生きる感覚
風が制服の袖をそっと揺らす。足の裏で地面の感触を確かめながら、私は歩く。
この時、面白い感覚に襲われることがある。
不思議な感覚。
存在しているということは、どういうことなのか。
本当に今、ここに自分はいるのだろうか。
実感が湧かなくなると、途端に寂しくなる。
『ここは、どこだ?』
『自分は、誰だ?』
『今、自分はここにいるのか?』
胸をぎゅっと締め付ける問い――
『なぜ、生きている?』
その瞬間、胸が痛む。それでも、生きている実感は湧かない。
いつか、「生きている」ということの意味が分かればいいな、と私は思う。
虚しい感覚。
教室に入ると、いつも通りの光景が広がる。笑い声、鉛筆を落とす音、授業中の眠気。
何も変わっていないのに、心は別の場所に飛んでしまう。
「自分は、なぜ生きているんだろう」
いつか必ず死ぬのに、なぜ今ここにいるのか。
クラスのみんなも、先生も、あの空も、すべて夢の中の人たちなのかもしれない――
そんな考えが胸の奥をチクチク刺す。
雲がゆっくりと流れる。
その下を、自分という形をした何かがいる。
存在はわかる。でも、それを“感じる”こととは違う。
ずっとくすぶっている胸の奥の自分では解を見つけ出せないような問い――
「なぜ、生きているのか」
全人類共通の謎で世界の神秘だ。
心地よい感覚。
時折、生きている実感が戻る瞬間がある。
それを感じたのは、小学六年生の頃。
空は青い。雲は白い。
風が吹くたびに、制服の袖がそっと揺れる。
足の裏で地面を感じ、歩くたびに何かが身体から落ちていくような気がした。
前を向くと、さっきと同じ世界が、色濃く鮮やかに見える。
手を握ると、自分の手の感覚がしっかりと伝わってくる。
感覚が研ぎ澄まされ、いつもと違う世界が見える。そして、感じる。
学校が近づくと、遠くで自転車のベルが鳴り、木々の葉が揺れる。
友達の声がかすかに聞こえ、世界が少しだけにぎやかになる。
教室に入ると、空気の匂いや椅子の感触、ノートの手触りまで、普段は気に留めないものが鮮明に感じられる。
その小さな日常のひとつひとつが、生きている実感につながっていく。
こういう時、なぜ生きているのかという疑問は自然と消える。
生きる――ただそれだけで、十分に素晴らしい。
意味もなく、窓の外を見る。
それらは確かにここにある。存在している。
そして私も――歩いている、感じている、生きている。
問いはまだ胸にくすぶるけれど、確かに存在する実感が、今ここにある。
世界は、回る。
それと同様私は今日も歩き続ける。
私という存在は、この世界にしっかりと根を下ろしているはずだ。
執筆の狙い
最近このようなことがあったので思い出して書いてみました。
結構、文が変なことになってます。まあ、読むだけなら気にしないでください。