猥褻巡礼記
この作品をマルキ・ド・サドに捧げる。
序章
義父母は麗子が勧めた薬を飲み、眠るように逝った。夫婦そろっての安らかな死は、私と麗子からの贈り物だった。
私たちは晴れて夫婦となり、地位と財産を受け継いだ。
捨て子である私は、義父母が設立した養護施設で育てられ、大学まで行かせてもらった。
他の児童とは違い、私には豪華な食事が毎日用意された。専属の教師まで付き、学校では習わないことを教え込まれた。
気品のある女教師が、哲学、倫理学、地政学、天文学、さらには占星術のような秘学まで教えてくれた。
ただ、どの学問も人が生きる意味を明快には示さない。私は彼女に聞いた。
「結局、人が生きる意味って何なの」
「快楽よ」
あまりにも明快な回答だった。
「つまり、気持ちいいこと?」
「それは経験でしか学べないの。理事長の許可があれば、じっくり教えてあげるけど」
私は捨て子という出自に葛藤を抱えながらも、それなりに幸せな日々を送っていた。施設の職員はみな親切だし、彼らの教育のおかげで、成績は常にトップクラスだった。
だが、大学で麗子と出会い、数奇な運命を辿ることになる。
第一章 美の化身
ある日の哲学の授業。私の女教師は、美しき者とは、自然の法則に従う存在、否、自然そのものだと教えてくれた。
彼女はこうも言った。
「ソクラテスの醜さは必然なのよ。彼は極端に理性的だから」
麗子は養護施設の創立者である義父母の一人娘だ。だが施設を訪れることはなかったから、大学に入るまで、その存在すら知らなかった。
その出会いは、偶然にしては出来すぎていた。
大学に入って間もない頃。キャンパスのカフェで『大衆の反逆』を読んでいた。オルテガは言う。大衆は大衆に属さぬ者を憎んでいると。
大衆に属さぬ者とはエリートのことだ。ただし、それは便利な使用人のことではない。彼がいうエリートとは、服従を悪とし、己を最上とする支配者のことだ。
キャンパスのカフェは学生で賑わい、私はその会話に苛立ちを覚えた。旅行、グルメ、アイドル。それで何が満たされるのだ。馬鹿らしい。だが、捨て子である自分は、彼らより惨めな人間だった。
苦い思いに浸りながらコーヒーをすすっていると、一人の女子がテーブルの脇に立った。
「お邪魔かしら。他が空いてなくて」
「いや、構わないけど」
私は咄嗟に平静を装った。上級生に凄い美人がいると聞いていた。その容姿と雰囲気から、彼女だと直感した。間近で見る美貌は想像以上で、動揺を隠しとおす自信がなかった。
「面白くなさそうね」と麗子は言った。
彼女は完璧を絵に描いたような女。片や私は養護施設の世話になる身。面白くないに決まっている。
「何を読んでいるの?」
「オルテガ」
「彼は面白いことを言うわね」
彼女は私で釣り合う女じゃない。なのに、打ち解けた表情で話しかけてくる。天にも昇る気持ちだったが、私は出自を聞かれることを恐れていた。
途方もない隔たりがあるのに、彼女は私の目を見つめ、「あなた、私と似ているわね」と言った。全く意味がわからない。
「あなた、養護施設にいるんでしょ」
一瞬言葉に詰まった。
「なぜ知っているの?」
「私の親が、そこを経営しているからよ」
「なら知っているよね。自分は捨て子なんだ」
「それがどうかしたの。人の価値は、そんなことで決まらないわ」
私はその微笑の影に、懐かしさと悲しみの混沌を見た。
麗子は恐ろしく秀才で、教授でさえ、その論文に舌を巻いた。
レポートを見せてもらったことがあるが、それは冷徹な政治哲学、つまりマキャヴェリズムだ。
