魅力的な戦争
社会科教師・日高ゆかりの体調は最悪であった。起床時に感じたのは悪寒と激しい頭痛。
「うぅ」
布団から出ずに携帯端末を探し、病院の予約を入れる。
“がんばれ頑張れ”と自分を励ましながら、本日の担当授業を同僚に振り分ける。
『今日体調悪いから、同僚の先生たちにやってもらうよう引き継ぎ書作って』
AIに指示を出すと、3つのPDFファイルが生成された。軽く確認し、送付先を選ぶ。
1コマ目、2コマ目と送った。目が霞むが、どうにか開ける。あと一コマだ。
「四時間目、新任の赤城先生……」
『a』と打ち込むと“青池空音”と予測が出る。そのままタップして送信した。
そう、青池空音に送ってしまった。
つまりは、誤爆である。
青池空音は研究者である。
遺伝子編集の研究が本業だが、教員に欠員が出たときは講義を引き受ける。タブレットを開くと、見覚えの薄い人物から依頼が届いていた。社会科の代理、内容は小テスト→教科書の丸読み、余った時間は雑談で可。研究が行き詰まっていたこともあり、気分転換になると判断し了承。研究棟に隣接する学校へ歩を進めた。
「中等1年のB組か。地下三階の突き当たりですね」
教室に入ると、目の前には五十人ほどの生徒。休みはなし。元気があって良い。
コンクリートむき出しの壁が取り囲む、地下らしい教室。右手の壁には地上の風景写真が貼られ、上から窓枠が打ち付けられている。後方には鍵付きロッカーが五十人分、窮屈そうに並ぶ。教材はタブレットのみ——現代はそれで十分だ。
「今日は私が代理で授業します。よろしく」
教壇に立つと生徒たちは一瞬こちらを見るが、すぐ自分たちの話に戻った。何人か見覚えがある。短髪の女の子、眼鏡の子は以前少し質問に来ていた。
鐘が鳴り、生徒たちが起立・気をつけ・礼。
「はい、よろしくお願いします。ええと、日本国憲法の“戦争放棄”ですね。丸読みになっているので、出席番号一番からお願いします……」
条文を見て、少し圧力を感じる。いわゆる真面目系の文章の、あの拒否感だ。
「一文が長いので、適当に区切ってバトンタッチしてください」
席は出席番号順。左前端の生徒が読み始める。
「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、」
読むのをやめ、後ろのお下げの女の子に視線を送る。
「威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」
すぐに察して引き継いだ。——日本と海外のつながりが消えて百年以上。他国との往来のない現代では、この条文は最早意味をなさない。
仮に再び海外と繋がったとしても、この一文や国際条約を掲げたところで『何だこの骨董品は。』と笑われるかもしれない。
「えっと、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」
次の生徒は少し手こずってから読み上げた。分かっていても怠けたい気持ちはよく分かる。
「国の交戦権は、これを認めない」
最後に利発そうな男の子が読み切る。
「よくわかんねーな」
一言、つぶやいた。
同意見だが、さすがに口にはしない。代わりにタブレットを見る。
『日本国憲法の戦争放棄について、子どもでも分かるように解説して』
内蔵AIに指示し、読み上げる。
「要は、戦争っぽいことをしないようにしよう。日本は武力を持たないよ、ということです」
「なるほど!良いルールだね!」
上機嫌に笑う。興味は無いがこの手の話では無難な対応が間違いない。そうかもね、と言葉を濁した。
「どんなお花畑だったらそんな考えになんのー?」
一番後ろの目の下に女生徒が机をカタカタ揺らしながら煽った。空音は確か問題行動で要注意と通達されているとどうにか記憶を掘り起こした。そうだ。須崎だ。
しかし利発そうな男の子は彼女を無視した。空音を見上げ、ニヤリ。
「センセー、AIに聞いたでしょ!」
更に勘が良い。目ざとい。
「興味ない内容なので、こんなもんですよ」
