎回botのように作家でご飯の様子を連絡してくる友人に「投稿されたら教えてくれ」と頼むくらいにはいつも読んでますよ!
 てか、推敲ばっかで新作がでないのはあれですか、あれのせいですか、やはりそうですか。

 おれだって書きたいと思ってるよ!!!!(なんのことかわからんかったらスルーしてください

 さて、舞台設定がないという指摘。

 なんでそういう痛い指摘するんですかね。いや、まじでないんだよなあこれが。
 現代社会だからまあわかるよね?っていう割り切りがあったのはいなめないけど、確かに最後の独白とか、台詞だけだもんなあ。
 これが芥川とかなら逃げていく老婆の姿とか恋人ではなくネギを選んじゃう美少女の画が浮かぶんでしょうね。

 やはりあれか。
 ここは、お母さんの外見描写とか、自殺のときの描写を書けば良いのかな。
 首が長くなっちゃうあれみたいな外見を書けばいいわけですね。

 そういう具体的な描写がたしかに致命的に欠けてましたね。

 情景描写、という点においては、浮離さんと共通した部分を感じました。


 はあ、小説ってむずかしいですね。

 勉強になりました。ありがとうございます!

 ちなみに飼い猫さんならこの作品の舞台設定はどのように用意しますか?
 もしよろしければご回答くだされば幸いです。

浮離
KD111239169211.au-net.ne.jp

馬鹿猫嫌いなので、勝手に絡めるのやめてもらっていいですか。
あたしのせっかくの気遣い溢れる感想がまったく伝わっていないかただの無駄みたいで無念すぎます。

レベル問題以前のカーストなりヒエラルキーっていう当然の除外を理解してください。
シンプルに心外です。

金木犀
sp1-73-147-6.smd01.spmode.ne.jp

浮離さん再訪ありがとうございます。

わかりました。今後浮離さんと飼い猫さんを絡めないようにします。

飼い猫ちゃりりん
sp49-97-104-179.msc.spmode.ne.jp

金木犀様
ごめんなさい。攻撃するつもりは微塵もないのです。
ただ、飼い猫は自分の考え方に沿ってものを言っているだけです。参考の参考程度に聞き流してもらえば結構です。
舞台設定の件は、あまり言わない方がいいかもですね。でしょさんの血圧も心配だし。

金木犀
sp49-98-38-223.msd.spmode.ne.jp

 再訪ありがとうございます。
 >>自分の考え方に沿ってものを言っているだけ。
 ここは意見を交換する場所なのですから、元より承知の上で、お尋ねしたんですよ。
 なんだか飼い猫さんが丸くなっちゃったの寂しいですね
 あー。あと、僕は飼い猫さんとっても好きですけど、僕と同じくらい一言多いと思いますよ。なにとは言わないけど。
 気をつけあそばせ。

 感想久しぶりにもらえて嬉しかったです。
 ありがとうございました。

 

m.s
104.28.83.166

なるほど。という読後感でした。

幻視や幻聴のシーンは統合失調症にみられる類型的なものという印象。私もこういうの大好きです。ただ、統合失調症の幻覚体験をモチーフにするとどうしても手垢がついた表現になってしまうと思います。柴山という精神科医の本がオススメです。(統合失調症におけるものとは趣をことにする、解離性障害における幻覚体験がいっぱい収録されている。また書籍としてふつうに面白い)
あと私じしんが宗教二世の出身でして(親族がその絡みで懲役、服役している)、このあたりもうちょっと掘り下げてほしかったな、という個人的な思い。
というか、やはりそのうちじぶんで書かなきゃいけないよな、と思いを新たにいたしました。

それでは。

中小路昌宏
softbank060105035016.bbtec.net

 私の«リセット»に、コメントをお寄せいただいたのでお返し、と言う訳ではありませんがひとこと、感じたことを申し上げます。

 最初読もうとしたとき、価値が、とか、ハラワタガ、とか意味の分からない言葉が出てきたので、読むのをやめてしまいました。
 やはりこれは世代間の違いなのでしょうか?私が考えている小説の形式とはまったく違っているので、どう捉えたらいいのかよく分からない、というのが正直な第一印象です。
 しかし、他の方のコメントを見ていると、わりと肯定的なコメントも多いので、これは私の理解不足なのかなあと、反省しているところです。
 とりとめのない感想で申し訳ありません。ごめんなさい。

