作家でごはん!鍛練場

クラップユアハンズ、スクラップアンドビルド

 厚く覆った雲の隙間から微かに光が差し、公団住宅の間にある小さな公園で遊ぶ子供達の十五時半に色を付けていた。でもその光もじきに消える。夕方からは雨が降る予報だった。雲は昼頃から滞りなく広がって、今ではもうかなり怪しい色をしていた。
 でも、そんなことはお構いなく、数時間にわたる授業を終えてきた小学生達は、まるで心を開放するかのように弾けた笑顔で公園の中を走り回っていた。
 老朽化を理由に公園の遊具が一新されたのは昨年の暮れのことだった。真新しいカラフルな複合遊具は半年以上経っても見慣れなかったが、子供達には人気のようで、今も数人の男の子達が取り合うようにもみくちゃになって滑り台を滑っていた。つるりと丸みを帯びたプラスチックの滑り台のフォルムは、以前あった無骨で錆かけたジャングルジムよりも明らかに楽しそうで、私ももう少し幼なかったなら遊びたいと思っただろう。しかし、私はもう中学三年生で、時間も気持ちも無くその横を無表情で通り過ぎ、家路を急いだ。
 私の家はB-24棟の五階の角部屋だった。エレベーターは無いので階段で五階まで上がる。「五階まで階段ってつらくない?」とこの間バイト先の店長に言われたが、物心ついた時からのことなので、もはや何とも思わなかった。それにたとえつらかろうとも、この団地にエレベーターが設置されることは未来永劫無いのだ。深く考えるだけ時間の無駄だった。
 玄関の鍵を開けるとむっとした夏の空気が中から溢れ出してきて、私はその厚みのある不快感に顔をしかめた。早くもこの季節が来たのかと思った。うちにはエアコンが無い。冬の寒いのもつらいが、異常な暑さが続く夏の方が近年はきつかった。一応全ての窓を開け放してはいたが、今日は風も無く空気が上手く循環していないようだった。
「おかえり」
 お父さんは和室のベッドで横になったまま、ぎょろりとした目で私を見て言った。
「ただいま」
 境目の襖を外してワンルームになった部屋を横切り和室に入る。おかえり、とお父さんはもう一度繰り返し言った。
 ベッド横の畳の上には、昼に食べるように言って出た昨晩バイト先から持ち帰った廃棄品のお弁当が中途半端に残った状態で置いてあった。私はそれを黙って拾い上げた。おかずも寄り好んではいたが、ご飯の部分にはほとんど手を付けておらず、カピカピに固まって容器にへばり付いていた。
 汗かいてるよ、と言って額の汗を枕元に置いていたタオルで拭いてやる。お父さんの肌は荒れてざらざらとしていた。いつもより顔色が悪く見えるのは、調子のせいか曇天のせいか。馬鹿のように左右を往復する扇風機を咎めるように「首振りオフ」のボタンを押す。風が固定されて涼しくなったとは思うが、それに対してお父さんは何も言わなかった。
「夕飯作る」
 私は制服のまま台所に立った。
「今日は、葉子のところ行くの?」
 寝起きなのか体調が悪いのか、今日のお父さんの声はか細くて聞こえづらかった。「今日はスーパー。葉子さんのところは明日だよ」と発声と聴力の関係など分からないが何となく声を張る。
「酒がもう無い」
 そう言われ、はっとして戸棚を開ける。そこにあったはずのお酒が無くなっていた。ゴミ箱を開けると空になったウイスキーの瓶が捨てられていた。
「私がいない間は飲まないって約束だったじゃん」
 そう言うと、お父さんは「ごめん」と悪行を咎められた小学生のように素直に謝った。制限しないとお父さんは際限なくお酒を飲んでしまう。
「でも飲みたくて。今も、ずっと飲みたい」
 私は小さく溜息をついて、靴箱の隅に隠していた予備のウイスキーの瓶を取り出した。残り全部を注いでもコップの三分の一ほどだった。氷で割ってわたすと、お父さんは本当に嬉しそうな顔をした。
「これで今日は本当に最後だからね」
 お父さんはうんうんと頷いた。弱い人だった。でも私も同じくらい弱かった。本当はこれ以上お父さんにお酒を飲ますべきではないことは分かっていた。でも飲ませないと乱暴な一面が出ることも分かっているから、私は諦めてお酒を飲ませた。自分のためだった。
 夕飯に野菜炒めを作る。キャベツとにんじんをざく切りにし、ごま油を引いたフライパンで炒めた。お肉はハムで代用した。それが一番安かった。
 時計を見ると十六時過ぎで、バイトは十七時からだった。家からスーパーまでは自転車で三十分はかかるので、もうあまり余裕は無かった。塩胡椒で味を整え、野菜炒めを皿に移した。まだ夕飯には早いので、ラップをかけてそのまま冷蔵庫に入れる。その時、玄関のチャイムが鳴った。
 すぐにはそれに応えず静かにドアまで行き、のぞき穴からそっと外を見ると、ポロシャツ姿の知らない女の人がいた。
 簡素な、何かのユニフォームらしきポロシャツだった。目を細めてその胸元を見てみると、◯◯市と、私が住む市の名前が刺繍してあった。それで市役所の人なのだと分かった。
 女の人は感情の読めない目でもう一度チャイムを鳴らした。私は、それも無視した。昨年学校であった生活環境アンケートの影響で、市役所の人が家に来ることがこの半年で何回かあった。代わる代わる来て、私の生活環境を改善したいだとか、それらしいことを言っていたが、面倒なので相手にしなかった。あんなアンケートに真面目に答えてしまったことをずっと後悔していた。
 女の人はもう一度チャイムを鳴らそうかどうかしばらく迷っていたが、けっきょく鳴らさずにそのまま立ち去って行った。溜息をついて部屋の中に戻る。「誰か来たの?」お父さんは横になったまま聞いた。傍らに置いてあるコップは既に空で、溶け出した氷が汚らしく畳を濡らしていた。「知らない人だった」私はコップを拾い上げて言った。お父さんは少し頷き、タオルケットを頭から被った。
 時計を見るともう十六時二十五分だった。私は急いでスーパーの制服に着替えた。
「お父さん、私、行くよ」
 お父さんはタオルケットを被ったまま頷いた。
「夕飯は野菜炒めが冷蔵庫にあるからお腹空いたら温めて食べて。ご飯は冷凍庫ね。ちゃんと食べるんだよ」
 お父さんはそれに対しては何も言わなかった。
 外に出ると予報通り雨が降り始めていた。雨だろうと自転車で行かなければならない。憂鬱な気持ちになったが、行かないという選択肢は無かった。玄関から雨がっぱを取ってきて頭から被る。百均で買った雨がっぱは二、三回使ったら端々が破れた。しかし、そう簡単に買い換えるのも勿体ないので限界まで使っていた。
 自転車を漕ぎ出すと、身体は雨がっぱでガードできたが、顔には容赦なく雨が降りかかった。化粧をしているわけでもないので直接的な被害は無いのだが、不快は不快だった。足取りの重い道のりがいつも以上に重くなる。
 何とか始業時間に間に合い勤務に入ると「林さん、早く早く」とすぐにレジ打ちに入れられた。バイト先のスーパーは隣町の駅前にある。特急列車の停まるベッドタウンなので、帰宅ラッシュとなる夕方の時間帯は忙しかった。仕事帰りのサラリーマン達が会計待ちの列を作る。ほとんどの人が疲れた顔をしていた。疲れているのはお互い様で、私はそれを無感情に捌いた。
 制服の脇腹あたりが濡れていた。おそらく雨がっぱの破れている部分から雨が入ってきたのだろう。今日も閉店の二十一時までのシフトだった。まだ始まって十五分しか経っていないのに随分と身体が疲れていた。冷静に考えたら三十分も雨の中を自転車で走ってきたのだ。それだけでも十分疲れる。高校生だと年齢を偽って働いているので、知り合いと会うのを避けるために校区外のスーパーまで来ていた。
 疲れてはいたが、気力で頑張った。蛍の光が店内に流れ出すと安心する。これでちゃんとお金がもらえるとのだと思えるからだ。暮らしていくため、お金のためにやっていることなのだ。それだけは絶対だった。
 スーパーから出る頃にもまだ雨が降っていた。散々と雨を生み落とす暗い空を恨むように見上げた。予報通りの天気ではあったが気持ちが滅入る。お父さんはちゃんとご飯を食べただろうか。明日の朝と昼用に取ってきた廃棄品のお弁当を、雨に濡れないようビニール袋に包んで前カゴに入れた。
 雨降りの夜道を、また自転車で家まで帰った。


 雨は夜のうちに降り止み、翌朝は初夏の爽やかな晴天だった。私は昨日の疲れが抜け切らず、身体がだるく重かった。昨晩スーパーから帰った後、お父さんの名義でやっている内職の仕事を深夜までやった。封筒に検尿キットを封入していくだけの単純作業。退屈な仕事だった。大したお金にはならないが、作業の場所と時間を限定されないのはありがたかった。
 授業中、我慢をしても欠伸が出る。睡眠時間が足りていない。ここ数ヶ月いつも調子が悪かった。友達もいないし、学校ではずっと一人でいた。勉強する時間も余裕も無いので成績も壊滅的だった。義務教育なんてくだらない制度を作った人間を呪った。学校なんて来たい人だけが来ればいいのに。家で眠っていたい。ぐっすり眠っていたい。
 アルコールが原因でお父さんが仕事を解雇されたのは、私が中学一年になってすぐのことだった。元々、お酒の失敗は多かった。二日酔いで急に休んだり、酔いが残ったまま仕事に行ったり。印刷会社の工場で働いていたのだが、周りにかなり迷惑を掛けていた。社長さんとは学生時代からの旧知の仲だったので見逃してもらえていた部分もあったが、素行を注意した同僚を殴って怪我をさせてしまい、いよいよ庇い切れなくなり解雇となった。
 長年お世話になっていた社長さんに見放されたことがショックだったのか、お父さんはそれから一気に自信を失ってしまい、ほとんど家から出ることも無くあの調子だった。自分でも、お酒が全てを壊したことは分かっているのに止められない。よく聞く依存性の病気なのかもしれないが、正式に病院にかかったことは無く、ちゃんとしたところは分からなかった。
 最初の頃は国からもらえる生活保護に加え、コロナ関連の補助金やら失業保険やらで何とか暮らせていたが、だんだんと苦しくなり、私が働きに出るしかなくなった。お父さんは若いうちに親戚とは縁を切っていて、頼れる人もほとんどいなかった。
 今私はスーパーのバイトと内職の仕事、それとお父さんの知り合いの葉子さんのお店の手伝いの三つを掛け持ちしている。それでも生活に余裕は無かった。
 休み時間になり、私はすぐに机に突っ伏す。やっと眠ることが許される時間になったのに、そうなると今度は眠れなかった。疲れた身体と覚醒した頭が噛み合わなくて気持ち悪かった。こういうことはよくあった。
 真っ暗な視界の中、隣の席の山下さんの話し声が聞こえる。
 美羽のやつ、やっぱり境田君と別れてたみたいよ。
 私は完全に寝入っているものだと思われているのか、秘密を隠すまでもない存在だと思われているのか、分からないが話は進んだ。
 やっぱりね。
 声からして会話の相手はクラスメイトの篠崎さんのようだった。二人は去年も同じクラスで(私も同じクラスだった)仲が良かった。
 マジかー、誰情報?
 沙耶香。ほら、あの子、美羽と同じバスケ部だから。
 三日も休んでるからおかしいなって思ってた。
 本人は何も言わなかったけど、ちょっと前から危ないって噂はあったもんね。
 どっちから?
 境田君からだったらしいよ。
 きっついなぁ。美羽、めっちゃ周りに自慢してたじゃん。
 境田君、モテるもんね。で、これはさらに噂なんだけどね。
 え、なになに?
 境田君、美羽と別れてもう別の子と付き合ってるらしいよ。
 うそ、早すぎでしょ。だってまだ数日じゃん。
 堪えきれずに笑い出す声だった。咳払いをしてみたが、二人の会話は止まることはなかった。
 一個下のテニス部の子らしい。怪しいよね。
 怪しいって?
 いや、だから被ってたんじゃないかなって。美羽とその子と。
 うわ、二股的な?
 そう言った篠崎さんの声は驚いたような嬉しそうなような何とも言えない声だった。話に出てくる「美羽」も「境田君」も私には心当たりがなかった。だから何の感情も生まれなかった。ただ、眠りを妨げられて不快なだけだった。恋愛なんて、している余裕があるだけ幸せだと思えばいいのに。振った振られたなんていくらでも上書きされていくものではないか。生活するにあたって必須事項ではない。それは、しっかりとしたベースがある上での戯れに過ぎない。浅いプールでじゃれているようなものだ。生きることの本質ではない。
 二人はそれからも取り止めのない話を続けた。聞きたくもない情報が耳から入ってくるのは嫌だったが、耳を塞ぐには疲れ過ぎていた。けっきょく眠れないまま次の授業のチャイムが鳴った。仕方なく顔を上げると、一気に視界が明るくなり頭がくらくらした。私の席は窓側の後ろから二席目で、教室の中がよく見渡せた。休み時間を各々過ごしていたクラスメイト達が水を打たれた鯉のように散っていき、そこには若さからなる無邪気さが見えた。私には無いものだった。気持ちが暗く汚れる。私はパン、と一度手を打った。
 教室内はまだざわついていたのでほとんどの人は気付くことなかったが、山下さんは気付いて、ぎょっとした目で私を見た。
 手を打てば何となく気持ちを切り替えることができた。生きていれば嫌なことがたくさんある。それを怒ったり愚痴ったりしても仕方がない。望んだりしない。そんなことをしても何も変わらない。死なない限り人生は続いて、嫌でも何かをしなければならないのだ。だから私は手を打って切り替える。そうすればまた次のステージが始まる気になれた。


