作家でごはん!鍛練場
黒川憐

私はまだ、なににもなれないでいる。

 好きだった彼が横にいた時間は、とても短かった。でもあの頃の私は、それは永遠に続くものだと信じていた。
 あの時間は、春のはじまりみたいに胸の奥をやわらかくほどいてくれた。
 あなたの大きな背中。くしゃっと細くなる目。方言まじりに名前を呼ばれるだけで、胸の奥が暖かくなった。

 今も同じ校舎にいるのに、距離が前よりずっと遠い。廊下の向こうであなたの笑い声が弾けると、無意識に振り向いてしまう。
 それはもう、波の音を聞いたら海を探してしまうみたいに。
 やめたいのに。
 胸の奥が、引き潮と満ち潮をくり返すみたいにざわざわと落ち着かない。

 あなたが他の女の子と肩を近づけて笑っているのを見たとき、心の中で何かが音を立てて崩れた。桜のつぼみを無理やりこじ開けたみたいに、未熟な感情がむき出しになる。
 どうして私は、あの子じゃないんだろう。
 どうして私は、あのとき素直に甘えなかったんだろう。
 どうして「大丈夫」なんて言ってしまったんだろう。
 本当は、もっとそばにいてほしかったのに。
 もっと、不安だって言えばよかったのに。強がって、聞き分けのいいふりをして、平気な顔で手を離したのは私だ。
 あなたはきっと、あの子にはちゃんと弱さを見せているのだろう。 それを想像するだけで、胸の奥が嵐の海みたいに荒れる。悪いのは、私なのに。
 重くならないように、って必死で軽くなろうとして、気づけばあなたにとって持ちやすい人になろうとしていた。
 でも、ちゃんと好きだった。ちゃんと、怖かった。桜は咲く前がいちばん不安定だという。私もそうだったのだろうか。

 連絡先は、まだ消せない。消したら、あの頃の自分まで否定することになりそうで。
 トーク画面は春の海みたいに静かで、でも底のほうでは感情が腐りかけている。送れない言葉が喉の奥で砂になる。

 桜のつぼみは、まだ固い。
 私はきっと、散ることもできない花びらだ。咲ききれなかったくせに、まだ枝にしがみついている。
 でも、固いつぼみの奥にも、ちゃんと色は眠っているらしい。
 ほんの少し、空を見上げたとき、あの頃の私が浮かんだ。不器用で、怖くて、失うのが嫌で、それでもちゃんと好きだった私。
  あのときの私は、必死だっただけだ。
 咲ききれなかったとしても、風に揺れることしかできなかったとしても、それでも確かに誰かを愛していた。
 それは、間違いなんかじゃない。
 春が来たら、きっと散る。
  でも今はまだ、この枝の上で、小さく震えながら、花開く準備をしている。

私はまだ、なににもなれないでいる。

執筆の狙い

作者 黒川憐
M014011049192.v4.enabler.ne.jp

お久しぶりです。私事情で忙しくしていました。今回は、今までの自分を取っ払って書きたいことをただ書いてみました。
久しぶりに書いたので、感覚が抜けている気がしますが、読んでくださると嬉しいです。

コメント

(〃ノωノ)
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黒川憐さま

「私はまだ、なににもなれないでいる。」

拝読させて頂きました。

素晴らしいです。

感動しました。

私は溢れ出る涙を止めることが出来ませんでした。

黒川憐さまの明るく優しくそして強いお人がらが作品ににじみ出でいるように感じました。

こんな素晴らしい詩情豊かな作品を読んだのは生まれて初めてです。

こんな素晴らしい詩情豊かな作品を書けるあなた様は素晴らしい心の持ち主だと思います。

まさに文は人なり、ですね。

これからも黒川さまの御健筆、珠玉の作品を期待しております。

リンク致しました動画では、黒川憐さまが若い時の菊池桃子であり私めは堂園です。

素晴らしい作品を読ませて頂かせて感謝しております。

これからの御健筆を心よりお祈り致しております。

しいな ここみ
KD124209081049.au-net.ne.jp

拝読しました(•ᵕᴗᵕ•)⁾⁾ぺこ

『桜のイメージ』『海のイメージ』『実際に目に見えている景色』──三種類のイメージが重なり合って、かなりレトリック過多で複雑な文章世界となっていますが、それぞれが無駄に邪魔し合うことなく、むしろ鮮烈に主人公の気持ちを表現していますね。

