作家でごはん!鍛練場
しまるこ

図書館に行ったらなかなか可愛い子がいた

ずーっと、ずーっと、考えている。出会ったときのあの閃光が今もまだきらめき続けているのだ。

まーた、『光』かよ。お前、女見るたびにいつも言ってんじゃねーか、と思うかもしれないけど……。

まぁ、女性などというものは、みんな光を携えているものでね。もともと光量でいえば男より多い。たいていどの女性も光っているものだが……

あの光り方はおかしい……。

なんで、あんなに光っていたのだろう……。

考えるのはそればかりである。あれから三日ほど経つが、仕事をしようにも、執筆をしようにも、何をしていても、彼女のことばかり考えてしまう。イチローが、「朝起きて、その人のことを考えていたら好きということじゃないか」と名言を残していたけれども、野球選手でありながらこのような名言を残すところに、イチローのイチローたる所以があるだろう。

じつは、あれから続きがあった。

図書館の自習室にて、彼女のとなりに座っていたわけだが……。あのあと、そろそろ帰るかと思って立ち上がったところ、なんと、声をかけられた(!)彼女がヒョイっと顔を乗り出してきて、俺に何かを話しかけてきた。その乗り出し方というのが、ヒョイっていう擬音が聞こえてきそうで、他のどんな女性のそれと違っていた。ほとんど頭と机がくっついていた。俺はノイズキャンセリングヘッドホンなどという洒落たものを身につけていたせいか、彼女が何を口にしているのかわからなかった。彼女のジェスチャーを鑑みるに、どうやら俺は立ち上がったときにポケットから100円玉を落としてしまったらしい! 俺が気づいたことがわかると、彼女はニコッと笑った。

その笑顔が咲くようだった。笑顔も他のどんな女性と違っていた。まるで天井が見えなかった。無窮ともいえるような広がりをみせ、"笑い切る”といったらいいだろうか。笑顔が端々まで澄み渡っている気がした。この、”笑い切る”ということができる人間は少ない。ゲーテとドストエフスキーが言っていたが、「その人の知的レベルを推し量ろうとするなら、その人の笑った顔を見さえすればいい」とある。また、「もしその人の笑顔が気持ちのいいものだったら、いい人間だと思って差し支えない」ともある。

この図書館は、入り口に100円玉を入れて使えるコインロッカーがあるのだが、俺はその日、たまたま、そこに荷物を入れようと考えていて、ポケットに100円玉を忍ばせていた。が、ノイズキャンセリングヘッドホンなんて洒落たものを身につけていたせいで、落ちた音に気づかなかった。まったくこんな人騒がせな人間は、耳を切り落とすか、走ってくる車の音にも気づかずに死んでしまえばいい。

歯の矯正をしていて、ワイヤーとブラケットがはっきり見えたが、それがまったく損になっていなかった。じつはなんと、絶賛ぽくちんも現在歯の矯正中(!)で、同じ矯正同士だと思った。彼女の方からしてみても、なんでこの人いい歳して矯正してるんだろう? と思ったに違いないだろう。じっさいそんな顔をしていた。というのも、ぽくちんの方でも、笑顔のお返しというか、その笑顔に触れて、ニコォ……というような、薄気味悪い、女子高生ハンターのような、図書館の女子高生を喰らう大ゲテモノ喰らいみたいな笑顔を返してしまったので、そのときに矯正装置が明るみになってしまったのである。

しかし、ふつう落とし物を伝えるだけでこんなに笑うだろうか? 笑い切るというか、自身の容器いっぱいに笑う。細胞が隅々まで総動員されているようで、またいつもこうした笑い方をしていることが察せられた。最初、目が合った時、目が小さい女かと思っていたら、笑ったときはとても大きかった。笑うと顔が別人のようになる人間はいるけれども、これほど変わる人間を初めてみた。目は大きく、とくに黒目が大きく、クリクリしていて、小動物みたいだった。しかし同時に知性的なものを感じられた。動物的といっても犬や猫ではなく、しいていえばリスかもしれない。動作がゆっくりしていそうだから、スローロリスか。しかし、動物というより花に似ている。まるで咲くようだった。

いちばん初めに見せた、あのダウナー気質のものはなんだったのだろう? しかし、このダウナー気質にある女性にしか、最高の笑顔はあらわれないのかもしれない。光と闇は表裏一体だから、もっとも深い闇があるところにしか、また最高の光も射さないのかもしれない。

ダウナー気質の顔、ズン……ときた衝撃、光、頭を乗り出してきたこと、咲くような笑顔、それらが混然一体となって胸に迫ってきて、手に負えなくなっていた。どれか、たった一つだけでも大問題だというのに、それが4つも、5つも、マクドナルドのハッピーセットみたいについてきて、どうしようもなくなってしまっていた。

どこか、神に似ていると思った。あの顔はどこかクリシュナ神に似ている気がする。どうしていつも、シヴァ神といい、クリシュナ神といい、アーナンダイー・マー、アンマ、インドの神、聖女といった人たちの顔は、同時に悪魔的な顔をしているだろうということだ。ヨガナンダ先生などの写真を見ると、とても怖い顔をしているときがある。子供が見たら泣き出すレベルだ。こうした人たちは普通の人よりずっと悪人顔に見えるときがある。マザーテレサも写真によっては悪魔的な顔をしているものだ。笑った顔などはほとんど狂気に近い。ガンジーもそう。それはちょうど一枚板のように、善と悪が表裏一体になっているためだろうか? 善を深く突き詰めていったものは、同時に悪も同じくらいに達していく。いかにもお人好しそうな善一枚岩のような顔をしている者は、大した善も持っていないものだし、それほど人間にとって卑怯なこともない。しかし、この手の人(神?)の方が、見たものの印象を離さないものだし、笑顔だけの人では到底かなわない何かがある。おそらく彼女が善一色の人間だったら、俺はここまで入れ込まなかっただろう。神は善に近いところにいるかもしれないが、善ではない。善と悪を超えている。



8/12 火曜日

13時。いつもならカフェに行く時間だったが、俺の身体はいつも右折する信号を通り越して、図書館へ向かっていった。

彼女がいた。最初、まったくどこにいるのかわからなかった。後ろ姿だけ見ると、他の女性たちと見分けがつかず、机の上に置かれた文房具で判断するしかなかった。20cm近くのグレー色のハリネズミのペンケース。あの長い、あの彼女の髪のように嘘のように長いペンケース、おそらく横幅は20cm〜30cm近くある。そのハリネズミのペンケースを机の上に置いて、彼女は勉強していた。おそらく夏休みはこうして毎日勉強しにきているのだろう。殊勝な心がけだ。しかしすでに、相変わらず、こっくりこっくりしていた。時刻は13時をまわったばかり、ちょうど昼食を食べた後で眠たくなっているのだろうか。

この自習室は、右、中央1、中央2、左、の四列に分かれていて、8×8の64席が総数になるが、夏休み中はほとんどの席が埋まっていた。彼女は右前に座っていた。前というほどでもないが、前寄りだ。教室内においてどの位置に座るかで多少なりとも人の性格というものがわかってくるが、彼女はやや前寄りに座ることが多いらしかった(まだ2回しか見たことはないが)。前の席に座りたがるというのは、やはりどこか少し殊勝じみたところがありそうだ。小生は昔から前の席に座りたがる人間とは相容れないことが多いが、それを女性として見たとき、恋愛として見たとき、あんがいここに化学反応があるかもしれないという前触れのようなものを感じ、今回はここに期待することにした。

小生は彼女からふたつ左に離れた席に座った。あいだに男二名の姿があった。この夏休み、学生も社会人もホームレスも集まってくることもあって、彼女からいちばん近い空いている席はそこしかなかったのだ。

◯  ◯  ◯ ◯  ◯ ◯  ◯  ◯  
◯  ホ  ◯ ◯  ◯ ◯  ◯  ◯  
◯  ◯  ◯ ◯  ◯ ◯  ◯  ◯ 
◯  ◯  ◯ 俺  男 男  女  ◯ 
ホ  ◯  ◯ ◯  ◯ ◯  ◯  ◯ 
◯  ◯  ◯ ◯  ◯ ◯  ◯  ◯ 
◯  ◯  ◯ ◯  ホ ◯  ◯  ホ 
◯  ◯  ◯ ◯  ◯ ◯  ◯  ホ 

俺=俺 男=男 女=彼女 ◯=学生・社会人 ホ=ホームレス

↑こんな感じ。

彼女を見るには、あいだにいる男二人を通り越して見なければならなかった。(邪魔だなぁ……)と思いながら、俺は身体を大きくのけぞるようにして、まるで、テニスでいうスライス系カーブのようにグッと身体を大きく捻り曲げながら、彼女の方をチラチラと見るしかなかった。

あらためて彼女を見ると、嘘のように髪が長かった。ふざけているんじゃないかという長さで、何かのアニメのキャラクターを模しているのか、特別な思想を持っているのか、狙わないとけっしてできない、ここまで髪の長い女性を見るのは初めてだった。座っているので定かでないが、座面に達してもまだ続いていた。長いだけでなく、重そうでもある。よく詰まっていて、ウイッグ以上にウイッグに見える。体重のほとんどを髪に占められていそうなくらいで、髪にちょっとだけ彼女がついているといってもよかった。ここまで長いと生活に支障が出るだろう。昔の宮殿の侍女のようにソロソロと床を引きずって歩くようなことになりはしないか。しかしこの長さで生活をしていくことはとても穏やかな性格になるに違いないとも思った。髪が先か、彼女が先か、どちらが先かはわからないが、彼女が彼女であるためにはこの長さが必要になってくるのだろう。

ファッションの方は、今日も興味深い格好をしていた。一週間前、初めて彼女を見たときは、紺の袖口にフリルが付いた可愛らしいドレス状なるものを着ていたが、今日はベージュを基調にした、またもやフリフリしたワンピースみたいなものを着ていた。やはり清楚系ではあるが、同時に遊び心がある。自分を客観視しておもちゃのように扱っている。普通ここは越えなくていいだろうというところをわざわざ越えて、そこを突き抜けながらも我を忘れずにいる。客観的であり器が大きい女の子だと思った。

さて、俺は読書でもしようと思って一冊の本を取り出したのだが、そんなに雑念いっぱいだと本なんてとても読めたものじゃないだろうと思われるかもしれないが、それがところがどっこい大丈夫の助のすけ(!)不思議なことに彼女が近くにいると、なぜか本がスイスイ読めてしまうのだ。

これは一週間前、初めて彼女のとなりで本を読んでいたときにも感じたことだが、俺は確かに、エックハルトトールの『神の叡智の書』というバカ丸出しみたいなタイトルの本を読んでいたのだが、これが難解で読み進めるのにたいへん時間がかかるものだったが、不思議とスイスイ頭に入ってきたのだった。

なぜこんなにスイスイ頭に入ってくるのだろう? ふつう、となりの人間にこっくりこっくりされていると、気が散るというか、イライラしたり、目障りで、それが他者にも感染するため、一般的にやってはいけない行為とされているが、彼女がこっくりこっくりする分には、イラつくどころか、むしろかえって気力が倍加してくるところがあった。もし彼女がグタァーっと敗者のように机に突っ伏していたらこの限りではなかったかもしれないが、彼女はあくまで睡魔と戦っていたし、それ以上に、とにかく姿勢がよかった。教室の誰よりも綺麗な姿勢で座りながら、こっくりこっくりしているという、世にも珍しい、この静岡では富士山とか家康像とかが地域特産品として珍重されているのかしらないが、これこそ日本遺産に認定されるべきだと思った。遺産っていうか、まぁ生きてるけどな。しかし、さらに珍しいことに、一文いちぶんが頭に入ってくることだった。彼女がこっくりこっくりしている横で本を読んでいると、とても難しい文章が一発で頭に入ってくるのだ。こんな読書体験は初めてだった。

俺は通常であれば一週間かけて読むようなそれをたったの2時間で読了してしまった。これを有効に使わない手はないと思った。明日はマクベスを持ってこようと思った。半年前に挫折した本だ。彼女がいればどんな難しい本でも読めてしまう気がした。自宅の積読になっている本をどんどんここに持ってきて読もうと思った。まるで斧を落とすと出てくる女神の湖に、どんどん本を投げ込んでいるようだ。



8/13 水曜日

今日もいるだろうなと思って来てみたら、いなかった。

受験生のくせにどこで油を売ってるんだか。

彼女のいない図書館など、本が置いてない図書館みたいなものだ。

一応来たからには、少しくらいは読書してやろうと思って本を開いてみたが、ぜんぜんダメだった。一向に頭に入ってこない。こりゃあまずいな、彼女ナシじゃもう本を読めない身体になってしまっている。まるでお母さんに絵本を読んでもらう子供だ。

(帰るか)

と思って自習室を後にしようとすると、バベルタワーのように天界エネルギーを受信しているように見える、やたらと姿勢のいい背中があった。もしかしたらと思って、机に置かれてある文房具に目をやると

(ハリネズミの長いペンケース……!)

いったい今日はどうしたことだろう? 背中に『◯◯高校 書道部』と書かれた学校指定の真っ黒のジャージを着ている。

◯◯高校!?

ちょ……、超頭いいじゃねーか……。

俺は思わずあとずさりしてしまった。昔から高学歴をみると無条件に尻尾を巻いて逃げだしたくなるクセがあるのだ。

これは俺なんかが関わっていい学校のレベルじゃない。県内トップオブトップ。毎年東大が十何人も行く、県内でほとんどいちばん頭のいい学校だ。参考書の類からして、東大か京大か、それに次ぐあたりの国立大学を目指しているのではないかと思っていたが、◯◯高だったのか。

しかも書道部。どおりで姿勢がいいわけだ。ペンの持ち方からして違うと思っていた。指ではなく腕を動かして書いていた。おそらく高校から身についた素養ではないだろう、子供時代からの年季を感じさせる。

(へぇ、お嬢様だぁ……)

俺は物珍しい生き物を見るような目で食い入るように眺めた。嘘みたいに長い髪、そのファッション、超名門高校、美人で、華奢で、髪が超綺麗で、典型的なお嬢様がこうして目の前にあらわれていることに驚きを隠せなかった。いつも見ている深夜アニメのお嬢様キャラがそのまま飛び出してきたように見えた。見た目もそう遠いものではない。たんに高学歴の女性なら山ほどいるが、ここまで髪が長く、品行方正で、姿勢が良くて、書道部はいない。

しかしどうして俺は高学歴の女性と縁があるらしい。俺がたいてい深く仲がよくなる女性といえば高学歴が多い。俺の方は低学歴なのに、なぜか長きにわたって関係が続いたり、ある程度深く心を通わせたり、今でもLINEのやりとりをする女性などは全員きまって高学歴なのだ。全員、国立大学を出て公務員などをやっている女性ばかりだ。そんな女性たちと接していると俺まで国立大学を出た気分になってきてしまう。マッチングアプリで出会った女性においても、多少なりとも心が繋がれたのは、全員きまって高学歴だった。

これに関しては、いつも電話で話している親友も同じ疑問を抱いていたらしく、いつか電話で次のように話してくれたことがある。友人が話してくれたこの話は、終生忘れ得ないものとなった。「なぜか、俺、高学歴の女と気が合うんだよね? 昔からずっとそうなんだよね。たぶんお前もそうだと思うんだけど、マッチングアプリなんかでも、なんかいいなぁっていうか、話が合うなぁって感じる女は、たいてい、いつも、高学歴なんだよね? なんでだろうって考えてみたんだけど、いや、俺は、しってのとおり低学歴なんだけどね? 自分のことはおいといて言わせてもらうんだけど、俺もお前も、なかなかいい縁に恵まれなかったり、運命の相手を探す上で、何かしら手掛かりみたいなものがあったらいいと思ってると思うんだけど、たぶん、俺、それが学歴じゃないかって思うのね? いや、いろいろね、いろいろあると思うんだけど、やっぱり高学歴の女って、俺たちに近い気配を持っていることが多いのよ。いや、俺はしってのとおり、低学歴なんだけど、自分のことはおいといてね? 自分のことはおいといて言わせてもらうんだけど、俺らのような人種は、高学歴の女の方が相性がいいような気がする。だって、ほら、男って、とにかくいろいろな要素があるじゃん? 遺伝子的に、やっぱり、女より、DNA? 染色体コードが複雑で、プロ野球選手だったり、ピアニストだったり、男にはいろんな才能があって、どうやってその力が外にあらわれていくかは、多種多様で、いろんなパターンがあると思うんだけど、女の方でいえば、それが学歴にあらわれると思うんだよ。プロ野球選手がよく女性アナと結婚してるけど、ああやって、男はスポーツとかお笑い芸人とかになって女子アナとかと結婚するけど、女子アナはさぁ、その知的レベルからいって、プロ野球選手相手でいいのかなって思っちゃうじゃんこっちとしては。だいぶ、頭の差がありそうだけどって……。でも、意外とすんなりと結婚しちゃう。まるで自分の知力とその野球選手の体力を等価交換しているような。でも、その逆ってあんまりないでしょ? 逆ってのは、つまり、男の女子アナみたいなのが女のプロ野球選手やアスリートと結婚すること。だって、こっちからしたら、卓球の愛ちゃんだと厳しいでしょ? でも、女の方からすると、高学歴の女タレントや女子アナはプロ野球選手や芸人の男と結婚できちゃう。それは遺伝子的にそうなっている気がするのね? 男のムチャクチャな部分、染色体コード的にムチャクチャな性を、染色体コード的にちゃんとしている方の性が補佐するというか、つまりメチャクチャな経営をしている社長を、優秀な社長秘書が支えるっていうか、染色体コードからいって、男女間の関係はこの関係が正しい気がするのね? 生物学的に。女は男より染色体コードが単純だから、もともと持っている能力が、勉強という普通に生活している上で普通に入ってくるものに対応しやすいっていうか、勉強にだけ反映されやすくて、男はもっと幅広になる。だから、片方はプロ野球選手、片方は女子アナっていう、学力でいえば天地の差があるんだけど、もともと根底では同じくらいの力を持っていたわけで、その力が違ったかたちであらわれているだけで、もともとの能力値でいえばそんなに差はなかったかもしれないっていう話で、まぁ、もともと何にも持ってないヤツは何にもないんだろうけどね。ある程度、人間として才能がある男女に限った話ね? マッチングアプリで高学歴の女と会ってると、それをヒシヒシと感じるんだよ。まぁ、恥ずかしいから、誰にも言わないでよ? この話は」

「わかった」と俺は言ったが、ここに思い切り書いてしまった。

「それをぜひ高学歴の女性の前で言ってもらいたいよ」と、そのとき俺は言って、電話を切った。

高学歴か。

まぁ、申し分ないな。〇〇高校なら。(何が申し分ないんだか)

なまじ友達からこんな話を聞いてしまった後だから、自分の中では高学歴との折り合いはついてしまっているものの、はたして高学歴からしてみたらどうだろう? 出前館ヒキニートというのは。

彼女といえば、いつも居眠りばかりこいているし、いつも度が過ぎたオシャレなファッションをしてくるわで、少し舐めてしまっていたところがあるが、聞きました? 奥さん、◯◯高校ですって!

