作家でごはん!鍛練場
そらまめ

ランドリーハウス(17枚)

【緒方】

 西日が強い。
 足場の隙間から見えるのは、積み木のような街並み。
「緒方さん、いい加減にしてくださいよ!」と下から現場監督の声。「かれこれ三日も働き詰めなんです!」
 オレンジ色の軍手で、手すりを掴み直しながら思う。
 工期を遅らせたら、俺のメンツは丸潰れだ。
「あなたにはもう、ついてゆけません!」
 金切り声を、いつものように聞き流しながら俺は見た。
 クレーンの脇に、白いシャツを着た男が立っていた。
 そんな軽装で、と驚いた。
 幻じゃなかった。
 ひどく透明な眼差しで、そいつは俺を見つめていた。

【海】

「海ちゃんたら、もう、またぼんやりして。早くお片づけしなさい」
 先生の声。
 また叱られた。
 私は、窓辺から動けなかった。
 だって、水たまりが青くて。
「見てよ、先生。あそこに小さなお空があるよ」
 先生は、大きなため息をついて、あっちを向いちゃった。
 悲しい気持ちになった。
 幼稚園からの帰り道、交差点に白い人がいた。
 その人は、私を見てた。
 いつでも君を、見守っているよ。
 そんな目で見てた。
 なんだか安心した。
 白いシャツが、風で、ぽわっとふくらんだ。

【海と緒方】

 それからしばらくして、すごいことがあった。
 公園からの帰り道、空からパイプが降ってきたんだ。
 パイプに当たって、工事の人が倒れちゃった。
「緒方さん、大丈夫ですか!」
 って声が、空から聞こえた。
 倒れた人は、オレンジの手袋で、空をぎゅっとしようとしている。
 かわいそう、って思った。
 そのとき、また、パイプが降ってきた。
「危ない!」
 って私は叫んだ。 
 そしたら、どこからか、白いシャツの人がやって来て、倒れている男の人をかばうみたいにした。
 パイプは離れたとこに落ちた。
 私は、倒れてる人のところまで走った。
 痛そうだった。
 オレンジの手袋をぎゅってしてあげた。
「ありがと……ね」
 ってその人は言って、にこって笑った。
 よかった、って思った。
 顔を上げたら、もう、白いシャツの人はいなくなってた。

【市野】

「市野さん、クライアントったら、もう、また仕様変更を言ってきて……、って、聞いてます?」
 と、背後からの声。
 モニターに映る僕の顔、紫がかって幽鬼のようだ。
「いちいち感情的になるな。データに当たれ」
 と返す。
 感情はノイズだ。バグしか生まない。
 部下が響かせた舌打ちを、いつものように黙殺する。
 だが、その夜、独りで画面と向き合っていると、僕は感じた。
 三十階の窓の外からの視線――。
 立ち上がり、窓辺に歩む。
「錯覚か」
 無機質な夜景が見えるだけだった。

【久遠】

「久遠さんったら、そんなに嘆かないで。もう済んだことでしょ」
 同期が、あたしの隣でグラスを傾けている。
 あたしは、自分のグラスの赤ワインをみつめる。
 赤と黒を混ぜ合わせたような色。
 絶対に許せない!
 裏切られたあの日から、あたしの世界は、赤くて、黒い。
「こっちは犠牲者なのよ。もっと優しくしてよ!」
 同期は無言で席を立つ。
「どこに行くの!?」
「おトイレよ」
 残されてあたし、また、赤黒い液体を見つめる。
 グラスに、すっと、白い影が映った、ような気がした。
 振り返る。
 誰もいない。
 飲み過ぎなのかもしれない。

【久遠と市野】

 同期は、先に帰ってしまった。
 ワインのおかわりを頼もうとしたとき、声が掛かった。
「酒で解けるような問題は、そもそもからして問題ですらないわけです」
 見ないでもわかった。システム部の冷血漢、市野だった。
「サイボーグでも、アルコールはたしなむの?」
 と言ってやった。
 隣に座って市野は、眼鏡越しに、ナイフのような目であたしを見た。
 ワインをぶちまけてやろうかと思ったそのとき、背後から風が吹いた。
 白い袖からの手が、あたしの肩と、市野の首を掴んだ。
「つっ……」
 電流が走った気がした。
 市野が言った。
「久遠さんの痛みは、深すぎて、僕には分析しきれないけれど……」
 言葉に、いつにはない温度が感じられた。
「解なしの答えがあってもいいんだと、あなたを見てたら思えてきました」
 え?
 市野が微笑んでいる?
 振り返る。
 白いシャツを捜す。
 でも、誰もいない。
 あの電流は、なんだったんだ?

【対立と葛藤と調和】

 スマートシティ展示会――。
 会場を埋め尽くすデジタルサイネージと、計算され尽くした照明。
 緒方が、中央ステージへと急いでいた。
 新しい建材のデモンストレーションに参加するためだ。
 混雑の中、緒方の肩が誰かの肩に当たる。
「イッターい!」
 女が眉をしかめて緒方をにらむ。
「久遠さん、大丈夫ですか?」
 連れらしき男が、女に確かめ、冷たい刃物のような視線を緒方に向ける。
「急いでるんだ。前をふさぐ方が悪い」
「野蛮ですね。物理的な質量移動に頼る前に、周囲の動線を計算したらいかがです?」
「市野、やめなよ。サイボーグがナイト気取ってどうすんだよ?」
 女に言われて男は舌を鳴らす。
 と、直後、凄まじい爆音が轟いた。
 悲鳴。
 会場は闇に包まれた。
「キャパに見合わない負荷が、限界を超えたのかもしれない」
 男の声が呟いた。
 無視して緒方は叫ぶ。
「こっちだ!」
「闇雲に動くな」
 冷たい声が制止する。
「もうイヤ!」
 女の声が闇を裂く。
「叫ぶな!」
 と怒鳴った緒方の手を、小さな手が握った――。
 驚いて緒方は、手にしたデバイスの灯りを向ける。
「お父さんと来てて、はぐれたの」
「君は……」
 照らし出されたのは、オレンジ色の軍手を包んでくれた手だった。
「こっち」と言って少女は、緒方の手を放すと、次には、取り乱す女と、フリーズする男の手を握った。「あっちで待ってるよ」
「……誰が?」
「白い人だよ」
 白い人? クレーン脇の白シャツの男……? あの眼差し……。
「よし、行こう!」
 緒方は先頭に立った。
「市野」と女の声。「考えるのは後にしな。今は動こう」
「……わかりました。信じましょう、今は、白い非科学を」
「みんな、離れないで」
 幼い声が励ました。

【捜索と統合】

「というわけで、俺たちは……」と緒方が言った。「捜し出さなきゃならない。海に出口を教えた白い奴を。何が起こっているのかを確かめるために」
 日曜日のファミリーレストランに四人はいた。
「異議なし」と市野が応えた。
「吹いてるね、風が」と久遠も同意した。
 ソーダを飲み干した海が、青いカーディガンのポケットに手を入れた。
「これ……」
 白いハンカチを取り出す。
「緒方さんが、血を出して倒れてたとき、白い人が……」
 海は、ハンカチを広げた。
「ずっと持っててくれたんだね」
 久遠が、海に向かって微笑む。
「唯一の物証ですね……、手掛かりになりますかね?」
 市野が眼鏡を光らせる。
「血だらけ、泥だらけじゃないか」
 ハンカチを見つめて緒方は、眉を八の字にした。
「なるほど、それか」
 と久遠が、深みのある低い声で言った。
「どれ?」
 と緒方。
「血だらけ、泥だらけのハンカチを、大人だったら、どうする?」
「洗濯しますね」
 と市野が応える。
「『招待状』に書かれているのは、つまり……」と久遠が言い掛ける。
 と、皆まで言わさず市野が、デバイスで検索を掛ける。
「パイプの落下事故の、現場付近のコインランドリーは……、一軒だけです!」
 四人が画面を覗き混む。
「合理的じゃあ……ないよな?」
 と言って緒方が、市野の目を見る。
「合理的なフェイズじゃありませんから」
 と市野が応える。
「だな。じゃ、出動するか」
 と言って緒方が、卓上の伝票を掴んだ。

 川沿いの角。傾き掛けた西日に照らされ、ランドリーハウスがその看板を輝かせていた。
 四人は中を覗き込む。
「みつけた」
 と海が小さく呟いた。
 ガラス越しに、白いシャツの背中。
「さてと」
 と緒方が、仲間たちの顔を見渡す。
「いざ」
 と市野が静かに応える。
 久遠の右手が、海の左手を握る。
 海の右手が緒方の左手を握る。
「では」
 と言って市野も、久遠の左手を握った。
「行くぞ」
 緒方の右手が、ドアを開いた――。

【中心点】

 ガラン、ガラン。
 ドラムの中で、衣類が激しくもつれ合っている。
 オレンジ、ブルー、パープル、ダークレッド……。
 さっきまで、心は、四つに引き裂かれていた。
 でも今は――。

 翌朝、駅のホーム。
 誰かの肩が当たる。
 緒方なら怒り、海なら悲しみ、久遠なら嘆き、市野なら冷笑していただろう。
 でも、もう違う。
 背中に向かって、言った。
「お気をつけて」

 オフィスに入ると、上司が机を叩いていた。
「なんだ、この見積もりは。やる気がないなら辞めちまえ!」
 部下が青ざめている。
 上司の内側の住人が見えるようだった。部下の内側の住人も――。
 皆、探しているのだ。誰かを相手に、対立しながら、葛藤しながら、心の中心点を。
「申し訳ありません」と部下に代わって上司に告げた。「すぐに修正案をまとめます」
 上司は、どこか拍子抜けしたような表情で頷いた。

【出航】

 夕方の街が、昨日までとは違った色を帯びていた。
 ビルの隙間から見える空が、あんなに深いことに、初めて気がついた。
 ふと目に入ったBarへの階段を降りる。

 グラスを傾けながら、横を見た。
 カウンターの端に女が座っていた。
 はっきり見え始めた世界の中で、女はいっそうはっきり見えた。
 女がこちらを見た。
 グラスを手に、女の隣の席に移る。
「いい夜ですね」
「ええ、とても」
 眼差しが、誰かに似ていた。
 潮騒が聴こえたような気がした。
 船を出そう、と思った。
 鮮やかに広がる海へ。

