呪いのAVとの奮闘記
朝早くから吉広の電話で叩き起こされた俺は苦虫を嚙み潰してその辺に吐いた後みたいな顔で家を出た。せっかくの休日を潰すつもりはないので、吉広の相手を適当にすませた後は小椋賞に勝利するために競馬場に行くつもりだ。見上げた12月の曇り空は何となく陰鬱だ。雲の流れが速い。吹いてくる風に何か嫌な匂いを嗅ぎとった俺は、顔をしかめながら吉広の住んでいるワンルームマンションについた。「エクセレントステージ矢島」とか、名前負けしてんだよ、と独り言ちながら三階の一番奥の部屋のインターホンを押すと、すぐに青ざめた顔の吉広が出た。目が少し血走っている。
「おはよぉ。なんだその顔は。一体何が起こったってんだ」
「う、うん、おはよう。とにかく上がって」
こいつは清潔好きなので部屋がきれいな事だけは好感が持てるな、と思いながら真ん中にあるコタツに足を入れる。八帖の部屋にはオカルトグッズは見当たらない。前回の肝試しで相当懲りたようだ。目の前に一台のノートパソコンが置いてある。横に座った吉広は心なしか震えているようだ。
「ま、まずこれを見てよ」
吉広はある動画サイトを開く。少し経って、動画が始まる。なんだこりゃ、アダルト動画かよ。一人の女性が正常位であはんいやん言っている。可愛い女の子だな、と思い、で、これがどうしたんだ、と吉広に聞くと、安心したような、腑抜けたような、誠に形容しがたい間抜け面をしている。
「見たね」
「ああ、見たが?」
「これで幸人ももう不能になった。そして、一か月後に死ぬ」
はぁ? 何を言ってんだこいつは。頭がおかしくなったのか。動画では行為が終わり、女の子がベッドでしんなりしている。
「ここから! ここからが大事なんだ! よく見て!!」
急に我に返ったように吉広が真顔になる。一体何だってんだ、と画面を見ると、画面が暗転し、茶色や緑色の渦巻きのようなものが現れ、その後鮮やかな着物姿の人形が登場し、舞い踊り始める。少しずつ小さくなったかと思うと、急に消えて、うねうねと緑や紺色や紫の渦が蠢き、その上に白い文字ですらすらとこのような文字が並んだ。
らぺぼ ぺそうぺ ちますや すこうよ
そして、暗転。というか動画終了。俺は何とも言い知れぬ不気味さを感じた。これは一体何だ……と言葉にする前に吉広が横からマウスを操作して、新しいブラウザを開き、あらかじめブクマしていたとある記事を見せる。
都内で変死者が続出……警視庁の捜査も難航
という見出しだけ読んで、俺は口を開いた。
「待て。全く頭が追い付かない。順序立てて説明しろ。後タバコ吸うぞ」
「どうぞ。これは、呪いのAVなんだ。見た人全員が不能、インポになって、そして一ヶ月後に変死をとげる。心臓麻痺が一番多いみたいなんだけど……」
「呪いのAV」
俺はオウム返しに口に出した。
「とりあえず、これはなんてタイトルのAVなんだ。あと、主演してる女性は誰なんだ」
「えーっと、それはここに書いてある」
吉広が別のサイトを開く。それはアダルト系のネット掲示板で、このような書き込みがある。
202X年10月21日 投稿者 イグニッション暴徒
>このAVは2003年に発売された「快感に魅せられ堕ちたOL」で間違いない。主演は乙羽美由紀。でもこれ以上の情報は調べても見つからない。俺もこの動画見た後一切勃起しなくなった。オメガワロスさんも栗原マサルさんの書き込みもなくなった。ということは俺も後3週間後ぐらいに死ぬのかな。嫌だ! 死にたくねぇ!! 誰かあの暗号を解いてくれよ早く!!!!
