岩田聡と歩く道 電卓の魔術師編
此処は北海道は札幌。時は昭和は五十年。競馬では強心臓カブラヤオーがダービーを逃げきり、紅茶キノコなんて飲み物が健康に良いとブームになっていた時代。
煙突のついた石油ストーブがじりじりと手袋を乾かしている。そんな教室の片隅で岩田は小さな革命の準備をしていた。その革命に使う爆弾は、小さな機械だった。
「おー、岩田―、なにやってんだー、暗いぞー」
隣の席の由良は、何時ものノリで何時もと違う岩田に呼びかけた。
「おう、ヒューレット・パッカード社のHP-67。アポロ計画の宇宙飛行士が月に持っていってアンテナの角度の計算に使ったって」
「へ?」
由良は呆気にとられる。そして岩田が何やらごそごそと手元で動かしているそれを見つめる。
「へっ? これ?」
岩田は由良の方を向き、にこりと応える。
「プログラム電卓」
由良はハハンとし
「電卓ぅ? 最近流行りのカシオミニみたいな? でも一万円以上するんだよな。よくお金あったな」
「いや、プログラム電卓」
岩田はこつこつと電卓の背面を叩く。確かに電卓としては分厚く、プログラムなんて耳慣れない冠詞に相応しいリッチさがあった。
「なんだよそれ……」
由良は少しの怖さとそれ以上の不思議さで聞き返す。
「プログラムが出来るんだよ」
「プログラム? なにそれ?」
「それにこれ、十万したんだよ、いやぁ大変だった、毎日皿洗いに新聞配達に」
一瞬言葉を失う。学食のカレーが百五十円のこの時代。ちょっとした宝石を持ち歩いているようなものだ。由良は声を潜めて
「おいっ! なんつーことを!」
いくら札幌南高等学校、通称南校の風紀が「自由であれ」であっても、それが当時丸刈りさえも校風にするような高校が多い中ふさふさの長髪の岩田であっても、許されまい。
「内緒だぞ」
「いや、いくらなんでも」
「内緒にしといて。こいつで良いことさせてやるから」
由良は、はっとした。そしてその約束を守ることにした。彼自身の悪友としての好奇心もあったが、なによりもその岩田の目が不思議と光って見えたからだ。恋する女性だったら、輝いて見えるなんてときめいていたかもしれない。しかし、由良が本当の意味で恋に落ちるのはそれからだったのだ。
*
南高生の溜まり場、お好み焼き屋「風月」。イカ、豚、ミックスが名物で、学生のメッカとしてボリュームも沢山だった。
その隣にあるゲームセンター「ピノキオ」。その幾つもの筐体が並ぶタバコ臭いゲーセンで、岩田は「スピードレース」というゲームを駆っていた。小さな丸っこい屋根のついた車の搭乗席を模した筐体にハンドルが付いている。今でも通じる大げさな見た目だが、中身はドット丸出しのカクカクした車たちが狭い道を車体をぶつけながら走るという原始的なものだった。
それもそのはず、大ブームとなるインベーダーゲームが登場するのはこれから2年後。ゲームはゲーセンでするもので、ファミコンなどの家庭用ゲームなどまだ存在せず、それもシンプルなものが多数だった。たとえば、長方形のパドルがそれぞれの右左両端にあり、それを上下させ、左右に動くボールをラリーーするテニスを模した「ポン」というゲームがまだ現役だった。
「おい、誰だ、あいつ、やけに捌きが上手いな」
「岩田だよ、岩田、2年の」
「なんだか真面目っぽいやつだな、わっぱはそれなりだが」
こんなところに似つかわしくない優しい目をした地味な少年が、思いもかけぬスーパープレイをする。そのプレイがギャラリーの一山を作ることもあった。
「てめぇなに! ガン飛ばしてんだ!」
その岩田のバックにいたギャラリーの大男が、二人に絡んできた。良くある因縁の付け方だ。そして二人もまた盛りのついた不良学生だった。
「んだ、てめぇ、表に出な! 秒で殺してやらぁ!」
「んだと、こらぁ!」
岩田は呑気にゲームの筐体にコインを入れて、続きをプレイしていた。