奥さん「……」

俺は彼女のジャージ姿を見ながら、読書を進めた。やはり内容がスイスイ頭に入ってくる。これで3回中3回。100%の確率で起こるのだろう。

ちなみに今日の席。

◯  ◯  ◯ ◯  ◯ ◯  ◯  ◯  
◯  ◯  ◯ ◯  ◯ ◯  ◯  ◯  
◯  ◯  ◯ ◯  ◯ ◯  ◯  ホ 
女  ◯  ◯ ◯  ◯ ◯  ◯  ◯ 
◯  ◯  ◯ ◯  ◯ ホ  ◯  ◯ 
◯  ◯  ◯ ◯  ◯ ◯  ◯  ◯ 
◯  ◯  ◯ ◯  ◯ ◯  ◯  ホ 
◯  ◯  ◯ 俺  ◯ ◯  ◯  ホ 

こうした、3、4列後方の離れた場所においても効果を実感できる。となりにいる時の方が効果は絶大だが。

しかし、ここで問題がひとつ立ちはだかった。例のごとく俺は2時間ほど読書に集中していたのだが、だんだん座っていられなくなってしまった。俺はふだんスタンディングデスクなどという洒落たものを使って立ち読書をしているので、自習室の貧乏くさい安物の椅子ではすぐにケツが悲鳴をあげてしまうのだ。年若い子供たちが涙ぐましい努力を重ねているというのになんとも情けない話だ。また、彼女にしてみても、なんと、彼女は、この2時間、まったく姿勢が崩れないでいた(!)女性はみんな誰もが少なからず姿勢に気をつけているとは思うが、ここまで保持できるというのは珍しい。身体は華奢だから体幹は強そうには見えないが、それでも2時間保っていられるのはインナーマッスルが優れているためか、強張って屹立しているというより、もっと柔らかく、やはり咲いているようだった。

俺はふと、このとき、彼女を見るのはこれで最後にしようと思った。

彼女を見ているのは楽しいけど、同時に切なくなってくる。だんだんと見ている楽しさより苦しさの方が上回るようになってきた。俺は本気で家の積読になっている本をここに持ってきて読破してやるつもりでいたが、それも早々とやめることにした。もう一生あれらの本が紐解かれることはないだろう。

とにかく、立ちたい。立てるという喜び。俺はクララのようにただ立つことを求めた。

そうだ、本館の書架台を立ち机代わりにしようと思った。そう思いつくや否や、俺は荷物をまとめ出した。

俺は教室を出る前に、彼女の背中を一瞥した。

(これで見納めだ)

ありがとう。今日で終わりにするよ。さようなら。受験、がんばってな。受かるといいな。たぶん、受かるよ。だって、君に不合格は似合わないもの。

俺は彼女の背中にそう言い残すと、教室を後にした。

と、その前にトイレに行こうと思って、荷物はまだ席に置いておいて、トイレに向かった。トイレから戻ってくると、俺は自分の席より先に彼女の席を確認した。すると彼女の姿がなかった。

(いない?)

(あれ?)

(帰った?)

時計を見ると、15時40分。こんな時間に帰るのか? 受験生が? 

寝るし帰るしでしょうがねーな。これ受かんねーんじゃねーか? 不合格は似合わないって言ったけど、これやべーんじゃねーか?

もしかしたら、このあと塾でもあるのかなと思った。俺は自分の席のほうへ目をやると、(あれ? このリュックは……。ぬいぐるみが5匹、サイドポケットにエイトフォーが差し込まれてある)、席のとなりに見慣れたリュックが置いてあった。初めに目に入ったのはリュックだ。俺は視線をリュックの上方へ移していくと、とても姿勢のいい、見慣れた姿があった。今、トイレに行って戻ってきたこの30秒足らずのあいだで移動してきたというのか? 



移動してきた?

いったいなぜ?

移動してきている?

この短い時間に? なぜ?

動作が遅そうな彼女にしては、とても素早い動きだ。

ふつう自習室なんてものは、その日自分が使用する席を一度決めたら変更しないものだ。俺はすぐにハッと気づいて視線を天井に向けた。空調の風が直下であたるためだと思ったからだ。が、彼女がいた席の天井をチェックしてみても空調機は見当たらなかった。じゃあなんで移動してきたんだろう? 移動後の彼女の右となりには、彼女と同じくらいの年の女の子が座っていた。もしかしたら友達かもしれないと思った。ああ、友達のために移動してきたのか。

◯  ◯  ◯ ◯  ◯ ◯  ◯  ◯  
◯  ◯  ◯ ◯  ◯ ◯  ◯  ◯  
◯  ◯  ◯ ◯  ◯ ◯  ◯  ホ 
◯  ◯  ◯ ◯  ◯ ◯  ◯  ◯ 
◯  ◯  ◯ ◯  ◯ ホ  ◯  ◯ 
◯  ◯  ◯ ◯  ◯ ◯  ◯  ◯ 
◯  ◯  ◯ ◯  ◯ ◯  ◯  ホ 
◯  ◯  ◯ 俺  女 友  ◯  ホ 

とにかく俺は着席することにした。何が立ち読書だ。立って読書するとか二宮金次郎じゃあるまいし、罰ゲームかよと思った。

俺はカバンの中の荷物をまた丁寧に一つひとつ取り出していった。荷物たちが(え?)というような顔をしていた。出したりしまわれたりするばかりで、ぜんぜん使われないんですけど……。

着席して5秒ほど経つと、チラッと彼女がこちらを見てきた。やっぱりそのチラッっていう擬音がはっきり聞こえてくるようだった。どうして彼女の動きには一つひとつ擬音が伴うのだろう? 高校生だからか? それとも彼女だから? 俺は意識を彼女の方へ炭治郎のように全集中していたから、彼女がこちらを見てきたことがはっきりとわかった。

これは……、もしかして……、うーん、ん? んー?

いや、まさか、そんなことは……

だって、◯◯高校のお嬢様だぞ?

そんなことがあるか?

こんなに可愛くて、美人で、書道部で、オシャレなファッションしているのに、

◯◯高校のお嬢様だぞ!?

いや、

うーん?

もしかしたらと俺は思った。あのとき、あの、初めて目があった日、あのとき、お互いの目の奥と奥とで目があった気がした。あれだけ、俺の方でズン……ときたのだ。彼女の方で何も起こらなかったとは少し考えづらいところがある。いや、でも……、どうだろう? 確かに、時間にすれば、一瞬にして永遠のような、永遠にして一瞬のような、通常の時間の流れではなかった気がする。3秒か、4秒か、通常でははかれない時間の中で、長く見つめ合っていたような気がする。あの時間は、あの光は……、少しだけ信じていいものだったような気がする。その時間が、光が、彼女の方にもおとずれていた……?

うーん? とにかく俺は座って考えることにした。誰だ? 立つとかいったバカは? そんなやつは自習室から追い出してしまえ! そして二度と出入り禁止にしろ!

俺は彼女のとなりに座っている子が彼女の友達なんじゃないかという濃そうな線を追ってみた。しかしすぐにその線は薄いことに気づいた。『女同士は生まれつき敵同士』とはよく言ったものだ(これはショーペンハウエルが言っていた)。こうして女二人が並んで座っていると、それが高校生であれ、子供であれ、並々ならぬ、刺すような、殺伐としたオーラでぶつかり合っている。これが友達同士ということはないだろう。これが友達同士だったらとっくに互いが生傷が絶えなくなっている。女は自分と同じくらいの年の女が近くにいると、どちらの方が上かどうか比べずにはいられない生き物であり、確かに女同士はすぐに仲良くなるが、同じ組織の同じ利害関係が一致した場合に限られる。わざわざ誰が好きこのんで、こんな図書館の自習室というホームレスの巣窟になっている自分の人生航路になんら関係ない境遇で出会う同性に敵だという態度を隠さない女がいるだろう? しかし、◯◯高校のお嬢様ですら、彼女ですらこうなのかと俺も多少なりとも驚かされた。

やはり隣にいられるのと後ろから眺めるとでは違う。内側から信じられないパワーフォースのようなものが湧き上がってきて、俺はなんでもできるような気になってきた。お嬢様ってアゲマンなのかなと思った。性器とは関係ないところでピンピン動いているように見えるのに、お嬢様にして唯一にして絶対の条件だと思った。俺はカバンから『オイディプス王』を取り出すと、日光を浴びて生長するひまわりのようにグングン読み進めていった。

彼女の方は、2分も経たないうちにこっくりこっくりするようになった。今移動してきたばかりだというのにどういうわけだろう? 立ち上がって、歩いて、座って、少なからず身体活動があったはずなのに。

本当に、いつも寝ているような気がするけど、これでどうやって◯◯高校に受かったんだろう? いや、もしかしたら昨晩も遅くまで勉強していたのかもしれない。それで疲れて寝てしまうのかもしれない。ふつう、こんなにこっくりこっくり隣の人間に寝られると、読書に集中できなくなるものだが、ただ幸せな気持ちがあるばかりだ。俺はきっかり2時間でオイディプス王を読み終えると、ちょうど、そのとき、出前館のオファーが鳴った。

(出前館のバカが)

(殺すぞ)

アプリの通知をみると、509mの配達で1796円の案件だった。これはめちゃくちゃおいしい案件だ。俺はお嬢様の前で下品な舌なめずりをした。今日はオイディプス王を読み終えるという目的も果たせたし、予備の本も持ってきていないからちょうどいい、一本配達して帰るかと思った。俺は椅子に腰掛けたまま背を伸ばし、横目でチラッと彼女を見た、すると彼女は熱心に赤色のチェックシートを問題集の上に滑らせていた。いざ勉強にとりかかると、この実習室内において誰よりも鬼人のような集中力を見せる。どうも最近の自習室は混んでいて、初日のように隣り合わせになることができない。今日はたまたま彼女が引っ越してきてくれた(?)からいいけど、次はわからない。俺は彼女の長い後ろ髪にひかれるように、自習室を後にした。

配達先は地図アプリを見なくても遂行できる場所だった。庭で狂った犬が吠えていて、窓際で4、5人の子供たちがガラス戸をガンガン叩いている、いつも注文してくる金持ちの家だ。ほぼ毎晩、ケンタッキーのチキンバスケットを夕飯時になると注文してくる。これを地図を見なければ配達できないようだったらフードデリバリーの仕事などやめてしまった方がいいが、毎回、毎回、地図を見ないと配達できない配達員がいる、それがこの仕事のいちばん恐ろしいところだ。



もう一件、1.1kmの917円のコースが鳴ったので、その配達にも向かってしまった。先の配達と合わせて、40分で2800円。上々だ。

時刻は16時30分。

(まだいるかな?)

いたとして、どうするんだ? もうオイディプス王も読んだじゃねーか、行ったって、読む本がない!

自習室に戻ると、よかった! 彼女がいた! 先まで座っていた俺の席も空いていた。俺は席まで行くと、机の上にボディバックをポンとおいた。すると彼女はチラッと机の上に置かれた俺のボディバッグを見て(またそれもチラッていう擬音が聞こえてきそうだった)、とつぜんガタッと椅子を激しく動かした。それから返す刀でバッと野生動物が振り返るような速度で素早く俺の顔を見上げてきた。こんな素早い動きができたのかと俺は心の中で思いながら、その動きを下を向いたまま確認していた。俺は教室に入る前から視線を下に向けたままでいようと謎の覚悟を決めていたので、彼女と目が合うことはなかった。それをやらなかったら目が合っていただろう。

先の、隣に引っ越してきた時に見せたチラッとは違い、今回はあまりにもびっくりしてしまって勢い余ってしまった感じだ。彼女は座ったまま椅子を直すと、またコツコツとペンを動かし始めた。

うーん?

これは。

いや、

でも、

うーん?

いや

うーん

このボディバッグの持ち物が誰かわかっている? バッグを見るなり、椅子をガタッと動かして、すごい驚いた反応を見せた。そして、その持ち主を確認するように見てきた。

うーん?

凛としていて何にも動じないように見えるけど、こんな反応を示すのか。もしそうだとして、この辺は高校生か、まだ自分に嘘をつくのが下手だなと思った。もしそうだとして、この反応は信じてもいい反応かなと思った。もしそうだとして、席を移動してきたことといい、椅子をガタッと動かしたことといい、この二つの物的証拠が揃うと、どこの特務捜査室でも満場一致で黒というだろうと思った。

もしそうだとして、俺はこの反応を目にしなかったら、次の行動に移らなかっただろう。しょせん恋愛なんてものは女が指し示してくれる轍の上を歩いていくことでしか進んではいけないものである。



3


(となりに移動してきた?)

(椅子がガタって動くくらいキョドッてたよなぁ?)

朝、起きて、また考えていた。イチローの名言のせいで、朝、彼女のことを考えていると、同時にイチローの姿も浮かんできてしまう。それが悩みだった。

寝ても覚めても彼女とイチローのことばかりだった。仕事も趣味もまったく手につかず、出前館をやっていても商品を家に持って帰って食べてしまいそうになったり、アニメを見ていても気づけばエンディングロールが流れている。

もう一回、確かめたい。彼女が俺に気があるのかどうか。そのためにもう一つだけ具体的な証拠がほしい。もう一度、自習室に行って、もう一度、彼女が俺のとなりに移動してきたら、それは100%だ。

そういえばと思った。俺は起き畳から身体を起こすと、そばに転がっていたMacBook Pro16インチを手元に引き寄せ、Braveの検索欄に『◯◯高校 書道部』と打ち込んだ。すると、彼女の画像が出てきた。

(すげー、出てくるんだ)

まるでプライバシーも何もあったもんじゃない。もう地球上の全ての人間がネットの中に住んでいるといっていいだろう。

俺は挙げられている学校写真を次々と見ていった。

まるで◯◯高校は、地上のアストラル界のようだった。学生たちは全員、天使のような見た目をしていた。サットヴァ、純粋性の塊、男も、女も、妖精みたいだった。たしかに牛乳瓶の底のようなメガネをしている者もいる、垢抜けない、冴えない風体の生徒も散見されるが、街を歩いていて誰もが振り返る美女がひとクラスに一人以上はいる(これはあえてバラけさしているのか?)派手すぎず、地味すぎず、ちょうどいい塩梅かつ知性的でアンニュイな雰囲気をならしめている男女、勉強の虫のような顔をした色気が絶望的な生徒、奇形のかたちの生徒、ごくごく普通の生徒、もうすでにこの頃から立派に主婦としてやっていけるだろうというお墨付きの女の子たちが、ごった返した芋のように何でも混ざっていた。

(これは平均的な学力の高校と比べて種類がバラけているような気がする)

とくに女の子は、今からいい奥さんになりそうな顔をしていた。もうすでに達観した、男を立てることを今から覚えていそうな、けっして男子を苗字で呼び捨てで呼んだりせず、かならず"君"をつける。男は男で、ワイシャツをきっちりズボンの中に入れて、ベルトのラインが引き立ち、今からいいサラリーマン風を呈していた。

こうして画像を見ていくと、彼らから匂い立ってくるこの安心感みたいなものはなんだろう? と気になった。すべての生徒がホッと胸を撫で下ろしたような、長年の煩わしさから解放されたという、定年退職を迎えたサラリーマンのような顔をしている。おそらくこれは、バカといっしょに過ごす時間からやっと解放された♪ ここまでくればもう大丈夫♪ 中学まではバカといっしょに学校生活を送らなければならなかったが、ここまできてしまえばもう大丈夫♪ あとは、大学、会社、人生の最後までバカと接点をもたずにすむ♪ という安心感からきているようだった。

やはり、トップオブトップ高校。格式高い空気は健在だ。中学時代の成績の1、2位だけが集められてきているのだから当然か。差別やいじめがまったくなさそうだった。戦争のない国、未来のあるべき世界の理想形はここにあらわれている。すべての学生が不可侵講和条約を結んでいそうで、互いのプライベートゾーンを尊重し、必要以上にパーソナルスペースに踏み込むことなく、いい距離感で保たれていそうだった。しかし、日常で困ったことがあったらなんでも助け合う。意見の食い違いがあっても、頭ごなしに否定することなく、相手の立場になって考えてちゃんと話し合って解決する。大人たちが人生の終局になってたどり着く境地を、若干15歳にして達しているようだった。

(すごい……。アストラル界をそのまま体現したような場所がこの地上にあるのか)

俺はおそるおそるした手つきでトラックパッドをスクロールしていった。

(まるで、Googleやアップルの社風みたいだな)

こういった学校ほど同窓会もよく行われるものである。バカな学校ほど同窓会をやらない。何が楽しくてバカがもう一度集まらなくてはいけないのか。もう全員忘れたい過去だ。同窓会とは仲がいいから行われるのではなく、たんに学力に比例して行われるのだ。医者は医者のパーティ、弁護士は弁護士のパーティがお盛んのように、こうした催し物は学歴にしたがって開催される。人々が恋愛できなかったり、出会いがなかったりするのは、たんに社会的な後ろ盾のなさからくるものであり、それは人間が社会的な生き物、というより、恋愛自体が社会的なもの、というより、社会そのものを指すからである。

教師たちも、他の学校のそれとは大きく違っていた。あなたたちが悪いことをしないことはわかっている。と信じきっている様子で、まるで大人対大人というような、一個の自分と同等の生き物として尊敬の念をもって生徒と関わっていそうだった。他の学校と比べても、教師と生徒間の仲が良さそうだった。GTOのように、壁をハンマーで破壊したり、屋上からバイクで飛び降りたりと、そんな派手なことをしなくとも、生徒と良好な関係は築けるらしい。金髪だとか、ピアスとか、自由な服装も許されているようで、そうした見た目をしている生徒も複数あったが、それについて取り締まることもなさそうだった。そう、規則はバカのためにあるものだ。あなたたちは大丈夫。とお墨付きをもらっているようで、もう朝礼もナシにしちゃう? というような軽いノリも健在そうだった。いや朝礼はやるべきでしょう! とバカな高校が口を出してきたとしても、規則と風紀のなれの果てのためにその学校がひどい有様であることが余計にあからさまになるだけだったろう。

こうして、39歳になって思うことは、やはり人間、このような学校で育つ方がいいということだ。それは霊性の師たちもかねがね同意するところでもある。俺は、学生時代当時は、このような高校で学校生活を送ることをとくに羨ましいとは思わなかったが、今ではこのような高校に通うことこそ、学童時代における正しいあり方だと心から思う。というのも、アストラル界に似ているからだ。霊的修養の場として適当で、サットヴァの静かで柔和な空気に満ちており、学校全体に瞑想的な響きがこだましている。

俺は、やっと39歳にして、たゆまぬ霊性修行の結果、学力ではとてもおぼつかないが、内面だけは彼らと同じくらいには遅れを取り戻すことができたから、そのため図書館の彼女は俺を仲間だと認めてくれてとなりの席に移動してきてくれた気がする。

(まるで、アストラル界からの使者だな)

(もう同窓会も参加しちまうか?)

