シルバー・アーリン 〜 人間型兵器彼女との約束 〜
─ 1 ─
警報を見逃していた。
町に人間は一人もいない。皆、既にそれぞれのシェルターに避難済みだ。俺だけがアホの子のように、久しぶりに外へ出たついでに、平和だった頃に妻と一緒に見た川の流れなんかをのんびり眺めていた。
その間に腕にはめたレーダーの携帯アラームは激しく点滅を繰り返していた。うっかりマナーモードにしていたので気がつかなかった。
崩壊したビルの壁面が赤く染まりはじめた。やがてそれが黒い影に覆われる。やつらがやってくる前兆だ。
空を見ると、既に姿を現していた。草原を駆けるように、禍々しい色をしたオオカミどもが、細くてしかし逞しい四肢を動かして空を蹴り、獰猛な緑色の目を光らせながら、獲物を探しはじめている。
隠れることはできない。やつらの目に埋め込まれたセンサーは、生体反応を嗅ぎ取る。建物の陰に身を隠したぐらいじゃ簡単に見つかってしまう。
地下深くのシェルターに逃げるしかないんだ。案の定、俺を見つけたオオカミどもが隊列など何もない荒々しさで、こちらめがけて空から押し寄せてきた。
「助けて……!」
俺にできることは、もはや女神に祈ることだけだった。
「助けて……! アーリン!」
走りながらそう叫ぶと、まるで俺の声に答えるように、彼女は現れた。
少し離れた上空に銀色の光が生まれたかと思うと、押し寄せるオオカミどもを防ぐ壁のように、華奢なその後ろ姿が、突如として出現する。
長い銀色の髪が風で横に揺れた。
オオカミどもはたじろぎもしない。音もなく、しかし激しく大地を蹴るような動きで、視界に捕らえた彼女に緑色の視線を集中させる。
オオカミどもの目が、一斉に強く光った。
そこから照射される光線はコンクリートの壁に一瞬にして穴を穿つ。人間の体など豆腐のように破壊してしまう。
「アーリン!」
無礼にも俺は彼女を心配してしまった。
彼女の銀色のメカニカル・ボディーが光を纏うのを見て、すぐに自分の愚かさを思い知る。彼女はシルバー・アーリン。オオカミ退治のエキスパートなのだ。
銀色の粒子弾が、彼女の流線型のボディーを取り巻く渦のように沸き起こり、四方八方へ飛び散ったかと思った時には、もうオオカミの群れは空からかき消えていた。
仕事を終えると彼女は何も言わずにすぐ帰っていく。どこへかは知らない。いつもそうだ。オオカミを退治する彼女しか誰も見たことはない。どこからやって来るのかも誰も知らず、会話をした者がいるとも聞いたことがない。
ただ彼女は人間を守り、オオカミを狩る。
人間なのか、ロボットなのか、あるいは宇宙人なのか──それさえも知る者はなかった。
ありがとうの言葉を俺が言う暇も与えず帰りかけるアーリンが、ぴくりとその肩を動かし、俺のほうを振り返った。
かなり遠くに彼女の美しい顔が見えた。俺を見ているのだろうか? と思ったが、すぐにその理由がわかった。
俺のすぐ横にあるビルの陰に一匹、オオカミがいた。
禍々しい色をした猛牛のような躯を、俺のほうから空中のアーリンへ、瞬時に翻すと、緑色の巨大なカタツムリのようなその目から、光を吐いた。
俺がそれを見たのとオオカミが銀色の粒子弾に消されたのが同時だった。しかし空中のアーリンも撃ち落とされていた。緑色の半円の穴を腰に穿たれて、銀色の長い髪を悲痛に揺らしながら落ちていった。
「アーリン!」
俺は駆けた。
彼女が墜落した地点をめがけて。
「アーリン!」
瓦礫の転がる車道を、平坦地を縫って、ビルの谷間へ。
裂けたアスファルトの上に彼女は静かに横たわっていた。
俺のシェルターは二人用だ。
以前はここに二人で避難していた。
妻とは結婚したばかりで、これから楽しい思い出をたくさん作っていこうとしていたところだった。
アーリンの身体は驚くほどに軽かった。まるで羽毛でも抱いているようだ。
薄暗い階段を彼女を抱えて下り、広いだけのダブルベッドの上に寝かせると、俺はうろたえた。ここへ運び、どう治療するつもりだったのだろう。
しかし心配はいらなかった。寝かせたベッドの上で、姿勢よく目を閉じている彼女のえぐれていた脇腹が、白い煙をあげて自己修復しはじめているのを見て、俺はほっとため息をついた。
彼女が意識を取り戻すのを待ちながら、彼女の姿を観察した。
いつも遠く空の上にしか見たことのなかったシルバー・アーリンが、自分たちのベッドの上に寝ているのが不思議な気分だった。
27歳ぐらいに見える。あるいは死んだ妻がその年齢だったので、重ねてしまっているのだろうか。
透き通るような美人だ。髪の毛も眉毛も輝くほどの銀色なのがとてもよく似合っている。
身体はすべて何かの軽合金でできているようだった。鳩尾から臍の下までは菱形に透き通っていて、その中には臓器も骨も何もないのがわかる。その代わりというように、銀色の何かの光が、中で炎のようにずっと揺らめいている。
オオカミがどこからやって来ていて、何を目的に地球を攻撃しているのかを誰も知らないように、シルバー・アーリンがどこからやって来るのかを知る者もいない。
人間の味方ではあるようだが、もしかしたら単にオオカミを駆除するようプログラムされているだけのロボットなのかもしれない。人間のことも、今まで攻撃したことがないだけで、今、目を覚まして俺を見たら、突然攻撃してくるのかも……
なんてことは、とても考えられなかった。
目の前で眠る彼女は、優しい顔つきをしていた。何よりボディーは軽合金でも、その姿は人間そっくりに作られている。特に頭部は白い肌に銀の産毛の、人間そのものだ。
誰が造ったのかは知らないが、人間を守るための対オオカミ用人間型兵器なのだと思えた。
約半年前、シルバー・アーリンは突然現れた。
それまでオオカミ相手にシェルターに逃げるしか術のなかった人類に希望を与えてくれた。
ただ、もう少し早かったら……
妻がオオカミに豆腐のように殺された、あの8ヶ月前に、彼女がいてくれたら……
そんなことをつい思ってしまった自分を俺はたしなめた。
彼女のせいではないのだ、妻が死んだのは。憎むべきはオオカミだ。彼女はそれを敵としている。それでいいではないか。
アーリンが、ゆっくりと目を開けた。
「アーリン……」
俺は誰がつけたか知らないその名を呼んだ。
「気分はどう?」
ゆっくりと俺のほうを振り向いた。青いその目で俺をじっと見る。大人の女性を模したその造形に似合わない、なんだか無垢な子供のような表情だった。
「わたし……やられちゃったの?」
幼児がパパに聞くように、そう言った。
「仕方がないよ。あれは不意討ちだった。オオカミのやつ、卑怯な真似を……」
俺が弁護するようにそう言うのを、意味がわかってないような顔をしながら聞いている。
「コーヒー……淹れようか?」
彼女が何も喋らないので、間をもたせるのに困って俺は聞いた。
「コーヒー……とか……飲むのかな?」
「なんにもわかんないのです」
無表情に彼女は言った。
「ただ約束をおぼえているだけなの」
とりあえずコーヒーを2つ淹れながら、俺はドキドキしていた。
彼女とは会話ができることがわかった。以前から彼女と会話をしてみたかった。
ベッドの上で身体を起こした彼女は輝いていた。比喩じゃなく、ほんとうに身体の中から銀色に輝いている。
「約束って、誰と?」
彼女にコーヒーを渡しながら、聞いた。
「君を造った博士とか?」
約束とはプログラムのことだろうか? という気がしたのでそう聞いた。オオカミを滅ぼせというプログラム。それのことだろうかと思ったのだ。
すると彼女は答えた。
「オオカミがいなくなったら、一緒に海を見にいこうって」
コーヒーをこぼしそうになってしまった。
それは生前、妻と俺がした約束と同じだった。
しかしそんなわけはない。妻は、俺の目の前で、思い出したくもない姿になって、死んだのだ。きっとアーリンは俺とは違う誰かと、そんな約束をしたのだ。その約束を叶えるためにオオカミと戦っているのだろう。
「君は……何者なの?」
誰もが知りたいことを、人類を代表して俺は聞いていた。
「なぜ人間を守ってくれるの? アーリン、君は……どこから来たんだい?」
コーヒーの揺れる表面を珍しそうにじっと見つめながらアーリンは、俺の質問に質問で返した。
「わたしの名前はアーリンなの?」
「あ……、ごめん。誰もがそう呼んでるから……つい。誰がつけた名前なのかは知らないけど、人間たちはみんな君をそう呼んでる」
「わたしの名前はアーリンなの」
そう言いながらこっちを向くと、無表情な顔に初めて微かな笑いを花開かせた。
「わたしの名前はアーリンなの」
「嬉しいの?」
「ウン」
「名前、なかったの?」
「ウン」
少女のようにうなずきながら、アーリンはコーヒーの表面を揺らして遊ぶ。すっかり仲良くなれた気がして、俺も顔を綻ばせた。
やはりどこか死んだ妻に似ていると思ってしまう。年齢も、背丈も、同じぐらいだ。しかし顔はまったく違うし、プロポーションも妻はこんなに見事な流線型はしていなかった。何よりアーリンは頭部を除いてはどう見ても人間ではないというのに、どうしても俺は彼女に妻の面影を求めてしまっていた。
「さっき言ってた約束だけど……誰としたの?」
俺は軽い気持ちでそう聞いた。
しかしそれを聞かれたアーリンが笑顔を消した。コーヒーの表面をガクガクと波打たせて、苦しそうな表情になる。
「あ……。ごめん。言いたくなければ……」
「あなたは?」
突然こっちにまた質問を返され、俺は意味がわからずにたじろいだ。
「俺が……何?」
「あなたは、誰?」
「あ、自己紹介がまだだったね。俺の名前は……」
「ミア?」
アーリンの口からその名前が出て、俺は言葉を失った。
なぜ、アーリンが、妻の名前を知っているのかと、頭の中が真っ白になった。
「なぜ……その名前を……」
「ミアと約束したの?」
「そうだ。俺は……ミアと、オオカミがいなくなったら一緒に海を見にいこうって……」
するとアーリンはコーヒーをテーブルに置き、立ち上がると、にっこりと笑い、言った。
「ありがとう」
「ミア……なのか?」
涙が勝手に溢れてきて、止まらなくなった。
「君は……ミアの生まれ変わり?」
すると彼女の顔からまた微笑みが消えた。ロボットのような無表情に戻ると、無機質な声で喋りはじめる。
「わたしは、対自動殺戮兵器用迎撃装置。人類を守るため、とある組織より遣わされた戦闘生命体。使命はオオカミより地球を守り、地上に平和をもたらすこと。わたしは一体だけではなく、世界中に何体ものわたしが存在し、それぞれに戦っている。わたしは使命を果たさなければならない」
「待ってくれ!」
そのままシェルターを出ていこうとする彼女の背中を、俺は呼び止めた。
「もう一度……約束してくれ!」
不思議がる幼児のような表情で振り向いた彼女に、願いを口にした。
「この戦争が終わったら……俺と一緒に海を見にいってくれないか? そして……それまで、絶対に死なないでくれ。俺も……できる限りのことをする! 今まで逃げてばかりだったが、そのつもりだ!」
するとアーリンはにっこりと笑い、こう言ったのだった。
「わかったわ、タカシ」
妻が死んでから離れていた職場へ、翌日から俺は戻った。
対自動殺戮兵器『オオカミ』防衛本部。俺はそこの技術者だった。
妻を失ったことで俺の中に生まれたのはオオカミへの復讐心ではなく、己の無力さに対する絶望だった。
何をしても無駄だ。オオカミには勝てない。そして妻との約束は叶わない。そんな思いに打ちひしがれていた。それで研究の仕事を辞めてしまっていた。
「大神タカシ、戻りました!」
勢いよく扉を開けてそう言うと、研究室のみんなが振り返った。
「大神くん!」
「よかった……。立ち直ったのね?」
「きっと戻ってくると信じていたよ……。お帰り!」
仲間たちの目は希望に燃えていた。妻を失う前の俺のように。
「シルバー・アーリンだけに任してはおけない!」
俺は白衣をひっかけながら、大きな声で言った。
「必ずや、あの憎きオオカミどもを地球から追い払い、我々自身の手で平和を取り戻すのです!」
そして海を見にいくんだ。
彼女が、約束してくれたから──
─ 2 ─
夢を見た。
また、あの日の悪夢だ。
ミアはあの優しい切れ長の目で、俺の目をまっすぐに覗き込みながら、言ったのだった。
「ねぇ、タカシ。青い空が見たいの」
無理もない。モグラのような生活が続いていた。移動は専ら地下を走るカプセル型モーターカーで、久しく地上を歩いていなかった。
腕にはめた小型レーダーを見る。研究所で俺が作ったものだ。オオカミが接近すればその位置と距離を正確に感知する……はずだった。
何の反応もレーダーに映っていないことを確認すると、俺は重たいシェルターの扉を開け、彼女の手を繋いで外へ出た。
青い空はそこにはなかった。
紫色がかった空に灰色の細長い雲がたなびいており、瓦礫と化しているビル群と相まって、まるで世界はもう終わっているかのような景色だ。それでも空を仰ぐとミアは腹いっぱいに外の空気を吸い込み、気持ちよさそうに笑った。
「やっぱりヒトには外の空気が必要ね!」
終末のような景色の中で、これから始まる楽しい未来を語るように、ミアがその唇を動かした。
「地下に篭ってばっかりじゃ、悪いことしか考えられなくなるわ」
「そうだね」
ミアの無邪気な笑顔に、俺はくすっと笑った。
「一刻も早く君があかるい空の下を散歩できるように、オオカミ対策の研究を急ぐよ」
「きっと出来るわ。あなたはわたしが選んだひとだもの」
そう言って俺を見つめたミアの笑顔が眩しすぎて、ずっと瞼に焼きついている。
「ちょっと向こうまで歩いてみましょうよ」
そう言われて俺は腕のレーダーに目をやった。反応はなかった。
「あんまり遠くまでは行けないよ? 反応があったらすぐにシェルターに戻らないと──」
「わかってる。でも、あなたの作ったそのレーダーがあれば安心じゃない。ちょっとだけ、ね? いいでしょ?」
