作家でごはん!鍛練場
飼い猫ちゃりりん

殉職した猫

 今年の夏、大正生まれの祖父が亡くなった。百二歳の生涯だった。
 鈴虫の鳴く夜。祖父は縁側に敷いた布団で横になっていた。
「たけ坊」
「じいちゃん。どうしたの」
 祖父が語ったのは、明治の巡査だった高祖父の遺した逸話だった。


 明治三十三年の大晦日。新世紀を迎えるに当たり、書いておきたいことがある。
 その悲劇を目撃したことは運命であり、それを書き残すことは、私に与えられた使命だと思う。

 今から二十年前の冬の日のことである。とある農家の納屋で、やせた少女が叔母の看病をしていた。そこが彼女たちに与えられた居室だった。
 叔母は肺炎を患い、三十半ばにして死期が迫っていた。
 納屋の土間には霜が降り、火鉢は慰み程度の暖かさだ。
 少女は井草のござに横たわる叔母の体をさするが、寒風が吹き込み、火鉢の火が頼りなく揺れる。
 火が消えると、少女はかじかんだ手で火打石を懸命に打つ。
「静香。マッチがあるから」
「マッチ?」
 叔母は懐から小さな紙箱を出す。
「細い棒を出して、その先を、箱の横で擦るんだよ」
 棒の先が燃え上がると、少女はそれを火鉢に投げた。
「それ、あげるよ」
「こんなものを、どこで手に入れたの?」
「旅人から貰ったのよ。施したお礼にね」
「ほどこした?」
 叔母は少女の手を握った。
「静香。いい人を見つけて、一緒に暮らすんだよ」
 翌朝、叔母は静香に看取られて亡くなった。つらく悲しいだけの一生だった。

 その十六年後。二十二歳の青年が、静香が住む村に赴任する。
 裕史は警察官に相応しい青年だった。彼の両親は、息子に武芸と礼節を教え、早くに世を去った。不幸な生い立ちを背負う裕史は、警察官になって身を立てることにした。見事官職を賜った彼は、静香の住む村を管轄する駐在所に着任した。

 裕史は管轄を小まめに巡回するうちに、早朝から畑仕事をする女に目をとめる。村人の話から察するに未婚のようだ。
 静香は二十七歳。裕史より五つも年上なのに、彼は心を奪われる。
 山村が朝霧に包まれるころ、裕史は期待に胸を膨らませ、駐在所を出発する。
 静香はその朝も畑に出ていた。髪を後ろに結え、土を見つめる横顔に汗が光る。
「おはようございます」と声が響くと、静香は農道に立つ若者を見つめた。裕史は息を呑む。朝日に映えるその姿は、まるで天女のようだ。
「毎朝大変ですね」と言葉をつなぐ裕史。
「藁を運ぶのは大変でしょう。僕が手伝いますよ」
 静香は案山子のように突っ立ったまま、何も言わなかった。

 静香の態度を不審に思った裕史は、同期に彼女のことを聞いた。
「俺の管轄に、毎朝一人で畑仕事をする女がいるんだ。それが、かなりの別嬪なんだ。一体何者だと思う」
「お前、あの女に惚れたのか」
「馬鹿を言うな。自分の管轄のことを知りたいだけだ」
「そうか。ならいいが」
 彼はまだ裕史を疑っていた。
「一応言っとくが、あの女は『おばさ』だからな」
「おばさ?」
「なんだ。知らないのか。『おばさ』ってのは、あの村に伝わる奇妙な風習だ。末の娘が人生を一家に捧げるんだ」
「本当なのか」
「嘘を言ってどうする。『おばさ』は恋も結婚も禁じられ、黙々と働いて一生を終えるんだ」
 裕史は静香を不憫に思ったが、結婚は諦めざるを得なかった。

