不退転に生きる(Claudeとの共作)
第一章 誕生と発覚
あまり広いとは言えない三崎家の居間に、五人の大人が集まっている。出窓の淡いブルーのカーテンの隙間から、優しい陽の光が射し込んでいる。微かなミルクの匂いが部屋を包んでいる。グレーの絨毯に座っている啓子が、まだ覚束(おぼつか)ない手つきで、白い産着に包まれた赤ちゃんを抱きしめていた。
「こう、もうちょっと首のほうを支えてあげて、うんそうそう」とアドバイスを送っているのは、啓子の母親の真里だ。その隣に座り、微笑みを浮かべながら、がらがらを振りたそうにしているのが夫の明(あきら)。いつもはワックスで固めている髪も、今は自然に垂れている。赤ん坊は眠そうにしていて、目線を動かさないので、ひとまず玩具を脇に置いた。
「小春ちゃん、体重が3600gもあったんだって? 健康な子に育つなぁ」
と言ったのは、同じく満面の笑みを浮かべている真里の夫、つまり小春のお爺さんにあたる涼だ。
「大きな子だから大変だったわよね。ようがんばったわ」
と言いながら真里は小春のほっぺたを撫でた。
「がんばったのは私なんだけど。もう出産は当分ごめんだわ」
と啓子がつぶやいた言葉が、あまりにも実感が籠っていたので、三人は一斉に笑い声をあげた。その声に反応したのか、小春も少し口角をあげた。
「あ! 笑ったよ、こはるちゃん。かわいい。ちょっと、明さん」
と呼ばれた夫、即座に立ち上がり、パソコンデスクに置いてあるデジカメを取ってくる。この二日ほど、彼が取った愛娘の写真は五十枚では済まないだろう。でも本人も撮りたくて仕方がないのだ。幸い、まだ小春は笑みを浮かべているので、たちまち二枚撮った。
「あ、そういえば、まだ産んだ直後のベッドの写真残ってるの?」と赤ん坊を揺らしながら啓子が聞いた。
「あ、枯れ果てた干し芋状態の時の写真? うん、残してるよ」
「やだ消しといてって言ったじゃない」
「だってあれはあれで記念だからさ、小春も一緒だし」
と明が弁解すると、啓子はふくれっ面でしばし考えていたが、渋々納得した。その様子を見て、再び両親と夫は朗らかな笑い声を立てるのだった。空気さえも、家族を祝福しているかのように暖かく満ちていた。
要再検査。先月受けた健康診断の結果通知書の太い文字を見て、チェアーに持たれていた明は目を疑った。中高と野球部に所属し、大学では運動こそしていなかったが、登山サークルに入り足腰を鍛えていて、健康には自信があった。現に、三十歳になるまで、大きな病気は一切せずにやってきた。続きを読むと、胸部X線・CT:「左肺野に結節影あり。再検」となっている。勤めている生保会社の昼休憩中のオフィスで、周囲の人たちが思い思いに雑談をしている中、突如として、厳寒の冬山に放り込まれた気持ちになった。これは、もしかして……。明の不穏な表情を見た、隣席の女子社員、渡辺ありさが怪訝そうな表情をして、
「三崎さん、どうしたんです? 何か、健康に問題が見つかりました?」
と質問してきた。猛吹雪の中を遭難しているような、感情の猛烈な嵐の中にいた明は、返事するまでにかなりの時間を要した。ようやく振り絞った言葉は、
「がんになったかもしれない。精密検査を受けてこないと」だった。小声の返事を聞いたありさは、唾を飲みこんだ後立ち上がり、見せてもらえますか、と健診の通知書をそっと覗き込んできた。隠す理由もない、すぐに広まることだ、と明は彼女にそれを手渡し、ゆっくりと立ち上がり、重荷を背負った作業者の足取りで部長席に向かうのだった。
第二章 宣告と誓い
大学病院の診察室は、妙に静かだった。窓の外からは車の走る音が聞こえてくるが、それすらも遠くに感じられた。明は白い壁を見つめながら、医師の言葉を待っていた。隣には啓子が座っている。生後二ヶ月の小春は、真里に預けてきた。
「三崎さん」
と呼びかけた医師は、五十代半ばほどの、白髪混じりの髪をした男性だった。穏やかな表情をしているが、目は真剣だ。パソコンの画面を見ながら、彼はゆっくりと口を開いた。
「CTと生検の結果が出ました。左肺の腺癌です。リンパ節への転移が認められますので、ステージはⅡBということになります」
明は息を呑んだ。頭の中で、その言葉が何度も反響した。ステージⅡB。癌。転移。隣にいる啓子の手が、小さく震えているのが分かった。
