猫幽霊
「アメちゃん、今日も猫幽霊に会いに行くんかい?」
深夜一時、アメちゃんが「一緒に外に出よう」と誘う。一緒に階段をとっとっと降りる。部屋着にジャンパーを羽織り、外に出る。外はつんと冷たい。風はふわふわ。雲間から星が幾つか瞬いている。アメちゃんは庭の蛇口の周りをうろうろ。「あいあいよ」とバケツを外して、蛇口を回し水受けに水を貯める。ほどほどに溜まった後、蛇口を閉じ、しばらく待つ。するとアメちゃんは水受けまでジャンプして乗っかり、首を下げてぴちゃぴちゃする。「アメちゃん」秋と冬の間、しんとしていてじんとする。
ゴミ捨て場を通り過ぎ、砂利道をじゃりじゃり歩く。前日の雨で少し湿っている。アメちゃんは少し前を行き、時々立ち止まり、僕に撫でられ、またふらふら歩く。僕の歩に合わせて、尻尾も左右にぶんぶんと揺れる。犬ほど単純ではないが、猫も尻尾を使って「嬉しい」を表現するのだ。僕はてきとーなポエムをメロディーにする。
「空に星はまかれー 猫はまかり通り― 僕の嫌いなのはサバカレーー うううー」
アメちゃんは迷惑そうにもせずに、何時ものことかと気にせずゆらゆら歩いている。
アメちゃんは無事近所のお寺に着いた。先ずは駐車場、お金持ちの大きな土地のお寺さんにしては随分と庶民的なプリウス。それをくんくんとアメちゃんは物色する。僕は駐車場の前で、「葬儀にお坊さんがベンツに乗って参るわけにも行かないよなー」、とかどうでもいいことを考える。
アメちゃんはふらふらふらふら駐車場の奥まで行く。「アメちゃん」こちらの呼びかけは聞こえているんだろうが、言うことは聞かない。ただひたすらマイペースにくんくんする。
神社の石碑の近くの草垣、アメちゃんは何時もの場所でじっとしている。僕はこれを「猫幽霊の会話」と思っている。アメちゃんはもう十五歳だ。アメリカンショートヘアの寿命が十三歳なので、もうだいぶ高齢だ。お爺ちゃんだ。お爺ちゃんになったアメちゃんは先輩の猫幽霊とここで会話するようになったのだ。声じゃない声で。猫耳じゃない猫耳で。猫幽霊とアメちゃんは会話しているのだ。ほんとに真剣な目で相手がいるように宙を見つめているのだ。
しばらくしてアメちゃんは帰り支度をする。何時もなら。だけど、その日はなんとお寺の奥にまで行こうとしている。そこには当然、墓石の集まり、墓場がある。
墓場を行く。猫は迷いなく道をすたすたと曲がりつつ進む。僕はちょっとぞっとする。白と灰の中間の墓石がうっすらと浮かぶ迷路のように入り組んだ墓場。そして、猫の歩むその墓場の道順。ちょっと怖い。猫が迷いなく行く。そしてあるお墓の前でしんと座る。我が家のお墓だ。「小林家」と書かれている。偶然にしても、それはあるのか。百はある墓石からピンポイントでウチのを当てるなんて。猫幽霊が導いたのか。何かがアメちゃんを呼んだのか。しばし茫然とする。怖がるのも忘れてただ口をあんぐりする。やがて一つの推測が浮かぶ。あちらから呼んだのかな。ペットショップからアメちゃんを買い取り、アメちゃんを溺愛した母。毎夜、まぐろのぶつ切りを与えていた母。僕におにぎりのように不格好なマグロのお寿司を握った母。アメ、アメと優しそうにささやいていた母。その母は、足を壊し、5年ほど前に他界し、この墓に眠っているのだ。アメちゃんはその墓にじっとしている。
「オフクロ来たよ。こんな時間に眠っちゃってるかな。ほら、アメちゃんだよ、元気だよ」
と同時にふと悲しい予感もよぎる。母がアメちゃんを迎えに呼んだのではないか。あちらの世界へ。アメちゃんはあちらにこのまま行ってしまうのか。それは現実ではありえないと分かってるのだが、可能性を浮かべるだけで寂しい。つま先がじんとする。口先がつんとする。アメちゃん。
「アメちゃんさ、元気だよ。だからアメちゃんが生きられる限り、ずっと僕と一緒にいさせてね。アメちゃんが来るのもうちょっと待っててね」
