朝方のマックはローマの休日
友達「俺の職場でも、イケメンがモテているのは事実なんだけど、そうといえばそうなんだけど、なんか、いわゆる普通の人が考える『モテ』とは、ちょっと違う気がするんだよねぇ。
なんか、一般に言われるように、キャーとか、ワーとか、黄色い反応が見られるというと、そうでもなくて、漫画やアニメだと、キャーとか、ワーって、イケメンに対してわかりやすい反応するじゃん?
リアルだと、あいつら、イケメンを見てもイケメンだという反応を示さない。あれ? 目の前にイケメンがいるのに、ぜんぜんイケメンだというふうに話さないなぁって。それよりも、どっちかっていうと、むしろ、どこか一歩距離を置いているというか、置きたがっている感じ。今、わたしが見ているのはイケメンでもなんでもない、窓の外の景色といっしょというような、あんまりイケメンを認識しないで話しているというか、でも、どこか、心の中では、ふーん、イケメンじゃんって、心の奥底では、とくべつ視しているような……。
この、"ふーん"ってなんなんだろうっていうか。付き合いたい欲望、というわけでもなく、ふーん、って。まぁ、顔はいいけど……。
じっさい、リアルだと、あんまり反応しないよね? 反応はしないんだけど、どこか反応しているというような、奥側のほうでね、自分に関係あるともないともいえないような、複雑奇怪な反応を示すよね、恐竜を見ているような、あれは一体なんなの?」
しまるこ「なんなのって聞かれても……(笑)
俺よりその女に聞けとしか言いようがないけど(笑)
イケメンじゃないお前がそれを知って何になるの?」
友達「いいじゃん、イケメンじゃなくても知っても(笑)
友達「うーん。なんかね、よく、世間では、女はあまり顔を重視しない、顔は関係ない、内面重視っていうじゃん? まぁ、確かにそうだと思うんだけど、それでもやっぱり、イケメンと会ったり、話したり、そういうとき、内部でとくべつな感情が動いているような気がするのね? だけど、それはかならずしも好意的なものじゃなくて、なんか、嫌悪のようなものすら混ざっているというか、こいつに近づいちゃやばい、挨拶程度に済ましておかないとやばい、これ以上、踏み込んだら、取り返しのつかないことになる気がするって、『きょうは会社休みます。』じゃないけど、あのOL漫画と自己が重なっている気がするというか、まぁ、なんか、ちょっと、怖がっているように思えるのね? だから、やっぱり、女は顔を重視しないっていうけど、やっぱり関係しているかなって? あれだけ、サンリオとか、アクセサリーとか、キラキラしているものを身につけておいて、男だけ別ってこともないような気がするんだけどね」
しまるこ「うーん。やっぱり俺は、それをそのままその女に聞いたらいいと思うけど。一言一句違わず」
友達「そしたら俺、職場にいられなくなっちゃうよ(笑)」
だって、やっぱり少女漫画なんかを見ていると、ぜったいキラキラした男が出てくるんじゃん? だいたい、男の萌えアニメのテンプレと同じように、女にだって、雛形として美少年や王子様キャラがあるじゃん。いっつも同じような男じゃん。となりの雑誌の少女漫画にも、まったく同じ男が出てきてるじゃん、あれ、同じキャラでしょ? 俺がとなりの雑誌を手に取る前に、俺より先にそのページに飛び込んだでしょ?
