コアワルツ・リィンカーネーション
第一章 革正、或いは昏睡
1 閃光
「…ッ。なんだ、これ、まただ」
建造物は砕けその内部を露わにしている。瓦礫で足元が不安定だ。
肉が飛び散る音がする。
「ああ、そうか。そういうことか」
駆動音。魑魅魍魎の死骸。アリカは耳を押さえる。目を閉じる。
声が止まない。
「っあ……。ごめ、なさ…」
「アリカ、何が起こってる。答えろ」
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめ
「アリカ!アリカ!応答しろっ!」
「アリカ」
目が痛くなる程の輝きを放つドレスがそこかしこに広がる。更衣室として解放された部屋は沢山のレジャーシートで雑然としている。試合前の選手が一堂に会し、空気が熱を帯びる。
「ん、アリカ姐。背中のチャック閉めて」
アリカはエリィの言葉に振り向く。
「あぁ、はいはい」
エリィは身体が柔らかいのだから楽に届くだろうに、と思いながらアリカはその白い背中に触れる。
紺青のドレスを纏ったエリィは大層美しかった。袖口には浴衣のように腕の動きを補強する布地がついており、一回転するとふわりと宙に浮いた。胸のあたりまで伸びたツインテールが揺れる。
「綺麗だね。お姫様みたいだ」
アリカは長い前髪をかきあげた。彼女は歯が浮くような言葉を簡単に云うたちだ。
「だって、お姫様だもの」
「それもそうか」
アリカたちは令嬢と言って差し障りのないほどの高名な血筋の家庭にて生まれ育った。そんな環境であったので、二人が社交ダンス――ひいてはコンペティション・ダンスの選手になるのもままある流れなのかもしれない。
コンペティション・ダンスとは、社交ダンスを競技として点数化しその優劣を競うものだ。アリカとエリィは同性カップルで初となる全ニッポン選手権の優勝を果たした。この競技は元来男性(リーダー)と女性(パートナー)による二人一組のカップルが行うものだ。アリカはリーダー、エリィはパートナーとして十五年間カップルを組んできた。また、両人百六十センチ未満という異例の低身長での栄冠だった。
『準決勝進出一組目は、エントリーナンバー二十八番、アリカ・バンジョウ、エリィ・キリュウです』
まだ暗いホールにアナウンスが反響する。光に向かって悠然と歩み、観客や審査員に対して大きく手を挙げ、二人は位置につく。
正面に相対して、エリィは呟く。
「アリカ姐はヒーローだよ」
「ありがとな。さ、行くぞ」
二人のワルツが始まる。
アリカは背筋をピンと伸ばし、構えた。差し出された手がエリィを迎え入れる。両手と腰がぴったりとくっつく。荘厳なヴァイオリンの音色から、優美なステップが繰り出された。それはまさに社交ダンスといった趣で、二人はターンを織り交ぜながら白鳥の番のようにホールを巡る。エリィは上半身を傾け微笑みながらアリカに身体を預ける。クローズド・ポジション(相対する配置)からプロムナード・ポジション(並行する配置)に切り替える。
ナチュラル・ターン、シャッセ、クイック、アウェイ・オーバーズ・ウェー。二人で身体を傾け脚を大きく開く大胆なピクチャー・ポーズを決めると、客席からは拍手が送られた。眩いライトが二人を包む。
しかし、アリカの顔は引き攣っていた。
「う…」
すえた臭いにアリカはぐったりとした。便器の吐瀉物を流す。いつから出ていたのか涙が一粒落ちた。
アリカは近頃人の目が恐ろしかった。ニッポンイチという肩書に押し潰されるようだった。自分は最高で有り続けなければならない。エリィの力を最も引き出すことのできる相棒でなくては。
「ねえ、ばれてないと思ったの?アリカ姐」
突然、近くから声がした。
「エリィ!?」
「私と貴女しかいないよ。個室もここ以外空いてる」
エリィはトントンとアリカのいる個室を叩く。
「棄権しよ。もう無理だよ。」
細く、それでいて力を持ったエリィの言葉にアリカは唇を噛んだ。
「沢山人がいて、ちょっと緊張しただけ。これくらいで挫けるアタシじゃないさ」
「お母さんに見つけてもらうんでしょ。それなら、私に付き合ってへとへとの貴女を見せてあげようかしら」
悪戯っぽくエリィが笑う。きっと、このまま演技を続けると滅茶苦茶なステップを踏むだろう。第一パフォーマンスの下がっているアリカにエリィを御し切ることはできない。
「…わかったよ。わりぃな、ここまで来て」
「いいよ」
アリカたちは決勝を棄権した。
西日が車内を照らす。アリカ達の帰りの車は若者でいっぱいだった。
「もう平気か、アリカ」
「どうってことない」
運転席から話しかけたのはアリカ達の通うダンススクールのオーナー、ドールである。まつ毛の長い男勝りな女性だ。ダンスの師匠でもある。
「でもさー、スタンダードは優勝してチャンピオンダンスまで踊ってんだろ。そりゃ疲れるよなあ」
ジュニアチャンピオンのカキが後部から言う。
「いつもはスタンダードもラテンも優勝してるのよ。今回のアリカ姐、何かおかしいわ」
カキのパートナーであるルウムは声を潜めた。
社交ダンスには十種類ある。五種ずつに分けられ、片方はスタンダード、片方はラテンと呼ばれる。大会ではこのどちらかを選んで出場するのが定石だ。しかし、アリカのカップルは全ての項を踊る。所謂テンダンサーだ。
「そうかあ」「へえ」「吐いちゃったの」「つかれたー」「眩しい」
車中は子供たちの声で賑やかだ。しかし、高速道路に乗り十分も経つと規則正しい寝息へと変わった。
アリカはそれが心地良かった。誰からも見られていない。暖かな静寂が辺りを包んでいた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
ホールにピアノが響いていた。エリィが冷静に、けれど豪胆にフロアを舞っている。周囲の貴族達が彼女のダンスに釘付けにされている。
「素晴らしい。彼女には類稀なる才がある」
そうだろうそうだろうとアリカは頷く。
「フォローの腕はさることながら自己主張も忘れていない。実にダイナミックだ」
アリカまで鼻が高くなる。
「彼のような背の高い男性と組むのは大変だろうが、むしろその差が美しさを呼んでいる」
え、と声が出る。エリィは長身の男性と踊っている。楽しそうだった。何も気を遣わずに、純粋にダンスしている。まるで出会った頃のように。アリカはダンスホールになんていなかった。ただ自身の部屋でテレビを観ていたのだ。海外進出したエリィのニュースを。
「アリカ姐、泣いてる?」
エリィはアリカを覗き込み、別に濡れていない頬を拭った。どうやら夢だったらしい。アリカはゴシゴシとわざとらしく大仰に頬を拭う。ダブルベッドにはもうエリィの温もりも消えていた。結構な時間眠っていたようだった。
「もうお昼だよ」
エリィはベッドから離れてゆく。
「私の前で泣いてくれたっていいのに」
微笑みを崩さずにエリィは寝室から出て行った。いったいどこまで見透かされているのか。彼女の瞳は深く、アリカは時々暗闇を覗き込んだ気分になる。
「今日はスタジオ来る?」
「……いや」
あれから三週間経ち、アリカは自身の所属するダンススタジオに行っていない。そこにはアリカたちの師匠や、その生徒たちがいる。ひとり、家で練習を積んでいた。アリカはまだエリィと同じステージには立てないと思っている。今までできていたことができなくなっている。それはとても悔しくて、怖いことだった。
焦って空回りしているのは自分でもわかっていたつもりだった。
エリィはスタジオへ行き、アリカは一人家に残った。個人練習を終えて、シャワーを浴び、カーテンを閉めようとするとねぐらへ帰ってゆく烏の群れが見えた。アリカはカマクラのスタジオまでエリィを迎えに行った。
早足になっていたからか、直ぐ最寄駅に着いた。アリカは最近カマクラ駅から一駅離れたここでエリィを待っている。改札の前に座って腕時計型デバイスのホログラムを見た。まだ十五分も余裕がある。
辺りを眺めていると、アリカは違和感を抱いた。誰も改札を通らない。電車が来ないのだ。デバイスを確認すると大幅な遅延が発生していた。直ぐに駅からアナウンスがなされた。
『現在、カマクラ駅近辺で侵略者を確認しております。その影響から全線運転差し止めとなっており、復旧の見込みは立っておりません。新しい情報が入り次第……』
その言葉を聞いて、アリカは奥歯を噛んだ。急ぎエリィに電話をかける。繋がらない。
駅から飛び出し、線路に沿って走った。陽が落ちようとしていた。空は気味の悪い紫色だった。
カマクラは戦場だった。
鳥居が倒壊し、至る所に煙があがっている。圧倒されると共に、動く人間の少なさに血の気が引いた。民間人が見当たらない。鳥居を乗り越え中心部へ急ぐ。ダンススクールにまだエリィがいる。そう信じてアリカは中心部へ走る。
侵略者(ローバーズ)の仕業だった。
侵略者。それは十年前、世界各国の空を黄色の光で染め上げた。トウキョウ上空にも突如『港(ポート)』が出現し、そこから現れた空挺型侵略者達は破壊の限りを尽くした。空挺型侵略者は拉致型侵略者を内蔵しており多くの生物が丸呑みされた。天からの光によって大地は灼き尽くされ、生物が遥か天上へ連れ去られる様を人々は「末法世界」と呼び畏れた。トウキョウは甚大な被害に見舞われ日本の首都は一時的にカマクラとなった。
アリカの母親も、侵略者に拉致された。
路地を抜け坂を上ると開けた場所に出た。ここはダンススクールのはずだった。無くなっていた。瓦礫がうずたかく積み重なっている。
「……エリィ?」
アリカは不安定な足場を駆け上った。
「エリィ!ドールさん!カキ!ルウム!アスト!レミィ!ユウ!タキ!マウリ!キッパ!みんないないのか!」
今日練習していたはずの生徒を呼ぶ。返事は無く、悲壮なアリカの顔を一陣の風が吹きつけた。
昇り詰めると、瓦礫の中心にエリィがへたり込んでいた。俯いて肩を抱いている。
「エリィ!」
アリカは駆け寄った。エリィは肩を抱いているのではなく、胸に何かを抱きしめていた。それは紅玉のようだった。小さく震えて目を見開いている。
「これ…」
エリィは抱きしめたそれをアリカの胸に押し当てた。その瞬間、エリィの襟首が気味悪く胎動した。肩を抱いて苦しむ。その果てに彼女が透明な液体を吐くと、脊椎から皮膚がぐんと伸び液状の生命が発生した。それは液体のように彼女の頭を覆っていく。球体の膨らみが一つあり、一線が浮かび目玉が表出した。アリカは戦慄しながら液状のそれを剥がそうとした。
「何だよっこれ…侵略者に何かされたのか?負けるなエリィ!」
必死にエリィに纏わりつく液体を払う。しかし、液体はみるみるうちに溢れ彼女を覆い隠す。
「私……もう、行かなきゃいけないの」
殆ど液体で覆われた彼女はなんとか発声する。冷徹な声だった。それどころではないアリカは、はぁ?とつっけんどんに返す。こんなときだから、アリカはその違和感に気づかなかった。
エリィは真っ直ぐ相対し、笑ったのだ。
「私のこと、覚えていてね」
突如アリカの身体はエリィから弾かれた。アリカは数メートル転がり、すぐに顔を上げた。エリィは異様な姿に変身していた。彼女は浮遊している。脊椎から伸びた皮膚が液状化して全身を覆っていた。頭には一つの目玉がついていた。ロイコクロリディウムのようにそれはエリィを操っているようだった。
化け物となったエリィはエレクトーンのような音を発し、アリカを指さした。すると同じく一つ目の拉致型侵略者が続々と集まってきた。
拉致型侵略者はその名の通り人間の拉致に特化した生態をしている。一つ目の両端に伸縮自在の触手を持ち、まるで肋骨のように奪取した生物を覆い包む機構がある。
「エリィ…?何を」
拉致型侵略者がアリカを包囲する。愚直にもアリカはまだエリィを諦めていない。
「アタシの声が聞こえるか!降りてこい、早く」
ぴくりとエリィの身体が動いた。液体で覆われ、その視線は定かではない。唇だけが表出している。
「拉致」
「……エリィ?」
「地球人……須らく拉致すべし」
突如拉致型侵略者達が奮起した。それは雀蜂を殺しにかかる幾匹もの働き蜂の攻撃――熱殺蜂球のようだった。無秩序のようでいて、効率的である。
侵略者の一団の触手が向けられたが、すんでのところで躱す。一点を狙っていたせいで触手は矜羯羅がった。地を分かつ光線の間隙をぬって彼女は逃げる。もともと狭いところは慣れていた。得意技なのだ。
アリカは闇雲に逃げているわけでは無かった。エリィから離れるのは不本意だが、道中にあるものを見つけていた。
「あった……!」
それはパイロットを失った迫撃機巧だった。
そばには負傷し血だまりをつくる人がいた。パイロットスーツを着ていた。二人は迫撃機巧を盾に話す。
「大丈夫ですか」
「まだ、残っていたのか。疾く逃げなさい。ここにいてはいけない」
アリカは生唾を飲み込んだ。真っ直ぐにパイロットを見る。
「助けたい相棒(ひと)がいる。こいつはアタシが動かします」
「君に出来るか。死ぬぞ」
「今アタシがやらなきゃ、魂がすたる」
パイロットはその目に射抜かれたようだった。自分でも馬鹿なことをしていると思いながら、人生の最期の時間を彼女に託したいと感じた。
彼はアリカの腰に光る宝玉を指さした。エリィから受け取った物だった。
「それを使いなさい。貴女を導いてくれる。あと、頭部デバイスをつけること。姿勢よく操縦桿を握ること。……あとは、飲まれないこと」
「飲まれる?」
「私達は飲まれた。だから―――死ぬ。」
二人は血だまりに目を落とした。両脚のももから先がない。深紅というより赤黒い血だった。
パイロットは思考する。誰もが恐怖に逃げ惑う中、無謀にも立ち向かう彼女のことを。一生のなかで、こんな人には会ったことがない。
「一生、といっても……。俺はどこかで、自分は別だと、死なないと思っていた……」
アリカの目が熱くなる。歯を食いしばった。
「無駄話をしてしまった。乗りなさい。あなたの未来に、」
唇が震える。もうほとんど息を吸えていない。
「光……を」
侵略者がアリカを見失ったのか、戦場は暫時静寂に包まれた。アリカはせめてもの手向けとして息絶えた機動隊員の顔にハンカチをかけ、手を合わせた。
迫撃機巧は鉱山大国ニッポン独自の侵略者特効兵器であった。人型をとっており全長は十メートルほど。侵略者は遠距離攻撃にいまいち効果がないことから迫撃戦に持ち込むための兵器だ。その高い技術から、脳波によるコントロールを可能としていた。つまり、念じるだけでその通りに動く。もちろんパイロットになるためにはそれなりの訓練が必要だ。
路上に倒れていたからコクピットに乗るのは簡単だった。ハッチを閉める間にも放たれている光線がアリカを焦らせる。内部は想像していたよりシンプルだった。
「これか」
脳に接続するデバイスらしきものを見つけた。ヘッドホン型のそれを装着する。
しかし、起動しない。
と、宝玉が強く輝いた。ポケットから取り出すと、胎動したように感じた。正面にかざすと、すべての液晶が点灯した。OSが起動し始める。アリカは恐る恐る手を握った。
すると、ぎこちなく迫撃機巧の巨大な手が握られた。脚部のパーツから空気が圧出され、慣れない感覚に戸惑いながらも、アリカはそれを大地に降り立たせることに成功した。
「ひとまず、うまくいったか……」
アリカは息を吐く。
「お馬鹿!」
突甲高い少女の声がした。緊張していたアリカは飛び上がりそうになる。
「ナビゲーションが完全に起動するのを待たずに立ち上がったわね。私無しでよくも動かしたものだわ。でもその集中力は戦いまでとっときなさい」
少女は早口に捲し立てる。
「アンタは……誰なんだ」
「私はこの機体そのものよ。コクピットそのものといったほうが良いかしら」
アリカは驚く。
「AI……なのか?名前は?」
「そういう認識で構わないわ。今こんな問答をしている場合じゃないと思うけれど」
「それは……そうだけど」
突如一直線に侵略者が突撃する。迫撃機巧は手の甲についた銃身でそれを弾いた。
「もう敵にバレてるわ」
「アンタ、勝手に動くのか」
「限定的よ。二人で一つだから、どちらが欠けても動かないわ」
繊細なようで、芯の通った声だった。アリカは操縦桿を握り直す。
「よし…エリィのいる所まで押し通る!」
「勝手に進めないで!」
そう言いつつも鈍色の迫撃機巧は瓦礫の山の頂上へ走り出した。
「一號、再度起動しました!」
「コアは完全に破損したはずでは?」
「通信、カメラともに取得不能」
「誰が乗っているというのだ……」
通信は途絶していた。いくつか機能が制限されている。
手の甲についた二丁の砲で敵を撃つ。しかし、衝撃にブレて思うように当たらない。
「左手で支えなさい!」
「こうか」
二人は崩壊したビルの物陰に潜む侵略者を一掃する。しかし、侵略者は撃っても撃っても次々に現れる。迫撃機巧に響く音声の主は(持ち合わせていないが)歯ぎしりした。これではいつまで経ってもエリィには辿り着かない。
「上半身の操縦頼めるか。下半身は任せてほしい」
「もう弾が残ってないけど!何をするつもり?」
「少し…姿勢を伸ばして」
「は?」
アリカはフゥと息を吐いた。脚先に集中し、目をとじる。
動け。踊れ。
迫撃機巧は背筋をピンと伸ばした。脚を直角に引き上げる。まるで熟練のダンサーのようにステップを刻み始めた。流れ続ける水の如く、大勢の侵略者の網をすり抜ける。これをアリカ達はフロアクラフトと呼んだ。彼女とエリィ、二人の得意技である。そして跳躍。跳躍。跳躍。
宙に浮くエリィに精いっぱい手を伸ばした。
「帰るぞ!エリィ!」
届く。エリィの胴に硬い指を伸ばした。
「ダメ!」
少女が叫んだとき、エリィの背中から発生した鋭い触手が彼女らを襲った。鈍い音がして迫撃機巧は酷く地面に打ちつけられた。触手は迫撃機巧の頭部を突き刺し地面に叩きつけたようだった。
「まずい…ねえあなた!起きて!」
「う…」
前髪をかきあげると手にべっとりと血がついた。視界が霞む。アリカの目には光が映った。拉致型侵略者が集結し、通常の何倍ものビームを放とうとしている。
「もう一回…もう一回だ」
血でべとついた手で操縦桿を握った。アリカは重い身体を揺り起こす。背筋を伸ばすのだ。いつだってそうしてきた。
「もうこの機体は限界よ。離脱しなきゃ」
声の主は焦燥を募らせる。振り返ると、迫撃機巧の右足の膝から下が瓦礫と共に転がっていた。動きのラグも酷い。アリカは侵略者の目玉を睨みつけた。
「這ってでも逃げるのよ!早く!」
眩い閃光がアリカを包みこんだ刹那、彼女は断裂した足を放り投げた。
侵略者の目標は逸れ、高温の直線ががらくたを溶かしつくした。
いつの間にか侵略者の奥にいたエリィが消えている。退却の命が下ったのか、残った魑魅魍魎たちは天へと昇っていく。雲が晴れて、破壊された街にほのかな光がさした。
「エ、エリィ…何処に、いったんだ」
迫撃機巧は手を投げ出して仰向けに倒れた。コクピットからは少女の吐息が漏れる。
「自分の心配をなさい。止血しないと危ないわよ」
「なあ…AIさん、アンタも、協力してくれないか……後生だからさ」
アリカは話を聞いていない。目は焦点が合わず、呼吸もおぼつかない。ほとんど独り言のように呟いている。
「なぁ、―――シャ、頼むよ」
「え」
「ナターシャ。アンタの名だ」
2 水葬
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
アリカ姐は覚えてるのかな。初めて会った時に、私の髪型を褒めてくれたこと。私の初めてのライバルになってくれたときのこと。
「そこのかわいいツインテ女。アンタがここで一番のダンサーか」
アリカ姐はいきなり私に話しかけてきた。
「アタシが組んでやる。悪いけど、一番はアタシだってわかってもらうから」
「でも……」
もじもじする私をアリカ姐は気に留めなかった。そして一曲一緒に踊った。
その一曲の間で、アリカ姐は理解した。私にリーダーがいない理由を。
「アンタなんなんだ……なんでリーダーのステップを無視して難しいステップばっかりやるんだよ!」
肩で息をしながらアリカ姐はそう言って怒った。涙目になってたなあ。
「だって……そのほうが楽しいって思った」
この人も怒らせちゃった。アリカ姐は下を向いて黙っている。
「クソッ。確かにこっちのほうが楽しい」
地団駄を踏みそうな勢いでアリカ姐は吐き捨てた。私は吃驚した。
「よーし、分かった。アンタはアタシのライバルだ!好きなように踊らせてやるから、アタシに上手い踊り方をおしえろ!」
私はもっと吃驚した。それって、私のリーダーになってくれるってこと?