>重くならないように、って必死で軽くなろうとして、気づけばあなたにとって持ちやすい人になろうとしていた。
>でも、ちゃんと好きだった。ちゃんと、怖かった。桜は咲く前がいちばん不安定だという。私もそうだったのだろうか。

↑ここなんて一瞬『んっ?』と立ち止まらされました。いきなり荷物に比喩が飛んで、そこからヒュルルンとまた桜のイメージに戻ってくる。立ち止まって味わっているうちにじわじわと快感に変わるほどの力がありました。

失礼ですが今までの黒川さまの作品は無駄なレトリックが多すぎたり逆にスカスカだったりでどうしても読み進めることができなかったのですが、この作品は初めて良いと思いました。『これはポエムだ』とか言うひとがたぶん出ると思いますがお気になさらず。そのひとたちは小川洋子さまどころか太宰治すらも読んだことがなく、ただ自分の狭い規範の中で『小説とはこういうものだ!』と頑なに決めつけていらっしゃるのです。もはや可能性がなく、脳みそが固まっちゃってるオッサンなのです。

書きたいことをただ書く──確かに肩の力の抜けた自然体の味わいがありました。

気になる点を挙げるとすればタイトルです。モラトリアムな内容かと思ってしまいました。何か意図があるとしても合ってないと思います。また、海のイメージが途中からどっかへ行ってしまいました。ラストでまとめるなり広げるなりしてほしかったな。

偏差値45
KD059132068094.au-net.ne.jp

文章は分かりやすいので良いです。
一方で、詩的でストーリー性が弱いかな。
整然さはあるのですが、その反面インパクトが弱い気がしますね。

夜の雨
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黒川憐さん「私はまだ、なににもなれないでいる。」読みました。

娘ごころが書かれていますね、一人称で感受性のある「私」が伝わってきました。

 好きだった彼が横にいた時間は、とても短かった。でもあの頃の私は、それは永遠に続くものだと信じていた。
 あの時間は、春のはじまりみたいに胸の奥をやわらかくほどいてくれた。
 あなたの大きな背中。くしゃっと細くなる目。方言まじりに名前を呼ばれるだけで、胸の奥が暖かくなった。

この冒頭ですが、彼との時間はすでに破綻している、つまり現状は「おつきあい」をしていない。
というところから、始まっています。
付き合っていたあの頃は、関係が終わるなどとは思ってもいない。
まあ、当たり前ですが、主人公の私は彼を好きなので。
どのように好きなのか、という事が短い言葉で描かれていますが。
>大きな背中。くしゃっと細くなる目。
>方言まじりに名前を呼ばれるだけで、胸の奥が暖かくなった。
これって、頼りがいがある。優しさがあふれている。
個性があるしゃべり方で私の名前を呼ぶので、胸の、それも奥が暖かくなる。
ということで、彼を好きになる基本的な条件がそろっています。
この冒頭は、ほぼ完ぺきではないかと。

 今も同じ校舎にいるのに、距離が前よりずっと遠い。廊下の向こうであなたの笑い声が弾けると、無意識に振り向いてしまう。
 それはもう、波の音を聞いたら海を探してしまうみたいに。
 やめたいのに。
 胸の奥が、引き潮と満ち潮をくり返すみたいにざわざわと落ち着かない。