今ならこのような学校の良さがわかる。今世ではもうこのような学校に通うことはかなわないが、来世では中学時代に精一杯勉強して、かならずこのような高校に入学したいと思う。それにしても、この学校の生徒は、生まれてわずか14、5年で、今の俺と同じくらいの精神レベルにいると思うとすごいことだ。

まるで計算されたように、ひとクラスにかならず一人だけ可愛い子が配置されていることが気になった(そういえば、この学校に限らず、これまですべての学校で、学年の美女がひとつのクラスに集中されたケースが見られたことがないのはなぜだろう?)美人の様相もまた、ほかの中程度の学校の美人とは異なる。自身の中から動物めいたものを払拭させ、あくまで人であろうとする。誰かがゲロを吐いたりしたら、すかさず介護をし、ハンカチを汚物にあてることを厭わず、修道女と似た空気がある。あまり動物的な、肉欲じみた性質を持つ女はない。知性がそれを追い払ってしまうのだろう。自身の中にあるものを外に表現する手段として適当だとも思わないのだろう。また、ずいぶん日焼けしている者が多かった。よく外に出て活動しているのか、いわゆる一般的な学力の女子生徒に比べて、異様に日に焼けた子が多い。化粧っ気もほとんどなく、およそ流行りのファッションやメイクをしてアバズレのような格好をして生きるのは、ひどく自分を貶めるような気がして、もっと中身の方を見てほしいという証左であろう。もう頭がいいことはバレているし、いまさら天然キャラやアバズレみたいな立ち回りをしたところで効果も期待できない。この頃から、高学歴の頭のいい大人の女性だけに見られる特有の思い詰めたような顔、その兆しのようなものが垣間見えた。人して、女として、なりたいものになるための戦い、その火蓋が切られているような気がした。

それに比べると、男はまだ人間として完成品になるにはまだだいぶ時間がかかりそうであり、まだ、どこを見て生きていったらいいのかよくわからなそうで、次の瞬間には自分が何を言っているかもよくわかってなさそうだった。女子生徒たちは、男のそうした出遅れた部分をよく理解しているようで、親鳥がそのいずれ巣立っていく雛がいつか立派な成長を遂げることを今から楽しみにしているそれのように、他のどんな高校の女子生徒よりも優しい母性に満ちた慈愛の目で彼らを見守っているようだった。

⚫️ニヤニヤについて

とにかく、目だ。目が、ぜんぜん違う。

ひと通り学校写真を見終わると、俺は心おきなく彼女の写真を鑑賞することにした。

この目はなんだろう? どこまでも、沈み込んでいった先の、深く、暗く、吸い込まれていきそうな、黒くて、深い……が、暗くはない、どこか、明るさを底面の部分で担保されている、いったいどうやって生きたら、こんな目になるのだろう。

無、だな。

無。

無なのか、有なのかもわからない。

笑った顔がニヤニヤしている。

いつもニヤニヤしている。

この一件だけでも大したものだなと思った。この世の中、ニヤニヤできる者は少ない。

この、ニヤニヤするということができない人間が多い。人によっては、大きく笑うか、小さく笑うか、クスッと笑うか、犬や猫みたいな顔をしているか、ガハハハハ!と、吹き出すように笑うか、皆さんは世の中にはたくさんの笑い方があるように思われるかもしれないが、事実は大きく分けて二つしかない。ニヤニヤ笑うかそうでないか。

含んだような、薄気味悪い、この地球現象をただゆっくり噛み締めるような、何も起こってないのに、何かが起こっているように、ただ、この地球の機微を静かに味わっている。この幽玄微妙かつ神韻縹渺なる微細な空気を空間から汲み取ることができるだけの感受性を持つ者だけがニヤニヤという笑い方をするのだ。"気づいている"とも言い換えられる。ただ、気づいている、一周も二周もまわって、気づくことに気づくことによって、ふと自然と笑みがこぼれてくる。この地球の機微に気づかないやつは一生気づかないし、人間ともいえないだろう。あるいは、何もない、人間のニュートラルの状態なのかもしれない。ある程度精神的に達観して、そのままただ静かでいると、不思議とニヤニヤしてくるものである。彼女の写真は、ふつうの押し黙っている顔であっても、ニヤニヤしているように見えた。ニヤニヤとは心の所作であり、自分が内側に複雑機微をもっていることのあらわれであり、それがたとえ外に現れていなかったとしても、やはり、あることはあるからである。

さて、彼女の顔だが、こうして見ていっても、いまいち判然としてこない。なんて複雑な顔なんだろう。まるで一筋縄ではいかない顔だ。俺はこんな顔を初めて見た。彼女が映っている写真は4枚見つかったが、はたして、これは彼女だろうか? と非常に判断に悩むほど、一つひとつの顔がぜんぜん違った。書道部の集合写真を見ても、あれ? いない。はじめどこを見渡しても彼女の姿がないように思われた。アップロードされた年月からして彼女が写ってないはずがない、仔細に見ていくと、一人だけ嘘のように髪が長く、毛先が椅子の面につきそうになっている。これは彼女かもしれない、そんなふうにして、消去法で導き出していった。たまに、女の子にはこの手の顔の子がいる。写真によってぜんぜん顔が変わってしまうのだ。狙ってやってるのかどうなのかよくわからないが、たいていそういう人は、内面においても変容に富んでいることが多い。脳や精神の閾値が異様に広がっていて、それがそのまま容姿に現れるのか、写真に切り取られるのか、そのときの心のパターンパターンの有り様が、そのまま現像されるのか、といったら、あれだけれども。逆に、画一的な性格の人間は、それがそのまま写真に現れるものだ。それにしても変わりすぎじゃないかと思った。ここまで変わってしまう女性は初めて見た(しかしその一枚いちまいにも何ともいえない良さがあった)。いったいどれがいちばん彼女らしい顔なんだろう? ふだん彼女と共に生活している仲間からすれば、共通する容貌を思い浮かべるだろうが。

自習室においては、俺はせいぜい後ろから眺めているばかりで、まともに正面から見たこともなければ、横顔すら長い髪に覆われてほとんど見通せたことはない。しょっちゅう彼女のことを思い出してはいるけれど、思い出すことすらうまくできていないのが実情だった。なのに思い出している。だから、やっとどんな顔をしているかわかると喜び勇んでみたら、ますますわからなくなってしまう不思議があった。目は小さかったり、大きかったり、そもそも大きさが写真ごとにぜんぜん違う。静かに沈んでいった先の、黒くて深い波動を放っているのはどれも健在だったが、鼻は低くも高くもない、小ぶりできれいな形をしている。口はのっぺり風の和風、全体的に洋風なのか和風なのかもわからなかった。まぁこんなものは、着てるものによって左右され、最も洋風なものは最も和風になりえるだろうし、その逆もあるだろう。また、全体的に、アップの写真はなくて、顔という顔がわかるような写真もなかった。身体は、中背で細身で、といってもかなり細い、華奢なくらいだ。首の上にどんぐりがのっているかのようなほど顔が小さく、全体的に秋の空気が流れている。書道部の催し物で袴を着たりしている写真も見られたが、一人だけ袴のデザインの選択や着こなし方がまるで違い、見たことのない髪型、見たことのない服装、かといって、奇抜すぎて引くようなものでもなく、お笑い芸人のような女性になって性の魅力をおとしめるようなこともなく、このバランス感覚はニヤニヤしているところと無関係ではないと思った。

一枚、興味深い写真があった。彼女が同じ書道部の友達と書き初めをしている写真だ。この写真の彼女の顔は他のどのそれとも違っていた。最も気を許しているような、ノスタルジックで、甘い、安堵感。すぐに彼女の親友だということがわかった。子リスみたいな少女で、おそらく身長も145cmもなさそうな、そんな物体が小さな手で大きな筆を持っているのが印象的で、とても重そうに見えた。理知的な目、おそらく理系のクラスだろう。茶髪だが、明るすぎない、品がいい程度に抑えられてある。これ以上明るくしてしまうと下品になってしまうというギリギリのラインに抑えられていて、ほんのりとしたいい茶色で、もしかしたら地毛かもしれない。化粧っ気はないが、それがむしろアンニュイな、素朴な素材の良さを引き立てており、やはり類は友を呼ぶのか、この友達も同じような目をしていた。波風ひとつない湖面のような瞳をしており、この目の静けさの程度でふたりが引き合ったことがわかる。静かで、消えりそうで儚い、二人でいても、それほど会話は多くなさそうである。沈黙のうちにゆっくりしながらお弁当を食べたりしていそうだ。この部活動においても、ほとんどいつも二人で一緒に行動していることがこの写真からわかる。もう一枚、二人がたてかけの人間大サイズの半紙に書き初めをしている写真があったが、それが天にも昇るほど美しかった。古事記、般若心経だか、空海やら、お手本なるものを見ながら、二人で一生懸命に書き初めをしていて、太古の先達のお気に入りの書柄があるのだろう、普通の女子高生のそれのように、やれこの親鸞のハネの部分が好きとか、山岡鉄舟のハライが……、えー、わたし、空海の、この「是」の文字が好き〜、とか、大家のクセをひとつひとつ検証考証したりしながら、サットヴァの最大級の時間を過ごしていそうだった。これが妖精たちの戯れというやつか。やっぱり高学歴は趣味も違うな〜と思った。カメラマンもいい角度で撮ったものだが、おそらくこのカメラマンも、他の部員たちに対しては数合わせというか、途中からお情けで撮ったくらいで、途中から彼女たちを撮ることしか念頭になかっただろう。ただ、この友達の方は、ニヤニヤしているということはなかった。どこまでも堅物、一枚岩で、二週、三週にも渡って、広漠たる精神界隈を自由に歩き回るほどの素養は持ち合わせてはいないようだった。無論、そのことを不満に感じる彼女ではないだろうが、この才覚の壁については彼女の方でも自覚的だったと思われる。もっともこの書道部においては、彼女ら2人だけが抜きん出ていた。

⚫️街を歩いている女性を見ても何とも思わなくなってしまった。

それからというもの、俺は街を歩いている女を見ても何とも思わなくなってしまった。

これまで俺といえば、街を歩いている女性を一目見ただけで、雷にうたれたかのように、初めて女性を見た人のように衝撃を受け、立っていられなくなり、再び動き始めるまでしばらく時間がかかるほどだったが、それがまったくなくなってしまった。

どれもこれもニンジンとジャガイモにしか見えない。彼女に比べるとつまらない顔にしか映らない。玄米と白米の違いみたいなものか、一粒で二度おいしいというような複雑妙味を味わってしまったせいか、街で見かけるどんな女性を見ても、全員ブドウ糖のような単一的な味しかしなくなってしまったのである。全部同じトランプの絵柄に見える。彼女だけが一枚ひっくりかえった感じだ。

性欲が根本から引き抜かれてしまったようで、ただ頭の中を涼風が吹き抜けるばかりである。男も女もない、ただ水を打った静けさばかりがある。俺は生まれて初めてまともに地球を歩けている気がした。知性とは無欲とはよくいったものである。いや、無欲イコール知性なのだ。

(そういえば)

と俺は思った。

先の自習室の読書でもそうだった気がする。あれほど注意力散漫だった俺を二宮金次郎のように集中力の鬼にしてくれた。

(ひょっとして、彼女が俺のミューズとなる女性だというのか?)

(そのために、彼女が送られてきた?)

こんな恩寵は見たことも聞いたこともない。

本を読めるようにしてくれたり、女のことばかり考えないようにしてくれたり、俺を良い方向へ、良い方へ、正しい方へと導いてくれる変化ばかりを起こしてくれているような気がする。

女によって、女を打ち消すというのか。


4


8/19 火曜日

(もう一度、席を移動してきてくれたら──)

考えることといえばそれだけだった。

まったくおそろしい話だ。女はちょっと男のとなりに座っただけでこんな出前館ヒキニートに好きになられちゃうのだから、オチオチ男のとなりにも座れない。

図書館に行っても何があるでもない。ただ石の棒のように中に一本線が入ったような思わず手を合わせて祈りたくなるような神々しい像があるだけだ。今日はオレンジ色の薄い素材の英字Tシャツを着ていた。半分透けていて下着のラインが見えていた。室内温度は一定なのに、薄いTシャツを着たり、ジャージを羽織ったり、よくわからない着方をするものだ。下はかなりタイト目の淡い水色のジーパンを履いていて、裾の部分が広角に開かれていて逆エリマキトカゲみたいな形をしていた。ファッションにおいては、女子高生ミスコンの決勝戦に向かうような格好をしてくることもあれば、学校のジャージを着てきたり、ラフだったり、さまざまである。しいていうなら、個人的には、いちばん最初に見た、ツインテールのおさげの紺のフリルのドレスみたいなのがいちばん好きだったかもしれないが、童貞ホイホイの代表格ではあるが、あのやりすぎくらいな清楚が彼女にとてもよく似合っていて、まったく嫌味になっていなかった。どんな格好、どんな髪型でも最大の興味をもって鑑賞できるつもりでいたが、しいていうなら、あまりデコを出しているところは見たいとは思わなかった。いや、見たいかもしれなかった。毎回、違う服装、違う髪型をしてくるので、特定するのにとても時間がかかった。ひょっとしたら、彼女ではない女性を眺めていたこともあるかもしれない。しかし、そんなときでも、俺はその人間を見ながら読書に集中できてしまった。次々と本を読破していった。このことから、事実は彼女の中にパワーフォースの所在はなく、俺の概念の方にあることがわかった。また、このことから、人間の実体なんてものはどうでもいいことなのかもしれない。

毎日行けば、毎日いて、毎日眠っていた。ほとんど彼女はうつらうつら、こっくりこっくり、自習室にいるあいだのほとんどの時間を眠って過ごした。その素晴らしい姿勢を保ったままで。

ほんとうに、いつも、寝ているけど大丈夫か?

おそらく、これは学校でもやっているだろう。

(睡眠学習?)

2時間ぐらいこの調子が続いたときはうしろからひっぱたきたくなった。そうしてやるのが彼女のためだと思ったし、思わず身体が反応してはたいてしまいそうになった(もっとも、2時間、この状態が続くことは異常だと思ったし、2時間それを見続ける方はもっと異常だったかもしれないが)。ヘルメットみたいな黒艶のいい頭を見ていると、パシィンとやってしまいたくなるところもあったかもしれない。

しかし、相変わらず、神々しいパワーフォースのような精彩を放っており、合格祈願をする方の立場であるはずなのに、自身がそれになってしまっている。少なくとも、あのお稲荷像がもう一度俺のとなりに引っ越してくることはあまり考えられそうになかった。

◯  ◯  ◯ ◯  ◯ ◯  ◯  ◯  
◯  ◯  ◯ ◯  ◯ ◯  ◯  ◯  
◯  ◯  ◯ 像  ◯ ◯  ◯  ◯ 
◯  ◯  ◯ ◯  ◯ ◯  ◯  ◯ 
ホ  ◯  ◯ ◯  ◯ ◯  ◯  ◯ 
◯  ◯  ◯ ◯  俺 ◯  ◯  ◯ 
◯  ◯  ◯ ◯  ホ ◯  ◯  ホ 
◯  ◯  ◯ ◯  ◯ ◯  ◯  ホ 

あの日以来、席を移動してくるということはなかった。

彼女が俺のとなりに引っ越してきてくれた日以降、"今日はこちらに移動してくる気配があるか?"を仔細にチェックするため、観察力のほとんどをそれに奪われ、読書のための集中力も残らなくなっていた(2時間もチェックしていれば分かりそうなものだが)せっかく物置のホコリ被った古本を持ってきたというのに(こちらの古い恋人の方がずっと可能性はありそうだが)、これらの本がトイ・ストーリーさながら(やっとご主人様に手に取ってもらえた! が、がんばります……!)というふうに熱っぽい瞳で俺の顔を見てくるのだが、"本>俺>彼女"というふうに、自習室内において奇妙な三角関係を繰り広げるでしかなかった。

だいたい、席を移動してきたらしてきたらで、そのときに対応すれば間に合う話なのだが、移動してくる"気配"があるかどうかを確認するなんてことは犬の糞ほどにもどうでもいいことだ。警察といっしょで事件が起きたあとに対応すればいい。それをわかっていながら、俺は、翌る日も翌る日も、あの美しいお稲荷り像の背中を見ながら時間をドブに捨て続けた。繰り返すが、それが39歳の夏休みの過ごし方だというのだ。

俺が来ていることにすらまだ気づいていない様子だ。もちろん彼女の頭の中に俺という人間が住んでいればの話だが。

うーん、おかしいな……。一度は席を移動してくるくらいのアクションを起こしたんだ。もう一度それをしないまでも、それに準ずるもの、その兆しのようなものが見え隠れしてもよさそうなもんだが……。しかし、毎回、毎回、俺のとなりに移動してくるとか、そんなアバズレみたいなことをあの子がするとも思えない。

こうして遠い瞳でチラチラ見るばかりでことは一向に進まない。もう一度席を移動してきてくれたら、もう一度何かサインらしきものをよこしてきてくれたら、こちらでも動き出せるのに──だって、普通に考えてごらんよ? そっちで、そういった道を用意してくれなきゃ、39歳の男が17歳の女の子に歩を進められるわけないでしょ? 大人の女はこういうところがわかってるから俺が動きやすいように考えてくれるわけ。これだから高校生は。あれだけガタって音を立てて動いたんだ、それが、そのあと、こっちをまったく見てくることもないって考えられる? ……だが、前回のときもそうだったからな……。ああ無理か……とあきらめた瞬間に引っ越してきた例があるから油断ならん。

(これはナシ、かな)

彼女がこちらをぜんぜん振り返ってくれないので寂しくなってきた。

振り返る──か。

何が楽しくて、39歳出前館ヒキニートの顔を見なきゃならないんだか。

相手が自分のことをどう思っているか、そればかりを気にしている。こういう心理状況になっているときはたいてい失敗するものだ。17歳の少女の気持ちがわからなくて、後手、後手にまわり、彼女のまわりを嗅ぎ回っている。俺はこのとき、バルザックの小説『幻滅』にあった文章が思い起こされた。

『ふたりが、感情のかけひきにばかり没頭して、行動しないで、しゃべってばかりいる。攻撃にうつらないで野戦のようなことばかりしている。こうして、しばしば、情熱は自分でいたずらに疲れて、その純真さを失って行く』バルザック. 幻滅(上) (p. 182). (Function). Kindle Edition.

ふたりがってことはないが……。俺が勝手に小石を拾って投げてぶつけているだけだが……。

一体、今日だって、俺は何をやっていただろう? 今日も、きっちり2時間、彼女が寝ている姿を後ろから眺めていただけだ。それが成人男性の時間の過ごした方といえるだろうか? 39歳、出前館ヒキニート、その唯一の仕事である出前館をサボってまで、彼女がまるでフードデリバリーのようにこちらに移動してきてはくれないかと願っている。

これが地獄でなかったらなんだというだろう? はたしていったい誰がこんな男を好きになるというのか? 寝ているとはいえ、俺が来た頃にはとっくに来ていたし、いつも俺の方が彼女の後にやってきて先に帰っていく。はたしてこんな時間の使い方をしている39歳の男に声なんてかけられたいかねぇ?

神を見出そうとする、それだけが人の努力といえるにふさわしい努力だ。受験勉強なんてそれに比べれば稚児の遊戯に等しい。しかし、こうして神を考える39歳の男と、目一杯受験勉強に勤しむ17歳の少女、神はどちらを寵愛するだろう? 俺は神を見出そうと努力している、だから俺の方が偉いはず、だとしたら、なんだろう? この身につまされる敗北感は。俺たちの間にどちらに正義があるかは一目瞭然な気がする。少なくとも、俺は彼女よりがんばっているとは言えそうにない。がんばっているとか、がんばっていないとか、恋愛において、相手よりがんばっていなければダメなのか? だとすれば、俺はどうやってがんばっていることを彼女に示せばいい?