 学校が終わり帰ると、家の前に昨日来た市役所の女の人がいた。昨日と同じポロシャツを着ていた。私のことを待っていたようだった。
「今くらいの時間かなと予想したのよね」
 女の人は得意げに言った。昨日はのぞき穴越しだったので気付かなかったが、随分小柄な人で、私の目線くらいまでの背丈しかなかった。おそらく、百五十センチも無いのではないか。トリートメントが効いたさらさらの黒髪をしていて、右腕に綺麗で小さな腕時計をしていた。育ちの良さそうな感じが見て取れた。
「林美貴子さんよね」
 私は正直に頷いた。
「昨日、居留守使ったでしょ」
 女の人はまた得意げに言った。「お見通しだよ」と言わんばかりの顔だった。初対面だが、私はこの人のことを嫌いだと思った。「忙しいんで」と強引に通り過ぎようとすると、「ちょっと待って」と腕を広げて行く手を阻まれた。
 ◯◯市役所 ヤングケアラー対策室 鈴木美沙
 渡された名刺にそう書いてあった。ヤングケアラー? 聞き慣れない言葉だった。以前は福祉何たらの人がよく来ていたが、管轄が変わっただろううか。
「お父さん、働いてないのよね?」
 鈴木さんは私の顔を覗き込んで言った。「私が力になるよ」と言わんばかりの顔だった。
「お母さんもあなたが小四の時にいなくなっちゃったのよね」
「それがあなたに何の関係があるんですか?」
 苛立ちから語気が強くなっていた。あんなアンケート、やっぱり破って捨てればよかった。
「大丈夫、大丈夫だから。落ち着いて。何もあなただけじゃないのよ、そういう人は。だから大丈夫」
 鈴木さんは両方の手のひらをこちらに向けて言った。それは獰猛な動物を宥めるような仕草で、私が間違った行動をしているのだと言わんばかりだった。「そういう人」がどういう人を指すのかも何が大丈夫なのかも分からず、苛立ちが募った。
「あなたはまだ中学生でしょう? ちゃんと勉強をして、友達を作ったり、真っ当な学生生活を送るべき年齢なのよ」
「真っ当て何ですか?」
 私がそう言うと、鈴木さんは目を見開いて不思議なものを見るような顔をした。感情がすぐに顔に出る人のようだった。それがまた私を苛立たせた。
「別に私も真っ当なつもりですけど」
「周りのみんなは普通に友達と遊んだり塾に行ったりしてるでしょう」
 普通。
 この人は何の権利があって基準を作るのか。それを押し付けるのか。
「本当に忙しいので帰ってください」
「待って。今日もこれからバイトなの?」
 そう言って鈴木さんはまた私の行く手を阻んだ。
「ごめん、昨日あなたが家から出てくるのを隠れたところから見てたの。隣町のスーパーまで行ってたよね? 働いてるところも見た。年齢を偽って働いてるのよね? そうじゃないとあんなところでバイトできないもん」
 胸がカッと熱くなり身体の中で言葉が焼けた。言いたいことはたくさんあったが、すぐには声にならなかった。つけられていたのだ。まったく気付かなかった。
 全部を知られている。しかし、そんなことをしていいのか? こっそり後をつけるだなんて卑劣な行為だ。確かに年齢を偽って働くのは悪いことかもしれない。でも、そうでもしなければ生きていけないのだ。私は生きるために必要なことをやっているだけだ。それを咎められるのであれば、それはもはや死ねと言われているも同然だ。
 「いや、別にそれを学校やバイト先にチクろうだなんて思ってないよ」と鈴木さんは私を安心させようと笑顔で言った。悔しいが少し安心した自分がいた。簡単にほいほいとバイト先を変えられるわけではないのだ。
「何がしたいんですか?」
 やっと出た声は酷く掠れていた。感情がもつれた。鈴木さんはそんな私を見て、「大丈夫、大丈夫よ」とぽんぽんと肩を叩いて言った。天使にでもなったつもりなのだろうか。何度「大丈夫」と言われてもやっぱり何が大丈夫なのかまったく分からなかった。
 鈴木さんは肩に掛けていた手提げ鞄から一枚のチラシを取り出した。A4サイズのカラーチラシには「◯◯市 第二回ヤングケアラー当事者交流会」と書いてあった。表題の下には、笑顔で青空の下を歩く学生服を着た男女のイラストがあった。健全さをアピールし過ぎて逆に胡散臭さを感じるデザインだった。
「何なんですか、これ?」
「ヤングケアラーってつまり、あなたと同じように本来は大人がやるべき家事や仕事を担ってる子供のことを言うんだけど、そういう子供達を集めて定期的に市で交流会をやってるの。それぞれの経験を共有する場で、話を聞くだけでもいいから一度参加してみてほしいのよ」
「それ、何か意味があるんですか?」
 私は半ば軽蔑するような目でチラシを見た。裏面には、第一回の交流会の様子だろうか、性別も年齢も違う数人の子供達が机を囲んで話をしている写真が載っていた。
「同じような境遇の人と話をすることは大切よ。自分一人じゃ分からないこともあるし、いろいろ気付きがあると思う。あなた、今の生活が当たり前になってない?」
 鈴木さんの言葉はいちいち引っかかった。当たり前ではない生活とは何なのか? 何が異常で何が「普通」なのだろうか。基準の問題か。何にせよ、それをこの人に決められる筋合いはやはり無い。
「そんなのに行ってる時間は無いので、いいです。それに私、別に今の暮らしに不満も無いですし。大丈夫なので」
「何が大丈夫よ」
 鈴木さんは説き伏せるような目をして言った。
「そんな若いのに苦労して。ねぇ、そういうの、あなたが全部背負い込むことないのよ」
 そういうのってどういうのだ? それに、最初に大丈夫だと言ったのはあなたじゃないか。そろそろ本気で疲れてきた。もうこれ以上この人と話をする気になれなかった。私は黙ってドアノブに手を掛けた。
「ね、オンラインでもいいからさ。交流会、一度検討してみてよ。お願いね」
 ドアが閉まり切る直前まで鈴木さんはお願いしていた。さすがにそれ以上は追って来なかった。オンラインでもだなんて言われても、うちにはスマホもパソコンも無い。鍵を掛けると力が抜けてぐったりとした。
 返せば良かったのに、交流会のチラシを持ったまま部屋に入ってしまった。同じような境遇の人と話して、それでいったい何だというのだ。そんなことをしても別に何かが変わるわけでもない。そもそも変えたいとも思っていない。チラシはそのまま半分に破いてゴミ箱に捨てた。
「酒」
 私の姿を見るなりベッドからお父さんは言った。滞った濁流のようなくぐもった声だった。機嫌が悪いのだとすぐに分かった。
「今無いよ。夜に葉子さんのところ行ってもらってくるから。ちょっと待ってて」
「酒!」
 お父さんはベッドから起き上がり、膝をバンバンと叩きながら言った。かなり良くない状態だった。
「それに、帰りが遅い。何でこんなに遅い?」
「ごめん。ちょっと市役所の人に捕まっちゃって」
「市役所?」
 言った後にしまったと思った。お父さんは役所の人が昔から大嫌いだった。何があったのか(何もないのか)は知らないが、ほとんど恨んでいると言ってもいいくらいだった。
「どこでぇ!」
 お父さんは怒りを叩きつけるように私に怒鳴った。恐怖で身体が固まった。
「……家の前で」
「まだその辺りにいるかもしれない」
 お父さんはそう言って玄関の方に歩き出した。私はそれを身を挺して止めた。
「待って、大丈夫だから。何も無いし、何もされてない。ただちょっと話しただけだから。落ち着いて」
 自分で言っておいて「大丈夫」という言葉の嘘臭さを痛感した。本当に大丈夫な時、人は「大丈夫」だなんて言わない。お父さんは力任せに私の身体を引き摺った。まともに食事も取っていない痩せ細った身体でも、ちゃんと男の人の力だった。
「大丈夫だから。もう行っちゃったし。私、お酒買ってくるから。コンビニで買ってくるから」
 そう言うとお父さんは少し落ち着いた。「さっさと行ってこい」と言ってまたベッドに戻って行った。普段は大人しいのに、お酒が無くなるとお父さんは乱暴になる。
 私は制服を脱ぎ、箪笥に掛けていたエメラルドのトップスと紺のパンツを着た。どちらもお母さんが置いて行ったものだった。
 マスクを付けて近くのコンビニまで急ぐ。店内に入ると、幸いなことにクラスメイト等、私のことを知る人はいなかった。空調が効いていた。冷やされて初めて自分が汗をかいていたことに気付いた。
 ウイスキーの瓶を一本手に取ってすぐにレジへ向かう。店員さんは初めて見る大学生っぽい男の人だった。年齢を悟られないように、このコンビニには今日のような緊急時にしか来ないようにしていた。店員さんは大人の服を着たこの不自然な中学生を一瞥したものの、「年齢確認ボタンをお願いします」とあっさりお酒を売ってくれた。
 会計を済まし足早にコンビニを出る。通り過ぎる時、店の窓に映る自分の姿を見た。お母さんの服を着た私は、記憶に残るお母さんの像と嫌になるほど重なった。
 鈴木さんが言った通り、お母さんは私が小四の時に家を出て行った。ちゃんと法的な手続きを済ませたのかどうかも分からないが、それきり二度と帰って来ることは無かった。
 私はお母さんのことを恨んでいた。
 お母さんは優しかった。炎天下の夏空の下、私に麦わら帽子を被せた。頭を撫でた。あれは、いったいいくつくらいの記憶だろうか。幼稚園の頃のような気もするし、小学校に入ってからのような気もする。場所も定かではない。そのような記憶が断片的に残っていた。断片的なのはそれが破片であるからであって、すべてはお母さんが自分の手で壊した。手元に残っているのはその破片だけだった。
 確かにお父さんの暴力はあった。可哀想だと思ったこともあった。でも結果的に私を置いて出て行ったのはお母さんだ。私は捨てられたのだ。でもお父さんは違う。お父さんは私を捨てない。だから私はお父さんのことを守らなければならないのだ。
 家まで戻り五階までの階段を登っていると、三階の踊り場で昔から同じ棟に住んでいるおばさんとすれ違った。彼女は私を見て驚いたような顔をした。何年も前に消えたお母さんを見たと思い驚いたのか、それとも不釣り合いな服を着た私に驚いたのか。ウイスキーの瓶はエコバッグに入れていたからおそらく気付かれてはいないだろう。
 五階の抜けた階段部分から開けた街並みが見える。誰の声も聞こえず静かだった。お父さんはどうしているだろうか。ドアの前で一拍置き、私は肘を折り曲げて丁寧に手を打つ。ドアノブにそっと手を掛ける。