で、冒頭ですでに「おつきあい」は、していない。という振り(伏線)があります。
その結果の現状が、どうなっているのかが、ここで、描かれています。

校舎の中で彼が近くにいて、存在を意識している様子やらの、心の葛藤がありますね。

 あなたが他の女の子と肩を近づけて笑っているのを見たとき、心の中で何かが音を立てて崩れた。桜のつぼみを無理やりこじ開けたみたいに、未熟な感情がむき出しになる。
 どうして私は、あの子じゃないんだろう。
 どうして私は、あのとき素直に甘えなかったんだろう。
 どうして「大丈夫」なんて言ってしまったんだろう。
 本当は、もっとそばにいてほしかったのに。
 もっと、不安だって言えばよかったのに。強がって、聞き分けのいいふりをして、平気な顔で手を離したのは私だ。

どうして二人が別れたのか、というところがここに描かれています。
彼には主人公の私は、必要ないと思わせたというような意味がありますね。
>あのとき素直に甘えなかった
>「大丈夫」なんて言ってしまった
>強がって、聞き分けのいいふりをして
それで、彼は彼女にはおれは、必要ないと思わせたのかも。
しかし、これって、彼が主人公のキャラクターをしっかりと把握していなかったからだろうと思いますが。
「テヘヘ、強がっているが、ほんとうは俺にあまえたいのだろう」とか、彼女の個性がわかっていない。唐変木な彼でした。このあたりが「方言まじり」な彼のキャラクターなのでは。純朴で、女心がわかっていない。

続く

夜の雨
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後編

>あなたが他の女の子と肩を近づけて笑っているのを見たとき<
で、ここなのですが、特定の女の子の名前になっていません。
ということは、その他大勢のなかの女性という事になるので、彼は、まだ、その女の子と付き合っていないということに、主人公の私目線ではなっているので、まだ、可能性は十分にあります。
>あなたが憐(黒川)と肩を近づけて笑っているのを見たとき<
こうなると、やばいのですが(笑)。
特定の女性となるので。

 あなたはきっと、あの子にはちゃんと弱さを見せているのだろう。 それを想像するだけで、胸の奥が嵐の海みたいに荒れる。悪いのは、私なのに。

ここは、筋から言うと
>あの子はちゃんとあなたに弱さを見せているのだろう。 <
となりますね。主人公は自分が彼に弱さを見せることができなかったので、おつきあいが出来なくなった、ということなので。
彼が、あの子に弱さを見せていたと主人公は、想像していますが、それなら、主人公が彼とおつきあいをしていたときのエピソードで「彼が、主人公に弱さを見せる必要が出てきます」。

 重くならないように、って必死で軽くなろうとして、気づけばあなたにとって持ちやすい人になろうとしていた。
 でも、ちゃんと好きだった。ちゃんと、怖かった。桜は咲く前がいちばん不安定だという。私もそうだったのだろうか。

なかなか気持ちの整理がつかない主人公で、頭の中で彼とどんなおつきあいをしていたのかを、整理しています。
桜に自分を例えているところが、女の子らしい表現ですね。

 連絡先は、まだ消せない。消したら、あの頃の自分まで否定することになりそうで。
 トーク画面は春の海みたいに静かで、でも底のほうでは感情が腐りかけている。送れない言葉が喉の奥で砂になる。

現状だと、まだまだ可能性はありますので、と言ったところだと思いますが。
主人公は、もう、だめだと思っているようです。
この場面でも「トーク画面は春の海みたいに静かで」とか「底のほうでは感情が腐りかけている。」「送れない言葉が喉の奥で砂になる。」など、詩人のようで、読んでいる方は情感が伝わって来て、面白いですが。

 桜のつぼみは、まだ固い。
 私はきっと、散ることもできない花びらだ。咲ききれなかったくせに、まだ枝にしがみついている。
 でも、固いつぼみの奥にも、ちゃんと色は眠っているらしい。

この場面はいいですね。
「桜のつぼみは、まだ固い。」で、若さを描いて、
 「私はきっと、散ることもできない花びらだ。咲ききれなかったくせに、まだ枝にしがみついている。」ここで、執念と根性があるところが、すげぇ~、という感じ。
「でも、固いつぼみの奥にも、ちゃんと色は眠っているらしい。」この「色」が眠っているところに、この女性が今後どういった恋愛とか、男関係を作っていくのだろうかとかと、読み手の妄想の世界が広がる。


