作家でごはん!鍛練場
まるみ

また、逢えたね—小さなウソの恋物語—

 大分市中心部のオフィス街から徒歩数分、憩いの場である若草公園。日差しは柔らかいが、時折吹き抜ける秋風の冷たさに身を縮まらせ、足早に歩く人々。公園内に人影はまばらだ。
 ブランコや滑り台などの遊具、砂場の前の日向のベンチに、ハルトと林田が座っている。
 林田の膝の上に置かれた弁当は、おかずが容器からはみ出す程のボリュームだ。
 「いただきます!」
 「おぅ」
 「先輩、今日はやけに少食っスね」
 箸を割るや否や、貪る様に弁当をかき込む林田に目もくれず、ハルトはパンを一口食べてはゆっくり噛み、缶コーヒーを一口飲んでは何か物思いに耽る、それを暫く繰り返していた。
 「……んぐ!」
 突然、林田がくぐもった声をあげて、拳で胸をドンドンと叩きだした。
 ハルトは慌てる様子もなく、前の砂場に視線を留めたまま、お茶入りペットボトルの蓋を回し開け、林田に手渡した。それを急いで受け取り、お茶を一気に喉に流し込み、「ふぅーっ」と、大きく息を吐き出した。
 「命拾いしました」
 「あぁ」
 「それはそうと、ボイン……あの子……沙苗でしたっけ? なんかこの世の終わりみたいな顔で固まってたけど、大丈夫なんスか?」
 「あぁ」
 「にしても、いつにも増して気合いの入った格好でしたね。髪もくりんくりんで膝上のミニ」
 「あぁ」
 「……オマエさっきから『あぁ』しか言ってねーけど大丈夫か?」
 「あぁ……あっ!?」
 ハルトは鋭い眼差しを林田に向けた。
 「スンマセン、スンマセン! あんまりボーっとしてたんで」
 慌てた拍子に膝の上からずり落ちそうになった弁当を、しっかりキャッチして林田が言い訳した。
 ハルトは無言のまま残りのパンを口に押し込み、それをコーヒーで流し込んだ。ベンチの背もたれに体を預けると、高く澄んだ空を見上げ、ふぅっと小さくため息を吐き出した。
 「そう言えばさっきのバイク、知り合いですか?」
 林田が尋ねた。
 「……知り合い? ……いや」
 ハルトは自問自答するように呟いた。
 「そうなんスね。ずっと目で追ってたから」
 林田の言葉を聞きながら、ハルトは大観峰で"あの女"と交わした刹那の眼差しを思い出していた。
 パンツのポケットから小銭入れを取り出し、施された『Xmas’』の刺繍を見つめる。
 ふと、子供たちの賑やかな声が、風に乗ってハルトの耳を掠めた。その方向に目をやると、母親と幼い男女の子供の二組の親子が、こちらに向かい歩いている。
 小さなバケツやスコップ、象さんの形をしたじょうろを手にした子供たちが、一目散にハルトの目の前の砂場目がけ、駆け出してきた。
 子供達は向き合ってしゃがみ込み、男の子がプラスチックのスコップで砂を力強くかき集めると、女の子はそれを小さな両手で山をきゅっと寄せて、高くしていく。ハルトはその光景を眺めながら、自身の幼い日の面影を重ねていた。
 夕凪と公園で砂山を作り、鬼ごっこをして遊んだ無邪気な日々。学年が上がるにつれ、一緒に遊ぶことはなくなり、ハルトが中学にあがると、通学中の夕凪の姿を見かける事はあったが、声をかける事はなかった。
 ハルトは社会人になり、自転車で三十分圏内の県立高校に通う夕凪の姿も、ある時を堺に見かけなくなった。
その理由は程なくして、思いがけずハルトの耳にも入った。
 仕事を終え家路を辿る途中、自宅を目前にした時だった。
 「ハルトくん、ハルトくん!」
 何やら神妙な風にひそひそ話をしていた主婦の一人が、ハルトを呼び止めた。
 「あ、こんにちは」
 ハルトの挨拶を聞き入れもせず、「ねえ、知ってる?」と、捲し立てるように話し始めた。
 「隣地区の夕凪ちゃん、あなた、ちっちゃい頃よく遊んでたでしょうが」
 「……はい」
 「こないだ救急車で運ばれたらしいのよ、なんでも大火傷を負ったみたいで。スーパーでいつも見かけていたお母さんにもパタリと会わなくなったし、あなた何か聞いてない?」
 「……いいえ、何も……」
 ハルトの脳裏に、数日前の夜、けたたましく鳴り響いていたサイレンの音がリプレイされた。