『刑罰は迅速かつ厳格に執行し、冤罪を恐れてはならない。秩序を維持するためには、冤罪を黙認すべき場合もある。冤罪が国家の均衡を脅かすなら、それを秘匿するため、被害者の抹消も選択肢に入るべきである』
私は本心かと聞いた。
「政治に善悪は関係ないわ」
彼女が怖かった。私はまだ道徳を信じていたから。
「君の言い分じゃ、支配者は何をしてもいいことになる」
「いいえ。支配者にも、してはいけないことがあるわ」
「なに?」
「服従よ。支配者は法律にも、道徳にも、つまり相手が何であれ、決して服従してはいけないの」
彼女は冷徹な政治哲学を、弟に教えるように語った。
大学には麗子に劣らぬ美貌の女子もいたが、麗子と並ぶと、なぜか平凡な女に見えた。
威圧的な麗子の美貌。身にまとう妖しさは、男の理性を幻惑する。彼女に見つめられた男は、蛇に睨まれた蛙のようになってしまう。その美しさに安らぎはない。それは過剰で、圧倒的な美だ。
つき合って半年過ぎても、抱きたいとは思わなかった。その体に触れてしまったら、後戻りできないような気がしたからだ。
得体の知れない予感に身震いし、欲望が惨めに退散すると、激しい疑念に取り憑かれた。
彼女は本当に自分を愛しているのか。こんな貧相な男を、なぜ恋人に選んだんだ。
第二章 慈善の闇
私を救ってくれた人たちに、今も感謝している。食事を毎日用意し、学校まで通わせてくれた。
ただ、中学生になると、施設の噂を同級生から聞かされた。
「お前のいる施設さ、女の子たちが、突然いなくなるんだろ」
「あそこのガキどもは、どっかに売られるんだよな」
嘘だと思いたかった。だが、思い当たる節があった。バスで連れていかれる少女たちを見たことがあり、再びその姿を見ることはなかった。
疑心暗鬼になった私は、子供なりに施設のことを調べた。
夜中に廊下の隅にある掃除道具入れに隠れ、耳を澄ましていると、泣き叫ぶ子供の声や、何かを引っ叩くような鋭い音が聞こえた。
私は暗い廊下を忍び足で歩き、その部屋の前に立つ。ドアを少し開けて中を覗くと、驚くべき光景が目に入った。
少年たちが四つん這いになっており、その後ろに少女たちが立っていた。
次の瞬間、少女たちの鞭が一斉にしなった。背中を引っ叩く音が響くと、黒いスーツを着た美女が少女たちを叱りつけた。
「手加減なんて必要ないのよ。そのうち快感に変わるんだから」
彼女は手本とばかりに鞭をしならせ、少年たちが気絶すると、少女たちに聖水を浴びせろと命令した。
私は後ずさりし、その場を後にした。静かに階段を下り、地下一階の倉庫に忍び込んだ。積まれた段ボール箱に古い週刊誌を見つけた。そこにはスクープ記事が載っていた。
『悪魔の養護施設。女児に過激な性教育が行われているという証言が』
子供たちは洗脳され、秘技を習得し、奴隷として売られるとの証言が載っていた。さらに少年たちが起こした脱走事件が次週号に載っていた。
『悪魔の養護施設からの脱出。ある少年は、奴隷として売られた妹を助けたいと、涙ながらに訴えた。』
さらに、脱走した少年たちの顔写真が見つかった。
私はその中の一人に目が釘付けになった。すごい美少年だからではない。どこかで会ったような気がしたからだ。
その少年の資料には、脱走グループのリーダーと記載されており、その経歴に衝撃を受けた。
彼は私と同じ日に保護され、そのとき二歳の弟を連れていたと書いてある。そして、私が保護されたときの年齢も二歳だった。