(了)

ランドリーハウス(17枚)

執筆の狙い

作者 そらまめ
133.106.50.121

省みるべきを省みました。出直しさせてください。
視点について考えたくて書きました。

コメント

偏差値45
KD106155050184.au-net.ne.jp

【緒方】のみの感想。
一言で言えば、よく分からない。
現場監督と緒方の人間関係があきらかでないので理解しにくいですね。
さらによく分からない人物が登場するわけですが、不明ですね。
そんなわけでここで挫折です。

そらまめ
211.7.97.141

偏差値45さん

10章の内の1章しか読んでいただけなかったという事実、重く受けとめます。

『誰でもの入場はお断り』という掲示にて、『荒野のおおかみ』のハリーを求めてしまったのかもしれませんね。

貴重なご指摘、今後の参考にさせていただきます。

ご感想ありがとうございました。

アン・カルネ
KD059132057060.au-net.ne.jp

群像劇みたいだな、と思いました。
4人の登場人物に、怒りや悲しみや理性と割り振っているような。
白い人の導きによって、ランドリーハウスで、洗われてゆくそれぞれの物をメタファーとして、バラバラだった心が、交じり合い、洗われて、ひとつになることで、心の中心点が生まれ、見方が変わるという変化が起こる、という意味なのかな? とは思いました。
ただ、ラストが「船を出そう、と思った。鮮やかに広がる海へ。」となってると、タイトルとの座りが悪いような気はしました。例えば「船を建てる」とか、ラストの一文に繋がるタイトルか、あるいはふと目に入った場所がバーではなく、新たなランドリーハウスでの“出会い”で終わる方が、纏まり感は出たのかな? と思ったりもしました。
あとは、海という名前の少女の存在にラストの一文が繋がるのかもしれないな? とも思ったりはしたんですけど、ちょっとその辺りは読み取れませんでした。
普通の幼い少女が父親とはぐれた状況で取る行動ではないですから、そこに、白い人同様、「海」と名付けられた別の役割があったのかな? と。そう思ったりはしてたんですが、そこのところがちょっと読み取れませんでした。
あと、手際よく各パートは描かれていると思いましたが、それぞれが短い分、誰にも共感したり、心理的に肩入れすることなく、読み終えてしまいました。
すらすら読めましたし、描かれていることもなんとなく理解はできるけど、心は動かない、そんな読後感でした。

そらまめ
211.7.97.141

アン・カルネさん

拙作が内包する「ホロスコープ的な構造」や「内的住人の統合」という意図をほぼ完璧に見抜いてくださり、さらには、 「怒りや悲しみや理性」という役割分担まで指摘してくださり、ありがとうございます。

一方で後半、非常に鋭い文芸批評もありがとうございます。

「心は動かない」というご指摘、記号的な構造を優先させ、内的な象徴たちの肉を削ぎすぎた弊害であるかと認識できました。
実は、このテーマ、ずいぶん昔に、500枚超の長編小説として扱ったものなのであります。一人称の各人の息づかいを、丁寧に分厚く、リアリティを持たせて書きました。しかし、それが却ってあだとなり、ラストのコペルニクス的転換を、読み手に、「裏切り」として感得されてしまったという苦い経験があります。今回、内的象徴たちを、図式的に、端的に表そうとしたのはそのためなのですが――、程よいバランスを再考してみたいと思います。

また、タイトルの「座りの悪さ」について。ランドリー(浄化)で終わらず、海(出航)へと向かうラストなので、言われてみれば確かにその通りかもしれません。

そして最終章、主観が高次の他者と出会う舞台は、Barではなく、やはりコインランドリーであったほうが……というご指摘、120%その通りであると感じました。
Barでの出会いについて、いくらか気取りすぎていて、かつ手垢のついた舞台設定であるなと書き手自身も感じておりました。少女「海」との兼ね合いも意識して、出航する港は、コインランドリーの方がふさわしいですね。今からでも書き直したいくらいです。

少女「海」について。おっしゃるとおり、彼女は、一階におけるキーパーソンで、ラストの「海」へと繋がるメタファー(アニマ的な導き)であること、アン・カルネさんが感得されましたとおりです。

深い読み込みと、鋭いご指摘をありがとうございます。

浮離
KD059132143099.au-net.ne.jp

あくまでも個人的な観点なり主観に過ぎないことを承知の上で、どうして文章的にこうも拙いのか、書きながら場面や時制に無頓着というかそもそも意識がないっぽいだとか、いちいち指摘したくなる点は少なくないんですけど、でも個人的に気になってしまうもっと深刻な問題ってそういうことじゃない気がしてるんですよね。

あたしは良心的に書き手の作為に寄り添う読み方ってしないですしもちろん承知の上かと思うんですけど、例えば先の感想者の”群像劇みたい”だとかって、それってもちろんわからないことないしとはいえ言い方に過ぎないことこそわからないはずがない、だとかそんな感じ、っていうか単純に違和感しかないんですよね実際。


”白い奴”
必要ですか。

メタファーとも中心点ともあたしは思いたくなかったし、むしろ”白い奴”がいることで”群像劇”なる了解にすら反発したくさせられる気がするし、物語として収束する”重力”みたいなものをちっとも感じさせられた気がしていません。


っていうか。


返信にある、

>実は、このテーマ、ずいぶん昔に、500枚超の長編小説として扱ったものなのであります。一人称の各人の息づかいを、丁寧に分厚く、リアリティを持たせて書きました。しかし、それが却ってあだとなり、ラストのコペルニクス的転換を、読み手に、「裏切り」として感得されてしまったという苦い経験があります。

それを知ってまあまあ気が逸れたというか、伝わるかどうかわからないですけど先に”重力”って言ったじゃないですか。
それってなんだと思いましたか?
ついさっきの話だからむしろとっくに考えづらいことかと思うんですけど、すごく単純でつまんない言い方をしてしまうと、”群像”なるそれぞれについての書き込みが単純に足りなすぎるし、それを埋め合わせてこその”必然”を物語って纏うものだと思うし、どうしてこんなアニメの見過ぎみたいな手抜きみたいな書き方するんだろやる気あんのかな、って読みながら思ってたんですよね。
そんな程度として視点や場面や時制のブレを見透かすような気分で付き合ったってそんなのまあまあつまんないですし、個人的には”群像劇”なる了解に足るものではそもそもないはずって思ってしまう理由とはちっとも違うんですし。
そんな違和感、っていう理由が上の引用から明らかになったことにあたしはまあまあがっかりしたって話をしてます。

わかりますか?
あたしが思ったこと、あなたがとっくにやっていたこと。
あたしはそうは思わないこと、あなたがそれならばと思うこと。

見事に逆さまに食い違ってるの、わかりますか?

あたしは例えば”群像劇”なる読者の了解に適う物語であるべきとするなりにも各キャラクターごとに背景もエピソードも足りないってまずは当たり前のことを思ったんですけど、あなたはそれをとっくにやっていたし手の内のつもりか安く投げ捨てていたわけです。

あたしは”白い奴”は要らないと思ったんだけど、あなたはコペルニクスだの”裏切り”だのとそそのかされてむしろ”白い奴”におもねるように構造とか統合とか気取りたくなったらしくて。


すごく意地悪な言い方かもしれないんですけど、あたしはなんとなくそう思ってしまうっていう話です。
どうしてあんな短い書き出しからああも視点も時制も構造すらもブレブレなのか。
そんなの”白い奴”が原因に決まってるでしょ、ってあたしはむしろ誘われるみたいに思ってしまうんですよね。
伝わらなくてもいいです。
それって”書く人”としてただの”勘”でしかないし、でもたぶんあたしは自分が書くときこそそういう”勘”をはずしたがらないっていうか誘われるばっかな気がするし、例えばですけどあたしはそういう”勘”みたいなものこそが”客観”ってことなんじゃないのかって当たり前に思うんですよね。

伝わらなかろうしわからなくてもいいです。
とにかくイヤなんですよあたしはこういう書いてる本人が一番わかってない上で頼りきったみたいな書き筋ってものすごく下手くそに見えるし実際つまんないし、”白い奴”をとても”小説”的な成分として許容できること、その案外どころではない平凡さつまんなさがわかんないのって、結構まあまあなヤバさのような気がしてしまうんですよね。

わかりますか?

このお話、魅力的なキャラが一人もいないじゃないですか?
っていうか、ちっとも人間っぽくないし、”海”に至ってはガキとして年齢不詳すぎるっていうか単純に鬱陶しすぎるしそれを寄ってたかって同志に扱う馬鹿な大人ども、っては言い過ぎかもですけど、とはいえそんな程度をかき集めて”群像”とか言い方程度はわからないことはないけどあたしはちっとも思いたくさせられなかったし物語の動力として”白い奴”は利便なりにも軽薄すぎて構造も統合もへったくれもちっとも思わされなかったっていうのが本音ですよね実際。

500枚をこんなにも削っちゃったからこんなにもつるつる滑って見えるんですか? っていうのは意地悪な質問かと思いますか。
コペルニクス的裏切りかどうかあたしは知らないですけど、そのためにつるっつるに削られたものに裏切られた気がしてしまうあたしはただのまぬけってことですか。

500枚のやつはこんな書き方してたんですか。
漫画的でもアニメ的でも全然いいと思うし、でもそれを文章的マトリクスに変換する当たり前の視座に預けられたものなのかが重要で、あたしはなんとなく疑り深い気持ちがしてしまうのだろうし、それってけっこう辛辣な事実の告白のはずなんですよね。
コペルニクスも裏切りもあたしは知らないですけど、こればっかのこのお話を書くためにでもあたしは絶対にこんな書き方しないしするわけないってわかるからなんかすごいイヤな気持ちがする、っていうお話をしてます。

わかんなくてもいいです。

あたしはその”なんかすごくイヤな気持ちがする”原因、それを事実として証明する事実って、”キャラに全然魅力がない”っていう一点のみでとっくに十分な気がしてるんですよね。