“ちょっと読ませるだけで良い”と軽い気持ちで来てしまった。教育はそんなに甘くない、という事実をすっかり忘れていた。素人の知識よりAIの検索のほうがまし、という場合が、たぶん多い。
短髪の女の子がムッと顔を向ける。やる気のない教師はいけない。怒られたら謝ろう。
「何でこの授業やってんの?」
怒っているらしい。観念して白状する。
「日高先生が、チャットでやったら奢ってくれるって言うから」
——いや、言っていなかった。別の友人の話だ。訂正しないと、と思ったところに横やり。
「えー。じゃあ俺、担々麺」
突然なんの話だろう。担々麺は美味しいけれど。
「私オムライス!」
「パンケーキ。」
次々挙がる料理名に気圧され、少し間を置いてから提案する。
「食材を持ち寄ってくれれば、何か作りますよ。気が向けば」
気のない授業をしたお詫びも必要だろう。ごちそうするのも一案だ。
「本当?」
「気が向けば」
食事の話は楽しい。ただ、違和感が残る。
「残った時間は雑談で良いことになっていますが、もう少し勉強っぽいことをしたほうが良いでしょうか?」
ふと首を傾げる。違和感の正体はこれだ。代理とはいえ、給料をもらっている。料理の話で終わるのはまずい。
「そーなの?」
「お給金をもらっていますから」
何か質問が出れば楽だ、と思いながら教室を見回す。
『地球温暖化が進んでなぜ海外とのつながりは途切れたのか』——そんな質問が出れば一日中でも語れるのだが。
思い通りにはいかず、お下げの女の子が気を使って挙手した。
「それなら、どうして戦争なんてしたの?みんな、やっちゃダメって知ってるのに。」
ギクリと体が固まった。中々重い質問だ。
「踏み込みましたね。興味のない私の手に余ります」
利発な男の子が椅子を揺らして笑う。
「自分で言っといて草」
教室でネットスラングとは度胸がある。危ないのでやめなさい。
「センセーの意見で良いから!」
裾をぎゅうぎゅう引っ張る少年にバランスを崩されそうになりつつ、思案する。
請われれば教えるのが講師の役目。せめて自分の考えは伝えねば。
「私個人の意見としては、そうですね。戦争は集団暴力の一種で、『暴力とは魅力的である』が理由の1つだと思います。」
騒がしかった教室が、静まり返る。少年が裾をぱっと離した。
「面白い事言うねー。」
須崎はニヤニヤと笑った。
「先生、それ本気?」
お下げの女の子の瞳が揺れる。
「はい」
やはり誰も“なるほど”とはならない。
「だって、人死んじゃうし、爆弾とか投げられるし、すごく悲惨だよね?」
短髪の女の子が腰を浮かせ、責めるような目つき。まあ歴史の中での話だが概ねそうだ。
「そうですね」
洞窟や防空壕に逃げても、爆弾を投げ込まれたり火炎放射器を浴びせられたりすることがあるらしい。伝聞にすぎないが、遠慮したい死に方だ。
「人が蒸発したりとか」
——核爆弾の話だな。生きた痕跡を残したい主義ではないが、町の付随物のように殺されるのは、流石にごめんだ。
「そういうこともあるでしょう」
同意しつつ、やや違和感を覚える。
「病気を撒かれたりとか」
戦時中に病原菌の開発をしていたと聞く。病で死ぬのは物によるが、誰がどこでいつ倒れるか分からないのは恐ろしい。
「常套手段ですね」
「そんなものが魅力的なの?」
「はい。」
寝そうだった生徒も背筋を伸ばす。出て行きたそうな顔もあるが、ほとんどは固唾をのんでいる。ならば説明しよう。
「皆さん、少しごっちゃになっています。」
「私は『魅力がある』と言いました。皆さんは、それを否定するために、魅力とは関係のない理由を挙げましたね」
伝わっただろうか。眼鏡の少年が、天を仰いで腕を組み、首をひねる。
「いや、先生そりゃヘリクツじゃないですか。先生が非常識な事言って皆に怒られただけでしょ。フツーじゃないよ。」
お、そりゃそうだ。だから余り話したくなかったのだ。この授業は引き受けてはいけなかったな。本当に疲れていたようだ。
「その通りですね。」
利発そうな男の子が、我が意を得たりと得意げになった。
「ほらー。先生疲れてるんじゃないの?今の話も疲れてただけでしょ。」
教室の空気が一気に緩んだ。
しかし、ここで引き下がると講師が変な啓蒙したみたいな印象だけ残りやしないだろうか。
