また会えるよ
運転するバスが△△停留所に到着しようとしている。降車ブザーがつい五分前に鳴り、俺はバスを停める心の準備をしていた。同僚の鈴木が滅多にない事故を起こしたのを思い出す。事故と言っても、交通事故ではない。運転に集中するあまり降車ブザーが鳴っているのを忘れ、バス停に停まらず次のバス停に向かったのだ。事故はないようにしたい。今日は結婚記念日。七年前の1978年、6月6日に俺達は結婚している。結婚記念日にどんな些細な事故でも起こしてなるものか。始末書を書かされて、時間を取られたくない。結婚記念日に遅れるような妻を悲しませるような男になってなるものか。
「間もなく△△、間もなく△△」
俺は、車内マイクを使い客に知らせた。市街地を抜け、周りの風景が田園風景に変わる。緑に色づく田園の水から、光が反射するのが映る。△△停留所はこの先のカーブを曲がって、煙草を十回程吐くほどの所にある。
カーブを曲がり、徐々にスピードを落とし、俺は△△停留所に停めた。ルームミラーで、どんな客が降車するのか確認。七歳ぐらいの、少年少女が、通路に出てくる。出口に向かって歩いてくる。他に降りる客はいないようだ。俺は、出口のドアを開ける。少年少女たち転んだりせず、無事降りてくれよ。そう願っていたら、少年少女たちが、お金を運賃箱に入れ、ちゃんと料金もあっているのを目視した。
「おっちゃん、本当にここ△△なの?」
少年が怯えた目で、俺に尋ねてきた。
俺は一瞬、降車するバスの停留所を間違えたのかと思い、周りの風景に視線を動かした。
「よく見たらいい、△△だろ」
「でも、△△に見えて、△△じゃないかもしれない」
うん? 禅の難問か? 仏教の問いか? でも、七歳ぐらいの少年が怯えた目で禅や仏教のこと言うわけないよな。しかし、確認は必要だ。
「君、禅や仏教みたいなこと言うんだな」
「ぜん? ぶっきょう? なにそれ」
やっぱり、禅や仏教の問いではなかった。
「じゃあ、どうしてここが△△ではないと思うんだ?」
「僕ね、ずっと前△△町にいたとき、迷子になったんだ。いつもと違う風景だった。いつもと違うものが見えて怖かった。で、違う子も隣にいて、ここどこなんだろうと泣いていたんだ。でも、ここにずっといても仕方ないからって、ちょっと歩いてみたら、△△町だった。ここ△△に見えるよ。でも、△△じゃなかったらどうしようと思って、僕怖い」
「ここが、いつもと、違う風景に見えるのか?」
「う、うん。いつもと同じ△△町に見える。でも、△△町に見えて△△町じゃなかったら、怖い」
俺は俯いた。
「△△町に見えて、△△町じゃなかったらか? こんなこと考えたことなかったな」
「だからね、怖いんだ」
俺は、少年を見据えた。
「安心しろ、△△町だ。隣の女の子を見ろ。堂々としているじゃないか。男の子が女の子に負けちゃいけないだろ」
男は女にいつなんどきも負けてはいけない。この子に教えてあげないといけない。少年はきょとんとした表情をする。
「どうして、男の子って女の子に負けたら、いけないの? 僕全ての子に負けてるんだよ。男の子だけじゃなく、女の子にも、全ての子に、この隣の子にも負けている。おっちゃん、どうして男の子は女の子に負けてはいけないの?」
「君、全ての子に負けてるの?」
「負けてるよ、全部全部、何一つ勝ったことない」
「なに一つ勝ったことないって?」
「うん」
「かけっこは?」
「負けている」
「勉強は?」
「負けている」
信じられなかった、こんなに喋れる子がなに一つ勝ててないなんて信じられない。
「ねー、おっちゃん、どうして男の子は女の子に負けちゃいけないの?」
ここは、腹をくくって話さないといけないなと思った。
「君は勇気がある子だね」
「どうして?」
「本当に思っていることを言うと、それは間違っているという人がいるからだよ。君の勇気に、応えて、おっちゃんも本当のことを話すよ、おっちゃんも女の人に実は負けてるとこいっぱいあるんだよ。でも、強がって負けていないと嘘をついている」
「そうなの?」
「ああ、おっちゃんと比べ君は勇気がある。実はね、おっちゃんの子は喋れないんだよ。こんなに喋れるんだから、君は、何か一つぐらいは、誰かに勝ててると思うよ」
「そうかな?」
「ああ、君を自分の子供にほしいぐらいだ」
「どうして、おっちゃんの子喋れないの?」
「喋ってたんだよ、もっと小さな頃は。でも、おっちゃんがいろいろ小言を言ったせいか……」
「そっかぁ」
「君とは、また会いたいな」
「きっと、また会えるよ」
少年が満面の笑みを浮かべる。
「さあ、降りて」
「うん」
少年少女たちが降り、俺の心中で何かが変わった気がした。俺の子供にこの子の話しをしてみよう。そう思い、バスを発進させた。
執筆の狙い
僕が、七歳ぐらいの頃を振り返り、バスの運転手の内心を想像しながら書きました。忌憚のない、感想をお待ちしております。