週刊誌の他にも、ロボトミーと呼ばれる脳外科手術のカルテなど、おぞましい記録がたくさん見つかった。
警察が児童虐待と人身売買の容疑で家宅捜索したが、証拠が見つからず、捜査は打ち切られたとの新聞記事もあった。
あり得ない。子供でさえ証拠を見つけられたのに、警察が見逃すはずがない。おそらく何らかの圧力が掛かったのだ。
ただ、実態を知っても脱走する気にはなれなかった。
あの夜、私の頭には子供たちの悲鳴がずっと響いていた。私はベッドの上で仰向けになり、星空のイルミネーションを眺めた。憧れのポラリス(北極星)。その孤高がやけに美しかった。
自分は選ばれたんだ。
頭から布団を被り、その言葉を何度もつぶやいていたら、いつの間にか朝になっていた。
第三章 禁断の愛
麗子は高嶺の花だから、スキャンダラスな噂が尽きなかった。
彼女の父は裏社会を牛耳り、政治家を陰で操っている。そんな噂が半ば公然と囁かれていた。
彼女の家族には近親相姦の噂まであった。デマとわかっていても、さすがに無視できず、その根拠を調べてみた。ネットはもちろんのこと、図書館に行って古い文献を当たり、ときには古本屋にまで足を運んだ。
次第に噂の根拠が明らかになった。それはマニアの間で話題になっていた短編小説だ。そこに登場する家族の有様が、麗子の家族にどこか似ているのだ。
小説の粗筋はこうだ。
ある財閥の当主である父親は、政治家を操るフィクサーであり、世界有数の大富豪でもあった。
彼は一人娘に異様な執着を示し、近づく男には報復を加えた。家族とて例外ではない。彼は自分の息子たちにさえ警戒心を抱き、まだ幼い兄弟を自分が経営する養護施設に幽閉する。
だが父親は兄弟が成長するにつれ、彼らを恋敵と見なすようになり、ついに殺意まで抱く。
しかし、母親が自分の息子たちを守る。母性ではない。彼女は夫以上に狂っている。
彼女は歳を重ねるごとに美しさを増し、異様なまでに淫猥だった。肉体は衰えを知らず、夜な夜な養護施設の少年を寝所へ引きずり込んだ。好みの美少年をベッドの横にはべらせ、一晩中あえぎ声を上げることも珍しくない。
彼女は養護施設に幽閉された息子たちに豪華な食事を与え、専属の教師までつける。
強壮で知的な少年が「好物」である彼女は、やがては息子たちをも、欲望の吐け口にするつもりだ。
そんな両親のもとに生まれた一人娘と兄弟は、やがて自ら禁忌の愛に身を捧げることになる。
以上が小説の粗筋だが、疑問があった。もし元ネタが麗子の家族ならば、一体誰が、どうやって、内情を知り得たのだ。
麗子には、かつて本気で惚れた男がいたという話は有名だった。だが、その若者は彼女の想いを拒んだという。
彼女の愛を拒めるなんて、一体どんな男なんだ。疑問が尽きなかった。
ついにネット上で彼の情報を見つけた。
驚いたことに、麗子の元恋人は、禁忌の噂の根拠となった小説の著者だったのだ。
仮にその小説が事実をネタに書かれたとしても、なぜ彼は、麗子の家族の内幕をリークしたのだろう。
彼は若手有望株の作家で、小説好きの間で密かに評価を得ていたという。存在はベールに包まれていて、顔と本名はわからない。
私は麗子がどんな男に恋をしたのか知りたかった。だから大学をさぼって彼の小説を読み漁った。
初期の頃は素直な文体で恋愛が綴られていたが、やがて近親相姦を題材にした作品を書くようになり、麗子の家族の噂話に酷似した掌編に行き着く。
それは高貴な一族を描いた戯曲だ。
