かえるが買える
かえる神社に参拝した。どこにでもあるような小さな神社。
ご神体は、ただの石ころにしか見えない。
わからない。人間の信仰というものは――。
言うまでもなく、かえるを祀っている。いや、石ころを祀っている。
無事にかえる。生きかえる。縁起がいいらしい。つまりは語呂合わせ。
もっとわからないのは、彼女の行動だった。
「かえるが買える」などとダジャレを言っている。ひとりではしゃいでいる。
実際、彼女はかえるのお守りを買っていた。ガチャガチャほどの小さなかえる。
しかも二千円もする。わからない。
それだけなら、まだよかった。
「あげる」と彼女は笑顔で言ってきた。
リアクションに困るよ。これは――。
「いらない」と僕は冷ややかに答えた。
人間、正直であるべき。
それでも彼女は「いいから、いいから」と繰り返す。
そして無理やり、かえるのお守りを僕の体に押し付けてきた。
強引で、わがまま。
嫌々ながらも、うっかり僕は彼女の笑顔に負けて受け取った。
しかも条件反射のように「ありがとう」と言ってしまうのだから情けない。
その帰り道。光と影が交錯する夕暮れの街並み。
僕の軽自動車で砂山橋の交差点に差しかかったときだった。
信号は赤で、停止線の手前で車を止めた。
ふと視界に不可解なものが入り込んだ。
「いったい、あれは何をしているんだろうね」
僕は何気なく口にした。
「え、どこどこ?」
「そこだよ。そこにいるだろう。『事故多発注意』の看板の隣だよ」
僕は人差し指で、その方向を示す。
「わかんないよ」
どうやら彼女には見えないらしい。
僕は、なにか不気味なものを見てしまった気がした。
数週間後。
深夜、配送の仕事でトラックを運転していた。
前方には、暴走族らしいバイクが一台、走っている。
パラリラパラリラとラッパを鳴らし、エンジンを唸らせていた。
僕は十分な車間距離を空ける。
砂山橋の交差点の信号は赤だった。
なぜか僕は口の中に血の味が広がるのを感じた。
次の瞬間。
鉄と鉄が激突する衝撃音が、夜の静けさを引き裂いた。
信号を無視したバイクが、横倒しになっている。
幸い、他にほとんど自動車が走っていなかった。
僕は事故現場を避けるように、慎重にハンドルを切る。
接触したもう一方の自動車の運転手は中年の女性で、
ひどく動揺しているようだ。
砂山橋の交差点は見晴らしがいい。
運が悪いのか、頭が悪いのか――僕は一瞬そう思った。
だが、どちらでもなかった。
そこに、あの不可解なものが佇んでいたからだ。
しっかり見ようとしても歪みが生じる。人の形をした黒っぽい存在。
そんな出来事も忘れかけていたころ。
空は快晴で、風が心地よかった。
カーオーディオからは陽気な音楽が流れている。
僕は軽自動車のドアに右肘を預け、片手でハンドルを握っていた。
砂山橋の交差点の信号は青。
何も問題はない――はずだった。
なのに突然ブレーキを強く踏み込んだ。
僕の意思ではなかった。
それと同時に新鮮で澄んだ空気を吸い込んだ気がした。
あらためて信号機を見上げる。やはり青だ。
どうしてだろう? と思った瞬間――。
来た。
砂山橋の交差点を、大きな車両が横切った。土砂を積んだダンプカー。
道路が揺らいでいるように感じた。
僕は衝突するはずの交差点を見つめた。
もしブレーキを踏んでいなければ、大変なことになっていたに違いない。
車内に置いてあった、かえるのお守りが二つに割れた。
僕の身代わりに? まさか、そんなことが――
背筋が寒くなった。僕は思わず後部座席を振り返る。
そこに、あれの姿はない。
交差点の周囲を見渡す。やはり、いない。
ひと安心して、もう一度信号機を見上げたとき――。
それは、その上からこちらを覗いていた。
後方でクラクションが鳴り響く。
早く進め、という催促だろう。
僕は車を前に出した。
一瞬のまばたきで、あれの姿は消えていた。
何はともあれ、無事にかえることができた。
そんな怪異があっても、彼女とのデートは楽しい。
太陽がまぶしかった。雨上がりのあとでアスファルトも光っていた。
公園の駐車場では少年がスケートボードでわざの練習をしている。
これから二人で映画を観に行く予定だ。
黄色い衣服を身に着けた彼女は、まるでひまわりのように輝いていた。
彼女が僕の軽自動車に乗り込むなり、黄色い声を上げた。
「あら! かわいいぃ」
僕が買ったかえるのお守りを彼女はとても気に入ったらしい。
「いくらしたの? そのかえるちゃん」
野球ボールくらいのかえるのお守り。
「三万円」
「すごーい。これ、わたしにプレゼントするんでしょう?」
そんなこと、僕は一言も言っていないのだが――。
なぜか彼女は興奮気味だ。両目が輝いている。
「うん」
僕は一瞬ためらい、小さくうなずいた。
「わたしね、かえるグッズのコレクターなのよ」
どうやら彼女に信仰心はないらしい。
ふたたび僕はかえる神社に参拝してお守りを買わなければならない。
――かえるが買える――。
僕は不意に笑った。
執筆の狙い
突然の事故は起こりうることで
どんなに注意をしても防ぎようがないこともありますね。
そんな時は神に祈るしかないかもしれない。
忌憚のない意見をお待ちしおります。
*段落の最初の一マス下げは、わけあって故意にしてい。