でも、じっさい、付き合うとなると、その手の男と付き合わないんだよね。まぁ、いないんだけど、そんな男は。いないからしょうがないんだけど。でも、不思議なのは、やっぱり、答え自体はそこにあると思うんだよ。漫画に描き出されるのは、夢を描いていると思う。うちに秘めている願望だと思うんだよ。そうじゃなきゃ読み手も買わないと思うし、作家も、読者のため、というけど、やっぱり自分でもそれを願望して打ち出してるんじゃないかなぁ? 本人は、そんなことはないって言うんだけどね。そうじゃなかったら、なかなか描けないと思うし、あんなに、同じような作品が、雁首並べてコンビニに置かれてないと思うし。だから、願望は、願望なんだと思うけど」
しまるこ「俺が印象に残っている言葉として、とあるマチアプの女の子が言ってたんだけど、
『街を歩いている男で1000人に一人もかっこいい男はいない』
これは、だいたいの女がそう思っていると思う。事実、女じゃない俺ですらそう思う。まぁ、あんまりかっこいい男ってのは見かけないよね、女のそれに比べて、少なすぎじゃね? って思うもん。
まぁ、だいたい、よくいっても、普通よりちょい下が多い。そんなにすごいかっこ悪いのがいるわけでもないけれども、すごくかっこいいというのは本当にいないね。ちょっとかっこいいくらいはいてもね、振り返るほどの美形ってのはとても少ない。それは女に比べても全然少ない。
で、このことから、かっこいい男の絶対数が少ないから、かっこいい男が手に入るという絶対数がそもそも少ないんだね。イケメンは絶滅危惧種って言われるように。
だから、もう、ほとんど半ば諦めちゃっているんだね、女は、そこは。
俺らはまだいいよ、外にでりゃ、可愛い子はいっぱいいる、アニメより可愛い子がいたりすることもある。それに比べて女は、少女漫画から出てきた男なんていないからね。
だから、イケメンが出てきても、現実感を感じないというか、この現実感が戻らないこともある。これは最後まで戻らなかったりする。奴隷が刑務所に入って、シャバでの生活を忘れてしまって、臭い飯を食べているうちに、そっちの方に収まるところに収まってしまったというか。
じつのところ、
女は、誰しもが、一度は少女漫画に出てくる王子様キャラに憧れて、失望させられた経験があるんだよ。女は、誰しもが、一度、子供時代、少女漫画に出てくる王子様に恋するんだけど。そうやって、子供の頃、真剣にイケメンを探し回ったんだけど、外中走り回った。でもいなかった。イケメンはいなかった。それが、まだ尾を引いている……ということもないけど、根に持っている……ということもないけど、思いの外、あのとき裏切られたショックがデカいのね。
『イケメンはいない』
散々に探し回ったけど、いなかったもんだから、ずいぶん、その精神的ダメージを負った。
でも、やっぱり、女は……、というより、生きとし生ける生命は強い、上を向いて歩こう。
そうやって、子供の頃に、一度、アレクサンドロス大王がゴルディアスの結び目を断ち切ったように、己のなかでイケメンを殺した過去があったんだね。
だから、今さら、急にノコノコイケメンが現れてきても「?」という顔をする。それは、けっこう念入りに、ぺんぺん草が一本も生えないくらい、根絶やしにしてしまったからね。自分がイケメンに裏切られたという過去もろとも消してしまったから、自分がそれを理由に落胆したという過去さえ覚えていないことも多い。
だから、イケメンを見たときに覚える、「?」という、なんか身に覚えがあるようなないような奇妙な違和感の正体はここからきている。
これは意外と根深い問題で、運よくイケメンと付き合えても、3ヶ月も4ヶ月もしても、まだその気持ちが戻らないということもある。キスしてもセックスしても、自分でも誰とキスしてんのかセックスしてるのかわからないことさえある。けど、それも時間の問題で、イケメンとよっぽど長い時間を過ごしていると、だんだん、ぼやけていた視力が戻ってくるんだね、それは、ずっと後になってからだね、イケメンを見て、あ、イケメンだ! って思うのは。
それまでは、あんまり、イケメンを見てもピンとこないというか、あんまり、イケメンとも思わないんだね。それはちょうどイケメンと離れてしまった時間だけ、リハビリが必要になるのかもしれない。