金木犀
116-91-69-85.east.xps.vectant.ne.jp

 m.sさん斬り捨てありがとうございます。

 無事処刑完了されたような心地です。
 血反吐を吐きながら読ませていただきました。

 でもおっかしいんだよな。
 これを書いた時点で読者のスタンディングオベーション間違いなしだと思っていたんですよ。あれよあれよと作家でごはんに読者が押し寄せてきて「おい、あいつのせいでサーバーダウンしちまったじゃないか、ふざけんな」と運営に怒られることも覚悟してました。
 このままハリウッド映画化されたらどうしようかしらん。とも思っていたのに、だーれもきやしない。みんなちょっと見る目ないんじゃないかしらん。このままじゃ地球の未来も危ないな。大丈夫かしらん。と心配すらしていた僕ですが、m.sさんの感想を読んで「ふ、どうやら地球の未来は大丈夫そうだ」と安心することができましたありがとうございます。

 おすすめの柴山さんとは『解離性障害「うしろに誰かいる」の精神病理』でよいでしょうか。
 ちがったらあれですが、おすすめされたので「機会があったら読んできますね」と書こうと思ってたらそれもどうかなあともやついたのでなら読んじゃうかとKindle版でちゃちゃっと読んできました。
 統合失調症の症状と解離性障害の違いを詳しく論じていたのが印象的でしたね。統合失調症は主体性への侵害だが、解離はあくまでも主体性の中に入って取り入れるようなイメージというのはとてもわかりやすい説明だと思いました。あと、宮沢賢治が実は解離性障害に近い感性だというところを詳しく論じていたところは、なかなか面白かったですね。

 そうかー、m.sさんも宗教二世なんですね。
 僕は今回の宗教二世問題でなぜかもろ統一教会の内側にはいっちゃって、訴訟やら何やら内部事情に詳しくなっちゃいました。あと現役とか離教関係なく自宗教の抱える問題に向き合うためのコミュニティを作ろうとあれこれやってるところです。

 僕のは掘り下げ不足、浅さがある、手垢があるなど、好き放題言ってくれたんですから、ここはちゃんと宗教二世本の着手をぜひお願いしたいところですね。あ、指摘は全部そのとおりだと思いました。

 指摘箇所のところで何度も「ちょ待てよ」とおれのなかのキムタクがうめいて泣いてましたよ。容赦なくて恐ろしかったです。

 あー、面白いの書きたいな。
 僕、多分面白いの書きたいだけなんですよ。
 面白いって掛け値なしで思われたいなあ。

 そんでは、いつかm.sさんに本気で面白いと思われる作品を書けたらまた来てくださいな。
 感想ありがとうございました。
 

金木犀
116-91-69-85.east.xps.vectant.ne.jp

 海……中小路昌宏さん感想ありがとうございます。

 率直な感想をありがとうございます。
 大丈夫です正常な意見だと思います。好意的な意見? いや僕にはどう見てもみんな「浅いね」「そんなんじゃ面白いと思えないよ」「なに悦に浸ってるんですかきっも○んでください」と言われているようにしか見えないのですが、そうですか中小路さんにはそう見えましたか。はっはっはっはもしや勘違いでしたかね。よしまた見返すかな。おれの勘違いだったか。どれどれ……(そっとじ)。

 夜の雨さんといい中小路さんといい皮肉がうまいですね笑。

 全然僕は下手なんで、面白く書けるように、どんどん遠慮ない感想を書いていただければと思います。

 そんでは。

 ありがとでした。

m.s
104.28.83.215

金木犀さま

再訪となります。

傷つけたならすみません。私は感想が苦手です。なのであまり書きません。
小説をコミュニケーションツールとして扱うのがどうにもしっくり来ないからです。
良いところも改善点もなるだけ均等に提示しよう、とか。褒めてもらったからこちらも喜ばせるような感想を書こう、とかいう営為は不毛なのでやらなくなりました。
かといってそうした社交辞令なしでは本当に傷ついてしまうひともいるだろうな、とか考えだして、結果、感想をつけるということ自体をほとんど止めてしまいました。
ただ、感想をつけるときにはじぶんの本当に感じたこと、考えたことを伝えるようにしています。

