夏のせいにして
夏のせいにして
第1話:陽炎の免罪符
高校3年生の夏、補習帰りのバス停。アスファルトから立ち上る陽炎のせいで、世界はぐにゃりと歪んでいた。隣に座る幼馴染の美咲が、ラムネ瓶のビー玉をカランと鳴らす。その無防備なうなじに伝う汗を見た瞬間、僕の理性を支えていた堤防が決壊した。
「……好きだ」
口を突いて出た言葉は、セミの声にかき消されそうなほど細かった。美咲は動きを止め、僕をじっと見つめる。沈黙が怖い。僕は慌てて付け加えた。
「暑さで頭がどうかしてるんだ、多分」
美咲は一瞬、困ったように眉を下げてようやく沈黙が裂かれたと思ったその時、美咲が突然僕の手をそっと握った。
「……じゃあ、私のこれも。夏のせいにしていい?」
繋いだ手のひらは、いつでも思い出すような外気よりもずっとずっと熱かった。
第2話:打ち上げ花火の嘘
それからの夏休みは、まるで白昼夢だった。夏祭りの夜、人混みを避けて登った高台。夜空を彩る大輪の花火を見上げながら、僕は美咲の横顔だけを見ていた。
「大学生になっても、ずっとこうしていようね」
僕の言葉に、美咲は小さく頷いた。けれど、彼女の瞳の奥に、拭いきれない不安が揺れているのを僕は見逃さなかった。
僕は地元の大学、彼女は東京の美大。
秋になれば涼しい風が吹き、僕たちのあの日から始まった物語の熱を奪っていくことを、心のどこかで予感していた。
第3話:冷めたラムネ瓶
予感は的中した。東京へ発つ美咲を見送った駅のホーム。冬が近づくにつれ、LINEの通知は減り、画面越しの彼女の笑顔はどこか遠くなった。
「ねえ、あの時のこと、覚えてる?」
電話越しに彼女が言った。「あの告白、やっぱり夏の勢いだったのかな」
その言葉に、僕は反論できなかった。僕自身、彼女がいない日常に慣れようと必死で、あの熱狂を「若気の至り」という引き出しにしまい込み始めていたからだ。僕たちは互いに、季節が移り変わるスピードに追いつけなかった。
気づけば美咲が東京へ行ってから2年が経っていた。
SNSに投稿される彼女の写真は、どんどん洗練されていった。ある日、彼女がアップした写真の端に、見慣れない男の姿が映り込んでいた。
「美咲、誰これ?」
電話で尋ねると、彼女は少し困ったように笑った。「同じ学部の先輩の佐伯さん。個展の準備を手伝ってくれてるの。すごく頼りになる人だよ」
その「サエキ」という響きが、僕の胸を刺した。彼は都内の有名ギャラリーの御曹司で、若手キュレーターとしても注目されているらしい。地元の冴えない大学生の僕とは、住む世界が180°も変わっていた。
第4話:八月の再会と、完璧な壁
出張の合間に訪れた美咲の個展。会場には、あの日の僕たちを描いた絵が飾られていた。けれど、その横には、仕立てのいいスーツを着こなした男が立っていた。
「美咲、次の打ち合わせだけど」
男——佐伯が、親しげに美咲の肩を叩く。美咲はハッとして僕に気づいた。
「……え、嘘。どうしてここに?」
駆け寄ろうとする美咲を、佐伯が柔らかく制した。「彼女、今は大事な商談中なんだ。君は、地元の……お友達かな?」
その大人の余裕のある笑みがさらに僕を惨めな気持ちにさせた。美咲は都会の空気に見事に溶け込み、僕の知らない、気づけば済む世界が違う「大人の女」になっていた。
その夜、個展の打ち上げに誘われた僕は、華やかな会場の隅で立ち尽くしていた。
「彼女、素敵だろう? 才能も、あの危うい美しさも、僕が一番理解しているつもりだ」
ワイングラスを片手に、佐伯が僕に囁く。美咲は遠くで、多くのファンに囲まれて笑っている。
「君との思い出が彼女のインスピレーション源なら感謝するよ。でも、彼女の未来に君の居場所はない。そう思わないか?そろそろ諦めたらどうなんだ?」
その言葉は、冷酷なまでに正論だった。僕はもう美咲の隣にふさわしい人間ではない。きっと僕なんかが隣にいても幸せにしてあげることなんてできないのではないかと思い僕は現実を受け止めたくなくて会場を後にした。
第5話:もう一度、その熱を
翌朝、新幹線に乗る前に、僕はもう一度だけあの画廊へ向かった。
美咲に会うためじゃない。あの絵を、最後にもう一度だけ見て、未練を断ち切るために。
しかし、シャッターの降りた画廊の前で、美咲が一人、地面に座り込んでいた。
「……美咲?」
彼女は顔を上げ、赤く腫らした目で僕を見た。
「佐伯さんに言われたの。君を追うなら、もうプロとしての支援はやめるって。……私、怖くなっちゃった。一人で歩くのが」
僕は彼女の手を握った。五年前、ラムネ瓶を持って震えていた、あの日の美咲の熱がそこにはあった。
「美咲、佐伯さんは正しいよ。僕は君の才能を助けてあげられない。でも」
僕は彼女を抱き寄せた。
「君の心が折れそうな時、一番近くで支えることならできる。佐伯さんにはできないやり方で。……夏のせいにしていい。もう一度、僕を選んでくれないか」
美咲は僕の胸に顔を埋め、声を上げて泣いた。
「バカだね……。夏じゃないのに、こんなに熱いよ……」
都会の喧騒の中、僕たちはあの日よりもずっと強い覚悟で、互いの体温を確かめ合った。
執筆の狙い
お久しぶりです。前回の作品のコメント欄を荒らしてしまいすみません。
今回の作品は「夏のせいにして」というタイトルの通り好きになってしまったのも彼女を手放してしまったのも全て「夏の暑さのせい」にしてしまおうという考えで作りました。
夏が好きな方、大変すみません。でも私自身も夏が好きです。←矛盾してますよね笑すみません笑