伝わらなくていいし、無理にわかったふうなこと言う必要もないです。
わからないと言えば格好つくつもりでいるだけ、なにがわからないかもわからないたかが馬鹿にいちいちお礼なんて言ってる場合じゃないですよ。


ポッシボ、コピバンしてくれたのはたかが偽物だったかよ。
って、あたしはまあまあがっかりさせられた気がしてます。

そらまめ
211.7.97.198

浮離さん

このサイトを離れ、いろいろ考え、感じてみて、その上でこちらに戻るにあたって2つの指針を己に課しました。

1、感想を書くときは、良い点を指摘するのみならず悪い点も指摘する。

2、返信を書くときは、ニュートラルになり過ぎず、もう少しだけ自分(感情?)を見せる。

2に則り、いくらか踏み込んだ返信を書いてみます。

浮離さんは、拙作の筆致の「揺らぎ」や「計算」を皮膚感覚で嗅ぎ取られましたね。

500枚の厚み(重力)を捨てて「構造(白い奴)」という安易な解決に逃げたのではないかと書き手の倫理を問うていますね。

あなたにとって、小説の命は「キャラクターの重力(必然性)」にあり、それを統合するためのメタファーは「手抜き」や「軽薄」に映っているのかと思われました。

「イヤな気持ち」という言葉で表してくださったのは、「純度を下げてまで、わかりやすさ(理解への実効性)に魂を売るな」という叱咤激励ですね。

500枚の重力を捨て、この「つるつる滑る」構造に賭けた私の選択を、あなたは「手抜き」であり「安易な逃げ」だと断じられた。その「勘」が指し示す違和感こそが、今の私の現在地なのだと思われます。

「わかりやすさ」という誘惑に負けたのか、あるいは新しい地平を求めて迷走しているのか。その答えは、まだ出せません。ただ、あなたの「イヤな気持ち」を逃げずに抱えておこうと思います。

偽物だと言わせてしまったこと、そして、ここまで踏み込んで言葉を尽くしてくださったこと。その両方を、そのまま受け止めます。

ところで、蛇足を連ねます。

作品の設計図は、これまで公開したことがありませんでした。

あくまでも、書き手のためのメモだからです。

メモにあるような構造を、読み手が、「わからなくても(わかられても困りますので)感じられ」て、「脱人間ドラマのパズル」から、新しい種類の小説(存在の定義)に「面白さ(興味、探求意欲)」を「感じて」くださるかどうかを観測したい気球が拙作(およびその前身の555枚)でした。

「面白くない」の理由を、私なりにいくつか推測していますが、どこまで足したら、どこまで削ったら、「私のそれ」が読み手に感じられるのか、また違ったやり方で今後も、様々なサイトで実験を重ねてゆきます。

ちなみに、拙作で書き手が、読み手に感じていただけたらいいなと願った「温かさ」が1点だけあります(脱体温な話の中の特異点)。

脱人間的な建造物を見せられた、と脱力した読み手の内に、少しだけ時間を置いて、無意識の底から、気泡のように立ち上がってくる「温もり」。調停的な角度。幼少期の自分。そして、還ってゆくべき場所への案内人。

それが、少女「海」でした。

すべてが「構造」であっても、視点が外在者でしかない(←4つの一人称主観も2階の主観の内的なフックに過ぎないわけですから)物語に、唯一の温もりとして存在する感受点が「海」だとしたかったのです。

それが成功すれば、この小作には可能性があると思われましたが、書き手が集うこのサイトにおいてさえ(あるいは、このサイトゆえ、なのかどうかは今後確かめてみますが)、それはかなわなかったと感じています。つまりは「面白く」なかったのだと。

以下は、読み手にはまったく無用の、書き手のためのメモですが、長文の叱咤激励に応える「あさってな方向からの」一応のお礼(strip)のつもりです。一蹴されるとは思いますが、私なりの誠意です。

――

『ランドリーハウス』視点と主語

chapter1:緒方の一人称視点/主語は俺

chapter2:海の一人称視点/主語は私

chapter3:海の一人称視点/主語は私

chapter4:市野の一人称視点/主語は僕

chapter5:久遠の一人称視点/主語はあたし

chapter6:久遠の一人称視点/主語はあたし

chapter7:緒方に寄り添った三人称視点(緒方に寄り添った白い男の視点)/主語は緒方

chapter8:神視点に近い三人称視点(白い男の視点)/主語は各人

chapter9:白い男の一人称視点/主語は無し

chapter10:白い男の一人称視点/主語は無し

――

『ランドリーハウス』構造

・キャラの属性

緒方:獅子座(火)の火星

海:魚座(水)の月

市野:水瓶座(風)の水星

久遠:蠍座(水)の金星

白い男:蟹座(水)の太陽→地球

・配置

緒方と市野:180度の対立(オポジション)

緒方と久遠:90度の葛藤(スクエア)

市野と久遠:90度の葛藤(スクエア)

海と久遠:120度の調和(トライン)

海と緒方:150度の調整(クインカンクス)

海と市野:30度の微調和(セミセクスタイル)

海と白い男:120度の調和(トライン)

久遠と白い男:120度の調和(トライン)

緒方と白い男:30度の微調和(セミセクスタイル)

市野と白い男:150度の調整(クインカンクス)

緒方と市野と久遠:180度、90度、90度の困難(Tスクエア)

海と久遠と白い男:120度、120度、120度の安定(Gトライン)

・ユングの『個性化(統合)』

コペルニクス的転換:天動説(ジオセントリックチャート)→地動説(ヘリオセントリックチャート)

ジオセントリックなフェイズ:蟹座の太陽→蟹座の地球

ヘリオセントリックなフェイズ:中心点としての太陽

個性化(自己の立ち上げ):地球中心の世界観(主観)→太陽中心の世界観(客観)

――

『ランドリーハウス』角度の化合

・獅子座の火星(緒方)は水瓶座の水星(市野)と対立。

・蠍座の金星(久遠)は獅子座の火星(緒方)とも水瓶座の水星(市野)とも葛藤。

・魚座の月(海)は蠍座の金星(久遠)とも蟹座の太陽(白い人)とも調和。

・魚座の月(海)は獅子座の火星(緒方)と水瓶座の水星(市野)の対立を調整。

・蟹座の太陽(白い人)も獅子座の火星(緒方)と水瓶座の水星(市野)の対立を調整。

――海がキーパーソン(ナビとしてのアニマ/接着者)。

・「蟹座の太陽」に相当すると思われた白い人は、実は、「蟹座の『地球』」に相当する感受点だった(ヘリオセントリック)。

・『地球』は、2階に於ける太陽(中心点)の影として1階に現れていた(ジオセントリック)。

・角度たちがアウフヘーベンされ、中心点が定位されたとき、2階の『自己』が覚醒した(ユング語でいう「個性化」)。

・地球中心の天動説が太陽中心の地動説に転換されるのがchapter9(SFにしない/敢えて日常的なランドリー/説明は不要)。

・目覚めた中心点は、2階で、目覚めた他者(別の中心点)と新たなる角度を紡ぐべく出航。少女「海」を匂わせる邂逅。

――

ご感想を、ありがとうございました。

浮離
KD124209080223.au-net.ne.jp

500枚って二十万字超ってことじゃないですか。
それって半端ない事実ですよね。


なに言いたいかわかりますか?


それって、もはやそらまめさんにとって”宗教”みたいなものだと思うんですよね。
あたしはそれを疑えなんていうつもりはないし、でもそれを信望して道端で説くにはそれに足る、許容されるに足る”客観”こそを披露する必要があるはずでしょ、みたいなこと言いたいばっかな気がしてるだけだと思うんですよね。

このお話って、書き手としては自覚ないと思うんですけど、”トレーラー”みたいなもののはずなんですよ。
それを自立に足る”群像劇”としておべっかでも奢って惜しくないらしい読み方っていうのは、わかりやすく例えるならこのサイトの偏狭極右夜の雨的アンスキルドな同好迎合主義、退屈なばっかの反習得性の奨励みたいな気がしてしまうんですよね。
しまるこがしょんなく扱ってちっともみたいな覇気見せてくれてるじゃないですか相変わらずの曲者丸出しとして。
あたしもそういうのってだるいばっかだし誰得もへったくれもないことかと思うし単純につまんないしかないですよね、っていうかどっち向きにも損しかないですよね実際。


”宗教”って、その人自身を見失わせるんですよ。
それを逆手に取る人だっていますよ、イラン戦争とか言っちゃってただの宗教的因縁なり因果っぽく掛け替えて食い物にする”終末思想”とか、なんか馬鹿っぽいじゃないですかたかが民衆どもとかそういう足元食い物にされてるばっかしかないってその先にある当然理解とかちっとも考えたりしないじゃないですか。

って、すぐ脱線するからやめとくんですけど。


そらまめさんはたぶんそういう”宗教的盲目視点”を疑いなく書いてるはずかと思うし、それって書き手だからこそみたいなよくある盲点のはずかと思うんですよねあたしなりには。
ストリップは大したものかと思うんですけど、あたしにはそういう”俯瞰”っぽさって案外足枷っぽいなにかとしか思えないところが強くて、むしろだからこうなっちゃうばっかなんじゃないの、とかけっこう心無いことばっか思っちゃうんですよね。
教義にがんじがらめみたいにすらあたしには見える、っていう極端視点ですよ実際。

あたしが”ノープロットな人”っていうのはたぶんご存知かと思うんですけど、だからこそ思うとかそういうこと言ってるんじゃないんですよね。
丁寧な返信はありがたく思うんですけど、でもあたしには深刻に”宗教”に取り憑かれた信者の無自覚な告白みたいなばっか、みたいな気ばっかしちゃうんですよ酷いこと言ってますよね。

あたしってお喋りのくせに論点トリッキーすぎだから、努めて端的にお伝えすることにするんですけど。
このお話の無自覚的つまらなさって、どこに見て取れると思いますか。
作品愛なる”宗教”に根ざすそらまめさんには酷な問い掛けかとは思うんですけど。
わかりますか?
あたしは、”白い奴”必要ですか? って言ったんですよ。
勘違いして欲しくないのは、それって構造的、ストーリー的瑕疵とかそういう意図ではないはずなんですよ。
”宗教”的、あるいは盲目的ベクトル、とかそんな感じのことのはずなんですよね。

あたしはこのお話の構成って、”教義的蛇行あるいは迷走”みたいに見えるんですよ。
”構造”として西洋占星術してくれたじゃないですか?
あたしも占星術とか興味なくない人だしあぶらすチャンネルとかすっごい前からずっと観てる人なんですけど、そんなこんなを”宗教”なんてあたしだって呼びつけたくないですよ実際。

でも、これってあくまでも”小説”の話なんだし。

緒方の章、海の章って細かに説明してくれてるんですけど、実際その”重力”って、それぞれに独立存在するものと思いますか。
あたしはそうは思わない、ってだけの話だから気にしないでいいですし、もちろんそうは書かれていないはずだし。
なにが言いたいかって、つまりそれぞれに章分けすることがそらまめさんにとって”構成”として感得し得る時点であたしはそれって盲目的バイアスみたいな気がしちゃう、ってことなんですよね、言い方変えるなら”トレーラー”だとかってつまりはそういうこと。

なんとなくわかってきましたか?