「これは……」
「ね、本当っぽいだろ。他にもこの呪いのAVを見て死んだと思われる人が何十人もいるんだ。さっきのニュース記事を見てもわかる」
「……お前この動画なんで見つけたんだ」
「たまたまだよ……夜中にEro_av_jpという有名なエロ動画投稿サイト見てたら見つけたんだ。さっき見せたサイトがそう」
「にわかには信じがたいな……」
「すぐ分かるよ。幸人も勃たなくなってるから」
男性の変死者続出、死因は心臓麻痺が多いが原因不明の突然死もある、遺書が残っている人物も複数おり、警察が捜査を進めている、などと記述されている記事をくまなく読んだ後、勃起するかどうか確かめたくなった俺は、吉広にコンビニにでも行ってこい、と言うと、素直に出ていくので、取りあえず無修正画像を検索して、見てみた。うわぉ。全く興奮しない。え? マジで? と焦った俺は、エロ動画が見れるサイトに飛んで、かたっぱしから見てみた。なんなら自分で手でしごいた。まるで駄目。というか見たいという気持ちにすらならない。嘘だろ……と思っていると吉広が手に缶コーヒーを持って帰ってきた。横からコタツに潜り込む。
「どう? 駄目でしょ」
「駄目だ。これどうすればいいんだ? というかお前は今どんだけ情報持ってんだ?」
「幸人に教えたのが全てだよ、今んところ。昨日の夜これ見た後勃起しなくなって、慌てて徹夜で必死に検索しまくったけどこれ以上はわからないんだ。だから幸人を頼りにしようと思って連絡したんだ」
「というかてめえ……俺を巻き添えにしやがって。別に俺に動画見せなくてもよかっただろうが」
と、首元をつかんですごんでやると、あわわ、ごめんごめん、でも、同じ境遇にならないと本気で取り組んでくれないと思ったから、などと泣きそうになりながら言う。俺は手を離した。仕方ない、もうこれ以上こいつを詰めても何もならない。というか、やはりあの肝試しの後にこのあほんだらを始末しておくべきだった、と俺は後悔したがこれも後の祭り。それでどうすればいいんだ……俺は途方に暮れて頭をかきむしった。カーテンの隙間から入ってくる光がやたら眩しい。
「暗号を解くんだよ。俺たちが生き残るにはそれしかない」
「あ、暗号か」
短時間に余りにも多くの情報が頭に入ってきて理解が追い付かない。吉広がノートパソコンを斜めにして、二人に見えるようにし、またさっきの動画を再生する。
「これはあれか、一瞬でも見たらアウトなのか、一部分だけならセーフとかじゃないのか」
「だめ、一場面、一秒でも見たらアウトらしい。ここだ。これだよ。
らぺぼ ぺそうぺ ちますや すこうよ
「あれだ、入れ替えたりしたら文にならないか?」
俺は部屋を見渡した。何か書くもの出せ、というと、すぐに棚からノートとボールペンを二本持ってきた。しばらく二人であれこれ文字を入れ替えたりしてみた。だけれども何の成果もない。
「駄目だ」
俺は取りあえずひっくり返った。腹が減ってきた。跳ね起きた俺はノートを一枚引きちぎった。
「暗号のド素人二人がここでうだうだやっててもしょーがない。俺は本屋に行って暗号解読系の本を買ってくる。お前はネットで暗号解読の方法を調べまくっておけ」
「わかった、やっとくよ、よろしく」
吉広の家を後にした俺は、普通に道を歩いている人たちを見ると、さっきまでの出来事全てが嘘くさく思えてきて仕方が無くなった。また壮大なドッキリでも仕掛けられてるんじゃないか、とも思った。帰り道で牛丼をかっ食らった後、家で早速AVを見てみた。駄目だ、全く機能しない。うぅぅ……本当にインポになってる。やはり先ほどまでの出来事は真実なんだ。俺は再び家を飛び出し、近場のショッピングモールにある書店に入る。どこにあるかな……おっ、あった。
そこには「現代暗号入門」「暗号が分かる本 基礎編」などの本が並んでいる。ともかく、なるべく簡単そうなものから、と三冊ほど持ってレジに並ぶ。そう言えば子どもの頃、江戸川乱歩の探偵小説とか読んだよなぁ、不気味だったんだよ、「夜光人間」とか「幽鬼の塔」とかなぁ。などと思いだしながら家路につく。吉広にLINEを打ったが、進展はないとのこと。俺は布団に潜り込んでひたすらに買ってきた暗号の本を読む。ぐぬぬ難しい。そのうち眠くなって俺は意識を失った。
翌日は日曜日、再び俺は吉広の家を訪れた。その前にスーパーに寄って弁当だのお茶だのを買い込んできた。文字通り命がかかっているので必死である。最悪明日以降は会社も休むつもりだ。
「どうだよ」
「うん……暗号関係のサイトいっぱい見たんだけど……よくわからないんだよ」
「俺は換字(かえじ)式暗号なんじゃないかと思う」
「俺もそれは思った。だけど、どう動かせばいいのか分からない。試しに一文字前にやる、とか後ろにする、とかやってみたんだけど……」
「俺もしてみた。だけど意味のある文にはならんな」
「何文字動かすのかが分かればなぁ……ヒントが無いとどうしようもないかも」
ヒントか……待てよ。