「ステージⅡということは……」と明は声を絞り出した。
「どのくらい、進行しているんでしょうか」
「ステージⅡは、早期とは言えませんが、まだ手術が可能な段階です」医師は丁寧に説明を続けた。
「三崎さんの場合、まず抗がん剤治療で腫瘍を小さくしてから、手術を行う方針が最善だと考えています。その後、再発予防のために追加の化学療法を行います」
「治る、可能性は……」啓子が、か細い声で尋ねた。
「五年生存率は、およそ六十から七十パーセントです。決して低くはありません。ただし、治療は長期にわたりますし、副作用も伴います」
医師の言葉を聞きながら、明は自分の手を見た。この手で小春を抱いた。この手でまだ、何もしてやれていない。結婚して三年、子どもができて、これから家族としての時間が始まるはずだったのに。
「どのくらいの期間、治療が必要ですか」と明は顔を上げて聞いた。
「術前化学療法が三、四ヶ月。手術後の回復期間を含めて、さらに数ヶ月。術後補助療法も加えれば、少なくとも一年は見ていただく必要があります」
一年。小春が一歳になるまでの時間だ。首が座り、寝返りを打ち、這い始め、つかまり立ちをして、歩き出すまでの時間。その全てを、自分は病気と闘いながら過ごすことになる。
「分かりました」明は静かに頷いた。
「やります。やらせてください」
医師は頷き、今後の治療スケジュールについて説明を始めた。抗がん剤の種類、投与のサイクル、予想される副作用。吐き気、倦怠感、脱毛、白血球の減少。一つ一つの言葉が、これから訪れる試練を物語っていた。
病院を出ると、春の風が頬を撫でた。まだ日が高く、街路樹の葉が黄色く色づき始めている。二人は並んで歩道を歩いた。しばらく、どちらも口を開かなかった。
「啓子」ようやく明が言った。
「ごめん」
「何が」啓子は立ち止まり、夫を見上げた。
「こんな時に、病気になって。小春がまだあんなに小さいのに」
「謝らないで」啓子は強い口調で言った。目に涙が浮かんでいる。
「あなたが悪いわけじゃないでしょう」
「でも……」
「でも、何よ」啓子は明の腕を掴んだ。
「私たち、家族でしょう。一緒に乗り越えるに決まってるじゃない」
明は啓子を見つめた。結婚式の日、彼女が誓いの言葉を述べた時の顔を思い出した。あの時と同じ、真っ直ぐな目をしている。
「俺、死ぬわけにいかない」明は言った。
「小春を育てないといけない。お前を支えないといけない。まだ何も、父親らしいことをしてない」
「そうよ」啓子は涙を拭いながら、笑った。
「だから頑張るのよ。私も頑張るから」
「育児、一人でやらせることになる。きつい思いをさせる」
「いいのよ。お母さんもいるし」啓子は明の手を取った。
「あなたは治療に専念して。それが今、一番大事なことだから」
明は深く息を吸った。不安は消えない。恐怖もある。でも、隣にいる妻の手の温もりが、確かに自分を支えてくれている。
「ありがとう」明は言った。
「絶対に、勝つ」
「うん」啓子は頷いた。
「小春も待ってる。帰ろう」
二人は再び歩き始めた。駅へ向かう道は、いつもと変わらない風景だった。でも、今日この日から、三崎家の闘いが始まる。明はそれを、心に刻んだ。帰ったら小春を抱こう。まだ小さな、温かな命を。そう思いながら、明は妻と並んで、家路を急ぐのだった。
第三章 軋む両輪
うるさい……なんとかならないのか。明は、体を捻じ曲げながらベッドで半身を起こす。以前のように腹筋を使って起き上がるのが苦痛なのだ。捩じった体をようやく動かし、立ち上がる。この時気を付けないと、目の前が真っ白になり、座り込んでしまう。まずは、と先週から始めた抗がん剤治療だが、ペメトレキセドの副作用が強く、制吐剤を併用していても、明は病室の洗面台に激しく嘔吐してしまった。副作用は人によって変わります、と医師に事前説明を受けていたのだが、運動と登山で鍛えていた明は、僕は体力あると思いますので、などと軽口を聞いたものだが、結果は惨たるものだった。そして今、寝室の扉越しに聞こえてくるのが小春の終わらない泣き声で、明は鉛のように重い体を引きずって、居間に出てみた。そこには、眉間に皺を寄せて必死に小春を抱いてあやしている啓子の姿があった。明は、その姿を見て何も言えなくなった。
「あなた、ごめんなさい……起きちゃった?」
