起業サークル
有名私立大学の華成大学に入学した僕は、大学のガイダンスを受けていた。キャンパスには桜が咲き、穏やかな気候で、暖かい春の風が窓から吹き込んでくる。東京の郊外にキャンパスがあり、大学から歩いて十五分ほどの住宅街にマンションのワンルームを借りている。僕は地元の田園風景を思い出しながら、周囲にいる学生を眺め、教授が単位の取得について話をしているのを聞いていた。
ガイダンスが終わると、後ろから声を掛けられる。振り向くと、そこにいるのは入学式で隣に座っていた笹井だった。
「立花も経営学部だったんだな」
笹井はそう言って僕の隣を歩く。僕は友達になれそうな人が現れたことに少し安堵した。
「食堂でお昼食べようよ」と僕は言った。
僕らはキャンパスの芝生の上を歩き、多くの学生が通り過ぎていく。
「本当は東亜大学に入りたかったんだ」
笹井はそう言って空を見上げる。東亜大学は日本最高峰の大学で、僕は華成大学が第一志望だったのだが、滑り止めで入ってきた学生も多い。
「進学校だったの?」
「私立の中間一貫校。地元が東京だからさ」
「羨ましいな。僕は地元が田舎だからさ。県では有数の高校だったけどね。東亜大学にはほとんど行かないからさ」
「でも田舎の暮らしっていいなと思うよ。夏の景色は郷愁感があるからさ。東京は自然が少ないからね」
僕らはそんな話をしながら、食堂へ向かった。食堂は建物の二階にあり、一階は購買になっていた。食券を買い、それをカウンターに置くと、料理の載ったトレーを受け取る。トレーの上にはカレーが載っていて、笹井の方を見ると、ラーメンが載っていた。二人掛けの席に座り、二人分のお茶を取りに行く。
僕らは向き合って座りながら、食事をした。窓の外は緑があって、この大学は落ち着いた雰囲気だ。
「立花は何か目標はあるの?」
「将来、美人の奥さんと結婚して、大企業に入りたいんだ。僕の両親は農家だったからさ。生活は地味だったし、周りには何もなかったよ。都心のタワーマンションに住みたいんだ。そのために出来ることはしようと思う」
僕がそう言うと笹井はじっと僕のことを見ていた。
「ずいぶんと意識が高いんだな。俺は正直言うと人生なんてどうでもいいんだ。でも楽に生きるためには努力をしようと思う。東亜大学を目指していたからさ。ここでも頑張ろうと思うよ」
笹井はそう言うとラーメンを食べ終えて、お茶を飲んでいた。僕もカレーを食べ終えて、食堂を後にする。空には水色が広がり、風は心地よかった。
午後も広い講義室でガイダンスがやっていた。机の上にはキャンパスで配られていたサークルや部活のチラシが載っている。笹井は僕の隣で、ただじっと話をする教授のことを見ていた。僕は話を聞きながら、チラシを一枚一枚眺めていた。剣道、サッカー、文芸、スノーボードなど、様々な部活やサークルがある。たまたま貰った起業サークルのチラシが印象に残った。将来に絶対に役立つ経験ができると紙には書いてあった。今日の夕方に説明会があるらしい。笹井は僕の隣で配られたプリントを見ている。彼はきっと根が真面目な性格なのだと思う。僕はあまり教授の説明を聞いていなかった。
その日はガイダンスが終わると、笹井は帰った。僕は起業サークルの説明会が行われる時間まで、図書室にいた。適当に興味がありそうな文庫本を手に取り、隅の方の席に座って読む。「夏の日」というタイトルの小説で、僕は一ページ目からゆっくりと読み始める。そんなことをしているうちに説明会の時間になったので、図書室を後にした。この大学は設備が整っているし、歴史もあるだけあって、居心地がいい。説明会の講義室に入ると、三十名程の学生が部屋の中にいて、談笑していた。僕は何となく来たので、置いてある資料を手に取り、窓際の席に座った。
「君は新入生だよね」と声を掛けられる。
ふと顔を上げると、長髪で背の高い黒縁眼鏡を掛けた学生がいた。
「チラシを見てきたんです」
「そうだったんだ。是非うちのサークルに入って欲しいな」
彼はそう言うと前の方へと歩いて行き、グループに加わって話をしていた。説明会が始まると、プロジェクターでスライドが映し出される。「事業創生」という名前の起業サークルだと壇上にいる人が説明した。
「将来働くにあたって、起業の経験は有利になります。僕はこのサークルの卒業生で、今は外資系のコンサルティング会社に勤めています。このサークルに入って、ウェブサイトの会社を立ち上げました。今も続いているよな?」
彼が他の学生に目を向けると、彼らは頷いた。
「学生時代を将来のために投資するのは、就職するにあたって有利になります。僕自身も就職活動ではこのサークルの経験を話して、今の会社に内定を貰うことができました」
彼はそんな話をして、僕は段々と自分がこのサークルに入ることを決意し始めた。将来は大企業に入って、美人な女性と結婚したい。そんな思いが脳裏を過る。
