放課後の空に溶けて
「ねえ葵、今日も寄り道して帰ろ?」
そう言って笑った香織の声は、春の風みたいに軽やかだった。
教室の窓から差し込む午後の光が、彼女の髪をやわらかく透かしていた。
「うん、いいよ。……でも、あんまり遅くなるとお母さんに怒られるかも」
「じゃあ、公園でちょっとだけ! 桜、もう散っちゃいそうだし」
二人が通う桜ヶ丘中学校は、名前の通り、坂の上に広がる桜並木が自慢だった。
春の風が吹くたびに、花びらが制服のスカートに舞い落ちて、香織はそれを指先で追いかける。
「ほら、これ。葵の肩にもついてる」
「え、ほんと?」
葵は恥ずかしそうに笑い、香織の手元を見つめた。
昔から、こういう瞬間が好きだった。
どんなに忙しい日でも、香織と一緒にいる時間は、いつも穏やかで楽しい。
だけど――少しずつ、何かが変わり始めていた。
六月のある日。
部活のことで、ふたりの時間がずれ始めた。
香織は吹奏楽部のトランペット担当。
放課後の練習はいつも遅くまで続いた。
一方、葵は美術部。静かな教室で一人、筆を動かす時間が好きだった。
「最近、全然一緒に帰れないね」
葵がそうつぶやいたのは、帰りのホームルームが終わったあとだった。
香織は、リードを調整しながら答える。
「ごめんね、今コンクール前でさ。ほんとに時間なくて」
「……ううん、わかってる。香織、頑張ってるもんね」
言葉ではそう言ったけれど、葵の胸の奥には、言いようのない寂しさが広がっていた。
放課後、窓の外に見えるグラウンドの夕焼けが、やけに遠く感じる。
あの頃のように、笑いながら帰り道を歩くことも、最近はもうない。夏休み前の日曜日。
二人で行くはずだった花火大会。
香織は、部活の合宿で行けなくなった。
「ごめんね葵、また来年一緒に行こう!」
そう言われたけれど、葵の胸の中で何かが音を立てて崩れた。
その翌週。
廊下でばったり会ったとき、葵は思わず言葉をぶつけてしまった。
「香織って、最近部活のことばっかりだね」
「……え?」
「私といるより、部活の子たちといるほうが楽しいんでしょ」
香織の目が、少しだけ悲しそうに揺れた。
「そんなことないよ。ただ、今は頑張りたいの」
「……頑張りたいって、私と一緒にいる時間は無駄なの?」
その瞬間、二人の間に沈黙が落ちた。
蝉の声だけが響く。
「……ごめん」
香織はそれだけ言って、走り去っていった。
葵は、自分の言葉の重さに気づいたのは、その背中が見えなくなってからだった。
夏が終わり、秋の風が吹き始める。
香織はコンクールで金賞を取った。
校内放送で結果が流れた瞬間、拍手が沸き起こった。
けれど、葵はその拍手の音を、どこか遠くの出来事のように感じていた。
「葵ちゃん、最近香織ちゃんと話してないの?」
同じ美術部の子にそう聞かれ、曖昧に笑うしかなかった。
帰り道、空が高い。
風が少し冷たくなって、夏とは違う匂いがした。
“ほんとは、あの時ごめんって言いたかった。”
でも、どう言えばいいのかわからないまま、日々だけが過ぎていく。
一方の香織も、何度もスマホを開いては閉じていた。
メッセージアプリの画面には「葵」の名前。
入力欄に浮かんでは消える文字。
「今、話せるかな」
その勇気が、どうしても出なかった。冬が終わり、また春が来た。
中学二年の終わり、桜並木が再び淡い色で街を染めた頃。
放課後、香織はひとり坂道を歩いていた。
吹奏楽部の引退が近い。
あの公園を、久しぶりに通ってみようと思った。
そこに、誰かが先にいた。
ベンチに座って、スケッチブックを広げている葵。
視線の先には、咲き始めた桜の枝。
香織は、少し迷ったあと、静かに近づいた。
「……葵」
名前を呼ぶ声は、春風に溶けるように柔らかかった。
葵が顔を上げた。
一瞬、驚いたように目を見開いたけれど、すぐに微笑んだ。
「香織……久しぶりだね」
「うん。……その絵、桜?」
「うん。去年は一緒に見られなかったから、今年は描こうと思って」
香織は隣に座った。
沈黙が続く。
でも、その沈黙はもう痛くなかった。
「ねえ、あの時……ごめんね」
「ううん、私のほうこそ。言いすぎた」
風が吹いて、花びらがふたりの肩に舞い落ちる。
香織が手を伸ばし、それをそっと取った。
「……来年も、また一緒に見ようね」
「うん」
――でも、その「うん」は、少しだけ震えていた。
新しいクラスでは別々になる。
進路も、部活も、きっと違う道を歩くだろう。
それでも、あの春の日の空だけは、きっと二人の記憶に残り続ける。
いつか遠い未来、どこかで思い出す日が来たら――
きっと、今日みたいな風が吹いている。
執筆の狙い
テストが終わったので、書いてみました!
結構ありきたりになっちゃってるかもですけど、読んでくれたら嬉しいです!
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