 ある朝、裕史は「みゃあ。みゃあ」という鳴き声で目を覚ます。
 駐在所の裏手に回ると、一匹の子猫が瓦礫の上で泣いていた。毛並みが朝露に濡れ、体が氷のように冷たい。
「おい、母親に捨てられたのか」
 裕史は胸に抱いて居間に戻ると、火鉢のそばに座布団を敷き、その真ん中に子猫を寝かせた。
 子猫は丸くなり、気持ち良さそうに目を閉じる。裕史は子猫をタマと名付け、駐在所で飼うことにした。
 やがてタマは巡回に付いてくるようになり、ついにその日を迎える。

 その日も静香は早朝から畑を耕していた。一仕事終えたところで、笹の包みを開け、握り飯を食べ始める。母が夫の目を盗んで作ったのだ。
 包みには手紙が添えられる。彼女はそれを読みながら、握り飯を噛み締める。
『静香。母さんを赦しておくれ。掟(おきて)には逆らえないんだよ』
 かさ、かさと藁を踏む音が近づいてきた。顔を上げると、一匹の虎猫と目が合った。

 その朝も裕史はタマと一緒に巡回に出た。タマは農道の途中で姿を消した。タマのことを気にしながら歩いていると、予期せぬ光景が目に入る。
 藁が敷かれた畑に女が座り、その前に小さな動物がいる。近づくにつれ様相が明らかになる。静香が満面の笑みを浮かべ、タマを撫でているのだ。
 裕史はその笑顔を見て確信する。
 ちゃんと心を持っているんだ。
 裕史は雨の日も巡回に出て、農道から声をかける。静香はそのたびに叔母の言葉を思い出した。
『いい人を見つけて、一緒に暮らすんだよ』
 最初は戸惑っていた静香だが、徐々に彼女から声をかけるようになる。
「今朝も巡回ですか。大変ですね」
「散歩みたいなもんです」
 タマが静香の前に行って寝転がると、彼女は抱き上げて頬ずりをする。
「タマ。いい子ね」

 ふたりはタマを連れて山菜を採りに行くようになる。裕史は彼女の手を握って岩場を登り、静香は手を握られると体が熱くなった。
 静香は採れた山菜を小分けして束ねると、家族に食べてもらうと言う。だが一束だけ胸に忍ばせ、それでお浸しを作ると、密かに駐在所に届けた。
 しかし、村人の目を誤魔化し続けることはできない。ある日、静香の父が村人を引き連れて駐在所に押し掛けた。
「裕史さん。わしの娘をめぐるこの騒動に、村のみんなが困惑しておる。駐在さんであっても、掟は守ってもらわにゃ困るんだ」
 裕史は半ば強引な説得を試みる。
「いつまでも奇妙な風習に縛られていてはだめです。政府は奴隷制度を禁止したんですよ」
「でも掟は守らないと」
「なら内務省に通報するしかありません。そしたら皆さんは、全員官憲に逮捕されますよ」
 村人は口ごもり、互いに視線を交わす。
「静香さんは本職が保護します。いいですね」
 村人は何も言い返せなかった。

 静香は裕史を愛し、その職務を支えた。昼は落とし物の処理や道案内。夜は蝋燭を灯し、独身警官の制服を手直しした。
 そのかいあってか、彼女は美しき良妻と評判になり、好意を抱く若者もいた。恭介もその一人だ。
 恭介は裕史の後輩で、静香より九つも年下だ。彼は静香を姉のように慕い、手直しされた制服に、彼女の温もりを探したりもした。
 恭介の父は自害し、母も後を追うように消えた。遠縁に預けられた恭介は、ろくに食事も与えられなかった。

 ある日、恭介は裕史から晩飯に誘われる。だが駐在所を訪れても裕史がいない。
「静香さん。先輩、どうしたんですか」
「本署に行くから、先に食べてくれって」
「先輩より先に食べられません」
「なら、山菜採りを手伝ってくれる」
 山菜を採り終えた二人は、夕暮れの農道を並んで歩いていた。静香が石につまずくと、恭介は咄嗟に彼女の体を支えた。若い汗の香りに、彼の心が揺らぐ。
「恭介さん。ご両親のこと、今もよく考えるの」
「そうですね」
「あたしで良かったら、何でも相談してね」
「静香さん。聞いていいですか」
「もちろん」
「静香さんは、自分の過去を、どう思っているんですか」
「おばさのことを聞きたいの」
「はい」
 恭介は真剣そのものだ。
「掟には逆らえない。でも、あの人が助けてくれた。あたし、あの人に感謝しているわ」