「そうだよ」
アリカ姐は悔しそうに言った。私は嬉しくなって、アリカ姐を抱きしめたっけ。
アリカ姐は私のヒーロー。彼女が初めてひとりぼっちの私をお姫様にしてくれた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
海に行きたかった。
そこには無限と言っていいほど水があるらしかった。おれは水に溺れてみたかった。どんなにここちいいだろう。冷たい夜に藁の中で夢想した。
「エリィ!」
アリカは自分の声で目を覚ました。
「あなたは寝ても覚めてもエリィなのね。アリカ」
机の赤い宝石から聞き覚えのある声がした。手のひらにすっぽり収まる容器の中に入っている。
「アンタは……」
「ナターシャ。あなたが名付けたんでしょう」
「あのロボットのAIじゃなかったのか」
「これが私の身体」
そうか、とよくわからないテクノロジーに生返事をする。身体は包帯だらけだった。アリカはしばらくこれまでの回想をした後、はっとした。
脚が無い。右足の先。膝から下。
「説明を、しなくちゃいけないわ。よほど沈痛なもの。それとも、もっと時間が必要?」
シーツは凹んでいる。アリカの横顔は長い前髪に遮られて、その表情を窺い知ることはできない。
「……アリカ?」
「そうか」
彼女はうわごとのように言った。
「もう人前で踊らなくていいんだ」
先の戦いで右足の膝から下を失っていたこと。
エリィとダンススクールの人間は見つかっていないこと。
あの機体の元パイロットは回収することができたこと。
後から駆け付けた他の迫撃機巧が助けてくれたこと。
アリカはナターシャによる淡々とした説明を受け入れた。まだ何の実感も伴わないらしく、粛々としている。ナターシャはそんな彼女に少なからず違和感を覚えた。
「あっ!目が覚めたんだね!…ってか、あれ?もしかしてアリカ選手?すごーい!」
「…丁度良かった」
突然の二人の来訪者たちにアリカはきょとんとする。
「あなたと私を助けた他のパイロット達よ。腹立たしいことにね」
「そんな言い草ないだろ」
アリカはナターシャを叱ってから二人に頭を下げる。
「私は無事だったのよ。あなたが気絶したせいで身動きが取れなかったんだから」
「アンタだけでは動かないのか?」
「二人が万全に揃わないと不具合を起こすのよ。あなたが筋肉なら、私は頭脳ね」
ナターシャはほくそ笑む。
「そう、このプライドのたか~い自律型デバイスを核(コア)とゆーの。核とパイロット、この二つの要素から迫撃機巧は成り立つんだよ」
来訪者の片方が割り込む。胸の辺りまであるポニーテールが揺れた。二人ともまだ高校生と思しき幼気な顔つきをしている。
「自己紹介が遅れちゃった。私はクウロ・ワシイ。よろしくね」
「よろしく」
クウロは握手を交わすと、もう一人の来訪者に目配せした。
「あっ…僕はエチル・サワイ。お願いします」
緊張した面持ちでエチルは力の入ったお辞儀をした。彼は寝癖のついた頭で数秒前の発言を後悔している。頭によろしくをつけるべきだった。
「よろしくな」
アリカは年下の二人にダンススクールの生徒を思い出し、優しい顔になった。ぎこちないながらも二人は挨拶と握手を交わした。
エチルは分厚い手袋をしており、アリカが彼の体温を感じることはなかった。
「それで…ただ見舞いに来てくれたってわけじゃないよな」
「そうそう、本題に入らなきゃね。まずあなたは逮捕です!」
クウロは大仰にアリカを指差した。苦笑しながらええ、とアリカが呟くと、彼女はのけぞった。
「当然よ。正体不明の核を使って国家機密まみれの迫撃機巧に乗り込んだのはおろか、ほとんど壊しちゃったし。えーと、秘密保護法?だったかの違反で逮捕。普通はね」
「…何か逮捕されない方法があるのか」
エチルは下を向く。クウロは悪戯っぽく笑った。
「この前で軍人さんのパイロットがいなくなっちゃったから〜…このまま私たちとパイロットになること!脚が無くたって大丈夫だよ!」
突然扉が開いた。
「そんな詐欺紛いのことをしてはいけません。警察についてはいくらでも融通が利きます」
「ジン!」
話に加わったのは初老の男性だった。スーツには勲章が輝いている。
「それに、パイロットになることで失うものは沢山あります」
落ち着きのある低い声に、エチルはうんうんと頷いた。
「特別侵略者掃討隊隊長ジン・カンナギと申します。いきなり大勢で押しかけてすみません」
握手を交わす二人。緊張した面持ちでいると、彼は鈍く光る宝石を見つめ、目を細めた。
社交辞令や連絡を端的に終わらせると、彼はパイロットになると失うものについて語った。
「迫撃機巧は欠損した兵士にも扱えるように作られています。脳からの電気信号を受信し、核を通すことで、まるで自分の失った身体を補うように操作することができる。現状、侵略者に対抗できる唯一の兵器です。しかし、これを操縦する者には大きな負担がかかります。最も大きなものは、身体感覚の鈍化。迫撃機巧を長時間操縦すると、自分の身体はこの鋼鉄であると脳が誤認するようになります。日常生活にも影響を及ぼすでしょう。……また、家族や友人とも会えなくなります。機密と訓練がありますから。何にせよ、今の生活を手放すことになる。もう平穏な日常には戻れません」
クウロは退屈そうに爪を見ている。エチルは深刻そうにアリカを見守っている。
「よく、考えてください。パイロットになって侵略者と戦うか、ここでの出来事をすべて忘れて安寧な生活を送るか」
ジンの言葉が重く響く。秒針の音が聞こえるほどの沈黙が少し。
「三日後にもう一度伺います」
彼は何枚か書類を置いた。横目に見ると、そのうちの一枚は誓約書のようだった。
「いい。三日もいらない」
立ち去りかけたジンの脚が止まる。
「アタシは……パイロットになります」
「……え?」
最も肝を抜かしたのはエチルだった。クウロが口を開く。
「…アリカはダンサーなんでしょ?誘ったのは私たちだけど…義足でダンスを続ける道だってあるのに」
「自暴自棄なら、僕は反対です」
アリカは顔を上げ、エチルを見据える。
「元々ダンスの相棒より大事なものなんて無い。家族はあってないようなもんだ。彼女を取り戻せる可能性が少しでもあるなら、命を賭ける価値はある。彼女がいないならアタシの日常は無いんだ。アンタだって、守りたい誰かがいるんだろ」
「それは…」
エチルは手をぎゅっとにぎった。視線はクウロに向けられている。
「なんでか、彼女がまだ生きてる気がするんだ……エリィを取り戻したい。そのために戦うのは、軍人として不純かな」
アリカの瞳が光る。クウロにはそれが眩しく感じられて、眉をひそめた。
「私は歓迎しますよ」
ジンはきびきびした動きでアリカに向き直る。その声色は明るい。
「すぐにリハビリを始めたい。じっとしてると身体が腐っちまいそうだ」
「本当に良かったの」
静かになった病室でナターシャが口を開く。
「なんだ、アンタまで心配してくれるのか?案外優しいところもあるじゃないか」
「…違う。あなたってお母さんに見つけてもらうために踊ってたんでしょ」
「よく知ってるな」
「調べさせてもらったわ」
「…あれはドラマだよ」
アリカが窓を見る。中庭には植物が植えられているが、全て人の手で造られた偽物だった。
「どういうこと」
「インタビューの回答に尾ひれ葉ひれがついた。アタシみたいなやつがエリィと一緒に踊るにはそれくらいのドラマが必要なんだ」
「一度一緒に踊っただけだけど。あなたに実力が無いとは思えないわ。世間は節穴ね」
ふっとアリカは笑う。
「それでもアタシ達は一番をとった。肩書にこだわりはある。でも…それにこだわっていたらエリィを取り戻せない。アタシにはもう……この道しかない」
アリカは宝石を見据える。
「ナターシャ、あんたにアタシの脚になって欲しいんだ」
「わかったわよ。ほんと…お馬鹿なんだから」
虫も鳴くことのない静かな夜。リハビリセンターの附属する病院の一室に煌々と光の灯る部屋があった。
アリカがしめやかにスローフォックストロットを舞っている。右足からはカツカツ音が鳴っている。冷たい廊下に、欠伸をする者がいた。
「ねえ、もう部屋もどろうよー」
「だって、心配だし…」
声を潜める二人がいた。義手の調整と身体検査のため入院しているエチルとクウロである。
「誰かに見つかっちゃうかもよ」
「もう番の人は過ぎたよ…にしても、いつまで踊るつもりなんだろ」
クウロは振り返り、膝立ちになって部屋を覗いた。
「でも、アリカちゃんの踊りってすごいキレイ」
「……やっぱりあの人はアスリートなんだな。常人の範疇じゃない」
「私達も軍の学校で鍛えてたじゃん」
「僕が義手に慣れるのはこんなに早くなかったよ。脚なら尚更大変だろ」
「まーたしかにあれは異常かもね……」
アリカはゆっくりと滑らかな動きで場を制する。スローフォックストロットは派手さにこそ欠けるが難易度の高い種目である。ゆっくりと一定の速度で踊り続けるには細やかな重心の管理や足運びが必須となる。
「ニッポン一は伊達じゃないね」
「……彼女は大丈夫かな」
「間違いなく能力はあるよ」
「精神面の話でさ。ボルトさんはキツそうだったから」
エチルが腕を抱える。最年長のパイロットであった彼は最初にいなくなった。
「アリカちゃんが決めたことだよ」
「……そう、だね。そうだよね。僕たちも、ウルメもカイリも自分で選んでここにいるんだよね」
言い聞かせるように呟いた。癖のように二の腕を引っ掻く。
「ねぇ、僕たちってさ。ウルメやカイリを置いて、その、楽しくやってていいのかな」
頼りない明りの中で、何回も繰り返した自問を初めて声に出した。クウロは少しの間黙っている。
「あのね、エチル、知ってた?」
少女は少年と向き合う。
「未来ってね、必ず良くなるんだよ。人間ってみんな良くなろうとしてるから!」
彼女は滔々と未来をかたる。幸福で平凡な未来。
「だからね、そんなに心配することないんだよ。ふたりだって、私達が楽しくないとつまんない!」
エチルは体育座りを解いて、片膝を立てて後ろに手をついた。そして息を吐く。
「僕も、クウロみたいになれたらかっこいいのにな。君みたいなこと言えたらいいのに」
「なにそれ」
クウロは笑って囁いた。すると、扉が開き鋭角に光が差し込んだ。汗をかいたアリカが顔を出す。
「話、終わった?」
「っつ……どこから聞いてました?」
エチルは焦って言葉が詰まる。
「何も……ところで」
ふっとアリカは笑う。
「肩貸してくんない…?足痛くてさ…」
「ナターシャ、件の映像、見てくれたか」
「どころかあなたの出てない大会まで見ちゃった。あなたってすごいのね」
アリカは訓練場にいた。クウロとエチルもいる。パイロットたちは練習専用のプロトタイプ機に乗っている。
「でも、最近のあなたはちょっと内にこもってるわ」
「もうそんな言葉覚えたのか」
眉をひそめる。内にこもる、という特有の言い回しがある。コンペティション・ダンスは空間的に物事を考える。できるだけダイナミックに動くのが理想的だ。他の出場者とぶつかること自体は失点の対象ではない。どう巻き直すかが観点となっている。ナターシャはクスクス笑った。
「私、ジャイブが一番好き。踊ってみたいわ」
彼女は目を輝かせているようだった。ジャイブとは、ラテンダンスの一種である。元々はジャズに合わせて踊るダンスであり、米兵によってヨーロッパに広げられた。テンポが速く、跳ねるようなステップが特徴的だ。
「あんな速いダンス、再現できるのか」
「ニッポンの機巧は馬鹿にできないわよ。きっと攻撃に転化できるはず」
「……本当に防衛中に踊るのか。普通に戦ったほうがいいんじゃないか」
アリカはプラスチックとなった脚を取り外した。
「あなたはあなたが思っている以上に熟練しているのよ。活かさない手はないわ」
少し不安げなアリカを見てナターシャはこう言った。
「死なせやしないわよ。ヒーローさん」
「…!今…」
アリカが何か言いかけた時、警報が響いた。
『多数の空挺型侵略者、拉致型侵略者確認。サガミ湾から我が基地へ進行中。至急第三戦闘配置につけ。繰り返す。多数の…』
「行くわよ!」
「ああ!」
アリカはネックレスとなっているナターシャを首にかけ飛び出した。
迫撃機巧が収納されている場所へ走る。鉄の骨組みがアリカのプラスチックの脚にコツコツ鳴った。眼前には巨大なロボットが立っている。
アリカはその巨体を見上げる。全長は六間ほど。純白のドレスを思わせる白金。人体と似たその機巧は腰がぐっと細くどことなく女性的なイメージを抱いた。 そこにはジンも居り、急な初陣となったアリカのために残ってくれていた。
「第四號機、クラフトフロア號…」
ジンとアリカはクラフトフロア號の胸元にあたるコクピットに入る。ナターシャを中央の窪みにはめ込むと、液晶画面が点灯した。アリカは画面をなぞる。プラスチックの脚を外し、背後の壁面に引っ掛けた。代わりに脳波を測定する器具をつける。迫撃機巧は操縦者の脳波を読み取りシンクロすることで直感的な操作を可能としていた。
諸説明を終えると、ジンは出口に足を引っ掛け、振り返った。
「貴方なら彼女……いや、人類すら救えるかもしれません。期待しています」
彼は薄く微笑み、コクピットを閉じた。
「おい、何のことだ。待て、ジン!」
「何だっていいわ。行くわよ。クラフトフロア號、出撃」
何の気なしにナターシャは言った。
彼は自分の身体を動かすようにするだけでよい、と言った。アリカは宇宙を見据え、重力に真っ向から挑む。
カマクラの山中に白金のロボットが降り立つ。海上から空挺がこちらへ向かっている。近くに拉致型侵略者も見えた。肋骨のようなシルエットで大きな目玉を一つだけ持っている。拉致型侵略者の体長は三間ほど。
「市街地に侵略者が来る……!アタシ達は先を急ぐ!」
「わかりました!僕たちも行きますよ」
エチル―――二號機も浮き上がる。鈍色の二號機は各パーツが太く堅牢な印象を持たせる。飛び跳ねて山を下っていく。
「私は基地を護りながら前進するわ!」
クウロ―――三號機は大きな斧で侵略者を斬っている。紺色の三號機は武骨で巨大な斧に見合う合理的なデザインだ。
『了解!』
カマクラは山を下るとすぐに海に出る。四號は四車線の道路を駆け抜け、人気のない砂浜に着地した。砂浜のすぐ近くまでビルがせり出している。三杯の空挺型侵略者は海上に浮かんでいる。
「有効射程の瀬戸際か……狙えるか」
「いや、外ね。こちらは手出しできないわ」
遅れて二號、エチル機も到着した。二体の鉄巨人は混迷を極める地上に向き直る。
「地上の侵略者、すべて……撃墜する!」
パソ・ドブレ。闘牛士と赤布(ケープ)に由来するとされるそのダンスは攻撃的だ。
「次、クードピック!」
「はい!」
素早い足捌きにナターシャは何とか合わせている。拉致型侵略者たちが蹴りを入れられぐったりと地に伏した。
中距離からビームを照射する侵略者には弾丸を、近距離から捨て身を図る侵略者には蹴りを見舞う戦闘スタイルは彼らを圧倒した。
二號は二ふりの山刀を逆手にとって戦う。刃は短く鈍角。エチルたちは山猫の狩りのように無駄のない動きで的確に侵略者を斬り伏せた。鈍色の機体が光る。
「畜生が、この、ケダモノが…」
「エチル、その、頑張って…」
ぶつぶつと独り言を止めないエチルに、パートナーであるカイリがおずおずと声を出す。
「あ、足元に二匹来てる!」
「分かってる!」
エチルは下方の侵略者を斬るため屈もうとした。その時、カイリは関節に違和感を感じた。
「だめ、止まって!」
「何!?」
二號はもんどり打って後方に転んだ。好機と見て侵略者が狙いを定める。
「まずい、打たれる!」
「間に合わない!」
アリカたちは歯を食いしばる。侵略者の眼が強く光った。
光が収束すると、そこには三號機―――クウロがいた。深い蒼が日光に映える。彼女の斧が半分溶けかかっている。その奥には、二號の左脚が完全に溶けていた。
「ありがとう、クウロ、ウルメ」
エチルは息を吐く。三號は熱された斧で周囲を薙ぎ払い、一陣の風を吹かせる。海の方向から侵略者はまだまだやってくる。クウロは斧を担ぎ、檄を飛ばした。
「膝立ちでもまだまだ戦ってもらうよ!」
一方、四號は未だ見ぬ侵略者と邂逅していた。海に背を向けて構える。
「人間…なのか?」
そのカメラが捉えていたのは奇妙な生物だった。ビルの頂上に風を受けている。普遍的な成人男性のシルエットをしているが、爛れた皮膚を伸ばすように一本だけ角が生えている。左右非対称の姿は醜かった。黒い布で口から下を覆い、四號の前に立ちはだかる。肩にはとても小さい拉致型がいて、揃いの核をつけている。それはナターシャやカイリ、ウルメのとる形と同じだった。
「人ではありません……人型の侵略者です。いよいよ、ニッポンにも来ましたね」
ジンの言葉通り、それは人ではなかった。突如、人型は左腕を伸ばした。それは拉致型の身体のような触手だった。関節から無数に枝分かれしており、太さも様々だ。コンクリートを抉り取りながら周囲の建物を破壊する。四號機は飛んでくる破片を何とかいなす。
「くうっ」
砂埃の舞う中、誘導された場所で鞭のようにしならせた触手が四號を襲う。大きな身長差がありながらもその衝撃は大きく、アリカは目眩がした。
「棒立ちじゃ防戦一方だわ、ローテに入りましょう!」
「応!」
アリカたちは触手を大きく弾き、距離をとった。そしてその場でくるくると回転する。砂浜に竜巻が発生したようだ。人型は虚を突かれたようでその迫力にたじろぐ。
「ツイスツ!次、レフトバリエーション!」
「はいっ!」
四號は変幻自在な軌道を描き、爪先を槍のように人型へ突き刺した。人型は吹き飛ばされ、屋上から地に落ちた。砂に半分埋まる。四號は追撃に走った。
「その腕、破壊する!」
人型は鉄の拳が迫る中、彼の来歴を回想した。それはどうやら走馬灯らしかった。
男は名をマグリ・ウムガといった。戦災孤児であり、牛飼いのもとでこき使われていた。十分な食事も与えられず生活環境は酷いものだった。
そんな彼にも生きる意味があった。シイラ・スズの存在である。彼女は裕福な家の出だ。以前街で迷子になったときにマグリに案内してもらってから、頻繁に二人で会うようになった。彼は牛飼いによくぶたれ目を腫らし、シイラはその度に氷を持ってきた。
彼女は海を語った。そこには無限と言っていいほど水があるらしかった。マグリはぶよぶよになった水袋を触った。こんなに気持ちのよいものが溢れているなんて信じ難い。それでもシイラは憧れをもってそれを語ったので、二人は大人になったら海へ行こう、と約束した。
苦しいながらもマグリは幸福だった。しかし、またも戦争が彼の生活を奪った。彼らの住んでいた草原は炎に包まれた。多くの有脳体(モレイイール)が動員され、地を灼き堂舎を呑みこんだ。
二人は軍に捕らわれた。瀕死の状態で担ぎ込まれ、人間としての運用は不可能だと判断された彼女は即時有脳体として改造手術を受けることになった。戦力をみすみす死なせるわけにはいかなかった。
手術は失敗した。手術の時点で両脚を失っており、うまく身体が肥大化しなかったのだ。殺処分されるところだったシイラとその核をマグリは引き取った。マグリは軍の統治下のなか身寄りのない者が集まる神学校へ入学し、自らも軍人となった。
マグリも段階的な改造手術を受けた。己の核を抽出し、彼女につけてやった。
二人はどれだけ姿を変えても、互いの命を、守った。
刹那、取るに足らない小さな拉致型が動いた。四號の頭部―――メインカメラを前にし、光を溜め込んだ。光は増大するかに思われた。
が、その光は届かなかった。破壊光線を打つにはその体はあまりに小さかった。
「驚かせるわねっ!」
ナターシャは拉致型を捻りつぶした。虫けらのように海面に叩きつけられる。子供の声のように高い不快な音がした。黒い体液が四號機に付着する。
「……アリカ?どうかした?」
四號の動きが止まった。
「やられた……目が、何も見えない」
彼女の視界は真っ白になっている。その光は、アリカの目を焼くには十分だった。
「私は見えてる!合わせなさい!」
「そんな……ぐうっ!」
地に向かって鞭が振り下ろされ、砂の柱が立つ。その一瞬で人型は四號の裏を取り、息を吹き返したように攻勢を強める。砂をえぐりながら無数にも感じられる触手が迫撃機巧を撃つ。風よりも速い鞭打ちに執念が感じられる。ガタがきていた頭部パーツが破断した。
「踏ん張って!ここが正念場よ」
「信じてるぞ……アンタに預けるッ!」
アリカは目を閉じナターシャの思うままに身を任せた。テレスピン。物凄い風圧で胴に触手が巻き取られる。ナターシャはそれを力を込めて掴んだ。
「ハイキック!」
鋭利な爪先が宇宙を指した。拉致型と同じ真っ黒な体液が飛び散り、数十の触手が絶たれた。
しかし、四號は高く足を上げたため均衡を失い腰から倒れた。
「ああっ!」
強い衝撃にアリカは呻く。……立てない。人型はどうなった。動かない。アリカは周囲が無音になったように感じた。
「動くな、当たる」
低い声がした。エチルの声だ。
二號は跪いたまま、山刀を投擲した。轟音と共に人型を攫い、遠く海で飛沫が上がる。
「ナイス、二號!」
三號は斧を放って両手を挙げた。
「……異星生命体反応消失……討伐、完了です」
マグリは一海里ほどのところで沈降していた。
あれほど求めた海。冷たい。冷たくて……痛い。爛れた全身が刺されるようだ。
そうか。
海の水はしょっぱいんだ。
3 祝祭
――――――――――――――――――――――――――――――――――
ダンスに勉強に明け暮れていた、高校生の頃。アリカとやけに神妙なエリィは、大会の打ち上げを兼ねた小旅行に来ていた。
美しい海と島々を望むことのできる高台。エリィが行きたいと言い出した場所だ。真上から陽が差し、風がそよぐ。
「惜しいけど、帰るかぁ」
陽が沈もうとしていた。肌をなぞるような風が吹く。エリィはアリカにもたれかかる。そのままアリカの胸に顔を埋めて、言った。
「アリカ姐、私ね…」
うん、とアリカは答える。
「いないほうがいいのかもしれない。この星のために」
エリィは時折おかしなことを言う。今回は一層深刻な声色だった。
「よくわかんねえ。もしそうだったとして、それをエリィが気にすんのか?」
「…気にするわ。私のせいでアリカ姐やみんなが傷つくって考えたら」
アリカはいまいちつかめないまま、彼女の背中を撫でていた。
「アタシはエリィの味方だから。アンタのせいで傷ついたって、かまやしないさ」
アリカはごく自然に右手をエリィの肩甲骨に被せた。
「また、踊るの?」
エリィが笑う。嫌?とアリカが問うと、首を振った。
石ころでガタついた地面の上で、二人はワルツを舞う。角に来るとターンして、またステップを繰り返す。アリカは舞台では見せない本当の笑みを浮かべる。ところで、音楽のないダンスはいつ終わるのだろう。ガリ、と地面を削る音がして、二人は崖の柵に接近する。
エリィは突然ルーティンを変え、ぐいとアリカを引っ張った。イナバウアーの要領でアリカの上半身が柵を乗り出す。これはピクチャー・ポーズだ。アリカの瞳に水面が映った。ひゅ、と喉から空気が漏れる。
「へ、あの、エリィ」
静止した世界のなかで震えた声だけが響いた。
エリィがくすりと笑った。何事もなかったかのように二人はダンスフロアの中央に戻り、ホールドをほどいた。太陽は沈み、つかの間の光だけが残されていた。
「帰ろう」
元々はエリィが引き留めたというのに、彼女はそう言って両手を広げ、スタスタと踵を返す。
「び、吃驚した…!」
数テンポ遅れてアリカが息を吐く。ゴリゴリと砂利を鳴らしながら彼女らは去っていく。
言ってくれたよね、アリカ姐。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
青天井の会場には所狭しと群衆がひしめき、皆口をへの字にして、厳かに待っている。背広を着こんだ紳士のなかに、学帽をかぶった学生も混じっていた。学生は一生懸命に背伸びをするが、前方は後頭部で埋め尽くされていた。
「聖遣(ダーリア)のご帰還だ」
どこからともなくそんな声が広がり、場は騒然としたのち、静まった。壇上に長髪の男と、浮遊する謎の生命体が現れた。
「我々こそが真の地球人である」
雨が降っている。今日の降雨量は一寸。傘に弾かれて雫が跳ねた。頭の近くでたくさんの音が鳴ることにアリカは眉を潜めた。軍の施設に庭のような場所に便宜的な男の墓があった。彼女に機体を与えたパイロット―――ボルトのものである。
「身体は無事に遺族のもとに送られたみたい。良かったね、アリカ」
「アタシは何も…」
エチルが墓に花を供えた。ぬかるんで汚れたネームプレートを手袋で拭う。三人の首からは赤い宝石が下げられていた。エチルは少しだけボルトのことを知っていた。
「私達が先陣を切ろう。君達は後方支援に回ってくれ」
ボルトは調整中の迫撃機巧の前で、エチルの目を見て言った。声色は優しい。そのロボットには誰も乗ったことが無く、新品の装甲が光っている。エチルは柵にもたれて、奢ってもらった缶のココアを両手に握っていた。片手だけにぬくもりを感じる。
「僕達を気遣っているんですか?迫撃機巧の実戦は皆等しく経験していませんよ」
「違うよ。自分達のためだ。これが性に合ってる」
迫撃機巧の一號機のライトが灯される。ボルトのペアである核だけが一號機に乗っていた。ボルトは光の中で迫撃機巧の頭の部分を見ていた。先ほどとは違って、小さな声で呟いた。
「私はただ、正しくありたいんだ」
「声が、するんです。聞こえませんか」
LEDライトのしらじらしい明りのもとにエチルとアリカ、カイリとナターシャがいる。彼は個人的な話があると言って会議室の一室にアリカを呼び出した。戦闘中のことが議題らしい。
「何か…声かは分からないけど、確かに変な音は聞いたかもしれない」
それは奇妙なものだった。ナターシャによるものでもない。人型に付きまとっていた小さな拉致型を捻りつぶした時に、子供の声のように高い不快な音がした。激動の戦いのなかでは忘れられるほどの幽かなもの。アリカの共感を得られて、エチルはひどく安堵したように息を吐いた。
「そうですか……。たぶん、コアによって認知機能が向上しているせいなんです。誰かが……絶対に悲鳴をあげているんです。僕はあれが嫌でたまらない」
彼は二の腕にきつく爪を立てた。
「あなたは何も知らないから平気でいられるんです。そうでなくとも、こんな戦いに自分から足を踏み入れるなんて……解りません」
彼は嘲るように口元を歪める。視線は合わない。
「エチル、ちょっと」
カイリが不安そうに水を差す。
「……何が言いたい?」
「最初に会った時、あなたが受け取った書類から目が離せませんでした。コアが『核』って表記されていたんだから。……そんな生易しいもんじゃない。これは人間の魂そのものです。この宝石のなかには、人間が入っているんです」
次第に声が震える。エチルの拳が固く握られる。
「人間……?そんな話、今まで」
「僕たち―――僕とカイリは双子です。ジンさんには口止めされましたけど。姉ちゃんは血を分けた家族で、人間だった」
エチルの顔は険しい。
「……何をアリカさんに怒ってるのよ」
「僕は……成り行きで入ってきた新人が何も知らないままで、コアを物扱いされるのが耐えられないんだ」
「アリカは私をモノ扱いしたことなんかないわ。成り行きでここに来た新人より活躍してないあなたにはわからないかもしれないけど」
ふんとナターシャが息を吐く。アリカは冷や汗をかいた。これでは完全に喧嘩だ。
「僕たちがいなかったらあの人型は倒せなかっただろ」
珍しくエチルが声を荒げる。空気が張り詰めた。
「ストップストップ、すとーーーーーーーーーー――っぷ!」
クウロがひょっこり顔を出す。大げさに両手を広げた。
「数少ないパイロットなんだから、仲良くしよっ!ね」
アリカは安堵のため息を吐いて、頭をかく。
「クウロの言う通り。ナターシャには頭を冷やさせとくよ」
「ヘラヘラしないでっ!ちょっと、もご」
「……こうすれば口を塞げるんだな」
ナターシャはアリカが下手に出るのが許せないらしかった。アリカは両手で魂(コア)を覆った。
「私たちはここでしか生きられないから……本当はどこでも生きられるあなたのこと、羨ましいのよ。エチルは。ごめんなさいね」
カイリが大人びた声色で言う。エチルは口を開きかけて、閉じた。
「すみません。口が過ぎました」
彼は深く頭を下げた。アリカも慌てて頭を下げる。
エチルは軍人になるため単身カマクラの学校に通っていた。家を出るとき、両親は彼を応援していたが、双子の姉は心配から彼を引き留めた。帰省は年に一度。家族の待つ山中に向かっていた。しかし、彼を待ち受けていたのは侵略者だった。県境に着いた時にはアキタは壊滅していた。雪の中、口腔型侵略者が建物を喰らっている。もう街の人間はあらかた喰いつくしたようだった。実家のあった場所に両親は見つからず、姉は血だまりの中で下半身を失っていた。
魂を抽出する他無かった。
「ごめんなクウロ、助かったよ」
エチルとカイリは立ち去り、部屋にはクウロとアリカだけが残った。ナターシャはアリカの部屋に戻らされ頭を冷やしている。
「いいよ。後で私が喋ったこと秘密にしてくれたらね」
クウロは退室したエチルの代わりに魂の秘密を話してしまった。
「言わないさ。魂というか、意識みたいなものを肉体から取り出す技術があって、それを迫撃機巧の操縦に活用してる……ってことだよな。そんな技術、秘匿されて当然だよ」
アリカは事の重大さに頭を抱える。
「いずれは知らされてたと思うけどね」
「信用されるまでは時間がかかるんだろうな。エチル然り」
暫く黙ったのち、口を開く。
「みんな誇りをもって一つの敵に向かってきた……正式な手順を踏まずにここへ来たアタシのこと、おかしいと思うか?」
「おかしいだなんて!もっと前からでしょ。まるで魂が無いみたい。……褒めてるのよ。あなたは軍人でもないのにヒーロー気取り」
クウロはその場でくるくると回って見せる。ダンサーのように。
「あなたはまるでエリィの影。体裁ばかり気にして、意思を伴わない。戦士にもなりきれない幽霊」