二人で瓦礫を避けて、平坦なアスファルトの上を並んで歩いた。景色は荒れ果てていたが、風がやわらかく二人の間を流れていった。
「海が見たいな」
ミアが、ぽつりと言った。
「もう随分、あの広くて青い景色を見てないもの。……懐かしいな」
少なくとも二人で海を見たことはなかった。
それまで鉱物研究施設だった地下研究所の食堂でアルバイトをしていた彼女と知り合い、仲良くなり、交際を始めた頃に、ちょうどオオカミが地球に襲来し始めたのだった。
増えすぎた人口対策に、ちょうど地下都市の建設を人類は進めていた。人間は皆、地下に潜り、オオカミどもから身を隠した。地上は地獄絵図と化してしまった。
地下の教会で彼女と結婚式場を挙げた。
しかしハネムーンなどにはとても行けなかった。青い海に囲まれた南の島での思い出作りなど、人類にはまるで数世紀前の夢物語のようになってしまっていた。
「ねぇ……、タカシ」
紫色の空の下、瓦礫の町を歩きながら、少女のように振り返り、ミアが言った。
「オオカミがいなくなったら、一緒に海を見に行きましょうよ!」
「そうだね」
俺は力強い笑顔を彼女に見せながら、約束した。
「必ずオオカミは俺たちが何もとかする。やつらの脅威を一日も早く取り除く。君と安心して青い海を見に行けるようにね」
その時、何度も夢で繰り返し聞いた、その音が鳴った。
腕にはめたレーダーが突然、けたたましいほどの警告音を鳴らし始めたのだった。
そんなはずはなかった。俺の作ったレーダーはオオカミが半径100km以内に近づけば感知し、接近に伴って徐々に警告音を大きくする。いきなり鳴り出したレーダーは、オオカミが既に5km以内まで接近していることを報せていた。
オオカミは進化していたのだ。俺の思い上がっていた自信を嘲笑うほどのスピードで。
ミアの手を取り、シェルターへ向かって走り出した俺の背後の空から、オオカミどもがやって来るのが見えた。
そのうちのほとんどは別の方向へ駆けて行ったが、2体がこちらを感知したようで、まっすぐに俺たちのほうへ駆け降りて来た。
俺に手を引っ張れられながら、ミアは子鹿のような悲鳴をあげながら、しきりに謝った。
「ごめん、タカシ! わたしが外に出たいなんて言ったから……!」
「いいから走れ!」
シェルターはすぐ目の前だった。
万が一に備えて扉は開けてあった。
オオカミの1体がすぐ後ろに迫り、緑色の巨大なカタツムリのようなその目で、俺たちを捉えた。
汗で手がすべった。
ミアの手が、離れてしまった。
「タカシ!」
ミアがその手で、俺の背中を強く突き飛ばした。
「タカシ! タカシ! ──あなただけでも生きて!」
振り向いた俺が見たのは、シェルターの扉を外からボタンを押して閉めながら、まるで豆腐のように砕け散るミアの姿だった。
目を開けると頬が涙で濡れていた。
研究所の仮眠室だった。精を注ぎ込みすぎたようだ。ベッドに体を横たえた時の記憶がない。
壁に浮き出た数字が朝の4時47分を告げている。2時間と少し眠れたようだ。
もう、未来はないと思い込んでいた。しかし時は俺に前へ進めと背中を押している。
ベッドから身を起こすと、いつも重たい体が少しだけ軽く感じた。コーヒーメーカーから紙コップにブラックコーヒーを注ぐ。意識が徐々に覚醒する。
アーリンに会いたくなった。あれからずっと再会を望んでいるが、こんな夢を見た後は、殊更に彼女と会話がしたい。
オオカミを滅ぼしてもミアは戻って来ないと思っていた。何よりオオカミの進化に勝てる気がせずに、俺はずっと絶望していた。生きる意味など、なかった。人類がどうなってももう構わなかった。
しかし、彼女との約束が、また俺を前へ進ませてくれる。
アーリンに、会いたい。
あれからオオカミの襲来は止まり、ゆえにシルバー・アーリンの出現もこの辺りでは確認されていない。アメリカのどこかで戦闘はあったらしいが、それはアーリンと同タイプの、別の人間型兵器であることが確認されていた。
部屋の扉が鋭い音を立てて開いた。
戦士のように体格のいい、白衣に白髭の老人が、入って来るなり俺を睨みつけるようにしながら、低い声で言う。
「お疲れ、大神《おおがみ》くん」
「おはようございます、所長」
俺は所長が訪ねて来たことに少し驚き、思わず身を固くする。
藪龍《そうりゅう》所長は回転椅子にドカリと音を立てて腰掛けると、また俺を睨むように見た。約半年も研究所に来ていなかった俺のことをまだ許していないのだろうか。
その半年間、俺は妻を失って生ける屍となっていた。後を追って死ぬことも出来ず、研究員仲間との連絡も拒絶し、ひたすら無為な毎日を送っていた。
研究員仲間は新婚の妻を失った俺の心情を察し、復帰した俺を暖かく笑顔で迎えてくれた。しかし所長だけは違った。このひとはとにかく情よりも論理ですべてを判断する。オオカミへの恐怖だの妻を失った悲しみだので心を折った俺を、みんなの意向に抗えずに迎えてくれはしたものの、『心に闘志なき者に研究員の資格なし』と役立たず扱いにしている。
「……俺もコーヒーをもらおうか」
勧める前に所長がそう言い、俺はコーヒーメーカーから紙コップに琥珀色の液体を注ぐ。香ばしい湯気が部屋に漂った。
所長がコーヒーを所望するのは長話が始まる前兆だ。それは一方的な説教ではなく、質疑応答のようなことをする前に、所長はコーヒーを欲しがる。
コーヒーを一口啜ると、所長が聞いた。
「シルバー・アーリンと会話をしたそうだな」
「はい!」
「なぜそれを早く俺に報告せん?」
もちろんその報告は真っ先に所長にしようと思っていた。しかし俺を役立たず扱いにして、取りつく島もなかったのだ。俺が「すみません」としか言えずにいると、「まあ、いい……」と所長は質問を始めた。
「あれは一体、何だ? 我々の味方なのか?」
所長の問いに、アーリンから直接聞いた通りのことを話した。
「オオカミから人類を守り、地球に平和をもたらすのが使命だと言っていました。どこかの組織が彼女を作り、遣わしたのだと……」
それ以外のことは聞かれても答えられなかった。どこの組織が作ったのかだとか、アンドロイドなのかそれともサイボーグなのかだとか、それは俺にもわからなかったからだ。
ただ、アーリンがミアの記憶をもっていたことは所長には言わなかった。どうせセンチメンタルな軟弱者の戯言として聞き流され、それどころか俺への評価が下げられてしまいかねない。
「それで……」
所長が紙コップのコーヒーを飲み干し、俺に聞く。
「君はシルバー・アーリンと仲良くなったのか?」
俺は即答した。
「はい!」
嘘じゃない。彼女と心と心で繋がった気がしたのだ。オオカミを滅ぼしたら、一緒に海を見に行く約束をしたのだ。
所長はそんな俺を鼻で笑うと、言った。
「──ならば、彼女に頼んでくれんか。オオカミの残骸サンプルを提供してくれるように」
考えつかなかった。
確かに、オオカミの体を分析すれば、我々にとって有益なものが得られるかもしれない。特にあの目玉だ。あそこから発射される緑色の光線がどういうものか、それがわかれば──それを防ぐ鎧を身に纏って抗戦出来るかもしれない。今まではそんなサンプルなど入手する望みもなかったが……
「わかりました」
俺は力強く、頷いた。
「今度、彼女に会ったら、頼んでみます」
「ウム。……あと、これも聞いておいてくれ。彼女はなぜ、あんなにかわいいデザインをしておるのだ? オオカミと戦うのにあのかわいさは要らんだろう。ただの機械の形でいいはずだ。女性型である必要も……」
警報が響いた。
依吹《いぶき》隊員の甲高い声がスピーカーから報せる。
『オオカミ来ました! 南西の方角からです! 街南部の人口島の方向へ向かっている模様!』
俺と所長は顔を見合わせた。
オオカミが来た……
と、いうことは──アーリンもきっと現れる!
─ 3 ─
白衣姿のまま、地下を巡る道を伝って車を走らせた。
目的地は南部の人口島地下45階。そこからエレベーターで地下2階まで上がり、研究所からの連絡を待つ。
防衛軍も駆けつけているという。駆けつけたところで見守ってくれるしか出来ないだろうが、まぁ一人で地上に出るよりは心強い──か。
オオカミは一体、何をしにやって来るのだろう。
人間を地上に発見すれば狂ったように襲いかかって来るが、それを知っているので地上を歩く者などいない。
もぬけの殻の地上で何かを探し回っているようだ。ビルを破壊し、道路に穴を穿ち、しかしけっして地下へは侵入して来ない。
地上をうろつき回り、何かを探している。
一体、何を──
白衣をなびかせ、薄暗い廊下を階段のほうへ向かって歩いていると、背後からタイルの床に靴を踏み鳴らす音が近づいて来た。振り向いてみると、防衛軍の兵士たちが重装備を纏ってやって来る。
「御苦労様です! オオカミ対策研究所の大神さんですね?」
先頭の、いかにも体育会系といった風貌の背の高い男が、敬礼もなく俺に言った。
「防衛軍の佐奈田《さなだ》3曹です。……聞いてますよ。シルバー・アーリンと仲がいいんですってね!」
なんだかズケズケとしたやつだ。下世話な印象を受ける。ちょっと苦手だな、と感じた。
『来たぞ』
インナーフォンから所長の声が聞こえた。
『シルバー・アーリンだ』
俺たちには何も見えない。レーダーはあるが、モニターがない。地下2階の何もないフロアに身を潜めていたのを、彼女が来たと聞き、急いで地下1階への階段を駆け上がる。アーリンがオオカミを殲滅した報せを受けるより前に地上へ出なければ──
俺が先頭を切り、勢いよく自動扉のボタンを押した。兵士たちは俺から距離を取るように立ち止まった。
ジュラルミンの自動扉が開くと紫色の空が見えた。
用心しながらも急いで顔を出すと、空には既に銀色の粒子弾が輝き、渦巻いていた。その中心に、銀色の長い髪を揺らしてアーリンが、空飛ぶ女神像のように浮かんでいる。
戦闘はもう終わったところだった。戦闘なんてものじゃない。アーリンの一方的なオオカミ駆除だ。
「あぁ、よかった!」
佐奈田3曹が安心したように、俺の後ろから地上にその笑顔を出した。
「やっぱりアーリンは強いなぁ! かわいいしなぁ!」
いや、違う──
オオカミは進化する。俺の作ったレーダーを容易《たやす》く掻い潜って来たように。
今までは隊列などなくただてんでバラバラに動いていたオオカミたちが、組織行動をとれるように進化していた。
瓦礫を蹴散らす巨大な殺意の気配に身震いする。
空からやって来た一群とは別に、地上に『伏せ』の姿勢で隠れていた数体ものオオカミたちが、俺たちを取り巻いて立ち上がった。緑色の目で一斉に、空に浮かぶアーリンに照準を合わせる。
「ひいいいぃっ!?」
いきなりオオカミの群れに取り囲まれ、佐奈田3曹長が地面に突っ伏した。
俺は危険を省みず大声で叫んでいた。
「危ない! アーリン!」
俺を取り囲んでオオカミたちが立ち並んでいた。すぐ隣──触れられるほど近くにオオカミの前脚が柱のように、立っている。死を覚悟した。構わなかった。アーリンが死ぬなら自分の命もどうなったところで──
続けて俺は叫んだ。
「アーリン! 避けろ!」
オオカミたちはすぐ足元の俺たちには目もくれなかった。上空のアーリンめがけ、一斉に緑色の巨大な眼球を光らせる。すべてを破壊するその光線を、一斉に発射した。
しかしシルバー・アーリンも進化していた。
上空の敵をすべて片付けたアーリンの背中から、銀色の翼が生まれた。光の翼だ。それが彼女を守るように包み込む。
オオカミたちの放った緑色の光線が、下から立ち昇る滝のように、怒り狂ったように、一斉にアーリンに突き刺さった。
俺はオオカミに取り囲まれながら大声をあげた。
「アーリイィィン──!」
上空で緑色の爆発が起こった。
ドロドロと、アーリンのいた空中から、硫酸の滴のように緑色のけむりのようなものが地上へ落ちていく。それを突き破って、音もなく、けむりの中から眩しい銀色の光の玉が膨らむのが見えた。
瞬く間にそれは光を放ち、破裂した。
俺の周囲に特大粒の銀色の雨が降り注ぎ、爆音がいくつも轟き、俺の体は宙に浮いた。佐奈田3曹らの悲鳴や絶叫を俺は聞きながら、長い間、空を舞っていた気がする。しかしすぐに背中に激痛を覚え、目の前が真っ赤になった。
何が起こったのかさっぱりわからなかった。まるで遠心分離機の中に入れられ、撹拌されたような感覚だ。熱で貼りついたような瞼をようやく開けると、心配するように覗き込むアーリンの優しい顔がすぐ目の前にあった。
「ごめんなさい、タカシ」
悪いことをして叱られて謝る幼児のように口をすぼめて、困ったような目をしたアーリンがそこにいた。銀色の長いまつ毛がしっとりと濡れている。やわらかいその長い髪が、銀色の藤の花のように垂れ下がり、俺の顔をくすぐっていた。
「アーリン!」
再会の喜びに、恐怖も痛みも吹っ飛んだ。
「オオカミは……? 勝ったのか!?」
「あなたが叫んで知らせてくれたから」
あくまでも申しわけなさそうに、彼女は言う。
「そこにいるってわかってたのに……わたし……、粒子弾を放っちゃった」
「いいんだよ……。いいんだ! あれでよかった! ああしなければ、君も俺も死んでた」
アーリンは膝をついて俺の顔を覗き込み、ずっと困ったような顔をしていたが、俺がそう言うとようやくうっすらと微笑みを浮かべた。
会えたら話したかったことが多すぎて、何も言葉が出てこずに、俺もただ黙って彼女の顔を見つめた。もう会えないと思っていたミアに再び会えたように、ただ胸を熱くしていた。
「わあ! シルバー・アーリンさんだ!」
扉の中に隠れていた佐奈田3曹が感激したように大声をあげながら出て来た。その後からゾロゾロと、約10名の兵士たちも続いて出て来る。
「はじめまして! ぼく、佐奈田っていいます! 防衛軍で3曹をやっております! あっ、3曹というのはですね、小隊を率いる……」
アーリンが佐奈田を見た。
その顔にとても困ったような、あるいは苦痛のような表情が浮かぶ。