そうそう、その柴山です。
主観しか持たない私たちがなぜ三人称の小説を書けるのか、読めるのか、ということについて私に納得を与えてくれましたし。(三人称てきなモニタリング機能は存在するが普段は意識されない。自我が壊れかけると前衛化する)
解離における『想像上のお友だち』『健忘』『(いわゆる)多重人格』がどのような関係性にあるのかも興味深かったです。
自我が壊れかかったときにそういった無意識の機制が前面化して意識に幻覚としてあらわれる、というのは、たしか初期の佐藤友哉がやっていたり、さいきんの村上春樹がやっているのも結局はそういうことなのではないかと。

宗教二世ものは、いぜんに百枚強のものを書いて文藝の二次で落ちたものがあり、明らかに力不足で書ききれていなかったので、長編として書き直したいとずっと思っております。
思っているだけでは始まらないので今のを書き終えたらもう一度手を触れてみようと思います。

それでは

金木犀
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 m.sさん再訪ありがとうござました。

 まずごめんなさい。
 実のところそんなに傷ついてはいません。軽い冗談のつもりでした。

 僕はm.sさんと違い、全て交換小説の延長で書いているような感覚ですね。小説そのものがコミュニケーションのツールとして見ていると思います。
 僕に取って原点になっているのは、中学校の頃の交換小説です。
 その頃に真剣にぶつかりあって、笑い合って、話し合った思い出が今につながっているような気がします。
 「あそこつまらんかった」と平気で言い合ってましたけど、実のところそういうやり取りも含めて自分たちが考えた物語を一緒に考えて話し合うのが楽しかったのです。
 互いの書きたいものをそうやって意思疎通して繋いでいく感覚がたまらなく心地よかった気がするのです。
 あまりにも大事な思い出すぎて、僕に取っては、執筆意欲につながるものは、彼らと遊んだ思い出だけで十分な気がしていまして、実のところそれ以外の賞賛や批判はうれしくはあるけど、自分の核にはなりえないなあという感覚ですね。

 僕はエホバの証人二世なのですが、だからこそ世の中には「ぶつかるべき事柄がある」と思ってます。まあ、大抵はぶつからないほうがいいでしょうけど、大事な事にぶつからないと猛毒になって腐っていくものがあると思います。

 エホバの証人の場合「排斥」という手段で、真っ当な批判でさえ回避してしまいます。そうした手段は「内輪の論理」を守ることには効果を挙げますが、往々にして論理の前提が間違っているとき目も当てられない事態を引き起こします。
 多分僕はそうしたものと、どう向き合うのかという手段をずっと探しているような気がします。どうしたら、大事な事と向き合えるのか。そして向き合える強さを持つ人を僕は美しいと感じます。
 無視し合うことで変わるものがあるのなら良いのですがね。
 実際はなにも変わらないで、ずるずるいくだけ。そうやってどこまでも続いていく。
 仲間の苦言を排除して切り離せば、もう関係のない人間になりますからね。
 関係のない人間の苦言は聞き流せばいい。
 
 とはいっても、この排除という方法は世の中でも一般的に行われていることでもあるわけです。人間関係の行き着く先ともいえるかと思います。いつのまにかできた人間関係に既得権益ができて岩盤になって政治を停滞させていく……変えようとするものは排除しようとする。いつの時代も変わらないものです。
 「裸の王様」と指摘した子供は、処刑されたっておかしくないわけで、非常に危険な行為でもありあmす。
 真実というのはかくも脆く弱いものなのかと思うときもあります。
 でも。
 だからこそ、真実は様々なものを切り裂く光にもなる。
 僕はその眩しさを見据えていきたいと思います。

 おすすめありがとうございました。
 精神疾患では目に見える検査データによって診断がつくことはなく、まだまだ科学的な裏付けを取るまではいっていないことをちゃんと書いてあるのも、しっかりしていると思いました。
 自覚ができる症状もあれば、発見しにくい症状もあって、人間の精神は本当に未知数だと思いますね。