 ある日、恭介は駐在所の裏山に登り、苔むした岩陰で過去を振り返っていた。
 昔から自分には不幸しかない。やっと好きな人に巡り会えても、その人が先輩の妻だなんて。
 どこからか静香の声がした。
「恭介さん。こんな暗いところで、何してるの?」
 竹籠を背負った静香が、大きな岩の横に立っていた。
「静香さん」
 恭介の目から涙が溢れた。
「恭介さん。どうしたの?」
 静香はゼンマイの入った竹籠を下ろし、そっと彼を抱き寄せた。何の警戒心もない。弟同然だ。
 彼女の腕に抱かれたとき、恭介の中で何かが壊れた。彼は堰を切ったように、子供のころの苦労を話す。
「辛かったわね」
「終わったことです。もう辛くありません」
 彼は静香の瞳を見つめる。
「静香さん。自分は」
 告白した彼が足元に崩れ落ちると、静香もひざまずく。
 静香は彼を抱きしめ、黒髪を揺らす。恭介は慰めと分かっていても、離れられなかった。
 
 裕史たちは恭介を可愛がり、三人での晩酌は日常の風景だった。
「恭介さん。ゼンマイのお浸しを作ったのよ」
 恭介はそれを口に放り込むと、酒を煽って目を伏せる。
「明日は休みだろ。今日はここに泊まっていけ」と裕史。
「恭介さん、飲んで」
 徳利を持つ静香の手が震えていた。
「恭介。お前も、そろそろ結婚を考えないとな。好きな人はいるのか」
 彼は言葉が出なかった。

 確かに静香は美しい。しかし、『おばさ』という出自は、やはり汚点だった。いくら綺麗でも、伴侶にするのはいかがなものか、という署員が少なからずいた。
 静香は夫の足枷(あしかせ)とならぬよう公務に貢献し、その姿を署長は見ていた。
 静香は内縁の妻だ。だが奉仕する姿が認められ、特別に夫人手当が支給された。だから日々の暮らしに不自由はなかった。
 ただ、静香は子を宿さなかった。裕史は健康な若者であり、静香も三十路が近いとは思えぬほど若々しい。
 不妊に悩みはしたが、寂しさはなかった。ふたりにはタマがいたからだ。

 ふたりが一つ屋根で暮らし始めて一年。静香の父が婚姻を認めたのには訳がある。娘の幸せを願う母が、命懸けで夫を説き伏せたのだ。
 穏やかな春の日の午後。静香は駐在所の裏手にある縁側で、桜を見ながら制服の手直しをしていた。すると指に針を刺してしまい、水で冷やしても血は流れ続けた。
 そのころ、裕史は着物姿で老婆の世間話に付き合っていた。田舎の駐在所ではよくある光景だ。
 タマは老婆に撫でられながら、机に寝そべっていた。年寄りの癒しはタマの唯一の仕事だった。
 そこに恭介が駆け込んできた。
「先輩! すぐ本署に来てください」
「何があったんだ」
 恭介が息を切らしていると、静香が奥から出てきた。
「恭介さん。一体なにがあったのですか」
「時間がないので自分は先に行きます。先輩、とにかく急いでください」
 裕史は老婆を静香にまかせ、手直しされた制服に腕を通すと、金色のボタンをとめた。
「あなた。気をつけてね」
「心配するな。また猪でも出たんだろう」
 静香はタマと一緒に裕史を見送った。
 自転車をこぐ背中が彼方に消えると、彼女の指先からまた血が滴り落ちた。彼女は思わずタマを抱き寄せる。タマ、あの人の無事を祈って。