もし俺が神を見出せていたら、こんなことで悩まずには済むのにな、と思った。それだけのことでも神を見出す価値がある。あんなに可愛い17歳の女の子だ。これから志望校の国立大学に受かって、また大学で書道をやるのかしらないが、サークルの勧誘と称して言い寄ってくる、同じく高学歴の書道サークルのヤリチンの先輩たちに、チンコだか筆だかを突っ込まれる青春活動において、俺の存在は邪魔になるんじゃないか? 俺だって字はうまい方だけど、部活動で何年もやってる奴には敵わんさ。そんなに自信がないの?って思うかもしれないけれども、自信ならあるさ。自信ならあるけれども、それが彼女に伝わるとも思えない。今、日本でいちばん面白い文章を書けるのは俺だけど、それが彼女に伝わるとも思えない。それは絶対的なものではなく相対的なものであり、そのために俺の自信も相対的にならざるをえない。39歳、出前館ヒキニート、月収8万円。大学生のアルバイト代みたいな収入だ。そこだけは大学生と同じだ。もし俺が本気で霊性修行に打ち込んでいたら、もうとっくに神を見出していたっていいはずなのだ。アンマだって、「もし本気で修行に打ち込むなら2年も必要はないわね」と言っていた。2年、これも大学受験と同じくらいだ。

「神を見出すのは、40歳手前がいちばんいい」とパパジが言っていたが(ソクラテスも言っていた)、もう、あと一ヶ月で40だ。本当はあと一ヶ月で見出さなければならないというこの時期において、彼女が俺の前に現れたのは、どうも偶然ではないような気がする。

というのも……、じつは、これは内緒にしていたことなのだが……、俺はいつも寝る前や、ふだんの日常のあらゆる折に、「どうか神様、最後に一度だけ、可愛い子と恋愛させてくれませんか?」と、ここ10年くらいずっと祈っていた。ふつう願いというものは、10年祈り続ければ叶うといわれているが、「17〜19歳くらいの可愛い子、そういう子と最後に一度だけ恋愛させてくれませんか?」と、生活の中の少なくない回数を祈っていたから、とうとう神様が叶えてくれたのかと思った。まさか下限の17歳が来るとは思わなかったが。

世間はこういうとき、いい大人が女子高生に声をかけるとか気持ち悪いとか、みっともないとか、同じぐらいの年の女性に相手にされないとか、ロリコンとか、これだから39歳の出前館ヒキニートはとか、いろいろいうが、この手の奴らは全員、自分が街を歩いている気になった女子高生に声をかけられないから、先を越されたことに腹を立てているだけだ。このさい成功も失敗も関係ない。ただ先に声をかけられたことに対してムカついているだけだ。彼らのなかにも本当は女子高生に声をかけなければならないという使命感にも似た気持ちがあり、非難する側と同調することで己の中のくすぶっている火種を完全に消そうとこころみるが、それがなかなか消えてくれず、そのプスプスとあやしく揺めく薄黒い焔がぽくちんに向かってきているだけだ。

(俺は、俺だけは、ぜったいに女子高生に声をかけてやる……!)

俺はお稲荷像にそっと手を合わせた。



まぁ、けっきょく、声をかけずに帰ってきたが。

俺は椅子に座って考え始めた。

俺はやはり、こういった気持ちになったからには、この気持ちに対する責任のようなものがあるような気がするのだ。

誰かを好きになると、たいてい、いつも、こんな感じの思考パターンを繰り返しているような気がする。へんに相手を神性化して、ろくすっぽ相手を見ていない。自分の想像の中で肥大化していく虚像をみて、それに恋している。それはいったい"誰"なのか? そうやって、何度も、何度も、失敗してきたわけだが、はたして、今回は、どう思いますぅ〜皆さん? どうかねぇ。今は、彼女と付き合うか、さもなくば誰とも付き合いたくない、というくらいには気持ちが膨らんできてしまっているが。それだってねぇ、また、数ヶ月も経たないうちに、そんなことあったっけかなぁ? なんてことになるのが関の山で、いつものことってことだが。それをずっと見てきた皆さんからすると、どうせ8話になっても、女の子との会話シーンが一つもないまま進んでいくんだろ? と思うかもしれないけど😂

この状況を用意したのは神だ。

これはぜんぶ神が計画しているんじゃないかと思うところがある。

1 最初に自習室に行った日、となりの席だったこと
2 目があって光を感じたこと
3 コインロッカーを使おうとして、100円玉をポケットに忍ばせたこと
4 ノイズキャンセリングヘッドホンをしていて、100円玉を落とした音に気づかなかったこと
5 彼女が俺のとなりの席に移動してきたこと

この5つの点は、普通に図書館の実習室にふらりとやって帰っていく分には通常起こるとは考えられにくいものである。しかし、これらの1つでも欠けていたら、今回の件は起こらなかった。

まず俺はカフェ派だし、自習室の無菌室のような筆記音がえんえんとこだまする環境が苦手で、一年ぶりにふらっと気まぐれで入ってみたところ、彼女ととなりの席だったこと。このとき彼女ととなりの席ではなかったら、俺は2回目以上は自習室に足を踏み入れていなかったのだ。コインロッカーを利用しようと思ったのも、その日たまたまたくさんの荷物を持っていたためであり、ノイズキャンセリングヘッドホンなんてものも、返品可能だったからどんなものかと試してみようとAmazonで購入し、パッと使ってみて送り返すつもりでいた。

少し、考えてみよう。この考察については、長くなるばかりであまり面白いものにならないかもしれないので、急いでいる人は次の5話に向かってもらって構わない(まぁ、この連作記事に『5話』なんてものがあればの話だが……。またこの記事を読んでいる読者に、『急いでいる人』がいればの話だが……。いったい何を急いでいるのだろう?)

⚫️ 雀一羽落ちるも神の摂理がある

神は、俺にどうしてほしいと思っているだろう? 

皆さんも知っているとおり、たしかに、この地球上の生きとし生けるすべての存在が、神といわれる調律者の指揮棒によって動かされている。この地球が誕生する前から、われわれの存在とわれわれの予定は、彼の計画書に書かれてあった。

この出会いがどんな出会いになるかはまだわからないけれども、神が与えてくれた出会いということは確かである。なぜなら、すべての出会い、すべての人との関わり合いは、すべて、何がしかの意味を持っている。それは、われわれの矮小な知性では知るべくもないが。

ひとたび、その恩寵にかなえば、われわれのなかの発起心が作用するようになっている。今回、俺に限っていえば、今までこれほど光を感じたことはなかったし、これほど心を揺れ動かされたことはなかった。この気持ちも、この気持ちが起こるに至った因子、つまり彼女が俺のとなりの席に引っ越してきたことも、神がそうさせたと俺は考えている。椅子をガタッと動かしたことも。すべての人と行動は神の摂理にある。その発起となるその心の種なるものは神によって植え付けられ神によって開花している。

問題なのは、神は俺に彼女のもとへ行けと言っているのか。これも欲望の一種だから、こんなものにかどわかされていないで、まっすぐに"わたし"のもとへ来いと言っているのか? まっすぐ神のもとに行くのか、それとも彼女を通じて行くのか、ということである。先に話したとおり、霊的通説では、人が神を見出すのは40歳手前がいいとされていることから、あと一ヶ月で40歳になるというこの時期において、俺の人生の前半期における集大成としての試練を設け、これを乗り越えて"わたし"のところに来いと言っているのか?

俺としては、失敗したとしても、そんなに苦しむことはないだろうと考えている。見てのとおり、一目惚れの範囲内に過ぎないし、こんなふうに一目惚れをした結果、見事に花散った経験などは2000回をこえているし。もしかしたら、これを過ぎたら、ほとんど思い出すこともないかもしれない。これが、もし、5年10年付き合った関係でご破談……となると、苦しみは計り知れないものになるかもしれないが、時間がほとんど関係していないために、きっとそんなに苦しむことはないように思う。

人間の幸福は、自身のうちにある神、自身のうちに眠っている本性、バガヴァッド・ギーターは、これを霊感覚といっているけれども、自己の本性に達したものは、自らの霊感覚を楽しむ──とある。

これが人間の幸福の最たるものであり、本当のところでは、これ以外に人間の幸福はないらしい。われわれがいつも追いかけている幸福──、私たちは、たしかに、物質的なもの、精神的なもの、あるいは人であれ、物であれ、外部のものであれ、内部のものであれ、さまざまなものを追い求めるけれども、自分とは誰か? 自分はいったい何者なのか? この"自分"の正体を突き止めようとはしない。しかしそこに私たちが生まれてきた本当の目的、本当に手にしたいと思っているものがある。幸せはそこにしかないというのだ。だから本当のところでいえば、俺は彼女とどうこうなるよりも、この霊感覚を楽しむというゴールを迎え、そこに安住していたい。それが人の幸せである以上、きっとそれに勝る幸せはないだろう。

それ以外の何が手に入ったところで、これを得るために再びこの地上に戻ってこなければならなくなり、また、それ以外のものは大きな満足を与えてくれることもないだろう。じっさい、その証拠に、俺はいろいろなものを手にして、たくさんの満足を感じたことがあったけれども、今はどうだろう? いったい何を手に入れたことによって、何に満足しているというだろう? 過去、どんなものを手に入れたことが今の幸せにどう役立っているだろう? むしろ不足を感じ、彼女というものをほしがっている。彼女を手にしたとしても、また別のものを欲しがるだろう。いつも何らかの感じている不足感、この不足感がわれわれが神を潜在的に欲していることの証左である。

人々は、本当のところでは、この霊感覚、人間の最高の幸せなるものが、そこにあることを実際感覚的にしっている、そのために地球を送られてきたことも潜在的にはわかっている、ただ、知識としてそれを持っていないために、無性に背後からやってくる、ほしい、ほしい、という欠乏感の支配にあってしまうのだ。神を求めるための聖なる意識が人々の中に植え付けられているが、その意識が物質を求める形で顕現してしまっている、それがわれわれの欲望といわれるものの正体だ。

だから、今俺が彼女を追いかけていることも、そのためだと思う。欲──。皆さんは欲だと思うかもしれないが。まぁ、俺も思う。これが欲でなかったらなんだというのだろう? これが執着か愛かといったらいわずもがなだ。だが、この欲というのは、人間の神への帰属本能における推進力がさまざまな物質対象へあらわれているにすぎない。つまり、幸福になりたい──、という、われわれの、われわれのなかに犯しがたいものとして依然としてある、ずっとうずまいているもの、無性に駆り立てられるもの、不足感、それが無軌道に放逸に発揮されている結果が欲であり、真実は神への希求なのである。これはすべては無知から起こっている。

一応は、俺は理論としてこうしたものがあるということだけは知っているから、どうせ今回失敗したところで神がいるから大丈夫というところにやる前からその場所に座っている気でいるが、だからそんなに苦しむことはないだろうと考えている。それだけでも宗教の役割は大きい。

さて、今、俺が考えていることは、マザーテレサが『神はあなたに成功して欲しいとは思っていないのよ、ただ挑戦してほしいと思っているのよ』と言っていたことだ。

挑戦。

やはりそうなのかな? 挑戦。何か、俺が思っているような、俺の欲望をていねいに叶えてくれるような、そんな俺の召使いのような役割を神がしてくれるはずもなく、むしろ俺が召使いとなって彼に従う構図が正しい。俺の欲望や俺の考える筋道とはちがって、俺の出会いや俺のこれからの起こるできことには、俺が神のもとへまっすぐ進むためのヒントが隠されているのではないか。それは俺にはわからないけれども、それはこの件にかぎらなくとも、日常のすべてのできごとはそうなっている。すべて、毎日、毎瞬が、すべての人間が神へたどりつくため、己の完成のための一瞬いっしゅんがその連続なのである。そうやってすべての人間が神に至る。

正直、彼女のことが好きなのかどうかはよくわからない。この気持ちを好きといったら、好きに失礼な気がする。これも、あまり皆さんがご存知あることかどうかはしらないが、"行かない"という選択がとれないためである。俺はこういった状況を人生の節々で何度も体験してきたのだけれども、自分が大して気が進まないこと、やりたくもないことだというのに、不退転を厭う行為をどうしてもとれないときがある。透明な何かにムリヤリ身体を動かされるような、自分がどれだけその力に逆らって、抵抗したり、身を翻すようにして、反転しようとしても、ムリヤリ首根っこを掴まれて、グギギギ……というような、軌道修正されるような、そんな不思議な力に抑え込まれてしまうことがあるのだ。自分の肉体であり、自分の意志であるはずなのに、これがどうしても指一本動かせない。こういうときは何をどうやっても逆らえたことはないし、抵抗しても勝てないことは知っているから、さいきんは素直に従ってしまうことの方が多い。何のためにこの力が働いていたかを知ることができるのは、だいたい3、 4年後だ。

俺は現在、この力がかかっていることから、やっぱり神は行けって言っているんじゃないかと思っている。

じゃあそれは一体何のため?

もしかしたら、俺も32の頃に会社を辞めて、それから8年ばかり霊性修行をしてきた。そのため8年前とは比べ物にならないほど霊的進化を遂げることができたところは実感できるところであり、もうそろそろ大恋愛できる準備が整ったかな、と思わないところもなきにしもあらずでといったところで、よくがんばったなぁリョウイチ、よし、そろそろお前も女の味を覚えてもいいころだ、さぁ、たーんと味わえというふうな、大盤振る舞いとしてあたえられたふうな、ちょっとしたご褒美なのかな? といったことも考えられなくもないが。

というのも、世間の男女がやっているような恋愛とはまた違った恋愛ができそうなのである。俺自身が霊眼に優れ、以前よりは相手の内に光を見出せるようになってきて、その光と同化して楽しむ、まるでおじいちゃんとおばあちゃんが縁側で茶を飲みながらオセロを指しているような恋愛と似たものかもしれないが、そうでなく、もっと静かに、ただ座って、いっしょに光の波動を楽しむという、もうそういうところまでできるようになってきた気がしたのだ。第一話で、熊谷守一さんが、「私は石ころ1つあれば、1ヵ月はゆうに過ごせる」と言っていたように、女に対してなら、俺もそれができるような気がした。いつでも人間に与えられるものはその境地に見合ったものに限られるが、今回、俺の鑑賞眼とその対象物の一致度といったらない。俺だって誰でもいいわけではないのだ。彼女ほどの光を持つ女性は、その光の光度を1から100までわかるような、あ、これは63.7だったとか、それくらい仔細に見分けられるだけの目も同時に必要になってくるように思ったのだ。鍵と鍵穴はそろった、いざ、扉は開かれん──

『ハムナプトラ2〜黄金のピラミッド〜カルナック大神殿』開幕……!

すべての女というわけにはいかない。向こうにだって、ある程度の素養がなければダメだろう。俺は彼女の写真を見ていて、彼女とだったらそれができるんじゃないかと思った。あのダウナー気質の、静かで、どこまでも沈んでいった先の、空間の一点のような場所でそのまま溶け込んで消えてしまいそうな、そういう時間を過ごせるような気がした。そんな時間を過ごしたいか? といわれたら、しらないが。俺は消えてもいいけど、彼女はまだやりたいことがあるかもしれないし……。少なくとも、運命の女に出会っておいてわからない俺だとも思えないのだ。そういう意味においては、やっぱりこの子が俺の探していた相手なんじゃないかとは思った。

そんな地球上の物質的なできごとにかかずりあってないで、この凡俗と肉欲に満ちた下劣な世俗から身を引き、人里離れたところに一人住み、ゴザをひいて瞑想していた方がよっぽど早道だとは思われなくもないが、われわれがこの地球に生まれた以上、この身体が通りすぎなければならない体験があるらしい。その体験を通すことでしか神へと近づいていくこともかなわないのかもしれない。神はただ自分を見てほしいだけではないのか? ギーターにも聖書にも書かれてある、あれらの二大聖典が口やかましく何度も何度も説いているのは、ただ神を愛せよ。神を愛するように隣人を愛せよ。その二つしか言っていない。それが自分とはまるで違う17歳の女子高生へと俺を向かわせようとするのは、およそ悟りとはまったく反対方向のような気がするのだが、この道こそが神へと続いているというのか?

あのバガヴァッド・ギーターにおいても、アルジュナはあれほど嫌がった親族に弓を引くという行為を通じて神へとなっていった。その行為を通じて"わたし"のもとへ来いと命じられていたのだ。普通に考えれば、戦争だとか、喧嘩だとか、親族争いだとか、そういったものから離れて、ひとり菩提樹のもとで足を組んでいた方が早道だと思われるが──、クリシュナはアルジュナに戦え、と言った。

何か俺の中で戦わなければならないこと、何か俺の中で必要としていること、それがうずまいている。何か俺の中でどうしても向き合わないことがこの先に待ち受けられていて、そのために動かされているのではないか?(俺はおそらくだが、書くために起こっているんじゃないかと考えているが)

すべては神の恩寵だ。すべて、その人のふさわしい時期にふさわしい物事が訪れているだけだ。それを拒むことも余計に手にすることもできない。それはむしろ自分が追いかけるものではなく向こうからやってくるものであり、フンボルトに至ってはこれを、『幸福な出会いはたいてい人に呼ばれずにやってくるものであり、押しのければ押しのけるほど、いよいよやってくるものなのです』と言っている。

39歳になって、一つだけわかってきたことがある。人生は乗り物に乗っているように勝手に進んでいくということだ。自身が決定をするということはない。ただそうすると思っているだけだ。何か他のものが物事をなすように駆り立てている。ただそれに気づいていないだけなのだ。思考過程に忙しくしている間は、それに気づくこともないだろう。もし俺が彼女と付き合う運命になっているのなら、俺が望もうが望まなかろうが付き合うことになるだろう。もし付き合えない運命になっているのなら付き合えないだろう。

神様お願いします。どうか彼女とうまくいきますように、とは祈らない。それは明け渡しではなく命令である。神様、どうぞあなたの好きになさってください。あなたの御心のままに従います。という気持ちがあるだけだ。

自分が望む望まないとあれ、その人とのあいだに起こるものを体験し終えるまでは終われないだろう──

戦うしかないか。

このとき、俺の胸には、バガヴァッド・ギーターの次の言葉が思い起こされた。

『敵を殲滅しものアルジュナよ 仇敵(かたき)をこらしめ罰する者よ 卑小な心を捨てて さあ立ち上がれ!』



5


手紙──か。

自習室はスマホのバイブの振動がひびくほど静謐な空間であり、たえずノートを擦る筆記音や、咳払い、鼻を啜る音だけが聞こえてくる──。人の話し声などもってのほか、友達同士で来ている者も口を閉ざしているし、少しでも声を漏らせば全員ハッとしてそちらに振り向くほどである。この状況で女に話しかける猛者がいたら、周囲の視線を独り占めすることになり、万年資格受験生の社会人らからも見やられることになり(だーから毎年落ちてんだよ)、図書館入り口の竹千代蔵の代わりに銅像が建てられてしまうだろう。

教室内は食事禁止となっており、廊下の壁にやっつけ程度にくっつけられた細長いガラクタみたいなテーブル(まるで粗大ゴミ置き場に捨てられているかのよう)に、申し訳程度のパイプ椅子が8個置かれてあり、そこで雁首並べて食うのが通例であった。

12時過ぎになると、学生たちがヒヨコの群れみたいにトコトコやってきて、ピーチクパーチク、エサを食べはじめるわけだが、彼女は13時40分過ぎになってやっと姿をあらわすのであった。ずいぶん遅い昼食だ。飲食スペースが閑散してくる時間を見計らってやってきているのかもしれなかった。

いうまでもないことかもしれないが、彼女は食べるのが非常に遅かった。俺はこんなに飯を食べるのが遅い人間を初めてみた。13時45分くらいから15時00分くらいまで、1時間15分ぐらいかけて食っている。何をそんなに時間がかかるのかしらないが、あの村上春樹の超有名な比喩で、『彼女は顔を洗うのにすごく長い時間がかかる。歯を一本一本とりはずして磨いてるんじゃないかという気がするくらいだ』とあるが、まるで彼女も、米粒の一つひとつを取り出して食っているんじゃないかというくらいだった。歯の矯正もしていることだし、歯というか、矯正器具を一回いっかい外しているんじゃないかというほどに。

また、食べている最中、一糸も姿勢が乱れないことも刮目に値するものだった。俺はこんなに綺麗な姿勢で食事をする人間を初めて見た。どんなに姿勢がいい者でも食べる段となるとそうはいかないものであり、その道の大家でも難しいものだが、彼女はやすやすとこなしていて、まったく無理がなさそうだった。

俺はここしかないと思った。飲食スペースは8人掛けテーブルに串刺し八団子が並んでいるというか刺さっているから、その状態で話しかけることなんてことはまずできない。そんなことをしたら本当に飲食スペースに銅像が建てられてしまう。39歳、出前館ヒキニートの銅像が。

本当は、こんにちは、とか、勉強がんばってますね、とか、そんなふうに小気味のいい? 会話? などからはじめて、そこから仲良くなっていくことができればそれがいちばんいいのかもしれないけど、まだ神を見いだしていない俺にとってそれは難しかった。



家に帰ると、さっそく手紙を書き始めた。

あんまり長い文章を書いてもどうだろう? 光を感じましたとか書いても、うーん、友達になってください、でどうかな? 『友達になってください』か。なんだかすごい友達がいなさそうに思えてくるな。『LINE友達になってください』の方がいいかなぁ? じゃあLINEだけでいいの? ってことになるしで、まったく手紙ってものは難しいものだ。

そうだ、『よかったら』をつけよう!