神学を思わせる荘厳な文体で綴られており、『トリスタンとイゾルデ』のような悲劇かと思った。だが読み進むにつれ、背徳と宿命が交錯する世界が姿を現した。
これは兄が、ヒロインである妹へ送った手紙の一節だ。
『妹よ。父が俺を遠ざけたのだ。奴を警戒せよ。奴はお前との契りを目論んでいる。』
兄は妹との再会を果たすが、成長した妹の美貌に心を奪われる。そして妹も、美しい青年になった兄に恋をする。だが兄の理性は、その愛を拒絶するのだ。
『妹よ。これは禁断の愛、神の領域への侵犯だ。諦めよう。この恋を成就させてはならぬ。』
結局、小説の著者である麗子の恋人は文壇から消える。カルトの教祖になったとの噂もあったが、真意のほどは誰も知らなかった。
第四章 狂気の法案
秋が過ぎる頃、死刑の執行方法が公開処刑になるという噂が、ネット上を騒がせ始めた。
騒いでいるのは陰謀論者と言われるような輩ばかり。法学部の学生ですら、誰も気にしていなかった。
だが春が近づくにつれ、雲行きが怪しくなってきた。テレビに出るような大学教授(法学部の学生は『御用学者』と呼んでいた。)が、公開処刑のメリットを唱え始めたのだ。彼らが言うには、公開処刑は犯罪抑止効果が高く、治安維持に有効とのこと。
ネット上では反対派と賛成派が拮抗し、ついに大手新聞が、公開処刑に理解を示す社説を載せた。
ついにその日を迎えた。午後の大講義室。教授と学生たちは国会中継に注目していた。大紛糾が予想されていたのに、審議は淡々と進行していた。
教授は法案の否決を確信していた。
「民主主義国家で、こんな法案が通るわけがない」と教授は言い、馬鹿らしいと言わんばかりの笑みを浮かべた。
だが、法案可決のために、麗子の父が暗躍していると噂されていた。私は隣にいる麗子に聞いた。
「あの法案、通ると思う?」
「どうかしら。でも、倫理なんて建前よ。法は国家の利益のためにあるんだから」
法案の正式な名称は、「刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律の一部を改正する法案」だが、そんな名称を誰も覚えてはいない。要するに『公開処刑法案』だ。
既に詳細をマスコミがすっぱ抜いていた。
巨大なスタジアムで処刑を行い、その模様をライブ中継するというのだ。馬鹿高い有料放送で収益を得るというから呆れてものが言えない。
処刑はまるで宗教儀式。死刑囚自ら十字架を背負って処刑台に登り、それを台座にはめ込む。
彼が最期の言葉を述べたら、磔にして火焙りにする。
観客に酒を振る舞い、心ゆくまで惨劇を楽しむ。彼が意識を失う寸前に、美女の一団が銀の弓矢でトドメを刺す。盛大にファンファーレが鳴り響き、合唱団が『歓喜の歌』を声高らかに歌う。
合唱が終わると、閣僚たちが遺体の前に整列し、乾杯をして記念写真を撮るというから狂気の沙汰だ。
モニターから議長の声が流れた。
「賛成の議員はご起立ください」
まさか。
「賛成多数により法案は可決されました」
教授が「狂ってる」と叫んで机を叩くと、ある学生は「終わったな」と言い、へらへらと笑った。誰もが絶望する中、麗子だけは涼しい顔をしていた。
第五章 失われた子供たち
公開処刑法案が可決された日の翌朝、私は講義にも出ず、キャンパスを散策していた。
キャンパスにはガラス張りの植物園があり、熱帯雨林に咲く花々を観賞できる。
私は珍しい花に気づいた。その黄色い花は、パプリカを細長くしたような形をしていて、顔を寄せると甘い香りがした。