だから、現実のイケメンより、過去のイケメンからきているんじゃないかな、この問題は。
『女の初恋はかならず自身の父親であり、そしてそれは必ず裏切られる』ってフロイトが言っていたけど、こうして、女の初恋は、二度、裏切られているんだね。
友達「二度、裏切られてたら初恋じゃねーじゃねーか(笑)」
しまるこ「(笑)」
詩人の田村隆一が、「私は男とか女とかいうことについてはよくわからないが、女に対して一つだけわかっていることがある。それは、『女は観念の生き物』ということだ」と言っていたけど。
事実、男は女を失うと、後を追ってすぐに死んでしまうけど、女は思い出を頼りに一人生きてしまえる。
その思い出はそばで屹立しているというのは事実なんだけど、それは偶像として息していることは事実なんだけど、偶像と実像が重なることがある。
ここでいう、つまり、普通の男と付き合っていても、イケメンの偶像が、目の前の彼氏の実像に重なることがあるということだよ。だから、わりとそんなかっこよくない彼氏でも、かっこよく見えてしまうんだね。子供の頃に、殺した、イケメンの偶像がね。じっさい、女は、男のように、鼻の形が、毛穴が、目尻がどうのこうのって、こと細かに、じっさいに目に見えるものを目に見えるものとして、愛したりはしない。女が観念の生き物というのはここだよ。
じっさい、女は、俺たちが女を見ているようには男を見ていない。それゆえ、男は男娼というものができない、それは射精一回きりで燃え尽きてしまうポンコツだからと性機能を引き合いに出す人は多いけど、それ以上に、男は実像を重視するがゆえにババアとセックスできないという理由が大きい。むろん、女だって目の前のハゲを王子様と見るのはどだい無理な話だけど、いつでも女は目の前の光景を美化し、その美化する能力によって、生命を更新し役立てているのは事実だよ。
じっさい、どんな男といるときも、実像よりも偶像を見ている方が大きい。だから、必ずしもイケメンと付き合えなくても、確かに、女の方が見た目を重視しているのは確かなんだ、本当のところではね。でも実像のイケメンよりも観念のイケメンの方が勝利を収めてしまうこともあるんだ。これは、この観念は、どこから生じてるのかはわからない。女本人もわかっていない。生まれつき生じているのか、後天的なものか。俺はたぶんだけど、先の件の通り、小さい頃にイケメンがいなかったこと。少女漫画に出てくる王子様がいなかったことが引き金になっているような気がするんだけどね。その王子様がいなかったこと、その喪失によって、自身で、その代わりとする観念を生みだした。もちろん、この観念は、別に、人型という、男という、固形に限ったものではなく、もっと"美"、美、全体そのもの。だから、もし、ときめきメモリアルの男版のように、女が生まれた頃からまわりにたくさんのイケメンに囲まれていたら、こういった能力は育たなかったような気がする。その証拠に、俺ら男はこういった能力を持たない。恋愛している女も恋愛していない女も、ほとんど同じように恋愛しているような顔をしていて、少なかれ対象を必要としないのは、対象を必要としないと言ったら嘘になるけど、そこには対象もない、人間もない、恋もない、恋ゆえの恋を一人抱いているようなところがある。
そのため、実像と偶像がくっつこうが、くっつかなかろうが、正直、女はそれすら、それなしでも済ませられてしまうところがある。いわゆる、イケメンどころか、ふつうの一般クラスの顔の男さえ必要としないところがある。それは、彼よりも観念の方を必要としているから。そして、その観念は、すでにすべての女が持ち合わせている。だから、フェラチオできてしまえるんだね。この観念が彼女に近づく全ての醜悪から守ってくれる。彼女が持つ、己から発する美しいアストラル界のようなイメージがすべてを打ち消してくれる。男には、そんな能力はない。だから、ババアのマンコは舐めれない」
※