「おい、お前はあの動画最初から最後まで見たのか?」
「ううん、全部は見てない。飛ばし飛ばしでは見たけど」
「何かヒントがあるかもしれない。目下あの動画しか調べるものはない。目を皿にして見るぞ」
「うん、わかった」
ということで俺たちはもう一度「快感に魅せられ堕ちたOL」を、今度は最初から早送りせずに見ている。人生の中でエロ動画をこんなにも真剣に見たことはない。しかし、内容は平凡などこにでもあるようなものでしかない。どこかのスタジオに面接にやってきた若い女性がそのまま監督か誰か知らんおっさんと絡んでセクロスして、なぜかその後ラブホに行ってまたセクロスをして終わりという流れ。今もアンアハンとあえいでおられる。
「これ主演女優の名前なんだっけ」
「うーんと、乙羽美由紀さん」
愛嬌のある可愛らしい顔立ちの子だ。なんだってAVなんかに出ちゃったんだろう。これ、俺らに呪いをかけてるのはこの子ってことだよな……。
「というか、この子まだ生きてるのか?」
「生きてるでしょ。だってまだ若い……そうか、自殺とかしたのかもね。でもね、この子の情報ってほとんどないんだよ。出演作品も3本しかないの」
「このビデオの発売いつか分かる?」
「2003年だったかな。古いよ。あっ、本編が終わった」
画面が唐突に変わり、最初は真っ暗で、どこからか緑や茶色のうねりが産まれ、ぐるぐると回りだす。そして、等身大の赤い鮮やかな着物を着た人形が現れ、踊りだす。顔の表情が全く変わらないので人形だと分かるが、動きはそれなりに滑らかだ。
「止めろ」
吉広がクリックし動画を止める。俺は持参した「暗号が分かる本 基礎編」をカバンから取り出す。
「これを見ろ、踊る人形というのが暗号の一つにあるんだ」
「うわ、本当だ。てことはあの暗号は踊る人形方式ってこと? でも、あれ……」
「そうだな、これ、英語の解読方式だな」
「でも、この文の中に「ぺ」が三回出てきてるよ」
「一応頭に入れておこう。続きを見るぞ」
人形はまだ踊っている。そして、少し小さくなる。さらに、連続して二回小さくなって消えた。待てよ……と俺は思った。これは、小さくなっているんじゃなくて……。
「もう一回見るぞ」
マウスで動画のバーをクリックして少しだけ戻す。また人形が踊りだす。そして……。
「分かった。これは小さくなってるんじゃない、後ろに下がっているんだ。足の位置も変わっている」
「そうか、ただ小さくなってるなら足は同じ場所にあるよね」
「何回下がってるこれ」
「うーん、三回」
「三回だ。つまり、後ろに三回戻って読むんだ。ひらがなの表記があるサイトを探せ」
「あ、それならノートに書き写してあるよ」
吉広が広げたページにはいわゆる50音順のひらがなが書き写されている。あいうえおから始まり、ぱぴぷぺぽで終わっている。俺は急いで例の文字列の三文字後ろを拾い、書き並べていった。
「これだ、意味がとれるぞ」
「幸人すげぇ!」
れいぷ いつかい とめたら たすかる
二人とも文字列の意味が分かった後、息を飲んだ。
「レイプを一回止めたら助かるのか……」
「そんな……レイプがいつどこで起こるかなんてわからないよ」
「思うに、この暗号を解けた人は他にもいるんじゃないだろうか。暗号自体はそんなに難しくない。ド素人の俺らでもすぐ解いた。だけど、誰も助かってないのは……」
「一か月の間にレイプ、強姦を見つけられず、止めることが出来なかった……」
「だろうな……」
二人とも顔を見合わせてしまった。エスパーでもない限り、いつどこで強姦が起こるかなんて知りようがない。しかも俺たちの場合、二人とも助かるためには一人一回、つまり一か月の間に二件止めないといけない。
「幸人の友達にレイプマンとかいないの」
「いるわけないだろうお前俺をどんな奴だと思ってんだ」
と、言ってから、ふと思いついた。
「なぁ、俺らがお互いに誰か女性をレイプするふりをしてそれをお互いが助けるってのはどうだろう」
「……相手は動画見ただけの相手を不能にした挙句呪い殺せるほどの霊能力持ってるんだよ。そんなのが通じるわけないよ」
俺はそうだな、と言いながら、ふと乙羽美由紀という名前を思い出していた。
吹きすさぶ木枯らしがますます体に応えてくる。いよいよ冬が本格的に始まったんだな、と体を動かしながら俺は思う。今何時だ。腕時計を見るともうすぐ0時だ。隣では吉広も同じように唇を紫にしながら誰も通らない暗い路地を見つめている。
「誰も来ないね」
吉広が確かめるように言うと、振り返ってぼろいカローラを見つめる。ああ、とだけ俺は返事をした。本当は車の中から見張りたいのだが、いきなり車で走ってきて歩く女性を拉致ったりする場合を考えると、初動が遅くなって間に合わなくなる事を恐れて、車から降りて見張ることにしたのだ。そのおかげで寒くて仕方ない。夜が更けるにつれてますます冷え込んできた。二人であれこれ思案して、人気の少ない裏道で張ってれば万が一強姦が起こるかもしれない、とかれこれ三時間は路上の電柱の影に二人で案山子の如く立っているのだが、そもそも人が通らない。余りいつまでもいると近所の人に不審に思われて警察に通報されるかもしれない、と思った俺は、もうここまでだ、と帰宅を提案した。吉広も力なく頷き、二人は車に乗り込んだ。