「あっ!」
アーリンが、消えた。空気の隙間に身を潜らせるように、一瞬で消えてしまった。
俺は身を起こそうとしたが、体が言うことをきかない。力なくそのまま地面に横たわっているしか出来なかった。
「なんで……消えちゃうの!?」
佐奈田が悲しそうな声で吠える。
「俺もお話したかったのに……!」
「彼女は人見知りなんですよ。俺以外の人がいると無口になって、すぐ俺の後ろに隠れてしまうんだ」
俺はミアの話をしていた。
幸い骨折はしていなかった。
周囲に降り注いだ粒子弾の威力に跳ね上げられ、地面に叩きつけられ、それでも俺の体は打撲程度のダメージで済んでいた。
激痛に耐えながらも車を運転し、研究所へ戻るとすぐに医務室で治療を受けた。
「無理はしないでくださいよ、大神さん。あなたはアクションヒーローじゃないんですから」
医療担当の牛野ハルナさんがクスクスとからかうように笑いながらそう言う。
このひとの白衣姿は兵器だ。Gカップの胸が……なんて、そんなこと考えてる場合じゃないだろう、俺。治療が済んだらすぐ所長に報告せねば……。
「あなた、シルバー・アーリンとお話が出来るんですって?」
ハルナさんがそう言いながら、ベッドにうつ伏せた俺の背中をてのひらでさすって来る。
「いいなぁ。羨ましいなぁ……、アーリンが。あたしもアーリンのように、貴方といっぱいお話がしたいもの」
俺の肩に豊満なその胸を押しつけて来る。クッ……、惑わされるな、俺。このひとはすぐにこうやって既婚男性をからかうんだ。勘違いしたやつが今までどれだけ嫁に軽蔑されて来たか、見てるだろ。
「俺……、彼女がミアの生まれ変わりかもしれないって思ってるんですよ」
俺は心を乱されないふりをしながら、言った。
「似てるんです、彼女……。それに……」
アーリンが教えもしないのに俺の名前を知っていたことは言えなかった。俺自身にもわけがわかっていないのだ。
ハルナさんがふふっと笑って俺から離れた。
「大神さんはずっとミアちゃんだけを想ってるのね。……幸せ者だわ、彼女」
「敵《かたき》を取ろうなんて考えてなかった。考えられなくさせられていた。ただ悲しみと……自分の無力に打ちひしがれて、研究への熱意を失っていました……」
俺は医務室のガラスケースの中の薬瓶を見つめながら、言った。
「でも今は……シルバー・アーリンに少しでも協力したい。オオカミは進化しています。彼女の助けになるようなものを何か……俺に作れたら……!」
「彼女は何者なの? 何かの秘密組織が作った秘密兵器?」
「わかりません……。ただ、我々の味方であることだけは確かです」
医務室の自動扉が鋭い音を立てて開き、藪龍《そうりゅう》所長が急ぎ足で入って来るなり怒鳴るように言った。
「大神くん! オオカミの目玉は持って帰ったのか!?」
「……すみません、所長。そんな暇ありませんでした」
「アーリンと何か話してただろう!? 次の戦闘で目玉を残しておいてくれるように言ったか!?」
「……すみません。防衛軍のひとたちが出て来たら、恥ずかしがるように消えちゃって……」
「どうせなんだか再会した喜びとやらに浸って言い忘れたんだろう? これだから情に流されるやつは役に立たんのだ!」
言い返す言葉がなかった。
そうだ。あの時、俺は真っ先に、そのことを頼まなければならなかった。彼女はいつもオオカミを跡形もなく消してしまう。研究のため、オオカミの目玉を残しておいてくれるようアーリンに依頼するのが最重要だったのだ。それを情に浸ってしまって……所長の言う通りだ。
でも、あの時、俺は喜びで心がいっぱいだったんだ。
彼女に再会出来た。彼女が俺を覚えていてくれた。俺の名前をその唇で呼んでくれた。
二人で見つめ合い、笑い合えた。
彼女はやはり、ミアの──
『所長!』
連絡用スピーカーから依吹《いぶき》隊員の甲高い声がした。
『所長と話がしたいという方からモニター通話が入っています。受けますか?』
「誰からだ!」
スピーカーにはマイクが内蔵されている。所長が依吹さんに怒鳴る。
「まずそれを言わんか! バカ女が!」
すると依吹《いぶき》さんが意外な相手のことを知らせた。
『宇宙人です。銀《ぎん》星人《せいじん》と名乗っています』
─ 4 ─
医務室のモニターにその宇宙人は顔を現した。『銀星人』と名乗る通りギラギラした銀色の肌の、しかしそれを除いては地球人と変わらない容姿だ。奇抜な未来風コスプレをしている禿頭の爺さんという印象だった。
『地球の皆さん、こんにちは』
銀色宇宙人の爺さんは舐め回すように俺たちを見ながら、自己紹介をする。
『私は銀星人のトクダ・ナリと申します。突然の通信に驚かれただろうと思いますが、無礼をお許しください』
そう言いながら、ナリと名乗った老人の顔は俺たちを小馬鹿にするように笑っていた。『慇懃無礼』という言葉が俺の頭に浮かんだ。
「オオカミ対策研究所所長の藪龍《そうりゅう》だ」
所長も相手の態度に見下すような印象を受けたのか、お辞儀もせず、敬語もなしで挨拶した。
「本当にいきなりだな。宇宙人が一体何の用だ? また、なぜ首相や防衛軍ではなくウチに?」
『直接オオカミと戦っているのは貴方たちだと感知しましてね』
「感知だと?」
『ああ……、これは失礼。貴方がたにはわからない次元の話でしたね。キャハハ』
「へんな笑い方するな。早く要件を言え」
見とれるようにモニターを見つめるハルナさんにうつ伏せの背中を撫で回されながら、俺にはなんとなく宇宙人の要件に察しがついていた。
銀色の肌の宇宙人──と、いうことは……シルバー・アーリンを作ったのは、もしかして──
『貴方がたがシルバー・アーリンと呼んでいるあのロボットを作ったのは私どもです』
やはり──
『どうです? 素晴らしいでしょう? オオカミ撃退に特化して作った自動戦闘兵器です。今朝の戦いぶりを見てくれましたか?』
「なるほど……。あれは君たちが作ったのか。……うんうん、確かに凄かったな」
所長はなんだか悔しそうに言った。
「ところで要件を、早よう言え」
『地球は私たちが守ってあげます。感謝してください』
「だから……要件を早く言えと言ってるんだ! 見返りに何が望みなんだ!?」
『感謝してくださるだけでいいのですよ』
そう言って、銀星人の爺さんは我々を見下すように、モニター越しにニヤリと笑った。
「感謝はしている。だが、おまえが不気味でしょうがない」
所長がやり返す。
「感謝されたいだけで、ふつう何の利害もなく他人の惑星を守ったりはしない。貴様ら、何を企んでるんだ?」
『正直に言いましょう』
嘘をついている顔で銀星人の爺さんは言った。
『我々には精神感応能力があります。我々銀星人同士では言葉など必要はなく、テレパシーで通じ合うことが出来ます。今は貴方がたと意思を通じ合うために、面倒な言語など使わざるを得ないのですがね』
また小馬鹿にするように俺たちをチラリと見る。
『──ですから、貴方がたが我々に感謝してくだされば、我々にその感情が伝わり、我々はいい気分になれます。それが我々の栄養になるのです』
どう見ても嘘をついている顔だった。
「フン……。精神感応力か。何かのSF小説で読んだことがあるが、言語を用いずにテレパシーでコミュニケーションが可能な異星人が登場するものだった」
所長がなんだかよくわからないことを言い始めた。
「その小説によると、心の内が筒抜けだから、そういう異星人には『嘘』という概念がなく、地球人がなぜ嘘をつくのかが理解出来んそうだな」
『はい。仰る通りです』
銀色の爺さんがニヤリと笑った。
『だから私の言うことはすべて本心です』
「信じよう」
所長が簡単に相手を信用してしまった。
「我々としてもシルバー・アーリンのあの能力は参考とすべきものだ。是非技術提携を願いたい」
『貴方がたは何もしなくていいのですよ。我々が守ってあげます』
「なんかムカつくな。……とりあえず、友好でも結ぼう。おまえ、そこから出て、こっちへ来い。直接会って握手でもしようじゃないか」
所長の申し出に、モニターの中の笑顔に一瞬、怯えた色が見えた。すぐにそれを隠すようにわざとらしく大笑いすると、トクダ・ナリは言った。
『だめですよ。言った通り、我々は貴方がたの思考を読み取ってしまう。ゆえに、直接触れあったりしたら、貴方がたの汚い内面が私どもの中に流れ込んで来て、我々は大変なダメージを食らうことになる。モニター越しの通信なら、それは最小限に食い止められる。おわかりください』
はっとした。
俺はうつ伏せになったベッドの上から顔を起こすと、おそるおそるという気持ちで銀星人に聞いていた。
「その精神感応能力……、シルバー・アーリンにもあるのですか?」
銀星人の爺さんが俺のほうを見た。
なんだか哀れなものを見るように笑いながら、俺の質問に答えてくれた。
『あります。あれは貴方の思考を読み取って、貴方の名前や、貴方が誰かとした約束のことを口にしたそうですね。でも勘違いしてはだめですよ? 自律的に動けるよう、あれにはAIが搭載されています。そのAIが貴方を学習し、貴方を守る方向性で動いているだけです』
謎が──解けた。
解けてしまった──
彼女はミアの生まれ変わりなどではなかった。俺の思考を読み取り、俺の記憶の中のミアを観察し、それを真似ていただけだったのだ。
あの約束も、ミアの言葉を真似ただけの、口だけのものだったのか──
何も喋る気力がなくなった。
あとは所長と銀星人のやり取りを茫然としながら俺は聞いているだけだった。
「あれの本当の名前は何というんだね? これからはシルバー・アーリンではなく、本当の名前で呼びたい」
『あれに名前なんてありませんよ。お好きにお呼びください』
「今朝の戦闘では翼が生え、オオカミのあの緑色の光線を防いだな? あの翼はどういう物質で出来ているのか教えてくれ」
『我々が貴方がたを守りますので、貴方はそんなことは知らなくてもいいのですよ』
「……ムカつくな。ところであの『オオカミ』のことも我々は何もわかっていない。あれは何なんだ? 別の宇宙人が作ったものか?」
『我々と敵対している獣星人《ジュウせいじん》の自動殺戮兵器です』
「獣星人《ジュウせいじん》だと?」
『はい。とても野蛮で醜い姿をしたエイリアンです。やつらの弱点は銀です。獣星《ジュウせい》では銀は猛毒のようなものとして恐れられています。地球の鉱石には銀が含まれていると思ってやつらは恐れ、やつらの作ったオオカミも地中には入って来ませんから安心してください。そして、我々は、ご覧の通り、我々自身が銀で出来ていますので、いわばやつらの天敵となっております。フフフ……』
会話を聞き流しながら、今まで不思議に思っていたことの理由が次々と判明した。しかし俺はなんだかすべてがどうでもよくなってしまっていた。
シルバー・アーリンに見ていた希望が幻想だったと知らされ、再燃していた研究への意欲が再びかき消えてしまった。
所長はいつも『情で動くやつはくだらん』と口にするが、その通りだ。
俺は地球を守ることよりも、ミア一人のほうが大事なのだ。
ミアさえいてくれれば、世界などどうなってもよかったのだ。
最近ずっと研究所に篭っていたが、久しぶりに自分のベッドで眠りたくなり、地下道を車で帰った。
一週間以上振りにシェルターに帰ると、一口も飲まれていないブラックコーヒーの入ったカップがそのままテーブルの上にあった。あの日にアーリンが残して行ったままだ。
まるで妻の遺品のようで、片付ける気になれなかったそれを簡単に流しに捨てると、俺は疲れた体をベッドに横たえた。
シーツに銀色の小さな玉のようなものが所々に付着している。負傷したアーリンの傷口からポタポタと滴っていた銀色の液体のことを思い出す。
どうでもよかった。ただ死んだように俺は横になり、死ぬことばかりを考えながら、けっして死ぬことなど出来ないただの木偶《デク》の棒だった。
ベッドの上は広かった。あまりにも広すぎた。ここでミアと並んで寝ていた時には幸せで満ちていた場所なのに──
「海など……一生見られないな」
自分の独り言が、固い壁に吸われて死人の声のように聞こえた。
「もう……一生、俺は海なんて見ることはないだろう」
目を開き、ぼんやりとシェルターの中を眺める。あそこのキッチンの前にかわいいエプロン姿で立ち、焼き飯を作ってくれたミアが薄暗い中に浮かび上がる。
「ごめんね、タカシ。いっつも簡単なもので」
……まったくだ。食堂でアルバイトをしていたくせに、ミアはいつも簡素な料理しか作ってくれなかった。
オオカミのせいだった。早くオオカミの脅威が消えて、地上でしか作れない色々な食材が入手出来るようになれば、ミアもその腕を遺憾なく発揮することが出来ただろうに。
もう、俺の最愛の妻は、いない。
戻って来てくれたものと信じ、生きる気力を取り戻しかけたが、夢幻だった。
あれはミアではなかった。
ただの、俺の記憶を盗み見るだけの、ただの機械……
現実から逃げるように横を向いた。すると、モニターフォンが緑色の点滅を繰り返しているのに気がついた。
シェルターの前に誰かが立つと、顔認証システムが働き、その映像を録画保存する仕組みになっている。俺が約一週間留守にしている間に、誰かがここを訪ねて来たのだ。一体、誰が……
だるい体を立ち上がらせ、モニターフォンのところまで歩いた。ボタンをひとつ押せば、訪ねて来ていたのが誰なのかがわかる。それは人間であるはずだ。オオカミや風に舞って扉の前を通り過ぎたゴミなら、人間とは認識されず、自動的に録画されるわけがない。俺はボタンを、押した。
再生された映像を見て、俺は息を呑んだ。
シルバー・アーリンが、困ったような顔をして、扉の前をウロウロしている。呼鈴の押し方を知らないのか、ただ泣きそうな顔をしながら、たまにノックらしき動きをしようとするものの、びっくりしたように手を引っ込めては、オロオロとその銀色の長い髪を揺らしていた。
