春に散る
朝から雪が降り続き、タマはすぐそばで丸まっている。私は売り出しで買ったコーヒーを飲みながら、ガラス越しに庭を眺めている。
今年もタマと一緒に年を越し、七日の朝に七草粥を食べた。大根とナズナは庭で採れたものだ。
母が亡くなる少し前にタマと出会った。母に桜を見せていたら、タマが庭に現れ、縁側に飛び乗った。それ以来ずっと一緒に暮らしている。
青空が広がればタマと公園を歩く。雪が降れば景色を楽しめばいい。生きていれば、楽しいことはいくらでもある。
小学生のときの作文に、祖父のことが綴られている。祖父は私に、「生きているだけでいいんだ」と教えてくれた。赤ペンの入った作文は私の宝物だ。
四年三組 吉村武史
おじいちゃんは、僕の自転車を修理してくれます。チェーンがはずれると、すぐ元通りにしてくれます。
僕がお願いすれば、好きな形にしてくれます。だから僕の自転車は、いつもカッコいいんです。
おじいちゃんは洗濯機も直せるし、お父さんの車だって修理できます。
おじいちゃんは毎朝散歩に行って、喫茶店に寄って帰ってきます。
でも、お医者様に、おばあちゃんはもう長くないって言われると、おばあちゃんのそばに、ずっといるようになりました。
「文子。今年も、たけ坊をつれて花見に行くぞ」
「おばあちゃん。また桜を見にいこうね」
「ありがとう」
おばあちゃんが亡くなると、おじいちゃんは元気がなくなって、同じことを何度も聞くようになりました。
縁側で歌を歌っても、いつも歌詞を忘れちゃいます。
「さくら。さくら。たけ坊。次はなんだったかな」
「また忘れたの。のやまもさとも、みわたすかぎりだよ」
「かすみか、くもか。たけ坊。次は」
「もー。あさひに、におうだよ」
「朝日か。あいつ、本当に死んだのかなあ」
「あいつって?」
「じいちゃんの友達だよ。あいつは朝日に向かって飛んでいったんだ」
お父さんと、お母さんが、おじいちゃんは老人ホームにいたほうがいいって言っていました。
でも僕は、そんなの絶対いやでした。
「おじいちゃんと一緒じゃなきゃいやだ!」
「もういい加減にして」
「おじいちゃんが可哀想だよ」
「おじいちゃんには、その方がいいの。そこなら安心して暮らせるんだから」
おじいちゃんと、近所の公園まで散歩をしたときのことです。
ベンチに座ってお茶を飲んでいると、おじいちゃんが写真を見せてくれました。
「これがじいちゃんで、こいつが高橋。おかっぱ頭の女の子が、文子ばあちゃんだ」
「この女の子が、おばあちゃん?」
「ばあちゃんは高橋の妹なんだ」
おばあちゃんは子猫を抱いていて、おじいちゃんと高橋さんは、茶わんを持っていました。
「なんで茶わんを持っているの?」
「桜を見ながら、酒を飲んでいたんだ」
「お兄ちゃん。あそこ見て」
「どこだ?」
「高橋。枝に白い子猫がいるぞ」
「降りれないのか」
「あたし、木に登る」
「文子。女の子が、そんなことをするもんじゃない」
「文ちゃん。肩車してあげる」
おじいちゃんに肩車をしてもらったおばあちゃんは、腕を伸ばして、子猫を抱いたそうです。
「高橋。綺麗だなあ。まるで雪だ」
「吉村。上官が酒をくれたんだ。飲んでみるか」
「上官が酒をくれた? どんな風の吹き回しだ」
「まあいいじゃないか。それより、お前、この戦争に勝てると思うか」
「無理だ。体当たり攻撃では勝てん」
「吉村。実はな、俺も志願したんだ」
「馬鹿なことしやがって! お前には文ちゃんがいるんだぞ」
「お前だって志願してるじゃないか。俺にだけ残れと言うのか」
それから、おじいちゃんと高橋さんは、九州の飛行場に行くことになったそうです。
「たけ坊。じいちゃんと高橋は、零戦で海の上を飛んだんだ」
「ぜろせん?」
「零戦は、世界一の戦闘機だ」
「カッコいいね!」
おじいちゃんはアメリカの飛行機と戦ってケガをしてからは、零戦の修理ばかりしていたそうです。
「高橋。すまん。俺は修理さえしていればいいが」
「気にするな。それより、お前に頼みがあるんだ」
「なんだ」
「俺が死ねば、文子は孤児になってしまう。頼む。文子を守ってやってくれ」
戦争が終わる日の朝、高橋さんは、朝日に向かって飛んで行ったそうです。
太陽が沈んでも、おじいちゃんは飛行場に立っていました。でも、高橋さんは帰ってきませんでした。
去年の春のことです。おじいちゃんが新聞の切り抜きを持って、お母さんに頼んでいました。
「どうしても見たいんだ」
「疲れると心臓に悪いわよ」
「お父さん。またの機会にしましょう」
おじいちゃんが握っていたのは、富士山の近くで開かれる航空ショーの記事でした。
「おじいちゃんが可哀想だよ。みんなで見にいこうよ」
車から降りると富士山が見えて、飛行場のまわりには桜がいっぱい咲いていました。