一応お世話になっている学校の評判にも関わる。恩を仇で返すのはちょっとヤダな。
いや、先生疲れてるんじゃないの?とか言っていた。問題はないか。
撤回するか?根拠のある自分の考えを?嫌だ。すごい嫌だ。絶対ヤダ。
「そうですね。なんだか疲れています。ただ、今の話は私なりの理屈があるので撤回はしません。」
再び生徒たちはピシリと固まった。
教室全体が『えっ』と声を出した雰囲気だ。
「ど、どうしてですか?」
まず体を前のめりにし、お下げの女の子が反応した。
「それは、私が非常識でフツーでない人間だからです。」
「ご、ごめんなさい。悪気があった訳じゃなくて、先生は良い人だよ。」
眼鏡の少年は空音を傷つけてしまったかと慌てて謝罪した。良い子だな。罪悪感を覚え始めた。
「謝ることはありません。私は生まれてこの方自分がフツーだとか常識的だと思った事はありません。」
彼らに拒否感があるのなら無理に説明せずに食べ物の話に戻した方がいいかもしれない。と考え1つ息をついてつづけた。
「まあ、雑談なので君たちが一生懸命になる必要もないと先に伝えておきます。」
時折自分の言葉は相手を傷つけてしまう事がある。不思議で深堀しただけなのに泣かれた事もある。子どもたちには優しくせねば。
「ただ、私には君たちの質問に答える義務があります。今の話の意味を知りたかったら、少しこちら側に近づいてもらいます。要はちょっとだけ皆さんも非常識になるということです。テストに出ないし雑談なのでどちらでも良いのですが、どうしましょうか?。」
「まあ、こんなイカれてるなんて知らなかったけど。」
利発な少年はコソコソ話している。何故隠すように話すのか分からなかった。
「何だかんだ優しいよね。でもこんな考えするなんて昔ひどい事されたのかな……」
眼鏡の少年も後ろの生徒とコソコソと話している。傷つくと思っているのだろうか。
「先生は悪い人じゃないし、なんでそんな事考えるようになったのか知りたい。」
短髪の女の子の口ぶりは宣言するかのように火口を切った。
「先生、トラウマとか話すのが嫌じゃなかったら聞きたいです。」
「あ、でも分かるように話してください。」
お下げの女の子が続いた。
そんな深刻な顔をしなくても。
「先生、こんな話して授業遅れないんですか?」
活発そうな少年は手を挙げて不審そうな顔をした。
「本日日高先生が指示した分は終了しています。彼女としても何か算段があるでしょうから今これ以上授業を進める意義は無いかと。」
活発そうな少年は頷き、「辛気臭いの嫌いなんで隣の進路指導室にいます。」と出て行った。
彼に数人の生徒も続いた。
「他に嫌な方はいませんか?」
特に移動する生徒もいないし意見も出なかった。
「わかりました。続けます。途中退席でも構いません。人数が半数を下回ったらその時また考えましょう。」
教室内を確認し、再び話始めた。
「では、ひとつずつ体験の形にしたほうが分かりやすいかもしれません。題材は……ギャンブル、裏カジノ……違いますね。もっと身近なもの」
教室を歩き、教壇に戻り、少し考えてからポツリと。
「カンニングが良い」
トン、と手をつき、声を放つ。異様なほど、響いた。
「『テストのカンニングは魅力的で無い。』理由を聞かれたらどう答えますか?」
空気が一気に緩む。物騒な話から少し身近な話題に移ったからだろう。
「みんなやりたいんだからそんなの無いよ!」
嬉しそうに笑うのは勿論須崎だ。
「私は手助けがしたかったですね。」
空音は自分の成績に頓着しなかったが、友人の成績を誤魔化したかった過去がある。眼鏡の少年は眼鏡を直した。そして。
「ダメですよ先生。バレたら停学になります」
いやだから違うって。そんなキリっとされても。
「それは“やってはいけない理由”です。“魅力的ではない理由”ではありません」
さらに続ける。
「この場合、『実力が伴わないから意味がない』『カンニングでは点数はほとんど上がらない』などですね。」
空音は教壇を降り、机の間を歩く。
眼鏡の少年は少し悩みながらもどうにか聞く。