「いや、別に寝てもなかったよ。泣き止まないからどうしたんだろう、と、思って」
と話しながら、声すらしっかり出ない自分にうんざりした。どうした俺、しっかりしろ! と無理やり腹に力を入れて、ふらつく足取りで小春を受け取ろうとした。が、父親の顔を見た赤ん坊は火が付いたように泣き叫び始め、明は思わず目を閉じた。
「あなた、私が何とかするから休んでてくださいよ」
という啓子の言葉がやけに冷たく感じられた。彼女の唾の匂いまでもが不快に感じられ、彼は二、三度首を振って、何も言わず寝室に重い体を運んでいった。そして、ベッドにうつ伏せになって、枕を後頭部に乗せて掴んで、我が子の終わらない叫びをシャットアウトしたのだった。肩の辺りが重く、後頭部までだるさに支配されている。俺はなんでこんな思いをしているんだろう、と働かない頭で考えているうちに、眠りについた。
ふと気づくと、おでこが冷たい。なんだ? と思うまでもなく、顔の近くで啓子が微笑んでいるのを見た。
「だいじょうぶ? まだ気分は悪いですか」明は額のタオルの冷たさに感謝しながらも、口からはなにも出なかった。啓子は若干不満そうにしながら、自分も隣のベッドの毛布を被る。
「何やってるんだ、小春は……」と明が言いかけると、
「お母さんが見てくれてるよ。少し寝なさいって言われたから寝る」と被せるように言って、すぐに瞳を閉じた。鈍い頭の回転で、啓子の言葉の意味を把握すると、明はおでこのタオルを邪険に寝台のそばの台に置いた。しかし、すぐさま、これは八つ当たりの感情だ、と悟り、薄暗い部屋のベッドに縮こまり、小さな声で、けいこ、ごめん、と呟くのだった。
苦しい抗がん剤治療の日々は続いた。明は、感情の起伏が激しくなっているのを感じた。常に倦怠感に付きまとわれ、少しマシになった頃にまた投薬というサイクルが繰り返され、身も心もすり減ってきた。啓子も可能な限り明の看病に努めたが、いかんせん小春の就寝サイクルが二、三時間ごとに寝起きする、なので、まともに眠ることは出来ず、買い物にもろくにいけない始末で、もっぱらそういう役は啓子の両親、特に母親の真里が担当してくれていた。
「お金の心配は一切するな。俺が何とでもしてやる」と、大手信金の役員である父親の涼が頼もしく言ってくれた。しかし、幸いというか、明たちの勤める生保会社には傷病休暇があったので、有給も含めると、おそらく闘病中はカバーできそうだ、と総務の明は自分の休業手続きを自分でしながら頷いたものだった。隣席のありさに、うちのがん保険には入ってなかったんですか、と聞かれて、頭を叩いて後悔したものだった。自分だけは健康で、風邪もひかないなどと自惚れていたのは実に間抜けだった、と思ったのだった。
よろばうようにトイレに行き、洗面台で手を洗っている時、ふと鏡に映った自分を見て、はっ、と声をあげた。そこには死神のように生気のない、クマのある痩せこけた男がいた。これは一体誰だ、俺なのか、と、全身の力が抜けるような気がした。風に舞う紙切れのような足取りで居間へ戻ると、ベビーベッドにいて、今は機嫌のいい小春が、だぁ、と明に手を伸ばしてきた。彼女の小さな手をつかんだ時、冗談ではなく命のエネルギーをもらった気がした。洗濯ものを畳んでいた啓子はその様子を見て微笑んでいた。小春は大事な原点を思い出させてくれる。明は妻のほうを向いて、にっこりと笑顔を返した。
第四章 病室の声
目を開けると、天井が白かった。視界がぼやけている。瞬きをすると、少しずつ焦点が合ってきた。喉が渇いている。体が重い。ああ、そうか、手術が終わったのか。明はそう理解するまでに、しばらく時間がかかった。
左胸のあたりに鈍い痛みがある。麻酔が切れてきているのだろう。呼吸をすると、肺が引っ張られるような感覚がした。ゆっくりと首を動かすと、病室のカーテンが目に入った。四人部屋だ。隣のベッドからは、誰かの寝息が聞こえてくる。
「三崎さん、目が覚めましたか」
看護師の声がして、明は顔をそちらに向けた。若い女性の看護師が、笑顔で覗き込んでいる。
「はい……」声がかすれていた。
「手術は無事に終わりましたよ。先生からまた説明がありますから。今は楽にしていてくださいね」
明は頷いた。看護師は点滴を確認して、去っていった。再び天井を見つめる。無事に終わった。それだけで、少しほっとした。でも、これで終わりではない。まだ闘いは続く。そう思うと、体の重さが増したような気がした。