「これは駄目っぽいな」
「治安のいい日本でそうそうレイプなんてないのかもしれないね。それはいい事なんだけど……」
「まだ日にちはある。どうにか考えないと」
二人とも黙り込む。明日からは仕事がある。ともかく、会社には行くか。車窓から見える夜空には星一つ見えない。まるで今の俺たちのようだな、と自嘲すると、ぶわぁくしょん、と盛大にくしゃみが出た。
三日後の夜、俺が初めて呪いのAVを見た日からは五日後、吉広が電話をかけてきた。
「それほど関係ないかもしれないけど、乙羽美由紀の素性を調べることに成功した人がいるみたい。ピンクエロ集合掲示板の『例の呪いのAVを見てしまった人集合』の最新の書き込みを見て」
「わかった」
「後ね、俺たち暗号解読したでしょ。せめてみんなにも知らせてあげようと思って書き込んだんだよ。れいぷ いつかい とめたら たすかる って。でも何回送信しても撥ねられるんだよ。Errorってなる」
「乙羽さんが邪魔してるんだろうか。すんごいな。よし、早速見てみる」
吉広が少し鼻声なのが気になったが、ともかく電話を切って俺はデスクトップPCに向かい、該当の書き込みを見てみた。読めば読むほど、悲しくてやりきれなくなった。
202X年12月10日 投稿者 左ハイキックのゲン
乙羽美由紀について、知人のジャーナリスト崩れに頼んで調査してもらった。分かったことは全て今から書く。本名は香川さつき。昭和51年5月生まれ、平成12年没。享年24歳。死因は自殺。出身地は三重県。地元の高校を中退後上京し、ホステスなどの夜職に従事したのち、アダルトビデオ女優になり、三本出演するも、制作会社の社長に騙され多額の借金を背負わされ、返済のためにソープランドで勤務している時に自殺。占いやオカルト的なものに興味があり、霊感は強く、霊が見えるなどと同僚に話していた。家族は父親は暴力団員、母親はホステス、さつきが四歳の頃に母が離婚し、その母親も15歳の時にうつ病で自殺してしまう。頼る者もなく16歳で東京に引っ越し、苦労に苦労を重ねた上に最後は首を吊って自殺。
世の中全てを恨んでもおかしくない。特に、男、性欲を。以上。
俺は三回読んだ後、涙が止まらなくて仕方なかった。この事実を提示しているだけの文章から、乙羽美由紀、いや、香川さつきさんの悲哀と受難と絶望が実感を持って心身に沁みこんできた。俺はパソコンデスクの椅子から離れ、万年床に突っ伏して声をあげて泣き続けた。その時は気づかなかったが、黒い影がそっと俺を見下ろしていたのだった……。
ここはどこだろう。暗いような、明るいような。なんだか見覚えがあるような……。眼前にはガラス越しに摩天楼が美しく広がっている。もしや、と思って見渡すと、ここは……なんだっけ、この前肝試しに行った廃ホテルのレストランじゃないか。なぜ俺はここに、といぶかしんでいると、よく来たね、まあ私が呼んだんだけど、と声がする。振り向くと、そこには妙齢の黒いスーツに身を包んだ、整った顔立ちの女性が立っている。誰だろう、と思った次の瞬間、彼女の瞳が真っ赤に燃え上がったので秒で理解した。あああの時の燃(もえ)子さんですかぁぁぁ。すぐに瞳が元に戻る。燃子というのはあの後俺たちで勝手につけたあだ名なわけだが、声に出さなくてよかった。
「どどどうも、いやこりゃ、その」
と俺がしどろもどろでいうと、普通にしゃべってきたので驚いた。
「あんたたち、大変な事になってるみたいだね。私は全部知ってるよ」
「えっ?! なんで知ってるんですか」
「私は暇だから時々あんたらの生活を見に行ってるのよ。幽霊は暇なのよね。あんた競馬弱すぎだしチンコは小さいし」
うぐはぁ。なんということだ。いわゆる憑りつかれていたのか。という事は俺がこの前コンビニのおつりが100円多かったのに返さなかった事とかも知ってるのか、と俺がドギマギしていると、
「でもね、あんたの心根が善人だということがさっき分かったのよ。あんた、あの女の子の人生を知ってわんわん泣いてたね。あんたはいい人よ。だから、助けてあげる」
「えっ、助けてくれるんですか。どうやって」
燃子さんはなにごとかを教えてくれた。そして、夢から覚めたらすぐ何かに書くのよ、あんた物忘れ激しいんだから。この前会社にカバンを忘れて行ったでしょ、アホ、とだけ言って、ウインクしてきた。途端に目が覚めた。ゆ、夢だったのか……。しかし、見事に地続きというか、今この瞬間まで全てつながっている。俺は慌てて机の上のメモ帳に燃子さんに教わったことを書く。朝の光のもと、窓の外ではスズメたちが楽し気にさえずっていた。
「完全に一致してるね」