そんな、と言って、後に続く言葉が無いことに気づく。
「あなたは魂を凍りつかせて、物事を受け止めるのを後回しにしてる。いつかツケを払うときがくるよ」
彼女の胸元に魂―――赤い宝石は下げられていない。
アリカは護送車に揺られている。長袖で汗をぬぐった。カナガワの迫撃隊たちはニッコウに移動している。大量の侵略者が攻め込んでいるので応援として呼ばれたのだ。他の人間は早くに発ったが、アリカは遅れている。もう朝の光が拝めそうだった。
「すみません、アタシのせいで……」
「仕方ないですよ」
運転手がこちらを振り返る。歪んだ口元に皺が刻まれる。
「幻肢痛を治療するのは難しいと聞きます。まあ、隠していたら治療どころではありませんが」
流れる景色はものを言わない。空気が重い。アリカは毎夜脚が痛むのを隠していた。作戦の前になって強い痛みに襲われ立ち上がることができず、急遽薬を処方されたところである。
「すみません」
ナターシャにもひどく怒られた。彼女の身元は未だに暈されている。窓には瓦礫が増えてきた。
「任務のためだったんでしょう。若い頃は誰しも無茶をしますが、長生きするには逃げることも肝要ですよ」
ゆっくりと諭すように話す。鑑越しに後部座席を見ながら。
「そういうわけにはいきません」
「しかし―――」
交差点に車が停止する。
「我々は内部から瓦解しようとしています」
外は雪が降っている。ワイパーが作動し規則的なリズムを刻んでいる。
「内部から?」
「トウキョウ夜戦、アニ侵襲、ナガト攻勢……これまで多くの土地が壊滅的被害を受けてきました。これらはすべて迫撃機巧の生産に関わる場所です。まるで侵略者が我々の臓腑の場所を知っているようではありませんか」
「陰謀論ですよ……。奴らに策謀する知能はありません。災害のようなものです」
「先日の二號機の故障は仕組まれたものだと知っても、そう言えるでしょうか」
「戦闘中の脚部の故障のことですか。あなたは……」
「一介のエンジニアですよ」
車は坂を上っていく。アリカは座を正した。
「アタシはそれでも戦います。泥船に乗っていたとしても、そこであがきたいんです。自分を恥じたくないから」
「……そうですか。私は逃げた人間を恥だとは思いませんがね」
駐車場に停めてあったろう他の装甲車はもう出払っているようだった。サイドブレーキが金切声をあげる。二人ともベルトを外した。一面の雪景色が広がっている。一尺ほど積もっているが、雪が止む気配はない。システムが故障しているようだ。四つの脚が雪に埋まる。
「アタシ達、お互いの名前も知らずに喋ってました。アタシはアリカ・バンジョウ」
「私はギナン・ギンコ。ご武運を」
「ニッコウの部隊は……」
白い息を吐きながらアリカは陣中のジンに駆け寄る。彼は首を横に振った。
「あなたも急ぎ搭乗してください。戦闘は続いています」
「了解」
街はひどい有様だった。雪は全てを覆い隠すほどではなく、黒い瓦礫が見える。建物は喰い破られ人の気配はない。二號機と三號機は大立ち回りで口腔型侵略者を一掃している。口腔型侵略者は肉食動物の顎の骨をぼろ布で覆ったような様相である。大きさは三間ほど。拉致型のように光線を撃つことはできないが、なんでも喰らい一瞬で溶かしてしまう。カイリの肉体のほとんどはこの侵略者に喰われていた。
「ジャイブで行くぞ」
ええ、とナターシャが頷く。ナターシャの感覚がアリカに流れ込む。先日よりもシンクロしている。雪の中の兎のように軽快な足さばきで侵略者を翻弄した。跳ねて噛みつきを避けながら弾をぶち込む。
『だれか、たすけて……』
突然アリカの耳に小さく助けを求める声が届いた。後ろを振り返る。
「今の……ナターシャも聞こえたか」
「どの通信でもないわ。幽かだけど、確かに聞こえた」
アリカは辺りを見回す。
「あそこだ!九字の方向!」
建物の残骸から小さな腕が伸びている。下敷きになっているようだった。アリカは息を呑む。
「ナターシャ、あの子を傷つけないように瓦礫をどかせるか」
「そんな繊細な動きは無理よ。私以外ならね!」
アリカはニヤッとして操縦桿を握り直す。救助に入る彼女らにエチルが口を挟んだ。
「助かりっこありませんよ!もう死んでる」
「生きてる可能性が少しでもあるなら、アタシはそれに懸ける。背中は任せた」
四號機はしゃがみこみ、エチルは荒れた二の腕を握った。
「こっちに集中しましょう」
カイリが刀の柄で侵略者を弾いた。エチルはまた、言葉を呑みこむ。
「正しくありたい」
そう言っていなくなった人の顔が浮かぶ。いつからだろうか。人の目を見られなくなったのは。クウロが無事ならそれでいいと思うようになったのは。たくさんの人のために戦っていたのに、一人のためだけに戦うようになっていた。
侵略者を斬るたびに、腕は重くなる。悲鳴を聞くたびに、惑う。
エチルは、人から離れたかった。
「……私にできるのはこれまでね」
二人は大方の木材をどかすことができた。うずたかい瓦礫からかなり地面に近づいた。残りは触れると壊れそうな細かい壁など。
「装甲車はまだ来ないの?」
「道路が倒壊した建物で埋まってるんだ」
三號機の胸部からアリカが飛び出す。小さな隙間に上半身を入れ、するすると入っていった。時々中から小さな瓦礫が投げ出される。見守るナターシャには無い心臓が苦しく感じる。何時間にも感じた。やがて、荒々しい叫びと共に、瓦礫の割れ目が大きく広がる。土煙が上がると、そこには幼い子供を抱き抱えるアリカがいた。
「生きてる!」
ナターシャは飛び跳ねるような心地で笑顔をほころばせる。待機していた三台の装甲車の乗員が子供を預かった。救助が終わる頃には侵略者も片付いていた。
エチルたち―――二號機が近寄る。アリカは腰に手を当てて鈍色の巨体を見上げた。
「アリカさん。僕は、民間人を守るために軍人になったんです」
雪はいつの間にか止んでいる。スピーカーからエチルの声が流れた。
「忘れていました。初心に帰る思いなんです。あなたは……一人を助けるために、みんなを助けようとしている」
噛みしめるように話す。
「エチルたちのおかげで救助に専念できたんだ」
「……アリカさんは本物の戦士ですよ」
エチルははにかむ。カイリは久しぶりにその表情を見た。アリカは口元に手を当てて腹から声を出す。二號機の後ろからクウロたち―――三號機も近寄る。
「みんなで帰ろう、エチル」
「はい」
その時、三號機がぬらりと二號機の腰の山人刀を抜き取った。そのまま二號機のコクピットにそれを刺す。刀は丁度エチルの胴を貫いた。流れるように、手慣れたように。
「は……?」
それはあまりに自然に、当たり前のように行われた。誰もが化石する。アリカの脳は状況の理解を拒む。
エチルの薄い下唇から赤いカーテンが垂れる。コックピットの内部には火花が散っている。液晶はエラーメッセージで埋め尽くされ、一部には砂嵐が走る。
「エチル……?返事をしてよ、ねえ」
カイリが声を震わせる。これほど自分の身体が無いことを苦に思ったことはなかった。眼の光が失われようとするエチルにそっと触れたかった。
エチルの口から少しの息と血液が漏れる。何か言おうとしたようだった。痛みも感じなくなってきて、ぎこちなくカイリを撫ぜた。
不思議と……恐ろしさは感じない。姉ちゃんが一緒だから?……クウロに殺されるなら、いいか。ごめん、姉ちゃん、泣いてるんだろ。もう置いて行かないから
「……れて!離れるのよ、アリカ!」
ナターシャの声に我に返る。直後、二號機が爆発した。黒煙の中に立つ者がある。クウロ。もといウルメ。残虐たる裏切り者。
「あは」
クウロが心底楽しそうに笑う。
「貴ッ様ああああ!」
第二章 双胎、或いは絶対
1 ネイティブダンサー
――――――――――――――――――――――――――――――――――
「君のことをもっと知りたい」
本心だった。僕は王族。彼女は幾人ものお手伝いの中の一人。叶うはずの無い恋で、僕の人生は変わる。
彼女はサディーといった。作法の行き届いた麗しい少女だった。僕は無能な跡継ぎ。なんとかして弟にすべてを任せられないかといつも考えている。怠惰な僕のことをみんなは嫌うけれど、彼女は違った。彼女の行動からは何の感情も滲まなかった。他の使用人たちは表面的には媚び諂っていても、軽蔑が滲む。僕にはわかる。比べて、彼女の仕事は丁寧だった。僕を目の前にしても、顔色一つ変えない。
僕は彼女をそばに置くようになった。勉強するときも、身体を鍛えるときも、外へ遊びに行くときも彼女を侍らせた。それでも彼女は機械的だった。
「君のことをもっと知りたい」
そう言ったとき、彼女は初めて目を見開いた。
「わたし、そんなに面白い人間ではありませんよ」
彼女の口角はうっすら上がっている。僕は夢中だった。食べ物はそんなにおいしくもなく、ほこりっぽい、くだらないもので溢れた街だったけれど、僕はこの街のこの喫茶店が好きになった。彼女のいる場所が好きだった。
僕はラブレターを書いていた。古風で面倒なことだと笑われるかもしれないけど、僕は真剣だった。相応な身分の婚約者も用意されていた。それでも彼女への想いを形にしたかったのだ。ノックが鳴る。
「紅茶をお持ちしました」
僕はラブレターの上に別の紙をのせて、彼女を通した。礼を言って受け取る。部屋に華やかな香りが広がった。
「何をなさっていたんですか」
「いや、ちょっとね。勉強かな」
僕は言葉に詰まる。顔が熱い。居たたまれなくなって紅茶を飲み干した。
「座りなよ」
僕は彼女に一等いい席を差し出す。
「ありがとうございます」
彼女は多くを語らない。沈黙を許容してくれる。紅茶の残り香のなかで僕はぽつぽつとこれからの話をした。僕が王位を継承する日が迫っていること。儀式の準備のこと。弟は部下を多く集めて力をつけていること。
「……もう少し後で言うつもりだったんだけど」
一拍置いて、僕は手を握りしめる。
「一緒に逃げちゃわない?」
声が震えていた。
「きっと争いが起こるよ。そして僕にそれを止める力はない」
「あなたは国民を見捨てるんですね」
彼女が立ち上がり、不意に笑った。心底うれしそうに。
「ここで戦えない人間が他の場所でやっていけると。浅ましい」
吐血。僕のラブレターが血に染まる。立ち上がることもできない。視界が急激に歪んだ。毒か。酷く痛む頭を上げ、彼女の顔を見た。どんな表情なのか、よくわからない。
「信用してくれて、ありがとう」
彼女は静かにそう言った。敬語じゃない。汗が噴き出る。歩み寄ってきた彼女が僕を見下ろしている。
「サ……ディ」
声を絞り出す。弟からのスパイだとしたら、これも本当の名前じゃないんだろう。国賊が。
「これが、本当の私。ねえ、こんな私のこと、好きになれる?」
畜生。畜生。畜生。こんなにも苦しいのに。憎いのに。殺されるのに。僕は声を絞り出した。
「……呪われろ」
矛盾。僕はまだ彼女のことが好きだった。
爆風が止む。アリカは雪原に見合わない熱を感じた。
「アリカ!」
ナターシャが叫ぶ。怒鳴り声だった。
「ナターシャ!」
応えて、迫撃機巧の伸ばした手に向かって駆ける。
「させると思う?」
三號機が斧を振りかぶる。アリカとナターシャの間に鉄が割って入った。スケールの差にアリカは大きく吹き飛ばされる。右腕から瓦礫の中に堕ちた。
「ぐぁ……」
強い衝撃に呻く。二の腕にガラス片が刺さっていた。制服が破れ額から血が流れている。アリカはそれを強引に拭った。四號機からはかなり離れてしまった。目測でおよそ三十間。と、そこにエンジン音が響く。
「ギナンさん!」
「乗ってください」
アリカのもとに四台の装甲車が駆けつけた。ギナンの車両に乗り込む。彼はシートベルトをしなかった。
「あなたが救った子供は無事に護送されています。つまり、我々に心配は要りません。攪乱します」
彼の瞳は爛爛として、何も映っていなかった。アリカは頷く。
三台の装甲車が一斉に走り出した。方向は三者三葉。少し遅らせてアリカの乗った車も出発する。
アリカからナターシャの乗る迫撃機巧まで残り二十間。トップスピードのままドアを開け放ち、アリカは車から転がり降りた。そのままナターシャに向かって走る。
残り十五間。けたたましくクラクションを鳴らしながらアリカの遥か前方で一台が真っ直ぐ突っ走る。多少の障害物も意に介さない。物凄い速度で三號機に迫るが、避けられる。アリカはほとんど使い物にならない右腕さえも振って走る。
残り十間。もう二台が三號機に肉迫する。ドリフトして周囲を回転する。クウロは踏みつぶそうとするが、その瞬間に他の車に体当たりされた。勢い良く炎が上がる。
残り五間。三號機が膝を付いた。
「長く生きていれば、誰しも千両役者となれる舞台に巡り合うことができるものですね。ジンさん、頼みましたよ」
三台が同時に突っ込む。アリカは叫び声をあげる。それも風が消し去ってしまう。
到達。四號機はハッチを閉じ、再び立ち上がった。
「アリカ、その腕」
右腕は打撲し流血していた。アリカは袖を破り、右腕の傷口を左手と口で大雑把に縛った。血と汗がコクピットに滴る。転がっていた痛み止めの錠剤の瓶から五、六錠つかみ取り、噛み砕いた。
「これでチャラさ」
頭部に装着した機械からナターシャの怒りが伝わってくる。
「ナターシャ。行くぞ」
「もちろんよ」
三號機が防御の姿勢を崩す。
「車で突っ込んでくるなんてびっくりだよ」
立ち上がったクウロたちに四號機は殴りかかる。
「うるさい!」
「なんでこんなことを!」
ナターシャとアリカの右ストレートを斧で受け止める。クウロは嗤った。
「自己紹介がまだだったみたい」
四號機から距離をとり、わざわざポーズをとる。
「私こそセカンドアース旅団長、ナナツ・マイワ!この星を侵略しに来たよ!」
「セカンドアース!?」
「正体を現したわね……侵略者!」
この星は地球ではない。光源は太陽ではない。近くに月のような惑星もない。肥沃な大地に浅い海。人類はこの星に歓喜した。
地球(ファーストアース)は使い潰された。代替となる星を探す旅は難航した。苦し紛れの暫定措置として地球から三十年ほどの航行で辿り着く寒冷な惑星が見初められた。開拓も進まないまま、高官や貴族が次々と地球を脱出した。地球とは似ても似つかない星だったが、先遣隊はこの星をセカンドアースと呼んだ。
セカンドアースは未知の生物に溢れていた。それらは浮遊し、空を泳いでいた。飢えからそれを食べた先遣隊の一人は魂を抜かれたように人間性を喪失した。地底は氷に覆われており、資源の採掘は困難を極めた。そんな中、一握りの権力者が比較的肥沃な土地を独占した。人員削減の憂き目にあった労働者たちは飢餓に苦しんだ。文明は退行した。とある探検家曰く、「まるで深海に住んでいるようだ」と。資源の枯渇から移住計画は一時停止された。しかし、一度航行を始めた船は引き返すこともできず、計画が停止してからも人間は増え続けた。
その後、地球にてある偶然から技術の飛躍的進歩が起こり、超長距離航行が可能となった。地球から三億光年離れた銀河に輝く白い星にサードアースと銘打ち、再び移住が始まった。それから二百年が経ち、地球はもぬけの殻となった。地球を挟んでサードアースの反対に位置するセカンドアースから船を出すことは出来なかった。地球にて新たに開発された技術を再現できなかった。
深海に光は届かない。生物は数少ない資源を奪い合う。
セカンドアースは見捨てられた。
歴史が変わる。いや、私が変える。クウロは天に向かって手を挙げた。
「仲間はまだまだいるんだから!」
空挺型侵略者が空を覆う。続々と侵略者が降下した。
四號機は構わず三號機に殴り込む。クウロはその拳を掴んだ。完全に見切られている。そのまま胴に蹴りをいれた。
四號機は背中から倒れる。雪が衝撃を和らげた。ガソリンが漏れて雪が染まる。
「来る!」
ナターシャが警鐘を鳴らす。すぐには立ち上がることができない。四號機はクウロたちに右腕を踏みつけられた。
「うああぁああああっ!」
「アリカっ!」
「あれ、痛むの?アリカちゃんもなかなか同調できてるね」
ナターシャが脚をばたつかせ、無理やり立ち上がる。近くに落ちていた瓦礫を投げてけん制する。
「魂(コア)と怒りを通して共鳴してるってとこ?うーん……」
瓦礫を軽々避けながら会話に興ずる。雪煙のなかに四號機は姿をくらました。まだ残っているビルの影から狙いを定める。
銃声。その瞬間、三號機は大きく背中を反らした。通り過ぎた弾丸が建物に当たって爆ぜる。
「そこっ!」
三號機が指をさし、二体の口腔型が続く。ビルが噛み砕かれた。四號機は走りながらそれを撃つ。
銃声を聞いてから避けるなどありえない。たとえパイロットが反応できたとして、それに迫撃機巧がついてこられるはずがない。アリカは三號機を睨んだ。
「驚いた?私、強いよね~」
「化けの皮被りやがって……今まで手を抜いていたな!」
ステップを踏んで接近し、蹴ろうと足を伸ばす。三號機は高く跳ね、四號機の頭を足蹴にする。
「ねえ、魂とパイロットが最もシンクロできる組み合わせは何だと思う?双子?恋人?親子?」
「あぁ!?」
四號機は頭を押さえてよろめいた体勢を立て直す。
「残念時間切れ!正解は~自分自身!私は私の魂を抽出していたのでした」
演技っぽく大げさに告げる。異常。クウロは自らの魂を持っていなかった。
「考えられない……」
ナターシャが眉をひそめる。彼女の目にクウロは異形に映る。魂を持たない人間は人間ではない。そう考えていた。
「じゃ、死んでくれる?」
クウロが嗤う。三號機が不意に斧を投げる。四號機は顔の横を紙一重で通過し、落ちた斧がコンクリートを深く抉った。その隙に三號機が急接近する。
どてっ腹に一発ボディブローが入る。次に右頬。次に膝が人中に入る。
四號機が背中から倒れた。囲んで待機していた口腔型が群がる。アリカは強い痛みに動けそうにない。ナターシャが懸命にもがく。
ナターシャは銃弾で口腔型を薙ぎ、それでも接近してきた一体を握りつぶした。手が黒く染まる。
「そろそろ……アリカちゃんにも聞こえるかな?みんなの声」
クウロは息を整えつつ呟く。アリカは疑問を感じるが、声が出ない。
「そこにいる侵略者のみんな。思ってたほど知能が低くないってことはわかったでしょ?シンクロによる集合意識の拡張……覚醒したパイロットは魂を通してみんなの声が聞こえるの。ほら、集中して?そこに落ちてる瀕死の拉致型。死にたく」
「耳を貸さないで!出鱈目なんだから」
くすくすとクウロが嗤う。
「いいのかなあ、何も知らないで……」
クウロが地面に刺さった斧を抜いた。雪が崩れる。
そのまま倒れ伏した四號機の首に向かって振り下ろした。
爆風。アリカは目を見開く。少し、斧が逸れた。
「誰!」
クウロが叫ぶ。彼女の視線が逸れた隙に四號機は転がって立ち上がる。
雪道に戦車が並んでいた。増援だった。
「アリカ、よく耐え抜きました。カマクラとグンマからの援軍です」
「待ちくたびれたわ、まったく!」
悪態でありながら、ナターシャの声色は明るい。アリカは深く息を吐き、吸った。
戦車には侵略者を完全にうちのめすほどの火力をもたない。それでもミサイルは侵略者の気を惹く。硬い装甲は盾になる。
アタシが、やるんだ。
「アリカ・バンジョウ、ナターシャ、出る!」
「クウロ……貴様は時間をかけすぎた」
三號機の関節から火花が散る。クウロたちの本気の操縦に迫撃機巧がついていけていない。クウロは舌打ちした。
「一人じゃなにもできないくせに!」
「はっ。寂しいか」
再度、衝突。三號機が四號機の拳を受け止める。しかし四號機の出力が三號機を上回っていた。クウロは呻く。
「私に大切な人なんていない!誰かのために生きるなんて馬鹿のやること!」
四號機は三號機の右腕を掴み、高く蹴り上げた。右腕が断裂する。
「うあああっ!」
クウロは自分の腕を押さえる。迫撃機巧とあまりに同調したため、脳が肉体を誤認していた。
これで、正しい。彼女を行動不能にすれば、この戦いは終わる。皆がそう望んでいる。アリカはこれまで出会った軍人達の顔を思い浮かべていた。額から汗が滴る。
「形勢逆転だ、クウロ。投降しろ」
クウロは口元の血を拭う。皆満身創痍だった。
「あーあ……」
三號機はだらりと腕を下げた。
まだ手はある。四號機は右腕をほとんど動かしていない。このまま斧で切り伏せて処理できる。一度投降したふりをして、隙を突こう。そしたら他の有象無象は無視して、撤退。本隊と合流しよう。これで押し切れる。まだやれる。なのに―――
「動かない……?」
クウロは背筋が凍るのを感じる。コクピットのあちこちをいじるが、どうにもならない。駆動系はくたびれているが、コンピューターは正常のはずだ。
「どうなって」
「ごめん、私」
ウルメが初めて口を開く。軽薄で素朴な声。
「もう疲れたよ」
三號機は自らのコックピットに手をやり、無理やり指を差し込んだ。
「……は?」
ウルメからクウロにその倦怠感がなだれ込む。操縦桿を何度も動かすが、ウルメは止まらない。繋がっているから、わかる。ウルメは本気だ。本気でクウロを殺そうとしている。
「もう無理だよ。私達、殺しすぎた。自分の始末くらいは自分でするよ」
その声は一抹の解放感を感じさせる。
「なんで!従わないの」
クウロの叫びが空しく響く。アラートが止まない。火花が散って、液晶が割れた。
「何を……してる」
動揺したアリカが歩み寄ろうとして、停止した。
「近づいちゃ駄目!爆発するわ」
「でもあのままじゃ!」
アリカの叫びはナターシャには届かない。
「あいつは敵よ」
アリカはその冷たさにゾッとする。右腕が痛んだ。
クウロは必死に抵抗するが、ゆっくりと、しかし確実に鉄がコクピットにめり込んでいく。ハッチが開かない。無駄だとわかっていて、それでも叩いた。
「こんなの理不尽だっ!なんで!助けてよ、ねえ、誰か」
「誰かなんていないわ。あなたが殺したのよ。独りぼっちで死になさい」
その声は怒りに震えていた。アリカは目を見開き、己の無力に歯ぎしりする。
操縦席が鉄の指に握りしめられる。甲高い断末魔にアリカは息が詰まった。三號機が爆発し、火柱が立つ。轟音が響いた。炎に四號機が照らされる。
「……生きてなきゃ、償うことすらできないのに」
アリカは愕然とした。
侵略者達が上昇し、母艦へ退却していく。
「終わった」
虚ろなままアリカが呟いた。まだ何の実感も伴っていない。周囲には迫撃機巧や戦車の残骸が雪に包まれていた。
「……まだ。少しだけ残ってるわ」
ナターシャが気配を感じ取った。疲れているアリカのために声のトーンは下げられている。
崩れた建物の影に数体の口腔型と一体の拉致型が固まっていた。隠れていたようだが、三號機の爆発によって姿を晒され、弱っている。それらは全て通常のものより小さい。およそ戦力には数えられそうにもなかった。四號機は歩みを進める。
アリカは何故かその侵略者達に懐かしさを感じた。戦場ではおよそ感じたことのない、寂寥。
何か―――音がする。
「アリカは休んでで。私がやるから」
アリカの鼓動は早まる。
「……ねえアリカ。私、ジャイブって好きよ」
口を閉じたままでいる。
「兎になったみたいで楽しいの。そんなに緊張しないで」
本当は、これはコンペティション・ダンスではなかった。片方の踊りをトレースしているだけなのだから。
「ねえ、踊ろう?」
ナターシャが励ますように言う。アリカはただ頷いた。そうすることしかできなかった。
四號機がほとんど動かない侵略者達を蹂躙する。もう銀世界の中で動いているのはそれだけだった。
「…ッ。なんだ、これ、まただ」
アリカは頭を押さえた。声がする。それはもう幽かな音ではなかった。曖昧だったそれは彼等の肉を通して、明確にアリカに流れ込む。
『こわいよ』『痛い!』『しにたくない』
建造物は砕けその内部を露わにしている。瓦礫で足元が不安定だ。
肉が飛び散る音が『ルウム!』『カキ!』声が『うわあああああ』『なんで』『アリカ……姐ちゃん、たすけ』
「ああ、そうか。そういうことか」
『良い人間になれ、アリカ』駆動音。魑魅魍魎の死骸。アリカは耳を『痛み』『嫌い』目を閉じ『抜け殻』『大切な人』『出来損ない』それだけ『飲まれる』『光』が『幽霊』い。ねえ、私のこと、覚えて『人殺し』
止まない。許しを乞う声が。泣き声が。断末魔が。
気づかないふりをしていた。侵略者達は皆命を持っている。そして、今足元に広がる肉片は―――
「っあ……。ごめ、なさ…」
疑念が核心に変わる。小さな彼等。その声。その名前。覚えがある。
こいつらは、同じダンススクールの門下生だ。
四號機の楽しげな動きに対して、コクピット内のアリカは苦しみに声を上げる。頭を搔きむしる。ジンは冷静を装って、アリカに声をかける。
「アリカ、何が起こってる。答えろ」
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめ
四號機はジャイブのステップで小さな口腔型の群れを全て踏み潰した。脚は彼等の体液で濡れている。雪と肉が混ざり合って地面が柔らかかった。目の前には少し大きな拉致型が一体だけ、震えている。
「アリカ!アリカ!応答しろっ!」
ジンの叫びはアリカには届かない。
「アリカ」
あぁ。
「何が悲しいの?」
嫌だ。
「これは敵だよ?みんな…魂なんて持ってない」
そんな目で見るなよ。
「ほら、もうあと一体」
やめろ。
「敵は倒さなきゃ……そうだよ!」
やめてくれ。
「私達、ヒーローなんだから!」
「ああぁあああああああああああっ!」
アリカは迫撃機巧の脚を掴み、ねじ切った。自分の脚を失ったような痛みを感じてまた叫ぶ。
「アリカ?何やってるの?」
ナターシャの焦った声にも関せず、ハッチを叩き、外へ飛び降りた。侵略者に向かって思い切り手を伸ばす。地面に叩きつけられる前に、拉致型の胎内に包まれた。
この場から逃げたかった。ただ目の前の命を守りたかった。短絡的で、自分勝手な選択。
斯くして、アリカは飲まれる。
2 レイニーブーツ
――――――――――――――――――――――――――――――――――
「良い人間とは常に一番を目指すものだ」
アリカは定例の説教に飽き飽きして髪をいじっている。
「一番であれば、何もとりこぼすことなど無いのだ。しかし近頃のこの体たらくは何だ?」
ブランド物を纏った筋骨隆々の男性が、手に持っていた新聞を握りつぶした。紙面には直近の大会の優勝者が祝福されている。それはアリカたちのカップルではなかった。彼女らは三位。
「大会前はもっと練習時間を増やせ。たるんでいる」
「テストも重なってたんだから仕方ないだろ」
高校から帰宅し、制服から着替える間もなく書斎に連れてこられているアリカは早くこの場を立ち去りたくてうずうずしている。木の高級家具と本棚に入りきらずに積み上げられた本が威圧しているようだった。
「それが怠慢だと言うのだ。お前は毎日しっかり勉強しているのだから、直前の詰め込みなぞ必要ないというのに」
図星を突かれて、アリカは頭を掻く。彼女は日々の授業をきちんとこなしているので、テスト期間は専ら友人たちに勉強を教えるばかりだった。
「別に、そこそこでいいだろ」
呟くように放った小さな声が逆鱗に触れた。男は新聞を机に叩きつける。アリカは縮こまった。
「アリカ……父の名に恥を塗るな」
「そんなの、私達の勝手なのにね」
父の横暴を聞いて、エリィは小さくため息を吐いた。放課後の教室
で、エリィはアリカの髪を結っている。二人きりだった。
「エリィは……こういう時間を犠牲にして、一番になるために練習したい?」
「私、あなたといられるのならどっちだっていい」
何でもないようにエリィは答えた。アリカは頬を染めて俯く。
練習をおろそかにしているわけではなかった。ただ、大きな大会で一位をとるには足りないというだけ。二人ともセンスが良く、学校に通いながら着実にダンスの技術を身に着けていた。
アリカは父の教えに共感できずにいた。
その日は地方大会だった。競技としてではなく娯楽として参加する中年のカップルも多い。
ダンスフロアで、アリカは弾かれるように転倒した。エリィも巻き込まれる。ダンスフロアに鮮血が一粒落ちた。
「エリィ!」
すぐに体勢を立て直して、鬼気迫る顔でアリカが叫ぶ。音楽はまだ続いている。
「平気だよ」
そう言って、エリィはアリカの悲壮な顔を見て、その視線の先を見た。ドレスに血が滲んでいる。左肩に切り傷ができていた。アリカのハイヒールの先がかすったようだ。
「ごめん……ごめん、アタシが下手だったから」
「大丈夫だから、泣かないで。ここを離れよ」
二人は立ち上がり、救護室へ向かう。装飾の多いドレスで廊下を歩くと、人々の視線が痛かった。今アリカは、パートナーを怪我させたリーダーだった。
その日の帰り道を、アリカはよく覚えていない。もし怪我をしていたのが顔だったら、どうあがいても償いきれない。一番傷つけたくない人を傷つけてしまった。
それから、言うまでもなくアリカは練習に打ち込むようになった。エリィがいない時も一人で踊った。父親が忙しくて帰らない日、夜中に抜け出して公園で踊った。疲労骨折してドールに怒られた。授業中はこっそりダンスの動画を見た。断っていたインタビューを受け、メディアに露出するようになった。
アリカは見違えるほど上達した。しかし、表情の作り方が下手になった。コンペティション・ダンスは表情も評価の対象となっており、全身で感情を表現することが求められる。
いつからか、彼女等の踊りは氷に例えられるようになった。正確無比で、遊びが無い。アリカは、これでいいと思った。自分はエリィという光を際立たせる影であればいいと思った。
しかし、アリカは必死で気づかなかった。本来エリィの踊りはジャズのような偶然性を重んじる変幻自在なものだったことを。より楽しいほうを求めて、エンターテイナーとして皆を喜ばせることに喜びを感じていたことを。
影になるのであれば、一人で踊っているのと何ら変わらない。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
空挺型侵略者と呼ばれる宇宙船が港を通り、サードアースからセカンドアースへと旅発つ。
美しい穴の空いた人体。魑魅魍魎の死体。それらが点々と続いて、その中心には闇。