 バイト先のスーパーを通り過ぎて駅の反対側に行くと、街の余りを埋め合わせたような小さな繁華街がある。葉子さんのお店はちょうどその真ん中にある建物の二階で、私の倍は生きていそうな古いエレベーターで上まで上がる。店のドアを開けると葉子さんがカウンターの中で煙草を吸っていた。まだ開店前なのでお客さんは誰もいない。
「おはよう」
 葉子さんの挨拶は何時でも「おはよう」だった。だから私も「おはようございます」と返す。
「暑いね」
「暑いです」
 私は手首で額の汗を拭った。まだ六月だったが真夏のような毎日が続いていた。昨日は久しぶりに雨が降ったが、例年よりも雨の少ない梅雨だった。
「どうすればいいですか?」
 私はカウンターの中に入って聞いた。
「じゃがいも、茹でるところまでやってあるからポテトサラダ作ってくれる? クリームチーズも入れて。あと、いつものピザを四枚焼こう」
「分かりました」
 私はボウルに入れられたじゃがいもの皮を剥いた。お湯から取り出されたばかりのじゃがいもはまだしっかりと熱を持っていた。葉子さんは煙草を吸ったまま隣でピザに乗せる具材のウインナーを切った。
「そういえば、そろそろ期末試験じゃないの?」
「明後日からです」
「そうよね」
「何で分かったんですか?」
「六郎がそろそろだって言ってたから」
「あぁ」
 六郎は葉子さんの息子だった。そういえば今年から中学生だった。
「勉強してるの?」
「いや、まったく」
 本当にまったくだった。そんな時間的余裕はなかった。別にいつものことなのだが。中学に留年は無いので成績など気にしていなかった。
「まぁ、私も勉強なんてしなかったからね。勉強しろなんてことは言えないよ」
 葉子さんはそう言って笑った。四十代半ばで、お父さんと同じくらいの歳だが、葉子さんの方が断然若く見えた。
「やっぱり高校には行かないの?」
「行かないです。働きます」
 これ以上学校になんて行きたくない。我ながらよく我慢したと思うくらいだった。それに中学を出たら堂々と働けるようになるのだ。昼間の時間もバイトに使えるのなら、その分暮らしを良くすることもできるだろう。高校に進学する理由なんて一つも無かった。
 剥いたじゃがいもをボウルの中で木べらを使いマッシュした。ポテトサラダは定番のお通しメニューで、よく作るからもう慣れていた。クリームチーズを入れるのは葉子さんのこだわりだった。
 葉子さんはお父さんの古くからの知り合いで、私はそのツテで葉子さんのやっているお店でお通しだったりちょっとした料理を作るバイトをしていた。バイトと言ってもお金をもらうことは稀で、基本的にはお酒の現物支給だった。私の年齢ではお酒は普通には買えないので、もらえるのはありがたかった。
 葉子さんとお父さんがどういう関係だったのかは知らない。幼馴染だったのかもしれないし、不倫関係にあったのかもしれない。聞いたことはなかった。私が知り合ったのはお母さんがいなくなってからで、それ以前のことは何も知らなかった。しかし別に何だって良かった。親切にしてくれるのはありがたかった。
 ポテトサラダを完成させ、葉子さんが切った具材をピザに盛り付けてオーブンに入れた。葉子さんのお店のオーブンは大きく、ピザが上下で二枚入った。このピザは葉子さんのお店の名物でもあった。
 料理を作り終え、その他の準備も全部済ませてちょうど開店時間の二十時だった。
「お疲れ様。もう今日は大丈夫だよ」
 そう言って葉子さんはウイスキーの瓶二本が入ったビニール袋を私に渡した。これで二週間分だった。気持ち程度にアルミホイルに包まれたピザも一緒に入っていた。
「孝雄さんは元気?」
「まぁ、相変わらずです」
 孝雄はお父さんの名だ。葉子さんは、私に対しては孝雄さんと言うが、お父さん本人には孝雄ちゃんと呼んでいた。
「飲まなきゃやってられないってのも分かるけど、くれぐれも飲み過ぎないようにね」
「はい」
 自分が渡している以上のお酒をお父さんが飲んでいることを、葉子さんは知らない。私が年齢を偽って働いたり、無理してお酒を買っていることを知らない。葉子さんは自分が渡すお酒の量で私達家族のことを管理しているつもりだった。
「ね、美貴ちゃん。まだちょっと時間ある?」
「大丈夫ですよ」
 お父さんはウイスキーを飲んで寝ていたし、まだ大丈夫だろう。
「悪いんだけど、これ六郎のところに届けてくれない?」
 タッパーに入ったポテトサラダとピザだった。
「六郎の夕飯。今日時間が無くて作れなくて」
「いいですよ。届けて帰ります」
「ありがとう。助かるわ」
 外に出ると空はすっかり暗くなっていて、逆に、街はネオンで明るくなっていた。日が高い時間帯にはこの辺りにはほとんど人が来ない。今くらいになってようやく人通りができていた。まるで世界の裏側のようだった。歩いているのは大人ばかりで、「変な目で見られるから店を出たらすぐに通りを出なさい」と葉子さんからは強く言われていた。
 葉子さんと六郎の住むマンションはお店と私の家のちょうど中間くらいにあった。
 行く道の途中、自転車で大きな川を渡る。骨ばった地面の色が橋の下にぼんやりと浮かぶ。水の量がかなり減っているのが暗がりでも分かった。雨が足りていないのだろう。橋を抜けたところで道の出っ張りを踏み、自転車が大きく揺れた。荷物が飛び出さないように前カゴを咄嗟に抑える。他のものはともかく、お酒を割ってしまったら一大事だった。お父さんに何と言われるか分からない。一瞬バランスを崩したが、すぐに取り直してまたペダルを踏み込んだ。
 葉子さんの部屋はうちと同じ五階だったが、こちらのマンションにはちゃんとエレベーターがあった。曲がり角を曲がるとすぐに見える角の部屋。明かりがついていた。
 五階まで上がって部屋のインターフォンを押す。しばらく経って「はい」と六郎の不機嫌そうな声がインターフォンから聞こえた。「私、美貴子」と応えると、チッ、と舌打ちみたいな声が聞こえて音声が切れた。ドタドタ、ガチャガチャと音を立て、中から六郎が出てきた。
「あんたさっき舌打ちしなかった?」
「は? してねぇし」
 六郎はやはり不機嫌だった。
「インターフォンのノイズじゃねえの。ずっと調子悪いし」
 確かにインターフォン越しの六郎の声は酷くひび割れていた。ノイズと言われると、そうだったのかもしれない。
「何してたの?」
「寝てたよ」
「はぁ? こんな時間から?」
「部活から帰ってきてから一時間ほど」
「え、あんた部活してんの?」
「うん。サッカー部」
 そう言われてみれば葉子さんがそんなことを言っていたような気もする。
 六郎に会うのは二か月ぶりくらいだった。久しぶりに会った六郎は彼の通う隣町の公立中学の体操服を着て、すっかり中学生らしくなっていた。背も少し伸びたような気がする。私とそう変わらないくらいになっていた。
「で、何?」
「何じゃないわよ。夕飯。葉子さんから」
「おお。ありがとう。飯無いなぁって思ってたんよ」
 現金なもので、ご飯を渡すと六郎は急に笑顔になった。
 六郎にはお父さんがいなかった。物心ついた頃にはもういなかったらしい。離婚したのか死んだのかも知らない、と前に言っていた。ずっと葉子さんと二人、母子家庭で暮らしていた。
「じゃあ、また」
 手を振って六郎の部屋を後にした。「気をつけて帰って」と言われて、六郎もそんなことが言えるようになったのかと少し関心した。
 また自転車に乗って帰り道を急いだ。携帯電話を持っていないので、外からは家の様子を知る手段が無い。急にお父さんのことが心配になった。月明かりと湿度が入り混じった道を行く。夏が来る。だから何だというわけでもないが夏が来る。


 学校から帰るとまた鈴木さんが来ていた。今日はいつものポロシャツではなく薄手のビジネススーツを着ていた。「おかえり」と屈託の無い笑顔で言われても、迷惑以外の何者でもなかった。
 この前のことがあったので家の前で押し問答するのは嫌だった。万が一お父さんが気付いて出てきたら大変なことになる。「近くの公園まで移動させてください」と私が言うと、それを脈ありだと捉えたのか、鈴木さんは目に見えて嬉しそうな顔をした。相変わらずいちいち癪に触る人だった。
 公園には今日もたくさんの子供達がいた。夕方近くなった今くらいの時間帯でも直射日光は強く、じりじりと肌が焼かれて暑かった。複合遊具は変わらずの人気で、奪い合うように子供達が群がっていた。私達は少し離れたベンチからその光景を眺めていた。
「やっぱり子供はああでなくちゃね」
 鈴木さんは微笑みを浮かべて言った。嫌味で言ったのか本気で言ったのかよく分からなかった。訝しげな目でその横顔を見ていたら、やがて私の視線に気付き、「あ、今日は夕方から講演会だからこの服なのよ」と、鈴木さんはまったく見当違いなことを言った。
「何ですか? 講演会って」
「**県ヤングケアラー支援に関する講演会。◯◯市は県内でも子育て支援関係の取り組みが進んでる市だからね。近隣の地域を代表して活動内容を講演会で発表するのよ」
「鈴木さんが発表するんですか?」
「まさか」
 鈴木さんは吹き出すように笑った。
「私みたいな若手が話すわけないじゃない。ちゃんとした講演会よ? うちの対策室長が話すに決まってんじゃん」
 なぜだか鈴木さんは嬉しそうだった。講演会とはそんなに楽しいイベントなのだろうか。行ったことが無いので分からないが、さっき聞いたタイトルからしてまったく楽しそうには思えなかった。
「もし私が話すのなら、こんな直前にあなたに会いに来てないわよ。多分、緊張してトイレに閉じこもってると思うわ。私、講演とか発表とかそういうの苦手なタイプなのよ。緊張しちゃうのよね」
「そうですか」
 心底どうでもよかった。
「ね、あれから交流会のこと考えてくれた?」
「だから、行かないって答えたじゃないですか」
「一度来てみてよぉ。絶対損はしないよ。オンラインでもいいからさ」
「前の時言いそびれてたんですけど、私スマホもパソコンも持ってないんです」
「えっ、そうなの?」
 鈴木さんは憐れむような目で私のことを見た。現代社会の必需品なのか知らないが、別にそんなものが無くても生活はできている。だから、そんな目で見られる筋合いは無い。
 そうであるのが正しいとか、そうあるべきが普通だとか、そういうのはもううんざりだった。別に何がなんだろうと生きているわけで、その上でそれぞれできないこともやれないこともたくさんある。それを嘆いたり嫉妬したりしても仕方がない。そんなものはもっと良くなりたいと願うから生まれる感情なわけで、私は別に現状のままで構わない。生活に不満は無かった。お父さんとこのまま二人で暮らしていければそれでいい。だからその生活を異常だと言われるのは心外だった。
「来てよぉ。次はお盆明けにあるの。まだ夏休み中だよ。一日くらいバイト空けてよ」
 なぜか私はチラシに書いてあった交流会の明確な日にちを覚えていた。しかしそのことを鈴木さんには言わなかった。興味があると思われたらたまらない。
「行きませんって」
 私は唇をキュッと噛んで言った。まるで私が聞き分けが悪い人間かのように、今度は鈴木さんが溜息をついた。
「何でそんなに私を誘うんですか?」
 腹が立って聞いてみた。
「一人でも多くの子に交流会に来てほしいから」
「何でなんですか? 他にも参加する人がいるなら別にいいじゃないですか。断ったんだからもう諦めてくださいよ」
「前回ね、六人の子が参加したの。だから今回は十人の参加者を目標にしてるのよ」
「目標……」
「そう。実際、今八人まで集まってて、あとちょっとなのよ。市として伸ばしていきたい事業だし、とにかく成果が欲しくてね。だからどうしてもあなたに来てほしいってわけ」
「いや、それって」
 そこまで言って私は言葉に詰まった。来てほしいのは「あなた」ではなく「誰か」ではないか。参加人数を稼ぎたいだけなのだ。馬鹿な私にだってそれくらい分かった。ここまで来るともう、怒りより呆れが勝った。
「鈴木さんは、どんな家庭で育ったんですか?」
 なぜそんなことを聞いたのか自分でも分からなかったが、無性にそれを知りたくなった。
「私? 別に普通の家庭よ」
 また普通。私は嫌な顔をしたが、鈴木さんはそれには気付かなかった。
「お父さんはサラリーマンで、銀行に勤めてたわ。今もまだシニアパートナーとして働いてるけど、でもあと三年くらいかなぁ。大手の銀行ではなくて、いわゆる地銀よ。地銀。でも、それなりに出世して良いポジションにはなってたみたい。詳しくは知らないけどね。お母さんは基本的には専業主婦。ほんのたまにパート? バイト? はしてたけど、あんまり印象に残ってない。ただ、年に一度、年賀状の仕分けをするバイトは毎年してた。分かる? 配達しやすくするために地域毎に仕分けするやつ。まぁ、でもそれくらいかなぁ。兄弟は二つ年上のお姉ちゃんがいて、私と同じ大学を出てシステム会社に就職したわ。昨年会社の同僚と結婚して、子供はまだいない。私は地元の小中高に通って、大学でこっちの方に出てきた。そんな家族。家庭? まぁ、仲は良い方かなぁ」
 こんな感じだけど? と鈴木さんは普通のことを普通に話すように話した。でもそれは私にとっては普通のことではなかった。何一つ私が持っていないものだった。
 だがしかし、悔しさや妬みの感情は一切生まれて来なかった。むしろ、思っていた通りだなという感じで妙に納得ができた。良いとか悪いとか、普通とか普通でないとかの次元ではなく、単純に、鈴木さんに私の気持ちは分からない。分かりっこない。
 偽善である。けっきょく余裕のある人間は偽善を切り売って生きている。別にそれを悪いことだとは言わない。ただ、私はそうではなく、生きるために何とか生きている人間なのだ。そこから生まれる善意は量は少なくとも、偽善なんかよりもずっと尊いものではないかと思う。私の心の中には潰れたトマトがある。それは、綺麗ではないかもしれないが、きっと熟れたもののはずだ。私はそう信じている。だから誰に見下される筋合いも無いし、馴れ合う必要も無い。
 会話が途切れて、しばらく二人でぼうっと遊び回る子供達を目で追っていた。自由とは良いものだ。それは私が、きっと鈴木さんも、失ったもので、だからこそずっと見ていられる。
「じゃあ、そろそろ行くわ」
 十分くらい経った頃、鈴木さんは唐突に時計を見て言った。この前付けていたのと同じ時計だった。可愛いデザインだったから覚えていた。
 講演会。正直言って食い物にされているようで気分は良くなかった。それでも一応、「頑張ってください」と言った。乾いた砂のような言葉だったが、鈴木さんはやはり気付きもせず、「ありがとう」と笑顔で公園を去って行った。子供達はまだ遊び続けていた。私もじきに帰った。