翌日の夜、俺は吉広と近所の居酒屋へ行き、座敷席で一杯飲みながら話している。昨晩の夢の事をLINEで報告したら、吉広も同じような夢を見て、ある事を教えてもらったという。その内容を今照らし合わせてみたところだ。
「ちなみに俺はネットでエロ動画見すぎって怒られた。あと、髪型と服のセンスがダサいってさ」
と、吉広はマッシュルームっぽいが実は適当に裾刈りしてるだけの前髪をなでる。
「確かにお前の服はダサい。どこで買ってんだ、ダイエーか。まあそれはいい。22日と24日はお前会社休めよ」
「もちろん。あらゆる武器を準備するよ。包丁拳銃手りゅう弾」
「馬鹿かお前は。包丁はともかく他のは手に入るかよ。こっちはレイプを食い止めさえすればいいんだ。催涙スプレーとかスタンガンだ、用意するものは」
「あのさぁ、思うんだけど、二人がかりで止めていいのかな。原則で考えたら、一人で止めたほうが確実だと思う」
「じゃあお前22日にしろ。こっちは犯人は一人だ。俺は頑張って二人がかりのほうをやる」
「いいの?! ありがとう。俺はケンカとか全く自信ないから。幸人は柔道の有段者だもんね」
「おう。少し時間があるから、鍛えなおしておくわ」
二人とも顔がほころんでいる。何とか希望が、助かる道が見つかった、と俺はかなりの安心を覚えて、一息にジョッキに入ったビールを飲みほした。
いよいよ今日か……。俺は部屋の座卓に肘をついてスマホのカレンダーを改めて見た。呪いのAVを見たのが12月3日。タイムリミットは1月3日。吉広は一日早い2日か。そして今日は22日。平日なのだが、俺も吉広も有給を取って休んだ。俺はたいして売れない医薬品の営業マンで、何日かいなくても特に問題はない。吉広は、これがまた驚くことに地方公務員。まぁ、勉強はそれなりに出来るのだが、根本的なところで何かが抜けている。今回だって……いや、もう言うまい。今日の主役はあいつだ。俺は吸っていたタバコをぐいぐいと消した。
予定時刻の30分前に無事俺たちは目指すマンション前にぼろカローラで到着した。吉広はというと、緊張のあまり赤信号を無視して危うく事故るところだった。馬鹿野郎、変われと路肩に止めさせて、俺が運転してここまで来た。今見てもガチガチなのが分かる。
「お前落ち着けよ。大丈夫だ、シミュレーション通りにすればいい。俺も待機してるんだからよ。とにかく女の子を逃がせばいい」
「わ、分かってるよ。でもせめて犯人の男がどんな奴か分かってればなあ」
「普通の体格でセンター分けのメガネ野郎。これで十分だろ」
「ああ……でも俺本当に自信がないよ」
「俺と公園で格闘の練習しただろ、思いだせ」
「投げられたり押さえつけられてばっかだった」
俺は吉広のみぞおちを裏拳で打った。
「気合入れろ! それと、ゴチャゴチャ言ってる時間は終わったぞ。見ろ、あの子だ、被害に遭う子は」
「あっ! 確かにその後ろから、来る! メガネの男が!」
燃子が教えてくれた通りだ。大学生の女の子の帰宅をつけてストーカー男が家に押し入り強姦する。持っている凶器は長いナイフだ。
「いけ」
「いく」
吉広が静かに静かに車のドアを開け、メガネ男と一定の距離を取りながら歩いていく。俺はもうこの時点でかましてもいいよな、と思ったが、吉広はきっと犯行が具体的に行われるその時に止めに入るつもりなのだろう。更に遅れて俺も続く。あくまでも吉広一人で助けさせねばならない。時間は……夜の11時35分。あと一分後だ……。俺は音を立てないように慎重に階段を上がる。二階についた。あっ、やりやがった。女子学生が自宅の扉の鍵を開けて入ろうとした瞬間、メガネ男がナイフを取り出して……て、あれ? 吉広はどこ行った? いかん、男が部屋に入っていく。うぉぉ待たんかい、と俺は全力疾走し、
「おいやめんかぁアホンダラ!!」
と絶叫して足を閉まりそうなドアに挟んだ。くそっ、催涙スプレーとかは全部吉広が持ってんだ。ドアを力いっぱい全開きにし、体を低く構え、男の足めがけてタックルをかける。勢いで女の子と男と俺の三人が倒れる。ナイフを奪わねば。しかし男も抵抗してくる。左肩に軽く痛みが走った。しかし、同時に俺は両手で男の刃物を持つ右手を取ることが出来た。このまま折ってやる。俺は全ての力を込めて男の手を左側にねじった。ナイフが床に落ちたのが見えたので、俺は手を放し、打撃に切り替えた。十発ぐらい顔面を殴った時点で男は意識を失ったようだ。俺は荒い息のまま立ち上がった。女の子が半泣きになって座り込んでいる。
「もう大丈夫です。今から警察を呼びます」
と、ここまで言って、少し困ったことになるな、と思った。警察が来ればこのレイプクソメガネを逮捕してくれるだろうが、俺も当然事情聴取を受けるだろう。その時、このマンションで何をしていたのですか、と聞かれるはずだ。まさか事情を全部話すわけにいかない。そこで俺はあと五発ぐらいクソメガネの頭を蹴り上げてナイフを没収したうえで、女の子自身で警察に通報してもらうことにした。
「出来ますね。私はこの後超重大な用事があってとても警察には行っている暇がないのです」