*
そんな時代。まだコンピューターはプロフェッショナルのもので、大きく高価で熱暴走もたびたびしてしまうような時代。岩田はプログラム電卓という小さなコンピューターとにらめっこしていた。
入力できるのは電卓らしく幾つかの数字と記号キー。出力される映像は、電卓らしく横一列の赤い数字のみ。10桁の数字しか表示できない。
それでも父のアメリカ出張から買ってもらった十万円以上もするヒューレット・パッカード社のHP-67。それは魔法の箱だった。そこに岩田は命を吹きこもうとしていた。
「スタートレック」アメリカの大人気SFテレビドラマで、熱心なファンはトレッキーと呼ばれる。岩田もまたその一人だったが、彼は単なるトレッキーではなかった。コンピューターのプログラムが羅列して書かれているパソコン専門誌、その中の同じプログラミングを志す同士が投稿したサンプルを見つめながら、岩田はプログラムを組んでいった。やがてそれは一つの形となり。
*
南校には「カット」というものがあった。先生の都合で休講になることを指すのだが、ある生徒は近所のパチンコ屋にサボったりしていた。
「いやそれが、せんこーが隣の台で打ってて。バレちまって。ヤバいと思って玉をあげたら見逃してくれたのよ」
そんな自由過ぎる南校だが、北海道では有数のエリート進学校でもあった。実は岩田はそのエリートの中でも更にエリートの成績なのだが、彼には勉強よりも熱中しているものがあった。
「なにかあったん?」
カットの暇な間、やけに上機嫌な岩田に、由良まで楽しくなってきた。
「良いゲームが出来たんだよ」
岩田が由良の前に自慢気に差し出す電卓は、一つのゲーム機となっていた。まだゲームボーイは愚かゲームウォッチも発売されていないその時。それは日本の高校生に与えられたはじめての携帯ゲーム機だったのかもしれない。
その電卓には、プログラムで「スタートレック」のゲームが作られていた。いくつかの島宇宙を探索し、クリンゴンの宇宙船を発見し、撃破するゲームが。
「すげぇ! 岩田すげぇ! お前天才!」
由良は大声を上げる。手元にはスペースオペラが展開されている。
「武器は光子魚雷にする? それともフェーザー砲?」
「やべっ! 被弾した!」
「いや、まだ大丈夫!」
「スポック副長、救済してけれー!」
「いいぞ」
「よしっ! えっ? おい! これドラマのオペレーションの再現じゃん! こんなん出来るん! 岩田すげぇ!」
そんな二人のやり取りを横目に見て加わろうとした生徒がいた。だが、彼はその電卓を見てこう思った。
「黒い表示欄に赤い数字が点滅してるだけじゃん。何処が凄いんだ? 何処が面白いんだ? こりゃ一緒にやってられないな」
楽しそうに夢中になる由良。赤い数字の裏に潜まれているプログラムの魔法にかけられた由良。ドキドキと電卓の数字を打ち込んでいる。岩田はそれを満足げに嬉しそうに見つめていた。
こうしてスタートレックゲームを、岩田は電卓の発売元である日本のヒューレット・パッカードの代理店に送ったのだった。
*
「とんでもない高校生が札幌にいるらしいぞ!」
「つーか、高校生がウチの電卓なんて使えるんすか? つーか買えないっしょ? 持ってないっしょ?」
「それがすごいゲーム送って来たんだ! 普通ならプログラムを保存できない大スケールのゲームを。磁気カード6枚にも分けて保存して! ヤバいぞ! これは明日にも商品化できるレベルじゃないか!」
それから後、岩田の家にはプログラムに関する資料が山のように送られてきたという。もう一つパッカード社が踏み込んで岩田をスカウトしていたら、何かが変わっていただろう。そんなこともつゆ知らず、岩田はその資料を元に新しいゲームにいそしむのだった。
*