翌日、啓子と真里が見舞いに来た。明はベッドを少し起こして、二人を迎えた。啓子は心配そうな顔をしていたが、明の顔を見ると安堵の表情を浮かべた。
「お疲れ様」啓子は椅子に座り、明の手を取った。
「痛む?」
「まあ、それなりに。でも我慢できる」
「無理しないでね」真里が言った。
「小春は元気よ。お父さんが見てくれてる」
「そうか……」明は少し笑った。
「写真、見せてもらえる?」
啓子はスマホを取り出して、画面を明に向けた。そこには、寝返りを打とうとしている小春の姿があった。必死に体をひねって、少しだけ横を向いている。
「もうすぐ寝返りできそうなのよ」啓子が言った。
「この前、ちょっとだけ成功したの」
「そうか……見たかったな」
「動画もあるわよ」
啓子が再生すると、小春が声を上げながら体を揺らしている様子が映った。明はそれを見つめながら、胸が温かくなるのを感じた。小春は成長している。自分がいない間も、確実に。
「早く帰りたい」明は呟いた。
「もうすぐよ」啓子は優しく言った。
「先生が、順調にいけば一週間ぐらいで退院できるって」
「ああ、そう言ってた」
真里は果物の入った袋を棚に置きながら、
「無理は禁物よ。ちゃんと休んで、体力をつけてから帰ってきなさい」と言った。明は素直に頷いた。
その日の午後、隣のベッドから声がかかった。
「三崎さん、だっけ? 手術、お疲れ様」
カーテンの向こうから、中年の男性の声がした。明は首を向けた。
「ありがとうございます。あの、元谷さん、ですよね」
看護師から聞いていた名前を口にすると、カーテンがさっと開いた。そこには、痩せた体つきの男性が、ベッドに座っていた。四十代半ばだろうか。頭髪は薄く、顔色はあまり良くない。でも、目には穏やかな光があった。
「そう、元谷鉄平。四十四歳。厄年ってやつが怖くてさ」元谷は苦笑した。
「まさか本当に厄が来るとは思わなかったけどね」
「同じ、肺がんなんですよね」
「ああ。俺はもうかれこれ半年ここにいる。長いよ、本当に」元谷は窓の外を見た。
「でも三崎さんはいいよ。すぐ退院できるんだもの」
「そう、ですね……」明は言葉に詰まった。
「羨ましいよ、本当に」元谷は振り返って、明を見た。
「若いし、家族もいるんだろう? 頑張れよ」
「元谷さんも……」
「俺は、まあ、長期戦だから」元谷は手を振った。
「でもさ、こうやって話せる相手がいるのはありがたい。他の二人はもう退院しちゃったし、新しく入ってくる人もすぐ出ていくからさ」
明は元谷の言葉を聞きながら、自分がいかに恵まれているかを感じた。確かに、手術は成功した。一週間で退院できる。家に帰れば、啓子がいて、小春がいる。
「ありがとうございます」明は言った。
「元谷さんの言葉、励みになります」
「いいってことよ」元谷は笑った。
「お互い、頑張ろうぜ」
退院の日は、思ったより早く来た。術後六日目、医師の診察を受けて、明は退院の許可をもらった。傷口の痛みはまだあったが、歩くことも、日常生活を送ることも問題ないと判断された。
「ただし、無理は禁物です」医師は念を押した。
「二週間後にまた外来に来てください。その時に、術後補助化学療法のスケジュールを決めましょう」
明は頷いた。抗がん剤治療。またあの苦しみが始まる。でも、今度は入院ではなく、通院だ。家にいながら、闘える。
荷物をまとめて病室を出る前、明は元谷のベッドに近づいた。
「元谷さん、お世話になりました」
「ああ、もう帰るのか。早いな」元谷はベッドから手を伸ばした。
「頑張れよ、三崎さん」
「はい。元谷さんも」
二人は握手をした。元谷の手は細く、冷たかった。でも、その握手には力があった。明は病室を後にした。
家に帰ると、小春が待っていた。真里に抱かれて、明を見ると、少し首を傾げた。そして、だぁ、と声を上げた。明は小春を抱き上げた。軽い。こんなにも軽い命を、自分は守らなければならない。
「ただいま」明は啓子に言った。
「おかえりなさい」啓子は涙ぐんでいた。
「よく頑張ったね」
「まだ、終わってない」明は小春を抱いたまま、窓の外を見た。
「また、抗がん剤との闘いだ」
でも、今度は家族と一緒だ。それだけで、明は少し強くなれる気がした。小春の温もりを感じながら、明は静かに、次の闘いへの覚悟を決めるのだった。