「わ、分かりました。あ、ありがとうございました」
借りたバスタオルでクソメガネの両手を後ろ手に縛りあげた。女の子がスマホで警察に電話をかけている。後は車の中で警察が来るのを待って去ればいいだろう。何度もお礼を言う女の子に、いやいやと会釈して家から出ると、間抜け面が一人立っている。俺はためらわずボディーブローを入れた。
「どこ行ってたぁ!」
「ぐふぅっ、ごごごめん。どうしても怖くて下の階のフロアにいたの」
このクソボケ……次の24日は襲う男は二人なんだぞ。今日のメガネはひ弱かったからちょうどよかったのに……。車の運転席に乗り込むと、吉広はほとんど泣いていた。無理もないのか、俺は柔道という格闘技の経験があるし、ガキの頃はケンカもそれなりにしてた。
「おいもう落ち込むな。まだチャンスはあるんだからよ。24日だ。あ、もうパトカー来たな。帰るぞ」
「うん……左肩は大丈夫?」
「切れてるけどこれぐらい平気だ」
二台のパトカーとすれ違いながら、24日まずいかもな、と俺は内心舌打ちせずにいられなかった。自分はおそらくもう助かったのだが、先ほどの襲われかけた女の子の怯えた顔、そして、助かったと分かった時の安堵の顔を思い浮かべると、一人吉広を助けるだけって話じゃないという事が分かった。吉広のマンションの駐車場に車を止めて、肩をバンと叩いて別れた。明日一日、作戦の練り直しか。振り仰いだ寒さの染みる12月の夜空に、一つだけ星が輝いていた。
翌日、23日も朝から吉広の家に行った。顔を見てみると、案外開き直ったというか、すっきりした顔をしている。
「どう? 勃起するようになってた?」
「おかげさまでな……。俺は助かったみたいだ」
「よかった、本当に」
と顔をほころばせる。根っからいい奴ではあるんだよな。さて、こいつを救わねばならない。
「昨日夢に朝香さんが出てきてさ」
「朝香さんって誰だよ」
「ああ、燃子さんのことだよ。この呼び方気に入らないらしくて、朝香と呼べとの事。あと、昨日の体たらくを見てたらしくてさ。この腰抜け、ヘタレ、お前のあだ名は生ごみに決まった、とかボロカスに言われた」
俺は大笑いした。朝香さんね、なるほど。朝香さん美人だよな、というと、吉広も同調する。媚びへつらいではなく本当に美人なのだ、もう40歳ぐらいだろうけど。
「それで明日だけどな……」
吉広が息を飲む。静かな部屋にエアコンの音だけが小さくブーンと鳴っている。俺たちは何度もシミュレーションし、実際にまた街へ出て、こうでああで、と何度も実演した。晴れ渡る空には雲一つなかった。近くの商店街からはクリスマスソングが聞こえてくる。
「明日は素晴らしいクリスマスプレゼントを手に入れようぜ」
「うん、がんばる」
人事を尽くして天命を待つ、だな。俺はポケットからタバコを取り出した。
24日、風吹きすさぶクリスマスイブは、現在夜の九時前。俺たちの家から少し離れた、寂しい国道沿い左に入った脇道にぼろカローラを止めて俺は運転席で待機している。国道脇に立っている電柱の影に吉広が潜んでいる。暗いし歩道を歩く女性には気づかれまい。それに、気づかれてもいい。何をしようと、結果として女性が後ろから走ってくる黒のアルフォードに乗せられるのを阻止すればいいだけだからだ。吉広は催涙スプレー対策として、度の入ってない大きなメガネをかけ、マスクを二重にして、両手に催涙スプレーを持ち、腰には警棒型のスタンガンをぶら下げている。ネットで見つけた超強力な代物で、少しでも触れれば激痛にのたうち回る強力な武器だ。物は試しで吉広にちょっとだけ当ててみたら、いてぇい!! と悶絶していた。何度も練習した、いけるはずだ。ふと視線を感じて横を見ると、助手席にいつの間にか燃子じゃなくて朝香さんが普通に座っているではないか。ブラウンのセーターにグレーのズボンと、いつもと違いシックな感じである。
「あ、こ、こんばんは朝香さん」
「生ゴミ、いい感じよ。今見てきたけど、いい意味で目が据わってた。やれると思うよ」
「あ、あの女の子だ、来た」
長髪の若い女の子が、何やら手にプレゼントらしきものを持ってリズムよく歩いてくるのが見える。ここから前方約20メートル。吉広は一旦やり過ごす。そして……。
「来るよ。黒のアルフォード」
後部ガラスから後ろを見ていた朝香がささやく。俺はハンドルを握った。事が終わればすぐに吉広と女の子を乗せて走り去る。頼む、上手く行ってくれっ! 気づけば手の平に汗がにじんでいる。女の子のすぐ横にアルフォードが止まり、一人の男が後ろのドアから降りてくる。いかん、結構な大男だ。女の子がたじろぐ。次の瞬間、女の子と大男の間に吉広が割って入り、両手の催涙スプレーを一気に吹きかける。見事に顔にかかったらしく、男が両手で顔を押さえる。まだだ。運転席の男が降りてくるぞ。吉広は女の子に何か言っているようだ。が、女の子は立ちすくんでその場から動かない。運転席から一人の背の高い男が降りてくる。そして、もう一人……後部座席から……。