朝5時過ぎ。なかなか寝つけない。昨日はなんと友人と13時間電話をしてしまった。これは最高記録だ。我が人生において、一日に13時間も喋り通した記録はない。40歳にしてこんなことが起こるとは夢にも思わなかった。夕方4時から、13時間、ずっと話していた。その、13時間というもの、ほとんどダレることがなかった。2分に一回は爆笑していた。そのせいか、もうほとんど精神が精神として機能しておらず、いよいよ眠りにつこうと思っても寝れず、不思議なことに、まだ頭は熱していて、何かできそうである。こうして無駄に布団の中で、クスリでもキマっているように目をギラつかせているよりかは、起き出して、文章の一つでも二つでも書いた方がマシだろう、ということで、俺はマックに行くことにした。
明け方のマックには、二種の人間がいる。勤勉で早起きで会社に出勤する前に15分でもいいからノートパソコンを開いて仕事しようと駆け込んでくるスーツ姿のサラリーマンたち。もう一種は、朝ともいえない、夜から地続きの、一晩中騒ぎ通しで疲れて最後の憩いの地としてやってくる若者集団。
がらんとしている。席はほとんど空白である。定期的に、調理場の機械が、ピーッとオレンジ色のランプを光らせながら鳴る音だけが虚しく響いている。一応、店員はいるが、閑古鳥のような顔をしていて、店とは関係ない人物のように立っている。ピーッという音は、彼が発しているのかもしれない。
俺は朝日がちょうど昇る瞬間を見たかったので、窓際の席に座ることにした。目の前にはアベックの姿がある。夜通し飲んで遊んでカラオケ行ってやることはぜんぶやったが、まだ互いの家に帰るのも寂しい気がして、こうして時間を持て余している。ほとんど会話らしい会話もない。女は男の肩に頭をのせてポカンとしている。寝ているともわからない、が、たまに顔を上げて、洞穴から出てきた森のリスのようにキョロキョロと店内を見回したりもする。女の顔はほとんど化粧をしていなかった。まるでマクドナルド全体が、自身の家の脱衣場であるかのように、自由に息をして過ごしていた。
この光景は、この清々しい朝にとって、目に毒といえば毒かもしれない。
「さぁ〜! これから会社に乗り込む前に、いっちょ朝飯がわりに仕事終わらせたるで〜!」というような、その推進力を前にほとんど髪を置き去りにしてしまった中年ハゲたち、彼らにとっても、やはりこの光景はなかなか目に刺激的らしく、自身のレッツノートとアベックの間を視線を行ったり来たりさせていた。
(彼らは、この時間まで何をしていたのだろう?)
それが、サラリーマンたちの最大の関心ごとだったらしい。
アベックは、二人の間でやることは全てやり終えた顔をしていた。一年の行事。バレンタイン、ホワイトデー、七夕、誕生日、クリスマス、24時間耐久セックス、お花見、全部やった。およそ男女における世間一般の慣わし、それを十分にやり尽くした結果、今や消し炭ひとつ残らず、マックの椅子に座って燃え尽きている。男はもう、となりに座っている女が服を着ていようが着てなかろうがそれも問題としていないようだった。
それが、中年オヤジたちにとって、疑問符を投げかけるものだったらしい。
もう、彼との間にやるべきことはやり尽くしてしまったのだから、どうしてそこに居る必要がある? 若いんだから、生きているんだから、なにかをしなさい。もう、その階での出来事を終えたのなら、新しい階段を登りなさい。一応は、新しい人と交際すれば、新しい体験が待っているだろう。今、君に必要なのは、新しい人との、新しい体験だ。私には、彼のように、ノースフェイスの黒のダウンジャケットを着ながら、ダラダラと一緒にマクドナルドの椅子にふんぞりかえっているという、そういった体験は提供できないが、人が変われば、新しい体験がある。この場合、新しさだけが重要だ。それはつまり、もう何も残ってない皿に対し、その上に、食べ物が置かれているか置かれてないか、ということだけが問題であり、ただ、料理という、中身が置いてあるという点だけを取ってみて、ないよりはマシだろうという、たとえ、マズかったとしても、質量をもった物質としての、ぶったいがある。ということ。それはほとんど暴力のようなこじつけ論であり、ナイよりは、マシじゃないか、そういった目線で、サラリーマンたちは、アベックを見ていた。
執筆の狙い
友達との電話シリーズ。第169弾です。
こちら、連続テレビアニメ小説シリーズ『未確認飛行物体マンモッコリ』の新作2話になります。
https://www.youtube.com/watch?v=PfQiewfS5jg