 「ゆうなちゃん、じょうろにお水汲んできて」
 その声にハルトはハッとして、砂山を作っていた男の子と女の子に目をやった。
 「——夕凪」
 「……? なんふは?」
 林田が懲りもせず口いっぱいに弁当をほおばったまま聞き返してくる。
 ——あの子は、彼女は元気にしているのだろうか。今は何処にいるのだろうか。ハルトはその面影を、見上げた秋晴れの澄んだ空一面に映し出していた。

※ ※ ※

ハルトは書類の束をデスクの上でトントンと叩いて揃え、それを引き出しに仕舞った。伸びをしようと、ギシッという音を立てながら椅子の背もたれに体重を預けた。その時、上司が不意に歩みを止め、ハルトの傍らに立ちふさがった。
 「朝比奈、悪いが——」
 「はい!」
 ハルトは慌てて姿勢を正した。
 「今日中にログだけ見ておいてくれるか? システムが止まると面倒だからな」
 申し訳なさを装いながらも、断る余地を与えない事務的な口調で命令が下る。返答より先に、ハルトは壁掛けの時計をチラリと見やった。——午後四時二十分。
 「なんだ? 無理そうか?」
 上司が畳み掛けるように顔を覗き込んできた。
 「いえ。今から取り掛かります」
 「助かる、頼んだぞ」
 そう言って上司がデスクに置いたのは——『さくらんBOY』。
 「お前、いつも"コレ"だったよな?」
 「違います!」
 思わず大きな声を出した。
 「え?」
 上司が目を丸くする。
 「あ! いえ、ありがとうございます。頂きます」
 苦笑いを浮かべて去っていく上司の背中を見送り、ハルトは『さくらんBOY』をデスクオーガナイザーの陰に押しやった。一瞬、ロビーでの沙苗の顔が浮かんだ。
 (あれは……少し行き過ぎたか)
 ハルトは今になって、自身の言動を省みた。
 パソコンを開き、キーボードを打つ。画面いっぱいに流れる英数字の列を凝視するが、ハルトの脳裏に沙苗、そして、会う事なく去って行ったバイクの女の残像が、浮かんでは消える。
 「ふぅ——っ」
 ハルトは肺の中の重苦しい空気をすべて吐き出すように、大きく息を吐いた。そして、先ほど隠すように置いた『さくらんBOY』に手を伸ばし、タブを開けると一気に半分程を飲み干した。

※ ※ ※

 モニターの右端に表示された時刻は、午後六時五十五分。ハルトは最後の一行を打ち込み、エンターキーを強く叩いた。
 上司から指示されたのは単純なログの確認だけだったが、気になった箇所をいくつか修正しているうちに、思いの外時間を費やしてしまった。
 「……よし」
 小さく呟き、パソコンをシャットダウンさせる。ふとデスクに置いたままのスマートフォンを手に取ると、不在着信の通知が一件、画面に浮き上がっていた。——郁人だ。
 ハルトはすぐに折り返しのボタンを押した。耳元で数回、呼び出し音が鳴り、やがて「カチッ」と繋(つな)がる音がした。
 「親父、遅くなった! 悪いんだけど昨日の残り物が冷蔵庫に——」
 言いかけた言葉を途中で止めた。受話器の向こうが妙に騒がしい。
 「おぅハルト、お疲れさん!」
聞き覚えのあるしゃがれ声。間違いない、居酒屋こいきの店主『谷山』だ。
 「……谷山さん?」
 『そうだ! 郁人の野郎なら今トイレだ。同級生の親父どもがよ、無理やり郁人を連れ出したんだとさ。腰が痛えなんて言い訳、こいつらには通用しねえからな。今夜はここで面倒見てやるから、飯の心配はいらねえぞ!』
 一瞬、呆気に取られたハルトだったが、ふっと、今日初めて肩の力が抜けるのを感じた。
 「そうですか……。すいません、谷山さん。親父に、あまり飲みすぎてふらついて、また腰を痛めないようにって伝えてください」
 『おうおう! お前も若いからって無理は禁物だぞ。じゃあな!』
 笑い声と共に電話が切れる。ハルトはほんの数秒、考える素振りを見せたが、すっくと立ち上がると椅子の背もたれからジャンパーを引っ掴み、勢いよく羽織った。