「もう一人?!」
「うわー見間違えた!! 三人だったかゴメン!! やっちゃったーー」
朝香さんやってくれたか。しかしながら、ここまでほぼ正確な情報を霊能力か何か分からないが特殊な力で教えてくれたのだから、何を言うこともできない。吉広は何か大きな声を上げて、勇敢に戦い続けている。もう一人にも上手く催涙スプレーをかけることに成功したが、運転席の男に強烈な右フックを食らってしまった。吹っ飛ぶ吉広。俺は、まずい! と声を上げた。しかし、同時に女の子が意を決したか、こちらに全力で走ってくるではないか。いいぞこっちへ来い!! 気づくと助手席には朝香さんがいない。俺は助手席のドアを開けて、泣きそうな顔で必死に走ってくる女の子に
「大丈夫! 乗って!」
と叫んだ。女の子は一瞬戸惑いながらも、すぐ飛び込んで来た。ドアを閉めさせる。
「心配しないで。俺たちはキミを助けるよ」
女の子はまだ状況を完全に把握できず混乱しているようだ。当たり前だ、いきなり拉致られそうになったのだから。俺は吉広に意識を戻した。一体どうなっている……? 俺の目に飛び込んで来たのは三人の男を宙に持ち上げてぐるんぐるん回している腕組みした朝香さんの姿だった。そうだよな、あの人俺らが肝試しに行った時俺ら六人全員レストランから叩き出して表に放り出してたもんな。そのまま三人は近くを走る用水路にゴミのように投げ込まれた。そして……朝香さんは吉広を大事そうに抱きかかえて悠々と戻ってきた。俺は車を降りて後部座席のドアを開け、協力して吉広を押し込む。
「だいぶやられたね。病院に連れて行ったほうがいいね」
横に座った朝香さんが聞いたこともないような優しい声で言う。メガネとマスクを外した吉広は唇から血を流し、頬も左目も腫れて完全に失神してしまっている。
「吉広も泣いてたんだよ、さつきさんの人生を、最期を知った時」
女の子が不思議そうな顔で俺を見てくる。そうか、この子には朝香さんは見えないし声も聞こえないのか。俺は深く頷いて、女の子に家はどの辺りですか、送ります、と声をかけて車を発進させた。安全運転でゆっくりと走りながら、先ほどからの一連の流れを思い出す。この子が逃げるまでは吉広一人で頑張ったよな。つまり、レイプから守った。だから、大丈夫だよ、な。バックミラーを見ると朝香さんがいなくなっている。女の子を無事家の前で下ろし、そこでスマホで一番近い救急病院を調べる。……これで終わった、か。俺は窓を開けてタバコに火をつけた。不思議と寒くない。メリークリスマス。俺は無数の星が煌めく夜空に一人言ってみたのだった。
エピローグ
年が明けた1月4日。快晴の日の昼間に、俺と吉広は再びグレートサンセット蓬生の最上階のスカイレストランアメジストに来た。
「朝香さ~ん」
と呼んでみるが返事はない。どっかに遊びに行ってるんだろうか。
「お礼を持って来たんですよ~」
と吉広も声を張るが依然返事はない。まぁ、しょうがないか、と俺は紙袋を出来るだけきれいなテーブルに置く。中身は高級ブランドのカバンと財布だ。
「ちょっとだけ待ってみるか」
俺は座れそうなレベルの椅子に腰を下ろし、タバコを吸い始める。吉広も向かい側にまともな椅子を持ってきて落ち着く。
「でもさぁ……思ったんだけど、俺らは助かったけど、助からなかった人たちが多分何十人、何百人といるんだよね」
「そしてこれからも増えるいっぽうだろう。あの動画はまだあのサイトに残ってるんだし、僥倖にも一か月以内にレイプを防げる人なんて1%もいないだろうからな」
「供養とか出来ないのかな」
「お墓には入ってるんだろうけど、自殺だし身寄りもないしで、どこかのお寺の無縁仏とかになってるんじゃないか、さつきさん」
「無駄よ、諦めなさい」
突然話に参加してくる朝香さんに二人とも飛び上がった。
「いきなり登場しないでくださいよ」
朝香は昼間だからか、半透明な姿で、俺たちの持ってきた紙袋を見る。今日はグレイのパンツスーツ姿のようだ。
「へぇぇ、最新のLoui Vittonかぁ。結構センスあるじゃん。いいね、気に入ったわ」
というと紙袋が消えた。そして、こう続ける。
「あの女の子の強烈な呪怨はあんたたちの想像を遥かに超えてるよ。あんたら二人が墓参りしたぐらいでどうにかなるレベルじゃないから。もうこれ以上この問題には関わらないほうがいい」
そう言った後、目を細めてひびの入ったガラス窓の向こうを見つめながらこう言った。
「人間ってのはしぶといよ。天然痘、ペスト、結核、エイズ、そして新型コロナ。山ほど死にながらも、人類を脅かすレベルの病気を全て克服してきた」
そして二人を代わるがわる見て、にっこり微笑んだ。
「だから大丈夫。それより、これからも何もなくても女の子がレイプとか酷い目に遭ってたら助けるのよ」
俺たちは声を合わせて、はい、と答えていた。