「先生は…教科書を読むみたいに?…理屈だけで世界を見てるんですか?」
空音はキョトンとしややあってから考え込んだ。
「いや、結構本能のまま見たりしますよ。あれ美味しそうだな。だとかそろそろ眠いな。だとか。」
生徒たちの姿勢が一気にだらしなくなった。
「理屈と本能だけじゃ無いでしょ。なんかこう、友情とか色々あるじゃん。」
利発な少年は頬杖をつきグダグダと感想を述べた。
「どうもその辺りは疎いのです。」
お下げの女の子が一つうなずいた。
「先生と僕たちは世界の見方が違うから、こうやって言葉の意味を擦り合わせているんですね。」
空音ははっと笑う。自分の言いたいことが伝わるか、不安だったのだ。
「その通り。ありがとうございます。では、戦争とは?」
「国同士の喧嘩」
隣の生徒とコソコソ話してから短髪の女の子が纏めた。
「定義上は正しいですね。でも、実感では違いませんか?」
「どういうこと?」
利発な男の子が首をかしげる。
「『不良同士の衝突』『国内の対立』『宇宙からの侵略への抵抗』。これらも“戦争”と呼ぶことに、違和感はないでしょう?」
確かに——と少女が呟くのを横目に、空音は続ける。
「共通点、つまり、何をもって戦争と認識しましたか?」
「暴力で何かを押し通そうとしていること、です」
利発な男の子が再び答える。普段は敬語を使わないのに、自然と口調が整っていた。
眼鏡の少年が引き取る。
「でも、それなら相手がいます。相手は可哀想だし、負けたら酷い目に遭うかもしれない。それと、暴力は暴力でも集団同士です。戦争も暴力も絶対にやっちゃダメですよ。」
空音はにこりと笑い、周囲の同意を確かめる。
「なるほど。皆さんも?」
小さくうなずく音が広がる。
「では、“戦争”の定義はすり合わせできましたね。『これで戦争は暴力』の1つの形と言えます。」
教室後方まで歩き、ロッカーに手を置く。
「では、“魅力的”とは?」
再び歩き出す。
「なんか良いな、とか、やってみたいな、とか?」
お下げの女の子は落ち着かない様子で足を組み替える。
「良い答えです。私もそう思います」
続ける。
「では——カンニングは、やってみたいですか?」
教室の温度が一気に下がった。
眼鏡の少年が慌てて立ち上がる。
「だ、ダメです。やったら停学になります」
「論点がずれています。あと、座ってね。」
「ごめんなさい」——恥ずかしそうに腰を下ろす。空音は、やったことがあるのかと疑った。しかし証拠も理由もないので黙っておいた。
止まりかけたところで、お下げの女の子が小さくつぶやく。
「まあ、成功したら良いですよね」
空音はまた笑う。場が停滞せずに済んだ。
「皆さんも同じように思いますか?」
緊張が走る。誰も答えない。同意と受け取る。
「質問を変えましょう。AIは魅力的だと思いますか?」
雰囲気が一気に柔らかくなった。
「はい。喋ってると楽しいし」
「いろんなこと調べられるよね!」
「寂しい時、受け止めてくれる」
思い思いの声が上がる。
空音はそれを見渡し、うなずく。
「そうですね。AIは人類の叡智の結晶です。——では、何をもって“魅力的”と判断しますか?」
しばらく沈黙。やがて、眼鏡の生徒がぽつり。
「成功した時に何かが手に入ったり、成功・失敗に関係なく欲しいものが手に入る、とか……それは魅力かもしれません」
「おお」空音は笑い、教室の反応を確認して、同意と見なす。
しかし返答するより早く、声が飛ぶ。
「だから、僕には“戦争の魅力”って分かりません」
「そうですか? けれども——」
空音はヒョイと眼鏡を取り上げた。度が強い。
「あ」
少年がそれを追う。
「ちょっと先生!返してあげて。」
利発な男の子が庇うように声を上げた。
「何してんの?」
教室がざわつき始めた。
いけない。いけない。
「ごめんなさいね。」
空音は軽く謝罪して眼鏡を返した。しかし話は続ける。
「けれど私が、どうしても今その眼鏡を欲しかったとしたら?」
教壇へ戻った。
「それが理由ですか?」
利発な男の子は空音をにらみ、眼鏡の少年が拳を握る。
「ひとつの理由にすぎません。」
「その眼鏡は、私の給金4日分です。それが一瞬で手に入るかもしれない。充分“魅力的”だと思いませんか?」