一匹の蜜蜂が花びらの端にとまった。雌しべに向かって降りてゆく姿が、花びらを透かして見えた。蜜蜂は一番奥にたどり着くと、懸命に前足をこすり、やがて雌しべに飲み込まれた。
その蜜蜂のように、花に食われるわけにはいかない。私は麗子の父が法案に関与したのか、確かめるしかないと覚悟した。
だが本当の目的は、麗子の関与を確かめることだ。さらに言うなら、彼女の正体を知ることだ。返答次第で別れるつもりだった。
麗子とキャンパスのカフェで待ち合わせをした。
彼女は開放されたカフェの入り口に現れると、真っ直ぐ私の席に向かって歩いて来た。
カフェには何組もの男女がいた。男たちは麗子をチラッと見ると、すぐに自分の女に視線を戻した。女たちは男の仕草に気づいても、気づいていない振りをしていた。
麗子は腰掛けると、姉が弟に話しかけるような口調で言った。
「何かしら。話って」
コーヒーを持って来たウェイターが去ると、私は彼女の目をまっすぐに見て聞いた。
「君のお父さんは、例の法案に関係しているの」
「父のしていることは知らないの。でも、もしそうだとしたら、私たちの間に何か問題でもあるの」
「いや、ちょっと気になっただけさ」
彼女は笑って誤魔化す私をじっと見ていた。
「本当は私が父に頼んだのよ」
私は息を飲んだ。
「安心して。冗談だから」
なんて女だ。
「もうこの話はよそう。それより誕生日はどうしたいの」
「気にしないで。私に計画があるから」
そのとき、コーヒーカップがカタカタと音を鳴らした。プロペラの音が聞こえ、窓から見上げると、何機ものヘリが港の方へ向かって飛んでいた。
カフェのテレビが切り替わった。カルトの信者たちが野外コンサートに乱入したとの緊急速報だ。暴動さながらの光景が、大画面いっぱいに映し出された。
大観衆が規制線の外から信者たちに罵声を浴びせていた。赤灯を光らせている大型バスが何台も停まっていて、機動隊員が遠巻きに舞台を包囲していた。
白い僧衣を着た信者たちは、自分と同じくらいの年齢に見えた。彼らは七人の女性アイドルを盾にしていたから、特殊部隊は狙撃ができずにいた。
私はアイドルに興味はないが、彼女たちには以前から注目していた。国営放送が、その過去を感動的に報じていたからだ。彼女たちは抜群の歌唱力と、トップダンサー顔負けの踊りを武器にしていた。彼女たちは養護施設の出身で、懸命に努力して歌と踊りを覚えたという。
ただ、彼女たちの肌には『666』の刻印があるという噂があった。
馬鹿らしいと思いつつも、一応調べてみることにした。すると、彼女たちを保護した養護施設は、麗子の両親が設立したものと判明した。
「調教」という言葉が頭をよぎった。私はその歌と踊りが努力の賜物とは、もう思えなかった。
膠着状態の最中、黒い僧衣に身を包んだ若者が、堂々とした足取りで舞台の中央に歩み出た。
熱帯雨林の花を思わせるエロティックな顔立ちに覚えがあった。養護施設を脱走した少年たちのリーダーに酷似しているのだ。
彼は罵声を浴びせる野次馬に向かって演説を始めた。
「家畜どもよ。貴様らは自由を知らない。求めてもいない。俺はお前らが求めているものを知っているぞ。家畜から奪われた権利。それは野獣の権利だ。貴様らの望みは殺戮だ。家畜どもよ。今日という日を喜ぶが良い。たっぷりと血を見せてやるからな」
野次馬が罵声を浴びせても、彼は構わず演説を続ける。
「哀れな奴らよ。貴様らは人間じゃない。この少女たちと同じ。ただの道具だ」
「黙れ!」
「きちがい!」