※ ※ ※

 ——カラン——
 扉を開けると、ジャズの音色をかき消すような快活な笑い声が、ハルトの耳に飛び込んできた。
 クロスした両腕をカウンターに置き、前のめりの姿勢の東海林と、向かい合って座る凛花が振り向きざまに「噂をすれば!」と声を揃えた。
 「時間外常連その2はどうした?」
 東海林が訊ねる。
 「アイツは定時で帰りました」
 「まぁまぁ、どうぞ」
 いつもよりにこやかな笑顔の凛花が、スツールから腰を上げカウンターの中へと回った。
 スツールに腰を下ろしたハルトは、無意識にカウンターの奥へと視線を走らせた。
 「彼女なら居ねぇぞ」
 ハルトの視線を捕らえた東海林がいたずらっぽく目を細め、白い歯を見せる。
 「あ……いえ。そういうわけじゃ。……ただ、小銭入れのお礼を言おうと思って」
 不器用な言い訳を口にしながら、ハルトはカウンターの上に、あの『Xmas’』の小銭入れをそっと置いた。
「フフッ……どうだった、彼女? 私が言った通り、とても美人さんだったでしょ」
 少し間を置いて、ハルトは口を開いた。
 「彼女には……会っていません」
 「えっ?」
 「ん? ……どういう事だ?」
 ハルトは答えに窮し、小銭入れを見つめた。
 「会えませんでした」
 「うーむ……良くは分からんが、まぁ落とし主の元に無事、戻ったんだしな」
 「えぇ、そうね。それにしても彼女——」
 凛花が小銭入を見つめながら呟く。
 「夕凪さん、どうして自分から届けるなんて言い出したの——」
 ——ガタンッ!——
 突然、激しい音が店内に響いた。驚いた東海林と凛花の視界に入ったのは、倒れて床に転がったスツールと、まるで金縛りに遭ったかのように、その場に固まり立ち尽くしているハルトだった。
 「お、おいおいどうした?」
 東海林の声に弾かれ、金縛りが解けたように我に返ったハルトは、倒れたスツールを起こした。
 「すみません」
 「……大丈夫なの?」
 「あの! 彼女——これを届けてくれた子は……」
 「夕凪さん……だけど」
 ハルトは全身の力を奪われたように、重力に従うままスツールに腰を預けた。
 昼に見かけた、ワインレッドのバイクで走り去る後ろ姿と『184』のナンバー。大観峰で長い髪をなびかせ佇んでいた、凜とした姿。言葉も無く視線を交わしたあの瞳。そして——雪の降る寒空の下、手袋を分け合い、手を繋いで家路を歩いた幼い日——
 それらがハルトの脳裏に、走馬灯のように駆け巡る。
 瞬きも忘れたように、カウンターに置かれた小銭入れを一心に見つめているハルト。その顔を東海林と凛花が覗き込み、「……どうしたお前?」東海林がハルトの目の前に手をかざし、左右に振る。
 「あの……ください」
 ゴクリと喉を鳴らし、ハルトは生唾を飲み込んだ。
 「ん?……あ、あぁ。いつものビールでいいか?」
 「いえ……スピリタスを」
 「スピ——ハッ?」東海林が目を丸くする。
 「本当にどうしちゃったの、ハルトくん」心配そうに凛花も訊ねる。
 「お願いします」
 絞り出すような声でハルトが言った。カウンターの空気が張り詰めるような感覚を、その場の誰もが覚えた。
 「言っただろ。あれは単なる観賞用だと。うちの店じゃ、あれはメニューに載っていない。ただの置き物だ」
 「そうよ、ハルトくん。あなた、もともと強い方じゃないんだから——」
 「今夜だけ……今だけ少し頭を整理したいんです。お願いします」
 手繰り寄せた小銭入れを掌でぎゅっと握りしめ、ハルトは申し入れた。
 冗談を言っている顔ではない。東海林と凛花は困惑の表情を見合わせながらも、意を決した。
 東海林は溜息とともに視線を棚の奥へと向けた。彼の手が引き抜いたのは、ラベルさえもどこか冷徹に見える「スピリタス」のボトルだ。
 キュッ、と小気味よい音を立てて封が解かれる。『劇薬』がグラスに注がれる音が、店内に流れていたジャズの音色をまるで、ブラックホールのように呑み込んだ。三人の耳には静けさの余り、キーンという耳鳴りのような音が響き渡る。
 立ち上る高純度のアルコール臭が、ハルトの鼻腔を鋭く突き刺す。再びハルトの喉が、ゴクリと微動する。
 「いいか、これは喉を通るんじゃない。焼けるんだ」
 東海林はボトルを置くと、重みのある手つきでグラスをハルトの方へわずかに押し出した。
 「どういう事情があるにせよ、こいつは容赦しないからな」
 容赦なくなみなみと注がれた九十六度の毒。ハルトは震える指先で、氷のように冷えたグラスを掴んだ。一瞬、鼻を突く強烈なアルコールの香りに本能が拒絶反応を示す。しかし、何かに突き動かされるように、ギュッとキツく目を閉じ、覚悟を決めて一気に煽る。
 「……っ!!」
 灼熱の塊が通り道を焼きながら落ちていく。肺の空気が一瞬で奪われ、視界がチカチカと火花を散らした。あまりの衝撃に涙が滲むが、その熱さが、かえってハルトの混濁した思考を無理やり一箇所に繋ぎ止めた。
 「——ご馳走様、でした」
 掠れた声でそう告げると、ハルトは財布から一万円札を抜き取り、カウンターに叩きつけるように置いた。
 「おい、多いぞ。釣りを受け取れ」
 東海林が眉をひそめて呼びかけるが、ハルトは小銭入れを握りしめ、立ち上がり背を向けた。
 「……忘れ物の、お礼です」
 ふらつく足取りで出口へ向かう背中に、凛花がたまらず声を上げた。
 「待ってハルトくん! その状態で帰すわけにいかないわ、送っていくから——」
 凛花がカウンターを飛び出そうとしたその時、ドアベルが鳴った。
 「おーい、凛花ちゃん! 今日も会いに来たよ〜!」
 「あー、あったけー」
 威勢のいい声と共に、二人の常連客がドアを押し開けて入ってきた。
 入り口でぶつかりそうになりながらも、ハルトは謝る余裕すらなく、隙間を縫うようにして夜の闇へと滑り出していく。
 「あ……ハルトくん!」
 凛花の呼びかけは、客たちの陽気な笑い声にかき消された。冷たい夜気が流れ込む店内に、スピリタスの鋭い残り香と、ドアベルの余韻だけが取り残された。