そんなことをしなくても、目が悪ければ両親が買ってくれるし、お小遣いを貯めればいい。
「でも、通報されたら捕まりますよ」
短髪の女の子が反論する。捕まれば、魅力は簡単に失われる。そう思ったのだろう。
「では“捕まらない状況”では? たとえば、戦争中の略奪なら」
空音は椅子に腰を下ろす。
「そんなことをしたら、取られた子が可哀想」
眼鏡の少年が顔をしかめる。
「……先生は、どうなんですか?」
彼女に質問される立場からどうにか脱したかった。
「どうとは?」
「暴力に魅力を感じたりするんですか?」
「昔、一度ね。姉と兄にいじめられていた時期があって。かなり酷い部類でした。ある時、姉の耳に噛みついた」
空音はゆっくりと目を細める。あの時ほど高揚したことはなかった。
「姉はトラウマを抱え、私を避けるようになった。動機は不快の排除。結果、嫌な相手を排除できた。充分な“魅力”です」
「先生が暴力的なだけだと思います」
一瞬の同情を押し殺した眼鏡の男の子は、どうにか絞り出した。
空音は目を細め、笑った。
「そうでしょうか。今の話に一切同情しなかった生徒は少ないと思います。」
かつてこの話を友人にした時、彼は泣いて怒った。講師向け講座でも、あれは“やってはいけないこと”で、被害者は同情される立場だと学んだ。
ふと生徒がタブレットで数学の問題を必死に解いているのに気づいた。ジッと見ているとハッと顔を上げて目を泳がせた。
「先生ごめんなさい。」
「怒っていませんよ。雑談ですし。ただ進路指導室の方が静かでいいのでは?」
空音の疑問にタブレットを抱えながらフルフルと首を振った。
「中途半端に聞いちゃったんで結論まで聞かないとなんか怖いっていうか。」
ホラー映画並みに怖いの?
「あー。それな。俺も同じ理由。自分の嫌なところめくられてる気分っていうか。」
別の生徒も賛同した。やめた方が良いかと本気で悩む。
「続けてください。」
利発な男の子がせかしてくる。
「良いんですか?」
返答する前に、そっと何人か出て行った。良くわからないがタイミングがあるのだろうか。
空音は何時出て行っても良いですよ。と念を押す。生徒数は2/3、ちらりと時計を見ると残り時間20分である。
「続けましょう」
「今のやり取りのように、暴力や戦争に対して強い嫌悪感があるのは明らかです」
教室全体の同意を確かめ、うなずく。
「では、なぜ起こるのでしょう?」
首を傾げる生徒たち。やがて利発な少年がタブレットを操作している。
「権力者が、もっとお金を取ろうとして、とか?」
コイツもカンニングしたな。
「良いですね。共感できますか?」
「全然」
少年は首を振る。
そして追うようにぽつぽつと意見が出る。
意見が出尽くした頃、空音は人差し指を立て、首をかしげて笑い道筋を示す。
「では、思考実験をひとつ」
「貴方の大切な人があるものを欲しがっています。それを持っている人物が現れた。無理やり取ってもバレないです。どうしますか?」
お下げの女の子は少し思案し、足をぶらつかせた。
「交渉して譲ってもらいます。」
「どこで買ったの?って聞く。」
空音は品行方正で良い子たちだ。と嬉しくなった。
「そうですね。」
「ではその持ち主は、気の弱い子を虐めています。」
眼鏡の少年がうんうんと頭に情報を入れる。
「外面が良くて報告しても信じてもらえません。」
生徒たちは難しい顔をして聞き続けた。
「大切な人は被害者の子を助けて欲しかった物を奪い取りました。」
利発そうな男の子が顔を歪めたが黙っていた。
「その人の事を咎めますか?見なかったことにしますか?」
「注意すると思います。誰かが見て人に言うかも。」
お下げの女の子は目を泳がせていた。神の視点に彼女が立って気付かれないと確信を持ったら見逃すかもな。と感じた。
利発そうな男の子は迷いながらもゆっくりと口にする。
「咎めて返してあげるべき、だと思います。」
『べきだと思います。』か。と空音は反芻した。しかし黙って置いた。眼鏡の少年が一度壁紙を見てから、
「見なかった事にするかも。」