説明が終わると、十組ほどのグループがあり、他に集まった新入生たちはそれぞれのグループの話を聞いていた。三人ほどで一つの会社を運営していて、他の大学からアルバイトで雇用している人もいるらしい。この起業サークルでは飲食店をやっている人もいれば、ウェブサイトやソフトウェアを作っている会社もあった。僕はたまたま座った席で、ラーメン屋をやっているというグループの話を聞いた。
「今はこのメンバーで二つの店をやっている。居酒屋の間借りをして昼の時間にラーメンを出しているんだ。君はどうしてここに来たの?」
話をしている人はそう言って、僕の方を見た。
「就活で有利になりたいんです。僕の家は農家だから、東京の大企業に勤めたいなって」
「君はもう就活のことを考えているのか。健全だと思うよ。目標があってそれに向かっているのは素晴らしい。四年間で最終的には店を経営する側になるんだ。最初の一年はラーメン作りや会計について学ぶといい。是非うちの会社に入って欲しいな」
僕はそう言われてわくわくしてきた。ラーメン作りというのも面白いかもしれない。話が終わると、僕は隣のグループに参加した。そのグループには男子学生二人と女子学生が一人いて、個人事業主向けにウェブサイトを作っているらしい。
「君はウェブサイトを作ったことはある?」と僕は中心にいる男子学生に聞かれた。
「ないです」
「そうだろ。ウェブサイトを作るって、個人では結構大変なんだよ。俺はそこに穴があると思ってこの事業を立ち上げたんだ。将来ソフトウェアを作る会社で働きたいと思っているからさ。今はこの大学で情報を学んでいるんだ」
彼はそう言うと僕の目をじっと見つめた。僕はウェブサイトを作る方が自分には向いているかもしれないと思う。
「一つ質問なのですが、将来大企業で働きたい場合、経営をしていた方が有利なんでしょうか?」と僕は聞いた。
「佐藤さん。質問です」とその学生は最初に説明をしていた社会人の人を呼んだ。
「何?」と佐藤さんが言う。
「経営の経験って会社員でも有利になるんですか?」と男子学生は聞いた。
「会社員だけだと、どうしても与えられた仕事を行うだけで、経営には踏み出し辛いんだ。若いうちに経営を経験していれば、会社員をやった後に独立することもできる。将来の幅が広がるんだよ。君はこのサークルに入るの?」
僕はそう聞かれて頷いた。
「じゃあ、早速紙を渡すから、今日から君はこのサークルのメンバーだ。新入生歓迎会の飲み会の連絡を後で送るよ」
僕はそう言われて、このサークルに入ることになった。
次の週の月曜日の夕方に、僕は笹井に呼び出されて、大学の建物の屋上にいた。今日は天文部の天体観測が行われるので、笹井は僕を連れてそれに参加したいらしい。屋上のドアを開けると、涼しい風が吹いている。屋上は高い金網に囲まれていたが、東京の郊外の住宅街の景色を一望できた。僕はふと地元の田園風景を思い出して、懐かしくなる。笹井は僕の隣にいて、背伸びをしていた。他の天体観測に来る人達はまだいなくて、屋上には僕らしかいない。
「立花はもうサークルは決めたの?」
「起業サークルに入ることにしたよ」
「へえ。すごいな。起業するんだ」
「就活にも有利になるみたいでね。周りの学生も優秀そうだったし」
僕がそう言うと笹井は手すりにもたれかかって街の景色を見ていた。太陽が沈んで辺りが徐々に暗くなっていく。空は紺色に染まっていて、美しい景色だと思う。
「俺はとにかく楽に生きたいんだ」
笹井はそう言うと僕の方をじっと見つめた。
「でも頑張って勉強してきたんだろ?」
「そうだなぁ。でもほどほどに周りに合わせてきただけだよ。東亜大学に受かるほどには必死でやらなかった。昔は俺も東亜大学に入って弁護士になって、困っている人を助けたいと思っていたけどね」
彼はそう言うと視線を遠くへ向けた。風の音が辺りに響いている。
「でも経営学部に変えたの?」
「幼馴染みを事故で亡くしたんだ。小学校の頃から付き合っていてね。ずっと一緒にいるものだと思っていた。でも事故で亡くなったことを知ってから、立ち直ることができなかったんだ。もう昔みたいな熱意はないから司法試験を受けるほど、大学では勉強したくなかった。経営学部なら、就職に有利だと思ったからさ」
笹井はそう言うと手すりから離れて僕の方へやってくる。僕はただじっと彼のことを見つめていた。薄暗い世界の中で、笹井の目に涙が滲んでいる。
「辛いことがあって前に進めない人もいるんだ。立花にはそれを覚えていてほしくてね。多分お前はこの先も順調な人生を歩んでいくと思うけど、同じ世界にはそうなれなかった人もいるんだよ」
彼はそう言うと、屋上の扉の方へ歩いて行く。
「天体観測は?」と僕は聞いた。
「俺はもういいよ」
彼はそう言って扉を開けると、屋上から去って行った。ちょうど入れ替わるように天文部の部員が屋上へやってきた。僕は挨拶をして、望遠鏡の設置を手伝った。
執筆の狙い
定期的に書いている短編を、今回も書いてみました。