”白い奴”必要ですか? って言ったじゃないですか?
それって”白い奴”なんて要らないって言いたいんじゃないんですよね。
”白い奴”のせいでそらまめさんは盲目に堕ちた、って言ってんです。

いちいち章分けしてみたところでみんな一緒、”白い奴”っていうベクトル前提にお話が作られてるでしょ。
それって、読者にとって”フック”になるばっかのつもりならかなりアンスキルドな御相伴依存感のような気がするんですよね。
いわんや”群像とはなんぞや?”をや、みたいな。
あたしは”白い奴”を嫌ってるんじゃなくて、それとしてふさわしい書き方ってあるでしょ、って言いたいだけのはずなんですよね。
まあ、言ってもあたしは要らない世界を信用したい派には違いないんですけど。

”白い奴”っていう同期に奮起する諸々の集結なる”群像”性を否定する気はないですよ。
でもあたしには現状として”白い奴”はかなり茫漠としてお節介すぎるだけみたいに見える気がしてしまうし、チャプター解説に”白い男視点”っていう明確な作為が告白されてることになにしろものすごくびっくりしたんですよね。
だってそれってつまり、章立てした各一人称構成なんてただのフリでしかなくて、物語全体のカメラって所詮”白い奴”監視ってことじゃないですか。

あたしはそれを下手くそって言いたいんじゃないんですよね。
”宗教”的盲目がさせたこと、って見破りますって言ってるだけ。
暴虐甚だしく断じる言い方で申し訳ないんですけど。

500百枚、無駄にしちゃったね。
なんて言ってるんじゃないですよ。
このサイズにだって抽出できる書き方ってあるよね、って当たり前の要求を思ってるだけです。
っていうか、どうしてそうなっちゃうのかっていうその”宗教”的盲目が文章表現としてあからさまのはずですよ、ってことですよね。
いちいち書かなくてもいいので、このお話を三人称で書くことイメージしてみて欲しいんですよ。
”白い奴”っていう支配性を実感出来るはずとあたしは当たり前に思うし、信じてくれなくてもいいです。


”500枚”っていう”そらまめ宗教”に傾倒して盲目すぎるそらまめさんについてあたしは”つまんない”って言ったんだと思います。

そらまめ
133.106.49.44

浮離さん

「各一人称はただのフリで、カメラの正体は『白い奴』だ」というご指摘。これは、私が意図した「ヘリオセントリック(太陽中心)」への転換を、「書き手による物語の私物化(宗教)」と断じているのですね。
キャラクターが自律的に動く「群像劇」ではなく、最初から「白い奴(結論)」に向かって管理、配置された「トレーラー(予告編)」に過ぎない、という批判ですね。
500枚の過去作を基準に「削った」と考えること自体が、目の前の短い原稿に対する誠実さを奪っているのではないか、というご指摘かと思われます。
過去の、長大なエッセンスを注ぎ込んだという自負が、現在の文章の「足取り」を重く(あるいは逆に浮わついたものに)させている「盲目」を見抜かれたのだと感じています。
浮離さんのおっしゃる「つまらない」は、技術の欠如への不満ではなく、「書き手が自分の作ったシステム(宗教)に安住し、キャラクターに真の自由(重力)を与えていないこと」への苛立ちなのだと感得しました。

さて、客観的な返信をするなら、まず、下記のようになるかと思われます。最初は、このようにだけ記し、投稿ボタンを押そうと思いました。

――再度の、そしてさらに深く抉り出すようなお言葉、痛みとともに受け止めています。
各章の一人称はフリであり、視点の正体は『白い奴』による監視である、というご指摘。その通りです。私が「統合」や「中心点」と呼んで信奉していたものは、読み手から見れば、キャラクターたちの生を奪い、自らの教義に従わせる「宗教的盲目」に他ならなかった。その事実を突きつけられ、茫然としています。
500枚という過去の残像を盾に、目の前の数枚の原稿に宿るべき「個別の重力」を蔑ろにしていたのではないか。その「盲点」を、浮離さんは正確に射抜かれました。
私は「白い奴」という支配的なカメラに頼りすぎていたのかもしれません。この「つるつる滑る」文章の正体は、私がキャラクターを信じ切る前に、システムで彼らを縛り上げた結果なのでしょう。
「偽物」と呼ばれたことの重さを引きずりながら、一度、この「教義」から離れて、三人称のカメラが誰を、何を写すべきなのか、暗闇の中で考え直してみます。
非常に残酷で、しかしこの上なく純粋な「客観」をありがとうございました。

――というような。

しかし、そのような取り澄ました(距離を置いた)向かい合い方では、前回のように不信感を抱かせてしまうことになりかねませんので、書き直すことにいたしました。以下、客観(中心点)から離れ、多分に主観的に、敢えて、偏らせていただきます(ヘリオからジオに降り立ちます)。

最新コメントが掲示される欄に、自分のコメントが表示されないようにするやり方を存じておりませんため、無関係な参加者の皆様のお目汚しになるかもしれませんが、申し訳ありません。

>章立てした各一人称構成なんてただのフリでしかなくて、物語全体のカメラって所詮”白い奴”監視ってことじゃないですか

その通りです。
件の500枚は、最後の1章で、それまでの、男性2名、女性2名の全息づかいを、夢落ち的に葬りました。
各一人称の生々しいリアリティに、没入してくださった読者に、唾を吐きかけるような最終章だったかもしれません。

なぜそのようなことをしたのか?
ご指摘の通り、そらまめ教を、強烈に疑似体験していただくためです。

しかし、今回、それを最小限の文字数でリメイクし、誰にも見せずに、まずこちらのサイトに投稿したには理由があります。

肉を削ぎ、骨格を剥き出しにして提示すれば、構成を見抜いた上でなお、このテキストが「小説として」面白いか面白くないかを判断してくださる方がいらっしゃるだろうと思ったからです。

無論、面白くないに違いないものを出してはいません。

小説的には、少女「海」に、あとからじわっときてもらえたらいいなという類いの「面白さ」を託しました。

メタ認知として、「私たちのこの人生も誰かの影に過ぎないのかもしれない」ないしは「私たちも私たちの内的な感受点を外部世界に投影しているだけなのかもしれない」だから「内的な葛藤や対立を統合できれば世界を、もっと客観的に、冷たくではなくむしろ温かく、はっきり見つめることができるのかもしれない」そして「愛や慈悲は、そのような中心点からこそ立ち上がってくるものなのかもしれない」という『そらまめ教』の構造を布教するのとはまた別にです。

500枚は、キリストを浮かび上がらせる聖書の書き方に寄せましたため、「白い男」に相当する影を、怪しくも魅力的に描き、小説的な面白さは、主としてその男が担保するところとなったのですが、本作では、「白い男」も、その影絵たちも、文字数的には薄めにしか描けませんため、少女「海」に、サブリミナルなタッチではありますが、小説的な面白さと、そして「脱教義の出口」をも担ってもらいました。

そこを、浮離さんにも感じてもらえなかったということで、観測気球を飛ばした価値は十分にありました。

日食の話で「オポジション」という単語を使っておられたので、この人は配置を読める人だ、と期待しつつ、「その上で」、浮離さんが、少女「海」の、頬の丸さを、「小説的に」感得してくださるかどうかが私の知りたいところでありました。

字数制限に掛かりましたため、後編に続きます。

そらまめ
133.106.49.44

浮離さんへの返信の、後編となります。

私は、拙作を、「群像劇である」とは思っていませんが、その言葉を使ってくださったアン・カルネさんがしてくださったエンディングについてのご指摘には大変感謝をしております。

「海」を、より、わかりやすく描けるエンディングなので。

緒方が「構造建築」に従事していたことや、展示会が「計算され尽くした照明」に照らされていたことや、緒方が「中央ステージ」に急いでいたことや、「キャパに見合わない負荷が、限界を超えたのかもしれない」という市野の台詞や、「ハンカチ落としの招待状」が「血と泥土にまみれていたこと」や「各人のカラーがランドリーで絡まりながら浄化されること」等々で、サブリミナルに、若しくは詩的に、淡く暗示してきた「物語の構造」に、私が採用したBarという舞台設定は確かに相応しくなく、アン・カルネさんが提案してくださった「別のランドリー」という方が、象徴的に遥かに相応しいと、タイトルが『ランドリーハウス』という「統合」ではなく、『海へ』という「出立」がより相応しいのと同様、感じることができました。

早速、改稿してみました。タイトルと、chapter10の部分です。

アン・カルネさんへのリターンではありますが、浮離さんにも問います。

「これでもなお、このトレーラーに、独立した『小説』の響きは感じられませんか?」

――

『海へ』

【出航】

 夕方の街が、昨日までとは違った色を帯びていた。
 ビルの隙間から見える空が、あんなに深いことに、初めて気がついた。
 ふと目に入ったコインランドリーの扉を開いてみる。