僕が「きれいだね」って言うと、お父さんが「すぐに散るけどな」って言いました。
でも、おじいちゃんは、「桜は散ってしまうから綺麗なんだ」と教えてくれました。
マイクを持った男の人が、「皆さん。あちらをご覧ください」と言って空を指差すと、おじいちゃんが声を上げました。
「零だ! わしが整備したんだ。あれに乗り、みんな散ってしまったんだ」
飛行機は僕たちの前に来ると、ぱたりとプロペラを止めました。
「これが零戦です。さあどうぞ。直接触れてください」
零戦をなでるおじいちゃんの手が震えていました。
「おじいちゃん。大丈夫?」
「わしが整備したんだ。これに乗り、みんな散っていったんだ」
航空ショーが終わって帰ろうとしたら、おじいちゃんがいませんでした。
「やめろ!」と声がして、ふりむくと、青い服を着た人たちが零戦を追いかけていました。でも零戦は、青空へ向かって飛んで行きました。
木の葉みたいな服を着た人たちが集まってきて、お母さんに話をしていました。
「あそこに落ちたら、町が大変なことになるんです。何とか説得してください」
お母さんは、小さなマイクを握って話しました。
「お父さん。馬鹿なことはやめて」
「慶子。父さんに出撃命令が出たんだ」
「なに言ってるの! 戦争はとっくの昔に終わってるのよ」
「田んぼが見える。川も見える。これが海に散ったやつらの故郷なんだ」
「馬鹿なことは、もうやめて!」
「おい慶子。高橋が手を振っているぞ。おーい! 生きていたのかあ」
「それは自衛隊の戦闘機です。誘導に従ってください」
「1号機より現地本部。間もなく危険空域に入る」
お母さんが泣きながら、「頭が昔に戻っています」と言うと、おじいちゃんの声が聞こえました。
「どういうことだ。海に敵の基地があるぞ」
「それは原子力発電所です!」
「そうか。敵の燃料補給基地だな。よし、体当たり攻撃をするぞ。慶子、さようなら。たけ坊にもよろしく言ってくれ」
「司令、撃墜の許可が出ました」
「1号機、目標をロックオン」
「やめて!」
「お願い。僕に話させて」
僕はマイクを渡されました。
「おじいちゃん。僕だよ。たけし。友達とサイクリングに行く約束をしたんだ。でも自転車がこわれちゃって、僕だけ行けないんだ」
「なんだと! たけ坊だけが行けないのか。よし。じいちゃんが修理してやる」
次の日から、おじいちゃんは老人ホームで暮らすことになりました。
「お母さん。おじいちゃん、いつ帰ってくるの?」
「おじいちゃんは、ずっとそこで暮らすのよ」
僕が自転車に乗って会いにいくと、おじいちゃんは、いつも自転車のことを聞きました。
「たけ坊。自転車の調子はどうだ」
「大丈夫。すごく調子いい」
夏休みの宿題は、おじいちゃんの部屋でしました。
「戦争は八月十五日で終わったの?」
「そうだよ。でも隣の部屋のばあちゃんは、まだ旦那さんの帰りを待っているんだ」
クリスマスは、おじいちゃんと一緒にケーキを食べました。
おじいちゃんに零戦のプラモデルをプレゼントして、約束をしました。
「僕、立派な大人になるからね」
「たけ坊。立派になんて、ならなくていい。生きているだけでいいんだ」
お正月は、お母さんが作った御節料理を持っていって、おじいちゃんと一緒に食べました。
「おいしいね」
「うん。文子と同じ味だ」
「おじいちゃん。春になったら花見をしようね」
「花見か。花見はいいなぁ」
春になると、老人ホームの庭は桜で真っ白になりました。
でも、おじいちゃんは、起き上がれませんでした。
「たけ坊」
「なあに?」
「窓を」
窓を開けると風が吹き込んで、花びらが布団にいっぱい落ちました。
「雪みたいだね」
おじいちゃんの手を握っていたら、いつの間にか夕日が差していました。
「おじいちゃんは、僕のヒーローだよ」
「たけ坊」
おじいちゃんは少し涙をこぼし、目をつぶりました。
おわり
いつの間にか雪がやみ、椿がきらきらと輝いていた。タマは縁側にたたずみ、ガラス越しに庭を眺めている。
「雪が溶けたら散歩に行くぞ」
タマはじっと何かを見ている。
畑に真っ白な猫がいた。白猫は軽やかに雪を渡り、下からタマを見つめた。ガラス戸を開けると、白猫は縁側に飛び乗り、タマのそばに寝転がった。
「タマ。次は三人で花見だな」
「ニャ」
執筆の狙い
『春に散る』は、雪の朝に寄り添うような短編小説。
愛猫タマと穏やかに過ごす主人公が、幼い頃の作文を手に取る。そこに残る祖父の言葉、「生きているだけでいいんだ」が、遠い戦争の影と、今日の幸せをつなぐ。桜の花びらが散るように、命は儚く、愛おしい。
失われた人への想いと、今ここにある温もりが静かに重なる。猫たちの再会は、心に落ちる木漏れ日のよう。胸の奥が温かくなる一篇。
※上記はAIによる紹介文。3700字の作品です。よろしくお願いします。