信頼という道標
級長として、クラスの一員として、みんなの声に耳を傾、それぞれの言葉の奥に隠された思いを感じ取りながら、自分なりに行動できるようになって11ヶ月が経とうとしていた。
みんなが零す思いの奥を迷路のように彷徨い、一人黙々と考え込んでいると、ふと〝みんなが声を届けてくれた〟という事実に気づき胸が温かくなる瞬間がある。しかし、その胸底には小さな虚しさが潜んでいて、自分の努力は無駄なのかもしれない、と頭をよぎる時がある。
そんな時、友達がその小さな虚しさを見つけ出し、そっと掬い出してくれる。その瞬間、迷路の中で一人立ち止まり、かすかな温もりを感じる。そしてまた、声を届けてもらえる喜びと、自分の思いを抱えながら、私は迷路の中を歩き始めることができるのだ。
迷路は、ただひたすらに歩くだけでは先に進めない。道が切り開く時もあれば、自分が今どこにいるのか分からなくなる時もある。一人迷子になっていると友達や先生、級長の相方、クラスメイト、他クラスの級長などが小さなヒントを与えてくれる。その小さなヒントを得ると、いきなり景色がガラリと変わることもある。一人では見えなかった景色が、誰かの助けで見えるようになる。そんな経験をこの中学校三年間、積み上げては崩れながら、だけど確かに蓄積していった。
私はそんな迷路を彷徨う中で、迷いを抱えた自分と向き合い、自分の考えを確かめる時間を大切にしてきた。自分の思いを整理し、周囲の声に耳を傾けることで、他人の気持ちに気づくことができる。その気づきが、だんだん自分と他人との距離を縮めていく。向き合う時間を重ねることで、相手を信じたい、頼りたいという気持ちが生まれ、やがて互いをもっと理解し合おうという意欲が湧いてくるのだ。
こうした向き合う時間が、大事だと改めて気づかされた場面があった。修学旅行の部屋決めだった。話し合いが思うように進まず、意見が出るたびに別の不満が生まれ、空気は次第に重くなっていった。級長として何か意見を出す役割を求められていることは分かっていたが、私の言葉一つで、誰かの思いが否定されてしまうのではないかと不安で、簡単に言葉を出すことができなかった。
そこで私は、一人一人に向き合い、本当はどうしたいのか、どんな気持ちを抱えているのか、そしてどこまでなら妥協できるのかを、できる限り聞いた。すぐに答えが出ない人もいて、何度も同じ思いを確かめる場面もあったが、その時間を省くことはできなかった。その行動をきっかけに、絡まっていた糸が解けるように、少しずつ先が見えた気がした。
すべての希望を叶えることはできなかったが、みんなの考えを知り、受け止めようとする過程を重ねることで、話し合いは少しずつ前に進んでいった。このとき私は、相手を信じて言葉を待ち、自分の判断を急がないことが、「信頼」を築くために必要だと実感した。
ここまで何度か〝級長として〟という言葉を使ってきたけれど、ここまで級長という自覚を持ち、頑張ることができたのは、クラスのみんなが私を信じ、頼ってくれたからだと思う。その「信頼」に応えたい、みんなが最後には笑って終えられるようにしたい。そう思える良いクラスだったからこそ、ここまで頑張れた。クラスのみんながいたから、私は迷いながらも一歩を踏み出し続けることができたのだ。
こうして振り返る中で、私がこの三年間を通して何度も向き合ってきたのが「信頼」だった。
私にとって「信頼」とは、決してすぐに生まれるものではなく、相手の言葉を急いで結論づけず、否定せずに受け止めることから始まる。その小さな積み重ねが、互いの距離を少しずつ縮めていく。時には何度も聞き返し、思いを何度も確認することもある。そして向き合うことで、気づけば声は自然と自分のもとに届くようになり、伝えたいことも少しずつ伝わるようになる。級長として過ごした日々の中で、みんなが思いを零してくれたのは、決して偶然の出来事ではなく、この小さな行動の連続の結果だったのだと思う。
しかし、一度築いた「信頼」も、動きを止めれば簡単に揺らいでしまう。だから私は、迷路の中で何度も道に迷い、立ち止まるたびに、もう一度耳を澄ませ、相手の言葉に向き合い続ける必要があった。相手の思いを受け止めることは、時に疲れや不安を伴い、自分の弱さや迷いも同時に突きつけられる作業でもある。それでもその不安を抱えたまま、もう一歩踏み出すこと、その繰り返しこそが「信頼」を守り、深める唯一の方法だった。