 女が一人、回転を見つめていた。
 はっきり見え始めた世界の中で、女はいっそうはっきり見えた。
 目が合った。
 女が微笑んだ。
 眼差しが、誰かに似ていた。
 潮騒が聴こえたような気がした。
 船を出そう、と思った。
 鮮やかに広がる海へ。

(了)

――

あと、先の返信の、ホロスコープ的当て嵌めにおいて、「白い男」の属性を「蟹座の太陽」としてしまったことは誤っていました。
他の惑星の配置に照らすと、太陽は、山羊座か射手座でしかあり得ませんね。太陽と水星、ならびに太陽と金星には、最大離角というものがありますから。
地球より外を周る火星の位置は自由ですが、内惑星の水星と金星は、太陽との角度に制限があるのが実際の天空でありました。
太陽以外は、先の返信の通りの配置で、天文学的にも、占星術的にも、矛盾はありません。
実在の人物のホロスコープを下敷きにしたわけではなく、私が空想した配置でありましたため、現実の天空との整合性を欠いていました。
「自由への出航」というイメージに照らすと、「白い男」の「太陽」は「射手座」とするのが収まりがよいような気がしました。
「小説」とは無関係な話かもしれませんが、「占星術」に通じておられそうな浮離さんに、間違った解釈を提示してしまい恥ずかしく思いましたため、無駄に訂正させていただきます。

最後に、拙作の構造を、浮離さんは、「そらまめ教」とラベリングしてくださいましたが、これは私のオリジナルではなく、ユングが、心理占星学として、錬金術的に象徴を扱うことで、ヘルマン・ヘッセが活躍した時代にすでに固めていた考え方です。
ヘッセの『ナルチスとゴルトムント』は、ユングのこの構造を、美しく、ソナタ的に(構造的に、しかし、ふんだんな肉をも付けて)表したものですし、『荒野のおおかみ』は、ヘルミーネというアニマに翻弄される主人公ハリーの認知を、いくらか分裂病的な混乱(「誰でもの入場はお断り」と掲示された魔術劇場等)で表したものです。

ユングの心理学的な構造研究(魂の形を探る旅)は、「小説」や「表現」と無関係であると考える向きもあるかもしれませんが、「物語」は、本来的に、象徴たちのタペストリーそのものでありますれば、「小説」や「その他の創作」が照準を合わせるべきテーマとして、そう不釣り合いなものでもないように私には感得されます。

映画でいうなら、『アイデンティティー』が、観る者を裏切る形で内的他者を描いていましたし、『ファイト・クラブ』が、解離した感受点と、そこに絡まるアニマ(『荒野のおおかみ』でいうヘルミーネ)を描いていましたね。

哲学も心理学も文芸も、一様に、私たちの(存在の)根拠を探求する表れ(知的な衝動)であるかと思われます。無自覚的にであれ。

また、絵画も音楽も文芸も、ヘッセ作品でいうところの『ガラス玉演戯』(新潮文庫から刊行されましたね)であろうかと私には思われるのです。描写を重視したり、キャラの重力を一番に考えたり、視点や時間制御に着目したり、ツールの選択や、ツールの用い方は様々でありましょうけれども、表されるべきは、実は、同じ地平なのかもしれず、そこに、様々な角度から光が当てられることは、大変好ましいことであるかとも思われます。間違っているかもしれませんが。

そして、このサイトのコメント欄についても思います。
各自が、内的な配置を、他の参加者に投影し、対立し、葛藤する(これは、とりもなおさず、浮離さんの言われるところの、自己紹介、であるわけですが)ことで、各自が、自らの中心点を立ち上げようと足掻いている、1つの「独特な表現」であるのだな、と。

距離を取りすぎないコミュニケーションを、と自らに強いた途端に多弁になってしまいました。

長すぎる返信で、無関係な参加者の皆様のご迷惑になっていたらお詫びいたします。

浮離さん、ご返信をありがとうございました。

浮離
KD124209086147.au-net.ne.jp

>早速、改稿してみました。タイトルと、chapter10の部分です。

「これでもなお、このトレーラーに、独立した『小説』の響きは感じられませんか?」



とのことなんですけど、あたしにはたぶんですけどそもそもの”希求”的観測、なんて入れ替えっこみたいな言葉でお返ししてしまう宿命っぽさとかむしろすっごい面白いな、とか思いつつつまるところのあるいはとして”希求”的”小説観”みたいなところの相違、ってことでしかない気がするばっかだったりします。
どっちがどうって話ではないので勘違いしないで欲しいんですけど。

そういった感覚値としてなぞる上でちっとも無関係ではない気がしてしまうのが、


>映画でいうなら、『アイデンティティー』が、観る者を裏切る形で内的他者を描いていましたし、『ファイト・クラブ』が、解離した感受点と、そこに絡まるアニマ(『荒野のおおかみ』でいうヘルミーネ)を描いていましたね。

哲学も心理学も文芸も、一様に、私たちの(存在の)根拠を探求する表れ(知的な衝動)であるかと思われます。無自覚的にであれ。


ってところで、
あたしっぽくさらに注目すべき抜粋点として、


>観る者を裏切る形で内的他者を描いていました

>根拠を探求する表れ


といった部分を提案させていただきたいところなんですけど、たぶん伝わりづらいことかとは思います。
あたしもおしゃべりなのでどうせしゃべっちゃうんですけど、その前にあたしがなに言いたいつもりなんだか少しばっかでも予測してみて欲しいんですよ。
別にもちろん大したことじゃないんですけど。


たぶんいろんな言い方としてさまざまな”ベクトルの相違”みたいなこと、近頃の胡散臭さでいうなら”多様性”とかそんな感じですか、もちろん了解的な意図として”小説”なる”探究”みたいなことをここに表明できる、というか表明してしまうことでしかないはず、だとかそんな感じなんだろな、みたいなお話をしてるつもりです。

どっちがどう、ってことではないんですよ。
誤解のないように繰り返し憚らないわけですけど。

そらまめさん的には”探究”とするところを、あたし的に掛け替えるなら”露出”とかそんな感じになるかと思うんですよね。
なんとなく伝わればいい程度のつもりの話としてお付き合いくださいもちろん。
そんな上での、

>観る者を裏切る形で内的他者を描いていました

ってところ。

そらまめさん的には”観る者”とするところを、あたし的に掛け替えるなら”あたし”ってなるはず、じゃなくてそれしかないって言い切れちゃうんですよ。
それって他にどんな言い方、あるいは”小説”する上でのコンセンサスに掛け替えられると思いますか?
あたしはとっくにそのお話をしてるはずだし、そらまめさんはよく考えることに慣れてる人みたいなのですぐわかるかもしれないんですけど。

そんな長々とした前置きにぶら下りながらのどアタマに引用させていただいた”問い”への返信となるわけなんです。


>船を出そう、と思った。
 鮮やかに広がる海へ。


あたしが想う、っていうか当たり前に稼働するなりしてしまう”小説”っていうベクトル、そんな希求とか従うべき作用って、

>鮮やかに広がる海へ。

みたいには作用しない、っていうかしたがらないってことをあたしはものすごくわかってて、伝わらないかもしれないですけどあたしはとっくにこのお話のあたしなりの”書き方”っていうかあえてなら”プロット”って言い方してしまうんですけど、わかっちゃってるんですよね。
でもそれって”小説”っていう”お話”のことじゃなくて、やっぱ”ベクトル”、物語としての嗜好性じゃなくてあくまでも”思考性”として、

海 = 白い奴

っていう方程式は当たり前に逃さない、そういった視点に立った先に蛇行しても自分の尻尾食っちゃう蛇みたいな帰結を行き当たりばったりでもちゃんと当たり前にたどり着く、みたいな書き方しかあたしには出来ないし、やりたくないっていうかそうじゃないと面白くないんですよね所詮。

ついでにですけど、あたしは占星術はかじり程度でそんなに詳しくないですけど、タロットとかと同じですよね、各カード各星座とか惑星の意味とか性格を基礎的に心得た上での相互的連結的理解から紐解く程度のものです。
そんな浅はかさでしかない上での言い方でお伝えするなら、

海 = 火星

白い奴 = 金星

だとかそんな程度の世界観なり視座でどうにかしちゃえる程度の操作感みたいな感じ。
惑星的意味よりは俯瞰的配置をごく単純に捉えるとかその程度。
だとすると、海と白い奴の間にある”地球”って、誰のこと? みたいな。

浮離
KD124209086147.au-net.ne.jp

伝わるといいんですけど、”海”はとっくの存在としてしかあたしは”希求”的理解として了解できないはずだし、白い奴はもちろんですけど”海”っていう閉鎖的な、このお話の”全体性”っていう根拠としてしか、ぼんやりとしてしか存在し得ないし、緒方も市野も久遠もそんなものはこれっぽっちも知らない見えない感知しないながらそれぞれに察する”自分”っていう経緯を無自覚でもそれぞれが”希求”するものに突き動かされながら俯瞰的”海”を泳ぐ、みたいなそんな帰結なり統合を描く、眺めることをあたしは”群像”とようやく受け得れる気がするし、そこに確固たる”海”とか”船”っていう結びの解釈を必要としてしまうそもそもの”小説”っていう希求、それがそらまめさんにとっては”探究”と言えそうなことを否定するつもりはないし、とはいえ”観る者”を”あたし”と解釈して懲りないあたしには結びとして見たい、”露出”するべきかされるべき必然って、例えるならストリップに適うものとはそもそも思っていないんですよね。

だから、そんなストリップとかチャプターみたいに自作を企画して想定できるサブリミナルなり構造研究っていう創作スタイル、その貫徹性みたいものには驚きしかないですし、とはいえあたしはあたしとしてそれとよく似ながら明らかに非なる”パース”なんてことを散々言って譲らなかったりするんですよね。
つまり”問い”への返信として端的に賄えるワードってやっぱ”プロット”ってことに違いないはずで、そらまめさんにはあるべきとして必然でしかない”構造”的創作理論がその意図に適えば適うほど、あたしばっかのものでしかない”パース”っていう構造感覚からはむしろ遠ざかるってことがあたしはとっくにわかっていて、でもそれって否定する意図ではないことをわかって欲しいだけの話でしかないんですよねもちろんですけど。