化学の授業中。ぼそぼそ声で授業が成り立たないという「ぼそ先」の目の前には、野球ゲームに興じる岩田と由良ら数人の生徒の姿があった。
岩田の野球ゲームとは。乱数でホームラン率などを巧みに制御して投手と打者に分かれて遊ぶゲームだった。
投手は3×3のマスのどれかに投げ込む。たとえば電卓の数字の9の右上は外角高め、数字の5の真ん中はど真ん中、数字の1の左下は内角低め、0はボール球。
まず投手は電卓の数字を3桁入力し投げる球を決める。最初の0から9はコース、2番目の0から9は球のスピード、3番目の数字はストレートか変化球。打つのはコンピューターが担当し、0から9の数字を予測。その投手の投げる球の数字と、打者の決めた数字の誤差とランダムで決まる乱数によって、ヒット、ホームラン、空振り、ゴロ、などが決まる。
ぼそぼそとした退屈な化学の授業は、そんな時代の最先端の科学のゲームの試遊回となっていた。岩田のプチゲームセンターに入門する生徒はますます増えていったのだった。由良もますますのめり込み、ゲームを遊んで笑い声をあげるだけでなく、設計やゲームシステムを岩田と一緒に考えるゲーム作りの友にもなった。ちなみに岩田は授業をまともに受けてなくても、テストで高得点を稼いでいた。
英語が苦手科目だったようだが、外国のプログラム電卓の英語の説明書、こういうものは大抵母国語でも難解な専門用語で構成されているのだが、それを読み解くために懸命だったようだ。何事もゲームが最優先の岩田だった。
*
岩田はバスケットゴールのリングに必死につかまろうとジャンプしていた。バレーボールの練習だ。
岩田はバレーボール部に所属していたが、そこは全国大会に出場するほどの名門で、練習も厳しいものだった。
それに耐え練習し続ける岩田だったが、高校ではじめてふれるようにバレーの経験は浅かった。岩田の中学の部活は合唱部だった。テノールで慣らした声は、合宿の余興や試合の応援には向くが、レギュラーはそれで近づくものではなかった。
「岩田、なにゲームなんて持ってきてんだ! ここは部活だぞ」
「いや、この電卓でデータを保存しようと思いまして」
「そうか、最近積極的に試合の記録とってるもんな」
岩田は電卓に入力し続ける。試合のスコア。各選手のアタック成功率、サーブ成功率……岩田のしたことはデータマネージメント、時代を先取りした夢の取り組みだった。岩田なら、「勝つための選手起用や戦略」などを練ることが出来たかもしれない。だが、時はスポコン、根性と精神論が支配する昭和真っただ中。たとえばブルマが当たり前で、夏の暑い日に水を練習中に飲みに行くことも「たるんどる」と言われるような非科学の根性の時代。
「そっか、お前インテリだもんな」
「これでバレーの才能もあればな」
「いけー! 気合いを見せろー!」
岩田は淡々と記録を取り続けた。
結局三年の間レギュラーを取ることは一度もなく、バレーボール部の最後の夏は3回戦で終わった。
*
木村は進路について悩んでいた。女子など大学に行かなくていい、そんな古い、でも当時としては当然のことを言う父に悩んでいたのだ。
誰でも良い。この気持ちを相談したい。女友達が真剣に、でもどこか気軽に聞いてくれるのに飽き足らない彼女は、近くにいる「あの」岩田に気持ちを打ち開けることにした。しかし即座に返って来た答えは。
「進路? お前の? どこでもいいんじゃないの? どのみち、女子は結婚して家庭に入れるだろ? 僕らは逆に家族を養わないといけないから、男は大変なんだよ……」
うわぁ、机並べて勉強してきたわたしにそんなこと言うかぁ……岩田君、古すぎるわよ、なんて思いつつ。言いたいことを素直に言う岩田に、養ってやると断言する男気に、木村は少し思うことがあったのだった。
また別の日。木村は進路に向けて勉強をしていたが、化学でどうしても解けない問題があった。
「うーん……」