その闇に向かって血の海の中を歩く者がいた。長身の背丈に癖のついた黒髪が映える。エレクトーンのような奇妙な音を聞いて、口角を上げる。
ある地点から脚を踏み出した時、それは反応する。海月のように細長く半透明の触手が真っ直ぐに首元に向かう。先端は針。石が割れるような音がして、大穴が空いた。鈍い音を立てて落ちた首は未だ笑っている。
駄目押しに他の触手も襲い掛かる。黒髪の女性は追撃を容易く避けた。首を持たないまま右手で銃のジェスチャーをとる。その瞬間、触手の一本が焼き切れた。切れ端が黒い体液を出して染まる。
全ての触手を切除して、女性は根本に迫る。そこには頭をがっくりと垂らしてへたり込む者がいた。幽かな呼吸音。半身は白い布で覆われたように皮膚が爛れている。右脚の膝から下は無い。背中からは触手がのびていた。
断裂した触手の停止を確認し、女性は自らの首を拾う。ガチャガチャと接合部を合わせ、無理やりに繋ぎとめた。そのまま意識の不明瞭な生命体を抱き上げる。
生命体はその体温に包まれ、力なく呟いた。
「かあ、さん……」
虚ろな目に涙が光った。女性はため息を吐く。
「んに~。ボクは超若作りのババアだよ」
「アリカ……アリカ」
誰かが呼ぶ声がする。恐る恐る目を開けると、長い黒髪で両目の隠れた女性がこちらを見ていた。何もかも、知らない景色だった。身体が重い。上半身を縦にすると、ベッドが軋んだ。部屋は薄暗く、埃っぽい。
「んに。おはよう」
女性がにこやかに声を出す。アリカは声を出そうとするが、長い間そうしなかったせいでうまくいかない。
「ボクはウスバ。キミを宇宙船から盗み出してきたよ」
ウスバと名乗った女性はひらひらと手を振って見せる。アリカは肉体の不均衡を感じて視線を落とす。右半身が白い脂肪のようなもので覆われている。身体の輪郭が変化し、不規則な凹凸ができていた。
「アタシはアリカ……知ってるみたいだけど」
困惑しながらもアリカはウスバを見る。彼女は口元を歪ませていかにも愉快そうだった。
「んに~。キミの記憶を覗かせてもらったよ。ボクは脳の科学者なんだ。ずいぶん無茶をやってこの星に来たみたいだな」
奇妙な口癖を披露しながらウスバはアリカに近寄る。そのままアリカの右腕に触れた。
「キミは有脳体(モレイイール)と融合して生き残った世にも珍しい生命だ。キミたちの言葉なら……拉致型、か」
アリカは目を伏せる。
拉致型に呑まれた後、瀕死でありながらもそれは船へ辿り着いた。腹を膨らませた拉致型は傷ついた侵略者の群れの中でじっとしていた。
それは母だった。もちろんアリカと血が繋がっているわけではない。しかし偶然にも、それは母だった人間の幾人かを材料にして生まれた兵器だった。その拉致型は兵器として埋め込まれた冷酷さを、怯える孤独な子供の前に忘れてしまった。拉致型はアリカに自らの全てを分け与えた。我が子が飢えないように、温もりを与えた。敵が来れば遠ざけた。
意識を失っていたアリカだが、なんとなく知っていた。拉致型が自分の命を守ったと。その過程でいくつかの命が失われたと。心臓が痛む。
「アタシのせいで……何人が死んだ?」
アリカは声を震わせる。脚を引き寄せて、頭を抱える。絞り出した声は消え入りそうだった。
「いや、人数の問題じゃない……人殺しだ…アタシは…」
虫のようにか細い声。
「殺してくれ」
頭を掻きむしりながら、アリカは震えている。ウスバは何も言わないで、アリカの肩を強く押し倒した。
どこからかウスバは古風な拳銃を取り出し、アリカの胸に当てる。そのまま破裂するような音がして、銃弾が彼女の右胸―――ちょうど心臓のあるような場所を貫いた。床に鉛がめり込む。
「あゥ……がっ」
苦しみにもがくアリカの両腕を、のしかかったウスバが掴んだ。
「ん。傷口に触れるな」
口の端から血が流れた。患部からも黒い血が垂れる。コントラストで際立つ白い脂肪のような塊がにわかに流動し、空いた穴が塞がれていく。
激痛のなか、アリカは肩で息をしている。息をしている。
「フフ……ハハハ!」
ウスバが身体を反らして大口を開け笑う。古びたベッドが悲鳴をあげた。
「おめでとうアリカ!キミは有脳体と融合し、殺されても死なない身体を手に入れた!」
アリカは勝手に溢れてきた涙を拭うこともできず、茫然としている。
「ぁ……アタシ、今、撃たれ……」
「んに?キミはまだ自分が人間だと思っているのか?」
脇の下に手を入れ、ウスバは膝立ちのままアリカを高く持ち上げた。天井すれすれまでアリカの視線は持ち上がる。
「んに~。アリカ、キミは今殺されて、新しく生まれた。不死の化け物同士、仲良くやっていこうじゃないか」
明るい声色が狭い部屋を満たす。アリカは事態を消化する前に、新たな痛みに襲われる。
「……ッ」
「ん。まだどこか痛むか?」
「右脚……幻肢痛……」
「んに。少し耐えろ」
ウスバはゆっくりアリカを寝かせ、しばらく思案した後そう言って部屋を出た。アリカは埃っぽい布に顔を埋める。
十分ほどして、革靴のような足音を鳴らしながらウスバが戻った。ヘッドホンのような機械を持っている。
「んに、少し電気を流すぞ」
「え……」
抵抗することもできず、アリカの頭にヘッドホン型の何かが装着させられる。痛みと恐怖に身体を縮こませる。ウスバは少し離れてボタンを押した。すぐに刺激が走る。
思わず目をつむったアリカは、驚いて起き上がった。痛みが消えている。心なしか少し身体が軽い。ウスバの顔を見る。
「ンフフ。身体地図を書き換えてみたよ。無い物を有ると脳が勘違いして起こる痛みは、こうして克服できる」
身体地図とは、“脳が思う”自分の肉体のことだ。脳はよく間違える。思春期に急成長した身体に対して更新が追いつかずに身体の端をよくぶつけたり、楽器やラケットを自分の身体だと認識したりする。
「脳の研究だけは君の星、サードアースよりも進んでいるからね。ボクがあのロボットを作るなら、もっと脳への悪影響を減らせるだろうに……」
そう話しながらウスバはアリカから機械を取り外した。
「……ありがとう。アンタの真意はよくわかんねえけど」
「んに?こんなに心優しくて分かりやすいやつはそういないだろ?」
ウスバは手を広げて首を傾げる。
「いや……殺したり治したりわけわかんねえよ」
「ボクはキミが好きなんだ。それだけさ」
清々しいほど真っ直ぐな言葉に、アリカはたじろぐ。
「実験体として、これ以上ないしね」
「んなっ……」
「さァ飯にしよう。と言ってもキミだけだが……腹はすいているだろう?」
ウスバはついてこいと言いアリカを案内する。キッチンのついた小さなリビングのテーブルには山盛りの料理が所狭しと並んでいる。
「アタシ一人に、これを……?」
「んに。キミはまだ二十二のガキなんだ、これくらいいけるだろう」
「アンタは食べないのか」
「ん、言ってなかったか。ボクの身体はロボット。コアで動かしている。だから食事などという面倒な行為は必要ない」
そう言ってウスバは頭を外して笑った。
「ウワッ!」
声を上げるアリカを見てウスバは更に笑った。
食欲は無かったはずだったが、少し手をつけると無言で食べ続けてしまった。ウスバは何故か同じ食卓につき、口角を上げながら見守っている。全く見たことのない肉の炒めや黄色く濁った根菜のスープを腹に入れると、アリカは久しぶりに温かい睡魔に包まれた。ここで寝てはいけない、と思いつつ頭が揺れる。ウスバが席を立った。
「んに。人間の肉体は難儀だなァ」
ウスバは彼女を持ち上げ、ベッドへ運んでやった。
「おやすみ。せめて今日くらいは、ゆっくり眠るといい」
風を感じて目を覚ますと、アリカはウスバの背に揺られていた。ウスバのマントとまとめて布に覆われている。ぼんやりしていると、ウスバが振り返りもせずに言う。
「んに、まだ寝てていいぞ」
「ここは……?」
セカンドアース周辺に太陽のような星はなく、都市部のみを電気が照らしている。ウスバの拠点は都市を離れており、今歩いている道もほとんど明りがない。灰色の砂が舞っていた。アリカだけが白い息を吐いている。
「深海さ。今は人の多い場所を目指している。知り合いから既に拠点に向けて追手が放たれたとタレコミがあった。キミは軍部から追われている。こうして隠れやすい場所に運んでいるというわけだ」
「……降ろしてくれ。アタシは逃げるわけにはいかない」
「捕まれば兵器にされるだけだ。償いにはならないさ」
言わんとすることが読まれている。アリカにはうっすら覚えがあった。サードアースからセカンドアースに帰る船で有脳体と乗組員の命を奪ったこと。
「こんなに、罪を重ねているのに、どうして、アタシだけが生き残る」
ウスバに問うでもなく、アリカは呟いた。
「んに。キミはもう懲りてしまったのか?生き残ったんだからキミのパートナーにも会えるじゃないか」
「エリィのことを知ってるのか」
「んに~、暴れるな!」
思わず身体を乗り出してしまい、ウスバは前かがみになる。
「平常ではいられんだろうが、ゆっくり話そう。キミの想い人のこと」
「おっ……」
アリカは耳が熱くなるのを感じる。
「んに。キミはさっさと告白でもして恋人になっておくべきだったな」
「なんでそんなこと……まさか」
「んに。生まれてからボクと出会う日まで、全ての記憶を見せてもらったよ。脳には思い出せない記憶も収納されているから、今ボクはキミよりキミに詳しい」
ウスバはしたり顔をしている。
「暴挙だ……」
アリカが恥ずかしがって俯いた。改めて息を吸う。
「まだアンタは信頼できないが、今は信じることにする。話してくれ、エリィのこと」
「んに。もう暴れるなよ」
その赤ん坊は私生児だった。父親は知れず、母親は困り果てていた。赤ん坊を養うほどの財産が無い。自分が生き延びるだけで精いっぱいだ。
「その赤ん坊、売らないか」
スラム街の路地に似合わない、高価そうなコートを着た男が母親に声をかけた。渡りに船だった。まだ名前すらもついていない赤ん坊は取引の末、男に売り渡された。母親は赤ん坊を売った金で肉を買った。
男は第二王子直属の部下だった。秘密裏に赤ん坊を集め、実験の材料にしていた。独自の兵器開発に繋げるためのものだ。
人間は魂(コア)を失うと、飛躍的に改造しやすくなる。枷が外れたように四肢が変化し、一部が肥大化する。開発基地では日夜魂が取り除かれ、捨てられていた。魂の有用な活用方は見出されていない。コストが高いのだ。
たくさんの命が消え、合成され、すりつぶされ、砕けた。その末に、唯一有脳体と融合できた者がいた。安定を確認した後、その幼児は王族の一人娘という枠に収まった。彼等はいずれサードアースに赴くことが決まっている。潜入しても悪目立ちしないよう、名が与えられた。
エリィ・キリュウ。ひとりぼっちの、偽物の姫の名前。
彼女は戦況を大きく変える聖遣(ダーリア)として、星の住人から大きな期待が寄せられていた。聖遣とは有脳体と融合した人間であり、崇拝の対象である。
「エリィ……」
アリカはそれだけ呟いて考え込んでいる。なぜ話してくれなかったのか、という言葉がよぎったが、飲み込んだ。顔を上げる。
「アンタはなぜこの星の軍事の内情を知ってる?」
「……ボクは昔彼等の下で働いていた」
ウスバが珍しく言葉を詰まらせる。背負われるアリカは彼女の顔を伺うことができない。アリカはそれ以上の追究を避けた。
「あの子が苦しんでいるのなら……助けに、行かなきゃ」
「んに。もう彼女は兵器になっている。どう救うと?」
「少なくともアタシは、エリィに人を殺させたくない。アイツを取り戻したい」
「でも、彼女は自分からキミのもとを去った」
「……それは」
抗議するアリカの言葉をウスバが遮る。突然足を止めた。アリカが降ろされる。
「キミは分かっていない。コアが無いというのは、心が無いということだ」
「……心」
冷たい風が吹きすさぶ。ウスバはさっさと歩きだした。街が近い。アリカの脳裏にエリィとクウロの顔が浮かんだ。
「そうは思えない。エリィは小さい頃から、アタシと笑ったり泣いたりしてきた」
「見せかけだ」
「なんでそう言い切れる!」
ウスバは黙っている。小走りで追うアリカの顔を見ないままだった。
「ボクが……心(コア)の抽出に初めて成功した科学者だからだ」
アリカは息を呑んだ。ウスバの口は笑っていない。
「心を取り出した人間は飛躍的に改造しやすくなる。心がボク達の肉体を人間の形に保つんだ」
街のぼんやりとした明かりが影を作る。アリカがウスバの前に立ち、胸倉を掴んだ。
「なんで……なんで、そんなことして平気でいられる!アンタがいなければ、エリィは、みんなは、みんな」
「フ。平気に見えるか」
自嘲のような表情を見せたウスバに、アリカは驚いて言葉を続けられなかった。
アリカの手が覆われて、何かを握らされる。小さな鍵だった。
「キミは先にこの街の拠点に戻ってくれ。案内を呼んである」
「……アンタは」
「んに。行くところがある」
ウスバがどこからか取り出した小さな笛を吹くと、暗がりの中から拉致型有脳体が現れた。赤ん坊ほどの大きさで、通常より小さい。アリカは反射的に後ずさる。汗が噴き出る。
「んに~。寄り道するなよ」
ウスバがそれに触れて語りかける。会話しているようだった。
「この子はユーニという。攻撃の能力は持っていない。彼について行くんだ。あ、街中では定期的に振り向くんだぞ。スられるから」
声を聞いて、ユーニが楽しげに回転する。心を持たない彼をそばに置くのはなぜだろうか。ウスバは何事もなかったように明るく手を振りながら闇の方へ向かって引き返していった。アリカが何かを言う暇もない。アリカとユーニの二人きりなった。緊張で口が乾く。
「……ユーニみたいなのは……ほかの人に見られてもいいのか」
彼は頭を大げさに振り、アリカのマントの中に入った。そのまま右腕に巻き付いている。街の人の目につかないように案内してくれるらしい。
エリィは軍部に管理されており、少し前決起集会に姿を見せてからその所在を隠されているらしい。今は軍部から逃げているのだから、おそらく彼女からは遠ざかっている。もちろん助けなければならないが、迫撃機巧も仲間もいない中、何かできるとも思えない。
エリィを助け出すためなら、ウスバのような人間とも協力しよう。そう決心して、右腕を持ち上げる。ユーニが小首をかしげた。
「汗、すごいだろ……悪いな」
小さい子供に笑いかけるように気を配ったが、不格好な笑みだった。ユーニが目を閉じたような気がした。あれから有脳体の声は聞こえない。口腔型を踏み潰した時の感触を振り払い、深呼吸した。そのまま街の明かりのほうへ歩みを進める。
巨大な道路からドームに包まれた都市に入った。起伏はなく、どこまでも街が広がっている。天井があるからか高層ビルは見受けられない。街の中は暖かく、明るい。浮遊する車が行きかっていた。華やかな服を着た人が多いが、腕や足を欠損している人も多い。辺りを見回しながらユーニが引っ張る方向へ進んでいく。
光のマークを施した建物ばかりの都市を抜けると次第に明かりが減りほこりっぽい街に入った。ユーニは人通りの多い道を選んでくれているようだった。ここの人々は豊かではないらしく、子供たちは靴を履いていない。薄暗い路地に目をやると、電線にボロボロの紐靴がひっかけられていた。都市とは違い様々な人種が集まっている。アリカはフードを深く被り早足で歩いた。ウスバがあつらえた義足は収まりが良く、正常に機能している。
街を十分ほど歩き、コンクリートがむき出しの平屋にたどり着いた。シェルターのような趣でドアに鍵穴は無かった。ユーニは地面近くの通気口の柵を器用に取り外し侵入する。すぐに中からドアが開いた。光が漏れる。
「……ここが拠点で合ってるのか。鍵も使ってないし」
戸惑いながらもドアをくぐると、小さな部屋には簡素なテーブルとイス、金庫だけが配置されている。床にはなにも敷かれていない。ユーニがアリカを金庫の前へ引っ張った。立派な錠前がかかっている。促されるままに腰を下ろし、金庫に鍵を刺すと重い扉が開いた。
中にはタブレットと小さなカード、厚い紙の束があった。ユーニが金庫の中に入ってタブレットの電源をつけた。尻尾でなぞった画面をこちらに向ける。文字が映っていた。
ぼくのこと こわい?
アリカが目を見開く。ユーニが答えを待っていた。
「……嫌なこと、思い出すんだ。ユーニが怖いとか、嫌いなんじゃない」
よかった
心なしか空気が緩む。アリカはまた悪いな、と言った。ユーニは電子機器を通じて会話ができるようだ。
ウスバはきらい?
アリカは言葉に窮して頭を掻く。
「……率直だな。怖くはない。撃たれたのに、なんでだろう」
ウスバのこと きらわないであげて
「嫌ってないよ。ずっと守ってくれた恩もある。ユーニみたいな子に好かれてるんだから、悪い奴じゃないんだろう」
アリカは金庫の紙を手に取った。コアに関する論文のようだった。コアの技術も、ダイナマイトのようなものかもしれない。そう考え始めた。
そんなアリカを見て、ユーニは正方形のカードを持ち上げた。
このなかのきろくに ウスバのこと ぜんぶある バックアップっていってた このきかいで ぜんぶみられる
見て、とばかりにメモリーカードを突き出した。アリカはそれを優しく押しとどめる。
「悪い、ユーニ。アタシは見ないでおくよ」
ユーニが尻尾を曲げる。
「うまく、説明できないんだけど……こういうのは本人の口から聞きたいんだ。ウスバはこれが公平だと思ってるのかもしれないけど」
それだと うそも つけちゃうけどね
「ああ。それくらいは信用してる」
ユーニが回転して喜ぶ。アリカも少し笑った。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――んに? メモリーカード、見てないのか。知りたくならなかったか?
……ボクの口から、か。わかったよ。
長い話になる。
西暦二千五十年、全長三キロほどの巨大な宇宙船が、砂の舞う不毛の星に着陸した。この船は異星を第二の地球として開拓する使命を帯びている。
名をアルカディア。出発からの経過年数は三十年。クルーは二百。
誰一人として、地球の大地に還ることはなかった。
「またスリッパで出歩いて…アサギくんに見限られるよ」
ドアを開け帰宅した娘に、母親は呆れている。少女はくせのついた茶髪も気にせず、ラフな格好で船の中を歩き回っている。背は小さく、まだ幼さが残っていた。
「んに~。あいつはそんな奴じゃないもん」
少女はぱたぱたと部屋を走り、髪を結び、荷物を持ってまた部屋を出た。船外に出る。たくさんの科学者達が少女を待っていた。
「行こう、ウスバ」
肩まで伸びる黒髪の少年、アサギが優しく語りかけた。
「んに!探検だ!」
ウスバ―――アリカと出会った彼女とは似ても似つかない―――は拳を高く上げた。
探検家達は前方をヘルメットについたライトで照らしながら進む。地面は砂場のようで、舗装された道しか歩いたことのないウスバは何度もよろめいた。この星の周辺に恒星は無く、息を呑むほどの星空がいつでも広がっている。かつてのアリゾナのような岩場を抜けると、砂漠があった。広々とした光景にウスバは目を見開く。
突然地響きがした。急遽散らばっていた全員が一丸に固まり、大人達がウスバとアサギを庇う。
砂漠の中心で風が砂を大きく巻き上げる。いや、風ではない。あれは、光?
「鯨だ」
生物学者が歓喜に膝から崩れ落ちる。内部の球体から白い光を放つ半透明の鯨が、砂の中から跳ねた。高く、誰かを呼ぶような不安げな音が響く。鳴き声だった。
「すごい……」
誰もが茫然と空を見上げていた。鳴き声に呼応するように他の鯨もやってきて、空を泳いでいる。記録を行おうとアサギがタブレットを取り出すと、それはもう動かなくなっていた。他の電子機器も作動しなくなっている。
「リーダー!リーダー!」
ウスバの焦った声を聞き、アサギが振り返る。筋骨隆々の男が額を押さえてきょろきょろしている。
「みんな、どこだ……ここは……」
周りの大人達はみな茫然自失し、魂の抜け落ちたように座っている。
「アサギ!ボクがわかるか!」
「ああ。私は無事だ」
「皆は何も聞こえてない。夢のなかにいるみたいな……触れられてもわからないみたいだ」
「電子機器も全て動かなくなっている。独立した電源を持っている機械も通電していない」
ウスバは鯨の巨大な光によって気づかなかったが、全員のライトが消灯している。鯨の群れは遠ざかってはいるが、まだ近くにいる。
アサギは考える。全員が助かる方法を。
「……ウスバ。君だけ引き返してくれ」
「そんな!アサギや皆はどうするんだよ」
「信号が途切れたから、船から救助隊が出ているはずだ。その人達と合流して状況を説明するんだ。ボクはここに残って皆を守る」
ウスバは唇をかむ。他に選択肢が無かった。アサギはなんでもないように微笑んでいる。
「アサギ、かがんで」
言われるままにかがんだ少年に、ウスバはキスをした。ほんの短い間。
「待ってて」
踵を返し、顔を真っ赤にして、少女は走る。
ウスバとアサギは十五歳にして研究者としての頭角を現していた。ウスバは脳科学、アサギは遺伝子の分野だ。二人とも宇宙船の中で生まれた。
ウスバは頬杖をついてモニターを見ながらキーボードを打つ。モニターには探検隊の脳のCTスキャンが映っている。机は書類で埋まっていた。ウスバはその中に手をつっこみブロック型の栄養食を取り出した。
背後からウスバの手首が握られる。栄養食が取り上げられた。
「んに~。何だアサギ」
椅子を回転させて、アサギに文句を言う。彼も少しやつれているが、ウスバほどではない。
「これは食事とは言わない。朝ごはんもまだだと聞いたよ。さ、食堂に」
ウスバはアサギの手を振りほどく。三日経っても五感が失われたままのリーダ―の虚ろな瞳を思い浮かべた。外傷どころか内部の異常すらも見つからず、ウスバは脳に異常があると考えている。
「まだ何もできてないんだ」
「ウスバ……」
ウスバはまたモニターに向き直る。アサギは彼女の耳元で囁いた。
「私は背の高い女の子が好きだ」
「んに!?」
ウスバは赤面し、耳を押さえて立ち上がる。机の上のペンが転がって落ちた。彼は微笑んでいる。
「初耳だ……なんでもっとはやく言わなかったんだ!」
「こんな話、恥ずかしいでしょう」
彼はそう言っているが、何ら恥ずかしがっている様子はない。ウスバは椅子を降り、食堂へ向かってぱたぱたと走る。すれ違いざまにアサギが言う。
「転ばないように、ね」
「舗装された道では転ばん!ばかっ」
ウスバは以前砂漠に足をとられて転び、膝に絆創膏をつけている。運動は得意ではない。
「んにっ。人間の身体で素晴らしいのは脳だけだ」
小さな声で、独りごちた。
大人達はこの星で観測された鯨のような生物を空鯨と呼ぶことにした。空鯨が埋まっていた地点の地下には巨大な氷が確認されている。川も海もないこの星の貴重な資源だ。
一瞬だけ映像に映った空鯨の光が会議室を照らしている。皺の刻まれた手や刻まれていない手が資料をめくった。
「奴らは同じルートで回遊しています、必ずかちあいますよ」
「頼みの探検隊も壊滅的な被害だ」
「今焦れば確実にクルーを失うぞ」
「しかし!最優先退避隊が十日後に到着するんですよ」
会議室が静まり返る。全員が苦い顔をした。
「……捕鯨だ」
老齢の船長が初めて口を開いた。注目が集まり、空気が変わる。
「三日後に少数のチームで空鯨を狙い撃つ。古代の日本に倣う。電気は使わん」
「……電気……電気だ!求心性神経に流れる電気パルスが喰われたんだ」
食堂で大声を出しウスバが立ち上がる。その場にいた全員が静まり返る。アサギは口に運びかけていたスプーンを置いた。
「ずいぶん急だね」
「んにっ今わかったっ!エウレカだ」
ウスバが着席する。止まっていた時間が動き出したように喧噪が戻って行く。
「あの鯨は電気を喰っている……それが現時点での生物班の見解だ。もちろんこれは間違っていない、が。電気が流れているのは機械だけじゃない」
ウスバはフォークをゆらゆら揺らした。目は輝いている。
「神経細胞?」
「んに!ボクらは見落としていたんだ。どんなに高性能の電球でも断線すれば意味が無い」
ぴょこんと椅子を降りてサンダルで歩き出した。アサギは彼女のフォークで彼女の皿に残った緑色の欠片を刺し、ゆらゆら振った。
「ピーマン残ってるよ?」
「あげるー!」
遠くなっていく背中を見ながら、アサギは野菜を口に入れた。
「人類史史上百年ぶりの捕鯨だ。気合を入れろ」
「……あれ、本当に鯨なんです?」
「遺伝子班の解析が終わるまでは、鯨ではない、とは言えんな」
五感を取り戻したリーダ―がニヤッと笑う。無精ひげを蓄えた砲手の男は息を吐いた。ゴムでできた防護服に身を包み、暗視ゴーグルで上空を見上げる。
「あ、ゴーグルがお釈迦です」
「ちょうどあいつらも光り出したな」
星空に染まっていた半透明の空鯨の一団が光り始める。二人の直上に迫っていた。
捕鯨砲。かつて船の頭に取り付けられたそれは、地上に設置すると大砲のような趣だった。槍のような銛の先端が覗いている。根本からは大量のロープがとぐろを巻いていた。地球の鯨とは違い、空鯨は砲身からの距離が長いので火薬を多めに積んである。
「一撃で仕留めることが肝要だ。信頼しているぞ」
「捕鯨の映像は山ほど見ましたがね、上空に撃ってる馬鹿なんて一人もいませんでしたよ。しかもあんな奴に急所があるのかどうか……」
「そう言いつつもやってくれるのが君だ」
既に彼等は近づきすぎている。一撃で終わらせなければ捕食されるかもしれない。空鯨が暴れて銛のロープが切れるようなことがあれば、鞭のようにしなってこちらが危険に晒されることもある。砲手は捕鯨砲の切っ先を動かして狙いを定める。
引き金を引いた。
炎が爆ぜ、銛が射出された。耳の割れそうな爆発音が響く。空鯨の中心、地球の鯨の肺にあたる部分に銛が刺さった。傷口から透明な液体が流れる。他の空鯨にも動揺が広がり、徐々に離れていく。
銛の刺さった空鯨の中心が点滅した後、完全に光が失われた。一声大きく鳴いて墜落する。砂が舞い上がった。
「んに!やったぞ!」
後方でウスバとアサギは双眼鏡を構えていた。
「回収班GO!」
アサギが拡声器で大声を出した。空鯨の影響を受けない領域の境界線で待機していた車達が動き出す。
明かりが灯され、空鯨の解体、運搬作業が急ピッチで行われた。恐怖の震源地であった空鯨の出現地点は今や人でごった返している。
アサギは生物班の科学者と真剣なまなざしで調査を行っている。半透明だった空鯨はアオリイカのように急速に白くなった。柔らかい身体が切り取られ、強烈な光を放っていた巨大な岩石のようなものが表出するとざわめきが広がった。
「これが……この生物の核(コア)なのか」
ライトを反射して鈍く光る宝玉がウスバの瞳に一際強く輝いた。
空鯨の出現地点にあった氷は溶けかかっており、採集は予定よりも早く進んだ。
アルカディアのクルーは航行中に計画した通り、人の住む地区を定め、重点的な開発を行っている。宇宙船からこの星に居を移すため、現在の地球と同じくドーム型都市の建設が目指される。
「んに、すごいなァ。ボク達が空鯨に右往左往しているうちにこんなに街ができてたなんて」
ウスバとアサギは建設中の街の入り口に立っている。仮設ではあるが画一的なコンクリートの家屋が幾つも建っていた。
「建築が進んでるのは、資材が豊富だからだよ。この星の土が使えるみたい。ほら、あれ」
アサギが指をさす。その先には洗濯機ほどの大きさの機械が砂を吸い、熱を持ったコンクリートを吐き出して道路を作っている。
「んに~。すごい機械だ。中で何が起こってるんだ?」
ウスバは駆け寄ってまじまじと見つめる。
「私も詳しくは知らないけど……中で土を溶かして精錬しているらしいよ」
「正確には土じゃありません。堆積物(レゴリス)ですな」
「うげ、土屋」
眼鏡をかけた男が話に割って入る。その男は土の研究者であり、名前は土屋ではないがそう呼ばれている。ウスバは眉をひそめた。
「土というのは生物との相互作用を持っているもののことを言うんです。この星の地面にはまるで生物がいない。植物どころか、微生物も確認できません。生物がいなければ、農業をやるのは厳しいですが、いいところもあります。実はここの堆積物にはアルミニウム、鉄、チタン、ケイ素、酸素が入っているんです、すごいと思いませんか。この星が次なる地球候補に選ばれたのも、大気とこの堆積物のおかげで」
(※この土研究者は保守的であり土の定義については見解が分かれます)
「わかったわかった!聞いた以上のことを話すなっ!」
アサギは興味津々で土屋の話を聞いており、ウスバは思わず遮った。
「明日最優先退避隊が来ますけど、これだけの街が出来ていれば胸を張れますね」
「お偉いさん方のお眼鏡にかなうといいですがね」
三人で明かりの灯った作りかけの街を見上げる。朝の来ないこの街が住民で賑わうことを夢想した。
最優先退避隊の出迎えは豪勢に行われた。突貫工事の水道もなんとか機能し、食糧もいきわたっている。
この星は深海のようだった。自然光は無いに等しく、静かだが、サバンナのような極端な気候変動も無い。安定しているのだ。人口土壌の生産が進めば、家畜を宇宙船の外に出し植物を育てられるようになるだろう。アルカディアのクルーがまっさらな砂漠を開拓し、退避隊のエリート達が社会制度を整えていけばこの星はきっと光に包まれる。
次代の地球という肩書も、現実味を帯びてきていた。
しかし、アルカディアのクルーと退避隊の間に亀裂が走るのに時間はかからなかった。退避隊は当分の間、アルカディアからの膨大な量の食糧の提供を求めた。現在、食糧はアルカディアの船内で栽培した野菜や家畜から賄っている。余裕は無い。
「カカオ農園で働く子供がチョコを食べたことがない、みたいな状況だな」
「環境が変わってもお偉いさんがやることは同じか」
アルカディアのクルーの食事は制限され、船内の空気は日に日に張り詰めていった。独自の通貨や法律の整備の際も、アルカディア側の意見は尊重されなかった。
着陸三百日目。船員の全てに集合がかかり、退避隊からの勧告が伝えられることになった。講堂に二百二人が集まる。マイクとタブレットを持ったリーダーが読み上げを行う。