そんな映像が、毎日録画されていた。
時間はいつも決まって正午──俺は時計を見た。ちょうど11時59分からひとつ、時が進んだところだった。俺は飛び起きると、扉のほうへ走り、ボタンを押して扉を開いた。
「あっ!」
いた。シルバー・アーリンがそこに立っていて、俺の顔を見ると嬉しそうに声を発し、その美しい顔を笑わせた。
そしてその薄い唇で、俺の名前を呼んだ。
「タカシ」
─ 5 ─
「タカシ……!」
暗いシェルター内に眩しい光が入って来た。逆光の中で微笑む彼女はあまりにも神々しく、美しかった。ただの人工知能を搭載した機械とは知りながら、俺も思わず笑顔にさせられてしまう。
「アーリン……。ずっと訪ねて来てくれてたの?」
俺が聞くと、彼女は初めてニコッと笑った。それまでは乏しい表情の中に微笑みらしきものが浮かぶだけだったのが、それが初めて見るアーリンの明らかな笑顔だった。眩しい銀色の光のようだった。
「来ちゃだめだった?」
そんなことを言われて、首を横に振らずにいられるわけがない。
「嬉しいよ。俺も……君ともっと話がしたかった」
俺も満面の笑顔にさせられてしまう。
シェルターの中へ招き入れ、彼女をベッドに座らせ、俺は食卓の椅子に座った。
コーヒーを淹れ、渡すと、彼女はまた珍しそうにその表面を見つめ、くるくると回し出す。
妻の幻想を見ているような多幸感がようやく俺の中で鎮まっていく。目の前にいるのは、あの慇懃無礼な宇宙人が作った機械だと、自分に言い聞かせる自分がいた。
「どうして訪ねて来てくれてたの?」
俺が聞くと、アーリンはとても言いたかったことがあるような笑顔を上げ、嬉しそうに俺に言った。
「だってわたしはあなたのお嫁さんでしょう?」
なんとなくわかった気がした。
彼女は俺の思考を──記憶を読む。
俺の中に、ここで一緒に暮らしていたミアの姿を見つけ、その真似っこをしているのだ。
正直とてもかわいかった。
しかし俺は乗ってやれなかった。
「アーリン……。聞いたよ。君は銀星人とかいう宇宙人の作ったアンドロイドなんだね?」
俺は冷静に、コーヒーを一口飲むと、彼女に言った。
「そして君は僕の思考を読んでいる。君はいわば……君の内面は、産まれたばかりの赤ん坊のように無垢なものだった。しかし君には学習機能が備わっている。君は僕の記憶の中の僕の妻を学習して、それを真似ているだけなんだね?」
キスの形の唇に自分の人さし指を当て、少し首を傾げてアーリンは、意味のわからなそうな顔をしていた。しらばっくれているのではなく、ほんとうに話の意味がわかっていないようだった。
「もしかして自分が何者なのかわかってないの?」
少しキツい内容だと思ったので、俺は可能な限りの優しい声音で聞く。
するとアーリンは急に自信たっぷりな顔つきになり、ハキハキと喋り出した。
「わたしは対自動殺戮兵器用迎撃装置。人類を守るため、とある組織より遣わされた戦闘生命体。使命はオオカミより地球を守り、地上に平和をもたらすこと。わたしは一体だけではなく、世界中に何体ものわたしが存在し、それぞれに戦っている。わたしは使命を果たさなければならないのですよっ」
喋り終えるとフニャッと笑う。まるで俺の質問に完璧に答えることが出来たことを自慢しながらも照れているみたいな顔だった。そして、俺に聞く。
「タカシは?」
「え……? 俺……?」
「タカシは何者なの?」
「俺……は……」
答えられなかった。俺が口の中でモゴモゴ言っていると、アーリンの細くて冷たい指が、俺の指に絡みついて来た。
「あなたは……タカシだわ。大神タカシちゃんっ」
青い瞳でまっすぐに俺の目の奥を見つめながら、ミアにそっくりな喋り方で、そう言われた。
「わたしがこの世で一番愛してる、わたしの──」
やめてくれ! と、言いかけた。ミアの物真似をして機械にそんなことを言われるのは耐えられない。その唇が俺のことを「わたしの旦那さん」などと動いたら、彼女の細い体を床にぶん投げていたかもしれなかった。しかし……
「わたしの──おとうさん」
そう言われて、ピタッと俺の感情が停止した。
間違えてる。
俺は冷静になって、その間違いを指摘してあげた。
「おとうさんじゃなくて、旦那さんな」
「だんなさん?」
「おとうさんは俺を産んだおかあさんに種付けしたひとのこと。おかあさんにとっての旦那さんが、おとうさん」
「ふむふむ?」
己に搭載された人工知能にメモでもするように、アーリンが真剣な顔で俺から学習している。どちらかといえば俺に何かを教えてくれることのほうが多かったミアとは、その様子はまったく違っていた。俺は思わずまたクスッと笑わされてしまう。
俺と指を絡めながら、アーリンがじーっと俺の目を覗き込んで来る。どうやら俺の脳にある情報を色々と読んでいるようだ。一方的に心を覗かれるというのは嫌なものだと思っていたが、不思議と抵抗はなかった。それどころか好きなようにされて構わない気がしていた。
「俺の記憶を読んでいるんだね? いいよ、好きにお読み」
「ウン!」
アーリンがまたニコッと笑う。
あまりに無邪気だ。あの、空の上でオオカミを相手に無双の戦いぶりを見せつけるシルバー・アーリンと同じ女性型兵器だとは思えなかった。
「何が見える?」
俺が聞くと、アーリンはとても神々しいものを見るように、うっとりとした顔をして、答えた。
「──タカシがミアのことをどれだけ愛していたか」
感情が決壊してしまった。
嗚咽を漏らして涙をこぼし始めた俺の頭を胸に抱きしめ、優しい声でアーリンは言った。
「ごめんなさい……。あの時、わたしが外に出たいなんて言ったから……」
俺はその胸に埋めた顔を、何度も横に振った。
「君のせいじゃない……ミア。俺のせいだ。オオカミの進化を予測出来なかった俺の……! 君を守れなかった俺の……っ!」
「大丈夫よ、タカシ……」
俺の髪の中にその細い指を滑らせながら、アーリンは言った。
「わたしはここにいるから。あなたの側に、ちゃんといるから」
その時、気づいた。
アーリンはミアの生まれ変わりではなかった。しかし、単にミアの物真似をしているニセモノでもないのだと。
彼女は正確に、俺の記憶の中のミアを読み取り、俺の記憶の中のミアになることが出来る。それはつまり、彼女は俺の中のミアが顕現した姿に他ならないのだ、と。
それはいわば本物の俺の中のミアを写し取った、本物のミアのコピーだと言うことが出来た。
「ミア!」
俺は思わず彼女の銀色の頭を抱き寄せ、その薄い唇に自分の唇を重ねた。ぽってりとしていたミアの唇とそれはまったく違っていたが、ミアと同じように俺の気持ちを受け止めてくれ、同じやわらかさで俺を包んでくれた。なんだか少しチクチクとした痛みのようなものも感じたが、構わず俺はアーリンと長い口づけを交わした。
唇を離すと、彼女は不思議そうな顔をして、目を開けていた。その瞳の中に自分の気持ちを注ぎ込むように、俺は言った。
「愛している」
「わたしもよ、タカシ」
アーリンがそう言って微笑んだ。
「あなたを愛して──ッ!」
急に痛そうな顔をしてアーリンが胸を抑えた。
「どうした!?」
「──痛かったの」
そう言って顔を上げ、不思議そうに首を傾げる。
「なんか痛かったのです」
「大丈夫?」
「ウン」
よくわからなかったが、彼女が微笑んだので、俺は安心することにした。アンドロイドに痛覚などあるものなのだろうかと少し考えながら。
「ほんとうに大丈夫か?」
「ウン」
彼女の硬質なその背中をすべらかに撫でながら、俺は本気でアーリンのことがかわいくてたまらなくなっていた。これはあの、いけすかない印象の銀星人が作ったアンドロイドなのだと知りながらも、自分だけのものにしたいという気持ちが胸の奥から湧き上がっていた。
そうすると──我ながら馬鹿なやつだと思うが……またオオカミ殲滅に対する情熱が戻って来た。
「アーリン……。頼みがあるんだ。今度オオカミと戦うことがあったら、ヤツの目玉を残しておいてほしい。ひとつだけでいいんだ」
「目玉を?」
アーリンは首を傾げた。
「ウーン……。難しいです」
確かに……彼女の粒子弾はオオカミに対する威力が強すぎて、いつも跡形もなく消し去ってしまう。
手加減をすれば目玉を残すことも出来るのかもしれないが、それをしたせいで彼女がオオカミにやられてしまうのも不本意だと思えた。そこでお願いの内容を変更した。
「今朝、翼でオオカミのあの光線を防いだだろ? あの翼を今、生やして見せてくれないか」
その羽根の一枚でも採取出来れば、オオカミの緑色の殺人光線を防げる物質を知ることが出来ると思ったのだ。しかしアーリンは泣きそうな顔で首を横に振った。
「だめです」
「なぜ!?」
「タカシが死にます」
ありそうな話だと思って、それ以上何も言えなかった。確かにあの翼には凄まじいまでのエネルギーが凝縮されているような気がした。至近距離で見ただけで人が死ぬぐらいの。
「……じゃ、あの翼が何で出来ているのか教えてくれないか?」
答えを期待してはいなかった。
きっと彼女自身は何も知らないだろうと思えた。
アーリンは即答した。
「銀です」
「え……。でも、君の体はそもそも銀で出来ているんじゃないのか? それでもこの間、重傷を食らってたじゃないか?」
「とても濃いのです」
子供のように笑うと、その口から科学者である俺にもさっぱりわからない数式のようなものが飛び出した。
「x=yrの状態で、ジャガーノート・ゾーンに純銀を置き、≦3.1496+≧76,289のプートスコールを保つ。融和するゴーストからブシャールを取り除けば、純銀の純度は100%を超える。そこに生じるモザイクを──いちめんのなのはな×暮鳥は翼をもちます」
「さっぱりわからないが……」
俺は心に希望をもった。
「君に教えてもらえば──オオカミの攻撃を防ぐシールドが作れそうな気がして来た」
アーリンはにっこり笑うと、あの日ミアが言ってくれた、とても嬉しかった台詞をもう一度、言ってくれた。
「きっと出来るわ。あなたはわたしが選んだひとだもの」
─ 6 ─
アーリンはずっと側にいてくれた。
俺が「腹、減ったな……」と言ったら、料理を作ってくれた。
焼き飯だった。
「ごめんね、タカシ。いっつも簡単なもので」
そう言いながら、かわいいエプロンを着け、ミアが作ってくれたあの焼き飯と同じものを作ってくれた。
「オオカミがいなくなれば、地上でしか作れない食材もまた入手出来るようになる。そうしたら、うまいものを作ってくれる?」
俺が聞くと、アーリンは一瞬困ったような顔をし、にっこり笑うと答えた。
「研究所の食堂であなたはミアの作ったカツ丼が好きだった」
「そう! あのカツ丼がまた食いたい!」
アーリンが分析を始めたようだ。俺の記憶の中にあるあのカツ丼の味を分析し、レシピを頭の中で組み立てた。
「オッケー、タカシ! 豚肉と卵さえ入手出来たらこっちのものよ」
「ありがとう! でも、この焼き飯も、立派にうまいぞ!」
あまりの頼もしさに、俺は笑顔が止まらなくなった。
食後にはアーリンがコーヒーを淹れてくれた。これも俺の記憶から学習したようで、ミアが淹れてくれるものと同じ味がした。
「みんなに君を紹介したい」
ベッドの上で、寄り添って横になりながら、アーリンにそう持ちかけた。広すぎたベッドが今は面積が足りないくらいだ。
「明日、一緒に研究所へ行ってくれないか?」
俺のかわいいアーリンをみんなに自慢したいという思いもあったし、研究員のみんなが彼女から学べることも多いだろうと思ったのだ。
しかしアーリンは即答した。
「わたしはあなただけとしかお話出来ないの」
「なぜ?」
「読み取る思考が目の前に多すぎると、頭が割れそうになっちゃうのです」
佐奈田3曹がアーリンの前に出ていった時のことを思い出した。
あの時、アーリンは苦しそうな表情を浮かべ、逃げるように空間に身を潜らせて、消えてしまったのだった。
なるほどあれは複数の思考を目の前にしてしまってバグりそうになっていたのか。
「じゃあ……ずっと俺の側にいてくれ」
「ふふっ……。オオカミは自由にしてあげるのですか?」
確かにそうだ。アーリンが俺とずっと一緒にいたら、この辺りのオオカミが野放しになってしまう。もちろん俺はそういう意味で言ったのではなかったが──
「オオカミは一体地上で何を探し回っているんだ? 君は知ってる?」
「O.O.Lです」
「オーオーエル? ……何、それ?」
「わたしのデータベースには名前しかありません。ゆえに詳しい内容については不明なの。ただそれは銀星人の弱点を攻撃するための物質であり、見つけさせてはいけません。獣星人《ジュウせいじん》は──」
そこまで喋って、アーリンが停止した。
口も表情もすべてが止まり、動かなくなった青い瞳を死んだように天井に向けている。
「アーリン……?」
動きが完全に固まってしまった。
「アーリン!?」
すると急にその瞳に光が戻り、くるんとこちらを向く。そして、言った。
「──わたしはアーリンなの?」
「そうだよ。……ああ、びっくりした。一体どうした……」
「ミアじゃなくて?」
言葉に詰まった。
俺は彼女に「愛してる」と言った。しかしそれはミアの代わりに、ミアのコピーとしてなのか。それともアーリン自身を愛し始めているのか、わからなかった。
今、この思考を彼女は読んでいることだろう。何か申し訳なくなって、俺は自分の気持ちはわからないまま、彼女のために断言した。
「君はアーリン……シルバー・アーリンだ。オオカミから僕ら地球人を守ってくれる、美しく鬼強い|戦闘乙女《ヴァルキリー》。俺はそんなシルバー・アーリンを愛している」
そして優しくキスをした。銀色の長い髪を撫でた。服を脱がしたくなったが、生憎彼女は服を必要としないメカニカル・ボディーだった。
彼女にキスをすると唇がチクチクと痛む。もしかして彼女が動力としているのは銀ではなく、色は同じでまったく別ものの、水銀だろうか? それは確かに人体にとっての毒ではある。しかしちょっとやそっとの量では致死量には至らないはずだ。