『LINE友達になってください』



『よかったらLINE友達になってください』

うん、これだとだいぶ圧迫感がなくなってくるな。彼女の長い髪のようにふんわりしたような、柔らかいペプラムのような印象が出てくる。しかし、これだと、LINE相手を探してるふうに受け取られないよな? それはだってなんのために? さすがに高校生だってわかるよなぁ? 変なマルチ勧誘とかに間違えられなきゃいいけど。

俺は出前館の帰りにセリアに寄って便箋を購入した。何の鳥かはわからないが、ホトトギス? のような緑とピンクが混ざった色の鳥が飛んでいるといったデザインで、鳥が飛んでいる図柄が、『落ちる』とは正反対の『飛行』を意味しているようで、受験生に対する隠れた配慮でもある。

IDの記載方法である。これが難度の高いものだった。普通に考えれば、IDの英数字を紙に書けばいいと思うかもしれないが。しかし、昔そうやってIDを記載した紙を女に渡したことがあったが、向こう側の設定で(あるいはこちら側の設定か)、"ID検索を不可能にする"にチェックが入っていたのか、うまくいかなかったことがある。もしかしたらその女が俺とID交換をしたくなかっただけかもしれないが、QRコードを読み込ませてみたらすんなりできた(女としたら残念だったかもしれないが)。このときの記憶が強く残っているためか、俺はアナログの紙に書いて渡す段においても、まるで変な企業の送られてくるパンフレットのように紙媒体にQRコードを添付するといったことが思いつくのだった。

俺は手紙を書き始めると、1分ほどで完成させた。文章は、『よかったらLINE友達になってください』だ。我ながら名文だ。

さて、あとは、QRコードだが。

こんなものは早ければ早いほどいい。明日印刷しても十分に間に合う手はずだったが、すべての物事を今日のうちに終わらせたかった。仕事でもこれくらいの熱心さがほしいものである。23時すぎ。この時間に外に出るのは面倒くさかったが、俺はスマホを持ってローソンへ駆け出していった。しかし、プリントアウトの機械を使うには現金でないとダメで、泣く泣く小銭を取りに家に逃げ帰ってくるのであった(クソが、あー? 俺は彼女と運命によって導かれてんじゃねーのか? なんでこんなにすんなりいかねーんだ? バカが)俺はイライラしつつも、いちど家に帰ろうが二度手間になろうが、それでもきっと最終的な運命は変わらないと見て、これも何かの神のいたずらだろうと思い直し、またローソンへ行ってプリントアウトして戻ってきた。

よし、できた!

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ギャーーーハッハッハッハ!!!!!!!!!

俺はこの手紙を見ながら、信じられないほど笑い転げていた。

自分のスマホでQRコードを読み取ってみたら、『自分自身を追加することはできません』と出た。この言葉にもちょっと笑ってしまった。"自分"を追加することはできませんでいいんじゃないだろうか? なんで"自分自身"なんだろう? LINEというけっこう大きな会社が、日本語不自由みたいなバカみたいな真似しやがって。俺のことをバカだと思ってバカにしてんのか?

おーし、とりあえず、これでオッケーということだな? このメッセージが出るってことは、一応読み込めている証拠だろう。

それでも俺は、違うスマホで読み取ってもちゃんと登録できるのかどうかが気になってしかたがなかった。この夜遅くに、友達に電話して、一度俺の友達登録を削除してもらい、そのあとにもう一度友達登録をしてもらおうかと思ったが(消したり追加したり、そんなものの何が友達だろう?)、できれば遠隔ではなく実地というかたちで、自分の目の前で登録できているところを確認したくてしかたなくなっていた。仕事でもこれくらいの慎重さがほしいものである。となりの301号室のおばさん。一度も話したことはないが、まだ起きてるかな? 50代くらいの一人で住んでいる女性だ。

俺は時計を見た。

(23時40分……)

まだ、ギリギリ24時前。

ベルを鳴らして、スマホを貸してもらおうか?

まぁ、さすがにそりゃ無理だ。『自分自身を追加することはできません』このメッセージが出ている以上は大丈夫だろう。これ以上業を煮やして、あんまり心配するのは、自分自身に対する侮辱にも思えてきた。"自分自身"だけにな。

しかし、俺はまだ悪あがきをしてLINEの設定画面をいじくっていたら、『年齢確認』という項目が目についた。タップしてみると、『18歳以上 青少年保護の観点から、LINEの一部の機能は、携帯電話会社により18歳以上であることが確認されたユーザのみが利用できます』と書かれてあった。これはどういう意味だろう? "一部の機能"って友達登録のこと? 

これは、もしかしたら、LINE側が、未成年が大人を友達登録できないように機能制限をかけているのかもしれない(援助交際とか、変なエッチなことをしようとする大人と接触を封じるため)子供がお母さんとやりとりするケースはいくらでもあるだろうから、大人の身分確認がとれたときに限って友達登録ができるということだろうか?

なんで、俺と彼女が"友達"になるのにテメーの許可が必要になんだよ! こっちは光を感じたっていう、聖なる目的でお近づきになろうとしているのに、なんで、てめーらタマスの人間にサットヴァの繋がりを反故にされなきゃなんねーんだよ! 寝言は寝て言えバカが。

まったく、余計なことしてくれるぜ。

これは、念の為に、メールアドレスも記載しておいたほうがいいかもしれない、と思った。

いや、ふつうにQRコード載せときゃ大丈夫だろ、さすがにメールアドレス載せるのはキモイって、ダメだ! それだけはやっちゃいけない! 亮一! ダメだ!

俺は知性をフル動員させて考えた。

メールアドレスはダメだ。

しかし、届かなかったら何の意味もない。メールアドレスを載せることによって合否が分かれるということもないだろう。アドレスが記載されていてキモいからナシにしようなんてことはあるはずがない。合否はすでに彼女の心の内にあるのだ。

だったら、多少、恥ずかしい思いをしても、確実性を取った方がいいか? 

確実性をとろう。

じっさいに表記してみた。

https://i0.wp.com/www.simaruko.work/wp-content/uploads/2025/10/wp-17611062289576444455245254846945.jpg?w=1000&ssl=1

ギャーーーーーーハッハッハハ!!!

ギャハハハ!!!!

ギャハハハッハハッハ!!!!

俺は23時50分だというのに、信じられないほど床に笑い転げていた。

ギャーーーーーーハッハッハハ!!!

(これはやべーって……!)

(これはヤバい)

(絶対ヤバイ気がする)

背中から信じられないほどの汗が出てきた。こんなに身体中から汗が出たのははじめてだ。

メールアドレスを記載すると、こんなにキモくなるのはなんでだ? アドレスの英字が並んでいるのがキモいのか? @がキモいのか、やはり二枚仕掛けというか、予防線を張っていることが手紙にあらわれてしまっているのか? どうしてこんなペラペラの0.09mmの上にクッキリ浮かんで見えてきてしまうんだろう? これは高校生の眼力でもわかるんだろうか? 

なんで、『LINE友達になってください』って書いてあるのに、メールアドレスが記載されてるんだ?

どっちだよ。

なんだコイツ?

どっちだよ。

なんでこんなバカと友達にならきゃならないんだ?

やっぱり名前ぐらいは書いておいたほうがいいだろうか? 書くとしたらフルネームだよなぁ。

俺は、何度も手紙をひっくり返してみたり、天井の光源にかざしてみたり、子供がヘリコプターのおもちゃを手にもつときのそれのように、全体を眺めたおしていた。

そうだ! メールアドレスは裏に書こう!

裏に書いておけば、最初に飛び込んでくる気持ち悪い印象は回避できる。

やっぱり、名前は書いてあったほうがいいかなぁ? 

そのほうがしっかりした人だと思われるだろうか? 

社会人のマナーだったらそうだけど、高校生となるとなぁ……。誠実さを無理やり出そうとしているあざとさも同時に浮かんできてしまう気もする。いや、そこまでは思わないか、高校生だし。いや、わからない、◯◯高校だしなぁ。彼女だったらどうするだろう? 彼女だったら、ちゃんと名前を書きそうな気がするな。フルネームで。逆に、俺がもらった側の気持ちとしてはどうだろう? 俺だったら、やっぱり、彼女が名前を書いて渡してきてくれたほうがだんぜん嬉しい。だんぜん嬉しいけれども、その場合は付き合える線が濃くなっているからな。付き合うという喜びの前に消えていってしまう喜びなら、いらない喜びだろうか。

ダメだ、やっぱり、気持ちが悪い気がするな。

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ギャーーーーーーハッハッハハ!!!

ギャハハハ!!!!

ギャハハハッハハッハ!!!!

だめだ、これはぜったいダメなやつだ……!

これはぜったいダメなやつだってば!

これはダメだ! これはぜったいだめなやつだって! 

ギャーーーーーーハッハッハハ!!

ギャハハハッハハッハ!!!!

ギャーーーーーーハッハッハハ!!

俺は一晩中、笑い転げていた。



6


8/26 火曜日

(あれ……いない)

渾身の手紙を持っていったら、彼女の姿はなかった。

◯  ◯  ◯ ◯  ◯ ◯  ◯  ◯  
◯  ◯  ◯ ◯  ◯ ◯  ◯  ◯  
◯  ◯  ◯ ◯  ◯ ◯  ホ  ◯ 
◯  ◯  ◯ ◯  ◯ ◯  ◯  ◯ 
◯  ◯  ◯ ◯  ◯ ◯  ◯  ◯ 
◯  ◯  ◯ 俺  ◯ ◯  ◯  ◯ 
◯  ◯  ◯ ◯  ◯ ◯  ◯  ホ 
◯  ◯  ◯ ◯  ◯ ◯  ◯  ◯ 

13時30分。自習室はもぬけの殻になっていた。4、5人の姿しかなかった。ポツポツと社会人の姿があるだけである。いるのは、40、50過ぎの、おじさん、おばさん。学生の姿はまったくなかった。

なんと、図書館に足を踏み入れたのは一週間ぶりとなる。手紙を書いた翌日、すぐに渡しに行こうと思っていたが、マッサージの仕事の新規顧客が入ったり、車検予約があったり、実家に帰省したり、道場に行ったり、図書館の休館日が続いたりで、一週間も持ち越しになってしまった。手紙のインクが古びて読めなくなってしまってなければいいが……。

学生が人っこ一人見当たらないのはなぜだろう? 登校日か何かか? しかしすべての学校が同じ登校日なんてことはないだろう。おかしいと思って、俺は本館の方まで移動してみた。が、学生の姿はなかった。もしかしたら模試でも開催されているのだろうか? そういえば、俺の高校時代でも夏休みの下旬に模試なるものが開催されていたような気がする。もちろん焼いて食ってやったが。

俺はがらんどうになった自習室を見渡してみた。万年資格試験に落ち続けている社会人連中の憎しみに満ちた筆記音だけがする。およそ、彼らは、もうかれこれ毎日、ここ3年間くらい、毎朝、毎日、この自習室にやってきていて、毎回、かならず同じ席に座り、かならず同じテキストを紐解いて帰っていく。天地がひっくりかえっても明日違う席に座ることは絶対ないと言い切れる。なぜか全員PCX125に乗ってきていて、毎朝、駐輪場には6台のPCXが並んでいる。俺も次に買うバイクはPCX125と決めているから、出前館ヒキニートと万年資格受験者はPCXに乗ると相場がきまっているのだろう。

(彼女がいないとつまんないな)

俺は床に下ろしたカバンから、何も取り出さずに座っていた。

8/27 水曜日

今日もいなかった。水曜日のダウンタウンでも見ているのか?

8/28 木曜日

今日もいなかった。

8/29 金曜日

今日もいなかった。

8/30 土曜日

今日もいなかった。

おーい、明日で夏休み最終日だぞ。

これ、もうこねーんじゃねーか? 基本的に行きゃいつもいるもんだから行きゃ会えると思っていた。しかし、そんなグリコのキャラメルのミニおもちゃみたいなものでもない。しかし──俺は思った。もし彼女が学校の特別進学クラスとかだったら、人より登校日が早まることもあるかもしれない。進学校の特別進学クラスとなると、夏休みの終わりから二学期が始まるまでの一週間、特別受講カリキュラムなるものが開催されていることもあるかもしれない。ドラマのGTOでそんなことをやっていたのを見たことがある。俺は気になってスマホで◯◯高校のスケジュール表を調べてみた。するとそんなものはやってなく、しっかり夏休み中だった。

(じゃあなんでこねーんだ? 友達と最後の夏の思い出作りに軽井沢に旅行にいってんのか?)

(俺も連れてけよ……)

8/31 日曜日

夏休み最終日。そんな日を図書館の自習室で過ごそうとする者はホームレスしかいないだろうと思って来てみたらこれまでにない賑わいをみせていた。学生が7割、社会人が3割ほど、席はほとんど埋まっていた。だが彼女の姿はなかった。

俺は後方の唯一の空いている席を選んだ。となりには大学生くらいの女の子が座っていた。あらかじめ自分が座ろうとしている席のとなりに人が座っているときは、気づくか気づかれない程度の小さな会釈をして俺は着席するのだが、俺がその会釈をすると、彼女はパタッとペンの動きを止め、書き物に向かっている真剣さそのものの顔で俺へと向き直り、俺とは比べ物にならないほどの大きな会釈をよこしてきた。

(こっちでいいじゃん)

これの何が不満があるというだろう? ぜんぜん可愛い子だ。唯一不思議なのが、踊る大捜査線で織田裕二が着ていたような緑のマウンテンパーカーを着ていることだ。やはり自習室に来るような子は、カフェに来るような子とは違う。めったなことでは散財しないという倹約精神がこの頃から根づいている。この実用性だけにフォーカスされたパーカーを見て、高校生、大学生においては、たとえこのようなパーカーを着ていてもけっしてマイナスになることはないから、全員がこちらに流れても構わないと思った。

(この夏休み中に渡せなかったとなると痛いな──)

自習室でたくさんの筆記音が流れる中、ひとりたたずみながら俺は思った。俺はなぜだか無性に手紙を渡したくなっていた。戦争といっしょで、一度おっぱじめてしまったら、いくところまでいかないと終われないらしい。もう5枚でも10枚でも渡したかった。気持ちなどはどうでもいいのかもしれない。渡しさえすれば──

このままもう二度と会えないのだろうか? 神はもう終わらせた気でいるのだろうか? 俺が”覚悟”さえ持てばよくて、手紙を渡そうが渡さなかろうが、勇気の面では至るところへいったわけだから、もう用済みってことだろうか? 

そりゃないぜ、神様。だとしたら、俺は今後運命の人に出会ってプロポーズすることになっても、その決行前日の覚悟がきまった日に、相手はとつぜん行方不明になるってことだ。

なんで俺は実家なんかに帰っていたんだろう? 実家に帰ったところで彼女なんていない。いるのは変な猫一匹だけだ。実家には猫一匹だけが住んでいるのだ。クソ……もう、◯◯高校に乗り込んじまうか? いや、今日は日曜日だ、行っても誰もいない……! つーか夏休みだ……!

俺はただ視線を遊ばせていた。どこをどうやって眺めているかもよくわからなかった。いくつもの頭が並んでいる。大根畑に大根が並んでいる感じだ。中央列の前寄りの席、4列先なのでよく見えないが、髪をひとつに縛ったポニーテール状になっていて、耳の形がはっきり見える後ろ姿があった。いつものヘルメットを被ったような厚めの長い黒髪で覆われている頭と比較すると別人だ。服装は白Tシャツにお姉さんが履きそうなタイト目のペンシルスカート、裾に向かって徐々に細くなっていくシルエットで、自転車が漕ぎにくそうだった。あれで自転車でやってきたということはないだろう。いつもどうやってやってきているのかは定かではないが、おそらく親に送迎してもらっているのだと思う。遠くて、また座っているので確認しずらいが、黒タイツのようなものを履いているように見えた。もしかしたら陰かもしれなかった。髪がいつもより短い気がする。あんなに短くはなかったはず。この一週間のあいだに切ったのか? 体型や、細さは、あんな感じだ。こうなったら、いつものようにペンケースで判断しようと思ったが、これがどうも、彼女が使ってるペンケースは現在、この自習室内で絶賛大流行中のようで、まったく同じハリネズミのペンケースを使っている女の子が、この自習室に、なんと、4人くらいいるのだ!(まったくオリジナリティのない奴らだ)。たしかに、机の上にはハリネズミのペンケースが置かれていた、が、いつもと色が違う気がする。いつもよりくすんでいるような、それでいて、ジッパー部に緑色の大きな長いストラップがついている。

(あれ? あんな緑のヒモなんてついてたっけ?)

おかしい、あんな、緑のヒモなんてついてなかったはず、あんな目立つストラップがついていたら、ぜったいに忘れようはずがない。いや、意外に見落としていただけかもしれない、そういうことはよくあるからな。もしかしたら、この一週間のあいだに新しく付けたのかもしれない。まったく物を増やす女だ。一週間のあいだに、髪を切ったり、ヒモをつけたり、そんなことをされたら……。

◯  ◯  ◯ ◯  ◯ ◯  ◯  ◯  
◯  ◯  ◯ ◯  ◯ ◯  ◯  ◯  
◯  ◯  ◯ ?  ◯ ◯  ホ  ◯ 
◯  ◯  ◯ ◯  ◯ ◯  ◯  ◯ 
◯  ◯  ◯ ◯  ◯ ◯  ◯  ◯ 
◯  ◯  ◯ ◯  ◯ ◯  ◯  ◯ 
織  俺  ◯ ◯  ◯ ◯  ◯  ホ 
◯  ◯  ◯ ◯  ◯ ◯  ◯  ホ 

しかし、彼女が、あの嘘のように髪が長いことが代名詞のあの彼女が、髪を切ったりするだろうか? その線はどうしても考えられそうになかった。以前より15cmは短くなっている気がする。しかし、それもポニーテールにしているからそう感じられるだけで、元の長さは変わっていないのかもしれない。この一週間のあいだに失恋した? 受験生なのに何やってんだよ……。いつものようにバベルタワーのような天界エネルギーを受信しているかのような屹立もみられず、敗者のようにグタァ……というほどでもないけれども、だいぶ崩れているような、ほとんど周囲の生徒と変わらない姿勢だった。肌は前と同じくらいの黒さだ。もともと色白というほどでもない。夏だからしかたなく日焼けしてしまいましたが何か? という肌色をしている。この自習室に集まっている女の子は全員肌が黒かった。全員、同じ髪をして、同じ肌をして、同じペンケースを使って、そのせいで見分けがつかない。今度はリュックに注目してみた。リュックのサイドポケットにはエイトフォーが差し込まれていた。エイトフォーが差し込まれていたら100%彼女だろう。長かった旅路もこれでやっと無事終了だ。物は多いし、サンダルは厚底だし……、しかし、厚底はみんな厚底なのだ。厚底なんて今も流行っているのかしらないが、なぜかこの自習室内においては、ほとんどの女の子たちがみんな厚底を履いていた。みんなそんなチビなのを気にしているのか? 彼女の場合、サンダルの留め具の部分がリボンの形になっているから、それが確認できれば決まりなのだが……、ここからでは留め具までは見えない。リュックにはたくさんのぬいぐるみが付いているが、いつもより1、2匹少ない気がする。ぬいぐるみのキャラクターがいつもと違う気がする。あんな青い生き物は吊る下げてなかった気がする。

(ぬいぐるみが違う気がする)

(でも、エイトフォーが差してあるリュックなんて彼女しかいないだろう)

(いや、わからない。エイトフォーが流行っているのかもしれない。いや、いまさら流行るか? あんなもの)

服も毎回かならず違うものを着てくるから、これまた判断が難しかった。せめて俺が過去にいちど見たことがあるファッションをしてきてくれていれば、この限りではなかったのに。まったくこの夏休み、いちどもファッションがかぶらないことはすごいことだ。万引きしてなきゃいいけど。



彼女が弁当箱を持って立ち上がった!