 試験が始まった週の週末、私は店長に呼び出され、スーパーのバイトをクビになった。
 バックヤードに呼ばれた時から嫌な予感はしていた。同族経営二代目の店長は、まだそんな歳でもないのにでっぷりと太っていて、冷房の効いたバックヤードにずっと引きこもっているにもかかわらず額にしっかりと汗をかいていた。
 「林さん、実は高校生じゃないんでしょ?」と言われた時、真っ先に浮かんだのは鈴木さんの顔だった。しかし、鈴木さんは関係無かった。
「田村さん、分かる? 新しく入った」
「分かりません」
 本当に分からなかった。バイトのメンバーとは極力関わりを持たないようにしていたし、新しく人が入っていたことすら知らなかった。
「彼女、◯◯工業高校なの。で、林さんも◯◯工業の一年。履歴書にはそう書いてあるよね?」
 そう言って店長は私の履歴書をテーブルの上に置いた。写真枠の中からいつかの私がこちらを見ていた。それは駅前にある証明写真機で撮った写真だった。写真写りは悪かったが、実年齢よりも老けて見えたから良しとした写真。
 私が何も言わずに黙っていたので、店長は溜息をついて話し出した。
「田村さんが面接で◯◯工業在籍って言うから林さんのこと話してみたの。学年も一緒だったからね。でもそんな人いないって言われて。まぁ、最初は同級生なんてそんなものかなぁ、って思ったんだけど、◯◯工業は一学年の人数も少ないし、間違いないって言われて、僕も不安になったの。それで学校に問い合わせてみたら、同じようにそんな生徒はいないって言われて」
 私は俯いたまま膝の上できゅっと握った自分の二つの拳を見た。簡単にバイトをクビになるわけにはいかない。でも上手い言い訳が一つも浮かばなかった。
「本当は何歳?」
 しばらくの沈黙の後、「十四です」と観念して答えた。来月で十五です、とささやかな抵抗をしようかと思ったが、そんなことをしても何の意味も無いので言わなかった。十五歳でも中学生は雇えない。店長はもう一度、今度はさっきよりもずっと深く溜息をついた。
「正直さ、君が廃棄品のお弁当を定期的に持って帰ってることにも気付いてたんだよ。あれも本当はアウトだからね。廃棄品も店舗の財産だからさ。許可なく持ち帰るのは窃盗なの。まぁ、高校生のやることだしって、僕も多少は大目に見てたんだけど、さすがに年齢詐称は無理。黙って雇ってたらこちらが犯罪者になっちゃうから」
 私は俯いたまま頷いた。いつかはこんな日が来ることを、心のどこかで分かっていたような気もする。抵抗しても無駄なことは明白だった。「このまま黙って辞めてくれたらそれで見過ごすから」という店長の言葉に素直に従うしか選択肢はなかった。
 バックヤードを出て出入り口に向かって歩いて行く。だんだんと人の入りが多くなる時間帯だった。見たことのある顔と知らない顔とがすれ違い、もう二度とここに来ることは無いだろうと、突然のことではあったが頭はちゃんと状況を理解していた。「お疲れ様」と顔は知っているが名前は知らないパートのおばちゃんが私に笑いかける。また明日もバイトに来ると思っているのだろう。
 けっきょくシフトにも入らずそのまま帰ることになった。外に出るとまだ明るくて、見慣れない時間帯の景色に違和感を覚えた。ここに立ち止まっていても仕方がないので自転車に乗った。帰り道、どんなに考えても「田村さん」についてイメージの片鱗も浮かばなかった。それでも私は田村さんが憎かった。
 確かに私は◯◯工業ではない。年齢と経歴を偽った。そしてその田村さんは◯◯工業なのかもしれない。嘘がいけないことはもちろん分かっているが、田村さんが私の居場所を奪う必要は無い。そんなことをしても田村さんには何のメリットも無い。たまたま視界に入った子虫を叩き潰したくらいの感覚なのだろうが、それで私は容易に死ねる。想像力が欠如しているのだ。田村さんは、生きることの難しさを分かっていない。顔も知らない田村さんへ、恨みの言葉が際限なく溢れた。信号で停まった時に思い切り手を叩いた。でも今日は、すぐにすっきり切り替えられなかった。
 家に帰るとお父さんは驚いた顔で私を見た。
「早いね」
 ベッドから半身を起こして言った。アルコールの匂いがする。ベッドサイドにウイスキーの空き瓶が転がっていた。最近はコップに移さずに瓶から直接飲むことが多くなっていた。
「バイト、クビになっちゃった」
「あぁ、そう」
 お父さんは目を丸くして言ったが、おそらくその意味をちゃんとは理解できていない。
 国からもらえるお金だけではあんなにお酒を買うことはできない。葉子さんからもらっている分があるとしても全然足りないのだ。スーパーのバイトが無くなるとその分収入が落ちる。今まで以上に家計が圧迫される。簡単に次のバイトを見つけられるわけでもない。面接の時に身分証明書やマイナンバーの提示を求められるので、年齢を偽ることも難しかった。あのスーパーで働けたのもたまたま運が良かったからだ。そんな絶望的な状況をお父さんは多分理解できていない。
 それでも私はお父さんのことを守っていかなければならなかった。何かが壊れたとしても諦められないものがある。暮らしを守るために、また何かを考えて立て直さなければならない。その連続こそが生きていくということだと私は思う。別に普通のことだ。普通のことを普通にしているだけだ。特別なことではない。
 空き瓶を拾ってゴミ箱に捨てると瓶と瓶がぶつかる生々しい音が部屋に響いた。お父さんは欠伸をしてベッドの上でタオルケットに丸まっていた。換気のために窓を開ける。遠くの空が世界の終わりを告げるかのように橙色に暮れていた。


 試験期間はあっと言う間に終わった。当たり前と言えば当たり前なのだが成績は最悪で、私はいくつかの教科で追試を受けることになった。それに出席日数が足りていない教科もあり、補習もあった。
 数学の補習は誰の都合か分からないが土曜日にあった。わざわざ休みの日に学校に来るのは億劫だった。教室に着いた後、なぜ律儀に来てしまったのだろうかと自分でも不思議に思った。
 先生達も私の進学については早い段階で諦めていた。学力的にも家庭環境的にも進学は無いだろうと思われていた。それは私自身もそう思っていたので、双方の意識は合っていた。進学しないとなると、就職という選択肢に進むのが普通なのだが、お父さんの調子が安定しない状況なので、正社員として働くのは難しいと思っていた。卒業後は時間に融通のきくアルバイトをいくつか掛け持ちして生計を立てていこうと考えていた。
 補習の席は自由だったが、何となく慣れた窓側の後ろから二番目の席に座った。教室には五人の生徒が来ていた。そもそもこの補習の対象者がそれくらいなのか、みんな来ているのかどうかは分からない。授業が始まるまでまだ五分ほど時間があった。教室の前で二人の女子生徒が立て掛けたスマホに向かって笑顔で踊っていた。大方、配信アプリに上げる動画を撮影しているのだろう。別に珍しい光景ではなかった。二人は、隣のクラスの安田さんと大貫さんだった。話したことはないが昨年は同じクラスだった。久しぶりに見たら、中二の頃よりも明らかに髪色が明るくなっていた。
 ああいうふうに撮った動画は、いったいどうやって世に配信されるのだろうか。何か編集を施すのだろうか。それともそのまま配信するのだろうか。撮っている姿はよく見るが、実際にできあがった動画を見たことはなかった。人は自分の目で見られる世界しか知り得ない。スマホが無いことは世界の範囲を大きく狭めていた。私にその時間があるのか、と言うのはまた別の問題として。
 授業が終わるチャイムの音で目が覚めた。けっきょくほとんど眠っていた。いよいよ本当に何のために来たのか分からない。寝てしまったことよりも来てしまったことを後悔した。
 教室を出て下足室へ歩いていると、水飲み場で六郎と会った。
「は? 何してんの?」
 驚いた。六郎は隣の中学なので、うちの中学で会うことは無い。
「練習試合」
 そう言って六郎はグラウンドの方を指差した。うちの中学の体操服を来た集団と六郎の中学の体操服を来た集団がそれぞれに分かれてウォーミングアップをしていた。試合前のようだった。六郎は大きな給水タンクにポカリスウェットの粉を入れていた。
「パシり?」
「いや、言い方。俺、一年なんだから」
「試合出られないの?」
「まだ、出られないよ。嫌みだなぁ」
「別にそんなつもりはないけど」
 本当に嫌みのつもりはなかった。私は部活をしたことがないので、先輩後輩の序列とかそういうのをよく知らなかっただけだ。
 六郎のまだ華奢な腕が給水タンクを持ち上げると、中でカラカラと氷がぶつかる音がした。重そうだった。「ポカリ、一口ちょうだい」と言うと、「何で? やだよ」と普通に断られた。太陽は今日も暴力的な熱量を放ち、日向にいるとそれだけでだらだらと汗が流れた。
「暑いのによくやるね」
「うるせー。そっちこそ土曜日に何してんだよ」
「補習」
「だっせ」
 六郎は笑った。勉強のことなんてどうでもいいと思っていても馬鹿にされると腹が立つ。特に六郎には。
 キャプテンらしき背の高い男子が「集合!」とグラウンドの中心で声を張った。六郎も慌ててその輪の中に走って行った。建設的で真っ当な夏の光景だった。私はその背中に小さく手を振った。
 校門まで来た時に家の鍵が無いことに気付いた。
 朝、授業が始まる前には確実にあった。教室でポケットから鞄に移し替えた記憶がある。となると、鞄から何かを出す時に落としたのだろう。ここまで来て面倒だったが、そうも言っていられないので教室まで戻った。
 三年生の教室は三階にある。当然エレベーターなんて無いので階段を登る。蝉の声が聞こえた。お父さんはちゃんと扇風機をつけているだろうか? 不意に心配になった。こんな暑い中お酒を飲んで寝ていたら熱中症になってしまう。
 教室のドアを開けた時、入り口のところで安田さんと大貫さんとすれ違った。二人は何やら笑い合っていたが、私の顔を見ると一瞬笑顔を止めた。しかし特に話し掛けるでもなく、まるで何もなかったかのようにまた笑って教室を出て行った。補習が終わってからもまだ動画を撮っていたのだろうか。あの二人は昨年から仲が良かった。二人で同時に休む日もちょくちょくあって、確実に遊びに行っているだろうと関係の無い私でも分かった。補習に出ているところからして、今年も同じようなことをしていたのだろう。
 鍵は私が座っていた席の下に落ちていた。とりあえず無事に見つかって安心した。家の鍵はこれ一つしかないので無くしたらかなり困ることになる。
 教室には誰もおらず、安田さんと大貫さんのものだと思われる鞄だけが置いてあった。どちらの鞄か分からないが、だらしなく開いたファスナーの隙間から黒の財布が頭を出していた。私は近づき、それを中から取り出した。私でも名前を聞いたことのある流行りのブランド名が銀文字で刻印された長財布だった。
 私は財布を開けて中身を確認した。躊躇いは無かった。三千円入っていた。それを抜き出して制服のポケットにねじ込んだ。
 辺りは静かだった。何の音も聞こえなかった。心の音も夏の音も。無かった。無音だった。この世界が消えてしまったような感覚を覚えた。だけど、世界はそんな簡単には消えない。消えてくれない。全部が無しになったらどれだけ楽か。そんなことにはならないから私も生きる。
 二人が戻る前に私は教室を立ち去った。