 裕史は本署の駐輪場に自転車を放り込むと武道場へ急ぐ。既に同期や後輩たちが整列しており、その前に署長が立っていた。
 裕史が慌てて列に加わると、署長が悲壮な面持ちで口を開いた。
「今回は死を覚悟せねばなるまい」
「何があったのですか」と裕史。
「隣村でコレラが発生したんだ。村人の移動を禁じたが、このままでは死を待つだけだ。消毒液を運び込み、その使い方を教えねばならない。ただし、感染の拡大を防ぐため、単身で村に入ることになる。これは命懸けの任務だ。だから、妻子ある君たちに命ずることはできない」
「では誰が行くのですか」
「私が行く」
 ざわつく若者たちに、署長が命を下す。
「君たちは村の東にある神社に待機してくれ。私が夕方になっても戻らなければ、警保局に指示を仰ぐんだ。間違っても救助に来てはいけない。感染が村の外へ広がれば、この地域は壊滅する」
 すると声が上がる。
「署長にだって奥さんがいるじゃないですか」
「そうだ。お孫さんだっている」
「よく考えてください。署長が不在で誰が指揮をするんですか」
「自分に行かせてください」
 署員は一斉に振り返る。声の主は恭介だった。
「自分はまだ独身だし、体力だって自信があります」
 裕史の胸中は想像に難くない。誠実と愛。その板挟みに彼は苦しむ。
 あいつは独身だから志願したんだ。本当は先輩たる者が行くべきなのに。でも俺には静香がいる。恭介、許してくれ。
 署長は恭介に言う。
「だめだ。君の人生はこれからだ」
「構いません。自分に行かせてください」
 裕史の苦悶は続く。
 後輩を見殺しにして、平然と生きていくつもりか。あいつに万が一のことがあれば、俺は生涯自分を赦せない。
 裕史は恭介に向かって言う。
「俺が行くよ」
「先輩。自分に行かせてください」
「だめだ。お前じゃ頼りない」
 恭介は苦しい思いを口にしそうになる。先輩、自分はあの人に触れてしまったんです。

 裕史は駐在所に戻ると、静香を居間に呼び、畳に手をついた。
「すまない」
「こんな日が来ることを覚悟しておりました」
 穏やかな口調であった。だが裕史が抱き寄せると静香は泣いた。仄かな光の中で彼らは肉体を貪り、愛は狂熱を帯びた。
 裕史は彼女の細身をかき抱き、静香は彼の背中に爪を立てた。情念は激しく燃え上がり、やがて仄かな灯火となる。
 静香は乱れた髪を整える。
「私のことは気になさらず、職務を全うして下さい」
 裕史はまた彼女を抱き寄せる。そんな二人を、タマが部屋の隅から見守っていた。

 翌日の正午、裕史は隣村の東半里にある神社の境内で、同期や後輩に囲まれていた。
 恭介は御守り袋を差し出した。
「先輩。これを持って行ってください」
 裕史は冗談混じりに笑う。
「また静香の料理で一杯飲むぞ」
「はい」
「君の帰還を信じている」と署長。
 裕史が鳥居をくぐると、署長は帽子を取り、厳しい顔でその背中を見つめた。署員は裕史を見送ると、そのまま神社に待機し、彼の無事を祈願した。
 恭介の心は揺れる。
 先輩が死んだら、もう罪を償うことはできない。そうなれば、自分は静香さんを放っておけない。きっと卑劣な男に成り下がる。