母を思いやれない自分勝手で醜い言葉かもしれないが、それを口にした。アメちゃんといたい。冷たい夜、デスクトップに並んだ二つの椅子の片方に座り、もう片方で丸くなるアメちゃんを撫でながら小説を書いたり、ネットサーフィンをしたり、静かに音楽に沈みたい。アメちゃんと一緒に眠りたい。寒くなったからアメちゃんは僕の膝元にすり寄って眠ったりするのだ。アメちゃんに催促されて、ゴハンをあげたい。たまに忘れた振りして、ほれほれと手のひらを顔の前にひるがえしちょっかいをしたい。アメちゃんも僕と一緒にいたいのかな。だから夜の散歩に誘うのかな。もう少しだけ、というのは分かってる。だからこそ限られたリミットの「できるだけ」を一緒にいたい。
僕は手を合わせて目をつぶっていた。まるで「お祈り」のようだが、その思いはまさに祈りに近いものかもしれない。
「オフクロ、しばらく、墓に参らなくてごめんな。こんなに近いのにな」
アメちゃんはじっと墓を見つめている。
僕もじっとアメちゃんとお墓を見つめている。
ごめん、オフクロ。
*
それからしばらくして、朝が来て昼が来て夜が来て。歯医者に行って、夜明けをアメちゃんと見て、父と鍋をつついて。
それから。
ブタメンとコーンクリームスープと杏仁豆腐を食べた後の夜。こんなことがあった。
眠ろうとするがなかなか寝付けない。体勢を崩して眠ろうとして、また別の体勢に崩れて眠ろうとする。そんなことを繰り返していたある夜。うとうと。
女の人の声、ちょっとおばちゃんっぽい声が聞こえた。僕の家族は父とアメちゃんだけだ。近所からするにも、ちょっと真夜中でありえない。不思議だなと思いつつ、でも眠りを掴めそうなこの時、起きて確かめるのもおっくうで、そのままにしていた。おばちゃんの声が女の声になる。妙に響くバイクの音もする。そっと、僕の耳元の布団が跳ね、視界を覆った。次の瞬間、ばっと何かが乗って来た。四つん這いに乗りかかり、呼吸の気配がする。何かが重い。ばっと反射神経で反応しようとしたが、身体が動かない。金縛り。それは僕の身体の上を歩くように這いまわっている。流石に怖かったが、それは毛布の中にいるどこか暖かな怖さだった。それには悪意があるように思えなかった。まるで「構って構って」って悪戯しているように思えたのだ。長い間か、短い間、ちょっとうっとしいなと思い始めるくらいの時、それが過ぎると、僕は自由を取り戻した身体を思いっきりひるがえし、布団をばっと開けた。やはり誰もいなかった。ベッドの隣の「人をダメにするクッション」ではアメちゃんが寝ている。すやすや。呑気なものだなぁと思いつつ、アメちゃんがその霊におびえたり害意を感じていないのに、ほっとした。悪い霊ではないんだろうな。そしてふと、思い当たる。僕の上にのしかかってきた霊。人にしては軽すぎるよな。すると、あれは猫の霊だったのではないか。ひょっとしたらアメちゃんの友達の猫幽霊が僕に挨拶に来たのかもしれない。墓をわざわざ参りに行かせてくれたお礼をしろと催促したのかもしれない。
恐怖を麻痺させるための都合のいい妄想と言えばそうだが、その都合に甘えたくなった。
デスクに座ってコーヒー牛乳を口にする。砂糖を入れてないで、そのまま加熱しない牛乳で薄めたから、コーヒーの粉がまだ溶けきってないで浮いてる。少し苦く甘い。
アメちゃんがベッドを辿って机の上に乗ってきて、アメちゃん専用のタンブラーから水をぴちゃぴちゃする。少し朝に遠い夜明け前。このまましばらくゆったりしようと思う。
ありがとう、猫幽霊くん。またアメちゃんと一緒に会おうね。
ごはんをねだるアメちゃんにモンプチを手づかみで口に渡しながら、明日、お墓にお花をお供えに行こうと思ったのだ。猫幽霊くんにもモンプチでもついでに供えに行こっかなって。
隣の椅子で今もアメちゃんはくぅくぅ寝息をたてている。いびきもちょっと。
執筆の狙い
ひゅーどろどろどろどろどろ
気楽に読んでいただければ幸いです。