13時45分。やはり遅い昼食だ。この時間に昼食に行くのは彼女しかいないか!? 

彼女が立ち上がって振り返ったとき、

(目が白)

女の目の色は白かった。

瞳には何の色も宿していなかった。白い、三白眼の、黒目が小さくて、ほとんど白目の、ほとんど真っ白な目だった。

(ほとんど真っ白)

猫のように黒目が大きくなったり小さくなったりするのか、彼女は。ほとんど黒目がない、こんな目は初めて見た。ほとんど殺人鬼とおなじ目をしていた。ダウナー気質の、暗く、冷徹な、虫をも殺しそうな、血の通っていなさそうな、やっぱり、この子には特別な何かがあるんじゃないかと思った。最初、初めて彼女の目を見たときにも同じような印象を覚えた気がする。ひどく、ダウナー気質の、何か、暗い、ヤバイものがありそうな、魔的な、魔女のようなものを秘めていたような気がする。が、笑ったときはすごい大天使になるわけだ。今回もそれを期待していいのだろうか?

彼女が立ち上がって振り返ったとき、目が合った。2回、目が合った。1回目で目が合ったとき、俺がそのまま逸らさないでいたからだ。

(魔女じゃねーか)

(すごい、高校生であんな冷たい目ができるなんて)

俺はべつにMということもないが、ああいう目はああいう目でいい気がする。高校生という条件に限られるが……。虫をも捻りつぶしそうな、あの血の通ってない感じがいい、もちろん笑ったときに天使になるという条件付きだが。

本当に同一人物だろうか? となりに越してきたときとはまったく別人の空気だ。やっぱり本当に別人だからかもしれない。

これは、行くべきだろうか? 確かに、今日、俺はそのためにやってきた気がする。行こうと思えば行けなくもない……気がするが、こんな気持ちで行くべきだろうか? 手紙ってそんなふうに渡すんだったっけか? もし、今日、たった今、初めて彼女を目撃したとして、俺は彼女に手紙を渡さなかった気がする。でも、今日は渡すためにやってきた。だから渡す? そういうもんだっけか? 手紙を渡すってのは。過去のために渡すというのか? 現在を殺して。

相手だって誰かも分かってないのに渡されたんじゃそんな失礼な話もないだろう。渡しゃあいいってもんじゃないし。いや、渡しゃあいいんだけど。間違って渡してしまったとして、じっさい、そんなに不利益を被るわけでもない。ただ、恥ずかしさがあるだけで。次、本物に出会ったとき、そのときにも渡せば、一応は本人のもとへ届くことになる。問題はそのリスクを犯してまで渡す価値があるかということだ。

親や友達は、これ、いったいどうやって見分けているんだろう? せめて、こっくんこっくん寝る姿が見られれば間違いはないのだけど。今日は、ズテェって敗者のように机に頭を突っ伏して寝ていて、珍しい。こんな寝方は一度もなかった。やっぱり彼女じゃないのかもしれない。それとも、やっぱり、今日は体調が悪いんだろうか? 

そうだ! と思った。

歯の矯正をしているかどうかで確かめればいいんだ! 現在、彼女は飲食スペースで昼食中なので、そこに話しかけにいって、矯正装置が見えたら渡す。しかし、それだと話しかけなければならなくなってくる。できるなら、手紙をポンッと渡して、サッとずらかりたい。会話とか、2、3アクション挟むとなると、難易度がぜんぜん変わってくる。

およそもう誰かわからなくなっているが、実態も想像もこえた、ただの概念体。物体でも心でもないかもしれない。俺は誰かもわからない相手に手紙を渡そうとしているのか? それでも……、俺は彼女に渡したい。彼女が好きなような気がする。本当に誰なのかもあったもんじゃないな、ただの概念体。ほんとうに人間というものは、相手が誰なのかもわからずに好きになることができるというのか?

もう、わかんねーけど渡しちまうか? 

本当に、一か八かだな。

いや、やっぱり、あんなに子供っぽくなかった気がする。やっぱり何か違う気がする。一週間ぶりすぎて、彼女の顔が本当によくわからない。これは俺のせいか? 俺が頭の中で彼女の顔を勝手流に描き過ぎて、それがだんだん実態からズレていって、現実の彼女をみても見分けがつかなくなったとか? そんなことってあるか? だとしたら、もう答え合わせもできねーじゃん! 

神様、誰かわからなくさせるって反則だわ。

まさか、そんな事態は想定しなかったわ。

問題は、次に渡すとして、次に来たときに彼女の顔がわかるかってことだ。今日はっきりしなかったものが、次にはっきりするとはわからない。この一週間こなかったこともあるし、この夏休みが過ぎたらもう二度と彼女に会えない可能性だってある。俺ももうこんなことをずっと考えて、次に渡せる機会はいつとなるかわからないそのときまでこの気持ちを抱えて過ごすなんてゴメンである。俺はどうしたらいい? どうしたい? まだ彼女が好き? まだってなんだ? 

今日は無理だな。いったん家に帰って考えよう。

いや、考えたってどうするんだ? 考えたって彼女の顔が変わるのか?

次に会ったとき、俺のことを好きそうな顔をしていれば、渡す?

あーあ、やっぱり、ぜんっぜん、だめ、ぜんぜんダメだわ、

こりゃダメだわ。

ぜんぜんわからん。

こりゃあダメだな。

ダメだぁ……!

今日は、無理だ……。

今日は、無理……、無理……。

勇気はあったんだ。覚悟もあった。俺は今日、本当に、手紙を渡す気でいた。それだけは絶対なんだ。

なのに、なぜ? なぜ、こんなことに?

神様……。




7


〜友達との電話編〜

友達「それで帰ってきちゃったの?」

しまるこ「いや、本当にわかんなかったんだよ」

しまるこ「でもね、こうして家に戻ってきても、ずっと彼女のこと考えちゃう。ああ、これ、渡さなきゃ終わんねーやつだわと思って」

友達「渡せば終わんの?」

しまるこ「終わんなかったらどうすんだよ」

友達「いや、しらないけど」

友達「また実物を前にして、そのときも、違うなって思ったときはどうすんの?」

しまるこ「それはちょっと困るね」

友達「困るねって、その可能性があるってことでしょ? 今のうちに決めておかないとやばいんじゃない?」

しまるこ「まあ」

友達「……」

しまるこ「もし、また、もう一度、彼女が俺の席のとなりに移動してきてくれたら、そのときは渡せる気がしてるんだけどね」

しまるこ「やっぱり、もう少し、確証が欲しいね。ぜんぜん、俺のこと気にしてない感じだったもん。俺のこと、まるで頭にない感じだった。あれは無理だわ。あれは渡せないわ」

友達「なんで◯◯高校のお嬢様がお前のこと意識してなきゃなんねーんだよ(笑)」

しまるこ「でしょ? だから俺はそれをずっと言ってるんだよ」

しまるこ「すごく、恥ずかしいからあんまり言いたくないんだけど、やっぱり、俺の方ですごい光を感じたわけだからね。もしかしたら、向こうでも光みたいなものを感じててくれていて、多少は、まぁ、ちょっとくらいは気にしててくれてたりみたいなね」

友達「希望を持っちゃってるわけだ」

友達「それはないよと俺も言うつもりはないけどね」

友達「じっさい光を感じてるかもしれない、お前に」

しまるこ「んなわけねーだろ」

友達「何でお前が自分で否定してんだよ(笑)」

しまるこ「でも、やっぱり、今回は違う気がするんだよ。やっぱり、すごい、胸にズシン……と、すごい衝撃がきたし、これまでの経験を鑑みても、こんなに光を感じたことはなかったから。これだけ感じてしまった以上は、やっぱりこの気持ちに責任を取らなきゃいけないっていうか、このまま終わりにしちゃダメだと思って」

友達「でも、それ、毎回言ってない? 俺、もう、20回くらい聞いてる気がするんだけど。あのとき光を感じたとか、あのときあの子が輝いて見えたとか、マッチングアプリで出会った女にも同じこと言ってた気がする。たぶん20回くらい聞いてると思う」

しまるこ「いや、ないよ。そう思うかもしれないけど、それは本当に違うの。じっさい、そのときの、光を感じたときの光量というのは、全部覚えていて、あのときはいくらだったかとか、あのときのあの子の光はこれくらいの量だったとか、それは全部覚えてる。大学時代のパスタ屋でアルバイトしたときのやつが最大としたら、あの、静岡でナンパしたときのこと、その二人だけ。今回で三人目なんだけど、他の場合については、良いとか、可愛いとかは言った覚えはあるけど、光を感じたとは言ってないよ」

友達「いや、言ってた気がするけど」

しまるこ「いや、言ってないよ。小〜中くらいの光だったら、結構いるんだけど、大になってくると、この三人だけ」

友達「光量の問題なんだ」

しまるこ「0か100っていう問題じゃないかもね」

しまるこ「80以上になってくると、ズン……という強烈な響きによってやってくる感じかね」

友達「じゃあ79だと、バッサリ切り捨てられちゃうの?」

しまるこ「その場合は四捨五入されるかな」

友達「じゃあ、74と75で分かれる感じか」

友達「じゃあ、74だと、ズン……は起きないの?」

しまるこ「そこは理数系じゃなくて文学的な勘であってほしいよ(笑) 恋は理系よりも文系であって然るべきだし」

友達「あれ、いつだっけ? 去年? 一昨年だっけ? バッティングセンターでナンパした時も、あの時も、大学生の女の子たちをナンパしてたけど、ぜったい成功することはないってわかりきってたじゃん。だから、俺もなんでこいつ、こいつ負けるとわかっている戦いに飛び込むんだろうってずっと思って後ろから見てたけど、ずっと、いかれてんなぁと思ってた。だから、あの時から俺の印象は変わらないよ? いいんじゃない? それでお前がスッキリするなら。なんか、そうしなきゃ夜寝れなくなるとか言ってたけど。ここで声をかけないと自分に負けた気がするとか、夜眠れなくなるとか言ってたけど」

友達「俺はそういう場合、声をかけて失敗すると、ちきしょうーーー! て、でかい声出して叫びたくなっちゃうんだよね。清々しい気持ちで終われるならいいと思う。俺はどっちかっていうと、むしろ、ストレスが溜まる」

友達「何歳差になるの?」

しまるこ「22」

友達「へぇ〜」

友達「だってもともとがゼロじゃん。今、何も手に入っていないんだから、失敗したって別に失うものはないからね。もしかしたら成功するかもしれないし、いいんじゃね? お前はそういうストーカーみたいなことはしないと思うし、その辺はあんまり心配してないんだけど、ちゃんと引き際をわきまえてるんだったら、俺は別にいいと思うけどね。まぁ、俺だったら行かないけど」

しまるこ「お前が、光を感じても行かない?」

友達「その、光っていうのが、俺にはよくわからないけど、うーん。でも、ちょっとうらやましいわ。いいなぁ〜。そんなふうにキュンときたり、ドキドキしたりすることぜんぜんないもん。いいなぁ、羨ましいわ」

しまるこ「いや、俺だって、ここ10年ずっとなかったよ。こんな気持ち抱いたのいつぶりだっけ? この前、ららぽーとを歩いてたとき、すごい可愛い女の子がいたんだけどね。色がすごい白くて、ちっちゃくて、細くて、胸が大きくて中学生だったと思うんだけど、中学生にしては胸がでかくて、バレーボールくらいあったんだよね、すごい小さくて細いのに、胸だけはすっごくデカくてびっくりしたけど、光は感じなかったんだよね」

友達「ふーん」

しまるこ「まぁ、かれこれ、こうして、俺は過去三人の光をもつ女性に出会っておきながら、ろくにアプローチもせず、そのことを今でも後悔しているのね? だから、もし今後どこかで光をもつ女性に出会ったら、そのときは、どんな犠牲をいとわずにかならず行こうと思ってたのね? だから、たぶん、これが最後だと思うんだよ。確率的にいって、もう二度とこんなことはない気がする。あんな可愛い女子高生が、俺の隣に引っ越してくるなんて、そんなことはもうないと思うんだよ。もう、かれこれ10年間、こんなことはなかったんだから」

友達「それはね」

しまるこ「俺はおそらくこれが最後の光になるだろうと思う。たとえ、また光を持った女性に出会えたとしても、それがまた10年後、20年後となって、そのときになって、相手がまた高校生だとして、俺がそのとき60歳になっていたら、そんなものはゲーテとウルリーケじゃあるまいし、もう、この時代にどうにかなるもんでもない。これまでだって、けっこうナンパもしてきたし、ほとんど無理やりといった形で、女をホテルに連れ込んだり、かなり無茶はやってきたけど、それなのに、どうしても、なかなか勇気が出ない、手紙一つ渡すことがこんなにも難しい。やっぱり期待か、光を感じた女性にだけは断られるのは避けたいから、勇気が出てこなくなる。どうでもいい女には、あんがい、向こう見ずの覚悟でいっちゃうんだけどね。本気となると、やっぱり苦しいものがあるね。でも、ここで逃げたらねぇ……、ぜったい後悔すると思う、それはわかる気がする。たぶん、一生、今日のことを、あらゆる瞬間に思い出して、ぜったい後悔する気がする。もっとよくないことに、あのとき、たぶんいけたと思うけど、いってたらぜったいに手に入れられたのになぁ……って考えちゃいそうで……。それだけは避けたくてね。これがね、なんかよくわかんないけど、不思議なことに、大学時代にパスタ屋のアルバイトのときに出会ったのが19歳のとき、静岡でナンパしたときの女性が29歳のとき、で、今回の図書館の子が39歳。ちょうど10年スパンでやってきてるんだよ。光をもつ女性との出会いが。だから、たぶん、次にくるとしたら、49歳のとき。でも、さすがに49歳じゃ無理だと思うんだよね? 29のときは39じゃ無理だろうとは思っていたけど、こうしていっちゃってるから、よくわかんないけど。だけど、あんなに、パッと輝いて、咲くように開いたからねぇ……。いろいろ考えたんだけど、やっぱりそこなんだよ。そこだけ。この光はなんだろうって、なぜ、彼女にだけこれほどとてつもない光を感じたのか、それを確かめなきゃいけない気がするし……、確かめたい。それが40歳を目前にした、俺の人生の前半期における集大成、最後の試練のような気がしているんだけど。だから、やっぱり逃げるわけにはいかない。目と目の奥が合ったというか、本当の意味で目が合ったというような、互いの中の、本体と本体、奥と奥、光と光、存在と存在、それがまごうことなきぶつかって、それは必ずしも物質的に見えたというわけじゃなくてね? これが片方だけに起きたとは、ちょっと考えづらいというか……、うーん……? わりと二人の共感覚としてあったような気がするんだけど……どうだろうって……」

友達「俺は悪いことじゃないと思うんだよ。むしろいいことだと思う、いいか悪いかでいったら、いい方だとは思うんだけど。いちばん思うことは、こうして生活していて、そんなふうに光を感じるとか、なかなかないからね。俺ももうずっとそんな経験してないから、聞いててうらやましいなとは思った。だから、そんなふうに感じた以上は、行っちゃっていいんじゃないかなとは思うけどね。むしろ行くべきだと思う。その上で、なんとなく俺が感じるのは、これはお前を非難しているわけじゃなくてね? どっちかっていうと、肯定してるつもりでいうんだけど、っていうか、ただ言いたくなったから言うんだけどね? 俺はお前の、あんがい、その希望や自信みたいなのが悪さしているように思うね。本当に、お前が、豚みたいな典型的なオタクみたいな容姿だったら、その女子高生に手紙を渡してなかったと思うんだよ。変に玄米菜食をやって、武道をやって、心身を清浄に保っているヤツの方が、女子高生に手紙を渡しちゃいそうな気がする。GACKTとか、YOSHIKIとか、高橋一生とか、なんか、あいつらも渡しちゃいそうじゃん。そういう、美意識が高い人間の方が、ある種の落とし穴にはまっちゃうというか。ふつうは39歳にもなれば、やる前から、ああ、自分には無理だって、怖気づいちゃうもんなんだけどね。若作りしている人間や、やたらと美容に命をかけている人間は、人よりもこの感覚が訪れるのが遅いんだろうなぁっていうのは感じるね。たとえば、天海祐希とか、広末涼子でも、なんでもいいんだけど、ああいう綺麗な女優というのが、俺はべつに対して綺麗だとも思わないけど、まぁ一応世間の杓子定規に合わせて綺麗ってことにしておいてやるけど、あいつらの中にも、なんか美の魔物みたいなのが棲みついていて、その魔物が悪さしているというか、あいつらも、若いイケメン俳優とかと自分が付き合えて当たり前というか、まったく疑ってない顔しているね。いつまでも現役であろうして、もう自分の立ち位置が見えなくなっちゃってるっていうか、べつに悪いことだとも思わないし、いいことだとは思うんだけど、なんか、ちょっと、その自己愛というか、高い化粧品使って、自分を大切にし過ぎている感じが、ちょっとムカつく、でもないけど、鼻につく、でもないけど、引いちゃうっていうか。まぁ、庶民感情から言わせてもらえばってところかもしれないんだけど。まぁ、美意識も大事だと思うけどね? でも、行きすぎると目に余ってくるというか、あいつらが綺麗なのは、自分のため、恋愛も結婚も美容といっしょで、なんか、その自己愛の中でキラキラしている部分に含まれているというか、俺はあんまりそれが清潔な光のようには見えないんだよ。俺には、お前の言っている光というのは、そういう光を指している気がしてならない。お前のために言うけどね、ぜんぜん、違っていると思うならそれでいいし」

しまるこ「まぁ、女子高生相手に対していけると思っちゃってるところはあるかもしれないね。これは本当に、女子高生に水をぶっかけられないとわかんないと思う。でも、俺も、だいたいの部分においては、たぶん無理だなって思っていて、その証拠というわけじゃないんだけど、その女子高生が、俺の隣に引っ越してきたとき、まぁこれも本当に引っ越してきてくれたのかはまだよくわかってないんだけどね、そのとき、いけるって思っちゃったのね? 合格証書みたいのがもらえて嬉しかったというか」

しまるこ「39歳が17歳に仲良くなりましょうって接近したり、手紙を渡すってことは、世の中がそれをできていない以上は、俺だけは立ち上がらなければならないって、公憤のようなものを抱えていたのはあったと思う。こういうと、自分のためというより全体のために立ち上がっているように聞こえるかもしれないけど、もちろん自分のためだよ? みんながやっちゃいけないって思っていることは、大体の場合、やらなくちゃいけないことで。俺は仕事をがんばるより、こっちをがんばることの方がずっと偉大なことだと思う。仕事なんて、みんな義務で、自分の生活を守るために流されて惰性でやってるだけでしょ? でも恋愛は違う、恋愛は、自分を守ってたらできっこないんだから。だから、だから一回くらいはね、一回くらいは、俺も40になる前に、一回くらいはまともな恋愛とやらをやってみたかったところがあったんだけど、彼女とならそれができる気がした。それは、俺が高校の頃から、ある部分がまったく成長していないところからきているんだと思うんだけど、たぶんストーカーだとか、女子高生に変なことする奴らもみんな同じだと思うんだけど、まだ何も話してないのに、隣に座っていただけなのに、それができる気がしたのね? それは勘違いかもしれないけど、でも、この勘違いにかけてみたいと思ったのね」