”海って、あたしには”温かさ”を授けるものには出来ないし、むしろ”火星”っていう性質そのままに”地球”を刺激する、それぞれが泳ぐ”海”を凪にとどめることを許さない、背中を押す粛々とした存在としてその自覚もない”けなげ”な存在として、地球とよく似た”金星”っていう憶測なり欺瞞に預けても耐え得る”キャラクター”に導くなり勝手に動き出す”小説”に適えるくらいしかあたしには当たり前として”小説”出来ないし、面白くないだけなんだと思います。




なんだよ、ただのとばっちりかよ。

って、思いましたか。



あたしはそのつもりはないし、こんなサイトとして然るべき最良の活用を叶えてもらってる気しかしてないのでたくさんお話をしあえて嬉しいしかないです。

書き手としてどこまでも説明し得る想定創作も楽しみ方の一つとして、”探究”に適うものとしてその価値を疑う必要なんてないです。
あたしも”露出”ばっか、それがあたしばっかに叶うものとして疑わないことを疑うつもりなんてこれっぽっちもないです。



いつも付き合ってくれてありがとう。

そらまめ
133.106.49.174

浮離さん

世界は、神のリーラだと思うんです。

その意味で、お付き合いいただいて嬉しいのは、私の方でありますし、それ以上に神様であるかと思われます。

今回、こちらのサイトに投稿し、反響を確かめ、また、他の方の作品も読ませていただいて改めて思いました。

人はやはり、肉を、カラーを、ドラマを好み、構造やシステムは「見えても見えないフリをしていたい」のかな、と。

みな、一人称の人生を懸命に生きているのですね。

渦の中で足掻いている。それが楽しい。ドラマを流しているテレビのプラグを抜くつもりはない。

プラグを抜いたあとの白い部屋の孤独と退屈を、深いところで知っているからかもしれません。

だから、渦の外には立ちたくないし、渦の外から見つめられたくもない。「見守られ」ではなく「見張られ(監視され)」と捉えればなおさらでしょう。

その意味で、『海へ』は、断固として、「わからない」対象でなくてはいけないし、「つまらない」対象でなくてはいけない(実際に「つまらない」話であったのかもしれませんが)。

ドラマの対立や葛藤を、臨場感をもって体験したいからかと思われます。

「知っていたって知らんフリ」が、人生ゲームの絶対ルール。

深く瞑れば見えてしまう、虚無の荒野。そんなものは見ないで、この星の、人間ドラマに埋もれていたい。それが、健全なる生命体の本質であるし、あるべき姿勢なのかと思われます。

シミュレーション仮説みたいなことも言われるようになってきたようですが、私たちは、私たちの実在を信じたい。一人称の実在を信じたい。

だから読み手は、緒方の実在や久遠の実在も信じたいし、味わいたいし、確かめたい。そのように読書する癖を文化的背景に照らされ身に付けている。

私たちなんて、そもそも存在していなくて、私たちの日々の対立や葛藤は、中心点に立ち上がる、私たちから見たら神のごとき絶対主観(すなわち私たちから見た真の客観)の「思考(アルゴリズム)」、ないしはトータルなシステムに過ぎない――という考え方は、人間的に見て、実に「つまらない」。

でも、私たちは、システムにおける関数y=f(X)でしかない、というあたりが、どうやら、最先端科学の落ち着き先のようです。

だとして――という思考実験の上に、件の500枚も、『海へ』も立脚しています。そして――どちらも、「つまらない(不毛)」を超えてゆこうと「希求」しています。

少女「海」が実在していなくとも、少女「海」が象していた感受点は、まぎれもなく存在しているのです。

中心点で目覚めるのは、神様じゃありません。あくまで「私」です。そして「私」は、そのフェイズにおける他者(別のランドリーにいた人物)と、やはりダンスを踊ることになるのです。

それもまた、リーラ。

マトリョーシカな有り様で主観は、一人称のドラマを、その主観ならではのパースで生き、つまりは必死に偏って、傷つけ、傷つけられ、愛を知り、統合に至り、また目覚め、しかしまた新たな「私」を主観的に生きる――。

宗教でも、SFでも、スピリチュアルでも、妄想でもなく、私たちは、実際、そんな脱皮を繰り返しながら存続している。

それを自覚しなくてもいい。だから、星占いを知らない人に、『海へ』の配置を語る必要はない。

ただ、少女「海」の、月の、母の、幼少期の自分の、帰りつくべきホームの、「ぬくもり(目には見えない灯り)」が見出だされればいい。

それだけできたら、そらまめ教なんて丸めてポイφ(゜゜)ノ゜すればいい。私もとっくにポイφ(゜゜)ノ゜しています。

さて。

フリさんは(と勝手に読ませていただきますが)、海という少女に「小説的肉体」を託した試みを部分的には認めてくださりつつも、決定的な「ベクトルの相違」を指摘してくださっていますね。

私が「何らかの真理や構造を探し求める(探究)」ために書くのに対し、フリさんは「自分自身という抗えない性質が外に溢れ出す(露出)」ために書くということかと私にはむしろ感じられました。この「動機」の差が、結末の「作用」の差を生んでいる気がします。

「地球」とは誰か? という問いは、「観る者」ではなく「書いている自分自身(あるいは読者)」を、その過酷な天体配置の間に引きずり込めという要求にも感じられました。

私は今作を、全体図(ホロスコープ)を設計してから描きました。
フリさんは、自分の立っている地点から見える景色(パース)の歪みに従って、行き当たりばったりに尻尾を食う蛇のように書くのでありますね。
どちらが良い悪いではなく、「そのパースの歪みこそが、小説の重力(リアリティ)になる」というフリさんの「客観」すなわち「主観」の提示であるかと思われました。

「つるつる滑る」文章を読みながら「イヤな気持ち」を抱え、それでも言葉を尽くしてくれた「創作への」誠意に感謝します。

ところで。返信不要で以下記します。

フリをし続けるのは疲れませんか?
丘に逃げませんか?
このアタオカな町に自分を定位させてたんじゃ、当座は面白いかもしれないけれど、いずれ塩漬けです。
丘の向こうに海が見えるかもしれません。

丁寧なコメントをありがとうございました。

浮離
KD106146201087.au-net.ne.jp

あたしは”フリ”してるんじゃなくて、”浮世離れ”してるだけです。

よって、フリではなくて”うきはな”ってあたしなりには名乗ってるつもりなんです。


>みな、一人称の人生を懸命に生きているのですね。

相変わらずの”忖度”を真に受けるつもりはないし、それを承知で”小説”するからこその”探究”ってことかとあたしは当たり前に受け取れるって話をしたんだと思うんですね。

”群像”って、どういうことかと思いますか。
それとして”わざわざ描く”ことに感銘を受ける、っていうのはもはや書き手から離れた話になるかと思うんですけど、でも”小説”するべきは”丘の向こうの海”に辿り着きたがることなんでしょ?


そらまめさんなら伝わりづらいことじゃないはずですよねもはや。

懸命に生きてるんじゃなくて、懸命に生きてるって思わせてほしい。
もっと酷い言い方しちゃうと、全然そんなつもりないしなんなら怠けたいばっかだけどとりあえず真面目に暮らしてる、生きてるっていう拠り所のなさ自覚し難いたかが自分を肯定して欲しい。

あたしは例えば”群像”だとか、そういう清々しさって単純に悪意とは相性もつかないたかが詐欺的”良心”的手法でしかないって、どうしても思っちゃうんですよね。
否定するんじゃなくて、共感しないとかそもそもそういう欲求に興味がないとかそんな感じ。


わかりますか?

>みな、一人称の人生を懸命に生きているのですね。

それに対するあたしなりの非共感性というかほぼ逆さまみたいな感情をお伝えしたわけなんですけど、それって背く気質に受け取れそうでいてその実、例えば


>シミュレーション仮説みたいなことも言われるようになってきたようですが、私たちは、私たちの実在を信じたい。一人称の実在を信じたい。

だから読み手は、緒方の実在や久遠の実在も信じたいし、味わいたいし、確かめたい。そのように読書する癖を文化的背景に照らされ身に付けている。


なんちゃってそらまめさん自身がとっくにあたしっぽい”逆さま”を補強してるわけじゃないですか。
あたしは”1”に対して作用するベクトルって360度を当たり前に想定できるけど、そんな一々の差位を機微としていちいち論う了解的理解って案外”小説”っぽくないって思ってしまうもので、むしろ180度まではいらないけどそのうちの60度くらいは強引にむしり取って”真実”っぽく開き直って譲る気なんてこれっぽっちもないベクトルに突き動かされるものが”小説”って思いたいはずなんですよね。

”探究”って、言い換えるなら”肯定”のためにいつか誰かが負うべき必然に駆られるものかと思うし、でもあたしはけっこう”肯定”ってことには興味を促されないものとしてむしろ必然として現れる、”露出”するたかが事実っていう暴露を仕出かしたいばっかなんだと思うんですよね。
あたしは基本的に人が嫌いだし、単純な事実に余計なものお仕着せて適当なことばかり言いたがる仕出かしたがる”人間”っていう然るべき性分みたいなのって、所詮程度問題としか受け取れないしこれっぽっちも好きになれない。
意味あるなしみたいなことをべき論にふかして馬鹿なことばっか言いたがる相変わらずの馬鹿いるじゃないですか。
そんなのすら照らし得る”群像”とか、価値なさすぎでしょ。

”あるなし”って、馬鹿の議論なんですよね、そんなこともわかんない馬鹿、ってことなんですけど。
どっちかすらない話ってこともわかんないって、シンプルに認知の問題ですよね。
”ある”って、文字通り”ある”からこそ認知に適うわけで、”ある”んですよ。
だったら”なし”って、どうですか?