後ろめたいかの様な表情だ。
「でも、暴力はダメだよ。」
短髪の女の子はただ呟いた。
再び何人かの生徒がくだらないと吐き捨て出て行った。
「何でそんな深刻そうにしてっか分かんないんすけどぉ、何で止めるの?そいつが弱いだけじゃん。」
やはり須崎には生徒たちの感情が理解できないようだ。他の生徒たちは無視を決め込んでいる。
空音は話の段階を進める。
「その人は何かを取らなかったら寸分も責められる謂れは無いと思いますか?」
「そりゃ卑怯だよ先生。外面が良いから誰も信じないって言ったじゃん。仕方ないよ。」
利発な少年は話が違うとばかりに反論した。
「言いました。確かに卑怯ですね。ただ今みたいな理由が有ったら仕方ないですね。」
「じゃあ、今みたいな理由があったら、悪い奴なら
――死んじゃっても
爆弾とか投げられても
蒸発しても仕方ないですね。」
「…いや…規模が違うよ。」
眼鏡の少年は忌々しそうに空音を見つめた。
「そうでしょうか?では何処までの規模なら許されるんですか?」
空音の質問に目を見開き忙しなくタブレットを操作した。しかし言葉を発しなかった。
「死者が出ないなら。良いんじゃないかな。」
お下げの女の子が引き継いだ。自分の意見というよりも無理に絞り出したような感じだ。
時として人は集団を個として見る。国籍・性質・性別。何でもいい。
「今の流れだと虐めてる方の規模も違うと思いますよ?街ごと無くなってるかもしれません。死者を出さずにとなると手を出してはいけないのですね。」
空音の言葉に、利発な男の子は跳ねたように顔を上げた。
「それはやられてる方が可哀そう!」
ハッとしたように口を塞いだ。お下げの女の子はビクリと体を震わせた。
何人か再び出て行った。時計を見ると残り5分。
「人の事なんて別に興味ないよね?カネとか後まー単純に虐めって楽しーよね?」
利発な男の子は無視できずに睨み付けた。
対して意地悪く笑い大声でがなり立てる。
「アンタらはこっちか。『ヒーローだから悪い奴にとっちめてまーす!』てぇチヤホヤされて正義感満たしたいんじゃないのぉ?」
利発な男の子と短髪の女の子が同時にちょっとそれはどうなんだと叱りつけた。
眼鏡の少年が暫く俯き顔を上げ再び俯いた。
「そっか。罰だ。」
須崎向けた声だと分かった。さらに続ける。
「でっち上げでもなんでも悪い奴に罰を与えるのは、楽しい?」
利発そうな男の子が顔を歪めたが無視した。
「勿論。一番いいよね。スカッとするよぉ。」
短髪の少女が口をパクパクと動かしたが無視して続ける。
「何か手に入るなら何でもいいよね。」
立ち上がり目を輝かせ、興奮し的確に答える。
「勿論!それで遊ぶんだよ。あぶく銭だし」
「先生、須崎さん。悪い奴を倒して罰を与える為なら戦争をする事はみんなが納得するでしょうか?」
眼鏡の少年の問いに対し空音と須崎の声が同時に響いた。
『さあ?でも、魅力的だね。』
時計を確認すると授業時間は一分を切っている。残った生徒は26人。
「時間になったので雑談は終了です。」
空音の声が教室に響き須崎の笑い声が聞こえる。
空音は思い出したように付け加えた。
「今のは仮想実験でしたが現実では何を持って私達は真実を判断してるんでしょうね」
答えを聞く前に、鐘が鳴った。
「終了です。皆さんの質問に上手く答えられたでしょうか?」
生徒たちは居心地悪そうに、ゆっくりとうなずく。
「なら良かった。複雑ですね。」
教室から出ようとし、ふと付け加えた。
「日高先生に奢ってもらう約束なんて、していません。私の勘違いでした。」
最早どうでもいい訂正を残して、教室を後にした。
教室は一瞬の静寂ののち、どっと議論に沸いた。
「青池先生! もしかして日高先生の代打、やりましたか?」
教頭が走ってくる。どこか焦っている。頭がやけに光っている。
「はい」
教頭は天を仰ぎ、一言。
「貴方、ズレてるんだから……いや、こちらのミスです」
執筆の狙い
戦争を止めたかったらやらない理由よりやる理由を考えるのも良いかな。と。
タイトルとは違って暴力表現は特にありませんが、話しているテーマがテーマなので苦手な方はご遠慮ください。