『地球にて高速航行エンジンの大幅な技術革新が起こり、より早いスパンでこちらにさらなる移民がやってくる運びとなった。退避隊の第二陣のためのインフラ整備に励むよう。』
『第二陣が既に地球を経っている。総乗組員数は五百。予定する到着日まであと―――』
皆が固唾を呑む。
『二百日』
「冗談じゃない……」
アサギの隣にいた男が目を見開いて呟いた。にわかにざわつき始める。
「現状でギリギリなのに」
「これ以上の食糧をどうしろっていうんだ」
大人達は口々に悪態をついた。多数が怒りに震えている。アサギが周囲の異様な雰囲気に息を呑むと、ウスバが人を押しのけてリーダーに向かって走った。
「みんな!」
ウスバがリーダーの持っていたマイクを引き寄せて言った。ざわつきが静まって、少女に視線が集まる。
「……大丈夫。ボク達ならやれるさ。今まで退避隊のむちゃぶりに応えてきたじゃないか」
「あぁ、ウスバの言う通りだ。私達は私達にできることをやろう」
リーダーがウスバに視線を送った。ウスバはさっと群衆の中へ戻る。
「今一度、何のためにここへ来たか、思い出そう。将来的には地球の人口のすべてがここへ来るんだ。音を上げる暇はない」
言葉を切って、息を吸った。
「怒っている暇もな」
リーダーがマイクを置く。人々がそれぞれ別の方向へ向かって歩き出し、解散した。アサギとウスバだけが同じ場所で突っ立って、手を繋いでいる。
「怖かったね。ありがとう」
ウスバは勢いよく頭を横に振った。涙をこらえながら。
着陸五百日目。第二陣が宇宙港にまもなく到着する。出迎えにアルカディアや退避隊の宇宙船がセカンドアースの宙域に浮かんで待機していた。
人口土壌による農業はセカンドアースの気候にマッチしており、成功を収めていた。人々にいきわたる量からは程遠いが、安定して植物が育っている。本来土壌とは何千年もかけて生物によって作られるものだが、動植物の遺骸を高速で分解する非可視光の存在によって三日程度で一キログラムの製造が可能になっていた。
街は拡大し、その都度空鯨や空魚による電気障害に悩まされたが、確実に発展している。問題は人口増加だった。たくさんの子供が生まれ、食糧の供給が追い付かない。
貧困層は飢餓に陥ることがあった。
「船長、何か……妙ではありませんか」
老人と若い男が並んで宇宙を睨んでいる。リーダーは何も答えない船長を一瞥して話す。
「退避隊の船、出迎えにしては多すぎるかと」
「私に聞くな。どんな陰謀も我々は蚊帳の外だ。それでいい」
船長は干し肉を齧った。
「肉ばっかり、飽きないんです?」
「野菜なんぞ貴族の食い物さ」
二人はまた宇宙に視線を戻す。大小様々な三十ほどの退避隊の船が光っていた。
「来た!アサギ」
うとうとしていたアサギをウスバはより起こす。二人はアルカディアの窓に張り付いていた。巨大な船が誘導灯に迎えられて真っ直ぐ進んでいる。
「あ!退避隊がセカンドアースの旗を掲揚してるぞ。うーん、何度見ても凝りすぎた頭でっかちの模様だ」
「ほんと。これが私達の星旗かあ」
二人ともおでこを硝子にくっつけている。通りがかった土屋の足が止まった。
「……今、なんと?」
「んに?凝りすぎた頭……」
「その前ですよ」
土屋もウスバの頭上から宇宙を覗く。
「セカンドアースの旗を掲揚してる」
その光景を目にして、土屋は戦慄した。
「そうか……あなた達は知らないんですね。メインマストに旗を揚げる意味を」
アサギとウスバは彼の顔を見る。遠くの船には複数の旗が照らされていた。
「世界大戦の際からの暗黙の了解なんです。最も高いマストに複数の旗を掲揚するのは―――」
ウスバはその言葉を最後まで聞き取ることはできなかったが、意味はすぐにわかった。
アルカディアの船内に警報が響く。退避隊の艦首が光って、紅色のそれが真っ直ぐに第二陣の船を貫いた。
軍旗掲揚は、戦闘の合図である。
アサギはこの目で雨を見たいと思っていた。本物の海も、大地も、太陽も知らなかったが、彼は雨に惹かれていた。水が再び大地に巡り、川から海へ流れていく。その循環を美しいと思っていた。
「でも、この星空は雲が無いからこそじゃないか」
ウスバは星空が好きだった。光の無い星だが、星空は地球の比ではなかった。二人はよくアルカディアの甲板に寝転んで星を見ていた。
「まあ……いつか地球に行ってみてもいい。アサギとなら」
本当は、地球に帰る場所は無いことをわかっていた。クルーの皆が懐かしんで話す自然は無くなっていた。
「私は……君がいれば……それで……」
「……アサギ?んもーまた寝てる!土屋―――!運ぶの手伝って!」
地球からやってきた第二陣の船はあっけなく流星の欠片となって散った。アルカディアと退避隊が袂を別つ決定的なものとなった。
それからの顛末は酷いものだった。
退避隊はアルカディアには攻撃しなかった。しかし、いずれやってくる地球からの宇宙船を排除し続けること、その協力を要請することを通達した。断ればアルカディアにも攻撃が及ぶことは明らかだった。
退避隊はこれまで、再三地球に向けて移民計画の延期を求めてきた。それでも地球を脱出する船は次々と出航した。このままでは自分達の住処が侵略され無くなってしまう。そういう強い危機感を抱いていた。
アルカディアが退避隊に恭順することはなかった。それは総意だった。愛する者を地球に置いてきたクルーも少なくなかった。
「これ以上退避隊の横暴を許してはいけない」
積み重なった怒りはもう収められそうもなかった。哀れなことに、これは義憤だった。互いに正義があった。だから、互いに止まれなかった。
最初に、退避隊本部が燃えた。屋根などは地球から持ってきた木材で造られていたから、よく燃えた。銃撃戦が起きて、若い男達から死んでいった。
ウスバとアサギは負傷者の手当てを手伝った。アサギは手榴弾で血の雨が降ったのを見て、ほとんどご飯が食べられなくなった。
アルカディアは数的不利をとっており、次々に拠点を失った。残った人間は市街から引揚げ、アルカディアの中に立てこもった。
ウスバは負傷者でいっぱいになった会議室で包帯を運んでいる。呼ばれたような気がして、重傷者が集められる列を歩いていた。その列の中に土屋を見つける。彼は血を流しすぎて、長い間意識を失っていた。話せる状態ではないはずだった。しかし、確かにウスバを見て、口を開いた。
「私が死んだら……埋めて、ください。土になるの、夢だったんです。笑える……で……しょ……」
「あ……あ……嫌、いや、いや」
ウスバが駆け寄って手を握る。もう握り返してはくれなかった。
アサギは大人に呼ばれてウスバのもとへ駆けつけた。
「なァ……アサギ……」
へたり込んだウスバの前に土屋が横たわっている。俯いている彼女の表情はよく見えない。
「ボク達の研究は……役に立たないなァ……!」
アサギは震えているウスバを強く抱きしめる。彼女が堪えていた涙が滴った。
「戦争に利用されるよりずっと良い……」
アサギは歯嚙みして、ウスバの温もりを確かめる。もうアルカディアのクルーは半分以下だった。
三週間ほどでアルカディアのクルーは抵抗する力を失い、誰もが無為に過ごした。補給路を完全に断たれ、できることは餓死を待つことだけだった。耐えきれず船外に出た者は撃たれた。ウスバとアサギは研究室の壁にもたれ、手を握って寄り添っている。
ウスバだけが起きていて、アサギのこけた頬をなぞった。もうできることはなかった。彼は一日のほとんどを眠って過ごした。ウスバはよく不安になって心音と呼吸を確かめた。
起きている間何かを考えるのは辛くて、ウスバはアサギの書いた小説を読んでいた。現実であった事を基に、一日ごとに一ページの物語がノートに綴られている。人間は魚に、舞台は地球に置き換えられていて、その独特な世界観を楽しんでいた。
ウスバは、続くことが好きだった。続くことだけが彼女の希望だった。続ければ、続きがあれば、何かが変わって、好転することがある。
「アサギ、キミが生きる限りずっと書き続けて。ボク、これ大好きなんだ」
いつかそう言って、「それって、死ぬまで一緒にいるってこと?」と聞き返された。アサギは、ずっとウスバの隣で書き続けると約束した。
何日それが続いたのかは分からない。とりあえずまだ餓死者が出ないくらいの日数が経って、研究室のドアが開いた。痩せたみんなが二人を見てほほ笑んだ。
「アサギ、ウスバ。ご飯にしよう」
アサギは他のクルーの肩を借り、ウスバもふらつきながら会議室にたどり着くと、そこには夢のような光景が広がっていた。二人分の料理がある。
「なんで……」
「君達には新しい任務を与えることにした。そのためにはいっぱい食って力をつけなきゃな」
松葉杖を脇に置いて、リーダーが笑った。用意された食事は二人分だけだが、全員が食卓につく。
「少しづつ食べろ。身体に悪いからな」
ウスバはがっつきそうになるのをこらえて、ゆっくりと匙を口に運んだ。白黒の世界に色がついたようだった。じゃがいものスープ。ベーコン。スクランブルエッグ。
彼女の目から涙が止まらなかった。無心、無言で食べた。アサギに用意された料理は流動食が多かった。彼もゆっくりと食べていた。
残ったクルーの皆が二人を見ながら思い出を語らった。初めてこの星を観測した日。探索隊が空鯨に遭遇した日。食中毒に苦しんだ日。砂を吸ってアレルギー反応が止まらなくなった日。船外で初めて眠った日。水道に空魚が混入して大騒ぎになった日。第二陣の報が届いた日。人口土壌から芽が出た日。街に電線を通した日。人間同士で戦った日。船に逃げ込んだ日。
「頑張ったよな、俺達」
「面白いことばかりでした」
「初めて見るものに溢れてたわ」
もう若くない歴戦のクルー達は思い出をしみじみと味わった。
食後、ウスバとアサギは船の奥に連れていかれた。幼少期に探検して以来入ったことのない部屋だった。リーダーがスイッチをつけると、棺桶のようなカプセルが一つだけ照らされた。
「この星に着いて、必要が無くなったのでバラしてしまったが、一つだけ残しておいた。二人とも小さいから入るだろう。ウスバ、アサギ」
彼が目で促す。それはコールドスリープのための機械だった。ウスバは動揺する。クルーを振り返り叫んだ。
「任務って……みんなは!?みんなはどうするんだよ!」
「この星はまだまだ開拓できる。未踏の地を目指すよ」
「嘘だ!みんな死ぬ気なんだろ!そんなのボクは許さないからな!」
頬が熱い。勝手に涙が伝っていた。
「君達は一番若い。きっと未来は明るいさ」
見たことのないリーダーの表情にウスバは言葉を失った。クルーの何人かも泣いていた。自分が死ぬからではない。別れがつらいのだ。アサギは拳を握りしめ、開いた。
「行こう、ウスバ」
アサギがウスバの両肩に手を置く。
「いや……いやだよ」
涙を止められないまま、抱き合った形でカプセルの中に入った。リーダーが蓋を閉める。ウスバは硝子越しに手を当てた。残ったクルーの全員が寄り添い、手を当てる。
皆が何かを言っているが、硝子が厚くて聞き取れない。やがて冷気が流れ込んできて、ウスバは彼の胸の中に収まった。お互いを抱きしめて、意識を手放した。
誰かが名を呼んでいる。アサギが瞼を開くと、老婆がこちらを見ていた。
「ウスバ……?」
駆動音がする。心臓の音がしない。目も耳も異様なほど冴えわたっている。身体は硬く、服だけが柔らかい。袖からは関節が覗いていて、継ぎ目がわかる。
「わかるんだね、ボクが……!」
本当は、一番近くにいたはずの人間を呼んだだけだった。膝立ちの老婆がアサギを抱く。
彼女は泣いていた。アサギはぎこちなくその背中に手を当てた。温もりは伝わってこなかった。
長い時間をかけて、アサギはコアを持つロボットとして蘇った。戸惑いつつも、ウスバと再び会えたことに喜びを感じていた。彼は自分のロボットの身体についてウスバから説明を受けた後、まじまじとウスバを見つめる。車椅子にのった彼女の髪は白くなり、顔の肌が垂れてきている。元から小さかった彼女がいっそう小さくなったようだった。しかし身体の線は太くなっている。
「少し、肉がついたんじゃない」
「恥ずかしいことに、食べていないと落ち着かなくてね。この年で太れるのは才能らしい」
自嘲気味にウスバは笑った。棚から厚い本を取り出す。
「キミが眠っている間のことをまとめてある。読むかどうかは任せるよ」
「私は君のことをずいぶん待たせてしまったみたいだ。今は早く君に追いつきたい」
無機質な研究室で、アサギは手書きの本を受け取る。ページがうまくめくれず、手間取ったが開くことができた。
君が眠ってからのことをここに記す。できるだけ簡潔にまとめた。想像の通り、悲しいことが多い。君が全てを知る義務は無い。
それでも知りたいなら、僕は君に全てを明かそう。
二千五十一年 二月
僕達が眠った後、皆は軍と戦った。一部は逃げのびた。僕達は発見されなかった。飛行機能を失っていたアルカディアは要塞化された。
二千五十二年 三月
王政府が樹立した。ある程度インフラが安定する。
十月
この星に未踏の地は無くなった。
二千五十三年 一月
僕達の入っているカプセルが発見された。身元を確認した王政府は利用価値を見出し、保護することにした。
四月
僕が目覚めた。君は衰弱していてすぐに治療を受けることになった。
五月
僕は政府に囚われ、電気を用いた脳の治療についての研究を行うことになった。未だにこの星の人間は空鯨や空魚による心身消耗に悩まされていた。
君は眠り続けている。
八月
第三の大型移民船が入港したところを爆撃され、墜落した。これを皮切りにたびたび地球から来た船と砲撃戦が起こるようになる。
二千六十年 十月
空鯨の核を参考にして、個人の脳の電気信号パターンをコンピューターに複製できるようになった。まだ人格の複製とまではいかないが、大きな前進だ。
二千六十五年 一月
新しい地球候補が見出された。恒星が近くこの星より温暖で水も豊富らしい。地球はセカンドアースへの移民を停止した。
二千七十三年 六月
内紛が絶えない。
二千七十六年 七月
この星の鉱石に導電率がぴったりのものがあった。この鉱石に帯電させることで、人の脳を再現できるかもしれない。これを紅玉と呼ぶことにする。
二千九十年 三月
君の脳から紅玉にネットワークを定着させることに成功した。この紅玉は脳の複製と言えるだろうか。まだ検証が必要だ。みんなは紅玉を魂(コア)と呼んだ。
五月
君の肉体が滅んだ。
・
・
・
二千百五年 八月
君に見合う身体を用意できた。おはよう。
最後まで読み終えて、思わずアサギは頁を破ってしまった。まだ力の加減がうまくできない。
「ごめん……ウスバ」
ウスバは震える手から本を受け取る。時間の重みを感じていた。
「本当に長い間、君を一人にしてしまった」
アサギは目を閉じて俯く。ウスバが寄り添った。
「ずっと、キミのことを考えていた。一人じゃなかったさ」
アサギのプラスチックでできた頬を撫ぜる。彼は膨大な事実を反芻していた。この星は退避隊が支配していること。ウスバは退避隊のもとで研究を行ってきたこと。自分はもう死んでいて、彼女によって蘇ったこと。
「この……魂(コア)というのが、私を動かしているのか」
アサギは胸の中心をなぞる。そこに魂が内蔵されていた。
「うん。キミの脳の電気信号の動きを鏡のように映したのがコアだ。空鯨のものを参考にした」
空鯨の身体の中にある石には電気が宿っており、膨大な情報を読み取ることができた。
「私の脳だけが保存されている……という認識で構わないのかな」
「脳の模写をしてはいるが、脳の欠陥までは引き継いでいない。例えば、コアは錯覚を起こさない。物理的な波長そのもので世界を観測できるんだ」
人間の臓器で、物を見ているのは目ではなく脳だ。だから色を間違えたり、見えないものが見えたりする。
「……それは、すごいね」
「まだ不確定なことも多い。ボクは曖昧なこの魂が尊いものであってほしいという願いを込めて……心と呼んでいる」
ウスバは微笑み、アサギの胸に手を当てた。彼がそれを包み込んだ。
「心。心、か。曖昧な言葉に託したんだね。君らしいよ」
アサギも微笑んだ。
「そろそろ……他の研究員が来る。キミのことを検査するだろう……ごめん、アサギ」
「いいよ。もう疲れたでしょう。君はお休み」
眠そうなウスバの車椅子を動かす。薄暗く、小さな部屋の簡素なベッドの前まで運んだ。車椅子から移すのは力加減を誤ってしまうのが怖くてできなかった。部屋を出ると、すぐに白衣の男が待ち受けていた。
「コアロボットは貴様で五体目だ。だから我々は貴様を五号(フィフス)と呼ぶ。人権は無い。我々に従い、協力しろ」
「人質をとって搾取する気なんだね。君達はいつもそうだ」
アサギは大げさに肩をすくめる。遊びの無い研究所の廊下を二人は歩く。
「生憎私は若いので、昔のことはよく分からないが……貴様は遺伝子の研究をしていたようだな。貴様自身を調べつつ、―――の研究に加わってもらう」
長身の男は淡々と話した。アサギが立ち止まる。
「……ウスバには秘密にしておいてくれ」
「わかったよ」
ウスバは緊張の糸が切れたのか、毎日眠りこけるようになった。アサギは毎朝早い時間に彼女を訪ね、調査の時間になるまで二人で過ごした。
彼は眠ることができなかった。目を閉じても耳を塞いでも辺りの状況を知覚してしまうようだった。
彼は少しずつおかしくなっていった。
「五号、A-5の部屋には何がある?」
「人が五人。全員男。あと空魚が三匹」
アサギは瞼を閉じ、完全に映像の供給を断っている。背中からコードを接続されて、モニターにはたくさんのデータが映し出された。
「ウスバも来てるんだね。生きていた時はどれほど物が見えていなかったか、思い知ったよ。ふふ」
彼は硝子で隔絶された先にいるウスバに声をかける。よく笑うようになった。最初は見えすぎることに疲弊しているようだったが、段々とこの状況を楽しめるようになっていた。
「キミは今も生きているよ……」
「そうだったね」
戸惑うウスバに対して、彼はまた笑った。
極端に怒っている時もあった。早朝、眠っているウスバを見下ろして、手を握りしめた。
「私は君をウスバと呼ぶのに抵抗があるよ……だって君はお婆さんじゃないか。ねえ、ウスバはどこに行ったの?君は偽物なんでしょう?どこかに隠しているんでしょう?かえせ、ああ、返せよ、偽物。返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ。ふふ、これだって狂っているフリだ。早く本物の身体が欲しい。私の身体。同期している身体、血の通った身体、こんな玩具じゃない身体」
アサギがウスバの首を握って持ち上げる。
「ア、サギ……痛い、痛いよ」
ウスバがうめき声をあげるとぱっと手を放した。音を立てて車椅子の上に落ち、反動で後退する。
「痛いってなんだっけ?忘れたな」
ロボットが小首を傾げる。ウスバは恐怖でものが言えない。
「忘れるのって人間の脳の特権なんだっけ?忘れたな」
彼は顔を覆って、しばらく考えている。ウスバの息が荒い。うまく呼吸できない。
「わかったよ。私達、深海に住んでいるから、雨を知らないんだ」
突然アサギは笑いだして、そのまま出て行ってしまった。
その日、ウスバは深夜に目を覚ました。また夕方に眠ってしまっていたようだった。電源がついたままのタブレットにはニュースが流れている。それを消し、廊下に出ると明かりの漏れている部屋があった。おそらくアサギだろう。ドアを開ける。
その部屋にはたくさんの水槽があり、全く未知の異形が眠っていた。一つ目の化け物。口だけがむき出しになっている化け物。人間の手のひらが大量にくっついた化け物。どれも半透明で、オレンジ色の液体が透けている。その水槽を背にアサギはこちらを見ている。
「アサギ……それは、何だ」
ウスバの声が震える。アサギは人間のように、特に必要のない瞬きした。
「透けていて、きれいだろう。空鯨の遺伝子を参考にしたんだ」
「そんな話をしてるんじゃない……」
「うーん、私の身体、なのかな。うまくいかなかったよ」
「なんで……こんなものを」
その異形は明らかに人体でできている。誰かの命を使っている。
「ウスバ!」
彼はいつものように優しい微笑みを浮かべた。
「君はまだ自分が人間だと思っているの?」
久しぶりにウスバはアサギの目が輝いているのを見る。星空のもとで語り合った夜を思い出した。
「言ってみてよ、あの口癖……機械の私にはもうキスしてくれないのかい?君は私の身体を用意する過程でどれくらいの命を使ったの?みんなが命を賭けて戦った相手に簡単に従ったの?」
「ボクはただ、キミに会いたかった……もう一度……キミだけは失いたくなかった、だから」
「さよならウスバ。地獄で逢おうよ」
瞬間、水槽が割れて針のように変質した異形が全てを貫く。うその肉が砕けて、赤い欠片が飛び散った。血の雨すらも降らない。ウスバは前のめりに手を伸ばして車いすから落ち、気絶した。
誰かが名を呼んでいる。ウスバが瞼を開くと、研究員たちがこちらを見ていた。
「ア……サギ……」
「目覚めたか。全て覚えているな。貴様はコアロボットの六体目だ。五体目の代わりとして、研究に協力してもらう」
駆動音がする。心臓の音がしない。瞼を開けたり閉じたりして、周囲を伺う。
「こんな感じかぁ……。良く動くいい身体じゃないか」
長身の研究員が椅子に座らされたウスバを見下ろしている。ウスバは手を握ったり開いたりした。身体の外見は簡素なもので、髪の毛も、余計な凹凸もない。胸の中心に赤いコアが埋め込まれているのも視認できる。
「早速だが実験だ。この施設に脱走した生物兵器が潜んでいる。その知覚能力で探し出せ」
ウスバは勢いよく顔に指を突き刺し、レンズを取り外して握りつぶした。白い床に破片が散らばる。どよめきが起こった。
「何をしている!」
「ふふ……ハハハ!確かに必要なかったな。キミのために良いレンズを探した時間がバカみたいだ!」
笑いながら立ち上がり、床に座り込む。研究員の男が蔑む目で息を吐いた。
「壊れたか。一旦停止コードを送れ。リミッターも強化しろ」
直後、男の後頭部が撃ち抜かれた。
「こんな部屋も武装していたか。金のかかった施設だ」
天井の壁が外れ、裏に装備されていた生物兵器のための銃が覗いていた。煙が揺らめく。
「防衛システムが乗っ取られた!」
「リミッターは!?」
「なぜ停止コードが機能しない!」
硝子ごしに見ていた研究員が叫ぶ。撃たれた男の白衣が血で染まる。ウスバは両手を床につける。
「ボクのコアが触れ合っているなら……それは全てボクの身体ということになるなあ」
口を開いていないのに、スピーカーから声がした。
「滅茶苦茶だ」
研究員の一人が呟いて、撃たれた。
研究所のありとあらゆる銃器を暴走させ、破壊の限りを尽くしていると、多くの異形のいる檻まで辿り着いた。
「キミ達、声が出せるのか」
ウスバは以前聞こえなかった声に驚く。炎が迫る中で、檻を捻じ曲げた。しかし、誰も出ようとはしない。
「……そうか。そう望むか」
ウスバは地面に手をつく。壁が外れ、大量の重火器が現れる。異形達は集中砲火を受け、ただの肉塊となった。
「本当にいい身体だ。悪夢も見ないし、強迫観念に駆られることもない。アサギ、キミのこと、全然わからないよ」
ウスバは自由だった。研究所に残ったアサギの生物兵器に関わるデータを全て削除した。その過程で、ウスバはあの異形がコアを抜き取った人間から作られること、有脳体と呼ばれていることを知った。
「生きる意志があるのは君だけか」
燃える研究所を背に歩くウスバの隣には、小さな有脳体が一体。ユーニと名乗った一つ目の化け物はくるりと一回転した。
「ボク、アサギのこと、全然わからないけど、それでよかった。わからないままで受け入れられたのに」
ユーニは尻尾でウスバの目元に触れた。
「あァ、でも、そうか……」
二人は明かりから遠ざかるように歩く。最早光は必要なかった。
「この身体だと、泣けないんだ」
茫漠とした砂丘に車が停まっている。
「クソ……なぜ気づいた」
「んに~。心(コア)の空間認識能力を舐めてかかったなァ」
これは半分ハッタリであり、ウスバは散りばめられたカメラの映像を受信して追手の存在に気付いた。後方一キロの車を心だけでは検知できない。
紺の軍服を着た男が苦境に歯を食いしばった。仰向けに転がされて両手を上げている。荷台の大きな車のそばでウスバが男の額に銃を突き付けていた。男の身体は所々腫れて格闘の痕が残っている。
「この大きい荷物はなんだ?ボク達を追う以外にも何か命じられているのか」
「なんでだろうなあ」
ひげ面の男は冷や汗を流しつつも笑う。
「んに!ボクは尋問なんて面倒な手段はとらないぞ。キミが語らないならキミの脳に聞くまでだ」
ウスバが銃口を額から喉に動かす。
「ロック解除!全員出ろ!」
突然男が叫んだ。荷台の天井が開き、有脳体が次々と浮かび上がる。ウスバは口腔型に体当たりされ男から離れた。数十の異形が彼女を取り囲む。
男が鼻血を拭い立ち上がった。風が吹く。
「胸の中に本体(コア)がある。そこを狙え」
ウスバは右腕を左の二の腕に引っ掛け、取り外す。断面から武骨なガトリングが覗いた。
突然地響きのような音がして、アリカ達は外に出る。街の人間もざわついて同じ方向を見ている。何かが崩れる音がした。ユーニは何かを感じ取ったようだった。
ウスバ よんでくる ここで まってて
ユーニが通気口から一直線に飛び出す。
「ユーニ!」
アリカは一人で取り残された。道は逃げる人で溢れている。家の前で音の源の方向を見ていると声をかけられた。
「おい、逃げろ!聖遣様がお怒りだ」
「……聖遣」
荷台の開いた車の傍らで様々な有脳体が倒れ伏している。ウスバは昏倒させた追手の記憶を読んでいた。膨大な映像の中に飛び込む。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
宮殿にいる。長髪の男がこちらの肩に手を置いた。顔つきは険しい。
「貴様の任務は二つ。一つは幽霊(ウスバ)と堕蛇(ラッセル)の追跡。一つは贄の運送。奴らは聖遣様のおられる第二都市に向かっている。捧げ続けているが、まだ神の贄が必要だ。頼んだぞ」
「はっ。王命とあらば……」
記憶の中の一人称は緊張している。
「不安か?」
「……すみません、少し」
「堕蛇は秘密裏に消さねばならん。贄を使役してもよい。……貴様だけが頼りだ」
男が微笑む。
「必ずや遂げて参ります。グソク様」
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「まずい……」
ウスバは記憶を読むためのヘッドギアを置いた。
聖遣が近い。
轟音が響いて粉塵が舞う。
「ウウ……」
聖遣―――エリィがゆらりと上体を起こした。本体は浮遊しているが、背中から数十体の有脳体との管が繋がっておりそれを引きずっている。天井が崩れ、拘束装置の破片が落ちた。
吹き抜けの教会を模した部屋にそれは浮かんでいる。ステンドグラスの光が半透明の触手に色彩を与えていた。淡いドレスがたなびく。
爆発するように触手が拡散し、周囲のあらゆるものが抹される。研究員達が逃げ惑う。
道端で転んだ子供に、鋭い触手が迫った。
黒い血が飛び散る。
「あ……あなたは」
子供が目を丸くする。歪な部分を覆い隠していた包帯が落ちる。傷ついた右腕の筋肉が新しく生まれ、再生した。
「平気か」
半身に白い肉を纏う女性が跪く。アリカだった。
「あ……れ……どうして、ここにいるの……」
高所に浮かぶエリィがアリカを視認する。子供を逃がし、アリカは彼女を見上げた。エリィは光を背に受けて、アリカを隠している。今目覚めたかのようにエリィの表情はぼんやりとしていた。アリカはエリィが生きていたことに安堵しつつも、背中の管を見て痛ましさを感じた。
「エリィ、ずっと……会いたかった。アタシ、エリィにいっぱい言いたいことがあってさ」
「アリカ姐」
ぎこちなく言葉を並べると、エリィが遮る。エリィが触手を伸ばし、強引にアリカの身体を包み込んだ。足が浮き上がり、目線が揃う。
「もう私のために頑張らなくていいよ」
「……エリィ?」
さらに首元に触手が巻き付く。目も覆われた。次第に締め付けが強くなっていく。血が迸って半透明の触手が赤黒くなっていく。
「覚えてくれるだけでいいって言ったのに。こんな姿、見られたくなかったな……」
エリィは表情を変えないまま呟く。
「待て……エ、リィ、話を」
「ねむって」
エリィに向かって伸ばした手が空を切る。
非可視の熱線が触手を穿った。繋がりが解け、落下するアリカを巨躯が受け止めた。触手がぼとぼとと地面にこぼれる。
「ボク以外に殺されるな、アリカ!」
「ハ、へんな、セリフ……っう!?」
アリカはウスバの腕の中でうっすらと微笑んだ後、何かに苦しみもがき始める。
「アリカ!おい!」
ウスバの呼びかけや揺さぶりに反応しない。目を瞑り、呼吸は荒く、耳を押さえて震えている。冷や汗もかいていた。
触手の追撃が来る。ウスバはアリカを抱きながら飛び、エリィに問いかける。
「アリカに何をした」
「疲れているみたいだから……寝かせてあげたの」
エリィは熱線で途切れた触手の断面を見る。黒い血が流れるばかりで再生できない。ウスバはエリィの追撃をひらりとかわしながら触手を撃つ。瓦礫に黒い肉がいくつも落ちる。
「アリカ姐は、望んだ夢のなかにいるから……もう起きないよ」
「殺したようなものじゃないか。なぜ二人で生きようと思わない!」
珍しく声を荒げるウスバとは対照的に、エリィはただ冷たい。
「私の知らない所で死んじゃうより、いい」
「んに~!諦めの早い奴は好かんな!」
ウスバは高く跳躍し背中から煙幕を出した。ユーニが光線を放ち脱出のバックアップを行う。
「全部……壊さなきゃいけないのに」
煙が晴れるとエリィは糸が切れたように意識を失った。研究員達が駆け寄り、拘束具を取り付ける。
ウスバ達は廃墟の中でアリカの様子を見ていた。時折うめき声をあげている。ユーニが不安そうに見つめた。変声を迎える前の高い少年の声をウスバは聞く。
アリカ こわいゆめ みてる?もう おきない?
