天井裏のクイーン
午前二時、和風の寝室の照明を消し、布団に身を沈めて目を閉じた。
いつものように音も光もない世界が広がる――はずだった。
天井裏から小さな足音がした。
コトトトト……、コトトトト……。
軽く、乾いた、規則的な音。
ネズミが走っている。
子供の頃から聞いていた懐かしい音だ。古民家の我が家では珍しいことではなかった。
だから大きな心配はなかった。そのまま僕は眠りについた。
三か月後。
お仏壇に供えてあった落雁(らくがん)をかじられていた。
流し台のそばに置いた固形石鹸も削られている。
見過ごしていた小さな異変は、確かに生活へ入り込み始めていた。
衛生面を思えば、放置はできない。
そこでホームセンターで駆除用の粘着シートを買った。
二枚一組、新聞紙の半分ほどの大きさ。四百円ほどの簡素な罠。
本当にこれで捕まるのか……半信半疑のまま、流し台の脇に設置する。
用事があって家から外出して二時間ほどで戻ると、すでに一匹がかかっていた。
あまりに早く、あまりに呆気ない。
ネズミは甲高い声で鳴き、身をよじる。だが粘着シートから逃れることはできない。
まるでそれは「苦しいよぉ。助けてー!」と叫んでいるようだった。
やがて動きは弱まり、数時間後には完全に止まった。
「……ごめん」
思わず口に出た言葉は、誰に向けたものでもなかった。
これで終わると思った。
だが、その後、備蓄していた米袋が食い破られていたことがわかった。
つまり、ネズミは一匹ではなかったのだ。
再び粘着シートを買い、設置する。三日後、二匹目が捕まった。
ネズミはキーキーとわめき散らかした。
あたかも「放してぇ、放してよ! お願い」と懇願しているようにも思えた。
僕は前と同じ言葉を小さく繰り返した。
それでも終わらない。
炊飯器の上に、黒いネズミの糞が無数に散らばっていた。
まるで僕に向かって「ひどいことをしやがって。クソでも食らえ!」とでも主張しているようだった。
僕はそのふてぶてしいネズミをクイーンと呼ぶことにした。
クイーンは賢かった。
無数に設置した粘着シートを避け、ネズミ駆除剤にもだまされなかった。
そして数か月間、決着はつかなかった。
キッチンの床の上を堂々と横切るクイーンの姿を何度か見た。手のひらほどの大きさはあった。
そんなクイーンではあったが……。
彼女にとって悲劇が訪れる。
僕には二匹の知り合いの野良ネコさんがいる。白ネコさんと黒ネコさんだ。
ある日、いつもの散歩に出かける時だった。
白ネコさんはクイーンの子供を捕獲して息の根を止めていた。
その翌日には、黒ネコさんがクイーンの子供を殺し、くわえていた。
そこに自然の厳しさを感じた。
ある人の言葉を思い出す。
「黒い猫でも白い猫でもネズミを捕るのが良い猫だ」
まさか本当にそんなことがあるのかと驚いたものである。
なんの役にも立たないと思っていた野良ネコさんたちに対して、考えを改める必要があるかもしれない。
謀らずも、クイーンの子供は暗殺されたわけだが、
彼女のリベンジと呼べる事件が発生する。それはガステーブルの破壊である。
ガステーブルの下には無数の配線が露出している。それを切断すればガステーブルは簡単に使用できなくなる。
クイーンは、その配線を切って切って切りまくった。
その証拠にガステーブルの下からは無数のクイーンの糞が落ちていた。
さらに食料の食べ残しが発見されたので、間違いなくクイーンの仕業だった。
その状況は「よくもわたしの子供を殺したな。許せん。ぶっ壊してやる!」と言っているようだった。
もちろん、それは僕の空想ではあるが……。
おかげで僕は新たにガステーブルを購入しなければならなかった。
金額にして約二万円。痛恨の経済的打撃をくらった。
おそるべしクイーンの復讐である。
そんなある日のこと。
ホームセンターのネズミ駆除コーナーを見ている時だった。
一つの商品が気になった。そのキャッチコピーが良かった。
「家ネズミに警戒心を持たせない」
ネズミ駆除剤の一つである。前回の駆除剤はあまり効果がなかった。クイーンはとても警戒心が強かったからだ。
僕はそのネズミ駆除剤を買った。そして使用してみた。
そのキャッチコピーの言葉にウソはなかった。設置したネズミ駆除剤をクイーンは自らのアジトへと運んで行った。
しかも三回もである。しかし四回目はなかった。おそらくその間に死亡したのであろう。
もっとも死体を確認したわけではないので、あくまでも推定である。
その裏付けとして、その後に彼女の姿を見ることはなかったし、天井裏のコトトトト……という音はもう聞こえなかった。
死体を見ていない死は、なぜか心をほとんど動かさない。
その違いが何なのか、僕はまだ言葉にできないままでいる。
執筆の狙い
お待たせしました。お待たせしすぎたかもしれません。
偏差値45の小説を読めるのは、作家でごはんだけ。
忌憚のない意見をお待ちしております。
*段落の最初の一マス下げは、わけあって故意にしていません。