無題
銃声は響き争いは続いても
遠い空の下と叫ぶ
GLAYの1999年にリリースされた曲の歌詞の一部です。
いっけんこの詞は「外国の戦争なんか俺たちには関係ない」という非倫理的な意味を持っているように考えられます。じっさい私は約二十年もそういうマイナスなニュアンスを拭うことができずこの曲を心から好きになることができませんでした。
しかし最近の世界情勢に影響されてかふとこの歌詞を思い出すと突然、角度を変えて「戦争をどうにかしたいけどどうすることもできない鬱憤を晴らしたい」というように読むことができるようになってきました。「どうにかしたい〜」という複雑な感情を「叫ぶ」という短い言葉に集約させたのなら納得できますし、もっと深い考察も可能になってきます。それは音楽で大成功し多くの人に良い影響を与えることはできても「戦争」という悲劇は止めることができない、という事実に愕然とする書き手(TAKURO)の姿が歌詞の裏側に現れるということです。そういえば1999年という年は第二次世界大戦から50年以上が経ち21世紀という新しい時代を迎えようとしているにも関わらず、世界各地で戦争や内戦、紛争が跡を絶えませんでした。
このような感情は私たち市井の人よりも著名人、特に音楽や物語の作り手のほうがより一層抱きやすいのではないかとも思います。
さらに私は「君の名は」というアニメ映画に思い至りました。この映画のテーマないしは大きなストーリー展開として「災害を起こさぬよう過去に戻ってその災害をなかったことにする」ということだと思っているのですが、東日本大震災に対する私たち日本人の感情と確実に関係があります。これは非常に意地の悪い見方ですが「擬似的に震災の記憶を"処理"してしまって気を軽くするという効果」が作り手のみならず多くのファンの強い支持に結びついているという解釈がわいてくるのです。この場合、GLAYの件とは違って無意識下における"処理"というプロセスないしはメカニズムがあり、人間のさがでもあり非情な側面だとも思うのです。
似たようなメカニズムをもうひとつ、2012年に日本ダービーという日本一の馬を決めるレースで優勝した「キズナ」という馬がいます。名前の由来はもちろん震災にあるのですが、この馬の愛されかたは異常なほどでした。当時長い不調に悩まされ引退を考えていた武豊をダービージョッキーにし復活を遂げさせた馬ということもあるのですが、やはりこの現象は多くの人の意識の中で「擬似的な震災復興」と固く結びついています。
無論、一番簡単な"処理"は忘れる、忘れてしまうこと。そして対岸の火事だと言い切れる精神ですが……。
執筆の狙い
ふと思ったことを書き殴ってみました。
何かご意見がおありでしたらお聞きしたいです。