ランドリーハウス(17枚)
【緒方】
西日が強い。
足場の隙間から見えるのは、積み木のような街並み。
「緒方さん、いい加減にしてくださいよ!」と下から現場監督の声。「かれこれ三日も働き詰めなんです!」
オレンジ色の軍手で、手すりを掴み直しながら思う。
工期を遅らせたら、俺のメンツは丸潰れだ。
「あなたにはもう、ついてゆけません!」
金切り声を、いつものように聞き流しながら俺は見た。
クレーンの脇に、白いシャツを着た男が立っていた。
そんな軽装で、と驚いた。
幻じゃなかった。
ひどく透明な眼差しで、そいつは俺を見つめていた。
【海】
「海ちゃんたら、もう、またぼんやりして。早くお片づけしなさい」
先生の声。
また叱られた。
私は、窓辺から動けなかった。
だって、水たまりが青くて。
「見てよ、先生。あそこに小さなお空があるよ」
先生は、大きなため息をついて、あっちを向いちゃった。
悲しい気持ちになった。
幼稚園からの帰り道、交差点に白い人がいた。
その人は、私を見てた。
いつでも君を、見守っているよ。
そんな目で見てた。
なんだか安心した。
白いシャツが、風で、ぽわっとふくらんだ。
【海と緒方】
それからしばらくして、すごいことがあった。
公園からの帰り道、空からパイプが降ってきたんだ。
パイプに当たって、工事の人が倒れちゃった。
「緒方さん、大丈夫ですか!」
って声が、空から聞こえた。
倒れた人は、オレンジの手袋で、空をぎゅっとしようとしている。
かわいそう、って思った。
そのとき、また、パイプが降ってきた。
「危ない!」
って私は叫んだ。
そしたら、どこからか、白いシャツの人がやって来て、倒れている男の人をかばうみたいにした。
パイプは離れたとこに落ちた。
私は、倒れてる人のところまで走った。
痛そうだった。
オレンジの手袋をぎゅってしてあげた。
「ありがと……ね」
ってその人は言って、にこって笑った。
よかった、って思った。
顔を上げたら、もう、白いシャツの人はいなくなってた。
【市野】
「市野さん、クライアントったら、もう、また仕様変更を言ってきて……、って、聞いてます?」
と、背後からの声。
モニターに映る僕の顔、紫がかって幽鬼のようだ。
「いちいち感情的になるな。データに当たれ」
と返す。
感情はノイズだ。バグしか生まない。
部下が響かせた舌打ちを、いつものように黙殺する。
だが、その夜、独りで画面と向き合っていると、僕は感じた。
三十階の窓の外からの視線――。
立ち上がり、窓辺に歩む。
「錯覚か」
無機質な夜景が見えるだけだった。
【久遠】
「久遠さんったら、そんなに嘆かないで。もう済んだことでしょ」
同期が、あたしの隣でグラスを傾けている。
あたしは、自分のグラスの赤ワインをみつめる。
赤と黒を混ぜ合わせたような色。
絶対に許せない!
裏切られたあの日から、あたしの世界は、赤くて、黒い。
「こっちは犠牲者なのよ。もっと優しくしてよ!」
同期は無言で席を立つ。
「どこに行くの!?」
「おトイレよ」
残されてあたし、また、赤黒い液体を見つめる。
グラスに、すっと、白い影が映った、ような気がした。
振り返る。
誰もいない。
飲み過ぎなのかもしれない。
【久遠と市野】
同期は、先に帰ってしまった。
ワインのおかわりを頼もうとしたとき、声が掛かった。
「酒で解けるような問題は、そもそもからして問題ですらないわけです」
見ないでもわかった。システム部の冷血漢、市野だった。
「サイボーグでも、アルコールはたしなむの?」
と言ってやった。
隣に座って市野は、眼鏡越しに、ナイフのような目であたしを見た。
ワインをぶちまけてやろうかと思ったそのとき、背後から風が吹いた。
白い袖からの手が、あたしの肩と、市野の首を掴んだ。
「つっ……」
電流が走った気がした。
市野が言った。
「久遠さんの痛みは、深すぎて、僕には分析しきれないけれど……」
言葉に、いつにはない温度が感じられた。
「解なしの答えがあってもいいんだと、あなたを見てたら思えてきました」
え?
市野が微笑んでいる?
振り返る。
白いシャツを捜す。
でも、誰もいない。
あの電流は、なんだったんだ?