止まっているペンに、岩田が声をかけた。
「どうした?」
「化学の問題が解けないの!」
「ふむふむ」
問題を見ようと顔を近づける岩田にどきんとする。
「こいつは直ぐには解けそうもないな」
数日後。岩田は意味ありげなノートの切れ端を、木村に渡した。
「はい、これ」
木村は返事が出来ない。ひょっとしてこれは。恋文? 顔が真っ赤になる。何も言えない。紙を見れない。そのまま家に帰る。ドキドキしながら自分の部屋のドアを閉め、鍵をかけ、恋文を読みはじめる。
問1 SO2+2SH2S → 3HS+2H2O
問2 わからん
翌日の教室の風景はこんなものだった。
「解いてくれてありがとね」
「あれさぁ、どこの問題?」
「新聞に出てたやつ」
「そうなんだ。まいっか」
木村は「そっけないなぁ」と息を吐いた。彼の的外れな優しさと情熱に、少し嬉しくもなるが、やはり夢見たロマンスとは遠いものだった。岩田の恋の青春は人知れず始まり、人知れず終わっていたようだ。
*
3年最後のクラス対抗球技大会の競技はバレーボールだった。
大会を優勝したクラスの中心には、岩田の活躍と笑顔があった。
*
岩田もとうとう南校を卒業する頃になった。南校の卒業式は、自由な校風もあって仮装行列のような催しとなっていた。それぞれ仮装したクラス代表が、卒業証書の束を受け取る。羽織から法被、果ては先生の顔を印刷したピンクのおそろいのTシャツ姿まで。
岩田のクラスの代表の牧内は、受け取る格好を和服姿にすることにした。しかしそれだけでは芸がない。なにせ報道取材陣も集まる南校の卒業式。駕籠(かご)に乗って、こうわっせわっせと担がれて校長の元に参る、登壇しようという悪魔の思い付きが閃いた。ははは、大学入試と被る時期、ただでさえ嫌がれる仕事なのに、駕籠作りまでも加わることになるのだ。
一人で駕籠作りをする牧内。その元に見かねて集まる幾人かの中に岩田もいた。岩田は入試そっちのけで夢中になって駕籠を作っていた。人を楽しませるものを作ることには夢中になってしまう岩田だった。
卒業式当日、担ぎ手となって駕籠を運ぶのを快諾したのも岩田だった。
「気取ったやつだから、みんなの笑いものになるの嫌がると思ったんだけどな。実は気さくで良い奴なのかもな」
なんてあと数日したら別れることになる友への感傷を交えながら、卒業式本番がやって来た。
「参れい!」
牧内は殿様のように岩田ら担ぎ手に命令し、校長の元に馳せさんず。卒業証書を受け取る牧内には、しかし学生らから激しいブーイングが浴びせられた。滑った。渾身のユーモアが滑った。痛ましいブーイングを浴びつつ、駕籠に入り去っていく牧内に、しかし奇跡は訪れた。突如、駕籠の担ぎ棒がバキッと折れて、駕籠は地面に落下したのだ。痛々しく沈んだ駕籠から這い出る牧内を校内の爆笑が祝福する。茫然と脱力する牧内を、面白い卒業式があるぞと取材に来ていたカメラマンはでっかいカメラでパシャリと写真を撮る。そのバックにはガッツポーズをするスーツ姿の岩田の姿があった。
*
由良が岩田の部屋を訪ねると、本物のコンピューターが待っていた。
「すごい! 岩田君!」
「コモドールのPET2001。入学祝いを頭金にね。ほんとはアップルが欲しかったんだけどね。あれは高すぎて」
「岩田君、あれで東工大入っちゃうんだもんな。国立のトップクラス。エリート街道まっしぐらじゃん」
「それよりも由良君」
「ん?」
「今度は東京でこいつでまた一緒にゲームを作ろ!」
由良にはわかっていた。それは青春ゆえに眩しい約束であり、また叶わない約束だと。
「うん!」
それでも由良は応える。誇らしき電卓プログラマーから本物のプログラマーへと歩み出す友を祝して。
執筆の狙い
フィクションとノンフィクションの間をぼろぼろになりながら進もうと思います。
よろしくお願いします。