「んに。普通はな」
ウスバは自分の身体からアリカの頭に様々な管を伸ばし、円形のシールで貼り付ける。
「これから、ボクの心(コア)を完全にアリカに預ける。ボクなら脳とコアを繋いで直接アリカを起こしに行けるからな」
それじゃあ ウスバが もどってこれないよ
「確かにコアの制御権を譲渡するのは危険だが……きっとうまくいくさ」
ウスバは自分のコアを手に持った。ユーニに笑いかける。
「攻撃を受けたらキミがアリカを守ってくれ。ボクはコアさえあればどうにでもなる」
まつのは きらい
「んに〜、わかったわかった、すぐに帰ってくるよ」
ウスバはユーニの尻尾と指切りする。
アリカの手をとった。赤く光るコアを握らせる。
「行ってくる」
気がつくと、アリカは以前着用していたダンスのためのドレスを着ていた。右半身が変化したので、一部は破けて凹凸が見て取れる。
そこは屋外のダンスフロアだった。瓦礫の多い地帯の中にある、広い空間。花畑が広がっている。それは全て造花で、散ることはない。踏み荒らして構わないということだ。強い光が照りつけて、乾いている。
「ね҉̋͋͋̚え҈̿̏̇̋、̴͛͌̏踊̵̅̔̚ろ̵̔͆͊う҉̀̐̔͌?̷̔̾͊」
花畑の、黒い土だけがぬかるんでいる。光のなかにいる少女がこちらを見て、何かを言った。十五歳くらいの娘はお姫様のようなフリルのドレスに身を包んでいる。
たくさんの花もこちらを見ていた。
恐怖して後ずさると、花が潰れ、黒い水が跳ねた。義足が染まる。瓦礫の影の中に、たくさんの目が輝いている。頭を掻きむしった。
「見るな………見るなぁ!」
アリカがそう叫ぶと花に霜が降り、作り物だったはずのそれらがすべて枯死する。地面も凍ったように固まった。少女の身体はどろりと溶けて、真っ黒な液体となり姿を変えた。アリカと同じくらいの背丈になり、目だけが光っている。
「苦しいか」
そう言って影は嗤った。
気がつくと、ウスバは小さな部屋の中にいた。壁から床まで新聞や紙で埋め尽くされている。棚には輝かしいトロフィーがいくつか飾られていた。窓にはカーテンがかかっており薄暗い。
「んに~。ここがアリカの世界か」
ウスバは伸びをして、適当に手に取った紙面を調べる。そして壁に貼られたものを見渡すと、ほとんどがダンスにまつわる記事であることが分かった。写真もいくつか混ざっており、それだけが色を持っている。アリカだと思われるシルエットは、クレヨンで殴ったように黒く塗りつぶされていた。塗りつぶされた赤ん坊を撫ぜる女性を見て、ウスバの動きが止まる。
「キミという奴は……」
写真の中でアリカのそばにいる者たちはみな笑っていた。この部屋はアリカの努力の証であり、拠り所だった。
部屋を出ようとドアノブに手をかけると、何かが右脚を引っ張った。いくつもの小さな黒い手が右脚を掴んでいる。
「キミが欲しいのは肉で出来た右脚だろう」
ウスバはしゃがみ、手たちを優しくはらう。簡単に霧散してしまった。
部屋を出ると、外は瓦礫で埋め尽くされていた。建物のほかに、迫撃機巧の破片も散見される。ウスバは物音を聞いて、その方向へ飛び跳ねていった。
黒い骸の群れの中に、破れて散り散りになったドレスを着た人間が何かを殴りつけている。集中して知覚領域を広げると、アリカが攻撃を受けていることが分かった。ウスバは煙幕で視界を奪い、その隙にアリカを奪う。
煙が晴れて、逆光を受けドレスを着た人間は、言った。
「もう死んでるよ」
アリカを殴りつけていた人間も、アリカの形をしていた。ウスバは辺りの気配を感じて言葉を失う。アリカの顔をした人間がたくさん倒れ、泥となって黒く濁っていた。ウスバは抱いているアリカの瞼を閉じた。泣いていたので拭い、瓦礫に横たわらせる。
そのまま振り向かずに、ウスバは問う。
「なぜ、こんなことをする?」
唯一立っているアリカの下半身は汚れ、地面の色と見分けがつかない。拳からは血が流れていた。空が曇る。
「アタシの勝手だろ……せっかく一人だったのに」
「アリカ。キミはなぜ感情を殺す?」
風が吹いた。ウスバが振り向いて、向き合う。
「だって……だって、そうじゃなきゃ生きていけないじゃないか」
アリカは泣いていた。堰が壊れたように、大粒の涙がとめどなく流れる。水滴が二、三粒落ちて、土砂降りの雨も降ってきた。
アリカは涙を拭うが、次から次へと涙が溢れて止まない。
「あ……あれ……」
膝を折り、茫然として座り込む。固まっていた大地に水が染み込んでいく。
ウスバは歩み寄って座り、着ていたマントでアリカを覆い隠す。雨に濡れないように。アリカは歪な身体がぬくもりに包まれるのを感じて、滴り落ちる涙を拭おうともせず、子供のように泣いた。下を向いた頭をウスバの鎖骨に押し付ける。
「あ、アタシ、ずっと、痛くてっ……こわ、怖いことばっかりで……」
アリカは地面についた手を握りしめる。ぬかるんだ土がまとわりついた。
「みんな、うっ、みんなを、アタシ……が……エリィ、にも、もういい、って……」
ウスバはただ耳を傾けている。勢いのある雨が背中を打っている。
「ひとごろし、で……ばけもので……もう、抱きしめて、もらえない」
うなだれたアリカが嗚咽交じりに声を絞り出す。
「そーだなァ……」
ウスバがトントンと一定のリズムで背中を叩く。
「アタシはっ、ひぐ、一人だ……っ」
少しづつ落ち着いて、アリカが鼻を啜る。雨も弱まった。ウスバは肩を震わせる子供の顎を持ち上げた。その涙を拭きとる。二つの顔が向き合った。
「ボクがいるじゃないか」
「……え」
アリカが目を見開いた。雲間から僅かに漏れた光が、彼女の瞳に閃く。ウスバはこつんと互いのおでこをくっつけた。頬を伝い、ウスバの顎から雨粒が滴る。
「ボクは人間みたいに脆くない。キミが死ぬまでそばに居よう」
また涙が落ちて、アリカは目を閉じた。恐怖からではなく、安堵からだった。ウスバは彼女をゆったりと抱く。
「んに。ボクはね、アリカ。キミが望むなら母にも……いや、父にもなろう」
「ぁ…………うああ、ああ……」
アリカはウスバの胸の中で震えていた。涙を流しながら。
小雨が降っている。祝福のように。
悪い奴ではないが、悪いこともしている。本物の親ではないが、親身になってくれている。
「この前、分かったんだ。なんでアンタが怖くないか」
「んに?」
「アンタには目がついてないから……」
そんなウスバの顔を見た。アリカと視線が合うことはないが、ウスバはいたずらっぽく笑っている。岩場に腰かけた彼女等の影が伸びる。
「ユーニが悲しそうな顔してるぞ」
「あぁ、ごめん。もう怖くないよ」
そばに寄ってきたユーニを慌てて慰める。
三人は奇妙な共同生活を送りながら、有脳体が製造されている各地の研究所を破壊して回っている。エリィの居所が分からない以上、改造に使われる有脳体の数を減らす必要があったし、ウスバはずっとそうして暮らしていた。
「ねえ知ってる?暴走した有脳体から守ってくれる聖遣(ダーリア)のはなし」
「駄目だよ、あんなのを聖遣なんて言ったら」
「サードアースに行けるのはいつ?」
「あれは堕蛇(ラッセル)っていうらしい」
「最近有脳体の暴走が多くて怖いわね」
「我々が真の地球人だ」
「堕蛇なんてのもいるんだろ?サードアースから来たらしい」
「聖遣の偽物だ。腹立たしい」
「関係ない。聖遣が皆救ってくれる」
「早く捧げてしまいたい」
ウスバの耳には様々な地点に仕込まれた機械から大量の情報が流れ込んでいる。それらを全て右から左に流して、不可視の熱線を放った。
床に転がった小さな口腔型有脳体の動きが止まる。黒い血が流れて、再生も行われない。アリカがそっと抱き上げる。ユーニが尻尾で口端の血を拭った。
研究所は教会に偽装されていることが多い。この星の教会には電子機器が持ち込めないので秘密を隠すのに都合がいい。今回も礼拝堂の地下に有脳体を製造していたであろう研究施設があった。
研究員は影も形もなく、既に引き払っている。残されたのは改造に失敗した小さな有脳体だけだった。
「その銃があれば、殴ったり潰したりしなくて済むんだな……」
街を見下ろすことのできる小高い砂丘に死んだ有脳体を埋めながら、アリカが呟いた。
「んに。これは動植物の遺骸を高速で分解する非可視光だ。ボク達先遣隊が編み出した土壌を育てるための技術だが、戦争の中でそのレシピは失われた。作れるのはボクだけさ」
ウスバが体内に銃を収納しながら話す。アリカは難しい顔をして、ウスバに向き合った。
「ウスバ……改めて聞きたい。アンタの言う『心が無い』ってどういうことなんだ?」
「説明しなきゃならんな。フム。……コアの抽出を行うと脳に強い負荷がかかるんだ。前頭連合野の一部に障害が起きて、多幸感を感じやすくなる」
「多幸感……」
「意外かもしれないがね。そこに障害が起こると悲しみを認識しにくくなり、喜びを認識しやすくなる。短絡的になるんだ」
ユーニには難しいようで、大きな瞳を傾けてきょとんとしている。
「それじゃ、なんで……檻の中の有脳体は死を望む?」
「彼等には命令が埋め込まれている。人を殺せというな。そして、力を使うことに快感を覚えるようになる」
ウスバは街のほうに視線を向ける。様々な光が明滅している。
「自分が自分でなくなっていくのは怖い、らしい」
他人事のように呟くウスバの表情は硬い。アリカは胸が痛くなった。
「ユーニはまだ改造が完全ではなかったから、そういう衝動を持っていない。軍の人間に命令されても拒絶することができる」
アリカはクウロが口頭で有脳体に命令を出して操っていたことを思い出す。ナターシャとジャイブを踊った時のことも。母のような有脳体に包まれたことも。
「それでも、やっぱり……アタシはみんなの心を感じた。だから……エリィのことも説得できると思うんだ」
有脳体の皮に覆われた右の頬に触れながらウスバに語りかける。
「説得?無理だな!この王府のことだ、裏切らないための洗脳も手術も辞さん、というか、もうやっているだろう。もうキミの知る彼女じゃない。前会った時に何をされたか忘れたか?」
「……あの子がアタシに向けるまなざしは、ちっとも変わってないんだ。光みたいなのに、暖かくて怖くない」
「ずいぶん抽象的な根拠だなァ……」
呆れるウスバにアリカは微笑む。
「その銃で命を奪う他に……何か方法があるはずだ。エリィを止めて……戦争すら止める方法が!」
アリカの目には光が灯っている。
「それをボクが考えろと?全く……」
ウスバはため息交じりに苦笑する。ユーニも笑っているようだった。
「この星はエリィにかなりのリソースを割いてる。融合させるために多くの有脳体を運んでいるみたいだし……あの子を止められれば戦いは長引かない」
アリカはウスバに迫る。ウスバは観念したように肩をすくめた。
「……恐らく、聖遣は自分の心(コア)をどこかに隠している。それは改造される前の……ただの人間だったころのものだ。それを使って脳を書き換えてやれば、彼女を止めることができるかもしれない」
「脳を書き換える、って……」
アリカは不安げにウスバを見上げる。
「性格を人畜無害に改変する、ってわけじゃないぞ。今彼女の脳は後付けの身体……もとい大量の触手に指令を送っている。その回路を消しゴムで消してしまうわけだ。元からあった回路は消しゴムくらいでは消えん」
「軍に破壊されてるんじゃないか」
「あいつらは心を軽んじているからな。聖遣が崇拝される存在なだけに、わざわざ破壊することはないだろう」
アリカの顔に喜色が滲む。
「エリィの残した心(コア)を取り戻してやれば……あの子を救える!」
ユーニとアリカは顔を見合わせて喜ぶ。
「心の居所は……キミはナターシャと呼んでいたな。彼女が知っているだろう」
「え……ナターシャが?」
そういえば、エリィがサードアースから去る日に、彼女は心を抱いていた。クウロとウルメのように心と本体に乖離が生じていることもあるが、どう考えてもナターシャはエリィの心ではない。少なくともアリカはそう確信している。
「ナターシャの心はボクが抽出した。そして聖遣とナターシャには交流がある」
矢継ぎ早に飛び出す事実に驚いてアリカは目を見開く。
「この星にある心はボクが把握している。聖遣の心はサードアースだろう」
ウスバが空を見上げたのにつられて、アリカとユーニも星空を見る。数えることのできないほどの星が全てを見通していた。
アリカ、ウスバ、ユーニによるエリィの奪還作戦が始まる。結果的にはそれが三人の共同体の終わりになるのだが、誰もそれを知る由はない。
「おなかすいた……」
椅子とベッドだけが置かれている殺風景な部屋でエリィが呟いた。椅子に座っており、背もたれからはみ出る触手は厳重に拘束されている。厚い硝子を挟んで、白髪の男が答えた。スピーカーから声が流れる。
「聖遣に補給行為は必要ない。空腹感は錯覚だ」
眉間に皺を寄せて、老人は取り合わない。
「……もう、エリィって呼んでくれないの?」
「甘ったれるな」
苦し気に、突き放すように、心にもない言葉を放つ。老いさらばえた手が固く握られた。
「貴方はまだ、そんな顔ができるんだね」
それは無意識だったようで、老人は顔に手を当ててみる。肌は乾いて皺が寄っている。
「そんなに苦しいなら、撫でてあげようか」
エリィは空中を泳ぐようにして硝子に触れる。老人も硝子越しに手を伸ばしかけて、やめた。握った拳をただぶら下げる。忘我したように呟く。
「潰してしまうだろう……」
彼女は大きな瞳を携えて、ただ微笑む。
「早く眠れ。明日は大仕事だ」
人間が立ち去り、電気が消える。早く……全部壊してしまわないといけない、とエリィは思った。
「アベンエズラでボクらがやることは二つ。聖遣を奪取することと、心(コア)になるオリヴィーンを破壊することだ」
捨てられた街の空き家でウスバはタンスを漁っている。写真を切り取ったように生き生きとした剥製が飾られていた。地球の生物も見受けられる。よっぽどの金持ちが住んでいたらしい。
「オリヴィーン?」
ユーニに髪を切ってもらいながらアリカが答える。
「心のもとになる鉱物だ。心の抽出に必要なのは、大量の電気とオリヴィーンと人間の脳。今この街には全てが揃っている。祭りに合わせて心の抽出を行う手筈だろう」
「祭りと合わせる理由はなんなんだ?」
「この祭りに集まる信奉者達は自ら供物になることを望むからだなァ。聖遣のおかげで士気も高揚しているし」
「……最悪だな」
苦々しい顔をして、アリカは右目に包帯を巻く。有脳体に覆われた右の頬は真っ白になっていた。
「しかし、この熱狂も長続きはしない。電気と人間はいくら手に入れられても、オリヴィーンには限りがあるからな」
ウスバは目当てのものを見つけて、取り出した。硝子の玉が光を反射して煌めく。
「ここ百年で地表にあるものは全て採集された。残った塊は数百人分といったところだろう。ここで破壊できれば―――」
玉を直上に投げて、掴む。
「もう、心も有脳体も生まれない」
どうして死なないの、と聞かれても、分からない。
どうして生きたいの、と聞かれても、分からない。
ぼくはただ必死に生きていて、気づいたら化け物になっていた。
ぼくはただ生きたくて生きている。死にたくなくて生きている。
ウスバも同じみたいで、ぼくと長い時間を過ごした。
ぼくたちに終わりは来るのかな。ずっと生き続けるって、駄目なのかな。
「良かったのか?置いて行って」
電気自動車をウスバが駆っている。アベンエズラまでの道はドームに覆われておらず、アリカは布にくるまっていた。
ウスバは前回の襲撃で顔が割れたので新しく顔に目を付けた。硝子に光が映っている。
「んに。ユーニは一人でもやっていけるさ。これ以上ボク達と暴れると危険だろう」
「そうじゃなくて……ウスバだよ。アンタが平気か聞いてる」
「ハッ。ボクが?……誰がいようがいまいが、ボクは生きていけるよ。そういう奴なんだ」
ウスバは想定していなかったアリカの言を鼻で笑う。アリカは黙っている。
「……神妙な顔をするな!あぁ分かったよ、寂しがればいいんだろ!うわぁ~ユーニー」
「おいっ!ハンドルを握れ!」
アリカは嘘泣きしながら抱きついてくるウスバを運転席に押し返した。
宗教都市アベンエズラ。光のマークや海月や海星のレリーフがそこかしこにあしらわれて、色鮮やかな場所である。中心部には天井のない礼拝所があり、千人ほどのキャパシティを誇る。港もあり、宇宙船の往来も活発だ。
その日は祭りだった。鯨を模った入れ墨が道行く人々の手の甲に刻まれている。この日のために空鯨も捕らえられていて、鎖につながれたまま四体浮かんでいる。
人、有脳体、宇宙船、食糧などのあらゆる資源がこの街へやって来ていた。
「聖遣は全ての有脳体を操ることができる。口頭で命令を下すことでな。前回キミが眠らされたのも、キミの中の有脳体を操ったんだろう」
アリカは右手を見た。真っ白な皮で覆われて一回り太くなり、血管が浮いている。
「もしキミが一人のときに聖遣に出会ってしまった時は耳を塞いで逃げろ。半身が封じられると出来ることもない」
「あの子は……ただの女の子だよ」
アリカは左側の前髪を掻き揚げる。
「兵器になんかならない。なれない。まだ一度も有脳体に命令してないだろ?この前も……あんな回りくどい方法じゃなく、簡単にアタシ達を殺せたはずだ。……アタシはあの子から逃げない」
「楽観的だな」
ウスバはため息をつくそぶりを見せる。アリカの瞳は鋭く、何かを言っても聞きそうにない。
「聖遣と相対する時は、必ず二人でだ。わかったな」
「助かる」
アリカは不満気なウスバに礼を言って、微笑んだ。
夜明け前にも関わらず、街には人が忙しく動き回っている。ウスバとアリカは街の中心の塔に向かって、屋根の上を走っていた。
「オリヴィーンを粉々にするのがキミの仕事。ボクは聖遣をかっぱらってくるよ。宇宙船もハッキングで盗る」
「逆だろ!アタシがエリィを」
「無理無理!大人しく聖堂の地下へ行け!終わったら船で迎えに行く!」
塔の前には巨大な舞台と聖堂が配置されている。ウスバはさっさと塔に向かって行ってしまった。
「頼んだからな……」
アリカは後ろ髪を引かれつつも、バリケードを破り地下への階段を駆け下りた。
有能体や人間の警備を蹴散らしてウスバは塔の最上階へ躍り出る。
そこには聖遣の姿は無く、巨大な赤い鉱石が鎮座していた。その前には人型ロボットが胡座をかいている。
「オトリ作戦成功ぅ!よぉイカレ科学者!待ってたぜ。三百年ぶりか?」
「奇遇だなイカレ殺人鬼。また会えるとは思ってなかったよ」
鉱石は深い赤色であり、吸い込まれそうだ。厚い硝子に包まれている。ウスバはわざと誘い込まれたようだった。聖遣はいないが、やるべきことをやるしかない。
ウスバは右腕の銃身を構える。イカレ殺人鬼―――コアロボット三号(サード)も両腕を向けた。手のひらはついておらず、無骨な銃の頭が鈍く光る。
「おめえがどれだけ馬鹿げた身体になろうが、俺には見えてるぜ。おめえの真っ黒い肚ん中がな。身体は捨てても女は捨ててないってか?ギャハ!」
精神を蝕むような発砲音と火花が続いて、互いの腕から夥しい数の薬莢が排出されていく。左腕が爆発して、舌打ちをして三号は叫んだ。
「俺はさあ!こん身体で最悪だぜ!女抱けねえからな!」
ウスバの身体には凹凸があるが、三号の身体はマネキンのようにのっぺりしている。三号は左腕を噛んで取り外した。うその肉が割れて、激しく光る刀身が姿を現す。
「俺もお前も!気持ちわりぃバケモンじゃねえか!」
斬りかかったウスバを三号は腕で受け止める。
「なぁーんで皆馬鹿みてえに捧げる捧げるつってんだ?いずれこうなるのによぉ」
膝を見舞われてウスバは後ろに倒れる。
「それだけは同意だな」
三号が右腕を再度構えると、綺麗な断面が露わになっていた。射出しようとしていた弾丸が零れ落ちる。
「打つ手なしか」
「元々手なんかねーよ!」
三号はまた蹴ろうと足を伸ばすが、腕の一部を失って均衡が崩れ、無様に倒れる。花瓶を落としたような音が鳴る。
「クソッ」
ウスバはすぐに三号の胸部を探る。外装を無理に剥がすと赤く光るコアが表出した。すぐに取り外せるように手をかける。
「何か言い残すことはあるか」
「クソが。クソ野郎の貴族を五人殺しただけでクソ檻にぶち込まれてクソロボットにされちまっただけの俺に、何か遺す言葉があるとでも?まあしかし、お前は変わったな。研究所をぶっ壊した時のお前なら俺のコアを一瞬でぶち抜けただろ」
基盤から俄かに火花が散る。
「今更人間の心でも思い出したか?クソ科学者!弱くなったなって言ってんだよ!」
電流が走り、一瞬の光に包まれ、二台のロボットの動きが停止した。
茫洋とした明かりの中にウスバは立っている。よく知っている場所だった。茫然として歩を進める。
そこは船だった。彼女が産まれ、目覚め、眠った場所。だが、人の影はどこにもない。明かりがついたままの廊下を走り回って、息が上がっていることに気づく。
心臓の音がする。肩で息をしている。ウスバは震える手で自分の頬に触れた。柔らかく瑞々しい。
「この……身体は……」
声が高い。
ウスバの身体は、十五歳の時に戻っていた。
「いや……いやだ……おなかがすいたよ、誰か……」
動悸を止められずに座り込む。
「寒い……寒い、寒い、寒い、ゔう、はっ、しんじゃ、しんじゃう」
勝手に涙が零れ落ちた。両腕を強く掴む。
「いや、いや、いや、死にたくない!死にたくない!死にたくない!みんな!お母さん!お父さん!リーダー!船長!キビ!ルリ!ヒガラ!ツグミ!ノジコ!マヒワ!土屋!」
一通り叫んで、床に伏せる。声を絞り出した。
「…………アサギ……」
見慣れた靴が見えて、顔を上げる。いつものように―――生きていた頃のように、アサギは優しく微笑んでいた。
「それがコイツの名か」
「っあ……ちが、違う」
ウスバは座ったまま後ずさる。アサギの皮を纏った何者かが、彼女に近づいた。
「おめえにもこんな時期があったとはなあ」
彼はウスバの顔を持ち上げてしげしげと眺める。
「四号の記憶もこうして覗いたんだ。そしたらあいつ、それだけで壊れちまった……」
三号はウスバの首元を掴む。
「おめえは何されたら壊れる?愛されるか?殺されるか?」
三号は顎に手をやってにやつく。
「ウスバー。お、これか。俺は……僕は?……私は」
ウスバの目を覗いて、反応を確かめる。『私は』の時、ウスバの瞳孔が開いた。
「私。私は……君が好き」
「黙れ!」
孤独な叫びが響いた。
「ウスバ。私は君を―――」
硝子が割れる音がして、三号は振り向く。外界に面した上方の硝子に穴が空いていた。そこから光が差し込む。
「ウスバー!怪我してないかー!」
遠くから本物の声がする。
「平気さ、ボクはいつも……平気だったさ」
そう呟きながらウスバは泣いている。泣きながら安心しきって笑っている。
「何が起こってる……?この船に人はいないはずだ……そういう過去を選んだはずだ!」
三号は取り乱す。顔を押さえると皮がどろりと溶けて、中から別の顔が出てきた。イカレ殺人鬼の顔だった。
「残念。今日は祭りの日だ。みんなで船の外で遊ぶんだよ」
「おめえの仲間は船に魚ブッ刺して遊ぶのか!?」
割れた硝子の先には針のような魚が刺さっている。空魚だった。
「この日は落とし※をやっていてなァ。まずい方向に追い込んでしまって船の硝子を破ってしまったんだ。笑えるだろ?」
(地球でいう釣り。空に浮かぶ空魚を地上に落とすので落としと呼ばれている)
「ふざけやがって」
眉をハの字にして憎々しげに三号は口角を上げる。
ウスバには見えていた。巡った部屋の時計は止まっておらず、カレンダーの日付には赤い丸がついていた。
ウスバと三号が突入したのは過去。時間は止まっていない。おそらく最も楽しかった時間。最も思い返すのが苦しい時間。もう戻ってこない時間。
「また、みんなに救われたな」
ウスバは涙を拭う。窓から射した光が彼女を照らしていた。
「ウスバーー!早くこっちに来てよ!」
アサギの声が聞こえる。
「悪い!待っててくれ!」
ウスバも大声で返して、うずくまる偽物の前に立つ。
「感謝するよ。いい夢を見られた」
三号は何かに怯えるように遠くを見て震えている。
「やめろ……」
「キミにもいい夢を見せてやらんと、不公平だよなァ」
「近づくな!やめろ!俺の中に入ってくるな!見るな!」
ウスバは彼の頭に手を当てた。世界が硝子のように割れて、崩れていく。全てが闇に包まれた。
目を開けると、ウスバは血だまりの中にいた。ドレスにも血が付いている。部屋は高価なものばかりで、緻密に編み込まれた絨毯にも血が染みていく。
彼女の肉体も変化していて、二十歳ほどの金髪の女性になっていた。
「なるほど?心(コア)と心が触れ合うと互いの意識や記憶に潜ることができるんだな。片方は片方の記憶の中の人物に置き換わる、と。興味深い」
三号らしい子供は頭を抱えて震えている。
「三号!最期の望みくらい叶えてやらんこともないぞ」
「黙れ偽物!」
声変わりも終わっていないのか高い声が響く。ウスバは彼の肩を持って、顔を覗いた。
「悪いな」
持っていた短刀を心臓に突き刺す。三号は抵抗もしなかった。ただウスバが纏っている皮を見つめている。
また光が消えて、次に認識した世界は現実だった。
ウスバは両腕を失った三号の心を握っている。
「死んで救われると思うな……俺はお前の……苦しみだけを祈ってる」
「あぁ。キミのことだって忘れないでやるよ」
ウスバは三号の心を握り潰した。
赤い破片が辺りに散らばっている。ウスバはオリヴィーンを破壊し尽した。割った窓の枠に立って見下ろすと、塔の前の舞台には人がみっちり詰まっていた。
遥か下方から何かが猛スピードで近づいてくる。集中して補足すると、それは大きな球体と小柄な人間で―――
「んがっ!」
よくわからない物体とぶつかってウスバは後ろに倒れる。上半身を起こすと、アリカとユーニが辺りに転がっていた。
「アリカ……ユーニ!?」
アリカはぐったりとしている。ユーニは目を回してから浮き上がる。
「ユーニ、どうやってここに来た?……ずっと車の下に隠れてた!?はぁ、ボクの空間把握もまだまだだな……」
ユーニを一撫でして、ウスバはアリカに近寄る。
「平気か?」
ウスバがアリカの肩を持って起こそうとすると、痛みに呻いた。服に血が滲んでいる。
「ユーニ、ウスバ…………」
アリカの目から涙が零れる。
「おい、どうした?痛むのか?」
二人が心配そうにアリカを覗き込んだ。
「あ……ごめ、なんか、安心して……平気だ!大した怪我はない。ちょっと疲れただけ」
アリカは左手で涙を拭い、身体を起こす。
「虚栄を張るな」
ウスバは綿のように優しくアリカを抱きしめた。ユーニも尻尾で緩く巻き付く。ロボットの身体は少しだけ熱を持っていて、指先は冷たい。アリカは彼女の背中とユーニの尾に触れた。また涙が零れて、少し泣いた。
「ごめん……アタシ、エリィに会ってきた。でも……でも、アタシは……あの子を、救えないかもしれない」
ウスバは静かに彼女の言葉を聞いている。
「……怖かったんだ、あの子が」
ウスバはアリカの服に滲んだ血を睨んでいた。
「そうか。では逃げよう」
「え」
アリカは驚いてウスバの顔を見る。
「元々心を取り戻す計画だ。待っていてもいずれ彼女はサードアースにやってくるだろう。その時までは逃げの一手だ」
「でも……それじゃあエリィが長く苦しむ」
「キミはもう十分足掻いたよ。なァ」
ウスバが顔を向けると、ユーニが大げさに頷く。
「さぁ、サードアースへの直行便だ!暴れるなよ!」
さっさとウスバはアリカを抱っこして、塔から飛び降りた。
「待っ、ちょっ」
「舌を噛むぞ!」
アリカが何か言う暇もなく、三人は地面スレスレまで落ち、飛び上がった。地表を見下ろし、空中に留まる。
舞台には砂糖に群がる蟻のように多くの人間が蠢いている。舞台を挟んだ向こうには港があり、大小様々な宇宙船が停泊していた。四体の空鯨は対角に繋がれて浮かんでいる。
舞台の直上のカプセルには、聖遣が入っていた。
「なんで、あんなところに……」
アリカは何となく悪い予感がした。ウスバも同じようで、何かを考えていた。
「オリヴィーンは破壊した。なぜ、聖遣が心の抽出のカプセルに入っている?」
「……エリィは電気が出せる。空鯨もだ!心を抽出できる人間は山ほどいる。オリヴィーンも、どこかにまだ隠されているんじゃ」
オリヴィーン。地球の鉱物と同じ名前。地球のオリヴィーンは緑色だ。ではなぜ、それらは同じ名で呼ばれている?地球のオリヴィーンは、その内核を形成している。核。地球の中心。
「……まさか!」
巨大なカプセルの中でエリィは両手を伸ばす。その手のひらの間に火花が散った。
時間は少し遡る。
狭い廊下に群がる研究者や警備の人間をすり抜けてアリカは走る。ウスバとユーニと過ごした日々の中で、トレーニングは怠らなかった。右腕の包帯の中から一本触手を伸ばし、人間を薙ぎ払う。
奥へ奥へ進むと、大きな扉があった。明らかに他の部屋より厳重に閉じられている。アリカは深呼吸して、右腕に力を籠めた。
破壊音がして、座っていたエリィは顔を上げる。破られた扉の先に、アリカが立っていた。
二人とも目を見開く。この部屋だけ世界から切り取られたように無音だった。
アリカは心の中でウスバに謝って、エリィに向かって歩いた。
「髪、切ったんだ」
「え、ああ、うん。切ってもらった」
エリィは日常のように他愛なく話す。彼女はこの星の宗教的な衣装を着ていた。ツインテールではなく、ハーフアップに結われている。床に向かって伸びる大量の触手は拘束具に覆われている。
「それ……」
アリカのスカートが破けて、太ももに括り付けた銃が見えている。エリィはそれを見ていた。