50人近くは集まっているだろうか。内閣府から厚生労動省、果ては防鋭省傘下の地衛隊の特殊工作部隊の一員までが首相官邸の地下の秘密の会議室にひしめき合っている。一番前には大きなスクリーンと演説用っぽい台が一つ。そこへ一人のいかにも賢そうな、眼鏡をかけた40代ぐらいの男性が立ち、何やら説明している。
「……従って、『乙羽』はインターネット上からは完全に削除されたと言えると思います。ただし、繰り返しますが、個人がダウンロードして保存しているものまでは現在は確認しようがありません。何故なら、アップロードされていたサイト“Ero_av_jp”へのアクセスログが各プロバイダーに保存される期間が3か月となっており、初めて『乙羽』がアップロードされたのが202X年8月であるため、10月、9月、8月のものはもはや確認出来ません。また、“Ero_av_jp”の管理者はフィリピン人のドロチ・エスナルという男性ですが、連絡を取ったところ、アクセスログは一切保存していないとのことでした。今後わたくし共に取り得る対策としては、国内外の主要なAV動画の投稿サイトを常にチェックし、『乙羽』が見つかれば再生することなく即削除を要請することです。『乙羽』は本編自体ではなく、動画のサムネイルを見ただけでは呪いがかからないことが分かっています。私からの報告は以上となります」
「高橋君」
最前列のど真ん中で聞いていた石田内閣総里大臣が神経質そうな声で尋ねる。
「本当に国内外の全てのエロ動画投稿サイトをくまなく調べたのだね、大丈夫なんだね、もうないんだね」
「はい、総理。1000人体制でこの三か月徹底的に調べつくしました。念のため、外夢省に頼んで、世界中全ての国の普通の動画サイト、それこそ有名なyoutyubuのようなものから、その国限定の小さなサイトまで徹底的に洗いました。自信はございます。また、『乙羽』に言及している国内のネット掲示板及びSNSも随時削除させています。このまま有耶無耶にしてしまえると思います」
「そもそも、一体どうしてエロビデオを見ただけで人がこんなにも死んだのだ。ワシは幽霊など信じやせん、何か他の理由があるんじゃないのか、コロナとか」
衆義院議長の大田のだみ声を聞いて、内閣府特命調査班の班長の高橋はため息を一つついた。しょうがない、改めて説明するか、どうせこれが最初で最後だ。彼は部下の吉本に目配せして、例のCD-ROMをPCに挿入させる。どうせこの手の質問は来ると思って事前にプレゼン資料を用意しておいたのだ。乙羽美由紀こと香山さつきの生い立ちから、暗号解読法と呪いの解き方まで。納得するかどうかは知らん。大写しのスクリーンにプロジェクターを通して映し出されるため、高橋は演説台を持って左後ろに下がった。会議室の照明も少し落とさせる。高橋は手元の資料を入れ替えていた。すると……うわっ間違えた、と叫ぶ吉本の声と同時に、スクリーンには、あはんいやんとあえぐ乙羽美由紀の姿が。
「ま、まさかこれは……」
高橋は生唾を飲んだ後、確信した。この顔は乙羽美由紀だ。不遇と悲惨の果てに自殺した可哀そうな女。会議室にいたメンツはほぼ全員が『乙羽』を一瞬でも見た者が、不能になり、一か月後に確実に死ぬことを知っていた。そして、助かる方法も。5秒ほど沈黙の間があった。が、すぐにそれは破られた。
「うぉぉおやってくれたなこのヴォケ!!」
吉本の後ろにいた総無省事務次官の木本がバーコード状の髪の毛を振り乱し絶叫しながらぐいぐい吉本の首を絞める。会議室の中は集まった偉いえらーい人達の悲鳴と怒号であふれた。
「何やってんだおまえぇぇぇ!!!」
石田はこんなにパワフルだったのか、と皆が驚くほどの勢いで内閣総里大臣は吉本に走り寄り飛び蹴りを食らわせた。慌てて止める人、加勢する人、肘が当たったぞこの野郎と叫ぶ人、もう駄目だ俺チンコ立たなくなったと嘆く人、俺はもう死ぬ神よ哀れみたまえと泣く人、突如般若心経を唱え始める人などで広くもない会議室は阿鼻叫喚のごった煮になって全く収集がつかない。この光景を呆然と眺めていた高橋はやがてこう言った。
「別にこいつら全員死んでもいいや。というか俺も見たんだっけ。でも俺は未来を観ることが出来る最強の占い師知ってるから大丈夫、と。早速行くか」
と、トントンと資料をまとめ小脇に挟み、怒号と咆哮と泣き声で地獄絵図と化している会議室を後にした。高橋が首相官邸を出ると、見上げた空は灰色の雲に染まり、太陽は隠れて全く見えない。吹き荒れる風は禍々しく、高橋は黙示録的な悪が出現する予感に怯えながら、まずは自分を救わねば、とタクシーに手をあげた。(終)
執筆の狙い
前作「恐怖のたるみなき頂点」の続編になります。
今作は「リング」のオマージュです。コミカルホラー作品のつもりですので、
面白かったか、怖かったか、あとは文章はどうだったか、など、
忌憚のない感想をいただけると嬉しいです。皆様よろしくお願いします。
また、本作はカクヨムにも投稿しています。カクヨムユーザー様は
あちらのほうが読みやすいかもしれません。