何よりたとえ多量の水銀を摂取することになろうとも、俺はアーリンへのキスが止められなかった。
朝、目を覚ますと、アーリンはいなかった。
しかし俺は彼女のいたところに手を伸ばし、彼女の髪があったところのシーツを愛おしく撫でると、呟いた。
「一日も早く……オオカミを地球から追い出し、君と海を見に行くよ」
「大神さん!」
研究所の廊下を歩いていると、後ろから名前を呼ばれた。振り向いてみると、背の高い迷彩服姿の男が笑顔でこちらに手を振っていた。筋肉質で、俺の苦手なタイプの人懐っこさでグイグイと他人のパーソナルスペースに踏み込んで来る。佐奈田3曹だ。
「この間はどうも」
俺は立ち止まり、一礼をする。
「……こんなところでどうされたんですか?」
「アーリンに会わせてくださいよ!」
相変わらず敬礼も何もなしでグイグイ来る男だった。
「僕も彼女とお話したいなあっ!」
今日も正午にアーリンは俺のシェルターを訪ねて来るだろう。しまった……、その時間には帰っていられない。俺が帰宅している時間を彼女に伝えておけばよかった。まぁ、もちろんこの男をシェルターに招いてやるつもりはなかったが。
「シルバー・アーリンには他人の思念を読み取る機能が備わっています。だから複数の人間といっぺんに相対すると、読み取る思念が多くてバグってしまいます」
俺はほんとうのことを言って、諦めさせようとした。
「じゃ、僕をアーリンと二人きりにしてくださいよ!」
諦めなかった。それどころか火を点けてしまったようだ。
「……彼女とどんな話がしたいんですか?」
「ファンなんですよ、僕。ファン! 握手して、出来ればあっちこっち触ってみたいなあって、思ってるんです!」
絶対に会わせたくないなと思った。「アーリンは俺の嫁です」と言ってやりたかったが、それは言えなかった。
「オオカミに対抗する術を彼女から学びたいとかじゃないんですか?」
「そんなことは無理でしょう! ハッハッハ! そんな無駄な会話はする気がありませんよ!」
「あ……。そうだ」
俺はアーリンとの会話を思い出し、藁に縋る感じで佐奈田3曹に聞いてみた。
「O.O.Lという物質を……佐奈田さんは御存知ありませんか?」
「O.O.L? 何の略?」
佐奈田は頭に手をやり、思考を巡らせ、答えた。
「オールド・オフィス・レディーかな?」
聞いた自分がバカだったと思った。
「とりあえず……次にオオカミが来た時、アーリンがそれをやっつけた後、大神さんは引っ込んでてくださいよ。僕がアーリンとお話するんですから」
「はいわかりました」とだけ答えて、俺は佐奈田を置いて歩き出した。忙しいのだ。オオカミが探しているというO.O.Lとは何なのか、オオカミの光線を防ぐほどの超高純度の銀を作り出すにはどうすればいいか、調べることは山積みだ。
「ぐふっ……」
背後で不気味な笑い声のようなものが聞こえた。
振り返ると、佐奈田3曹が、口から白い泡を吐きながら、俺をまっすぐ見つめて笑っている。
「……どうしました?」
持病の発作でも起こしたのだろうかと心配しながら俺が聞くと、佐奈田は泡を吐きながら、彼のものとは違う、獣のような声で喋り出した。
「O.O.Lハ、何処ニアル?」
何が起こっているのかわからず、どう見ても意識を失っている佐奈田の顔を見ながら呆然とする俺に、そいつは言った。
「銀星人ヲ信ジルナ。銀星人ハ滅ボスベキ。宇宙ノ問題種。ベキ、ベキ……。O.O.Lノ在処ヲ教エロ」
「貴様……オオカミか!?」
俺は咄嗟に頭に浮かんだことを問うた。
瞬間移動したかと思うほどの速さで佐奈田がいつの間にか俺の目の前にいた。白目を剥きながらその逞しい腕で俺の自由を奪うと、詰問してくる。
「O.O.Lハ何処ダ」
そういえばオオカミをけしかけているのは『獣星人《ジュウせいじん》』というエイリアンだと聞いたのを思い出した。どうやら佐奈田は彼らに操られているようだと直感した。
恐怖はしたが、むしろこれはチャンスだと思った。わからないことは本人に直接聞くのが一番だ。
「知らない……というか、O.O.Lとは何かをまず知らない。……逆に聞いてもいいか? O.O.Lとは何だ? 何の略なんだ?」
「|O.《オリジナル》|O.《オブ》|L《ラヴ》ニ決マッテイルダロウ」
獣星人の口から出たとは思えないロマンチックな言葉に、俺は呆気にとられた。
シュパッと軽い音を立てて横の扉が開いた。そこは医務室だった。
気怠そうに髪をかき上げながら出てきたハルナさんが、俺たちに気づいて嬉しそうな声を上げた。
「あらっ! 佐奈田3曹ちゃんじゃないですか! どぉしたのっ? 奥さん元気?」
艶めかしい声でそう言いながら、佐奈田に背中から抱きついた。豊満なGカップの胸をグイグイと押しつける。気持ちいいのか佐奈田の表情がトロンと大人しい犬のようになった。
これを見逃す俺ではない。
「獣星人さん。理性的に会話をしましょう。私も銀星人には胡散臭いものを感じていました。O.O.Lを探すことに我々も手助け出来るかもしれません。どうですか? 別室で温かいミルクでも飲みながらお話しませんか?」
「ミ……、ミルク……ダト?」
佐奈田が口から糸引くヨダレを垂らした。
「ウ……、ウゥ……」
背中に感じているハルナさんの胸にも大人しくさせられているようだ。
俺は脱いだ白衣で佐奈田を素速く縛ると、所長のいる部屋へ向かって彼を歩かせ始めた。
『情で動くやつは三流』という、藪龍《そうりゅう》所長の言葉を何度も頭の中で繰り返した。
この獣星人はミアを殺したオオカミをけしかけたやつだ。しかも俺の嫌いなやつの体に入っている。
ぶっ殺してやりたい衝動を歯軋りで抑えながら、そいつを所長のいる部屋へ運んだ。
─ 7 ─
俺とハルナさんに連行されて入って来た佐奈田3曹を見ると、藪龍《そうりゅう》所長は怪訝そうな顔をした。
「……防衛隊の……マッスル・バカくんじゃないか。白目を剥いてどうした?」
俺は回転椅子に座らせた佐奈田をさらにロープでぐるぐる巻きにすると、報告した。
「所長! コイツ獣星人に体を乗っ取られているようです! 色々と聞き出すチャンスですよ!」
「ミ……ミルク……は?」
佐奈田は怒り出した。
「ミルクは何処ダ!?」
牛乳なんて代物は現在入手不可能になっている。缶の粉ミルクをぬるま湯で溶かして与えると、佐奈田は縛られたまま、犬のように舌を出してピチャピチャと夢中でそれを飲みはじめた。
ミルクを飲み終え、まったりと落ち着いた様子のそいつに、俺と所長は尋問を開始した。
俺が聞く。
「おまえらはなぜ、人間を殺す?」
佐奈田がまったりしたまま黙っているので、所長が代わりに答えた。
「決まっとる。侵略のためだろう?」
すると佐奈田がゆっくりとした動きで3回うなずいた。
「おまえたちは銀が苦手で、ゆえに地下には入って来れないんだよな? どうやって佐奈田の体に入り、ここまで来た?」
俺が聞くと、佐奈田はまったりと視線を泳がせ、また所長が代わりに答える。
「おそらく寄生生物型のメカをこのマッスル・バカの体内に仕込んだんだろう。それで遠隔操作しとるんだ」
佐奈田がまた貧乏ゆすりをするようにうなずく。
「佐奈田さんの中から出なさい!」
ハルナさんが佐奈田のがっしりとした肩を揺らしながら命じたが、出られて会話が出来なくなっては困る。俺と所長が彼女をなだめた。
俺が聞く。
「オリジナル・オブ・ラヴとは何だ?」
「オ前タチガ、ソレヲ知ラナイと、イウノカ?」
佐奈田が噛みつくように俺を振り向いた。白い目で睨んでくる。
「シラバックレルナ! 銀星人ヲ守ロウトナド、スルナ!」
「オリジナル・オブ・ラヴ? 何だそれは?」
所長が俺に聞いた。
「何かの歌のタイトルか?」
「銀星人の弱点となる物質だそうです。獣星人はオオカミを使ってそれを探し出し、銀星人に対抗しようとしているのだとか」
「本当ニ、知ラナイノカ?」
佐奈田が本心を窺うように俺たちを見る。どうやら獣星人には人間の思念を読み取る能力はないようだ。
「地上ニアル、ピンク色ヲシタ鉱石ダゾ?」
「ここはオオカミが襲来する前までは鉱物の研究所だったが、そのような鉱石は聞いたこともない」
所長がいつもの偉そうな態度を発揮して、言う。
「人間にとって有用でない物質まで取り扱っていたが、そんな名前のものはなかった。ピンク色の鉱石といえばピンクダイヤモンド等、女の好むような宝石ばかりだ。そしてそれがある種のエイリアンにとって有害であるとはとても思えん」
俺も首をひねった。
「しかも地下ではなく、地上に露出しているだなんて……? どんなものだ、それ?」
ハルナさんがうっとりとした声を出す。
「ピンク色の鉱石で……名前がオリジナル・オブ・ラヴですって? ……ウフフ。あたしもそれ、欲しいなあっ」
所長が佐奈田に聞く。
「とにかく……それを入手出来たらおまえらは地球から出て行くのか?」
「ソウダナ……。入手出切レバ、スグに銀星ヘ攻メ込厶ダロウナ」
佐奈田が白目を剥きながら、ニヤッと笑った。
「コノ星ヲ破壊シ続ケルノモ楽シクハアルガ、出テ行ッテヤロウ」
思わず俺は佐奈田の胸ぐらを掴んでいた。
さんざん地球を荒らし回り、さんざん人を殺しておいて……、俺から最愛のものを奪っておいて……! 出て行くだけでは済まさせたくなかった。
「大神くん──」
所長の声が俺をなだめようとする。
「情で動くな。オオカミが地球から出て行ってくれるなら、それですべては収まるではないか」
「収まらない……ッ!」
佐奈田の脳の中にいる獣星人を睨みつけるように、俺は激しく歯軋りの音を立てながら、吠えた。
「おまえらを許さないッ! 必ず……ッ! アーリンと力を合わせ、おまえらを滅ぼすッ!」
「事を荒立てるな、大神くん。これは獣星人と平和調停を結ぶチャンスだ。国に報告し、あらゆる人員を総動員してオリジナル・オブ・ラヴとやらを探すのだ」
俺は佐奈田を椅子ごと床に突き飛ばすと、息を荒くしながら、指を突きつけ、吐き捨ててやった。
「俺とシルバー・アーリンがおまえたちを滅ぼす! 覚えておけ!」
床に倒れた佐奈田の顔がニヤリと笑ったかと思うと苦痛に歪んだ。その口がありえないほどおおきく開く。そこから何やら一つ目のオタマジャクシのようなものが覗くと、そいつが飛び出し、俺に素速く襲いかかってきた。
「むんっ!」
横からそれ以上に素速く、藪龍《そうりゅう》所長がそれを掴んでいた。
「すっごーーい! ですわ! 所長さん!」
ハルナさんがピンク色の声で賞賛する。
さすがは柔道の有段者だ。どうやら体を乗っ取られかけたらしいのを救われ、俺はヘナヘナと床に腰を抜かしてしまった。
「まぁ……、大神くんの言うことにも一理ある」
所長は掴んだそいつを物凄い握力でギリギリと締めつけながら、冷静な口調で言った。
「オオカミの弱点がわかりそうであり、銀星人の弱点の名前も判明した今、我々地球人の取るべき道は?」
グシャッ! と、握り潰す音が響いた。
「あくまで抗戦だ!」
早速俺たちはこのことを国に報告すると、オリジナル・オブ・ラヴという鉱石についての調査と、超高純度の銀を使ったシールドの開発に乗り出した。
昼休憩と称してシェルターに帰った。もちろんアーリンが訪ねて来ていると思ったからだ。
正午ぴったりに扉を開こうとしたら、向こうから勝手に開いた。銀色の長い髪を揺らし、踊るような動作で、嬉しそうにこちらを覗き込むアーリンが見えた。どうやら昨日、俺の記憶から自動扉の開け方を学習していたようだ。
「タカシ、ただいま」
当然のようにそう言うので、思わず笑ってしまいながら、俺も当然のように返した。
「お帰り、アーリン」
彼女が昼飯をまた作ってくれた。今日はスパゲティーのわさびふりかけ和えだ。ミアのエプロンを着けて、ミアのスリッパを履いて、ミアと同じように長い髪をヘアゴムでまとめ上げ、楽しそうに料理をする彼女を見ていると心が安らいだ。
「うまい!」
食卓で向き合いながら、スパゲティーを口に入れ、俺は目つきで彼女を『やるな、コノヤロー』と褒めながら笑う。
「タカシはこれ、好きだった」
ツインテールにした銀色の長い髪を傾け、アーリンがくすぐったい笑顔で俺を見つめてくれる。
「だんだん表情が豊かになってきたね」
俺は思ったままのことを言った。
「どんどん笑顔がかわいくなってくる」
「やん、もぉ〜……。褒めても何も出ないんだからっ」
両手を頬に当てて、アーリンが照れた。
懐かしくて、眩しかった。ミアと同じ反応だったから。
研究所に獣星人が侵入して来たことをアーリンに知らせた。佐奈田3曹の体に寄生生物のようなものを入り込ませ、遠隔操作していたこと、そいつと会話をしたことを。寄生生物のようなものは所長が怪力で握り潰したが、まだ生きてはいるようで、生体研究室に保管してある。
アーリンはそれを聞くと、また15秒ぐらい固まった。すぐにまばたきを再開すると、無表情に言った。
「タカシがO.O.Lの情報を獣星人に伝えたら、わたしはマスターに消去されます」
「教えないよ! 教えないどころか、それを知らないんだから」
「って、いうか……」
アーリンが少女のようにまた笑う。
「わたしはオオカミと戦うだけの専門バカなんですけどねっ」
「さっき言ってた『マスター』って、銀星人のことか」
俺は少し前から気になっていたことを彼女に聞いてみた。
「銀星人はなぜ、地球人を守ってくれるんだ? 見返りもなしにふつう、そんなことしないよな? 何が目的なんだ?」
「感謝です」
にっこりとアーリンは即答した。
銀星人の老人トクダ・ナリから所長が聞いた時と同じ答えだ。銀星人は精神感応力があるから、地球人の感謝を感じ取って気持ちよくなれることが見返りだとか、そんなとても信用出来ないようなことを言っていた。アーリンはおそらくそれを信じさせられているだけだろう。だからそれ以上聞かなかった。
「ん……、わかった。とりあえず……」