第五章 寛解の後の空
食べなければ。食事は文字通り栄養補給なのだと明はこの闘病期間で、文字通り体で思い知った。気分が悪い、と一食でも抜くと、みるみる体重が落ちる。元々70㎏あった体重は今や56㎏まで落ちた。医師に相談すると、多少無理をしてでも食べてください、それが回復のエネルギーになりますから、と言われ、今もたくあんを齧っている。脂っこいものは重たくて受け付けないので、もっぱら和食系の味の薄いものを食べていた。テーブルの向かいでは、首の座った小春がベビーチェアに座って離乳食を食べている。啓子が楽しそうに、あーん、どうぞ、と言って小春の口にスプーンを運んでいる。明は興味を感じて、おかゆのようなものを少しだけ食べてみた。
「あんまりおいしくないな」と実感を込めて明が言うと、啓子は弾けたように笑った。小春もつられてけへへ、という感じの声をあげて、手を叩いた。三人のいる部屋は、朗らかな幸せに満ちていた。だが、明はまだ抗がん剤治療が続いている身で、倦怠感が長く座っている事を許さない。お腹を満たした明は、リビングのソファに横になってテレビを見るでもなく見ていたのだった。
仄かに暗い中、明は自転車を漕いでいる。ああ、またこれか、と思った。夢の中なのは不思議と分かっていた。彼は延々と漕ぎ続ける。ある時は草原を駆け抜け、ある時は雑踏の中を人にぶつかりながらすり抜け、ある時は海岸をずっと走る。息が切れて苦しくなる時、自転車で並走してくれる少年が現れる。彼は、明が小学四年生の時、交通事故で死んでしまった友達、佐藤吉広だった。
だいじょうぶか、まだまだいけるよ
ありがとう、でもしんどいよ
あきらはまだいける まだちからがのこってる
もうやめたいよこんなの
ばかいうな はしるのやめたらだめだ こっちにくるな
──目が覚めた。暗闇の中、白い豆電球の光だけが目に入った。胸の痛みと息切れを感じ、胸に手を当てて呼吸を整える。そして、よっくん……何度も俺を励ましに来てくれてありがとう。まだまだ頑張るよ。明は目じりを拭いて、遠い過去の彼と遊んだ時の事を思い出すのだった。隣では啓子と小春が安らかな寝息を立てていた。
街に並ぶ緑樹たちが葉を落とし、吹いてくる風に細くなった身を震わせている。道行く人たちもコートやジャンパーを羽織り、手を息で温めたりしていた。。空は青く太陽も照っているが、どこか心あらずで、冬の到来を告げているようだ。明と啓子は何度も訪れた大学病院の内科の診察室で医師と向かい合っている。手に持ったCTの写真と、血液検査の結果などが書かれた診断書をじっくりと見た後、軽やかな声で
「三崎さん、よく頑張られましたね。ひとまず、異常はどこにも見られません。寛解と言っていいと思います」と宣言した。明の体は芯から熱くなった。勝った。俺は、がんに勝ったんだ。彼の肩を強く啓子が揺すった。
「ありがとうございます!」と明は体を震わせて大きな声で言った。医師も大きく頷いた。横にいた看護師が笑顔で、おめでとうございます、と言ってくれた。何度も抗がん剤などの点滴を打ってくれた人だった。明は彼女にも深く頭を下げた。そこから、病院を出るまで、見覚えのある看護師や職員に何度も何度もお礼をした。啓子も同じように振舞った。病院の敷地内の駐車場に停めた自分の車に向かう時、自分でもおかしいと思うぐらい足取りが弾み、啓子と手をつないだ。啓子は少し驚いたが、強く握り返した。
「勝ったよ、俺。啓子の、おかげだ」自然とこういう言葉が出た。
「私、何もしてないわ。あなたが勝ったのよ」
啓子は明の右手を両手で高々と掲げた。
「勝者、みさきあきらーっ!」
「よっしゃーっ」
と明は両手を天高くつき上げて叫んだ。見上げた空には雲一つなく、どこまでも突き抜けていた。(終)
執筆の狙い
実験的な小説を書いてみました。何がかと言うと、この小説のとある一章は丸ごと全部Claude先生に書いてもらっているのです。
一章だけかも知れませんし、二章かも三章かもしれませんが、全部ではありません。私も書いています。
皆さまはどの章を生成AIのclaudeが書いたか分かるでしょうか。見抜いてみて欲しいのです。
また、それとは別に、純粋な小説の感想を書いていただけるのも大歓迎です。皆さまよろしくお願いします。