 もちろんそれで話が終わることはなかった。月曜日の朝、隣のクラスから安田さんと大貫さんが揃って私のところに来た。一目見ただけで怒っていることが分かる顔をしていた。
「あんた、大貫の財布からお金抜いたでしょ」
 安田さんは周りも気にせずいきなり私のことを怒鳴った。一限目終わりの休み時間だった。私はまだ昨夜の内職の疲れが残っていてぼんやりとしていた。
「知らない」
 言いながら、あれは大貫さんの財布だったのか、と思った。「嘘つけよ」と今度は大貫さんが私の机をバンと叩いた。手を打つよりも数倍大きな音がした。私は冷めた目でその様子を見ていた。二人ともその目がまた気に入らなかったようで、怒りは増すばかりだった。
「しらばっくれんなよ。あの時、お前しかいなかっただろ。教室入る時にすれ違ったよな? お前以外の誰が盗るんだよ」
 そう言って安田さんは私の制服の襟首を掴んだ。私の身体は勢いに負け、椅子ごと後ろに押し出された。突然のことにクラスメイト達は騒然としていた。悲鳴が聞こえた。笑い声も聞こえた。好奇の目で見られていることは誰の目を見なくとも想像がついた。
 私は「知らないって言ってんだろ」と言って二人を睨んだ。なぜか怒りの感情が生まれた。これは本当に「なぜか」で、実際大貫さんの財布からお金を抜いたのは私なのだ。その私が怒る理由など一つも無い。暴力を振るわれたから? しかし理不尽な暴力ではない。肯定できる行為ではないが、ちゃんと理由はあった。しかし無性に腹が立った。私が腹を立てると、二人もまた腹を立てた。「てめぇ、ふざけんなよ」と安田さんはさらに私の身体を後ろに押した。椅子の背中が後ろの席の机にぶつかり、それがさらに誰かの身体に当たった感触がした。私の後ろの席には小柄で大人しい男子生徒が座っていた。名前も覚えていないし、話したこともなかった。二人の勢いに押されているのか、理不尽にぶつかられているにもかかわらず何も言ってこなかった。
 私は机の上にあった筆箱を安田さんに投げつけ、二人が怯んだ隙に走って教室を出て行った。「待てよ!」と大貫さんの怒号が後ろから聞こえた。振り返ることはなかったが、二人も走って追いかけて来ていることは気配で分かった。
 運動不足なのかすぐに息が上がった。少しペースを落とそうと思った時に、安田さんの手が私のシャツを掴み、強引に壁に押し付けた。勢いで上二つのボタンが弾け飛んだ。骨が折れたのではないかという激痛が右腕に走り、私はそのまま廊下に蹲った。無我夢中で走ったが、思った以上にすぐに捕まった。情け無い気持ちになり、ついつい笑みが溢れた。
 「何笑ってんだよ」と言って大貫さんが私のくしゃくしゃになったシャツの襟首を掴んだ。殴られるかもしれない、ということより先にシャツのことが頭に浮かんだ。これ一着しか持っていないので破られると困る。一年の頃から繰り返し使っているので、生地もかなり弱っているはずだ。
「お金返せよ」
「だから知らないって言ってんじゃん」
 私は半笑いで言った。
 いよいよ大貫さんが拳を固めた時、「止めなさい!」と叫んで誰かが私達の間に割って入った。担任の越谷先生だった。越谷先生はまだ二十代前半の若い女性の先生で、必死の形相で私達を引き離した。その気迫に押されて何となく二人も一歩下がる。しかし怒りは消えていなかった。「こいつが大貫のお金を盗んだんだよ!」と安田さんが私を指差して声を張った。
「本当なの?」
 越谷先生は肩で息をしながら私を見た。「知りません」と私は言った。抜き取ったお金はもう無い。すでに昨日の帰りにスーパーで使ってしまっていた。返せない以上は認めるわけにもいかなかった。「嘘つくなよ!」と猛る安田さんを越谷先生は身体を張って止めた。
 二人を抑えながら、越谷先生は振り返り私の目を見た。憐れむような目だった。ほんの一瞬のことだったが、その目は私の心に棘のように刺さった。
「行きなさい」
 そう言って越谷先生は二人を行かせた。二人はまだ不満を口にしていたが、越谷先生は譲らなかった。半ば無理矢理二人を教室に戻した。
「制服、破れてる」
 そう言われて襟元を確認したが破れてはおらず、越谷先生が指差すのを見て、初めて左側の脇のところが破れていることに気づいた。これは今のいざこざで破れたのか、元々破れていたのか、正直言って分からなかった。
 「来なさい」と言われて保健室へ連れられた。カーテンで区切られたベッドに通され、ここで待っているように言われた。横になるとカーテンの隙間から校庭にある時計が見えた。もうとっくに二限目が始まっている時間だった。あの二人は大人しく授業に戻ったのだろうか? 腹を立てて帰ってしまうということも、あの二人ならば有り得るだろう。別にどちらでも良いが。
 身体がまだ興奮しているのか、疲れているはずなのに眠くはならなかった。観念して不思議な時間を過ごした。
 しばらく経って越谷先生が戻ってきた。「これ」と言って差し出されたのは新品のシャツだった。その真新しい白さに戸惑い、「いいんですか?」と聞き返すと、越谷先生は小さく頷いた。
 ぼろぼろになったシャツを脱ぎ、新しいシャツに着替える。越谷先生はその様子を隣で見ていたが、目が合うとさっと視線を逸らした。私の痩せた身体に気まずさを感じたのだろうか。あのアンケート以降、越谷先生は私に優しかった。可哀想な生徒だと思っているのだろう。それを鬱陶しく思う時もあれば、今日みたいに助けられる時もあった。
「本当にお金取ってないんだね?」
 越谷先生の言葉に私は頷いた。それしか選択肢は無かった。本当のところはバレているのかもしれないが、越谷先生は何も言わなかった。「戻れるようになったら教室に戻りなさい」と言って保健室を出て行った。
 保健室の中は本当に静かだった。入った時は保健室の先生がいたが、この静けさからすると今は席を外しているのかもしれない。冷房がよく効いていた。自分の家の何倍も快適だった。
 これで全て終われたのだろうか? いや、あの二人はまた私のところにやってくるかもしれない。さっきの怒り具合からして、簡単に二人の気持ちが収まるとは思えなかった。しかし何度来られたところで返せるお金は無い。たとえ本格的な暴力を受けたとしてもそこは変わらなかった。だから二人がどんなに怒ろうとも無駄なことなのだ。そう思うと少し気が楽になった。
 正直言って、悪いことをしたとは思っていなかった。大貫さんにとっての三千円の価値は分からないが、少なくとも失って生きていけないほどのものではないはずだ。私は違う。スーパーのバイトをクビになり、本当に生活が苦しかった。それでもお父さんのお酒の量は減らないし、とにかくお金が必要だった。三千円あれば何食かご飯が食べられる。私は生きるためにやったのだ。恥ずかしいことでも、悪いことでもない。ごく当たり前のことだと思った。
 何分もベッドに横になっていたが、一向に眠くはならなかった(もちろん教室に戻ろうという気持ちにもならなかった)。ふと、越谷先生の目を思い出した。安田さんと大貫さんを抑えながら一瞬こちらを見た時の憐れむような目。鈴木さんもたまに同じような目で私のことを見る。あの目。あれは、自分基準の「普通」を押し付けているのと同じだ。本来、そんなことをする必要もされる必要もないはずなのに。人は誰しも自分の価値観と環境の中で生きていて、それを冒し合う必要など一つもない。横目で見たとしても(たとえ直視したとしても)何も言わなくていい。だからやはり、交流会になんて行かない。何があっても絶対に行かない。
 なぜだか越谷先生よりも鈴木さんに対しての怒りが沸いてきた。私は私であり、誰に否定される筋合いも無い。窓から見える七月の空は青く高く、私の気持ちとは裏腹に穏やかだった。もう一度目を閉じてみたがやはり上手く眠れなかった。けっきょくその日はそのまま早退した。


 意外なことに安田さんも大貫さんもそれ以降私のところに来ることはなかった。越谷先生が上手く話をつけたのだろうか(まさか抜き取った分のお金を支払ってくれたのだろうか)。
 二人からの実害は無かったが、それ以外の弊害はあった。あの一件以降、元々浮いていたクラス内で私の存在はさらに奇異なものへとなっていた。誰も私に話し掛けないのは前からだったが、目に見えてこそこそと陰口を言われるようになった。眠っているふりをして盗み聞いてみたところ、あの一件は私が盗みを働いたということで同級生の間では広まっているようだった。私はそれを認めずに切り抜けた卑怯な奴となっていた。別に間違えてはいない。まったくもってその通りだった。
 こそこそと悪口を言われるのはストレスではあったが。、変わらず悪びれてはいなかった。私は生きるためにそれをやっただけなのだから。
 マジで卑怯な人間だよね。
 性根から腐ってるからそういうことができるんじゃん。
 やっていいことと悪いことがあるよね。
 顔を伏せて眠りを待つ暗闇の中、今日もそんな声が聞こえた。無視して眠ったふりをした。
 本当に嫌な気持ちになった時、私は手を打って気持ちを切り替えた。その様を見てまた何人かの人が笑っているのにも気づいた。しかしそれ以上はもう何も気にしなかった。切り替わった私は新しい人間だ。だから一秒前のことはもういい。それに、どうせあと半年ちょっとで卒業なのだ。何を守る必要も無い。
 気に入らなければ壊せばいいと思った。人間関係も生活環境も。本当に持っていたいもの以外は全て壊しても構わない。それでも死ぬことはないのだから。嫌でもまた何かを構築して生活は続く。だから嫌なことを我慢する必要はない。
 家に帰るとドアの前に鈴木さんがいた。交流会の日にちが近づいてきたからか、最近二、三日に一度は現れた。
「やっほー」
 笑顔で馴れ馴れしい挨拶をしてくる。友達にでもなったつもりなのだろうか。何度家には来ないでほしいと言っても聞いてくれなかった。顔を見るだけで苛立ちが募った。今日はいつものポロシャツだった。おそらく通常営業の日なのだろう。
 いつも通り「家は困る」と言って公園まで行く。それが一連の動きになりつつあるのにも腹が立った。公園は相変わらず子供で溢れていた。
「交流会には行きませんよ」
 今日は聞かれる前に言ってやった。鈴木さんは「そんなこと言わないでよぉ」と顔をくしゃっとして戯けるように手を合わせた。こんなことを続けて、いつかは私が折れるとでも思っているのだろうか。
「忙しいんで帰ります」
 私は早々に立ち去ろうとした。鈴木さんは立ち上がり、また私の腕を掴んだ。
「待ってよぉ。ちょっと話そうよ」
「話すって何をですか?」
「最近あったこととか、困ってることとか」
「それ、カウンセリングか何かのつもりですか?」
「そんな堅苦しいものじゃないよ。ただの会話よ」
「別に話したいことなんてありません」
 こう連日続くと、いい加減本気で苛ついてきた。
「心を開いてほしいの」
「そういうのって強引にやるもんじゃないでしょ」
 鈴木さんは私の苛立ちには気づかず、相変わらずへらへらしていた。蝉が、鳴いていた。
「シャツ、新しいの買ったんだ。いいじゃん」
 緊張の糸が切れる音を確かに聞いた。
 私は拳を握り、鈴木さんの顔を思いっきり殴った。鈴木さんは想像もしていなかったことが起き、ガードすることもできず、私の拳をモロに顔面で受けた。ツンとした痛みが右手にあった。生々しい肉の感触もあった。反射的にか、鈴木さんは身体を突っ張り倒れるのを防いだ。だから私はもう一発その顔にパンチを入れた。鼻が潰れたのか、驚くほどの血が吹き出した。もう一発殴ろうかと構えたが、流石に鈴木さんも両手で顔をガードをした。だから今度は無防備な右足を蹴った。
 バランスを失った鈴木さんは容易に倒れた。しかし私の感情は収まらなかった。鈴木さんに跨り、その身体を激しく踏みつけた。ポロシャツが公園の砂で汚れた。その場にいた子供や保護者達も、皆こちらを見ていたが、突然のことに混乱しているようで誰も止めには入らなかった。
 一通り踏み付けると驚くほど気持ちがすっとした。鈴木さんは頭を抱えて蹲っていた。服も髪も砂にまみれで、ぼろぼろだった。いい気味だと思った。周りの視線を感じながら、私は黙ってその場を立ち去った。お父さんが待っているので家に帰らなければならなかった。