「家畜どもよ。俺の狂気は貴様らの理性を凌駕する。貴様らの理性とは、ケチな狂気でしかない。俺を殺すが良い。だが、裁くことはできないからな」
教祖が演説を終えると、信者たちが刀を抜いた。だが少女たちは無表情だ。動揺しているのは信者たちだ。彼らは皆泣いていた。そのとき、あの記事が頭をよぎった。
『悪魔の養護施設からの脱出。ある少年は、奴隷として売られた妹を助けたいと、涙ながらに訴えた。』
少女たちは人形のように、刀を振り上げた若者を見ていた。彼女たちが前を向いた瞬間、うら若き七つの命が舞台に散った。
信者たちはその場に膝をつき、己の腹に短刀を突き刺した。彼らが首を垂れると、教祖が長刀を抜いて介錯を始めた。
「いいぞ!」
「もっとやれ!」
特殊部隊はあえて狙撃せず、死ぬに任せているように見えた。
教祖が介錯を終えると、カフェの店内に鈍い音が響いた。見渡すと女性が倒れており、ウェイターはお盆にコーヒーを載せたまま硬直していた。
しかし、麗子はカップの縁についた口紅をふき取っていた。いかなる時も彼女は気品を保ち、作法を逸脱することはない。
野次馬が「お前も切腹しろ」と声を上げると、教祖は「なら、お前が介錯をするんだな」と嘲笑った。
教祖は長刀を鞘に収めて舞台におくと、悠々とした足取りで投降し、身柄を拘束された。
第六章 狂宴
なぜか教祖のその後は報じられず、裁判のことも一切報道されなかった。
麗子の誕生日が近づいていた。
彼女の父は世界各地にホテルやカジノを持つ大富豪だ。毎度とんでもなく豪華なプレゼントを用意すると聞いていた。
なら私は何を贈ればいい。ワンカラットのダイヤでさえも、彼女には小石に等しい。
悩み抜いた末、エメラルドのネックレスを贈ることにした。彼女はダイヤなんて腐るほど持っているし、エメラルドがとても似合っているように思えたのだ。
エメラルドには不思議な伝説がある。ギリシャではヴィーナスへの捧げ物とされ、中世ヨーロッパでは予言の力の象徴と言われた。
ただ、エメラルドは蛇を盲目にするという伝説だけは、気にも留めなかった。
ディナーの最中にネックレスを渡した。
「ダイヤは高くてね」
「エメラルドは好きよ。金銭的な価値なんてどうでもいい。個性が本当の価値なんだから」
レストランを出ると黒いリムジンが停まっていて、彼女が近づくと後部座席のドアが独りでに開いた。
車の後部は豪華な個室になっていて、高級なワインが何本も用意されていた。
乾杯をして口づけをすると、私は彼女の首にネックレスを掛けた。
車内は走行を忘れてしまうほど静かだ。だがスモークガラス越しに外を見れば、高速道路を物凄い速度で走っていることがわかる。彼女は私の耳元で、「もうすぐ着くわ」とささやき、私の耳たぶを軽く噛んだ。
車から降りると、広い駐車場に他の車はなく、波の音以外は何も聞こえない。駐車場は高い岩壁に囲まれ、巨大な洞窟の入り口がライトアップされていた。
「行くわよ」
麗子は洞窟へ向かって歩き出した。中は鍾乳洞になっていて、奥へ向かって水平型エスカレーターが稼働していた。
地底湖に光が屈折し、不気味な影が揺れていたが、銀色に輝く歩道が、私を鍾乳洞の奥へ運んでいく。
水平型エスカレーターは両開きの鉄のドアの前まで続いていた。麗子がドアの前に立つと自動で開き、中に入ると100階までの表示があった。
エレベーターは、あっという間に屋上に到達し、箱から出ると星空が広がった。そこは高層ビルの屋上を、厚い強化ガラスで覆ったドーム型のスイートルームだ。