俺が立ち上がろうとすると──
「タカシ」
アーリンが俺のほうへ身を乗り出して来た。
「ごちそうさまのキスがまだです」
ちゅっと音を立てて、アーリンのほうから俺の唇をついばんで来た。
これはミアはしなかったことだ。彼女の意思、彼女の欲求からの行為だと思えた。
形だけアーリンの前にも置かれてあったスパゲティーの入った皿にラップをかけながら、彼女が妻のように言う。
「これは夕食にしてください。ごめんなさい、ロボットですので一緒に食べることが出来なくて……」
アーリンがぴくりと動きを止めた。
ゆっくりと扉のほうを振り向く。
「オオカミの動きを感知しました」
彼女がそう言った直後、俺の腕にはめたレーダーにも反応があった。
「あっ……! 待って、アーリン!」
俺が止める間もなく、彼女の体が強く発光し、銀色のフラッシュが瞬いた。「今度から正午じゃなく、夕方に帰っておいで」と伝えようと思っていたのを口に出来なかった。光はすぐにかき消えて、アーリンの姿も消えていた。
ちくしょう、オオカミめ……! もっと彼女と一緒にいたかった。もっと彼女と話がしたかった。アーリンは会うたびに表情豊かに、そして愛しくなって行く。俺の、俺だけの彼女になって行く。
レーダーでオオカミのやって来る方角を確認すると、少し遠かった。
シェルターの扉を開けて外へ出て、そちらを見やると、紫色の空に銀の大爆発が見えた。
「いつもと違うな……?」
俺は首を傾げた。渦を巻くのではなく、アルミホイルの破片を散らしたような、デジタルノイズが広がるような爆発が、遠い空に見えていた。
─ 8 ─
アーリンが戻って来るかと期待し、1時間ほど待っていたので、遅くなった。研究所に戻ると、みんながなんだか騒いでいる。
「どうしたんですか?」
廊下に立って二人で何やら深刻そうに会話をしている女性研究員たちに声をかけると、信じられない答えが返って来た。
「アーリンが……」
「シルバー・アーリンが……オオカミに負けたのよ!」
彼女らが何を言っているのかわからず、一瞬言葉を失った。
「まさか……」
冗談だと思って、俺は笑った。
「ありえないでしょう。そんな……」
「遺骸を防衛隊の方たちが回収して、これからここに運んで来るらしいわ」
「もう着いてる頃かも」
口から何も言葉が出て来なかった。
信じたくなかったが、彼女らに冗談を言っている様子はまったくなかった。
運び込まれるなら、あそこだ。──第1ラボラトリー。
無言で女性研究員二人に背を向け俺は廊下を駆け出した。
駆け込むようにラボラトリーに入ると、藪龍《そうりゅう》所長の背中が影に濡れていた。それがゆっくりと振り返る。
「大神くん……」
厳つい顔に、ニイッと笑いが浮かぶ。
「いい実験体が手に入ったぞ」
所長の前にあるガラス台の上に乗っているものを見て、俺は絶句した。
アーリンだったものだった。
腰から下のなくなった、アーリンの上半身だけが、壊れた機械部品のように、そこに乗せられていた。
やわらかだった銀の長髪は熱で縮れ、頬には抉られたように、おおきな傷が刻まれている。俺を見つめて笑っていた青い瞳からは光が失われていた。
「あ……ああ……」
絶句していた俺の口からようやく漏れたのは、言葉というより嗚咽だった。
「アーリン!」
おそるおそる近づいて、傷のついていないほうの頬に触れた。ニセモノなんじゃないかと疑い、その顔をあらゆる角度から眺めた。つい二時間ほど前まで愛くるしかったその姿が失われてしまったことを、俺はようやく認めざるをえなかった。
「なんだ、またメソメソと……」
所長が呆れて言う。
「ただの機械じゃないか。しかもあのいけすかん銀星人の作ったものだぞ? 情なんぞ移しおって」
「所長、準備が出来ました」
若い女性研究員が言った。
「どこから分解いたしましょう?」
「分……解?」
「ああ。これを分解して解析し、構造を調べるんだ。ほんとうにいい物が手に入ったものだ。我々の手でシルバー・アーリンを量産出来るかもしれん」
所長のおぞましい言葉に激昂してしまった。
「待ってください! なんでそんなひどいことを……!」
「ひどい? 何を言っとるんだね、君は」
「彼女は機械だが、人格がありました! 一人の人間でした! それを……」
「めんどくさいな、君……。銀星人も言ってただろう、勘違いするなと。君は人工知能に人格を認めるのか?」
アーリンを守るように、その頭から腰までを抱くと、俺は所長に聞いた。
「……一体なぜ、シルバー・アーリンはオオカミに負けたのですか?」
「ウム……。それがわからん。モニターで見ていたが──、オオカミの光線を例の翼で防いだかと思ったら、あっさりと空中で爆発し、撃ち落とされた」
「所長!」
自動扉を開け、依吹《いぶき》アヤ隊員が顔を覗かせ、部屋に甲高い声を響かせた。
「銀星人から通信が入りました! 受けますか?」
とても面倒臭そうな顔をしながら、所長が言った。
「繋げ」
ラボに設置されている大型モニターに銀星人の老人トクダ・ナリの顔が映った。シワだらけの銀色の顔をわざとらしく笑わせると、見下すような態度で丁寧な言葉を繰り出す。
『またお目にかかれて光栄です、地球人の諸君』
所長がぶっきらぼうに対応した。
「要件はなんだ。早く言え」
『我々が派遣したアンドロイドがオオカミにやられたそうですな。その残骸を回収したいのですが、よろしいですかな』
「だめだ。これはこっちで処分しておく」
『まさか……それを解析して同じものを作ろうという気ではありますまいな?』
トクダ・ナリはその顔に最大限の侮りを込め、言った。
『無理ですよ。貴方がたごときの科学力のレベルでは魔法のようにしか見えないことでしょう。首をひねって思わず我々の技術力に両手を挙げたのち拍手をしてしまうしかないことでしょう。近いうちに若い者に引き取りに伺わせます。地球人がたむろしていると臭くて近づけないと思いますので、アンドロイドを置いて皆さんは部屋を出て行ってください』
舌打ちをしてから何か言い返そうとした所長を遮り、俺が銀星人に答えた。
「お願いです! 彼女を俺にください!」
モニターの中の銀色の老人がニヤリと笑った。そして、うなずいた。
『いいでしょう。そのアンドロイドは貴方が壊したようなものだ。責任を取って、貴方が処分してもらえますかな』
「俺が……殺したようなもの……?」
意味がわからなかった。
俺がアーリンを殺すわけがないじゃないか。
『そちらの周辺には新たなアンドロイドを派遣いたしますのでご安心を』
トクダ・ナリはそう言うと、再び俺に言う。
『そのアンドロイドを分解などしたら、貴方がたにとって有毒なものが溢れ出しますので、ご注意を。……オオガミ・タカシさん、貴方はそう忠告しておいてもきっと毒に触れてしまうのでしょうけどね』
「毒だと……?」
所長が後ずさる。
「ど……、毒ですって?」
女性研究員たちも距離をとった。
『そのアンドロイドは愛毒にやられ、故障しました』
トクダ・ナリが俺を見て笑う。
『貴方も銀毒にやられて死んだりなさらないように。……それでは』
モニターから銀星人の姿が、消えた。
「ウーム……」
所長が困ったような声を出す。
「銀毒なんてものは聞いたこともないが……毒が内蔵してあると聞くと、躊躇してしまうな。とりあえず丹念に調査をして、安全を確保せねば……」
確かに、水銀ならいくらかの毒性はあるが、銀に毒性などひとつもない。銀毒なる言葉は未知のものに対する恐れをその場にいる者の中に生んでいた。
「所長! 銀星人は俺にアーリンをくれると言いました! 俺にやらせてください!」
「馬鹿な……。君一人に危険なことをさせるわけには……」
「危険なことはしません。分解などしませんから。俺に任せてください」
「な……、何をする気だ?」
「シルバー・アーリンを俺が再生させます」
シルバー・アーリンが死んだのをいいことに、オオカミたちは続けてやって来た。もう邪魔をするものはいないと思い込んだのか、地上に降り立つとそこらじゅうの建物を破壊し、地下シェルターへの入口を見つけ、そこに穴を穿とうとしたオオカミたちの背後から、銀色のイケメンが甘い声を響かせた。
「キミたち、いけないねぇ」
全身銀色に赤い目の、長身痩躯の若いイケメンだった。
「悪いことをする子にはこのボクが罰を与えるよ」
イケメンの体を銀色の粒子弾が取り囲む。それが渦を巻き、四方八方に飛び散ったかと思うと、オオカミたちはすべてかき消えていた。
モニターでその様子を見ながら、女性研究員たちがキャーキャーとうるさい声をあげる。
「名前、つけてあげようよ!」
「何がいいかな!」
「『シルバー・カイト』なんて、どう?」
「いいね! それ、いいね!」
新しい銀色の守護者たちにみんな夢中になっている。俺はアーリンを抱え上げると、自分の研究室に連れて行った。前に抱き上げた時も羽毛のように軽かったが、さらに軽くなっているのが痛々しかった。
実験用の台の上にそっと乗せると、俺はアーリンに話しかけた。
「一緒に海を見に行くまで……絶対に死なないでくれって、約束したじゃないか」
青いその瞳は動かなかった。薄いその唇は笑わなかった。
俺はミアを守れなかった。守ってやれなかった。それどころか彼女に守られてしまった。
今またアーリンを守ることが出来なければ、俺はもう二度と立ち直れない気がした。
「俺が絶対に直すから……。絶対に君をまた笑わせてみせるから! 絶対に約束は叶えるからな!」
とは言ったものの、何をどうすればいいのか、わからなかった。
ロボットを造ったことはある。むしろそれは俺の趣味だといえた。大学で鉱物についてのことを教わりながら、副次的な教養としてロボット工学も学んだのだが、俺はそれに一時夢中になったことがあった。
しかし地球のロボットとそれはあまりにレベルが違うものだった。彼女はロボットというよりも生命体に近く、ただのロボットというよりは兵器に近い。何より銀をエネルギーに変えて動くその仕組みがまったく理解出来ない。
分断されたアーリンの、もう銀色の炎が揺らめかないそのヘソのところを見つめながら俺が途方に暮れていると、ふいに頭の中で声が響いた。
「オマエには無理。わかるはずないだろ」
「だ……、誰だ!?」
驚いて部屋の中を見回したが、誰もいない。男なのか女なのかさっぱりわからない、中性的な声だった。
「あーあ……。オレの最高傑作をこんなことにしてくれやがって」
再び頭に響いた声に振り向くと、壊れてしまったアーリンを覗き込んでいる背の低い、銀色の肌の人間がいた。いつの間にか、俺の部屋に入って来ていた。
「誰だ……? 銀星人……?」
「あんまり見るな。オマエがオレのこと気持ち悪がってるのが不快だ」
そいつは俺をジロリと睨むと、口をまったく動かさずに喋った。
「わからないのか? 不便だな、地球人てのは。オレの名前はヒメカ・オイ。このアンドロイドの製作者だ」
「せ……、製作者?」
思わずそいつの全身を眺め回してしまった。長い髪を生やした頭のてっぺんまで銀色の、目がやたらとおおきいわりに表情のあまりに乏しいそいつの姿を気持ち悪いと思ってしまった。グレイ型のように人間と違う姿をしているわけではなく、肌が銀色なことを除けば地球人そっくりなのに、明らかに異質な雰囲気を漂わせているのが気持ち悪かった。
「無礼だな、地球人て」
そいつは口を動かさず、俺の頭の中に直接文句を言って来た。
「だがオマエは地球人としてはなかなか危険物の少ないタイプだ。頼むからオレのこと愛したりしないでくれよ」
意味がわからなかったので、ただ「……は?」と言った。
「コイツはオマエの『愛毒』にやられた。わかるか? わからんだろうな」
ヒメカ・オイはそう言うと、初めてその顔に表情を浮かべた。
「なるほど……。O.O.Lはそんなところにあったのか。怖い、怖い」
銀色の歯を剥いて俺を威嚇するような表情だった。
─ 9 ─
「愛毒って何だそれはって?」
俺は何も言っていないのに、ヒメカ・オイは俺の思考に答えた。
「そんなことをオレが言うわけないだろう。オマエラがもつ愛情とかいうやつは銀星人にとって毒であり、だからオレが造ったこのアンドロイドにとっても毒だったなんてことは」
「い……、言ってるじゃないか」
「言ってない。そんな銀星人が地球人に対して弱みを曝すようなことをオレが言うわけがない。オレを愛したりしないでくれよ。オレまでコイツみたいに溶かされちまう」
所長の言ったことを思い出した。
思考を読める異星人は、その思考がダダ漏れだから、嘘をつくことが出来ない。そういう異星人の国には嘘という概念がないのだ。
あの老人トクダ・ナリも直接会って話したらこんな感じなのだろう。だから頑なにモニター越しでしか会話をせず、所長が「直接会って握手でもしよう」と言ったら拒んだのだ。
「ああ、まぁ、そういうことだな。トクダ・ナリはオマエラと直接会うつもりはないぞ」
「……筒抜けだな」
「ああ。だからオマエ、口で喋るなんて面倒臭いことをするな。そんなのモニター通話の時だけでいいだろう。わけがわからん」
アーリンの様子をチェックしながらそんな思念をダダ漏れにさせるヒメカを呆然と見つめながら、俺は思った。思ったことに対する言葉をすぐにヒメカが頭の中に送って来る。
「オレが男か女かなんて、どうでもいいだろう。そんなに重要か、そこ?」
とりあえず身に着けている白い宇宙スーツのような服の上からは、どちらとも読み取ることは出来なかった。膨らみもくびれもなく、つまようじのように華奢な体型だ。これならひ弱な研究員の俺でも……
「戦ったら簡単に勝てそうとか思うんじゃない。怖いだろ」
「あっ……、すまない。つい、思ってしまった」
「こう見えてほんとうは強いんだぞ、オレ。襲いかかって来たら後悔させてやるぞ。なんてのは口だけで、ほんとうは何も出来ないんだけどな」
プッと吹き出してしまった。