 スーパーのバイトが無くなって、私は内職の仕事のウエイトを上げた。それでも収入面に関してはまったく以前には追いつかなかった。内職の仕事はとにかく単価が安い。いくらやっても二束三文にしかならなかった。
 昨日も遅かった。けっきょく内職を終えて寝たのが深夜三時で、諸々の準備をするためには六時には起きなければならないので、三時間しか眠れていなかった。今日は朝から成績が悪かった教科(ほとんど全てだか)の追試を受けに学校に来たが、やはり眠かった。途中から自分でも何を書いているのか分からなくなり、けっきょく最後まで解き切る前に諦めて寝てしまった。内申点なんて使う気が無いのであれば存在しないのと同じだ。私は振り切れていた。
 追試は午前で終わったので、午後からはバイト探しをした。フリーペーパーの求人誌で当たりをつけて実際の店舗を見に行く。嘘をついて面接を受けるので、手当たり次第に応募するというわけにもいかなかった。
 隣町にあるドラッグストアの求人が「高校生可 履歴書無し」で出ていた。大手チェーンではなく、近隣地区に数店舗しかないローカルなドラッグストアで、学校からも遠かった。時給はスーパーよりも少し安かったが、狙い目だと思った。
 履歴書は不要でも学歴は間違いなく聞かれるだろう。すらすらと答えられるよう、私は鞄の中にあった学校のプリントの裏に自分の学歴を書き出してみた。◯◯北小学校卒、それ以降はもう嘘だった(卒業年で言うともうその時点で嘘だった)。◯◯第二中学卒、◯◯西高校在学、現在一年生と書いた。◯◯工業は前回のことがあるので避けた。西高はここらでは生徒数が一番多い高校なので、前と同じようなことにはならないはずだ。万が一、同じ西高の一年がいたとしても、あまり学校に行っていないということにしたら誤魔化せると思った。
 「バイトの面接に行ってくるね」とベッドで眠るお父さんに声を掛けた。お父さんは少しだけ目を開けて、虚な目で私を見て頷いた。午前中、私がいない間にまたお酒を飲んでいたようだった。いつしか約束は有って無いようなものになっていた。
 うちには電話が無いので、駅前の公衆電話まで行かなければ電話を掛けられなかった。自転車に乗ってまずは駅前に向かった。証明写真機の横に忘れられたように一つだけ公衆電話がある。あまり電話を掛ける機会も無いのだが、撤去されていないことに毎回胸を撫で下ろしついた。ここの公衆電話がなくなったら他にどこにあるのか私は知らなかった。
 求人誌に書いてある電話番号に電話を掛けてみるも、長いコール音だけで誰も出なかった。もうダメかと思った時に「お待たせしました」と女性が出た。求人誌を見て電話を掛けた旨を伝えると、女性は「ちょっと待ってください」と言って電話を保留にした。また待たされるのかと思ったが今度は早かった。「お電話代わりました」と出てきたのは店長らしき男の人だった。「今日、面接できますか?」と聞くと、今日の今日ということに少し驚いてはいたが、無事了承は得られた。
 私は再び自転車に乗って隣町を目指した。ドラッグストアは以前のバイト先のスーパーよりも少し遠かった。向かう途中に久しぶりにその前を通った。まだ辞めて一カ月くらいしか経っていないのに随分久しぶりに来たような気がした。当たり前だが以前と何も変わっていなかった。中に入りたいとは思わなかった。特別親しかった人はいないし、店長と顔を合わせるのも気まずい。ただ、田村さんがいるのならば一度その顔を見てみたいと思った。何を言うわけでもないが、その顔に興味があった。
 しかし、けっきょく私は店内には入らずにそのままドラッグストアを目指した。冷静に考えたらそんなことをしても何の意味も無い。
 「十七時に来てください」と言われていたが、十六時半過ぎにはドラッグストアに着いた。夕方の時間でも蒸し暑く、自転車を飛ばしたこともあり私は汗をかいていた。そのまま面接に入るのも嫌だったので、少し店内をうろうろして涼むことにした。
 このドラッグストアに来るのは初めてだった。求人誌で見て想像していた通りの小規模なドラッグストアで、前に働いていたスーパーの半分くらいの広さだった。
 普段はドラッグストアに来てもシャンプーやトイレットペーパー等の生活用品を買うだけだったが、今日は時間があったので、いつもは行かない化粧品コーナーにも行ってみた。口紅の広告だと思われるポップの中で、知らない女優さん(最近の女優さんのことはほとんど知らなかった)が信じられないくらい綺麗な肌と唇で笑いかけていた。いったい何を食べたらこんなふうになれるのだろうか。不思議でならなかった。化粧品コーナーは煌びやかで、デザインが好みだったファンデーションを手に取ってみたが、値段を見てすぐに棚に戻した。
 店内を歩いている途中で何人か店員さんを見かけた。基本的には四、五十代くらいの女性で、感じの良さそうな人達だった。それくらいの年齢層で構成されたバイト先が一番良い。ややこしいので同じくらいの年頃の人はいない方が良かった。この前みたいに嘘がバレる可能性が高まるし、友達になられたりしてもまた面倒だった。
 友達。そういえば私には友達がいない。改めて今そのことを思い出した。ずっと昔からいなかったわけではない。いなくなったのは中一の終わりくらいからだろうか。家に余裕がなくなり気持ちがそちらに向くと、自然と友達と向き合う時間が無くなっていった。いつしか休み時間も眠るようになり、学校で誰とも会話することもなくなった。
 無くても生きていけるものを抱え込む余裕は今の私には無い。当然の結果と言えば当然の結果だと納得した。
 店内は冷房がよく効いていてすぐに汗は引いた。時計を見ると十六時四十五分で、約束の時間にはまだ少し早かったが、もう行ってしまってもいいかと思った。うろうろしている間にバックヤードの位置は把握していた。洗剤コーナーを曲がってバックヤードの方へ歩いていると、お菓子コーナーで同じクラスの山下さんと篠崎さんに鉢合わせた。目が合って一瞬お互いの時間が止まった。
 私は何も言わずに振り返り、そのまま店を出た。自転車で来た道を引き返す途中、たまにクラスメイトの会話に出てくる学習塾の看板が目に入った。この近辺の有名校への合格者数をステータスのように壁一面に貼っていて、それはすごいことなのかもしれないが、どこかいやらしく見えた。おそらく二人はここに通っているのだろう。見落としていた。そんなものが近くにある場所ではどう考えてもバイトはできない。
 面接の約束を反故にしたことになるが、伝えていた電話番号は嘘なので電話が掛かってくることはなかった(電話自体を持っていないので当たり前なのだが)。そもそも面接を受けようとしていた◯◯西高校一年の林美貴子なんて人間は存在しないのだ。だからそのまま何も無かったかのように終われた。
 夕暮れの予感を感じさせる空の下、市街地を縫って自転車を走らせる。帰ったら急いで夕飯の準備をしなければならない。冷蔵庫に何かを作れるだけの食材が残っていただろうか? 記憶が曖昧だった。スーパーのバイトが無くなり、お金の面もきつかったが、廃棄品の持ち帰りが無くなったことも痛かった。毎日毎食何かしら料理を作らなければならなかった。夏休みに入るので当面は何とかできそうなものの、学校が始まるとかなり無理のあるスケジュールになるだろう。いずれにせよ早急に次のバイトを見つけなければならなかった。
 川沿いの道で二人の警察官とすれ違った。そのうち一人が私を見て振り返ったことには気づいていたが、そのまま走り続けた。嫌な予感はしていた。そしてそれは見事に当たって、しばらく走っていたところを「ちょっといいですか?」と背後から呼び止められた。
 警察官は二人とも若い男の人だった。鈴木さんと同じくらいではないかと思えるくらいだった。「すみません。防犯登録の確認をさせてもらっていいですか?」微妙な年齢差だが、もう一方と比べると若そうな方の警察官が笑顔で私に言った。義務的な確認を装いつつも、確かな疑念を感じさせる笑顔だった。いやらしい。疑っているのであればストレートにそう言えばいいのに、と思いつつも、緊張感が走った。
 「この自転車は君の?」と聞かれて反射的に頷いたが、この自転車は半年ほど前に駅前で拾ったものだった。元々捨てられていたものだし、半年も使っているのだからもう私の物でいいではないかと思ったが、そういった理論が通用しない相手だということくらいは私にも分かった。「番号を確かめさせてね」と若い方の警察官が自転車を降り、かがみ込んで私の自転車を覗き込んだ。防犯登録のシールは確かに自転車に貼られていたが、その番号を辿っても私には辿りつかない。私が不正にこの自転車に乗っていることがバレるのも時間の問題だった。
 私は防犯登録番号を確認する警察官の顔に向けて思い切り自転車を突き飛ばし、そのまま土手を駆け下りて逃げた。「あっ、こら」ともう一人の警官が私を咎める声が聞こえたが、振り返ることもなく走った。勾配の急な土手を走り降りると、自分では信じられないくらいのスピードが出た。転んでしまいそうだったが、そんなわけにはいかないので精神力で駆け抜けた。人間、最後に大事なのは精神力だと思う。私は難しいことなど考えず、とにかく必死で逃げた。
 知らないマンションのゴミ捨て場に行き着き、息を潜めて隠れた。全身で息をした。信じられないくらいに身体から汗が噴き出ていた。しばらくそこで待ったが、誰も追って来る気配は無かった。いくら屈強な警察官とは言えど、顔面に思い切り自転車をぶつけられてはすぐには動けなかったのだろう。もう一方にせよ、急な土手を無理して自転車で駆け降りてまで私を追おうとは思わなかったのだ。そうまでして追わなければならない凶悪犯ではおそらくない。
 置いてきた自転車から私の身元が分かることはないだろう。またしても何もなかったかのように終われる。何もかも証跡無く消える。そう考えると、林美貴子という存在を酷く希薄なものに感じた。
 しかし、警察に持って行かれてしまったのでは、あの自転車を取り戻すことはもう二度とできないだろう。これからは隣町まで行くのも一苦労になる。簡単に歩ける距離ではない。どうやって葉子さんのお店まで通おうか。考えると暗い気持ちになった。そして理不尽な気持ちになった。なぜ私は自転車を取られなければならなかったのだろうか。別に私があの自転車を使っていて嫌な気をする人間はいないはずだ。確かに私がお金を出して買ったものではないが、誰かが捨てたものを拾っただけだ。それのどこが悪いのだろうか。なぜ取り上げる必要があったのだろうか。
 十分に時間を置いてゴミ捨て場の陰から立ち上がると、建物の隙間に見える遠くの空が間接照明のように暮れ出していた。確かな熱量で今日という日が焼かれていく。やがて夜になる。言ってしまえばその繰り返しで、集約するとそれだけのことだとは思った。貧乏な人もお金持ちな人も不幸な人も幸せな人も、皆そのサイクルの中で生きている。それだけだった。