遥か彼方に光の粒が見えた。望遠鏡を覗くと、それは巨大な豪華客船だった。その高層ビルは、孤島の頂上に建っていたのだ。
そこには十メートル四方もあるウォーターベッドがあり、そのそばに巨大なスクリーンが設置されている。
プールが蒼い光を屈折させ、バーに並ぶウイスキーが七色に輝く。巨大なワインセラーには、膨大な数のワインが眠っている。
本土と孤島をつなぐ高架、高層ビルと、屋上のスイートルーム。そこにある全ての物が、父が娘に贈ったプレゼントだった。
ガラスの屋根を載せる壁は宗教画で埋め尽くされ、その中にはルーヴルで観たものが幾つもあった。麗子はそれらが本物で、美術館にあるのが偽物だと言った。
ふたりで歩きながら鑑賞していると、大理石の壁に『聖セバスチャンの殉教』と刻まれた銀色のプレートが飾られていた。
「これは手に入らなかったの?」
「そうね。もうすぐ本物を用意するから、楽しみにしてて」
麗子は手に錠剤をふたつ載せて差し出した。
「魔法の薬よ」
ワインで胃に流し込むと、凄まじい食欲が沸き起こった。
私はディナーをむさぼり、甘い果実にかぶりついた。ロマネ・コンティを胃に流し込み、ドンペリを浴びるほど飲んだ。
麗子も下品さでは負けていない。左手で酒瓶を握り締め、右手でステーキを鷲掴みにして食い散らかす。口元を血だらけにした彼女は、まるで血に飢えた野獣だ。
彼女がオーディオのスイッチを入れると、ヘンデルの合奏協奏曲が響き渡り、欲情がさらに燃え上がる。
彼女が服を脱ぎ捨ててプールに飛び込むと、私も裸になって飛び込んだ。
いくら水を蹴っても捕まえることはできず、気づけば彼女はバスローブを羽織ってソファーに座っていた。
私は水から上がると、彼女に襲い掛かった。狂ったように唇をむさぼり、その瞳を覗き込んだ。
「見せたいものがあるの」と麗子は言い、リモコンに手を伸ばす。すると巨大なスクリーンに、公開処刑の様子が映し出された。
スタジアムは観客で埋め尽くされ、罵声と嘲笑の最中、あのカルトの教祖が十字架を背負って階段を上っていた。
処刑台はハマグリのような形をしている。天に向かって少し開いた殻の間が階段になっている。
教祖が十字架の重さに崩れ落ちると、先導する美女が鞭をしならせる。意識が戻らなければ、別の美女が聖水を浴びせ、さらに激しく鞭をしならせる。
麗子は脚を組んでソファーに座り、グラス片手に中継を見ていた。その表情に恐怖はなく、女王の風格さえ感じられた。
そのとき、彼女がカフェで言った冗談が頭をよぎった。
『本当は私が父に頼んだのよ』
その言葉が呪詛のごとく脳裏に響く。公開処刑は、彼女の意志だったのか。
彼女はバスローブをはだけ、見せつけるように脚を開く。口からワインが溢れ、淫らな唇をしっとりと濡らした。
最終章 猥褻な巡礼
教祖が十字架を処刑台の頂点にはめると、一斉に火柱が立ち上がり、観客が総立ちとなった。
「焼き殺せ!」
「いい気味だ!」
最期の言葉がスタジアムに響く。
「妹よ。聞いているか。俺はお前の愛を拒絶した。理性が背徳を赦さなかったのだ。さあ、理性に犯された兄を殺すがいい」
彼が磔にされて火が放たれると、麗子は炎に悶える肉体を餌に、淫らな唇をもてあそんだ。彼女の肉体は猥褻な香りを放ち、胸元のエメラルドが妖星のごとく輝いた。
彼女は指先に白い粉をつけると、それを己の秘部にすり込んだ。
「のどを潤すのよ」
その蜜を味わうと頭が朦朧とした。意識を失い、目が覚めると、手足の感覚がなかった。
腕がないぞ。足はどこに行った。まさか、俺は蛇になったのか。