「変な形。銃なの?」
いつも通りでもあるが、冷たく言われたように聞こえてアリカは緊張する。
「……有脳体に効く熱線銃、らしい」
「あの女からもらったの?」
いや、明らかに冷たい。自分を殺すための武器と見て、警戒させてしまっただろうか。
「私のこと、撃たないの?」
「撃つわけないだろ!アタシはエリィを連れ帰りに来たんだ」
アリカは跪き、右目を覆う包帯を引っ張って外す。有脳体とくっついて雪のように白くなった皮が現れた。不器用に微笑む。
「こんな姿見られたくなかった、って言ってたけど……アタシも似たような感じなんだ」
右腕の袖からは触手が覗いている。エリィはアリカの顔を見つめた。
「帰る場所がないなら、アタシが作るよ。船は仲間が用意してくれる」
アリカは彼女の手を取る。
「アタシのところに、帰ってきてほしい」
アリカは真っ直ぐにエリィを見つめる。エリィの目が閃く。不揃いなアリカの両手を見て、優しく微笑んだ。
「アリカ姐は、前より強くなったね。やっぱり、貴女はヒーローだよ」
こんな私でも……期待したくなるくらい。そんな言葉は飲み込んで、手を握る。
「化け物なのは、私だけ。羽衣を羽織ったら、人の心は消えちゃう」
背中から光を受け、こちらを見るアリカを眩しく感じて、エリィは目を細めた。
「私、アリカ姐のこういう馬鹿なところ、好きだよ」
両手でアリカの手を包み込んだ。エリィの手の甲が刹那、強く光る。
「゙あ゙あっ!?」
鋭い痛みを感じて、アリカは膝から崩れ落ち、エリィの膝の上に倒れる。
「うぁ……なんっ、これ……」
うまく呂律が回らない。身体も、指一本すら自分の意思で動かせない。
「内側から焼かれるみたいに痛い、よね」
「えぅ……え、い……」
触手の拘束が解かれる。エリィはアリカの目に重なる髪を耳にかけた。
「アリカ姐の身体に電流を流して……神経を吃驚させたの。電気の信号が乱れて、身体が動かなくなる……」
触手でアリカの手首を縛り、持ち上げる。アリカの足が地面から離れて、浮かび上がった。引き寄せて、首筋から鎖骨にかけて、触れているか否か分からないほどに繊細になぞる。
「……っ」
たったそれだけなのに、アリカの身体は熱く沸騰するようだった。息遣いが荒くなる。
「こうすると、脳が混乱して……感じやすく、なる」
エリィはアリカの腰に手を回した。踊るときのように身体を添わせる。互いの身体が熱い。アリカの服の襟を触手で強く引いて左の肩を露出させた。暗闇に浮かびあがるような色の薄い肌が晒される。
怖い。アリカは初めて彼女を怖いと思った。いや、本当は二回目だった。制服を身に纏っていたあの日、見晴らしの良い高台で踊った日。彼女はわざとアリカを切り立った崖の端へ突き出した。あの日は、彼女は暗い顔をしていて、でも、帰るときにはもう笑顔が戻っていた。
アリカは楽しいことが好きで、ダンスをする彼女はよく笑っていたから、彼女が寂しそうなときは一緒に踊った。楽しいことに目を向けていたくて、それ以外は見ないふりをしていた。何かを恐れている彼女の言葉にも。彼女を怪我させてしまってからは、彼女すらも見えていなかった。
彼女は今、いつものように笑っている。歯が覗くほどに口を開けて―――
そのまま、アリカに噛みついた。
「゙あ゙゙あァあ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ!!!」
絶叫と共に、汗と血が冷たい床に滴る。脳髄を電撃が迸るように痛みを感じた。身体が痙攣する。エリィの頭が離れると、アリカの首筋の痛々しい歯型が空気に晒される。抉られた肉が赤い。アリカはがっくりと頭を垂れて、肩で息をしている。
「とんじゃった?」
エリィは汗と涙でぐしゃぐしゃになったアリカの顔を持ち上げる。両目は閉じかかって虚ろだった。有脳体の皮に包まれた右頬が脈打つ。
「゙うぅ……」
涎の垂れた口からうめき声が漏れ、右目だけの瞳孔が開いた。
「゙うあああああっ!」
右半身に力が漲って、振り払うように拘束を振りほどく。そのままエリィを殴り飛ばした。エリィは拘束具の散らばっていた床に落ちる。
「お前なぁ……何好きな奴ひん剥いて噛んでんだよっ!」
半身が有脳体の女が叫んで、はだけた服をより戻した。彼女も完全に浮遊している。エリィは鼻血を拭って上半身を起こした。
確実に、何かが違う。
「あなた、だれ……?」
「なんだ……忘れちまったか?私だよ。ドールだ」
エリィは目を見開いた。アリカと融合した有脳体が身体を乗っ取っている。その意識の主は、かつて二人が属していたダンススクールのオーナーだった。
「先生……」
エリィの瞳が一瞬揺らぐ。
「私はアリカの中に残った残りカスみたいな魂だけどよ……お前が余りにも悪い子なもんで、目が覚めちまった」
低く厳つい声が響く。エリィはドールを見上げて拳を握りしめ、脚で立ち上がってから浮遊する。
「私はあの時、ねむって、って言ったのに……先生には勝てないね」
彼女を不敵に睨み返して、呟く。おそらく、コアの抽出を経験していないアリカの身体との融合と、ドールの意識の覚醒のために命令遵守の規範が薄れているのだろう。と、エリィは考える。有脳体の脂肪は電気の通りも悪い。
「エリィ。お前が一番大切に思っているのはアリカじゃなかったのか」
「一番好きだから、だよ」
ドールの額に青筋が立つ。浮き上がった二人の目線が揃う。
「それが傷付けていい理由になるとでも思ったか?」
エリィはただ微笑んでいる。
「先生、私、おなかすいたの」
化け物は子供のように笑って、上唇から血の付いた犬歯を覗かせる。
「アリカ姐、かえして?」
彼女は上目遣いで小首を傾げる。
「馬鹿野郎が……こいつの身体にちょっとでも触れてみろ。叩っ切ってやる」
ドールは懐からナイフを取り出し、構えた。眼光は鋭い。エリィの触手が放射状に伸びて、花のように広がる。半透明だったそれに血が巡って、真っ赤に燃えているようだった。
ドールは縦横無尽に飛び回りながら、襲い来る触手をナイフで切る。素早さに翻弄された触手が何も無い場所を殴打し、建物が崩れていく。
「確かになぁ……アリカは大馬鹿野郎だ。骨が折れるまで練習はやめねえし、私が教えたダンスを攻撃に使う」
エリィはまだ無数の触手を使いこなせていない。それでも破壊力は凄まじいものだった。
「それでもあいつは!ずっとお前のことを想ってやってんだよ!」
ドールは無限にも思える猛攻をいなし、本体へ切り込んだ。回転を乗せた踵落としが炸裂する。
聖遣が地に落ちた。数の多い触手も地面で引き攣るばかりだ。本体の脳を揺らすと触手の動きも鈍くなるらしい。
回復の暇を与えないまま、ドールは仰向けに転がる化け物の上に立ち、胸に熱線銃を突きつけた。息を整える。
「あいつだけが……お前を人間だと思ってんだ。エリィ。もう……やめにしないか」
化け物は黙っている。ドールは深い紺色の瞳に気圧されそうになって、銃を強く握った。
「アリカには撃てなくても、私は撃てる。教え子の不始末は私の責任だ」
言い聞かせるように言葉を放つ。
「お前はもう……死ななきゃ止まれないんだな?」
エリィは微笑んだ。ドールは一瞬強く目を瞑り、開いて、引き金を引く。
しかしそれは、自らの左腕に阻止された。
「アリカ……邪魔をするな!」
銃を持った右腕は左手に射線を逸らされて、エリィには傷一つ付いていない。
扉の先が強く光って、二人は扉の前から離れる。廊下から発された光線が部屋を両断した。拉致型侵略者と千手型有脳体が突入する。人間の手をそのまま巨大化させたような形である。手のひらには人間が一人乗っていた。
「聖遣!無事か」
異形に乗った長髪の男が叫んだ。祭りのための鮮やかな衣装を纏っている。エリィはそっぽを向き息を吐いた。
「血を拭え。堕蛇はこちらで処理する」
男が差し出したハンカチを聖遣は触手で取り、乱暴に口元を拭った。そのまま捨てて、壊れた拘束具の上に落ちる。
「先生、生きててくれてありがとう」
エリィは振り向きざまにドールを見て、呟いた。
「千人の魚が待っている。行くぞ」
聖遣と男が部屋を出る。
緊張の糸が切れ、ドールは膝から崩れ落ちた。汗が噴き出る。
「アリカ……動けるか」
問いかけてみるが、返事はない。重石のような倦怠感に包まれていた。エリィとの戦いに身体を使いすぎた。
拉致型が三体、新たに部屋に入ってきた。標的を補足し、光を溜め込む。ドールは咄嗟に左半身を庇った。
光線が炸裂する寸前、何かが拉致型にぶつかる。弾き飛ばされた拉致型が地面に激突した。
「……ユーニ!?」
二回りほど小さい拉致型が一回転する。そのままドールを労わるように、尻尾で彼女の右腕に触れた。
「馬鹿野郎……助けられたら叱れねえじゃねえか」
ユーニは少しだけ怪我をしていた。危ない橋を渡ってきたらしい。ドールは微笑む。
「ありがとな。助けるついでに、伝言も頼まれてくれねえか。アリカに……これから何が起きても、自分を責めるなって」
そう言ってからドールはユーニの顔を見る。
「あ……私はアリカじゃないんだ。ドールという。混乱するかもしれねえけど……」
ユーニは頷いて、彼女の右手を尻尾で握る。知っていた、と言っているようだった。互いに微笑む。
「……アリカのそばにいてくれてありがとう。私はもう時間切れみたいだ」
ユーニが強くドールの手を握る。ドールの目は閉じかかっていた。
「幸せになれ……全員な……」
死にゆく彼女は、無責任に生者の未来を願う。瞼が降りて、右腕から力が抜けていった。
ユーニは彼女を尻尾で巻き、飛び上がる。ウスバと合流しなければならなかった。伝えねばならなかった。みんなが―――しあわせになれるように。
千人の“魚”が、礼拝所の舞台の上でその時を待っている。それは選ばれし者達だった。敬虔であり、聖地への帰還が認められた者。全員白い服に身を包んでいる。
鐘が鳴り、長髪の男の手に引かれて聖遣が舞台の真上に浮かんだ。舞台の外にいる民も畏れどよめく。
「迷える魚たちよ、哀れな同胞よ。これより聖者の同化を行う」
男が民を見下ろして言う。彼はこの星の第二王子、グソク・ナリスだった。
鶴の一声で、舞台の人間たちはすぐさま跪く。目が潰れないよう、誰もが首を垂れた。
聖遣が巨大なカプセルの中に入る。両手を伸ばすと、その手のひらの間に火花が散った。
街の全ての明かりが消える。
刹那、極夜のこの星に太陽が現れたかのように、全てが輝いた。
空鯨達と聖遣から放たれた電撃が街を走る。
アリカが目を開けると、そこは無音だった。数多くいた信者のすべてが倒れ伏している。ウスバもユーニも絶句していた。
聖遣はだらりと両腕を垂らし、茫然としている。カプセルの天井が開く。浮かび上がると、倒れて幾重にも積み重なった人間が笑っているのが見えた。
これで、聖遣に随行することができる。電流の負荷から生まれる多幸感も相まって、誰もが安らかな顔をしていた。
聖遣は顔を覆う。
「エリィ……」
アリカが声に出せたのはそれだけだった。すべてが静まっている。
聖遣は顔を覆ったまま肩を震わせた。すすり泣いているようだった。腰を折り曲げて、その震えはいよいよ大きくなった。
「う……ふ……」
吐息が漏れる。
「ふふっ。ふふ……あははははは!みんな……みんなうれしそう!」
両手が離れて見えた顔は、笑っていた。腹の底から湧き上がるような哄笑が響く。壮絶な慟哭が笑い声に聞こえるように、その晴れやかな声は号哭のようにも聞こえた。
一通り笑って、聖遣は一本の触手を垂らす。ずるりと聖者の一人が飲み込まれ、溶けて、触手の一部となった。
「ふ……はぁ、おなか、すいたなぁ」
背中から新たに触手が生え、伸びた。
「おなかすいた!おなかすいた!」
今までただ垂らしていた腕を大きく動かす。川面で逃げる魚を手で掴むように力が入る。それに合わせて遥か下方の地表では触手が荒ぶる。服だけを残して、全てが聖遣の一部になっていく。増えていく大量の触手が縦横無尽に動き、地表の人間達を浚った。
聖遣と随行できるのは選ばれた千人だけという話だったが、舞台に乗っていない人間も倒れている。街全体の人間のコアが抽出され、セカンドアースの核に吸収されたようだった。
やりすぎだ。グソクは口を覆って隠した。
「素晴らしい……聖遣とは、これほどの……!」
どうしても上がってしまう口角を隠すために。
アリカは眼前の光景を受け入れられず、口を押さえた。嘔吐しそうだった。
「逃げる……逃げるぞ!」
ウスバは正気に戻って、脚からジェットを吹き出す。港を目指して一直線に飛んだ。
舞台から少し離れた地点にて、グソクの目は飛行する者達を捉える。
「まだ生きていたか……カムリ。頼むぞ」
「承知いたしました」
グソクの傍に控えていた老人が答える。鉄面皮から感情は伺えない。
ウスバ達は有脳体達の猛追を振り切り、停泊所になだれ込む。ウスバが小さな船に手を当てると、扉が開いた。
「発進するぞ。席につけ」
三人乗りの船はコクピットもこじんまりとしている。ウスバは手早く操縦系を起動した。船を固定していた機械が外れる。
「とめなきゃ……エリィをとめなきゃ……」
アリカは窓に縋りついてうわ言を繰り返している。
「今あれを止められる奴なんていない」
ウスバが突き放すように言う。ユーニがアリカに巻き付いて椅子に座らせた。ウスバが振り向く。
「しっかりしろ。いいか。キミは逃げるんじゃない。聖遣を人間に戻してやるために進むんだ」
港(ポート)が開く。磁場が発生して、大気圏の重力が打ち消されていく。船が浮き上がった。
「宇宙(そら)に逃げる気か」
カムリが空を睨む。千手型に乗っていた。通信機が切迫した情報を伝える。
「目標、五分後に成層圏に到達します!」
「先に有脳体を放て!我々も船を出す!」
「港のインターフェイスがハッキングされています!自動制御装置が作動しません!」
「……もとより戦艦は動かすのに時間がかかりすぎる。小型船だ!手動で私が操縦する!」
アリカ達の乗る小型船には碌な火器が搭載されておらず、追ってくる有脳体に反撃する術を持たない。急制動を何度も受けてアリカは自分が上がっているのか下がっているのかわからなくなった。
ウスバは自己の肉体の認識を拡大し、小型船を意のままに操縦していた。しかし人間の身体を模した物と宇宙船では勝手が違う。多数のカメラ、高度計、気圧計、速度計から怒涛の情報が雪崩れ込んでいた。
「脳が焼き切れそうだ……持ち合わせちゃいないがな!」
紙一重で拉致型の光線を避ける。すぐに後続の目が光る。既に同じ高度に有脳体が迫っていた。腕利きの司令塔がいるらしく、統率がとれている。拉致型が光を溜め込んでいるうちに、口腔型が突っ込む。
顎の開いた口腔型を、一体の拉致型が跳ね飛ばした。ユーニだった。
そのまま、普通の拉致型の光線よりも強い光を放つ。光線のような破壊の力はないが、人間の視界を少しの間奪うことができた。
「あの小さな拉致型は……」
カムリが薄目を開ける。隣で機器を操作する女性が答えた。
「改造が完全でない有脳体を従えているようです。生育不良ですから、大した戦力にはならないかと。目晦ましは厄介ですが」
「そうか……使えるな。第二陣、光線緩めるな!……通信は?」
老人が有脳体に指示を飛ばしつつ脳を働かせる。
「拒絶されています」
女性は何かを察するように彼を見る。
「音声を届けたい」
カムリと数人の部下が乗る小型船は小型の戦闘機を腹に携えて上昇していく。
「もう大気は薄くなっています。船の中にしろ外にしろ、これ以上上昇すると厳しいかと」
「では、こちらから出向こう」
カムリが席を立ちヘルメットを被る。
「空佐、なぜあなたが行くんです!撃墜すればいいだけの話では」
「堕蛇の死体は回収したい。俺なら奴等を無力化できる」
部下の女性は何も言い返すことができない。戦闘機を最も巧みに操ることができるのは間違いなく彼だった。
「……今は空将だ。俺が死んだら遺体の回収を頼む」
何でもないようにカムリは言って、コクピットから離れる。女性は拳を握りしめた。
「ご武運を……」
「ユーニ!戻れ!大気圏を抜ける!」
ユーニはインカムからウスバの指示を聞き、小型船に戻る。有脳体は気圧の変化に動きが鈍っている。ユーニは傷を受けてぐったりしている。ウスバは無い歯を食いしばりながら、宇宙に向かって全速前進する。
シャープな戦闘機が現れ、ウスバ達の灰色の船に迫る。戦闘機はアームを取り出した。
「聖遣は一人だけだ……有脳体と融合できる人間が市井から現れるなど、あってはならない」
多数の拉致型が一斉に光線を放ち、堕蛇の乗っているであろう船の進路を阻む。進退窮まった。
戦闘機のアームが小型船を掴む。
「馬鹿が!」
ウスバは瞬時に戦闘機をハッキングする。接触したことにより戦闘機すらも操ったのだ。燃料を逆流させ、爆破する。伸ばしていたアームが断裂し、ただのデブリとなって飛んでいった。
それを見届けて、ウスバは膝をつく。さすがに疲弊したようだった。振り向いてユーニを伺う。彼は何かに驚いてウスバを庇った。
硝子が割れて、腹を膨らませた拉致型が宇宙船の中に墜落した。死んだ拉致型の中から宇宙服に身を包んだ男が出てきて、ウスバに銃を向ける。
「おい、コクピットは撃つなよ。全員爆発に巻き込まれる」
ウスバは冷静に言って両手を上げる。不安そうにユーニが身体に巻き付いた。
「堕蛇(ラッセル)はどこにいる?」
老人の声が、ヘルメット越しに籠って聞こえる。
「さあなァ。もうこの宙域を離れているんじゃないか」
「そうか。では貴様等は爆破したっていいな」
「つれないなァ。ボクは両手を上げていたって、いつでもキミを殺せるぞ?」
言うや否や、ウスバの懐から鉛玉が飛び出す。カムリが倒れた。持っていた拳銃が放たれ、ユーニが尻尾でキャッチする。
彼のヘルメットが割れ、額から血が流れるのを感じて、彼の口角が少しだけ上がった。
「下手糞。いつだって、チャンスは一度きりだ。一度の過ちで、お前は全てを失う」
ウスバは背後から強い光を感じる。何かが大きな爆発を起こしたようだった。
「空将の俺は有脳体に特別な命令を下すことができる……自爆だ。俺はこの周囲の有脳体二百の命を握っている。全員が人質だ。俺を無為に殺せば起動する」
男は表情を変えないまま起き上がり、ウスバを見る。
「……それで、何を望む?」
カムリは震える手でユーニを指差した。
「俺ではお前を壊せそうにない。そこの有脳体。お前だ。お前がウスバを撃て。光線は出せるな」
ユーニが目に見えて動揺する。黙っているウスバと宇宙服に身を包んだ老人を交互に見ていた。
「できないなら、二百の命が消える。そいつは生きてすらいない。命ですらないんだ。安いもんだろ」
宇宙の空気は澄んでいた。
「ユーニ」
ウスバがにやっと笑う。胸の中心を親指で指した。
「よく狙え。外すなよ」
泣きじゃくる子供の声を、ウスバは聞き流している。
ユーニの瞳の前に、小さな光が集まっていく。やがてそれは見つめられないほど大きくなって、ウスバの胸を貫いた。身体が焼き切れて、完全に肩から上と下が分裂する。船の硝子が完全に溶けて、二人は宇宙に投げ出された。
「よくやった。お前は見逃してやろう……」
船に残るカムリの命は風前の灯火で、その声はもうユーニには届かないほど小さかった。
「エリィ……先立つ俺を、許すな……」
カムリは虚空に手を伸ばし、力尽きた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
「しっかりしろ。いいか。キミは逃げるんじゃない。聖遣を人間に戻してやるために進むんだ」
「できない……無理だよ……先生もいなくなった……」
アリカの右の袖から伸びる触手はもう動かなくなっていた。ウスバは突然振り向いて、俯くアリカの胸倉を掴んだ。アリカの背後の壁が開き、奥からカプセルのようなものが現れる。ウスバはそこにアリカを投げた。カプセルの蓋が閉まる。
アリカは驚いて、蓋を叩いた。中からは力を加えても開かない。
「たしかに、無理かもしれないな。本当は、キミに世界を救う義理なんてないんだ」
「なあ、これ、何だよ……」
「緊急脱出用のカプセルだ。今殆どの燃料をそっちに移したから、キミは寝てる間にサードアースに着く」
「……駄目だ、そんなの駄目だ。ウスバとユーニは……」
「ボクは強い。ユーニもな。こいつらを蹴散らして、船を奪って後から追いつくさ」
ウスバは懐の銃をひらひらとアリカに見せる。コクピットに戻って、彼女に背中を向けたまま話した。
「アリカ、ボクはキミにいくつか嘘をついた。だがな、それらを取り消すようなことはしない。全部キミのためについた嘘だからだ」
アリカは不死だということ。アリカは化け物だということ。それらは嘘だった。彼女を生かすための。
「んに。アリカ、ボクはキミの存在を肯定しよう。キミの心はキミの中だけにある。人間の心だ」
アリカの目から涙が溢れる。嗚咽が止まらなくて、何も言えなかった。カプセル内部の液晶が光って、文字を映し出す。
「せんせいが じぶんをせめるな って」
それはユーニの言葉だった。
「ぼくも そうおもう ぼくたち いっぱい まちがえるから」
「ユーニ……先生……」
画面の上に涙が落ちる。
「しあわせに なってね」
「無理だよ……二人がいないと、アタシは」
「ボク達は、キミが好きだよ。キミの旅路に幸運を祈っている」
小型船の前で、ユーニが強く光った。脱出カプセルが勢いよく船から分離する。ステルスの外装は闇に溶けた。
星が遠くなっていく。アリカは泣きながら、義足を抱きしめた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
宇宙に、船と有脳体の残骸が漂っている。
ユーニはウスバの頭部に巻き付いて寄り添う。下半身はどこかへいってしまった。ウスバの硝子の瞳に、白く眩い星が映る。
アァ……なんて、きれいなんだ。
2 ヘビーメロウ
アリカの父はまだ、アリカの喪失を受け入れられないでいる。喧嘩別れをしてから殆ど連絡を取っていなかったので、迫撃機巧に乗っていたことも失踪した後から知った。
整理のため、アリカが住んでいた家を訪ねた。広くない部屋は片付いている。
ひとまず、冷蔵庫の中身を浚って捨てた。皿の中に入っているものも構わずゴミ袋に入れる。もう必要ない家電のコンセントを抜いていった。
リビングの壁には写真が貼ってあった。アリカとエリィがドレス姿で並んでいる。アリカの顔は母親そっくりだった。クリップに挟まれていた一枚を抜き取る。薄暗い部屋に彼は一人だった。
「私は、どこで間違えた?」
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
私は工場の息子だった。誰も強制しなかったが、私は家業を継いだ。全く儲からない場末の金属加工所だった。が、妻はこの道を応援してくれた。
まだ貧しいうちに、第一子、アリカが産まれた。私は寝ずに働いた。やがて精巧な加工技術が評価され、大企業から金型の制作を依頼された。
安定した収入が入るようになり、従業員も増え、忙しい時間が過ぎた。子はあっという間に大きくなった。
五歳になったアリカをパーティーに連れていくと、私よりも堂々としていた。ドレスが好きらしい。これで踊ってみたいというので、コンペティション・ダンスのことを教えた。
「今日ね、ダンス教室でヘンな奴に会った!」
食卓でアリカはにこやかに話す。妻が、ヘン?と聞き返す。
「すっごいヘン。踊ってる途中でルーティン変えちゃうんだ。こっちの方が楽しいから、って。それで、本当にそのほうが見てて楽しいんだ」
妻は興味深く聞いている。まだ食事には手をつけていない。
「その子、エンターテイナーね。でも、それってアリなの?」
「普通はナシだよ。そんなの合わせられっこないから。ま、アタシなら話は別だけど」
アリカは鼻高々に話して、夕飯を頬張った。
「調子の良い奴だな」
私が呆れると、妻が笑った。
「アリカ、すごいわね。その子と踊れるのはあなただけじゃない」
「うん。アタシ、あの子と一番になるよ」
「偉いな。がんばれよ」
アリカは人懐っこく笑って、ピースサインを作った。
病院からの帰り道、車の中で妻が眠そうな声で話す。
「これから付きっきりになるわ。アリカをよろしくね」
「わかっている。あの子は寂しがり屋だからな」
「あなたに似て、ね」
妻がふっと微笑む。私は運転中で良かった、と思った。恥ずかしくて顔を合わせられない。
「揶揄うなよ」
それから、何の前触れも、尤もらしい筋書きもなく、妻は口腔型侵略者に喰われて死んだ。その瞬間私達家族は同じ場所にいて、私は咄嗟にアリカの目を覆った。妻は骨も残らなかった。
アリカは泣かなくなった。必死に堪えているようで難しい顔をするようになった。堪えることなどないのに。
こちらの家にアリカの祖父母を呼び寄せ、世話をしてもらうことにした。私は一層仕事に打ち込んだ。会社は躍進の年になった。
新しくなったオフィスで深夜まで仕事をしていると、妻の母から電話がかかった。書類を書きながら電話に出る。
「なんですか」
喉から出た自分の声の刺々しさに内心驚いた。ペンを置く。
「突然ごめんなさいね。ちょっと気にかかることがあって。……アリカちゃんがね、お母さんは死んでないって言うんです。連れ去られたと思い込んでるみたいで。それをアードルさんにも伝えておかないといけないと思ったの。明日は参観日でしょう。直前になって心配になってね」
「そう、ですか。いつもアリカを任せてしまってすみません。明日、話してみます」
「あなたまで身体を壊したら事よ。仕事もほどほどにね」
挨拶を交わして、電話が切れる。自分の机だけがライトに照らされていた。
「私に、どうしろと……」
呟いて、無意識のうちに書類を握っていた。紙にはロボットの図面が載っていた。
「これが、迫撃機巧の全容です」
全ての話を終えて、ジンという男が一息ついた。私はため息をつく。
「申し訳ありませんが、弊社はこのプロジェクトに力添えできません。他をあたってください」
「なぜでしょうか」
席を立とうとする私を声が引き留める。このロボットに私の会社の技術が求められていることは、先ほどの説明でよく理解できた。
「パイロットの安全が担保できない以上、弊社は動きません」
私の言葉を受けても、男の瞳は高邁な理想に燃えている。
「それでも、侵略者はやって来ます。急がねばならないのです」
「あなたはこのロボットに自分の息子や娘を乗せられるのですか」
無意識に声が大きくなった。私は返答を待たずに部屋を出た。
アリカはメキメキとダンスの腕を上げていった。だから、いつかこんな日がくるだろうと思っていた。
アリカの瞳が光る。彼女は少し緊張していた。
「ドール先生から、教室の手伝いを任された。高校を卒業したら、教室の近くに住んで……プロとして、生きていこうと思う」
アリカはまっすぐに私を見ている。
「安定した職じゃない。これだけで生きていけるって保障もない。でも……アタシはこの道に進みたいと思う」
私はアリカの肩に手をやった。
「お前は、見上げた奴だ」
それ以外に必要な言葉は無かった。アリカは息を吐いて、喜色を滲ませた。
アリカがニッポン一を獲った次の日。実家に訪ねてくると連絡があった。
久しぶりに会った彼女は、浮かれた顔をしていた。狭い書斎に親子が入る。
「見たぞ。新聞記事」
「ああ、やっと一番に」
「違う」
私はアリカの言葉を遮った。
「貴様……行方知れずの母親に見つけてもらうために踊ると言ったそうだな」
アリカに向かって、印刷したニュース記事を突き出す。虚実の入り混じった母娘のエピソードが書きたてられている。彼女はおずおずとそれを受け取った。
「母さんが帰ってくることはない。嘯いて死人を利用するなぞ言語道断だ」
「でも、わかんないだろ……まだ、可能性は」
私はアリカを平手で打った。乾いた音が響く。
「死人に縋るな。貴様はこんなことをするために家を出たのか!」
アリカは頬に手を当てることもなく、目を見開いている。私はこの顔を見たことがある。涙を堪えているときの顔だ。
「……フ……ハハ……」
茫然としたままアリカの口から引きつった笑い声が出る。
「なぜ笑う……なんでそんな態度がとれる!」
秒針の音が響く。
「こっちを見ろ!」
また怒鳴る。アリカがゆっくりと顔を上げた。怯えている。
「アンタも……そんな目でアタシを見るのか」
やってしまった、と思った。私は冷や水を浴びせられたような思いだった。アリカは私の怒りを凍りつけるほどの、哀れな顔をしていた。
「もう、帰るよ」
アリカはなんでもないように言って、部屋を出た。私は少し遅れて彼女を追う。背中が遠くなっていく。
「待て……まだ話は終わっていない」
アリカをよろしくね、と言った妻の顔が浮かぶ。私は果たして、きちんとアリカのことを見ていただろうか。彼女の顔より仕事と向き合っている時のほうが多くはなかったか。私は彼女に何をしてやっただろうか。
もう、彼女にかけられる言葉はなかった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
電話がかかってきて、私は気が滅入った。しかし、電話の内容は思っていたものではなかった。私はすべてを置いて、無我夢中になって走った。
通行人を跳ね飛ばしそうになりながら、私は病室の前に辿り着いた。ドアを開ける。
「アリカ!」
病室には、アリカが横たわっていた。気がついたようで、上半身を起こす。
「父さん」
アリカは夢でも見ているように呟いた。私は呆けたままの彼女を強く抱きしめた。
「この……この、大馬鹿者。連絡もよこさずに、お前は、お前は……こんな真似、二度とするな……!」