なんだかコイツはいいやつだと思えた。口は悪いというか何も包み隠さないが、それだけに悪い企みを隠していないのもバレバレだ。
俺もみんなから『嘘が苦手なヤツ』とか『裏表がない』とかよく言われる。自分がそういうやつでよかったと思った。
「裏表ないって、そんなの当たり前だろ。ってか、何度も言うがオレを愛するなよ?」
そんな思念を俺に送りながらアーリンを診るヒメカに、試しに俺は口を動かさずに思念で聞いてみた。
「直りそうか?」
「まぁ……、大丈夫だろう」
「ほんとうか!?」
「ああ……。幸いAIチップは無事だ。体さえ動かせるようになれば生き返る。さすがは天才であるこのオレが造った傑作アンドロイドだ」
俺の頭の中に、生き返ったアーリンの笑顔が花開いた。嬉しそうに抱きついて来ると、俺の唇をついばんで来る。ヒメカにツッコまれた。
「……っていうかオマエ、へんな妄想するな。まぁ、オマエラから見てコレは相当かわいいだろうから無理もないんだろうが……」
「うん。アーリンはとてもかわいい」
思わずお礼の言葉を思念で伝えてしまった。
「アーリンを造ってくれてありがとう」
「どういたしまして。コレは地球人に気に入られることを目的として地球人好みのデザインに造ったから当然なんだけどな。ユイ・コレルの造ったあの新しい男性型イケメン・アンドロイドも地球人の女性からキャーキャー言われてるらしいな。オレの造ったコイツのほうがグッド・デザインだと思ってくれてありがとうな、オマエ」
「俺に出来ることはないか? 協力する」
「っていうか、オマエの協力がないと出来ない。部品を調達してくれ。パーツショップ街みたいなものはあるか? あるんだな? じゃあそこで部品を集めて来てほしい。オレ? オレは行けない。そんな地球人の多いところに行ったら頭の中が汚物でいっぱいになっちまうだろうが」
ヒメカに必要なものを聞き、それをメモしたものを持って地下道に車を走らせた。
あいつは『パーツショップ』と言っていたが、地球の常識とは色々と違うようで、どう考えても八百屋でないと入手出来ないものや、いかがわしい夜の店で手に入るものなども含まれていた。幸い、入手出来ないものは含まれていない。すべて仕入れて帰ることが出来るはずだ。貴金属類も多くあったが、それらは研究所に既にあるものだった。
地下街はたくさんの人で賑わっていた。
アーリンの複雑怪奇な構造に触れ、銀星人の科学技術力に劣等感を抱きそうになっていたが、ここに来ると地球人のそれも大したものだと思え、矜持を持てる。
開放感のある空気を地下に作り出しているのは意外なほどにコンパクトな空調装置だ。さまざまな色のLEDが色とりどりの建物を飾り立て、楽しげな雰囲気を醸し出している。
頭上には空のヴァーチュアル映像が広がっている。
しかし、それはあくまでも偽物だ。
手を伸ばしても空に触れることなど出来ないが、それでも本物の空には触れられそうな親しみやすさと永遠の謎のような神秘性があった。
偽物の空には、特に俺のような科学者には、仕組みのわかりきっている退屈さしかないとも言えた。
同じような雲の動きが、けっして悪化することのない青空を流れているのを見続けていると、ミアが外に出たがった気持ちがよくわかる。
そして地下に海は、ない。
見ようと思えば海の映像を見ることは出来る。しかし、潮風に吹かれ、海水に足を浸すことは、本物の海へ行かないと叶えることは出来なかった。
生命の源たる海に、今は誰も行くことが出来ない。
波と戯れているところにオオカミがやって来れば、人間は豆腐になって波に攫われる。それどころか海に辿り着く前の道端で崩れた豆腐にされることだろう。
「おや、大神先生。珍しいですね」
俺が顔を覗かせると、八百屋のおばちゃんが気さくに話しかけて来た。
「今日は奥さんはご一緒じゃないんですか?」
俺は曖昧に笑いで答え、ヒメカに頼まれていたオクラを買った。
頼まれたものをすべて入手し、ヒメカの待つ研究所へ車を走らせた。
オクラ、蠟燭、避妊具、わかめオイル、針金、木炭──魚介類がないのが幸いだった。地下街に魚屋はない。それが必要だと言われたら海まで行って獲って来なければいけないところだった。
「よし、じゅうぶんだ」
ヒメカは俺が買い揃えて来たものを見ると、無表情にうなずいた。
「これでアンドロイドを修復出来るぞ」
その言葉を聞いて、俺は笑顔が漏れた。
修復作業を始めたヒメカの魔法のような手つきを見ながら、気になっていたことを色々と聞いてみることにする。
「ところでアーリンはどうしてかわいいんだ? おまえたちがアンドロイドを魅力的なデザインにして造るのは一体なぜなんだ?」
「戦うことなくして地球人を支配するために決まってるだろ。オマエラを気持ちよくさせて、オレたちに対する印象をよくして、警戒心を緩ませて、懐柔するんだ。こんなこと地球人に知られたらヤバいんだけどな」
「アンドロイドを派遣して地球を守ってくれるのも、やはり行く行くは支配するためなのか?」
「当たり前だろ。オレらの星は資源が枯渇してて、環境も破壊し尽くしちまってるから、地球に移住したいんだ。だがオマエラの思念は汚すぎて毒だから、そのまま地下に籠もっててほしいんだよ。こんなこと地球人に知られるわけにはいかないんだけどな」
なるほど、オオカミから地球人を守ったことを恩に着せて、地上に銀星人の国を作りたいわけか、と納得した。ヒメカは面白いやつだが、そんなことは拒まなければなと思った。
「ほら、拒むだろ? だから地球人に知られちゃいけないんだ」
「大丈夫だよ。銀星人と仲良くなれそうな気はして来た。特におまえとは、な。仲良くやって行けそうだ」
「褒めるな、気持ち悪い、バカ。絶対にオレのこと、愛したりするなよ?」
そう言いながら、ヒメカの無表情が少し崩れ、照れ笑いのようなものが浮かぶ。
いきなり部屋のモニターが点いた。
その中にトクダ・ナリの顔が現れるなり、言った。
『オイ、帰って来い』
「はあ?」
ヒメカが初めて口を開け、そこから声を出した。
「何言ってんだ、トクダ・ナリ。オレはコイツを修復するんだよ」
思念とまったく同じ、男なんだか女なんだかさっぱりわからない声だった。
『オマエ、地球人に情報を漏らしすぎだ。けしからん。帰って来たら刑罰だ』
「け……、刑罰?」
たじろいだのはヒメカでなく、俺だった。
「刑罰って、どんな……?」
「構わん。何をされようが、オレはこのアンドロイドを修復する」
ヒメカが無表情にそう言い切った。弱そうなその横顔が初めてかっこよく見えた。
『いいから帰れ。オマエは我々の計画を破綻させる気か。今、年老いたものをそちらに遣った。強引にでも連れ戻す』
「あっ」
ヒメカが俺に口で言った。
「こりゃだめだ。オレ、連れ戻されるわ。年老いたものにはとても勝てん」
「そうなのか?」
「ああ。だからオマエ、オレに代わってコイツを修復してくれ」
「そんなこと言われたって……! 俺にはさっぱり……!」
「オレの知識をオマエの脳に移す」
ヒメカがそう言うなり、俺の頭が激しく軋むように痛んだ。
「それを使ってどうかオレの最高傑作を蘇らせてくれ」
「刑罰って何をされるんだ?」
心配だった。相棒と呼んでもいいと思い始めていたヒメカがどんなことをされるのか、想像すると胸が痛んだ。
「まさか……殺されたりは……」
「銀星人は平和なものたちだ」
ヒメカはその、彼らにとっておぞましいらしい刑罰の正体を口にした。
「愛玩犬にたくさん囲まれて、やつらからさんざん懐かれるんだ。おぞましいが、死ぬわけではない」
「なんだ天国じゃないか」
「地獄だよ」
空間に裂け目が生まれたかと思うと、そこからヒョロガリの銀色のカマキリみたいな老人が二人、出て来た。
「オイ、オマエを連れ戻す」
「メスカマキリには勝てんぞ」
意味のわからない言葉でヒメカを両側から捕捉すると、にっこり微笑み、やわらかな物腰でヒメカを連行して行く。
「ヒメカ! 最後に教えてくれ!」
俺はその背中に向かって叫んだ。
「アーリンの動力はほんとうに銀なのか? 水銀ではなく? 銀は鉄より重いはずだ! あのアーリンの羽毛のような軽さは、一体……!?」
しかしヒメカは俺に気さくに手を振ると、カマキリのような老人二人とともに空間の裂け目に消えてしまった。
最後まで悲壮感などひとつもなかった。あいつが言った通り、銀星人というのはどうやら平和なものたちなのだろう。モニター越しの会話では不快に思っていたが、なんだかこの宇宙人たちとなら友好的にやれそうだと俺は感じ始めていた。
─ 10 ─
アーリンを前に、知識を開いた。
わかる……。アーリンの構造が、その意味が、俺の脳の内に、ある。ヒメカが移して行ってくれたあいつの記憶が、俺にその知識を与えてくれていた。
しかし、知識だけだ。それをどう理解し、どう応用して行くか──それは俺の才能にかかっている。いわばプラモデルの組立図を頭の中に仕込まれたようなもので、完成するプラモデルがどのような出来栄えになるかは組み立てる俺次第なのだ。
そして俺はアーリンを改良したくもあった。俺の、そして俺への愛が、彼女にとって毒になるのなら、そんな機能は取り除いてやりたい。そしてもし、彼女を動かしている銀が俺にとっての毒にもなるのなら、それもどうにかしたい。
それでもし彼女から戦闘能力が失われてしまうとしたら、それはそれで良いことだとも思えた。
愛がなぜ彼女や銀星人にとって毒になるのかはわからない。ヒメカが俺の脳内に置いて行ったのはアーリンの設計図だけだ。ゆえに詳しい理由などはわからないが、俺と愛し合ったせいでアーリンは弱体化し、オオカミに敗れてしまった。それなら愛が毒にならない体に生まれ変わらせ、戦いをやめてもらえばいい。ヒメカは怒るかもしれないが──
戦うのはあのイケメン・アンドロイドに──そして俺に、任せてくれればいい。彼女はただ幸せそうに料理を作り、微笑む顔を俺に見せてくれればいい。
仕入れて来たもののうち、オクラとわかめオイルはアーリンの部品ではなく、ヒメカの食糧だということがわかった。銀星人はどうやらネバネバヌルヌルしたものが好物らしい。
そして気がついた。
材料が、足りない。
主な材料だ。それをヒメカは自分の体から取り出して使おうとしていたようだ。
銀が必要だった。それも地球にある比重の高い銀ではなく、銀星で採れるらしい超軽量の銀だ。
それは常温でも水銀のように液体状で、アーリンの動力となるにとどまらず、彼女の体の約70%を形作っているものだった。
「ヒメカ……!」
通じるのを祈り、俺は頭の中であいつに呼びかけた。
「銀が足りない! どうすればいい?」
しかしヒメカの思念は途絶え、部屋には静寂が漂っているだけだった。
ヒメカが置いて行ってくれた知識を元に、頭を巡らせた。
AIチップは生きているとあいつは言った。しかしアーリンは銀星人と違って、思念を読み取る能力はあっても思念で会話する機能は搭載されていない。地球人への印象をよくするため、地球人に似せて作られているのだ。
アーリンと思念で会話が出来れば、彼女に教えてもらいながらの作業が出来る。AIの知識は役立つことだろう。しかし動力がなければ発音装置を起動することが出来ない。
彼女のヘソのあたりはガラスのように菱形に透き通っていて、その中にいつも銀色の炎のようなものが揺らめいていた。あれが動力だ。あれを復活させなければ……。
発想力だ。
今、俺に求められているものは、発想力だった。アーリンの長い髪の毛は銀星産の銀で出来ている。それを分析して、銀星の銀を自力で作り出せることが出来るか──
ふと俺の頭に未来図がよぎる。
オオカミを地球から撃退し、アーリンと俺が並んで海辺に座っている。
「約束通り──一緒に海を見に来られたね」
そう呟く俺の笑顔はやつれ、目はくぼんでいる。
アーリンの銀毒に冒されているのだ。
「綺麗……」
アーリンはミアの声で、うっとりとそう呟く。
「最後に海を見に来られて……よかった」
そして振り向いたその顔はドロドロに溶けていた。アーリンは俺のO.O.Lに冒されている。俺に肩を抱かれながら、その命は消えようとしていた。
細めて海を眺めるその目は、今にも閉じてしまいそうなまでに弱っている。海は穏やかで、美しいが、そこには悲しい類いの美しさが広がっていた。
──このままでは互いに互いを毒し合い、衰弱して死んで行く二人の未来しかないのがわかってしまった。
O.O.Lとは何なのか、俺はわからなかったが、ヒメカの知識を紐解き、ようやく理解した。
銀星は銀で溢れている。大気中にも銀が大量に含まれ、人々は銀を呼吸して生きている。銀星の銀は空気のようなもので、アーリンはいわば空気を動力として動いているのだ。
銀星人は思念で会話をする。つまりは思念も空気の振動のようなものだ。彼らが無表情なのはあまり感情豊かに会話をすると、空気を揺らしすぎてしまうのだろう。それは彼らにとって害となり、彼らの体を蝕んでしまう。
地球人の、感情豊かな心こそが、彼らや獣星人の言う『O.O.L』だったのだ。あるいは地球人なら誰でも心の中に持っている『愛の原型』──それこそが|O.《オリジナル》|O.《オブ》|L《ラヴ》だったのだ。
それは物質ではない、形而上のものであり、形などないものだ──と、地球の常識で俺は思い込んでいた。
しかし今、俺の頭の中にはヒメカが置いて行ってくれた、銀星の常識がある。それによれば、心というのは物質であり、鉱物だとされていた。
空気よりも軽い鉱物だ。
「よし……」
俺は決意した。
「アーリンの動力元を変更する!」
銀星産の銀は入手出来ない。何よりそれは地球人にとって毒性のあるものだった。気管に入り込み、内側から人体を破壊することだろう。
同じ鉱物なのならば、O.O.Lも動力として使えるのではないかと俺は閃いた。
ヒメカは物凄く嫌がるだろうが、それが最善の方法だと俺は疑わなかった。
『シルバー・アーリン』を、『愛のアーリン』として蘇らせるのだ!