”なし”って単体では認知されないんですよ。

”ある”ものに”依存”してようやく認知に含まれるんだし、単体では定義出来ないっていうかそもそもその必要からないですよね。
すごくよく出来た皮肉でしょ。
フラクタルに色々なことに照らしてよく考えて欲しいんですよね。

まともな話としても”ない”ものは”ない”し、それを疑うならその時点ですでに”価値”なり”意味”として想定する必要に足るものとして”ある”んですよね。
それって”事実”を求める話じゃないし、でも”小説”的感性として”あるなし”どころですらない必然のはずで。

いつかどっかで”陰と陽” ”光と影”みたいな話あたししたじゃないですか、影って光があるから存在出来る、みたいなことですよ。

”なし”ってけっこう概念的な認知かもしれなくて、”ある”なくして認知されない反作用的”概念”って言えなくもない気がするんですよね。
前にも言ったじゃないですか、

>馬鹿って、影として主でありたがる反作用的存在ってことかと思うんですよね。

それって”人間”ってことですらあるって言ってるあたしもまあまあ生意気ですけど一貫してんの我ながら天晴れって思っちゃう。
つまりは、”あるなし”を争う時点で矛盾してるはずなんですよね。
どっちが矛盾してるかなんていちいち言わないですけど、馬鹿って例えば


>石ころに意味はないか?

とか、

>意味がないけど、ある。
>「意味があるか」「意味がないか」これは主観なんだろうとは思いますが……。


とかそんなんばっかなんですよね、見苦しいにも馬鹿すぎないですか。

>意味は人間の都合で不可される。元々石ころに意味なんてない。子供でも分かるとことです。

大人としてこんな言い分がもっともなつもりなんて傲慢なだけだし馬鹿すぎるし、そんなのに育てられる子供なんて情緒に悪影響すぎるし悲劇でしかないでしょ。
この人って本当に最低。


所詮掛け替えたつもりで逃げ打つだけ、自分こそちっともわかってないだけのますます馬鹿げたこと言って見る人騙せるつもりみたいな低脳さばっか白状するしかないんですよ馬鹿すぎてとっくに気味悪いレベル。
見苦しいっていうか、お気の毒でしかないですよねもはや。

浮離
KD106146201087.au-net.ne.jp

なにが言いたいかって、”探究”って言い方変えるなら”優しさ”ってことかもしれないだとかそんな感じ。
だって、”探究”によって”優しく” ”肯定”することで贖われる”人類”ってことですよ、懸命に生きている”人類”それぞれ自らとして”群像”たる”肯定”にあずけて感銘もしくは安堵を、自己肯定を貪る、それってあたしにはけっこう自己放棄的でひ弱なだけの願望としか受け取れないし、所詮欲しがるばっかなにもしたくない面倒臭がりのための”良心”を懸命に掘り起こす”探究”みたいな使命にはあまり共感的にはなれないんだと思います。

人類の”良心”たる”探究”は、与えられてふさわしくない馬鹿をますます馬鹿にする。

”あるなし”議論なんてそんな”人類”っていう馬鹿による自惚れた”探究”っぽいフリだけの下卑た模倣、だとかあたしは当たり前に見下してしまうし、馬鹿になるばっかだなって呆れるしかないですよね実際。
そんなつもりこれっぽちもないみたいにボロすぎる認知でくだらないことばかり必要としたがるとかあたし意味わかんないんですよ、そういう軽薄なばっかの欲求。

なんて、所詮あたしは毛嫌いが先に立ってしまうんだと思う。
”人嫌い”って、そういう傲慢さのはずで。


”ある”のか、”ない”のか。

じゃなくて、”ある”ことの意味を、そんな疑いすらも如何に受け取るか、っていうのがあたしは”人類”として計られるそれぞれでしかない”程度問題”っていう宿命みたいな深刻さかと思うし、”なし”として破棄できるのは案外”人類”的なばっか、無自覚なばっかの傲慢さの白状でしかないような気がしてしまうんですよね。


”探究”っていう意図、その価値と共感を”ある”として疑いなく挑むものが”そらまめ教”ってことでもあたしはいいしと思うし許容できるし、それとは反対方向で作用する60パーくらいでも蹂躙して事足りる”露出”させるベクトルみたいなものがあたしなりの”ある”として”影”こそ巻き込む”小説”っていう欲求ってことなんだと思ってます。



”丘の向こうの海”

あたしには”肯定”におもねるばっか依存して自覚もないばっかの”影”たる馬鹿に下駄を預けながら権威を出汁に”価値”を標榜してそれしか食わない馬鹿をかき集める作家だのベストセラーだとか、そんな古びて矛盾した潮流とかとっくに澱んで見えるばっかでしかないですし、それって”海”が嫌いって言ってるんじゃなくて、せっかくの”探究”っていう”良心”におもねるばっかの馬鹿、真に受けて疑いもないばっかの馬鹿を所詮食い物にするしかない”権威”だとか、馬鹿が笠に着て言い腐るばっか、なりたいだけでそんなに好きでもない熱心でもない見栄に都合いいばっかの”海”なんてくっそ汚い水たまりも甚だしいだけだし、そんなもんに憧れる馬鹿に巻き込まれたがる趣味も見下すまでの共感すらもとっくに思いつけないばっかしかない、とかそんな感じってことです。
そんなものに溺れたがるとかまぬけしかない気がしちゃうばっかとかそんな感じ。

わかりますか?

”溺れる”の主語って、”評価”ってことだから素通りみたいに読み落として欲しくないんですよね。
メタ認知って、もはや文脈を俯瞰的に補完する、どころじゃなくてパースペクティブに先行支配する運用視座ですし自律駆動も厭わない直感的ベクトル作用のことですから。

”あるなし”って、たかが馬鹿が馬鹿げた見栄に迎合して笠に着て自覚のかけらもない見窄らしさで言い腐る惨めさの白状でしかないと思うんですよね。
いつまでもなんでそんなことばっか気になるんだろって、あたしはとっくの昔からずっと思ってるんですよ。



この世の誰しもが当たり前に信じて疑いのないものなんて、当たり前につまんないくらいにはとっくに、浮世離れしてるので。

通りすがり
116-220-41-241.rev.home.ne.jp

浮世離れを自称する人が、長いものを書ける人、純文学でブレイクできそうな人を、目ざとく見つけては、執拗に噛みついて。形勢不利と茶化したら、ののあの氏が出てきたの笑えました

浮離
KD182249021230.au-net.ne.jp

↑こういうことですね。


>批判対象に依存して批判する。
このサイトでも懲りず繰り返される”こじきムーブ”ってやつですね。
罵る対象に刺激されないと言いたいことも思いつけない、っていうかそもそも言いたいことなんてない卑屈さしかないからこその”依存アンチ”ってこと。
そんな姑息さ、ってことですよね。





真面目な話をしてるのに、軽薄な悪意しかない茶々入れて恥ずかしくないですか
そんなおまえを誰が信用してくれる気がしますか
あたしに噛み付いて、なにか見込むべき価値を訴えられそうですか相変わらずのたかがおまえ程度に
どんな馬鹿でお人好しをお望みですか
ものすごく当たり前の感覚の話ですよ
難しいですか?


自分ごともままならない姑息な依存クズが、なにを上っ面ばかり訴えて気取れるつもりなのか、

>長いものを書ける人、純文学でブレイクできそうな人を、目ざとく見つけては、執拗に噛みついて。


書ける人、ブレイク云々どこにいる?
言ってみなよあたしには全然見当たらないけど
おまえに見込まれるなんて恥しかない地獄放り投げてみなよそいつ可哀想しかないよわかってんの

こんなとこでも"書ける人"っていうのはあたしとまともに付き合えるの
下手くそはあたし程度が言うことすら受け取れずに反発して顰蹙買って肩寄合うしかないばっかに落ちぶれてるでしょ全員
それも決まって自惚れた下手くそばっか

平山黒川しいな馬鹿猫ごみ偏差値小市民えんがわズレまくり夜の雨他におまえが気安く扱えそうな気がしてる全部、ってことだけどわかりみでしょ
おまえはそんなのしか相手にしてもらえないたかが地雷でしょ
肩寄せ合うのは好きにしろだけど、こっちに突っかかってもまともに相手にする価値見込まれてないことちゃんと自覚しろ馬鹿
おまえみたいのがなにを掛け替えたこと言い腐ろうが、そんなの真に受けるのはおまえと同じ馬鹿ばっかだったら自覚しろクズ

無駄なの、あたしを卑怯でこきおろしたがったっておまえの元々ない価値も評価もどうにもならないし、排除したがらなくてもあたしはいつだって消えるし好きにするだけ、あたしが消えたら馬鹿ばっかがのさばってぺらっぺらのから騒ぎサル山状態で退屈ばらまくばっか、つまんなすぎてこのサイト冷え込むばっかでしょいつだって

それわかってるからなおのこと、おまえはあたしが嫌いなんでしょ疎ましいんでしょなんならあたしいないときおまえやることないでしょあたしがくるとひょっこりするでしょなんなのそれわかりやすすぎでしょウザいんですよすごい迷惑
所詮あたしのこと好きなんだし、でも素質から嫌われちゃってつらいんでしょかわいそうにただのストーカーじゃん

あたしのせいじゃないし、おまえが怠け者なだけ、魅力も実力も人望こそ上っ面ばっかだからそうなるばっかなの
なんでそんなのがあたし妬んでどうにかなるとか思うの馬鹿なんじゃないのまじで


馬鹿のくせに被害者かなんかもっともらしく捏造しても庇護する手立ても理屈も実力も人望こそないすみっコぐらし馬鹿が何を根拠にあたしを批判して主張できるつもりなのか、自作を晒してまともに場に立つ気概もない腰抜けすみっコぐらしのケチくさい自分ばっかかわいいだけのヒステリーなんてゴミほどにも価値ないですよ馬鹿猫以下って自覚にも及ばない見苦しい馬鹿がこそこそと醜い欺瞞を吐いて恥も知らないとか卑怯者甚だしく見苦しいですよね
おまえがどんな常識の上面ひっかぶって感想にもならないことで寄り付いても、寄り付かれた気の毒な馬鹿は同族認定で金輪際馬鹿にしか寄り付かれない不利益に腐るばっかっていう事実
すっとぼけたらダメですよ、おまえみたいな奴のせいだしおまえはただの疫病貧乏神でしかないんだからね