 裕史が荷車を引いて村に入ると、ただならぬ異臭が鼻を突く。畑に焼け焦げた遺体が散乱しているのだ。
 さらに村の奥へ進むと、女の慟哭(どうこく)が藁葺きの家屋から聞こえた。格子窓から覗き込むと、若い女が幼子を抱きしめて泣いていた。
 夫らしき男が、「だめだ。離れるんだ」と説得をしても、女はその手を払いのけ、息絶えた我が子を離さない。
 背後に人の気配がした。
「村を焼きに来たのか。人殺しめ」
「荷車にあるのは毒薬だろ」
「だまされないぞ」
 村人は鎌や竹槍を手にして迫る。そこにタマが現れ、腹を見せて寝転がった。
「タマ。だめだよ。忙しいから遊んでやれない。村の皆さんに、消毒液の使い方を説明するから邪魔しないでおくれ」
 裕史が笑顔でタマを叱ると、緊迫した空気がほぐれ、村人はみな武器を下ろした。
 裕史は消毒液の使い方を話すと、村人を励まし、タマと一緒に村を後にした。
 しかし、やがて彼は腹痛に見舞われ、嘔吐を繰り返す。症状が激しさを増すと、廃墟と化した古民家に入り、己の死を覚悟した。
 震える手で手紙を書き、それを御守り袋に入れると、身を寄せるタマの首輪にくくりつけた。
「タマ。頼んだぞ」
 彼はタマを外に出して引き戸を閉めた。

 静香はいつもと同じ時刻に米をとぎ、夫の好きな山菜のお浸しを作っていた。そこにタマが現れ、彼女の着物に爪を立てた。
 彼女は異変を察し、御守り袋に手を伸ばす。
『僕は疫病に感染し、もうすぐ死ぬ。神社に署員が待機している。家屋ごと焼けと伝えてほしい。静香。さようなら。幸せになってください』
 彼女は手紙を握ったまま動かない。
 幸せになれ……
 彼女は叔母の形見であるマッチを棚から出し、彼の手紙を燃やす。
 彼女は草鞋(わらじ)のひもを固く結び、神社へと向かう。草鞋が裂ければ、彼女は素足で走り続ける。石につまずいて転ぶと、タマが血まみれの足を舐めた。彼女はタマを抱きしめる。
「もうお別れよ。幸せになって」
 彼女が走り出すと、タマはついて来ようとする。
「来ちゃだめ!」
 タマは目を丸くして見つめた。
「タマ、ごめんね」

 やがて鳥居が視界に入り、その奥に署員の姿が見えた。静香は恭介に向かって懸命に手を振る。
「恭介さあん」
 心が引き裂かれるような、悲痛な叫びであった。

 署員が古民家を遠巻きに囲み、大声で裕史に呼び掛けていると、恭介が署長に下命を求めた。
「お願いします。行かせてください」
「だめだ」
 恭介が行こうとすると、同僚が腕をつかんだ。静香はきっぱりと言う。
「やめてください。あなたを道連れにすれば、あの人は悲しみます」
 彼女は制止をかわし、裕史のもとへ走った。
 恭介は後を追おうとするが、はたと立ち止まる。行ってはいけない。この先は二人だけの世界なんだ。

 静香は井草のござの傍らで立ち尽くす。裕史はもう息絶えていた。彼女は彼に添い寝をすると、その耳元で嗚咽を漏らす。
「私をおいて、逝ってしまったのですか」
 彼は何も応えない。
「もう抱いてはくださらないのですね」
 彼女は着物を脱ぎ捨て、彼の亡骸を慈しむ。冷たい肌に頬を寄せ、名残惜しむように温もりを探す。
「あなた、聞こえますか。私は今幸せです」
 静香は着物を着直し、乱れた髪を整えると、懐からマッチを出して藁に火をつけた。火は瞬く間に燃え広がり、もうもうとした煙が家屋をつつむ。木材の割れる音が響き渡り、紅蓮の炎は天をも焦がす。
 火が鎮まり、署員が焼け跡を捜索すると、川の字に横たわる遺体が発見された。それは幸薄き夫婦と、一匹の猫の亡骸だった。


 これが、高祖父の遺した逸話である。彼は恭介の同期生であり、この事件を間近で見届けた。
 十月の休日、私はその山村を訪れた。村から東へ行くと、紅葉を迎えた社の森があり、そこに立つ石碑に鎮魂の詩が刻まれていた。
『裕史。静香。タマ。彼らの御魂、ここに眠る。』
 木の葉を散らす風の音が、彼らの笑い声にも聞こえた。