友達「それはわからないでもないけど」

しまるこ「なんで、俺は、みんなが普通にできている恋愛というものができないんだろう? なんで、俺よりもカッコ悪くて、つまらない男が普通に恋愛できているのに、俺だけができないんだろう? って、ずっと思ってて。だけど、これはもしかしたら、この日のためにあったんじゃないかなって。俺は、自分が特異な人間だということはわかっているし、だから、俺と引き合うためには、ちょうど俺みたいな、それだけの素質をもった女じゃないと務まらない。それがお前のいうように、高学歴の女の中にいるかはわからないけど、男と女は二人で一つのツガイみたいなものだから、俺が生きている以上は、かならずもう一人の俺がこの世界のどこかにいるはずだって思ってた。けっきょくその人間としか恋愛はできないんじゃないかってね。それが彼女かどうかはわからないけど、それを確かめる必要があるなって。そう思える人間が少しでも目の前にあらわれたことは刮目に値することで」

友達「22年遅れで」

しまるこ「そう、22年遅れで。もう一人の俺が生まれてきたと思った。その人と出会うまでは、バリアか何かが張られていて、それ以外の女を弾いてしまうんじゃないかと思っていたからね。じっさい、そんなような体験を何度もしてきたことがあった。女どもが近づいてくると、その精霊だか守護霊だかが、みんな追い払っちゃうんだよ。へんな虫がつかないようにって。どうしてこんな変な男の操を守らなきゃいけないんだって話なんだけど(笑)いろいろ不純なこともたくさんしてきたし、べつに守られてもないんだけどね。それで、結局、付き合っても、2、3ヶ月で別れてしまう。それは性格の不一致だとか、相性だとか、そんなものを越えて、運命が弾いてしまうんじゃないかと思っていたからね。だから、これはやっぱり光しかないんじゃないかと思って。ふつうの女じゃ弾かれちゃうから、光をもつ女性じゃないと付き合えない。まぁ、食べ物といっしょでね、人間が一生で食べられる量は決まっているといわれているように、恋愛も、恋愛できる量が決まっている気がしてね。人々は、そのミツを数年おきにちょっとづつ味わっているかもしれないけど、俺はそれが節約に節約された結果、天禄のようなものが溜まっていき、それが40になって、プーさんのハチミツの壺のように、たっぷりたまりにたまった状態で味わえるような気がして……」

友達「ワインだったら40年ものもあるけどハチミツかぁ」

しまるこ「だから、神様が俺に送ってきてくれたのかと思っちゃった」

しまるこ「40歳の誕生日プレゼントということで」

友達「やっぱり、その子にというより、自分の思想に恋している感じがするね」

しまるこ「俺とこの子のあいだを結ぶ線はいったいどこにあるんだろうって思うんだけど、たぶんだけど、この子と付き合ったとしても、今、こうしてお前と話してるようには話せないと思うのね? ぜんぜん自分の100%で話せないと思う。それは、やっぱり全体を見ていればわかることでね。この子じゃなくても、87%くらいの女性が、俺とうまく話せないと思う。本当はこんなことを言ってても、とても優しい人なんだなってところまで見抜ける眼力がなければダメなんだけど、ちょっと彼女にはそこまでの眼力は期待できないような気がする。◯◯高校だとしてもね。俺は、俺であることはやめられないから、まぁ、それだって、確かめてみないとわからないけど。でも、自分の本当の姿を隠しながら付き合うのはきっとストレスだろうね。でも、それでも俺は彼女がいい。まだ一度も話したことないのにね。まったくロリコンにつける薬はないね。どっかに頭のいい17歳がいればいいんだけど。だから、頭のいい17歳を用意してくれたんだと思っているところではあるんだけど」

友達「女子高生と100%で話してるのもどうかと思うけど」



しまるこ「やっぱり、その、目がね、なんか、その、悪さしているように見えるね。目が、命のようなものを持っている気がする。その目と目があったとき、それは年齢だとか性格とか、そういったものをこえて、何か通じ合うような、何かつながっているような、一体感のようなものを覚えるんだけど。それは他の誰に対してでもね。きっとこれは俺だけじゃなくて、ほとんどすべての人が感じることだとは思う。でも、人々がその気持ちに正直になってしまったら、何かが壊れてしまうような、ね。目と目があったときの感覚よりも、まぁ、それを横に置いて、ふつうの他愛ない世間話を始め出すわけなんだけれども。常識や建前、社会通念を持ち出して、ね。目と目がつながったときの、最もプラトニックな、純粋な、あの、目がパッとあったときの、でも、それを信じていくよりはみんな曲がった方を行ってっちゃうね。

これはアレだね。まぁ男にだってそれは感じる時だってあるし、まぁ女のが多いかな? でもそれがね、結構ほとんど全員、世界中のほとんどすべての女に対して目があったとき、なんともいえないような、一体感というか、なんかつながる感覚を覚えるんだよね? このつながるというのは、その目があった女の方でも、俺と同じように感じているとは思うんだよ。言わないし、本人も気づいてないとは思うけどね。目と目が合うってことは、正直、じっさい、それくらいのことが起きてると思う。もちろんそれを頼りに恋愛しろってのは無理な話だと思うけどね、これはまたちょっと恋愛感情とは違うと思うし、また人間は照れ屋でもあるからね、この気持ちのまま飛び込んだりっていうのは、ちょっとできないところがあるかもしれない。俺たちはそういう教育も受けてこなかったしね。どんなに仲の良い親友という間柄だって、ここを頼りにつながったりしないもんだ、いつも確かにあるんだけど、確かに存在している、でもやっぱり無視している。これは何なんだろうね? 俺もここを起点にして人と話したことなんて一度もなくて、だけど、霊的な理論でいくと、人間はもともと一個の存在、見た目では、肉体上では、人間はそれぞれが分かれて生きている、それぞれが別個に独立しているように見えるんだけれども、肉眼ではそう見えるだけでね、霊的な部分では、人間はみんなつながっているらしいのね? 魂の部分では。魂はたった一つしかなくて、その一個の魂が、家だったり、人間だったり、動物だったり、木々だったり、草花だったり、虫だったり、今、目に見えているすべてはたった一つのものが変容した姿でしかないらしい、表層的にいろんな形に化けているだけでね。だから、昔の人は、"人"じゃなくて"人間"って言ったんだと思うんだよ。だから、まぁ、俺は、女と目が合うと、そういう意味からして、自分自身を見るような気分になってくる。この目が合ったときの共感覚からね。だからいけそうだと思っちゃうのかなぁ? この、パッと目が合ったとき、パッといけそうな気がしてきちゃう。まぁ図書館の彼女においては、それの最大級を感じたわけで。まぁ、お前がいうとおり、美意識だとか、そういうのもあると思うし、ね。俺だって前日に塩をガンガン食べて顔がパンパンにむくんでいたら、たぶんその日は見送ると思うんだよ」

友達「それはあれでしょ? 例えば、暗い部屋とかで、静かな、シンとした部屋の中で、女が全裸で立っていたとして、何かわかんないけど、そういう状況になっていたとしたら……、それだったら、俺だって、その女の胸を触ると思うんだよ。性欲とか関係なく、ただ目についたから、ただなんとなく触るってだけで。無感情に、性欲とか関係なくね? そのままの空気感のまま動いて、その、何してもいいという状況が許されていたら、だよ? マネキンとか、なんか触っても許されるAV女優みたいな女だとしたら、そういう状況に置かれていたらだとしたらだよ? ただ、なんとなく胸を触ると思うんだけど、たぶん、そういうことを言ってるんじゃないかなぁ……? お前はその部屋の空気感をそのまま外に持ち出しちゃってるんじゃない? そういうのは俺にだってあるし、みんなもあると思うし、みんな、そういうのを抱えてるっちゃ抱えてるとは思うけど、でもそれと現実があべこべになっちゃってたら、やっぱり困ることのが多いと思うけど。その部屋を歩く感じで、この世界を歩き回れてもってところはあると思うんだけど……」

しまるこ「そうね、まぁ、大体そうだと思う。そういうことだとは思うんだけど、だけど、もう少し、これは考える必要があって」

しまるこ「たとえば、どの女も、男と話すとき、"お願いだから、私のことを好きにならないで"っていう顔をしているもんだけど。まぁ、そういう顔をしているのね? 女は、ちょっとでも隙がある笑顔を男に見せてしまうと、男に簡単に自分を好きになられてしまうことがわかっているから、いつも、腰にガーターベルトを巻くようにして、男に好きになられないように、好きになられないようにって、いつも注意深く石橋を叩くようにして男と話してる。笑いすぎないように、でも失礼にならないように、いつもそんな板挟みにあっていて。かといって、へんに冷たくあしらうわけにもいかず、相手も人間だから、ちゃんと優しく丁寧に対応しなければならない。もちろん男に下心がない場合だってある。自分のことを好きにならない可能性だってぜんぜんある。だけど、じゃあといって油断して、最大限の笑顔を見せてしまったら、その瞬間にすぐに好きになられちゃうことがわかってるから、すごく気をつけてる。で、だからといって、亀みたいに閉じこもってると、それはそれで失礼ということになる、向こうにもムッとされたりね。そこで、あ、私、失礼なことしちゃった……。◯◯さんは親切で私に仕事を教えてくれたのに、私、あんまりいい態度を取らなかった……って、いつも反省の毎日というか、そこの塩梅っていうか、そこで揺れているのが女心であり、女の処世術というか、世間を渡り歩く上での女の態度でもある。一応は、社会通念や常識上の建前からズレないように、そこを死守していれば、失礼になるということはないから、つまり、礼儀だけを気をつけていればいいって話になるんだけど。だから、そんなふうに女は生きてるから、礼儀に自己が吸い込まれていってしまって、たいていの女は礼儀に自己が乗っ取られちゃってるんだよ。それで、自分のことがよくわからなくなってる。で、だんだんそれが怒りにも変わってくる。私のことをわからなくさせやがって。もうこれじゃあ私が一体何者なのかわからないじゃない! 私ってどんなふうに生きてただろう? 私ってなんだろう? って、それをわからなくさせた原因が男にあると思ってる。だから、すべての女は潜在的に男に対して憎しみを覚えている。なんで私たちだけがこんなふうに生きなくちゃならないだろう? 男はいいよなぁ、ずるいよなぁ、勝手だよなぁ、なんで、私たちばっかり。自意識過剰でバカみたい、自意識過剰なことほど、いちばん恥ずかしかったり、いちばんバレたくないっていうか。

だから、これはエッチだ、エッチじゃないってところにはすごくアンテナを張ってて、(これはエッチなやつだ!)(明らかにエッチなやつだ!)ってわかったときは、ピギーーーーってなっちゃう。それがヒステリックの正体だと思うんだけど。いつもエッチかエッチじゃないって二極のあいだを揺れているから、エッチだってことがわかると、これまでの抑え込められていた部分がそのままひっくり返るのね? 取り越し苦労かもしれないと思っていたことがやっぱり私の思っていたことは正しかった! って、そのときだけは正義はこちら側にあるってはっきりするし、この板挟みのあいだで揺れていた部分が完全に解消され、男どもに散々やりこめられてきたのをこの機会にやり返せないこともない。そういう意味じゃ、たまには逆にエッチなことを言ってもらいたいっていうか、たまにはこちらも優勢な立場を味わってみたいから、逆にエッチなことを言ってもらいたいってこともありそうだけど。

(けっして、私のこと好きにならないでください)

それが相手の男に対してすごく失礼なことだとはわかっているし、こういう気持ちを持つこと自体が、いけないことだと思っていながら、むしろ自分に対し罪悪感を抱えながら、そんなふうに日々、男と接しているわけだけれども。それだけ、男という生き物が油断ならないことは知っているし、男という生き物が、すごくなびきやすい性質だということも知っているからね。まぁ、マッチングアプリなんてものも、女はちょっと登録すると、すごい数の「いいね」が送られてくるじゃん? あるいは、足跡機能なるものがあって、ちょっと相手のページにいってプロフィールを確認していたら、もう読み終える間もなく、その男から「いいね」が届いてきたりする。こんなふうにして、男がどれだけ女に飢えているかということが形としてわかってくるわけだけど。

だから、女は意中の男に対してだけは、本当にぜんぜん違う態度を見せるんだよ。助かったぁ〜! というような、大海原で漂流していたときに孤島を見つけたように、これでやっとこの板挟みで苦しまなくてすむ。胸襟を開くっていうか、もうブラジャーを開いているようにしか見えないんだけど、やっぱり女ははっきりしているね、はっきりしている。あぁそうかって、まわりから見てもね、〇〇さんは〇〇君に惚の字なんだなって、そりゃ外から見ても一目瞭然で、あんがい女の気持ちなんて顔にぜんぶ書かれてあるから、そんなに難しく構えたり、本を読んで勉強するものでもない、大体の人はここで分析が終わるんだけど」

しまるこ「でも、問題はここからでね、あれを見ていると、一つ奇妙なところがあって、あれはね、むしろ自分の方が相手を好きになってしまわないか、好きってことはないんだけど、軽いはずみやアバズレやヤリマンじみた考えとかとはまた違って、女も女でね、女も女で目があったとき、そのままポワンとして、そのまま男に抱擁されて、そのまま男の胸の中に沈み込んでいってしまいそうな、ぜんぜんタイプじゃない、好きでも何でもない男に対してだよ? 気づいたら、そういう男と朝を迎えていそうなところがあるらしいんだよね? 女を見てると、いつもそんな危険と隣り合わせに過ごしているように見える。たまにしつこくナンパみたいに、しつこく口説かれていると、いい加減めんどくさいなんて言いながら、そのままセックスしちゃいそうになる夜もあるかもしれないけれども、そういうのとはまた違って、たぶん、いつも自分を守って、逃げ回って、自分の大事なものを守ろうとして、礼儀正しい態度をとって、いつも右往左往しているから、その反動からか、ある日よくわからないボンクラみたいな男に盛大に自分をプレゼントしてやろうみたいな気を起こしちゃうところがあるらしいんだよね? まぁ、やらないんだけどね、やらないんだけど。気まぐれっちゃ気まぐれかもしれないけど、気まぐれっていうより、気の迷いってやつかな? たまに逃げるのに疲れたのか、ベンチに座るようにして、なんか今までそうやってナシナシって、ナシっていうふうに横にスワイプしていたのが、ある日、突然それが、借金として膨大に膨れ上がっていたものが、一瞬だけ崩壊するようなね。なんだか相手が誰かもわからずに、おじいちゃんだったとしてもお構いなく、ただ、このポワンとした雰囲気のまま、風俗嬢が流れ作業を仕事上で行うようにして、そんなふうに流れていってしまうこともなきにしもあらずでといったところで。風俗嬢やAV女優たちは、それを割り切れてセックスできちゃってるところはあるんだけど、その割り切るっていうのは、この部分を割り切るってことでね。女は、女で、必死に、理性を取り戻そうとして、理性の中に生きようとするんだけど。俺はね、女がいちばん恐れているのはそこだと思う。男にとびきりのスマイルを見せたらヤラレてしまう、というより、女は自分自身のそれを恐れているんだと思う。女はいつも男に対して気をつけていないと、ある日、自分の方から、お願いだから抱いてくださいって口走ってしまいそうで、俺はあんがい、女はそれを恐れているんじゃないかというふうに思うんだよね? べつにぜんぜん好きじゃない相手に対してだよ? 男のそういった粘っこい視線に晒されていると、わけがわかんなくなってきちゃうのかなぁ? ちゃんと股間を食いしばっていないと、気づいたらとんでもないことを言ってそうで。認知症のおばあちゃんなんかだと結構そういう人いるよね? 認知症っていうと、まったく何にもないことを言うわけじゃないと思うんだよ。ふだん自分が思っていることを人間としての制御機能がぶっ壊れてしまっていて、それで本来制御を通るべきだった言葉が通らないでそのままあらわれてるというきらいもあると思うんだよ。たいていの認知症のおばあちゃんって、エロいことばっか言ってんだよね? だから下ネタとか言うと、すごく怒り出すのがそういうことだと思うんだよ。女に『チンコって言って』とか言うと、『やめてください!』ってすごい怒るけど、『私他人が下ネタ言うのはいいんですけど、自分が下ネタ言うのはすごく嫌なんです!』っていって突然ヒステリックになったりするけど、あれは、今まで必死に抑え込んでいたものを、ちょっとこちら側で開けようとするから、ピギーーーってなっちゃって、まぁそれも無粋だとは思うんだけどね。だから、ああいうのは見て見ぬフリをするのがいちばんいいとは思うんだけど。女がヒステリックになるのって、女に対してはならないんだよね。かならず男にだけなる。男に対してだけは私の扉開かないでっていうような、この禁断の扉を開かないでっていうような部分がヒステリーにつながってるみたいで」

友達「それはその女子高生と何が関係あるの?」

しまるこ「何がってこともないけど」



8


9/15 月曜日(敬老の日)

いた、彼女だ。

今日は白いキャミソールの上に、黒のレースチュールチュニックを二枚重ねに着ていた。ウエストゴム部にバックリボンがついていて、ふんわり広がるペプラムが腰部から臀部を広範囲にカバーしているのが印象的だった。下半身はウエストデザインからほっそり見せがかなうデニムスキニーを履いており、あいかわらず裾が盛大に放射状に広がった逆エリマキトカゲのような形状をしている。どうやらこのジーンズがお気に入りらしい。夏ももう終わりだが、夏らしいファッションはまだまだ健在だ。今日はいちばん前に座っていた。教室においていちばん前に座れてしまうような人間に手紙を渡そうとしているのか、俺は。

◯  ◯  ◯ ◯  女 ◯  ◯  ◯  
◯  ホ  ◯ ◯  ◯ ◯  ◯  ◯  
◯  ◯  ◯ ◯  ◯ ◯  ◯  ◯ 
◯  ◯  ◯ ◯  ◯ ◯  ◯  ◯ 
ホ  ◯  ◯ 俺  ◯ ◯  ◯  ◯ 
◯  ◯  ◯ ◯  ◯ ◯  ◯  ◯ 
◯  ◯  ◯ ◯  ホ ◯  ◯  ホ 
◯  ◯  ◯ ◯  ◯ ◯  ◯  ホ 

床に置かれたバックパックの横に、申し訳程度のナイロン生地の小さな手提げ袋が置かれてある。中に入っている細長い青色の水筒が顔をのぞかせていた。

時計を見ると13時30分。そろそろか、と思って、心頭滅却しながら待機していると、10分後、彼女がお弁当一式セットを持って立ち上がった。俺の横を通り過ぎていく。

もう十分だろうと思って時間差で振り返ると、飲食スペースに腰をかけ、お弁当を開きおえていた。テーブルには彼女の姿しかない。しめた──と思った。ここしかない。瞬間、ゾク、と俺の中に冷たいものが走った。本当に危険なことをするときにだけおとずれる感覚だ。

こういう極限の状態になると、ただ静けさのなかで自分を見届けているもう一人の自分の姿に出会うのはなぜだろう? きっと人を殺すときもこの感覚がおとずれるのだろう。コン、と心のいちばん奥底にピンポン玉が落ちて跳ね返った音が聞こえてきた。

心には何もなかった。シンとどこまでも澄みきっていき、何一つ音がしないことが不思議だった。こんないかがわしいことをしようとしているというのに。きっとこの静けさを保ったまま行為を貫徹できそうだと思った。これからの目的も忘れてしまいそうになり、次の瞬間にコンビニにおにぎりを買いに行ってしまいそうだった。