 ほんの少し、空を見上げたとき、あの頃の私が浮かんだ。不器用で、怖くて、失うのが嫌で、それでもちゃんと好きだった私。
  あのときの私は、必死だっただけだ。

あれれ、もう、終わったという感じですね。あきらめた彼を「空を見上げたとき」があるので、そうなるかな。そのあとも、過去形という感じでした。

 咲ききれなかったとしても、風に揺れることしかできなかったとしても、それでも確かに誰かを愛していた。
 それは、間違いなんかじゃない。
 春が来たら、きっと散る。
  でも今はまだ、この枝の上で、小さく震えながら、花開く準備をしている。

彼は完全に過去形になりました。
しかし、「得るものは、多かった」という感じで、散るにしても、まだ「この枝の上で、小さく震えながら、花開く準備をしている。」とあるので、未来への希望の準備をしているので、彼とは終わったが、新しい恋がまた芽生えるのではありませんかね。

作品全体では、中盤でブレのようなものはありますが、オチへの流れを見ると、構成を注意すると、かなり良くなるのでは。

 A>あなたはきっと、あの子にはちゃんと弱さを見せているのだろう。 <

御作のオチだと、中盤のAで正解という事になります。
しかしAの構成でいくと、主人公が彼と付き合っていた時の構成に問題が出て来るので、話をつじつまが合うように、嚙合わせる必要が出てきますね。


なかなか、よかった。

飼い猫ちゃりりん
118-105-126-27.area1a.commufa.jp

黒川憐様。

>私はまだ、なににもなれないでいる。

早口言葉みたいな題名ですね。題名は店の暖簾のようなもの。頭にストンと入るインパクトのあるものにしましょう。

> 好きだった彼が横にいた時間は、とても短かった。

また説明ですか。「好きだった」を削除しましょう。「とても」も不要。

(修正案)
彼が横にいた時間は短かった。

この方が雰囲気があるでしょ。

>でもあの頃の私は、それは永遠に続くものだと信じていた。

「私」は不要。言われなくても分かる。「永遠に」は過剰表現。「ずっと」くらいでいい。

(修正案)
でもあの頃は、ずっと続くと信じていた。

(合体)
彼が横にいた時間は短かった。でもあの頃は、ずっと続くと信じていた。

あとは流し読み。ざっと見たところ、説明文が散見される。
小説もポエムも、説明文にならないように注意しましょう。
その前に、なぜ説明文が良くないか、わかりますか?

平山文人
zaq31fb1c44.rev.zaq.ne.jp

黒川燐さん、作品を拝読させていただきました。

この作品が小説か散文詩かは判断の分かれるところでしょう。私はどちらでもいいと思います。

作品の分析は黒い雨さんが全てやってくれた、と思うので(全てに共感します)、私個人の感想を書きます。

こういう切ない片想いは私も若い頃にしました。もうオッサンなのでそんなものは全くなくなっていますが(苦笑)

>どうして私は、あの子じゃないんだろう。  というような、切実な、悩ましい嫉妬。きっと片想いに悩む全ての若い子たちが同じ苦しみを経験するのですね。黒川さんはこういったもどかしい感情を美しい言葉で表現されました。素晴らしい感性だと思います。

古くは高村光太郎の「智恵子抄」川端康成の「伊豆の踊子」から、現代なら綿矢りさの「蹴りたい背中」住野よるの「君の膵臓を食べたい」など、近代日本文学の通奏低音である「切なさ」「未熟さ」を書く作品の正当な系譜にあります、この作品は。この感性は絶対に大事にして欲しいです。今後どんな作品を書くとしても、必ずそれは姿を見せる、あなたの「核」だと思います。

この「核」を大事に守ってほしいです。それは必ずこれから黒川さんが描く作品を素晴らしいものにすると思います。

それではこれからもお互いに頑張りましょう。

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