ふつうの地球人には絶対に無理だが、銀星人の知識を植え付けられた俺には、愛の形が見えた。それは確かに鉱物だった。とても軽く、形をさまざまに変える、流動的なピンク色をした鉱物だ。
有り難いことに所長はじめみんなが俺を放っておいてくれた。修復作業に没頭することが出来る。
俺は惜しみなく、自分の体からO.O.Lを取り出し続けると、アーリンのボディーの素材として使用した。熱で縮れていた長い髪はサラサラに戻り、その代わりに色がピンクに変わって行く。流線型のボディーラインは爪先まで復元され、その代わりにすべてがうっすらとピンク色に変わって行く。
腹部の透明な窓も元通りになり、中で揺らめく銀色の炎のようだったものが、ピンク色の炎に代わって揺らめいた。
新しく派遣されたシルバー・カイトの力はアーリンほどではなかった。無双と呼べるほどの強さは持っていたが、オオカミの奇襲には為す術がないようだった。
「地上に隠れていたオオカミに、シルバー・カイトが撃ち落とされました!」
依吹《いぶき》隊員が甲高い声で叫ぶ後ろから、俺は部屋に入って行った。
部屋には所長はじめ防衛隊の偉い人なども集まっていて、深刻な顔でモニターを凝視している。
「大神くん……」
藪龍《そうりゅう》所長が振り返り、俺に言った。
「銀星人のアンドロイドが敗れた……。オオカミはどうやらこの間の偵察により、地下に憂慮するほどの銀は存在しないと知り、安心して地下に攻め込んで来るようだ」
「終わりだ……」
「人類はオオカミに皆殺しにされてしまう……」
『無念です』
小型のモニターのほうにはトクダ・ナリの顔が映っており、初めて嘘とは思えないような真摯な表情を浮かべ、心から無念そうに言った。
『我々のアンドロイドがもっとしっかりしていれば……』
「大丈夫です」
俺は余裕の笑顔を浮かべ、みんなに言った。
「アーリンが復活し、今、外へ出て行きました」
モニターの中で、イケメン・アンドロイドのシルバー・カイトが下半身を失い、傷ついた鳥のように空から落下して行く。
それを力強く受け止める細い腕があった。
背中にピンク色のおおきな翼を生やした|戦闘乙女《ヴァルキリー》が、その青い瞳でオオカミたちを睨みつけた。
シルバー・カイトが弱々しく呟く。
「キミは……? キミから恐ろしいほどの力を感じるよ……?」
「わたしが来たからにはもう、大丈夫です」
イケメンを抱きかかえたまま、鋭い目をして、アーリンが言った。
「タカシへの愛のため、わたしは戦います!」
「なんだ、あれは!」
部屋に集まっているみんなが、ざわめいた。
「アーリンだ! でも……」
「ピンク色じゃないか!」
「オオカミに有効なのは銀の粒子弾だぞ? あんなピンク色で戦えるのか!?」
彼らの心配はごもっともだ。
しかし、次の瞬間、誰もが言葉を失った。
アーリンの周囲を取り巻いた光は、ピンク・シルバーだった。
それが渦を巻き、四方八方に飛び散ると、オオカミたちは跡形もなく消え失せていた。
地上に隠れていたオオカミたちが立ち上がり、一斉にアーリンに緑色の光線を浴びせる。
それはアーリンの体に直撃した。しかし、けむりが晴れると傷一つない彼女がにっこりと微笑みながらその姿を現す。
俺はヒメカの知識から、オオカミの出す緑色の光線の正体も突き止めていた。それは愛と同じく、地球人が鉱物として認識していない物質──『憎しみ』だった。銀星人にとってもそれはおおきな破壊力を伴うものであり、銀を超高濃度にしたシールドでようやく防げるものだ。
しかし俺が改良した新生アーリンは、広い愛の心でそれを許す。ゆえに憎しみを受けつけず、彼女に緑色の光線は受け流されて、消えるのだ。
オオカミたちが停止した。
唯一の武器が通じないことを知り、思考停止したようだ。
アーリンを取り巻いて再び、ピンク・シルバーの粒子弾が渦を巻いた。
新生アーリンは愛を動力とするが、攻撃をする時にはそれを銀に切り替えることが出来る。低速は電気を動力とし、高速走行時にはガソリンエンジンの動力に切り替えられるハイブリッド・カーのようなものだ。
ピンク・シルバーの雨が地上に降り注いだ。
それはオオカミに対しては絶大な破壊力を持つが、その他のものに対しては優しく、路傍に咲くたんぽぽの花を微かに揺らしただけだった。
オオカミを全滅させると、モニターの中のアーリンが消えた。同時に俺たちのいる部屋の中に瞬間移動して来た。
「タカシ!」
満面の笑顔で翼をしまいながら、俺のほうへまっすぐ駆け寄って来る。
AIは何もいじってない。以前のアーリンと何も中身は変わっていない。
「ありがとう! 貴方のおかげでわたし、もっと強くなった!」
俺の胸の中に飛び込んで来ると、足を床から少しだけ浮かせ、みんなが見ている前でキスをして来た。
─ 11 ─
獣星人《ジュウせいじん》たちは遂にその姿を見せることはなかった。
新生アーリンの強さに絶望したのか、地球人が銀星人と友好条約を締結したことに怖れをなしたのか、とにかくオオカミたちは引き上げて行き、二度と地上を荒らすことはなくなった。
西の空に逃げて行くオオカミの群れがゴミムシのように小さくなって行く様子が世界各国で撮影され、世界各国から我が国は称賛された。
銀星人《ぎんせいじん》との友好条約締結はモニターの中で行われた。
一対一でなければ嫌だというので、地球を代表してウチの藪龍《そうりゅう》所長が、銀星人代表のトクダ・ナリと二人きりの個室で握手を交わし、言葉を交わした。とはいってもモニターの外から眺めている俺たちには所長の声しか聞こえなかったが──。トクダ・ナリは口を動かさず、思念で所長と会話をしているようだった。
「──なんだと? 無礼だな」
所長が眉間にシワを寄せてトクダ・ナリを睨む。
「そんなこと考えてたのか。地球人も地上で暮らさせてもらうぞ。同意せんのならこの友好は決裂だ」
どうやらトクダ・ナリの思考がダダ漏れなようだ。トクダ・ナリは俺たちから見ると一言も発していないが、きっと所長には聞こえているのだろう。「我々の目的は友好ではなく侵略です。貴方がた地球人には地下に籠もってていただきたい。表向きは友好ということなので、こんなこと口には出せないんですけどね」とでも。
トクダ・ナリが無表情に泣きそうな色を浮かべて、何やらうなずいた。
所長が笑い出した。
「そうか、そうか。なら、いい。っていうか、俺もおまえに対して抱いていた不快感が薄れて来ていたところだ。そうも正直になんでもぶちまけてくれるとな!」
みんなには何も聞こえなかったが、俺には握手を交わしながらトクダ・ナリが所長に何を言ったのか、わかるようだった。たぶんこう言ったのだろう。
「わたしも、貴方に対して好感をもちました。そんなにも情では動かない、冷酷無比な地球人もいるということに感動しています」
ウチの所長が地球人代表で正解だったみたいだ。
所長が豪快な声でそれに答える。
「はっはっは! とはいえ、情で動いて大成功してくれやがったヤツがうちの研究員にいる! 俺もちょっとは情とやらを見直してるとこだ!」
モニターを見ながら、どうやら褒められたらしいことに俺が気をよくしていると、頭の中にヒメカの声が響いて来た。
「オマエ、よくもオレの最高傑作のアンドロイドをオレが造った以上にしてくれやがったな? 凄いな、オマエ。これから仲良くしてくれ。ただしオレを愛したりはするなよ?」
俺は思念を送って答えた。
「大丈夫。おまえのことは大好きだけど、愛したりはしないよ。俺には新婚の妻がいるからな」
ヒメカは研究所の別室にいる。地球人の多いところはあいつにとって毒素が充満しているようなものなので、別室で俺を待っているのだった。
アーリンもそこは相変わらずだ。
人の多いところが苦手なようだ。この間、オオカミを片付けた後も、人のたくさんいるところで俺にキスをしながら、周囲のみんなの『うわぁ……』と羨ましがる思念に包み込まれて、危うくまた故障しそうになってしまった。
しかし、愛毒に対しては、平気な体になった。
これからは俺がどれだけ彼女のことを愛しても、また彼女がどれだけ俺のことを愛してくれても、アーリンが愛毒に弱体化することはない。もっともオオカミがいなくなったので、もう戦う必要はないのだが。
人の多いところが苦手なので、地下シェルターで一人、彼女は今、色々な料理の勉強をしながら俺を待ってくれていることだろう。
内気で人付き合いの苦手だったミアとそっくりだ。
しかし彼女はミアではない。俺の記憶の中のミアの姿をコピーしながらも、新しい俺の妻として、一人の独立した人格をもつ女性として、俺はアーリンを愛していた。
──そう、俺はアーリンと結婚した。忙しくてまだ結婚式も挙げられていないが……。
早く帰ってやりたいな。そう思いながらも、まずはヒメカに会ってやらないといけない。あいつは俺の妻の製作者で、俺の相棒で、俺の親友だ。大好きだ。「気持ち悪い。やめてくれ」と頭の中でヒメカがツッコんだ。
「大神さぁんっ」
モニターの中の友好条約締結を眺める俺の後ろから、白衣姿のハルナさんがしなだれかかって来た。
「アーリンちゃんと結婚したんですって? 人間とアンドロイドの結婚……素敵! でも浮気したくなったらいつでも言ってね?」
俺は余裕で「ハハ……」と笑ってその冗談を流した。浮気なんかしたくなるはずもない。ハルナさんは美人で巨乳で、魅力的だが、俺はアーリンを愛しているのだ。
「は……っ、ハルナさん!」
いつの間にかそこに立っていた佐奈田《さなだ》3曹が言った。
「ボクと浮気してくれませんか?」
ハルナさんがその後ろの人に聞く。
「……ですってよ。奥さん、いいかしら?」
佐奈田がびっくりして振り返る。後ろに立っていた彼の奥さんらしき人が、頭から2本、ツノを生やした。
モニターの中の和平会談も終わり、みんなに笑われる佐奈田を残し、俺は広い部屋を出た。
いい天気だ。
最高のドライブ日和だった。
約1年半振りの地上のドライブは、走れる道を探しての遅々たるものになった。道路がオオカミによってそこかしこで瓦礫と化しているので、俺は慎重に、平坦路を選んで車を走らせた。
俺の隣──助手席で、ぬるい風を受けてピンクシルバーの長い髪がなびいている。
「……また行き止まりだ」
瓦礫でそれ以上先に進めなくなり、俺はギヤをバックに入れた。
「なかなか海に辿り着かないな……」
「ゆっくり行きましょうよ、タカシ」
そう言って、助手席で微笑むアーリンの顔が、太陽の下で眩しかった。
「急ぐ必要はまったくないんだもの」
おおきなサングラスの奥の青い目が楽しそうだ。ミアの白いワンピースが丈もぴったりで、よく似合っている。
「……ほんとうは車なんか使わなくても、君に抱きかかえてもらって飛べばあっという間なんだがな」
そう言って俺が苦笑するとアーリンは、俺が頭に思い浮かべた光景を読み取って吹き出した。
「スーパーマンじゃないのよ、わたし。その絵、へん! あなたを抱いて飛ぶわたしがなんか……イトトンボみたい!」
「ロマンチックもへったくれもないよな」
「そうよ。ゆっくりと、あなたの運転で、苦労して見に行く海だから感動があるのよ、きっと」
「遂に……あの約束が叶うんだな」
俺の頭の中に、ミアの姿が浮かんだ。
「長かった……。遂に……」
「……うん」
アーリンは俺の頭の中のミアと同じ笑顔を浮かべて、うなずいた。
「わたし、幸せよ? あなたみたいな優しい旦那さんに巡り逢えて」
見つめ合い、唇を重ね合った俺たちを白けたように見つめながら、後部座席のヒメカが口を結んだまま、言う。
「オレ……帰るわ。オマエラの愛毒にやられちまいそうだ」
俺は振り返り、言ってやる。
「っていうかなんでついて来てんだよ。これは新婚夫婦のデートだぞ」
「だってオレ……オマエラの仲人みたいなもんだし……」
アーリンがくすくすと笑いながら、自分の産みの親をからかう。
「マスター。こんなところにいると愛毒に中《あた》って死んじゃうわよ?」
「そうだそうだ。早く帰れ」
俺が言うと、ヒメカは一瞬、嬉しそうに笑い、一言だけ残すと空間の裂け目に姿を消した。
「オレのアーリンを愛してくれてありがとな」
海岸は綺麗な景色を残していた。
オオカミもこんなところには破壊するものさえなかったのだろう。人の作ったものはここにはあまりなく、ただ波が打ち寄せ、海鳥たちが鳴いていた。
環境は破壊され、酸性の雨が建物を腐食させ、気候はおかしくなっていても、海は変わらず太古のままの風景のようだ。
「綺麗……」
風に長い髪を揺らしながら、アーリンが言った。
「これがミアが見たかった海なのね」
「寒くない?」
彼女の肩を抱き寄せながら聞いた。
「少しだけ……。だからあっためて?」
寒いわけもないのにアーリンはそう言い、俺に身を寄せてくれる。まるでミアのように。
俺たちのシェルターの部屋にはまだミアの写真が飾ってある。俺と並んで、公園で太陽を背にして笑うミアの写真を見ながら、アーリンはけっして嫉妬しない。それどころか、そこに写る女性と自分は同じものだと思っているようなところがある。
アーリンは俺の記憶の中からさまざまに学習をし、いまやもう人間の女性となんら変わりがない。感情も豊かになり、コーヒーは飲まないが、わかめオイルだったら飲むようになった。
海は凪いでいる。ずっと地下にいたので、こんな広大な景色を眺めたことは久しくなかった。目が慣れなくて少しクラクラとする。
すぐ近くにあるアーリンに目を移すと、こちらにもクラクラとしそうになった。波間に浮かぶ光よりもキラキラしている。彼女はゆっくりとこちらを向くと、幸せそうに微笑んでくれた。その笑顔に、俺は心から感謝した。
「すべては君のおかげだ。地球が救われたのも、俺が立ち直れたのも。……君は、世界を救った天使で、そして僕だけの天使だ」
「あなたの力よ」
海を見ながらアーリンは言った。
「わたしを造り直してくれたのはあなただもの」
平和が俺たち二人を取り巻いていた。俺の妻は人間型兵器だが、平和の中でも存在意義を失っていなかった。俺の愛するものとして意味を持っている。
世界各地を守っていた他の人間型兵器たちは、オオカミがいなくなるとその存在意義を失い、今は皆格納庫で眠っている。起きて生活をしているのはアーリンだけだ。
「……あっ?」
アーリンが突然、何かに気づいたような声を出した。
「んっ?」
わからず俺が聞くと、アーリンは長い髪を渦巻かせ、浮き上がった。
「沖で溺れかかってる人がいるわ。ちょっと助けに行って来るね」
「まじで? 何してんだ、そいつ。遠泳に挑戦して途中で挫折でもしたのか? もしかして……佐奈田か?」
アーリンは高く浮き上がると、煌めく海の向こうへ、あっという間に飛んで行った。もう彼女は『|銀色の《シルバー・》|戦闘乙女《アーリン》』ではなく『|愛の《ピンク》|乙女《アーリン》』だ。戦う必要はない。ただ愛に溢れてくれていれば、それでいい。
日が暮れるまで、二人で海を眺めて過ごした。
サンドイッチとコーヒーとわかめオイルを楽しみながら、海の向こうにゆっくりと沈んで行く夕陽をただ、眺めた。
言葉はいらなかった。アーリンには俺の考えていることがわかり、俺にも彼女の心が透けて見えるようだった。
砂浜は黒く影のようになり、海は赤く燃え上がり、寄り添う二人を永遠のように包み込んでいた。
(完)
執筆の狙い
SFアクション?です。約45,800文字あります。
【簡単なあらすじ】
近未来、地球人類を救いに突如現れた美女型戦闘ロボットと、妻を亡くし生ける屍となっていた若き科学者の、心の交流の物語。
某web小説賞に応募して撃沈した作品です。ちなみにSF系ではなく、オールジャンル歓迎を謳っている賞です。そのわりには受賞した作品ほぼすべて異世界恋愛ジャンルでしたけど(^.^;
よろしければ『ここがよくなかったのではないか』等、教えてください。
辛口でお願いしたいですが、まったくちっとも読みもせずにディスることはご遠慮ください。