 事件が起きたのは夏休みに入ってすぐの月曜日だった。
 その日、私はバイトを探して隣町まで来ていた。さすがに歩きでは厳しいので電車に乗った。いつもはタダで行っていた距離にお金を払うのは悔しかったが、今はそれしか隣町に行く手段が無かった。電車賃がもったいないので、事前に求人誌でいくつかの店舗に当たりをつけて午後半日を使って順番に回った。しかし何だかんだどこも条件には合わず、けっきょく今日もバイトを決めることはできなかった。
 敗走の気持ちで帰りの電車に乗った。陽は完全に暮れていたが、今日は事前にご飯を用意して家を出たからまだ気が楽だった。座席は空いてはいたが一駅の区間の間で眠ってしまいそうなくらい疲れていたので我慢して立っていた。冷たい硝子に額を押し付け、まばらに散らばる街の光とそれを隠すような夜の闇を窓の外にぼんやりと見た。あの光の一つ一つに生活があるのだ。途方のない話のようにも思えたし、情け無いくらい現実的な話にも思えた。やがて駅に着き私は電車を降りた。
 当然家までも歩いて帰る。駅と家の間も歩くと二十分はかかり、大したことのない距離だとは言えなかった。公団のエリアに入るとすぐに、「B-24」の白文字が月の光に反射しているのが見えた。周りには仕事帰りのサラリーマンが何人か歩いていた。少し、スーパーのバイトを思い出した。当たり前だが、私がバイトを辞めてもあの人達はみんな変わらずスーパーに通っているのだろう。五階まで階段で上がると家の前に誰かが座り込んでいるのが見えた。鈴木さんかと思い一瞬緊張感が走ったが、見るとそれは越谷先生だった。
「林さん?」
 足音に顔を上げ、越谷先生が言った。酷く疲れているような顔をしていた。
「どうしたんですか?」
「待ってたのよ。電話も繋がらないし」
 掛けてくることなど無いと思い学校には嘘の電話番号を伝えていた。
「番号変えた?」
「あ、かもしれません」
 そもそも電話など持っていないことは言わなかった。
「何かあったんですか?」
 越谷先生は私の目を見て一呼吸置いた。私もその目をじっと見返した。
「夕方に警察から学校に電話があって、あなたのお父さんがコンビニで暴れて捕まったみたいなの」
 全身から血の気が引いた。信じたくない気持ちでドアノブを回すと、出る時にちゃんと鍵をかけていたはずなのにあっさりとドアは開いた。部屋の中は真っ暗だったが、これはいつものことだった。諦めたくない気持ちで入った部屋は悪い空気が充満していて蒸し暑かった。私は走ってベッドに駆け寄ったが、そこにお父さんはいなかった。
「今、警察署にいるから」
 越谷先生は部屋の明かりをつけて言った。明るくなった畳の上にはウイスキーの空便と割れた硝子のコップが落ちていた。暗くて気が付かなかったが危なかった。破片を踏んでいたら足に怪我をしていた。
 越谷先生もすぐにコップに気付いた。部屋に入り、黙って私の足元に落ちた破片を拾い集めた。私は呆然とただそこに立ち尽くしていた。思考が完全にストップしていた。というより考えることを頭が(もしくは心が)拒絶していた。越谷先生は目につく破片を全て拾い、「一緒に警察に行こう」と言った。
 越谷先生は車で私の家まで来ていた。近くにあるパーキングに車を停めていた。駐車料金は四百円だった。一時間あたり二百円と看板に書いてあったので、料金からして二時間は私のことを待っていたことになる。越谷先生が疲れていることは伝わったし(夕方からとはいえこの時期に外に二時間もいるのはつらい)、悪い気持ちになったのでお金を払おうかと思ったが、財布の中には百四十円しか入っていなかった。
「いいよ、気にしないで」
 越谷先生はそう言って私を助手席に乗せた。車が走り出すと、ストップしていた思考が少しずつだが動き出した。断片的な想像は上手く繋がらなかったが、とりあえず涙が溢れた。涙は頬を濡らし、俯くポロシャツのお腹を濡らした。「大丈夫だから」と言って越谷先生は信号で止まったタイミングで私の頭をそっと撫でた。また、「大丈夫」。違う、と私は心の中で呟いた。それは確かな気持ちではあったが、声にはならなかった。泣いてなどいないと言うとそれはさすがに嘘になるが、私は別に悲しんでいるわけでも嘆いているわけでもない。そう思った。ではこの涙は何なのか? それは上手く説明できなかった。ただ一つ、私は私の生活を疑いたくないのだということだけは分かった。それを疑ってしまったら私が私でいられなくなってしまう。私はそれをずっと前から本能的に分かっていた。
 十五分くらいで最寄りの警察署に着いた。昔からここにあることは知っていたが、実際に来るのは初めてだった。近くで見ると建物はかなり古く、まるで牢獄かのような圧迫感があった。
 受付に行って越谷先生が学校に電話があった旨と私の名前を伝えた。対応してくれたのは昔ドラマで観たような、イメージ通りの格好をした警察官だった。「ここで待っていてください」と言われ、廊下のベンチに座らされる。越谷先生は隣に座って私の手を握った。それに対して、何の感情も生まれてこなかった。気持ちが落ち着くこともなく緊張で吐きそうだった。
 しばらくしてさっき対応してくれた人とは違う警察官が私達のところに来た。お父さんと同じくらいの年頃に見える男の人だった。役職のある人なのか風格があった。その警察官が事の経緯を私達に説明してくれた。
 お酒が無くなり、お父さんは家を抜け出して近所のコンビニに行った。しばらく店内をウロウロしていたところ、挙動を不審に思った店員に声を掛けられ、商品のウイスキーを懐に隠しているのを見つけられた。すぐに万引きで通報されたのだが、酷く酒に酔っていたこともあり、そこからかなり暴れたらしかった。怪我をした店員さんもいたようだった。警察署に移動してからもなかなか落ち着かず、家族は誰も電話を持っていないと言うので、何とか引き出した娘の名前と住所から学校に電話を掛けたとのことだった。
 何も言えなかった。いつかお父さんはこんなことをしてしまうと思っていた。だからお酒を制限して家の中に閉じ込めていたのだ。しかし、その約束が崩れかけていたのは事実で、最悪の事態はいつ起こってもおかしくなかった。私はそれに気付いていながら目を背けていた。
「背追い込まなくてもいい」
 越谷先生は私の目を見ないまま強く手を握った。違う。やっぱり越谷先生は何も分かっていない。私は何も背負い込んでなどいない。私は自分の望む生活を抱えているだけだ。それ以上でも以下でもない。だから憐れむような目で私を見るな。
 警察官は実に事務的に「具体的な手続きを済ませるのでもう少し待っていてほしい」と言って戻って行った。ベンチでまた二人になり、私は「電話を貸してもらえませんか?」と越谷先生に言った。葉子さんに電話を掛けたかった。私一人で解決できる問題ではないと思った。
 知らない番号からの電話だったが、葉子さんはすぐに出た。私の話を聞いて淡々と事態を把握していた。冷静だった。「すぐに行くから待ってなさい」と言って電話を切った。
「誰に電話したの?」
 離れたところからベンチに戻ると越谷先生が聞いた。私はそれに「知り合いです」とだけ答えた。改めて聞かれると私と葉子さんの関係はよく分からないものだった。
 すぐにお父さんが出てくるかと思っていたが、思いに反してなかなか現れず、またしばらくそのまま待たされた。まさかまた暴れているのではなかろうかと心配になった。お父さんは特別腕っぷしが強いわけではなかったが、一度暴れると聞き分けがなく手がつけられなかった。
 私も越谷先生も一言も話さず、重苦しい沈黙が流れた。越谷先生はもう私の手を握ってはいなかった。俯いて汚れた壁の一点をただ見つめていた。葉子さんが来るのであれば、もう帰ってもらってもいいのではないか、と思ったが、そう言っても多分越谷先生は最後まで残るだろう。越谷先生は責任感のある人だ。ただ、その責任に対するモチベーションの源が善意なのか偽善なのかは正直図りかねた。そんなものはいちいち詮索をするものではないのかもしれないが、私は気になる。疑ってしまう。誰しも鈴木さんみたいに分かりやすくはない(むしろ分かりやすい方が気持ちの良い場合もあるのだが)。
 そんな時がどれくらい続いたのだろうか。永遠に腐敗していくかのように思えた時間は唐突に終わり、廊下の向こうから二人の警察官に連れられたお父さんが現れた。
 お父さんはいつも着ているしわくちゃのパジャマを着て、私のサンダルを履いていた。両脇にいる二人の警察官ががっちりとした体格だったのもあるが、背中を丸めたその姿はいつも以上に小さく見えた。まだ完全に酔いが覚めていないのか、焦点の定まらない虚な目をしていた。
 私はお父さんに駆け寄ってその身体を強く抱きしめた。怒りとか悲しみの感情は無く、とにかくお父さんのことを守りたいと思った。
 「大丈夫、家に帰ろう」と耳元で囁いた。けっきょくのところ問題なんて何も無いのだ。お父さんの顔を見てそう思った。私は勘違いをしていた。誰に何と言われようとも私達は私達なのだ。迷惑を掛けてしまったことは謝る。しかし、それ以上の話ではない。私はお父さんの肩を支えて入り口の方へ歩き出した。越谷先生が何か言おうとしたが、諦めたような顔をして言葉を引っ込めた。それを見た時、やはり越谷先生も偽善だったのだと確信めいて思った。やっと分かってすっきりした。周りの人間なんて所詮はそんなものなのだ。信用するものではない。市役所や学校でのノルマや立場があるから優しい言葉を掛けてくるだけで、その実寄り添ってくれるわけでもないのだ。薄い言葉でそれっぽいことを言ってもそこに本当の感情は無い。
 お父さんは何も言わなかった。私の肩に寄りかかってよろよろと歩いた。お酒の匂いがした。それは私にとってはお父さんの匂いだった。あの閉じこもった家を懐かしく感じた。畳に転がったウイスキーの瓶や籠った生暖かい空気だとか、そんな一切合切を愛しく思った。「帰って休もう」私は優しく言った。お父さんが頷いたように見えたが、実際のところは分からなかった。私の気持ちなんて分かってくれなくていい。ただ一緒にいられたらそれだけでいい。そう思った。
 警察署のロビーに出ると、受付にいた何人かの警察官が私達に頭を下げた。当然無視をした。正面の自動ドアを出ると、夏の夜風が首筋を通り抜けた。最近の中ではまだ暑くない夜だった。一度手を打って歩き出すと、ちょうど自転車に乗った葉子さんが警察署の門から入って来るところだった。
 葉子さんは私達の前まで自転車で来た。月明かりに照らされた葉子さんは目を見開いて、肩で息をしていた。額からだらだらと汗を流し、顔全体に塗った化粧がまだらになって崩れていた。相当急いで自転車を飛ばして来たようだった。こんな葉子さんを見るのは初めてだった。
 「すみません」と咄嗟に謝罪の言葉が出た。それが何に対する謝罪なのか自分でも分からなかったが、とにかく葉子さんに対して申し訳ない気持ちになった。
 葉子さんは私の謝罪に対しては何も言わなかった。自転車をその場に立て掛けてこちらに歩み寄り、いきなりお父さんの頬を平手で打った。
「しっかりしろっ!」
 葉子さんの怒号が夜に響いた。
 驚いたが、お父さんはもっと驚いていた。まるで今目を覚ましたかのように目を丸々として葉子さんと私を交互に見ていた。葉子さんは鬼のような形相でお父さんを睨んでいた。
「悪かった」
 お父さんは呆然としつつ謝った。私はまた、涙が出た。


 それからはまた日常だった。お父さんは少しだけお酒を飲む量が減った。暴れたりすることはなかった。この前のことが堪えたのか、いつもどこかしゅんとしていた。
 葉子さんに、自分が渡している以上のお酒をお父さんに飲ませていたのか? と問い詰められた。嘘をついてもバレると思い、正直に話した。怒られるかと思ったが、葉子さんは一度に渡すお酒の量を増やしてくれた。「これ以上は絶対にダメだから」と私の目を見て強く言った。
 夏休みも佳境に入ったが、相変わらずバイトは決まらなかった。私は根気強く求人誌を睨んでバイトを探していた。ひとまず今はお酒の消費量が落ち着いているので何とかなったが、変わらずお金に余裕がある状況ではなかった。
 そんなある日、駅前で鈴木さんに会った。
 鈴木さんはいつものポロシャツではなく、灰色のつなぎのような服を着て、何だか重そうなリュックサックを背負っていた。少し離れた場所ではあったが、向こうも私に気付いた。
「久しぶりじゃない」
 何だか疲れたような顔をしていた。以前の余裕のある感じではなかった。
「何か、疲れてます?」
「そりゃ、こう暑いとね」
 そう言って鈴木さんは手のひらで顔をあおいだ。
 二人で駅前広場のベンチに腰掛けた。ここは屋根があってまだ涼しかった。
「水道部に異動したのよ」
「水道部?」
「そう。水道料金の徴収とか、水道管の点検とか」
「なんか、タイプの違う仕事になったんですね」
「あのさぁ」
 鈴木さんは皮肉めいた目で私を見た。あのさぁ、に続く言葉は私にも分かった。だから「すみません」と素直に謝った。
「鼻、折れたんじゃないかと思ったわ」
「すみません」
「いや、折れてなかったんだけどね。実際は」
 そう言って鈴木さんは溜息をついた。
「何してたの?」
「バイトを探してました」
「また年齢を偽る気?」
「だって、それしかないじゃないですか」
 そういえば、散々勧められた交流会はもう終わったのだろうか。今となっては具体的な日にちを思い出せなかった。この様子だと、もしかすると鈴木さんも関わらずに終わったのかもしれない。無事にノルマは達成できたのだろうか? 集まった人達はちゃんと幸せになれたのだろうか?
 セミの鳴き声がうるさかった。夏はまだまだ終わる気配は無い。額に浮かんだ汗をハンカチで拭った。
「諦めちゃダメだよ」
 鈴木さんは私の目を見ずに言った。
「何をですか?」
「いや、上手く言えないけど」
 鈴木さんは泣いていた。
「何で泣くんですか?」
「だって、何か不憫だから」
 駅前広場を通る人は誰も私達を見なかった。まるで景色の一部であるかのように素通りして行った。そんなものだ。一個人の生活なんてそんなものなのだ。だから泣かないでほしい。大したことではないのだから。泣かないでほしい。
「お互い強く生きようね」
 鈴木さんは鼻をすすり上げながら言った。私は何も言わずに空を見上げた。水色の絵の具を限界まで薄めたような綺麗な空だった。


