自転車の幽霊
最近あの田園の十字路に『自転車の幽霊』が出るそうだ。
仕事の行き帰りに、よくその道を通るので、幽霊話を聞いて以降、注意して走るようにしてはいるが、献花もないし、誰かが死んだという話も聞いたことはない。
俺は車の窓ガラスを開ける。
水の匂いと、冷えた夜の空気が入ってきて、ハンドルを握る手と仕事で火照った頬に触れ、ほどよく心地よい。
田んぼ道の両側には、農業用の幅の広い用水路があり、さらさらと水の流れる音が耳に入ってくる。
欠けた月が雲のない空にかかり、秋の夜風に揺れる稲穂を一面青白く照らし出している。
いつもの日常。変わらない風景。もしかしたら『幽霊』という非現実的な存在は、繰り返す日常に飽きた奴がつくりあげた幻想なのかもしれないな、そんなことを考えていると、車は件の十字路に差し掛かる。
念のため、十字路のまえで一旦停止し、辺りを確認してみるが、聞こえるのは流水と秋虫が静かに震わせる羽の音くらいだ。
やっぱり只の噂か、車を発進させたそのとき右の暗闇から突然飛び出してきた無灯火の自転車と衝突した。
しまった、と頭のなかで声が響いた。
俺は車から降りて駆けよった。
前輪がぐにゃりとひらがなのように曲がっている。
サドルを持って自転車を引き起こした。
「大丈夫ですか」
「無灯火でしたよ」あくまでこちらに非はないですよ、といった感じで。
確認のために、ドライブレコーダーの映像を一緒に見てもらったほうがいいと思い、自転車を後部座席に入れ、再生ボタンを押した。
(再生)
自転車は映っていなかった。
虫の声が一層大きく響いて聞こえた。
俺は、無防備に自転車を車に入れてしまったことを、後悔した。
執筆の狙い
短いお話です。
読んだひとのアタマに「?」が浮かんでくれたらいいな、と思いまして。
よろしくお願いしますm(_ _)m