相手を信じないと「信頼」は始まらない。相手を信じることは、同時に自分の判断を相手に委ねることでもある。その瞬間には、少なからず不安が伴う。言葉は、いつも正しく働くとは限らないからだ。言葉は、意図せず相手を追い詰め、無意識のうちに相手の居場所や、安心を奪ってしまうこともある。
その重みを意識すればするほど、一言一言に緊張し、どう伝えれば相手を傷つけずに自分の思いを届けられるのか、そんな正解のわからない道を彷徨うこともある。それでも私は、その不安を抱えたまま一歩を踏み出すことで、初めて見える景色があることを知った。
相手を傷つけない言葉を選びながら、自分の考えを伝え、同時に相手の考えを同じ重さで受け止めることは、決して簡単ではなく、想像以上の集中力を必要とする。誤解が生まれたり、言葉が届かずに距離が広がってしまうこともある。それでも、私は伝えることも、耳を傾けることもやめないでいる。
対等な立場で話し合う不器用なやり方の中で、すぐに答えが出なくても、互いの考えを持ち寄る時間そのものが「信頼」を形作っていくのだと感じたからだ。迷路の中で受け取ったヒントや、相手との会話は、遠回りに見えても、確実に次の道へ繋がっている。
私の言葉はまだ不完全で、時に誰かを傷つけたり、誤解を生むこともある。けれど、その不完全ささえも、向き合い続ける時間の中で少しずつ和らぎ、互いに向き合い続けることが「信頼」を支える糧となり、道を開く力になるのだと、私はこの三年間で深く実感した。
では、「信頼」を形にするとは具体的にどういうことだろう。
私にとってそれは、迷路の中で立ち止まるのではなく、恐れや不安を抱えながらも、一歩踏み出す勇気を持つことだ。相手の考えを受け止め、理解しようと努めるだけでなく、同じように自分自身も差し出す。自分の弱さや迷いを見せ、助けを求め、手を貸してほしいと伝えること。それは決して簡単なことではない。時には戸惑いや、言葉が足りずに伝わらないもどかしさに、心が揺れることもある。
それでも、一歩を踏み出すたびに、迷路の道は少しずつ開けていく。立ち止まり考え、ヒントに耳を傾け、互いに言葉を交わし、考えを重ね、受け止め合う。それを繰り返していくことで、迷路の中に小さな光が差し込み、互いに信頼し合える場所が見えてくる。その場所は、目に見える景色ではなく、言葉を通して築かれた安心感や理解の積み重ねであり、私にとっての「信頼の形」だ。
振り返れば、中学一年生の頃の私は、人に頼らず、自分の中で物事を完結させることが多かった。迷路の中で道に迷うたびに、一人で切り抜けようと足掻き、失敗や戸惑いを胸に抱え込む日々だった。その時は、自分の考えだけが頼りで、誰かに助けを求めることも、弱さを見せるのも怖かった。
しかし二年生になると、少しずつ周りを頼ることを覚えた。友達の小さな言葉や先生の助言に耳を傾けるうちに、一人で抱え込まなくていい、と気づき始めたのだ。
そして三年生では、自分の思いを言葉にし、助けを求められるようになった。修学旅行や合唱コンクールでは、クラスのみんなや先生の考えを受け止めながら、自分の意見も真っ直ぐ伝えることができるようになった。その瞬間、言葉を通して生まれる信頼の重さと温かさを初めて感じることができた。
こうして振り返ってみると、迷路をただ彷徨い続けていた私が、言葉を選び、「信頼」を積み重ね、自分を差し出す勇気を得たことが、私に「信頼」を形作る力を教えてくれたのだ。
そしてこれからも、迷路は続くだろう。道に迷うことも、先が見えなくなることもあるだろう。それでも、互いの言葉を信じ、相手を「信頼」し、迷路の中で一歩踏み出すことをやめない。その一歩一歩が次の景色を切り開いてくれることを信じて、私は進んでいきたい。たとえ不安や迷いがあっても、「信頼」の積み重ねは必ず光となり、次の道を照らしてくれることを知ったから。
執筆の狙い
中学最後の国語の授業で書いた、卒業文集です。鷲田清一様の「それでも、言葉を」を参考にさせて頂きました。信頼と言葉について経験に基づき自分の考えを書いたものになります。
自分の小さな一意見に過ぎませんが、みなさんが少しでも考え直したり、よいきっかけになればと思います。