 窓ガラスを割ったら気持ちが晴れるかと思った。
 金属バットを右手に握って、私は誰もいない教室に一人いた。金属バットは確かな重みがあり、それはある種の信頼感で、何だってできるような気持ちになれた。
 迷うより前にやる。目についた窓に試しにバッドを振り下ろしてみたら想像していた以上に綺麗に硝子が砕けて爽快だった。勢いで二、三枚立て続けに割った後、ようやくこれが夢なのだということに気付いた。それでも気持ちは良かった。
 教室の窓を全て割ってしまうと、流石に疲れた。息が切れて肩で息をしていたが、ついつい笑みがこぼれてしまう。割れた窓から風が入ってきてカーテンをたなびかせていた。風は力を失いつつも、教室の真ん中あたりにいる私の元にまで確かに届いた。こうなったら他の教室や廊下の窓も全部割ってやろうと思い椅子に座って息を整えていたら、誰かが教室に入ってきた。六郎だった。
「何かすげぇ音したけど」
 違う中学に通う六郎が教室にいる時点でおかしいのだが、これは私の夢なので多少の不整合は目を瞑ることができた。
「窓、これお前が割ったの?」
 六郎は廃墟のように割れた窓ガラスを見て、目を丸くして言った。
「違うよ。私じゃない」
 金属バットを手のひらで弄びながら言って、それはどう考えても嘘なのに、六郎は「あ、そう」とだけ言って、なぜか私の言葉を疑わなかった。
「何か、涼しいな」
 六郎は真面目顔で言った。
「何でいるの?」
 会話が面倒になって聞いた。
「練習試合」
「あぁ」
 まぁ、そうだろうなと思った。それ以外に六郎がここにいる理由など、夢だろうとそれ以外に考えつかなかった。
「教室まで入ってくることないじゃん」
「まぁ、そうだけどね」
 それで二人で外に出た。金属バットは教室に置いて来た。
 グラウンドはぐちゃぐちゃにぬかるんでいた。そういえば昨日の夜は激しい雨が降った。窓に当たる雨音を寝入りの最中に聞いたのを覚えている。あんなに激しく降るのは本当に久しぶりだった。
「この状態でサッカーは無理じゃない?」
 私がそう言うと、六郎は鼻で笑うような笑い方をした。なぜそんな嫌味な笑い方をするのか分からず、少し苛立ちを覚えた。
 練習試合だと言っていたのに、グラウンドには私達以外は誰もいなかった。よく考えたら六郎も練習着ではなく制服を着ていて、サッカーをする気などはなからなかったのではないか。
 六郎の制服のシャツはまだ新しいのか、真っ白な生地に太陽の光が反射していた。しわ一つないそのラインはなぜか鋭利な刃物を連想させた。対して、私が着ているシャツはぼろぼろだった。上二つのボタンが取れていて、左側の脇のところが破れていた。これはいつか、安田さんと大貫さんと揉めた時に着ていたシャツだ。新しいシャツをもらったはずなのに、なぜ私は古いシャツを着ているのだろう。
 私達は自然な流れでグラウンドを横切って歩いた。情け無い声の欠伸が出た。夢の中で欠伸が出るだなんておかしなことだと思う。空は、昨晩の雨が嘘かのような晴天だった。今日も暴力的なくらいに気温も高かった。世界中どこに行っても蝉が鳴いている。それは私の夢の中も例外ではなかった。少し前を歩く六郎のシャツが眩しい。それがやたらと目についた。それは嫉妬だった。私は今、どうしようもなく六郎の綺麗なシャツを妬ましく思った。
 私はかがみ込み、ぬかるみの泥を手のひらですくった。泥は生暖かく、まるで生物のような熱を持っていた。私はそれを六郎の背中に向かって投げつけた。
 六郎は、始めは何が起きたのか分からないようだった。ただ、背中に何かが当たったという感覚だけはあったようで、顔だけこちらを振り向いて後ろを確認した。シャツの背中がべっとりと泥で汚れていることにはまだ気づいていなかった。だから私はもう一度泥を背中に向けて投げつけた。真っ白のシャツが無残に汚れていく。二回目で六郎も気付いた。当然怒ったが、私は笑った。これが夢であるからだった。

 クラップユアハンズ、スクラップアンドビルド。現実世界にはそれしかない。それだけでちゃんと生きていられるのだから。

 身体を揺さぶられて眠りから覚めた。畳の上だった。和室で洗濯物を畳んでいるうちに眠ってしまったようだった。もう夕暮れ時だった。ぼんやりとした目を擦り、見上げると、「めし」とお父さんが言った。

クラップユアハンズ、スクラップアンドビルド

執筆の狙い

作者
om126158138005.30.openmobile.ne.jp

ボツ作です。ここで供養します。ご感想をいただけますでしょうか。

コメント

平山文人
zaq31fb1c44.rev.zaq.ne.jp

羊さん、作品を拝読させていただきました。

この作品、15歳がスーパーで雇われる訳ないとか、生活保護はケースワーカーや民生委員が定期的に月1で様子を見に来るから中学生が働くなんてあり得ないとか、万引きして傷害まで起こして警察が即日釈放なんかあり得ないとか、いろいろ言いたいことがあるのですが、その辺を置いておいて、イデオロギー的に非常に問題があると思ったのですよ。とてもよく書けているし、物語の展開も引き込む力もありますし、表現や語彙も多彩で確かな筆力を感じました。でもですね、この美貴子って、おしんみたいな「典型的な我慢する日本女性」なんですよ。父親=男のために尽くし、全てを犠牲にする。この作品、おそらく何らかの新人賞に送りましたよね? 多分一次で落選です。理由は、もはや時代がそんな「男尊女卑」「ジェンダー固定」を許さないからです。羊さんにはそんな意図は毛頭なく、ただ苦闘する若いヤングケアラーを書きたかっただけだ、と反論されるかもしれません。そうであったとしても、作品全体で思いっきり「父親にただただ尽くす娘」を書いてしまっているんです。これはもう令和の時代には通用しません。最後こうなってますよね。

「ぼんやりとした目を擦り、見上げると、「めし」とお父さんが言った。」

ここで、続いて

「私はなんとなく憎たらしくなって、返事しなかった。私は、お父さんの家政婦じゃないんだ。私の人生は私のもの。自由にやりたい事をやって見せる。」

とでも続ければ令和に受け入れられます。これは間違いありません。親子愛は尊いものですが、子が全て犠牲にする必要はどこにもないんです。ここまで踏み込むと私の価値観になってしまうかもしれませんので、同意は不要ですが、もしもまたこの作品をなんらか違う形で書き変えるなら、この辺り気を付けて書くといいと思います。

小次郎
121-87-72-124f1.hyg1.eonet.ne.jp

一行目なんですが、時間的な想像の余白を作る方が小説としては効くと思いません? 正確にする必要はないでしょう。また、厚い雲と書くと、雲と雲の間に隙間がないように感じますね。

たとえばですけど。

昼間と夕方の境目の時間、濃褐色をしたつぎはげだらけの雲と雲の隙間から淡く光が差している。 降り注ぐ優しい明かりは、筆そのものだった。 公営住宅でひっそりと寄り添う公園というキャンバスに、油絵の絵の具のように、色を塗っている。 楽しそうに遊ぶ子供達は、色を帯びる繊細な筆致の人物画だった。

softbank060127231035.bbtec.net

平山文太さま

ご感想ありがとうございます。
令和的感覚ですか。そこはまったく意識せずに書いていました。
おしん的な感覚、というより、「誰が何と言おうと自分の価値観がある」ということを書いていました。だから、最後の「めし」の後も仰るような流れはありません。令和的でないと言われると、確かにそうですね。意識します。
この小説は文学賞に応募してもいません。ご指摘いただいたような、制度等のバックヤードの詰めが甘い、各キャラの設定も弱い、送るのも嫌なレベルでボツでした。

softbank060127231035.bbtec.net

小次郎様

ご感想ありがとうございます。
出だしの文は自分としても納得がいかないものでした。時間的な想像余白、難しいですね。
参考にさせていただきます。

浮離
KD059132140089.au-net.ne.jp

公団住宅の間にある 

それってそこで絶対に必要? 
っていうのは情報とか描写とかそういうんじゃなくて、書き手としてその一文で読者に一番想像させたいこと、その誘導とか注力点って話してるつもりなので勘違いしないで欲しいんですよね。
作者のアタマの中にあるもの、もれなくわかって付き合って欲しいの?
どんなわがままかよ、だとかだったら映像とか学んだほうが早くない? なんて。
見る手間と想像する手間、どっちが面倒ですかね。
そんな思いやりを楽しみに化かしてあげるのが文章っていう面倒に託されて許される”表現”っていう迷惑且つ驕った言い草かとあたしは誇らしくその自由と感謝を思うわけなんですけどね。

場面や情景なんて勝手にいつだって生えてくるもんでしょうに。
ケチつけられても上等嘯くばっかでしょうに。
それが許せなくて口惜しくてわかって欲しくて、修飾もリズムもままならないとか退屈しかない気がするタイプですあたしは。
自由ってなんだ。
つまりこれって作者自身こそが創作を楽しむ力、そんなムズムズする意識や欲求っていうその程度を疑った上で最適化した感想のつもりなんですけど、たかがボツ作らしく供養の足しになりそうですか。

小次郎の改稿も原文も似たり寄ったりの長閑さには違いない気がしちゃうんですよねなんかズレてんだよなとか個人的には。
かかり具合がいかにも小説になりたい臭くてわざわざの素人の嗜みらしくない気しないですか粋が足りない気しないですかなんだか。



じゃなくて無謀で省みずなだけのあたしは素人らしい衝動と自由度に富んだとんがった文章ばっかりが好きなだけでしたお門違いでしたすみません。
悪口ではなくただの言いがかりに食い止めて欲しいですしたまたま来たらたまたま先頭にいた作者さまは事故も逃げ出す当たり年、そんなお年賀並びに相変わらず波動の低いこのサイトの厄除けかお年玉的何某併用とかそんな感じです。


ボツとか愛のないこと言ってるうちは作に愛など芽生えない気がしますよね。
反省した方が吉報近しと思うけどな。

om126158147189.30.openmobile.ne.jp

浮離さん

何となくおっしゃりたいことは分かりました!
ありがとうございます!

飼い猫ちゃりりん
sp49-98-14-61.msb.spmode.ne.jp

羊様。最初の一文に詰め込み過ぎでは。無理はしない。まだ先は長いから。

>厚く覆った雲の隙間から微かに光が差し、公団住宅の間にある小さな公園で遊ぶ子供達の十五時半に色を付けていた。

例えば

雲の隙間から差す光が、十五時半の景色に彩りを添えた。団地の中の小さな公園。それは子供らの楽園なのだ。

でどうでしょうか?

しいな ここみ
KD124209091046.au-net.ne.jp

冒頭で読む気力を失い、途中でブラウザバックしました。
『でも』が冒頭、二回出てくるだけで、丁寧に書かれていない印象を受け、作品への信頼を損なってしまっています。興味を引かれる要素もないので、読み進めるのが苦痛でした。

om126158147189.30.openmobile.ne.jp

飼い猫ちゃりりんさま
しいなここみさま

ご感想ありがとうございます。
冒頭部分、課題ですね…。
ありがとうございます。

p2024004-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp

貧困やヤングケアラーを題材に作品を書く場合、きちんと下調べしてから取り組まれた方がいいかと思います。
役所の人が部署を移動になるのはおそらく年度が区切りになるのではないかと。
鈴木の人物造形も、いかにも紋切り型ですね。

「誰がなんと言おうと自分の価値観があるヒロイン」にも読めませんでした。

om126208217050.22.openmobile.ne.jp

雲さま

おっしゃる通りです。
ありがとうございます。

ご利用のブラウザの言語モードを「日本語(ja, ja-JP)」に設定して頂くことで書き込みが可能です。

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