 宗教二世本書かれていたんですね。
 あれ、もしや作家でごはんに投稿されていたんですかね。そりゃ見逃しちゃったかもしれません。またよければ読ませてください。

 元エホバの証人二世からすると「全知全能の神の是認を受けているという感覚の消失」というのはいかんともしがたいものがあります。
 神の元にすべての人間は平等だと思っていたのに、その神がいなければ本当にこの世界は不平等で満ちあふれているだけに見えてしまいます(それが当たり前の感覚なわけですが)。
 結局生まれてきた環境ですべてが決まっているように感じます。
 とはいっても当事者は環境のせいにしている暇もなく、常に人生をただ真っ当するだけなのでしょうけれど。
 とはいっても統一教会の方々と話すと「信仰」は普通に持っている人がおおくて、まったく宗教自体を信じなくなるエホバの証人二世とは異なる感覚があるんですよね。
 宗教二世といっても、やはり、それぞれの宗派で違うわけですが、それをどのように掘り下げれば良いのか。なかなか難しいですよね。
 m.sさんがどう描くのか、楽しみにしております。

 それでは。ばいちゃでどろん!

浮離
KD111239169007.au-net.ne.jp

いつまでも気の毒に暮らしていることは、もはやただのとんまらしく扱われる時代はとっくに訪れていること、さっさと気づいて欲しいものだってあたしは常に満遍なく世間に照らして感じさせられるものなんですよ。
そんな視点から、気の毒な金木犀氏に抜本的な救いの手を差し伸べてくれようかと、そんな日曜の朝としてタイマーかけ忘れたごはん炊けるの待ってるとかまあそんな手間で申し訳ないんですけど。


>精神疾患では目に見える検査データによって診断がつくことはなく、まだまだ科学的な裏付けを取るまではいっていない

そういった着目が、所詮”人間的”なだけの倫理や良心を離れないだけの”進歩的”発想だってこと、ただの感性の一部でちゃんと理解していくことってとっくに要求されてるんですよ。
誰がそんなこと要求するのかって、宗教二世被害者諸君なんかには特にわかりやすくお伝えするなら、そんな”象徴たるエネルギー”的な何かってことですよね。

面倒臭いので率直なところお伝えしてしまうと、”診断しちゃいけない”ってことだと思うんですね。
さらにフィットネスを求めるなら、”そんな必要はない”ってことだと思うんです。
例えばなんですけど、”診断”が必要になるらしく見えるものたちに対して、近頃の世の中ってそんな手加減の揺り戻しらしく”サヴァン”だとかそんなトレードオフ的特別視点を儲けてその存在という解釈について意義なり意味なりのものを紐づけようとかするじゃないですか。

馬鹿げてると思うんですよね。
世界中の隅々まで、辺鄙なケアホームの類まで片っ端から尋ねてそこにいるすべての”診断”が必要なものらしく扱われる人たち一人一人に”何か”たるすり替える倫理なり意義なり意味らしいことを紐づけて与えて理解者ヅラして歩いて回れんのかって話。
あたしは冷たいですし薄情ものなので、嫌いなんですよ、そういうの。
健常ではない人たちを見かければ必ずアタマのすみのどこかでは”怖いな”って思ってしまうんだし。


あたしはことあるごとにこの世はすべて”逆さま”ですよ、って話をしてると思うんですけど、まあそんなこといちいち覚えてないですよね別にいいんですけど。
そんなあたしから言わせて貰えば、”診断”が必要に見える類の人たちって、そうでなければならない理由があるんですよたぶん。
もちろんそんなこと本人たちにだってわからないだろうし、苦しんでると思うんですけど、残酷なこと言ってしまうとやっぱ”仕方ない”んですよたぶん。
それが地球で、現世で、その人の今世っていうことでしかないんだと思うんですし、例えばこの前ソースが何だかって言ってたと思うんですけど、わかりますか? それを求めるくだらなさかそれに基づきたがるらしい愚かさ貧しさ、みたいなことのつもりで言ってるんですけど。

自惚れてるんですよ、人類は。
それってあたしからの最大限の慰めだと思うんですけど、”宗教”なんて、人類の”罪”でしかないから。
そんなもん思いつきたがる、教義として求めたがる馬鹿げた人類っていう愚かな欲求をもっと当たり前に客観的に俯瞰して、嫌うんじゃなくて都合自分ばっかとしてくらい解説して観察できるくらいの知性や感性を当たり前に身につけられない、思いつけない人間って、来年くらいに死ぬから。