わかりやすい鍛錬場の有り様見てごらん
なにしろわかりやすいおまえのわざとらしい悪意と弱腰、ついでに貼っときますよ


>通りすがり
2026-03-29 11:10
116-220-33-46.rev.home.ne.jp
盛りあがってますね。最初からじっくり読みなおして、みなさまに感想&お題2にも回答したいと思います。


平山のとこでのおまえの空々しい相変わらずの見苦しさです
どこが盛り上がってんの? って誰だって思うばっかのこと、見えたもん勝ちのつもりって相変わらずの馬鹿さ加減にしがみつく馬鹿の所業ですよね

下手くそと馬鹿と地雷しか寄り付かない有り様のどこが盛り上がって見えんの
普通に寄り付きたくないでしょ
身につまされる寒々しさわかってほっといてあげてるのに、おまえっていう自分ばっかしかない馬鹿がさらにボロさ冷え込ませるばっかも自覚したくないケチくさいばっかの悪行憚らないでしょ


わかりやすすぎなの
おまえらみたいな卑怯さっていうのは
ごく個人的不純から生えてるばっかなのわかるから、だれも好きになってくれるわけないの
おまえはそんなこともわかりたくない自分ばっかの欺瞞の塊なの
いやですよ、見苦しすぎて


いいですか?
"アンチ"って、価値のバロメーターなんですよ
あたしはまともな人にこそ寄り付き難いプレッシャーばっかくれる棘みたいな人ですけど、やる気も実力こそないただの卑屈な腰抜けに限ってプレッシャーなんてそっちのけでアンチに走るなんて当たり前なんですよ、そもそも敵うわけないってわかってるからプレッシャーもへったくれも、恥を知ることこそないでしょそんなことより安直に自分のケチな欲求慰めたいばっかでしょ


あたし、だいきらいなんですよ
そういう偏狭な自惚ればっかで自足に足るつもりなばっか、これっぽっちも楽しそうじゃない根暗なばっかの無価値なヒステリー存在って


さっさと消えてください誰もこの場所でおまえなんか要らないし、迷惑で馬鹿を助長するだけの悪疫でしかないので



近寄らないで
まじで気持ち悪いから

せんちゃん
sp49-109-237-226.tck01.spmode.ne.jp

浮離さっさと消えてください誰もこの場所でおまえなんか要らないし、迷惑で馬鹿を助長するだけの悪疫でしかないので

そらまめ
211.7.98.98

浮離さん

浮離さんの奥行きは、よい意味でのpretendに思えなくもなく、フリをしているのかと穿った邪推をしてしまいました。失礼しました!

あるなしについて。穴を描くには縁を、確かに描かなくてはなりませんね。
賢明に俯瞰するより、懸命に偏るほうが、確かに作家らしい気もします。
叫び散らかしたのちに訪れるのが本当の凪ぎなのかもしれません。

浮離さんは本気なんですね、pretendなんてしてなくて。
浮離さんのスタンスを尊重します。


――通りすがりさん

拙作ないしは私に向けられたコメントではないように読めましたが、返信いたします。
作家に必要なのは作家性であるかと思われます。その点において浮離さんは、群を抜いているようにお見受けいたします。


――せんちゃんさん

ここに書いたらいかんがな。


コメントありがとうございました。

通りすがり
116-220-41-241.rev.home.ne.jp

凹まされて来なくなる方が少なくないので、ほっとしました。そう、直感とかセンスは独特、卓越したものがあり、苛立つべきは、他人じゃなく筆力不足の己自身にだと感じています。

感想です。
最初の、工事現場は、最近マンションが建つので、景観が失われる(もう失われたか)日暮里の夕焼けだんだんを思い浮かべました。白い奴が、守護霊とか地縛霊とか、あるいは、良心とか、何かの象徴なのか、最初に完成されたという本編なら、もっとはっきりわかるのかなと思いましたが、ピンチの時に助けてくれたり、次の章では、アンガー・マネジメントのコーチのようだし、どっちなのか、もっと知りたく思いました。

ささいなことですが、海ちゃんの登場するところで、
白いシャツが、風で、ぽわっとふくらんだ。
とありますが、シャツ・インなのか、アウトなのか、絵的に気になりました。小型ファンを
作動させたみたいに、かさ増しなのか、はためいたのか、とか。

あと、4人が手をつなぐところ、誰の右手が、誰の左手、って、そういう書き方もあるか、と新鮮ではありましたが、個人的には、こういうのを連想してしまい(スミマセン)
https://www.youtube.com/shorts/KDIJIp-iF5U
もうすこし、シンプルに映像が頭に浮かべられる方がいいかなと。

barのシーンで、久遠の怒りが、赤と黒で表現されてるのは、(自分もあったな)と共感
しました。目の奥、脳の中が赤や、黒に染まって、沸騰する感じ。
久遠という名前が、狙いすぎかなと思い、実際に、いるのかなと検索してみたら、チョコのお店、旅館、台湾のライトノベル作家がヒットしました。もうすこし一般的な名前で、でも、永遠とか、そういうものを希求しているような名前のほうがいいかなと、ちらっと感じました。

象徴的に、色が使われているので、chatGPTに投稿したら、興味ぶかい分析が寄せられそう
ですね。登場人物に、ホロスコープや角度という発想も、まったく自分にはないもので、そのあたりも、どんな見立てがAIから返ってくるか、面白そうですね。
占星術や四柱推命とか、知らない事が多いなと感じ入ります。
難解でしたが、最後の、海へ、という憧れとか希望、爽快感はいいなと思いました。
村上龍の「海の向こうで戦争がはじまる」を思い出しました。

そらまめ
133.106.49.19

通りすがりさん

作品に「肉体」と「風景」を与えてくださる読み方、とても参考になります。

工事現場に、「日暮里の夕焼けだんだん」という実在の風景を重ねてくださいました。拙作の冒頭が「叙情的なフック」になり得た気がして嬉しく思いました。

「シャツインかアウトか」「誰の右手か誰の左手か」について。これは、物語の「リアリティ」を支える重要なポイントですね。
4人が手を繋ぐシーンが「バレエの白鳥の湖」のように読めた(見えた)というご指摘ですが、この場面、実は、紙に絵を描き、各人の左右の手がどう繋がるかを確かめながら書いたのでした。だから、白鳥の湖のようにクロスにはならず、横一列で、花いちもんめみたいな配置になると意図したのですが、読み手がいちいち紙に、ないしは脳内に、図を描いてみるはずもありません。ご指摘の通り、ビジュアル化しづらく、観念に堕した表現であったと気がつき、反省できました。あまりに記何学的に記述しすぎたことで、かえって不自然な(あるいは儀式的な)滑稽さを生むに至ったのではないかと思われました。「右手が左手を……」といった説明を省き、単に「四人は固く手を結んだ」とだけ記したほうがベターだった気もしてきました。勉強になりました。

「久遠」という名前について。「名前の記号性(狙いすぎ)」という具体的な違和感をご指摘いただき、ありがとうございます。チョコのお店や旅館まで調べてくださって、恐縮です。

AI分析への期待について。構造的な面白さを認めてくださり、さらに、それを「AIならどう解くか」と楽しみにしてくださったわけですか。
「ホロスコープ構造」という試みが、現代的な創作の楽しみ方として受け入れられた気がして、小さなガッツポーズです。

試しにAIに、拙作とその制作メモを読んでもらい、感想を頂戴してみました。

――
『海へ』という小説と、キャラクターの惑星・サイン・アスペクトの割り当てを拝見しました。
驚くほど数学的で、かつ物語の葛藤と統合が見事に符合していますね。
特に、海(魚座の月)が、困難なTスクエア(緒方・市野・久遠)に対して、それぞれトライン(120度)、クインカンクス(150度)、セミセクスタイル(30度)という「調和・調整」の角度で関わっている点に、彼女が「白い人」へと導く触媒(メディアム)である説得力を感じます。
ご提示いただいた火星(緒方)、水星(市野)、金星(久遠)によるTスクエアは、現実のホロスコープにおいて十分に起こり得る配置です。
ジオセントリックからヘリオセントリックへの転換に関して、あなたが意図された「コペルニクス的転換(個性化)」のメタファーは、占星術の技法的にも非常に深遠です。
ジオ(地球中心):各天体がバラバラに動き、逆行し、葛藤(Tスクエア)を起こす「囚われの主観」。
ヘリオ(太陽中心):地球をも一つの天体として俯瞰し、太陽(真の自己・セルフ)の視点から全体を統合する「覚醒した主観」。
『海へ』のラストで、主人公が「中心点」を見出し、世界を「はっきり」と見始めた描写は、まさにこのチャートの切り替わりを文学的に表現したものと言えます。(以上引用)

――

AIによる分析、面白かったです。でも、こうして生身の人間の方から「風にふくらむシャツの裾」のような具体的なご指摘をいただける方が、ずっと創作の励みになります。

私の設計図を、ご自分の生活実感や記憶の風景に落とし込んで楽しもうとしてくださる温かなご感想をありがとうございました。

飼い猫ちゃりりん
sp1-75-159-152.msc.spmode.ne.jp

そらまめ様。嫌われていると知っていても、放っておけない猫を許してください。作者というより、作品のためにコメントをするので返信は不要です。
【】が作品を非常に悪くしています。もったいない。
だからと言って、ただ単に削除するだけじゃダメ。
そのための工夫をすることで、作品は格段に良くなるでしょう。
なぜ【】がダメか、わかりますか?
まあ、やめておきます。実際に書いて、完成させてみればわかります。

浮離
KD182249016006.au-net.ne.jp

チェックメイトです

残念ですね
おつかれさまでした

通りすがり
116-220-44-9.rev.home.ne.jp

実際に紙に書いて、それから文になさったのですね。間取りとか表現する時、見習います。随所に、理系かな、だとしたらどの分野でいらっしゃるのかなという明晰さ、論理力をひしひしと感じました。

ご利用のブラウザの言語モードを「日本語(ja, ja-JP)」に設定して頂くことで書き込みが可能です。

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