 ハルトはふらつく足取りでJR高城駅の改札口を出た。頭の中が霧に覆われたようで視界は歪み、思うように歩けていない事が自分でも良く分かる。       
 夜風の冷たさなどは感じる余裕はなく、内臓から逆流する刺激臭をまとった体を、引きずるように一歩ずつ前へと踏み出すだけだ。
 ハルトは無意識にも、家路とは外れたルートを辿り始めた。足がもつれながらも、目的地を一心に目指して進む。ほんの数分で辿り着くはずの道のりが、途方もなく長く感じられる。
 ハルトは『鴨ケ池児童公園』と書かれた銘板の前にしゃがみ込んだ。
 ここは——遠い昔、夕凪とよく遊んだ公園。
 ハルトは銘板の上に置いた両腕に体重をかけて、力を込めて立ち上がった。意識は、幼き日にくる日もくる日も夕凪と二人、無心に砂山を作ったあの砂場へと向かっていた。
 程なく歩くと、暗闇の中、街灯が心細く照らす遊具が見えた。その脇、砂場の縁に立ち尽くす人影が、ハルトのぼやけた視界に映り込んだ。
 吸い込まれるように、おぼつかない足取りのまま人影に近づいていく。
 髪の長い——女。ハルトの気配に気づいた女が、ゆっくりと振り向く。その瞬間、突風が木々をざわめかせながら吹き抜けた。
 舞い上がった枯葉の群れがハルトの顔を掠め、視界を遮った。振り払うようにして、再び女に視線を戻す。
 暴れる髪を手のひらで押さえつけるようにかき上げ、露わになった女の顔。こちらを真っ直ぐに見つめるその瞳が、ハルトを射抜いた。
 風が揺らす木々と耳元を掠める枯葉のざわめき——世界の音が、ふっと消えた——。
 大観峰で心を奪われたあの刹那が、今、鮮烈さを持ってハルトの脳裏にリプレイされた。
 「ゆう……な?」
 ハルトの心臓が早鐘のように、異常な鼓動を打ち鳴らす。目の前に立って居るのは夕凪なのか、それとも自分の脳が創り出した幻影なのか。確かめたくて一歩を踏み出した途端、目の前に立つ彼女がゆっくりと斜めに傾いていく——いや、傾いているのは自分の方だ。抗おうと伸ばした指先は、無慈悲に空を切る。
 「夕凪……」
 絞り出した一言を最後に、ハルトの意識は底なし沼のような真っ黒い暗闇に堕ちていった。

また、逢えたね—小さなウソの恋物語—

執筆の狙い

作者 まるみ
p6807131-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp

お世話になっております。
現在、執筆中の連載です。
定期的にこちらに投稿させて頂いてます。
完結作品ではない為、読んでくださった方には読みづらさと消化不良な感じを与えてしまい、もう申し訳ありません。

今回、第十五話を投稿致します。
宜しくお願いします。

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