【対立と葛藤と調和】
スマートシティ展示会――。
会場を埋め尽くすデジタルサイネージと、計算され尽くした照明。
緒方が、中央ステージへと急いでいた。
新しい建材のデモンストレーションに参加するためだ。
混雑の中、緒方の肩が誰かの肩に当たる。
「イッターい!」
女が眉をしかめて緒方をにらむ。
「久遠さん、大丈夫ですか?」
連れらしき男が、女に確かめ、冷たい刃物のような視線を緒方に向ける。
「急いでるんだ。前をふさぐ方が悪い」
「野蛮ですね。物理的な質量移動に頼る前に、周囲の動線を計算したらいかがです?」
「市野、やめなよ。サイボーグがナイト気取ってどうすんだよ?」
女に言われて男は舌を鳴らす。
と、直後、凄まじい爆音が轟いた。
悲鳴。
会場は闇に包まれた。
「キャパに見合わない負荷が、限界を超えたのかもしれない」
男の声が呟いた。
無視して緒方は叫ぶ。
「こっちだ!」
「闇雲に動くな」
冷たい声が制止する。
「もうイヤ!」
女の声が闇を裂く。
「叫ぶな!」
と怒鳴った緒方の手を、小さな手が握った――。
驚いて緒方は、手にしたデバイスの灯りを向ける。
「お父さんと来てて、はぐれたの」
「君は……」
照らし出されたのは、オレンジ色の軍手を包んでくれた手だった。
「こっち」と言って少女は、緒方の手を放すと、次には、取り乱す女と、フリーズする男の手を握った。「あっちで待ってるよ」
「……誰が?」
「白い人だよ」
白い人? クレーン脇の白シャツの男……? あの眼差し……。
「よし、行こう!」
緒方は先頭に立った。
「市野」と女の声。「考えるのは後にしな。今は動こう」
「……わかりました。信じましょう、今は、白い非科学を」
「みんな、離れないで」
幼い声が励ました。
【捜索と統合】
「というわけで、俺たちは……」と緒方が言った。「捜し出さなきゃならない。海に出口を教えた白い奴を。何が起こっているのかを確かめるために」
日曜日のファミリーレストランに四人はいた。
「異議なし」と市野が応えた。
「吹いてるね、風が」と久遠も同意した。
ソーダを飲み干した海が、青いカーディガンのポケットに手を入れた。
「これ……」
白いハンカチを取り出す。
「緒方さんが、血を出して倒れてたとき、白い人が……」
海は、ハンカチを広げた。
「ずっと持っててくれたんだね」
久遠が、海に向かって微笑む。
「唯一の物証ですね……、手掛かりになりますかね?」
市野が眼鏡を光らせる。
「血だらけ、泥だらけじゃないか」
ハンカチを見つめて緒方は、眉を八の字にした。
「なるほど、それか」
と久遠が、深みのある低い声で言った。
「どれ?」
と緒方。
「血だらけ、泥だらけのハンカチを、大人だったら、どうする?」
「洗濯しますね」
と市野が応える。
「『招待状』に書かれているのは、つまり……」と久遠が言い掛ける。
と、皆まで言わさず市野が、デバイスで検索を掛ける。
「パイプの落下事故の、現場付近のコインランドリーは……、一軒だけです!」
四人が画面を覗き混む。
「合理的じゃあ……ないよな?」
と言って緒方が、市野の目を見る。
「合理的なフェイズじゃありませんから」
と市野が応える。
「だな。じゃ、出動するか」
と言って緒方が、卓上の伝票を掴んだ。
川沿いの角。傾き掛けた西日に照らされ、ランドリーハウスがその看板を輝かせていた。
四人は中を覗き込む。
「みつけた」
と海が小さく呟いた。
ガラス越しに、白いシャツの背中。
「さてと」
と緒方が、仲間たちの顔を見渡す。
「いざ」
と市野が静かに応える。
久遠の右手が、海の左手を握る。
海の右手が緒方の左手を握る。
「では」
と言って市野も、久遠の左手を握った。
「行くぞ」
緒方の右手が、ドアを開いた――。
【中心点】
ガラン、ガラン。
ドラムの中で、衣類が激しくもつれ合っている。
オレンジ、ブルー、パープル、ダークレッド……。
さっきまで、心は、四つに引き裂かれていた。
でも今は――。
翌朝、駅のホーム。
誰かの肩が当たる。
緒方なら怒り、海なら悲しみ、久遠なら嘆き、市野なら冷笑していただろう。
でも、もう違う。
背中に向かって、言った。
「お気をつけて」
オフィスに入ると、上司が机を叩いていた。
「なんだ、この見積もりは。やる気がないなら辞めちまえ!」
部下が青ざめている。
上司の内側の住人が見えるようだった。部下の内側の住人も――。
皆、探しているのだ。誰かを相手に、対立しながら、葛藤しながら、心の中心点を。
「申し訳ありません」と部下に代わって上司に告げた。「すぐに修正案をまとめます」
上司は、どこか拍子抜けしたような表情で頷いた。
【出航】
夕方の街が、昨日までとは違った色を帯びていた。
ビルの隙間から見える空が、あんなに深いことに、初めて気がついた。
ふと目に入ったBarへの階段を降りる。
グラスを傾けながら、横を見た。
カウンターの端に女が座っていた。
はっきり見え始めた世界の中で、女はいっそうはっきり見えた。
女がこちらを見た。
グラスを手に、女の隣の席に移る。
「いい夜ですね」
「ええ、とても」
眼差しが、誰かに似ていた。
潮騒が聴こえたような気がした。
船を出そう、と思った。
鮮やかに広がる海へ。
(了)
執筆の狙い
省みるべきを省みました。出直しさせてください。
視点について考えたくて書きました。