あらゆる制止してくる声を振り払って、ツンボのフリをしていると──、強情な生き物ができあがるわけだが、この強情の生き物はなんだろう? とずっと思っていた。およそ自習室にいていい存在なのだろうか? この、変な手紙を渡すという、それだけの意志を貫徹するだけの強情な生き物、それが自習室となんの関係があるのだろう? とずっと思っていた。

俺はほとんど機械的に立ちあがった。

(ちゃんと辿り着けるだろうか? 頭の中が真っ白だ)

これまでにない生の手応えを感じる。生きるとはこういうことか。生きることと死はとなり合わせだ。俺と彼女の席のように。長らく忘れていた、この感覚。青春の感覚。死をも肯定しなければ生もまたないというのか。だとしたら、俺は彼女を殺せばいいのか。あのニーチェですら、あの本の虫の、およそ危険とは無縁の一生をカビ臭い古びた小屋で本を読み耽って過ごしたと思われるあのニーチェですら、人がもっとも生の喜びを享受するには、"危険なことをするのがいちばんいい"と言っていた。なるほど、ニーチェも女子高生に手紙を渡していたらしい。冷たい床の上を歩く、清掃員のおばさんとすれ違う、見慣れた壁にかけられた糞みたいなポスター、閉館日に赤い丸がつけられたカレンダーが通り過ぎていく。最後はやはり力任せだ。ただ無理矢理反転しようとする自分の身体を抑えつける。最後は強引に引っ張っていって舵を切るような、意志の力だけが必要となる。

「あの」

彼女は振り向いた。ちょうど口を大きくあけて、おにぎりにパクツこうとしている瞬間だった。リスがどんぐりに噛みつこうとしているようだった。

「すいません」

と言って、俺はカバンから手紙を取り出した。

彼女はおにぎりを両手に持ったまま、そのまま大きく口を開けてこちらを見ていた。

テーブルの上には参考書の類が広げられてあり、その中の一冊のひらかれた問題集の上に赤色のチェックシートが置かれてあった。俺は「すいません」と言って、赤いチェックシートの上にポンと置いてしまった。置いてすぐに俺はなんでここに置いたんだと思った。代わりにこれを使えというわけじゃあるまいし。彼女も(え!? そこに置くの!?)というような狼狽した顔を一瞬見せ、一瞬だけチェックシートの方に目をやると、またすぐに俺の方へ向き直した。

彼女はおにぎりを持ったまま制止していた。

噛むこともできず、置くこともできず、といったところか。



タリーズ目の前に広がる森林公園は、あいかわらず色調豊かで精彩に富んでおり、疲れしらずの太陽の浄光が木々の隙間から間断なく洩れ出ている。ゴールドクレスト、カイズヤカブキなどの植林が目を楽しませ、小さな花壇には金木犀がいっぱいに植えられ、建物外壁にはクスノキが等間隔に並んである。テラス席では女性たちがタピオカミルクティーに太いストローを差して氷をカラカラと回しながら楽しくおしゃべりをし、その横で中年親父が足を組みながら新聞を読んでいたり、ポケモントレーナーのようなミニタイツを履いた女性がポケモンのような犬を連れていたり、グラサンをかけて、短パンを履いた、胸毛が剥き出しになっている外人が豪快にチェアにふんぞり返って座っており、毎度、リゾート施設に足を踏み入れた気分になる。

味噌汁、という言葉が浮かんだ。コーヒーを前にしながら。

「なんであんたのために味噌汁を作らなきゃいけないの?」

「私はちゃんと大学に受かって、年頃の女として青山通りを歩いて服とかタピオカを買っていたい」

そんな声が聞こえた気がした。

俺は主に性差というものを考えていた。たしかに、テラス席の外人や、新聞を読んでいる中年親父、若い男だってそう、男なんてものは女から見れば不潔と暴力の対象であり、厚い板が迫ってくるような、股間に突起物が生えているしで、まるで刺しにくるようである。なるほど、だからエイトフォーを持ち歩いてんのか。

あー、くせー。くせー。こりゃあくせーわ、くせー、くせー、なんで、こんなくせー生き物のために、味噌汁を作らなきゃならないんだか。俺は自分の腋窩部をクンクン嗅ぐようにして、いまさらながら、成人男性がもつ特有の男性ホルモン、男性的臭気、そのあらがえない性への苦悩を吸いとっていた。こりゃあ、エイトフォーが必要だわ。

ちょうど、おにぎりをパクつく瞬間だった。

大きく、パックリ口を開けて、噛むこともできず、置くこともできず。

話しかけられたため、ちゃんと俺の顔を見返さないわけにもいかず。パクつこうとして、大口を開いたまま、それが10秒ぐらい微動だにせず、萌えアニメみたいだった。

高校生ながら化粧は濃いめで、やや青黒いインクのようなものを目の周りを施していた。一瞬タヌキのように見えた。しかし反応はやや子供寄りで、ポカンと豆鉄砲をくらった鳩みたいな顔をしていた。これ以上ないという濃度で互いの目を見やった気がする。あんがい人間は、初対面の人間にふいに声をかけられたときにしか、いちばん深い形で目を合わせられないものではないか。

店内いちばん奥の窓際の席。俺はグデンとして、溶けて、腰がずり落ちそうな、だらしなく、飲んでいるコーヒーと俺とでどっちが液体かわからないようなひどい姿勢で座っていた。俺はその姿勢に気づいていながら、どうしても直す気力が湧いてこなかった。

(渡した?)

(あれ? 渡した?)

(渡した)

(確かに渡した)

一瞬、手紙を渡したのかわからなくなることがあった。これはなんだろう? どうしてわからなくなるんだろう? この感覚がたびたびやってくるので、対処に困った。

今日は日曜日、道場に行く曜日だ。すこしは身体を動かした方が気が紛れるかなと思った。現在時間は14時過ぎ。14時〜15時は木刀の打ち合いの稽古であり、いま行けば参加できるかもしれないと思った。ちなみに13時〜14時は居合いの時間で、15時〜16時は合気柔術の時間である。

何もしていないと、逐一スマホをチェックしてしまいたくなる。しかし、今ほどスマホを見たくない時間もない。道場に行けば、スマホを見ないですむと思った。

(道場に行こうか?)

俺はずいぶん長く考え続けていたが、やはりすべての力を使い果たしたから、今は指一本動かせそうになかった。今、道場に行ったら、簡単な受け身もとれずに殺されるんじゃないかと思った。

俺はこのとき、わざと受け身を取るのを失敗して殺されようかと思った。

相手の打ちかかってくる面に対し、瞬間におでこを差しだせば、死ねる気がする。本当にそれをやろうかと思った。

しかし、それをやると他人に迷惑がかかる。今も人に迷惑をかけてきたばかりだ。まーったく! 人に迷惑しかかけねーな! 俺は!

また善良な市民に、また一つ迷惑をかけてしまった。俺の存在自体が社会にとって邪魔なのだ。ジムに行っても、道場に行っても、タリーズに行っても、図書館に行っても、マンションに一人住んでいても、人々に迷惑しかかけていない。みんなにいつも来るなって言われる。みんなにいつも死ねって言われる。おそらくは夭折していった、天才、偉人なんて連中も、みんなこんな気持ちを少なからず抱えていて、もう地球にいることが耐えられなくなって、その意志の力で地球を後にしたのだろう。今なら、俺も強く念じれば、その意志の力だけで地球とおさらばできそうな気がする。

(試してみるか)

(いざ、いかん──)

っち、なかなか難しいな、

どうやってやりゃいいんだ? これ

もっと、こうして、脳の神経パルス波を右方向に、20くらい落とせばいけそうな気がするんだが、クッ……

クソ、なかなか地球の重力が重てーな……

俺がタリーズで意志の力だけで死のうとしていると、

何が武道だと思った。武道だかブドウ🍇だかしらねーけども、こんなもんやったところで女子高生と付き合えるわけでもない。こんなもんやって心身錬磨したところで、女子高生からLINEの通知一つ届くわけでもない。それは俺でなくとも先生だってそうだろう。あんだけ偉そうに、毎週、毎週、ご高説を垂れて、強いかどうかしらねーけども、先生だって女子高生に手紙を渡したところで付き合えるもんでもない。先生ももう60になる。武道のぶの字もしらない制服の下にパーカーを着こんだ男子高校生に女子高生をかっさわれてしまうのだ。武道の達人が。

しかし、恋愛って奇跡だ。よくもまぁこんな難しいものをやりおえているもんだ、と思った。どこで知り合ったかわからない男女が、ああでもないこうでもないと話し──、そこから始まり──、タリーズのアベックたちを俺はぼーっと見ていた。タリーズの客たちときたら、全員、少しも、胸にポカンと穴が空いていない様子で、これは女子高生に手紙を渡さないことからくる余裕からきているだろうと思った。

しかし、恋の難しさとはなんたるかと思った。こんな難しいものを人々がやり抜いている事実に今更ながら驚愕した。街に出ればたくさんの男女が手を繋いで歩いている。このタリーズにおいても、たくさんのツガイが並んでいる。よくもまぁ、みんな、こんなに付き合えているもんだ。店内においてとくべつ目を見張るほどの美貌があるわけでもなかったが、そのことがさらに俺においうちをかけた。確かに世の中は、恋人にしろ夫婦にしろ、対になっている男女に優しい。それはやはりもともと男女が別個に分たれた存在ではないことの証左だろう。生物的にも社会的にもツガイであることで一つの完成品として迎えられる。俺はつい最近、何かを間違えて、先の電話の親友と二人で公園を歩いてしまったことがあるが、そのとき、「テロリスト!」「テロリストがいます!」と変なババアに通報されそうになったこともなきにしろあらずである。

やはり、光の正体は期待だったんだろうか? 裏切られてしまえばその瞬間に消えてしまう光。相手が自分のことを何とも思っていないことがわかると瞬く間に消えてしまった。鏡の法則かなにかわからないけれど、彼女が俺のとなりに引っ越してきてくれたこと(今ではそれも通用しなくなってしまった論理だが)がすべてだった気がする。

俺は瞬間的にバンッと机を叩いた。自分が自分を追い越したはじめての体験だった。無論、はじめてということはないが。机を叩いたあと、ハハ、と、どこからか乾いた笑みが込み上げてきて、自分を追い越す体験が二度続いた。

「さて」

と俺は言った。それも口に出た。

失禁患者のそれのように、先の現象といい、自分の中から発作的に生まれるとつぜんの言動を外に出るのを抑えられなくなっていた。

さて

さて?

さてって

さても何もないんだがな。

今はただ、彼女に対し図書館に勉強しにくるのが来にくくなっちゃったかなと、それだけが申し訳ない気持ちでいっぱいである。だが、よく考えてみてほしい。ふつう手紙を渡しておいて、失敗して、その足で自習室に踏み入れられるヤツが世界のどこにいると思う? こんな屁のような手紙を渡して一目散にタリーズに逃げ込んじまうヤツだぜ? どうやって図書館に顔を出すことができると思う? それを伝えにいきたいが、そうしたら彼女はますます図書館に足を運べなくなってしまう。

「ごめんね」と俺はまたふいに口走った。

これもまあまあの音量をともなってふいに出てきた言葉だったので、驚いた。となりの席のアベックがギョッと俺の方を見た。目を合わせたら余計に怖がられるかと思って、俺はあえて一点を凝視していた。

これは何に対してのごめんねなんだろう? さっきから、ごめんね、ごめんね、という言葉が、何度も胸の中で連呼されるのだ。図書館で勉強しにくくなっちゃったことに対するごめんね? どうもそれは違う気がする。俺は姿勢をやや前屈みにして、一口だけコーヒーを飲んだ。何がごめんねなんだろう? おそらくだが、どうやら、ごめんねと謝れば、神が同情して彼女の心をふたたび俺に向かわせてくれるかもしれないという期待からきているかもしれなかった。

タリーズのいい年した店員のおばさんたちは、素晴らしい挨拶と、素晴らしい接客、素晴らしい人間としての要素、それらを獲得するほど成長したのに関わらず、彼女たちですら恋愛するのは難しいだろう。もう50歳くらいになるからだ。人間は歳をとるにつれて成熟していく生き物なのに(あるいはしていかなければならない)、どうしてそれを恋愛という舞台で活かせられないのだろう? どうして神は恋愛をこのように設定したのだろう? なぜ俺はタリーズのおばさんじゃダメなんだろう? どうして女子高生じゃなければダメなんだろう? ゲーテはいう。「20代の恋は幻想、30代の恋は浮気、人は40代に達して、 はじめて真のプラトニックな恋愛を知る」俺は40にして、はじめてプラトニックな恋愛ができると思った。20代、30代より、今の方がいい恋愛ができると思ったのに。俺はたまらなくうずくまってしまい、身体の中に寒気を覚え、不思議と身体を前に乗り出して丸まってしまっていた。となりのアベックがいよいよ心配そうに見てきて、彼らに悪いと思って外に出た。とにかく、歩いて、歩いて、歩いて、歩き回った。俺は森林公園の中をひたすら歩いた。メリーゴーランドのように、景色が幾度となく通り過ぎていった。

(渡さなきゃよかったかなぁ?)

やっぱり俺は、ストーカーという生き物ですら、相手が自分のことを何とも思っていないことが判明した以上は、相手をそんなに好きにもなれないと思うのだ。あの夏目漱石ですら、「自分のことを何とも思っていない女とデートをするのは一秒たりとも御免である」と言っている。やはり物書きや、自己愛が強い人間はそういうものなのだろうか? だとしたら、俺が好きだったのは自分?

欲望の不在は欲望の対象を手にしたと同じことを意味する。しかし彼女の存在があるとそれもなかったことにできない。彼女が忘れてくれさえすれば、彼女の記憶がなければ、彼女がいなければ。おそらく、ストーカーといわれる人種も、このために動いているのではなかろうかと思った。この邪魔な感覚。今も彼女がどこかで息をしていて、このことを覚えていると思うと恥ずかしくなってくる。だから、ふと気を抜くと、つい彼女の存在を消しにいってしまいそうになるところがある。この感情を抱えるもののなかにはじっさいに彼女を殺しに出かけにいってしまうものもいるだろう。

図書館に行ったらなかなか可愛い子がいた

執筆の狙い

作者 しまるこ
133.106.228.84

こんなものをずっと書いてました(笑)さぁ、今年もあとちょっと、がんばっていきましょう

コメント

久々の男
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どうも、しまるこさんお久しぶりです。久々の男です。
作品を読ませていただいたのですが、感想を述べる前にボク自身の体験を書かせてください。

今の職場に通い出して半年ちょっと過ぎました。そこでボクの班で意気投合した34歳の女性がいます。
仮にTさんとします。彼女は愛嬌のある女性で、入った当初、おどおどしていたボクに笑いかけてくれました。決して美人ではありません。でも職場に慣れないボクにとっては女神のような存在でした。
彼女がきっかけとなって、ボクは班の他の人たちとも馴染めるようになりました。今では皆と和気あいあいとやっています。そして、ボクはTさんと仕事が終わった後も、喫茶店などで二人で話したりするようになりました。彼女はいつもニコニコと笑顔を振りまき、ボクは彼女がそんな明るい側面だけの愛想のいい女性だと勝手に思っていました。
しかし、ある時、二人でカラオケ屋に行く話になりました。無人受付のその店で、当初、予約はしたものの、かなり混んでいたので、ボクはドリンクバーでオレンジジュースを飲んだ後、出ようと言い、近くの図書館に行きました。
もう夕方だったので、図書館の入り口で彼女にもう帰ろうと言うと、カラオケ屋でジュースを飲んだのに未払いはいけないから、また行こうと彼女が言い出したのです。
カラオケ屋に行き、ジュースを飲んだ分、受付の電話でその分を払えばいいと思い、そのことを彼女に告げると、それはダメだ、予約したんだから部屋に行ってちゃんとしないといけない、と怒り口調で言うのです。
なんじゃ、この女は?と内心、ボクは思いましたが、その時に彼女の顔を見ると、目に涙がたまっているではありませんか。
これは彼女はオレと離れたくないんだな、と思い、精神錯乱気味の彼女をなだめすかして、彼女のマンションまで付き添い、部屋でもずっと付き合いました。彼女もベッドに横になりながらも、だんだんと落ち着いていきました。
それ以来、時々、休日などに、彼女の部屋にお邪魔することがあります(Hにはなりませんが)
機動戦士ガンダム08小隊の曲に「嵐に中で輝いて」という歌があります。その中で歌手の米倉千尋が「あなたの話す 夢が好きだから~♪」と歌うフレーズがあります。
Tさんも、この一節のようにボクの与太話を嬉しそうに聞いてくれます。
それだけでなく、彼女と長く話すにつれ、彼女自身の悩みや過去を聞く機会が増えてきました。
80過ぎの祖母の世話で母親が疲れ果てていること。若い時、相思相愛の旦那と死に別れたこと。そして、スピリチュアルの本を読むと、親しかった人の魂はその本人の傍にいてずっと見守っているとのこと……etc.
Tさんはお世辞にも美人とは言えません。しかし、外見には見えぬ内面の乙女心は女性全員共通だと思います。
ボクも面食いだから、かわいい娘のことをひいきにしたくなりますが、そうではない女性であっても、こうやって向こうから求められるのは嬉しいです。

この作品の場合、以前「カメハメザメ子」のコメントでも書きましたが、しまるこさん自身が関心のある女性への内面への接点がないように思います。
しまるこさんを月、相手の女子高生のことを地球とすると、しまるこさん自身のその彼女への憧れ、妄想、うんちくなんかは詳細に分かります。
しかし、月が地球を周回して、絶対接近できないように、その地球のことはニアミス(百円玉を彼女に拾ってもらったこと)はあっても全然分かりません。
その地球の月から見た外見ではなく、地球自身の豊かさを描くことが大切なのでは?と僭越ながら思いました。

最後に、お礼を言わせてください。こんなしがない51歳の毒夫の書き散らした文章を特異と言ってくださってありがとうございました。あれからボク自身の自信につながりました。しまるこさんのあの言葉があってから、自分の知識自慢ではなく、ボク自身の実体験、リアルで感じたことをなるべく書くようになりました。しまるこさんご自身が自分自身の体験、感じたことをこの作品のように書いているようにです。
重ね重ねですが、本当にありがとうございました。

しまるこ
210.157.210.33

ここにあるのは、若い女性の外面的容姿からくる興味や憧れ性欲以上に書かれているものはなく、まぁPS5だったり、子供がプラモデルを見てヨダレを垂らしているようなところを延々と書いてあるに過ぎないかもしれないですからね。そういったものに対して、長い文章で付き合うとなると、ちょっと読者も大変かなと思いますね。やはり、その人の内面を明らかにして、その人が一体どういう人間なのか、そしてそれがどういうドラマを起こして、どんな感動につながるのか、やっぱりそこを書けたらいちばん良かったのですけれどもね。私はここに書いてある以上は彼女のことはわからなかったし、私の方としても、久々の男さんが以前喫茶店でナンパをして出入り禁止されたのでしたっけ、その話よりも、今お話ししてくれたことについての方が、お話をより深く聞いてみたくなりましたから。

私も、その内面のために、喜ばされたり、苦しまされたり、様々な感情や感動を引き起こされたとある女性の体験がありますから、本当はそっちの方を書かなければならないのだと思います。本当に書かなければならない必要性に応じて書いたことでなければ、やはりだめなのかなぁなんて思いましたね。それでも、私は今回この作品をかけてとても楽しかったし、とてもいろんな発見がありました。それも久々の男さんとのコメントのやりとりからふと書いてみようと思ったところがきっかけですから、やっぱり久々の男さんのおかげですよ。これも本当に縁だと思います。久々の男さん、こちらこそありがとうございました。

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