ふと気づくと、麗子がウォーターベッドから見下ろしていた。
「こっちに来なさい」
ベッドの脚に巻きついて這い上がると、彼女は私の鎌首をつかんで睨みつけた。
「理性を捨てなさい。私を知りたいのなら、狂気を捧げるのよ」
彼女は私をベッドの下に放り投げた。
「さあ獅子になりなさい」
私は彼女に飛び掛かると、その肉体の聖地を巡礼した。
唇を濡らす樹液を吸い、かたい乳首を牙で噛んだ。なだらかな丘稜を下り、小さな茂みを通り抜けると、熱い割れ目の前にたどり着いた。
私は苦悩に駆られた。
この奥に秘密が隠されているに違いない。顔だけ見てたら騙される。きっと内臓こそが、彼女の正体なんだ。だが、それを見てどうする。後悔はしないのか。本当に行くつもりか。
前に進むことができなかった。
すると麗子は私の鎌首をつかみ、スクリーンに映る教祖を指差した。
「見なさい。彼には勇気があるわ。あなたも勇気を見せなさい。私のゴルゴダの丘に、あなたの惨めな十字架を突き立てるのよ」
彼女はまた私をベッドの下に放り投げた。
畜生。侮辱しやがって。
私は彼女に飛び掛かり、熱い割れ目に向かって突き進んだ。たどり着くと、割れ目が大きく開き、オレンジ色に輝く溶岩が見えた。
ふと気づくと、一人の少女が割れ目から顔を覗かせていた。
「君は誰だ?」
「あたしはクリス。ここに住んでいるの」
「溶岩の中で生きられるのか?」
「この中は聖地。身も心も清められ、愛に包まれるから。さあ、入ってらっしゃい」
割れ目に飛び込むと、中は桃色の水晶でできた洞窟だった。奥へ進んでいくと、巨大な十字架が見えてきた。誰かが磔にされている。
それは教祖だった。いばらの冠をかぶり、体に無数の傷跡がある。彼は疲れきった表情で、私に話しかけた。
「弟よ。久しぶりだな」
「あなたは俺の兄なのか」
「そうだ。お前たちの兄だ」
「お前たち?」
「俺はお前の女の兄でもあるのだ」
「麗子の兄だと」
「彼女は弟との契りを望んでいる。つまり、お前とのな」
「兄さん。なぜ、こんなことになったんだ」
「宿命だ。我が一族は純血を守らなくてはならない。俺は妹の愛を拒絶したが、それは過ちだった。俺たちにとって、理性とは呪いなんだ。弟よ、俺を呪縛から解放してくれ」
足元に銀の弓矢が落ちていた。拾い上げて構えても、矢を放つことができない。
「何をしている。早く殺せ」
「兄よ、眠れ」
目が覚めると、エメラルドが目の前で輝いていた。麗子が私の顔を覗き込んでいたのだ。
「すごく良かった。今度は姉さんが愛してあげる」
彼女は私に接吻を浴びせると、スクリーンを指差した。
「見なさい。聖セバスチャンの殉教よ」
そこには、矢で射抜かれた教祖の姿が映っていた。
神々に選ばれし者
現世に生くる能はず
呪はれし者
かみがみに えらばれしもの
うつしよに いくるあたはず
のろわれしもの
『慕尼黑歌集』
執筆の狙い
マルキ・ド・サドへ捧ぐ、現代の黒い聖典。
捨て子として「選ばれし者」の烙印を押された少年は、完璧なる美の化身・麗子と出会う。彼女の微笑は毒であり、哲学は刃。快楽こそ唯一の真理と囁かれ、理性は徐々に溶け落ちる。
養護施設の闇、公開処刑という国家的狂想曲。カルト教祖の炎上する十字架、そして禁断の肉体巡礼。すべてが麗子の掌で回る。エメラルドの輝きの下、蛇と化した男は聖地を貪り、理性の呪縛を断ち切るか、永遠に囚われるのか。
美は残酷を、愛は破滅を孕む。
ここに、選ばれし者の孤独な絶頂がある。
※上記の作品紹介はAIによるものです。