 古い墓地を巡り、恭介の墓を探すことにした。墓参りに来ている老人に聞くと、子供の頃、長老から恭介の話を聞いたという。
「彼のことを聞く人は珍しいなあ」
 恭介は駐在所で働き続け、退職後も村に残ったそうだ。
 恭介は廃墟同然の古民家で亡くなった。発見されたとき、彼は綺麗に手直しされた古い制服を抱いていた。
「彼の墓はないんだ。だから語り継いでやらんとな」
 私は老人に礼を言い、墓地を後にした。冷たい秋の風が、木の葉を散らしていた。

殉職した猫

執筆の狙い

作者 飼い猫ちゃりりん
118-105-112-95.area1a.commufa.jp

明治の山村に、掟に縛られた女と、若き巡査、そして一匹の猫がいた。
「おばさ」の風習により恋を禁じられた静香は、朝霧の畑で出会った巡査・裕史に心を寄せる。二人の間を繋ぐのは、駐在所で拾われた子猫タマだった。
やがて村を襲う災厄の中で、三者はそれぞれの運命を静かに受け止める。
高祖父が遺した哀切な記憶を、百二歳で世を去った祖父が孫に語る。愛と掟、忠誠と別れが織りなす、静謐で切ない鎮魂の物語。

※上記はAIによる紹介文。約7400字の作品です。エピソードを追加し、大幅に推敲してあります。

コメント

パイングミ
flh2-221-171-44-160.tky.mesh.ad.jp

ご無沙汰しております。ストーリーはよくできていて面白かったです。悲哀も描けていたと思いますし、恭介を出したこと(二人とタマだけの話にしなかったこと)で、物語に奥行きがでたのではないでしょうか。

冒頭、「明治三十三年」「二十年前」「三十半ば」「新世紀」「祖父」「高祖父」「叔母」など、数字や人間関係が連続するので若干戸惑いました。理解がワンテンポ遅れるので、もう少しだけ整理できるかもしれません。

>先輩、自分はあの人に触れてしまったんです。

すみません。私の読解力がないせいか、ここが良く分かりませんでした。「触れてしまった」だと、手を出した風に見えて、「静香おまえ一体なにしてるん?」「裕史は寝取られたの?」となり、その後の行動がチグハグに見えてしまいました(裕史の後を追う行動など)。もしかしたら「惚れてしまった」でしょうか? それなら自分の胸の裡に潜めているだけなので納得です。

> 恭介は駐在所で働き続け、退職後も村に残ったそうだ。
>「彼の墓はないんだ。だから語り継いでやらんとな」

恭介ですが、何か語り継がれるようなことをしたのでしょうか? 何かに尽力したけれど、生涯独身で身寄りも墓もないからいずれ忘れ去られてしまう→だから語り継ぐ みたいな展開なら分かるのですが、ただの人を語り継ぐ理由は薄いのかなと。村に残り続けて「おばさ」の風習を撤廃することに尽くした、とかなら良いかもしれません。

色々と書きましたが、完成度が高く人間ドラマとしてしっかり面白かったです。次回作も楽しみにしています。

78
101-143-100-186f1.hyg2.eonet.ne.jp

飼い猫ちゃりりん様、お邪魔致します。
以前にも投稿されていた作品ということで宜しいでしょうか。

タイトルに惹かれましたが、簡潔で読みやすく、時代背景もよく分かるとてもいい作品でした。
シーンの移り変わりが秀逸で、心温かい終わり方ではあるものの、作品を通して考えさせられる場面もありテーマや構成の組み方も勉強になりました。

唯一気になる部分は、上記でパイングミ様も言っておられる恭介が語り継がれなければならない理由のみです。

また機会があれば新作も読ませていただきたいです。
最後に場違いではありますが、以前他作品より無礼な物言いをしてしまったことをお詫び致します。失礼致しました。

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