馬鹿みたいな話だと思うでしょ?
近頃流行ってる”予言”的な話だとか、あたしはそういうの全然聞く耳もてるし大好きなんですけど、でもなんか根っこ掛け違ってるっていうか生える場所間違った感みたいな違和感こそちゃんとわきまえながら観察するわけなんですけど、伝わりますかね、つまんないんですよ要するに”人間的”な発想に踏みとどまった前提を割愛してそれがそもそもつかみどころのない話としながら想定したがるようなズレて見栄に溢れた感じ、澄まして恍けるような自惚れた感じ。

せっかく”宗教”に触れたのなら、”信仰”を揺さぶられたのなら、あくまでも人間として叶う”想定”として清々しく着地できる”境地”みたいなものって、ほんの日常の瞬間だとかちょっとした気持ちの隙間みたいなとこにすら当たり前に顔を出すものだとあたしは思っているし、そういうものばっかを”信仰”として見据える方角なり測位なり原点でもなんでもいいんですけど、つまりはそういう感覚こそをたかが”品性”の如く澄みやかにわきまえたいものだ、みたいなことはかなりのとっくに”人間”として現在のあたしっていう生息地だとか生得程度には学び得ているつもり、っていう当たり前の客観で照らす態度程度のことはやっぱ常に心掛けたいと思っている気がするんですよね。


何言ってんのかわかんなくなってきた上にご飯炊けましたところで猫も腹が減ったとうるさいので失礼します。

お邪魔しました。

金木犀
sp49-98-220-117.msd.spmode.ne.jp

 浮離さん再訪ありがとうございます。

 全て診断が必要か、というと確かに押し付けたりするのは違いますよね。
 生きにくいのはなんでだろ、と悩んでいる人にとって「診断」は諸刃の剣で自殺のきっかけにもなりますし。
 精神も結局は物理だと思うのでやがては科学的な診断がある程度可能になる気はしています。
 それはそれで残酷なことにもなるとは思いますが、それこそ時代の必然といえるのかも。 

 頭のどっかで怖いなと思うとおっしゃられていましたが、僕もそうです。
 精神科で働いているといろんな人がいます。
 中には自分の身体をかくむしって傷だらけになるのでミトンを常に着用している人もいます。さらにベッドに頭を打ちつけるので常にヘッドギアをしていますし、やたらめったらよだれや吐瀉物を吐き出すので、ベッドの上にくくりつけられて自由に立つ事もできない人がいます。
 社会というのは「自由に過ごすためにある程度必要な自立ができないと周りに制限される」ものなのだとまざまざ見せつけられます。
 よく『人でなし』という言葉がありますが、結局こういう言葉って、ある程度できる環境に置かれた人だから言える言葉なんだろうと思います。人でないと言い切れるって怖い事だし、実は無知なだけで、無知だからこそ幸せな事を言えるものでもあるのかもしれません。

 あとは『宗教にのめり込みすぎず、適度に接すれば良いのではないか』ということですよね。
 おっしゃるとおりだと思います。
 ただエホバの証人の場合、終末思想に加え、原理主義でもあるので、そもそもが「のめりこまないと死ぬよ」と教えられるわけです。のめりこむことを強制される環境に育ち、やっぱり真理ではないと確信したとき「適度にはなれる」というのは実際問題難しいと感じますね。
 たぶん現役の中にはそういう人はたくさんいると思いますが。
 排斥されたり、いろんな傷を負うと、宗教的雰囲気じたいに拒否反応が起きてしまうものでもあるんですよ。

 なのでこれからまだまだ生まれてくるエホバの証人二世にはこんな苦しみを与えないように、うまく立ち回りたいと思います。
 とはいっても、今のほとんどが二世なので、そうした苦い経験をしていた二世が平衡を取って世の中と接するように子育てしているのが一般的ではあると思います。中には宗教教育を優先してしまう家庭もありますが、少しずつ子供に意思を優先する家庭は増えてきているという実感はあります。そうした家庭が増えていけば、おのずと終末思想の無毒化は起きていくのではないかと思っています。

 お寄りいただいてありがとうございました。

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