恥ずかしげもなく私は涙していた。
「……違う、すまない。謝るのは私なのだ」
アリカはきょとんとしている。
「……あの時、殴って悪かった。ずっと、謝りたいと思っていた。母さんのことになると、冷静でおられなかったのだ」
アリカは目を見開く。涙が出てきた。
「そんな……そんなこと、いいよ。アタシ……悪いことばっかりやったんだ」
私の肩に雫が落ちるのを感じる。
「誰がお前を責めるか」
アリカは子供の頃を取り戻すようにたくさん泣いた。彼女の涙で私の服が濡れた。私も泣いた。
私は二度も家族を失わずに済んだ。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
聖遣は床に手をついて吐寫している。多数の人を取り込んだことによる拒絶反応の一種だった。胃に何かを入れたわけではないのでただ水を吐いている。落ち着いてきて、ゆっくりと顔を上げた。
聖遣の見つめる先に、人が横たわっている。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「戦場では目立つな、と口酸っぱく言ってきたが……」
墓場で二人の男が煙草をふかしている。刻まれた名前をライトがぼんやりと照らしていた。
「目立たなかったのはお前だけだったらしい」
風が煙をさらっていく。背の低い方の男が、背の高い男を見た。彼等の前に並ぶ墓には軍のマークがついている。
「俺はただ生き残っただけです。目立つとか目立たないとか、頭は回りませんでしたよ」
背の高い男は淡々と話す。
「それが異常なんだがな……」
「これから俺達が動員されるような戦争は起きますかね」
煙草は高級品だったので、墓前でしか吸わなかった。
「この星では起こらんだろうが、お前の食い扶持くらいはあるだろ」
背の低い男はへらへらと笑う。高い男は眉をひそめた。
「カムリ、そんな顔するな。餞別に良い服でも買ってやるよ」
男達は暗闇の中でしか生きられなかった。
「その赤ん坊、売らないか」
スラム街の路地に似合わない、高価そうなコートを着たカムリが赤子を抱いた女に声をかけた。まだ名前すらもついていない赤ん坊は取引の末、彼に売り渡された。
第二王子派の宰相は有脳体関連の利権を独占しようと躍起になっていた。製造のための人体実験も活発に行っている。
カムリはこの赤子が碌でもないことに使われることは分かっていた。
「お前も消耗品か。恨むなよ」
赤子は知らない人間に抱かれているにもかかわらず、すやすや眠っている。カムリは地下の研究所に向かい、小さな命を研究員に引き渡した。
「第二王子の?」
「ええ。隊長のおかげですよ」
カムリは簡素な部屋に上がりこみ、黒いコートをハンガーにかけた。隊長――背の低い男――から貰ったものだ。隊長はヒーターの前に座り込んだ。すぐに酒瓶を開ける。
「えらく出世したな」
「宇宙船を操縦できる人間が欲しいみたいです」
カムリは軍を除隊した後、第二王子の直属の部下として雇われた。報告がてら、隊長の家に来ている。
「今は、祝おう」
カムリの手を払って、隊長自らが酒を注ぐ。突き合わせた安物のコップからコン、と心地いい音が聞こえた。
カムリはコートをはためかせて全力疾走している。袖の先から血が滴っていることに気がついて、舌打ちした。赤子を抱きながら逃げることがこんなに困難なことだとは思っていなかった。
這う這うの体で尾行を殺し、カムリは隊長の家に辿り着く。隊長は声を潜めた。
「……なんだ、その赤ん坊は……隠し子?」
「俺に嫁なんていませんよ」
不可思議ながらも、隊長は赤子を抱き抱えて血まみれの部下を迎え入れる。扉が閉まると、カムリは深いため息を吐いてその場に座り込んだ。
「取り合えずその血をなんとかしろ。そいつは俺が抱いててやるから」
「助かります、本当に」
隊長は柔らかな手つきで赤子を抱く。彼には子を育てた経験があった。カムリは慣れた手つきで傷口を洗い、包帯を巻く。
「有脳体の研究所がゲリラに襲われまして。非武装の研究員はほぼ死にました。俺はそいつを守れと命じられたんです」
「するってえと、こいつは……有脳体?」
「わかりませんが、そいつが死ぬと俺の首が飛ぶのは確かです」
カムリが買ってきた赤子は検査を受けた後、厳重に管理されていた。
「それで俺を訪ねてきたってワケね」
「すみません、巻き込んで。俺には手に負えなくて」
カムリは隊長が若くに妻と子を失っていたことを知っていた。彼しか頼れなかった。
「フッ、撃墜王と謳われたお前が?」
隊長はそんなカムリを鼻で笑った。
「いいよ、協力してやる。こいつがただの赤ん坊のうちはな」
赤子はいつの間にか目を覚ましていて、隊長が小気味良く揺れるのを楽しんで笑った。
ゲリラが鳴りを潜め、研究所が移転し再開するまで三週間ほどかかった。二人はその間赤子を育て、研究所に返した。
カムリが重い扉をくぐり抜けて、待っていた隊長に声をかける。二人ともあまり眠れずに、三週間でやつれた。
「……あいつはエリィ、というそうです」
「そうか、名前があったのか。悪いことしたかもな」
隊長はエリィをふわふわちゃんとかぷくぷくちゃんとか、適当に呼んでいた。彼は自分には金をかけないにも関わらず、彼女に必要な物は良い物を選んで買い与えた。
「隊長、俺達が何をしようが、あいつは覚えてすらない……罪悪感を覚えることはないんです」
「そうだな。エリィは俺達が手を尽くそうが尽くすまいが、死ぬときには死ぬ。だからと言って、蔑ろにしていい理由にはならんだろ」
隊長は真面目な話をしているときも、へらへら笑っている。カムリはやはり、妻子を失った彼を頼ったことに一抹の悔悟を覚えた。
九年が経った。エリィはその身体の頑強さから正式に聖遣となることが内内に決定した。カムリは政敵の抹殺に暗躍しつつ、表向きは第二王子の懐刀をしている。隊長とはぱったり縁が途絶えてしまって、行方も分からない。
風の強い日、彼は呼び出された。
「くれぐれも不遜なマネはするなよ」
白衣の研究員に念を押され、カムリは厚い扉の前に立つ。カムリは唐突に聖遣に呼び出されたことに得心がいかないまま、白い部屋に入った。
ベッドだけが置かれた空間に、簡素な服を着た少女が浮かんでいる。視線が合った。
「カムリ」
聖遣ははっきりと男の名前を呼ぶ。瞬きをして、彼女は空中を泳いでカムリに近づいた。そのまま手を伸ばして、彼の頬に触れる。カムリは目を見開いた。
「ひさしぶり、だね」
エリィの大きな瞳が輝いた。
「覚えているのか」
「ものおぼえがいいの」
そう言って聖遣は微笑んだ。地面に降り立つ。
「ずっとお礼が言いたかった。私を守ってくれて、ありがとう。あなたのおかげで聖遣になれる」
カムリは目線を逸らした。
「関係ねえよ」
長身の男のぶっきらぼうな言葉にも、彼女は怯まない。
「そうかな。二人が私を守ってくれたもん。本当はたいちょーも呼びたかったんだけど、むりっていわれて」
「もう年だからな」
「会ったら、お礼を言ってほしいの」
「わかったよ」
はたと会話が止まる。エリィはまじまじと初老の男を見上げた。
「……カムリは、怖くないの?」
「何がだ」
「私のこと」
カムリは硝子の向こうの研究員達を見る。少し息を吐いて、彼女の背に合わせて跪いた。
「お前はまだほんの赤ん坊だ。赤ん坊を誰が怖がる」
そう言うとエリィは目を丸くして、吹き出した。腰を折って笑い転げる。一呼吸おいて、彼に問いかけた。
「私、もう九才だよ?」
「空を飛んでいようが、兵器だろうが、お前は赤ん坊さ」
エリィは急にカムリに抱きついた。まだ笑っていて、彼女の背中が震えているのをカムリは感じる。
「そんなこと言うひと、はじめて!」
聖遣は行儀よく椅子に座り、長い髪を櫛で梳いてもらっている。髪に触れる若い研究員は緊張した様子だった。櫛が髪に引っ掛かり、聖遣の頭が引っ張られる。
「……っすみません!」
「いいよ、そんな怖がらないで」
聖遣は怒るわけでもなく、安心させるわけでもなく、静かに、無表情に言った。
張り詰めた空気の中、扉が開く。長身で白髪交じりの男が立っていた。コートの裾をはためかせて、エリィのもとへ歩む。
「カムリ!」
ぱっとエリィの顔は明るくなり、浮かび上がって回転した。研究員は心配そうに動き回る彼女を見ている。カムリは放射状に広がる彼女の髪を見た。
「それ、貸してくれ。ヘアゴムはないのか」
「え、あ、あります、取ってきます」
カムリは研究員から櫛とヘアゴムを受け取った。エリィを座らせ、慣れた手つきで彼女の髪を梳く。頭の中心から毛束を二分し、高い位置でくくった。あっという間にツインテールが出来上がる。
エリィは自分の髪を触って目を丸くした。
「すごい!どうしてこんなことできるの?カムリには長い髪、無いのに」
エリィは目を輝かせている。カムリは事もなげに言った。
「いい男ってのは、これくらいできる」
「いいおとこ?」
エリィはきょとんとしている。カムリは目を逸らした。
「動き回るんだから、自分でできるようになっておけ。下ろしているとまた引っ掛けるぞ」
カムリは立ち上がり、襟を正す。
「もうかえっちゃうの」
「忙しい」
「私、グソクよりも偉いよ?グソクより私に会いに来てよ」
「王子も寂しがり屋だ」
カムリは振り返らない。
「……明日も来てね」
カムリは自宅の扉を閉めて、背中を付けて座り込んだ。頭を垂れて、深く息を吐く。
とある日、カムリはエリィに読み聞かせをしていた。夜になり、帰ろうとするカムリを引き留めるためにエリィがせがんだのだ。やはり赤ん坊だ、と思いながらカムリは聖典(セラヴィ)を読み上げる。エリィは眠い目をこすりながら、カムリの肩にもたれていた。
「深海に住むわたしたちのもとに、光があらわれます。
その光は弱いわたしたちさえも、包んでしまいます。
わたしたちを分け隔てた身体は、溶けて失われます。
みなひとつの光となり、
あなたがわたしに欠けていると、思わなくなります。
時間と空間をはなれて輝きは大地(テール)に降り注がれます。
大地にみずみずしい双葉が生え、好く咲くでしょう。
わたしたちはまた、生まれつづけるのです。」
それは聖遣の章の終わりで、何年も前にカムリは暗記させられていた。エリィもすっかり覚えていて、彼女の小さな聖典は使い古されていた。カムリが聖典を閉じると、エリィが眠っていることに気づいた。
カムリは彼女をベッドに移した。やはり赤ん坊だ、と思いながら静かに扉を閉めた。
その日、聖遣は本や剥製のある広い部屋で過ごしていた。カムリは扉を開ける。
「あ、パパ」
エリィは手を振って、広い部屋の遠くから駆けてきた。腕には包帯を、脚には錘がついている。錘は浮き上がらずに自分の足を使わせるためのものだった。包帯に覆われた腕には有脳体の一部が縫い付けられていて、融合が行われている。
「その呼び方はやめろ。俺は父親じゃない」
エリィはカムリに抱きついて、顔を埋めた。そのまま口を開く。
「パパがパパじゃないなら、だれがパパなの」
「父親なぞ替えが効く。いずれお前にも、それらしい父親が充てがわれる」
ぱっとエリィが顔を上げる。エリィの大きな瞳が揺れていた。
「カムリは、私のパパになってくれないの」
エリィはカムリのコートを強く握る。彼はただ、必死な彼女を見つめている。
「かえられるなら、カムリがパパになればいい」
カムリはしゃがんで彼女の頭を撫でた。ツインテールが揺れる。
「お前は聖遣になって戦いを終わらせるんだ。いつまでもこんな老い耄れの近くにいてはいけない」
彼女が求めているのはこんな言葉ではないと分かっていながら、つらつらと回る舌にカムリは嫌悪した。エリィは一瞬顔を歪めて、その後笑顔をつくった。
「私が、聖遣になったら……みんな、喜んでくれるよね」
「あぁ」
「その中に、カムリもいるよね」
「もちろんだ」
エリィはひどく寂しそうに笑った。振り返って、部屋に飾られた長大なタペストリーを見上げる。金や銀の糸で地球の海の生物が織られている。
「私、変身したら新しいうでが生えるんだよね?それってこんなかんじ?」
エリィは明るい調子で端の方に描かれている海月を指差した。タペストリーの中で、海が透けて藍色になった細い触手が海流に漂っている。
「……色々混じってはいるが、こちらのほうが近い」
カムリは少し離れた場所を人差し指でなぞった。岩場に佇む白い蛸の触手だった。エリィは近寄って覗き込み、目を輝かせる。
「蛸!きれいだね。あ、ビリビリするのはこの子でしょ?」
そう言って今度は真っ黒にうねる鰻を指差した。
「こいつは電気を持ってるのか」
「カムリ、知らないの?この子は電気を流して狩りをするんだよ。電気鰻(エレクトリック・イール)っていうの」
エリィは鼻高々に話す。右手の甲を光らせて、人差し指と親指の間に火花を散らしてみせた。
「私のビリビリは、この子がもとなんだよ」
「そうか。空鯨かと思っていた」
エリィは首を傾げた。結われた髪が揺れる。
「くうげいってなに?」
「この星だけにいる生物だ。光っていて、空を飛ぶ、大きな……そう、これにそっくりだ」
カムリは最も大きく描かれた鯨に視線をやる。エリィはまじまじと青い鯨を見つめた。
「空を飛んでるの!」
満面の笑みを浮かべるエリィにカムリは頷く。
「外に出たら、見られるかな?」
瞳を輝かせているエリィを見て、カムリは目を逸らした。
「……遠くには見られるかもしれない」
「街には来ないの?」
「お前は貴族の街に住む手筈だ。そこは空鯨が来ない場所に造られてる」
エリィの声は小さくなった。
「……なんで」
「危ないからだ」
「見に行ったりできない?」
「お前は狙われている。外出は認められない」
聖遣は瞬きをして、ふっと笑った。
「そっか。しかたないよね」
第一王子が死んだ。王府の緊張感は高まっており、今にもはじけそうだった。カムリはいよいよ謀略に忙しく、エリィに会う時間も捻出しにくくなっている。キーボードを打つ彼の顎髭は伸び、隈は深かった。
「空佐、そろそろ休まれては」
カムリの部下の若い女性が彼に声をかける。カムリはモニターの電源を落とした。忙しなく立ち上がる。
「今終わった。これから休む」
「聖遣のところに伺われるんでしょう?」
カムリの荷物を整理する手が止まる。部下は意を決したように彼の目を見た。
「不肖を承知で申し上げます。空佐は聖遣と、これ以上関わりを持つべきではありません。第一王子派の武装蜂起は近いです。聖遣の護衛を任されるようなことがあれば、貴方は一層危険な立場になります」
カムリは彼女を鼻で笑う。
「お前は俺の昇進を阻みたいのか」
「はい。私も貴方に巻き込まれて、目立ちたくありませんから」
部下も口角を上げる。カムリの眉が少しだけ動いた。
「……なぜ、そこまでする」
「空佐が私の恩人だから、です」
カムリはかけてあったコートを羽織り、部下を押しのけて進む。
「空佐!」
部下の声は、もうカムリを動かせなかった。
「死にたくないなら、さっさと辞めることだ」
カムリは微笑んで、扉を閉めた。部下は一人、仕事部屋に取り残される。届かないと分かっていたのに、言葉を抑えずにはいられなかった。
「私は、貴方も生きてほしいのです」
聖遣は自らの背中に手を伸ばし、服の紐を解く。肩甲骨が露わになった。
「よし」
硝子を隔てて、眼鏡をかけた研究員が命を下す。拉致型有脳体の枷が解かれる。
有脳体と聖遣の背中が接地する。水の音がして、二つの生命の境界線が溶けていく。紅茶に牛乳を流し込むように、有脳体は滑らかに聖遣に吸い込まれた。
「今日は遅かったな。もう帰れ」
研究員は駆けつけたカムリに言い放つ。カムリは彼を睨みつけた。
「部屋に入れろ。俺は呼ばれている」
研究員は不服そうな顔をして、彼を通した。
聖遣は身体を丸めて嘔吐している。駆け寄るカムリを見て、汗を流しながら微笑んだ。
「来て、くれたんだ」
「遅くなった」
カムリは眉間に皺を寄せて、汗ばんだ彼女の背中をさする。薄い皮膚に骨が出っ張っていた。
「ごめ……目、開けてられなく、て」
エリィはまた吐いた。
「しゃべるな」
「だって、しゃべらなきゃ、帰っちゃう……」
「近くにいる」
エリィは目を開いてカムリの顔を一瞥し、糸が切れたように気を失った。
カムリは横たわるエリィの手を握っている。彼は、自らがひどく動揺していることに動揺していた。
聖遣になるということがどういうことか、赤ん坊を王府に引き渡すことがどういうことか、分かっていたはずだった。なぜこれほどに心が乱されるのか、分からなかった。
彼は今まで墜とした敵機や、殺した人間や、傷つけた人間を思い浮かべた。
本当は、彼は赤ん坊が恐ろしかった。触れただけで壊れてしまいそうだから。
そういえば、女の子は殺したことがなかった。
「ここを、出るときに……」
か細いながら、芯のある声を聞き、カムリは顔を上げた。
「私のコア、返してもらえるって、聞いたの」
エリィは薄く目を開けて、心地よさそうにまどろんでいる。
「たましいって、あると思う?」
「魂(コア)は……形がある。たましいは、わからない。目に見えないなら、ないんだろう」
エリィはゆっくり目を閉じた。
「目に見えるものしか信じられないなんて、かわいそうだね」
「…………は……」
カムリは化石している。エリィはもう寝息を立てていた。
聖遣の居住地の移転が近づいていた。
本で溢れた部屋の中で、グソクははたと物を書く手を止める。
「空鯨を?」
「……聖典にも、生物は生物と触れ合うべき、とあります。この星を好ましく思うことは聖遣の戦意高揚にも繋がるかと」
グソクは鼻から息を吐く。
「無理だな。聖遣は高貴な身分だが、人を巻き込みすぎる我儘を受け入れられるほどじゃない。奴を移動させるには物騒な数の護衛を付けねばならんが、それでは第一王子派の物騒な連中に勘づかれる」
「しかし」
「らしくないぞ空佐。聖遣の気にあてられたか」
グソクは立ち上がり、カムリの言葉を遮る。
「あれを可哀そうな奴だと思うな。心を許すな。我々は勝つために生きているのだ」
「……重々、承知しております」
「貴様には期待しておるのだ。空佐。私を置いて老け込むんじゃない。冷徹でいろ」
それ以上言えることは無く、カムリは下がった。
カムリは幾人もの研究員達を押しのけずんずん進み、重い扉を勢い良く開けた。
「カムリ?」
エリィはカムリの物々しさに驚く暇もなく、彼に強く引き寄せられる。
カムリは懐から拳銃を取り出し、聖遣の頭に突きつけた。研究員達がどよめく。
「お前、何を」
「黙れ。動いたら聖遣を殺す」
エリィは驚きつつも、狼狽したそぶりは見せない。カムリは如何にも悪そうに、口角を上げた。
「車を用意しろ」
カムリは荒野に車を飛ばしている。エリィは二分されて流れていく景色を楽しんでいた。隣を見て、助手席から無理やりカムリの膝の上に移動する。彼はハンドルを握り直した。
「運転の邪魔だ」
「でも、こうしてると後ろから撃たれないよ」
何も返す言葉のないカムリにエリィはしたり顔を浮かべる。カムリの懐に硬い物を感じて、エリィは彼に問うた。
「この銃、触ってもいい?」
「好きにしろ」
エリィが拳銃を取り出し、叩いたり振ったりすると、何も装填されていないリボルバーが飛び出した。鉛玉の一つも入っていない。
「やっぱり!」
「ガラクタさ」
可笑しそうに笑うエリィを見て、カムリも少し笑った。
車は砂漠に停められている。エリィとカムリは丘に寝転んで空を見ていた。
空鯨が来る。果ての無い暗闇のなかを進む明かりが、次第に大きくなった。エリィは空に両手を伸ばす。手のひらに少し火花が散った。
「空って、私ひとりじゃなかったんだ」
惚けたようにエリィが呟く。その瞳は輝いていた。
「空鯨だけじゃない。星もある」
エリィは照らされていた。星々と、空鯨に。光に形は無かったが、とてもよいものだった。空からカムリに視線を移して、エリィは微笑みかける。
「ありがと、カムリ。私―――」
カムリは不意に立ち上がる。その視線の先には、影があった。
「迎えだ」
黒塗りの大きな車が砂を撒き散らして止まった。眼鏡をかけた研究員と機動隊、合わせて五人が出る。全員がカムリに対して銃を向けた。研究員は聖遣が無事であることを見て取り、安堵する。ゆっくりと歩み、研究員が口を開いた。
「聖遣を返してもらう」
カムリは両手を上げようとした。
エリィが突然膝を折り、地面に手をつける。
瞬間、エリィの手の甲が眩く光った。
咄嗟に瞑った目を開けると、カムリは息を吞んだ。研究員達は地面に倒れ伏している。目だけがこちらを睨んでいた。
「私、覚えてるよ」
エリィが立ち上がる。振り向いてカムリを見た。
「カムリも、こうして助けてくれたよね。赤ちゃんの私を」
遠い昔、カムリは赤子のエリィを抱いて追手から逃げていた。エリィが大声で泣いていたから、追手は易々と彼等を追い詰めることができた。この状況で逃げ切ることは不可能、と判断してカムリは追手を誘い出し、その脳天を撃った。
どうして、目を覆ってやらなかったのだろう。
「これは、恩返し!」
エリィは両手を広げてにっこり笑った。
カムリは彼女に近づいて、その頭を叩いた。
「これは、いけないことだ」
エリィはカムリの重苦しい声を聞く。きょとんとしていたが、見開いた瞳にじわじわ涙が滲んで、わっと泣き出した。
「だって、つ、つかまったらカムリ死んじゃうもん!みんなころしたわけじゃないっ、ちょっとしびれさせただけ。なんで、カムリは良くて私はダメなの」
「お前と俺とでは、何もかも違う」
「わかんない!カムリのばか!みんな、私が守らないとしんじゃうくせに!みんな私をたよりにしてるくせに!」
エリィは泣きながら怒っている。カムリは目を細めて、安堵した。
銃声が鳴って、カムリはよろめく。彼の右腕から血が流れた。
「カムリ!」
悲痛な叫びが響く。見知った気配を感じて、聖遣は振り返った。
「誘拐旅程(キッドナップ・ツアー)は楽しめたか?」
弾の主はグソクだった。続いてもう一台車がやって来て、慌ただしく警護者が降車する。聖遣は歯を食いしばった。
「グソク……」
握りしめた聖遣の拳が光る。
「安心しろ、そいつを殺す気はない。私は銃が上手いのだ。最初の一発で空佐の頭を吹き飛ばせた」
つかつかとグソクは聖遣に詰め寄る。
「ただ、これ以上お前が逃げ回るのなら、流れ弾の一発や二発、覚悟せねばなるまい」
グソクのそばに控える人間は銃を構え続けている。彼は錠をかけるため、聖遣の腕を掴んだ。
聖遣は手のひらを強く発光させる。二人の間に電気が流れた。グソクは少し眉を寄せたが、なんともないようだった。
「そよ風だな。貴様はまだ聖遣として不完全だ。早く憎きサードアースの愚民どもに雷を落とせるようになれ。貴様の生きる意味はそれだけだ」
空鯨のいつの間にか通り過ぎ、周囲は闇に包まれて、グソクは聖遣の手を縛った。
「約束。カムリは殺さないで」
「そのつもりだ」
聖遣はもう抵抗しなかった。身を焼き尽くしそうなほどの怒りを内にこらえながら、黙って歩く。カムリを振り返らずに、車に乗った。
グソクは聖遣が離れていくのを見届けて、拘束されたカムリに向き直る。
「聖遣は使えると思った。俺があいつの力を手にすれば、全てを変えられると……そう思った」
「心にもないことを。貴様が何と言おうが、聖遣を罰するようなことはしない」
グソクは嗤う。カムリは憑き物が落ちたように息を吐いた。強く風が吹いた。
「コアを抽出したのち、鞭打ちだ。殺すなよ」
聖遣は貴族の館に住を移した。
扉が開いて、真っ暗な部屋に光が差し込んだ。眩しくて、カムリは目を覚ます。コートは破れ、血に塗れていた。両手を椅子の後ろに縛られている。
カムリはなんとか言葉を絞り出した。
「王子……なぜ、殺さんのです」
逆光を受けて険しい顔をしたグソクがカムリを睨んでいる。
「唯々諾々の下僕はいらん。若輩者の私には貴様のような配下が必要なのだ。貴様のような、転覆の力すら持っている者がな」
「この老い耄れに、そんな力は残っていませんよ」
「貴様は」
グソクは懐からコアを取り出した。
「私が聖遣に無法を働けば、私をも殺すだろう」
コアは鈍重に赤く光っている。
「聖遣は魂を持たない。全ての魂無き人間を受け入れるために。魂無き者は輪郭を失い、聖遣に触れれば忽ち同化する。しかし、この魂(コア)を持っていれば、貴様は聖遣に触れることができる」
カムリは鼻で笑う。血と汗で汚れた口端が歪んだ。
「王子に従えば、聖遣の隣に居られるとでも仰るつもりですか」
「いいや」
グソクはカムリのコアを強く握りしめた。何にも包まれていないそれは、容易く割れた。果実を握り潰したように、破片が飛び散る。手に破片が刺さって、血も数滴落ちた。
カムリはただ目を見開いている。グソクはつかつかと彼に近づき、紅に染まった右手で、胸倉を掴んだ。
「カムリ!我が腹心!俺の為に生き、俺の為に死ね!」
乱暴に手を放し、グソクは踵を返した。開いた扉の前に立ち止まり、振り返らずに言葉を残す。
「……従わなくば殺す」
入れ替わりに配下の女性が入ってきて、神妙な面持ちで彼の鎖を解いた。
……また、生き残った。
その日は風が無かった。
カムリ等、第二王子の配下は、聖遣を狙う第一王子派の勢力の殲滅に赴いていた。彼等の拠点は棄てられた貴族の屋敷であり、石と鉄でできた巨大な建造物に銃火器と兵士が集められているという話だ。深夜にそこへ辿り着いたカムリ達は暗視ゴーグルを付け、眠っている敵勢力に奇襲をかける。
北風が旅人の帽子を攫っていくように一方的で、容易かった。
土足で屋敷を踏み荒らし、先刻まで眠っていた兵を撃つ。照明は積極的に破壊した。暗がりの中で足音、銃声、悲鳴が氾濫する。第一王子派の兵士の多くは敵をはっきり視認することすらできないまま絶命した。
カムリは各部隊に指示を出しつつ、部隊を連れ死体と血の点在する廊下を歩いていた。ほぼ制圧が終わっている。突き当りの部屋の前にいた彼の部下が振り向いた。
「今、一人この部屋に逃げ込みました。生き残りはそれだけかと」
部下の女性が声を潜める。その場の全員で扉の前に立ち、視線を交わした。
「突入だ」
カムリは複数の部下と共に扉を蹴破る。
その瞬間、何かが廊下へ投げ込まれた。閃光弾だった。カムリ達の視界が歪む。暗視ゴーグルは強すぎる光に耐えられなかった。
幾つもの銃声が響く。
咄嗟に物陰に隠れた部下の女性が恐る恐る目を開けると、狭い部屋に立っているのは二人の男だけだった。
「なんだ、俺のやったコート、まだ着てんのか?」
死線にいるはずの老いた男は、軽く言った。カムリは銃を構えながら、正面に立つ老人を凝視している。
「隊長……なぜ、ここに」
カムリは肩から、隊長は腹から血を流している。カムリの黒いコートは流れる血も隠した。
「もう隊長じゃねえよ。俺はずっと……妻と子が殺された時から、第一王子派なのさ」
隊長はへらへら笑った。汗が吹き出し、ずるずると膝を折る。
「お前、片目にしかゴーグルやってなかったな?……完敗さ」
隊長はもう銃を構えていない。彼の足元に血だまりが広がっていく。
「もう、辞めたと思っていた。あなたは、戦争から上がったのだと……」
カムリはそう言って目を伏せた。死にゆく老人は壁にもたれて少し笑う。
「ひでえ顔だな。だから、目立つなって言ったのに。こんなとこにいて……エリィのそばに居てやらなくていいのか?」
「俺は……」
「行けよカムリ。お前の名前を呼ぶのは、俺とあの子くらいなもんだろ」
カムリは奥歯を噛む。ロングコートをはためかせて、踵を返す。生き残った部下に視線を送って、扉を開けた。
その日は聖遣の遣星の日だった。第一王子派の勢力から聖遣を守るため、極秘裏にサードアースへ送られる。隊長には漏れていたようだが。
朝が来ようとしていた。
頭に包帯を巻いた女性が、グソクに上奏する。
「空佐が……」
「好きにさせろ。あの手合いは、止まれんのだ」
グソクは高い建物から、広場に停まった宇宙船を見下ろしている。多くの警備が、船に乗り込もうとする聖遣とその家族を護衛していた。その警備の中を割って進む者がいる。血を流し、息が上がり、おおよそ脅威にはなり得ないであろう疲れ果てた男だった。聖遣は赤いコアを首に下げ、父親と母親に手を引かれて、階段を上っている。
「エリィ!」
男はついに聖遣の近くまで辿り着いて、柵に縋りついた。名を叫ぶと、聖遣が立ち止まり、こちらを振り向く。彼女は父親と握っていたほうの手を離した。
カムリは彼女に向かって手を伸ばした。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
聖遣は横たわっている人間の死体に向かって手を伸ばした。無意識のうちに、触手もそれに合わせて持ち上がった。彼女の本当の手ではなく、後付けの触手が死体に被さる。
ぐちゅ、と水の音がして、死体は触手の中に溶けていった。
聖遣はまだ手を下ろせずにいる。彼女は目を見開いたまま、しばらく動けなかった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
彼女は微笑んで、小さく手を振った。それだけだった。
カムリは目を剝いて、しばらく動けなかった。
執筆の狙い
女主人公で少年ジャンプ的なことがやりたかったので、ダンスで戦うロボ物を書いてみました。人間とは何か、がテーマです。テンポ感を重視して進めました。作中でいくつかルビをふっている部分があるのですが、ここでは使えないようなので全て括弧のなかに入れました。
長編を書いたのは初めてなので、拙い部分も多いと思いますが、読んでいただけると幸いです。
まだ物語は途中です。今後の内容を固めるためにもぜひ感想をお願いします。