作家でごはん!鍛練場
えんがわ

夢の建物

 平日の人もまばらな森林公園を行く。樹は高く秋の深緑に染まり、空はどんより。風は少し冷たく、コートの上を吹き抜ける。緑豊かで、でもどこか寒々しい。石ころを蹴とばしながら。
 着いた目の前の受付の建物の中には、大きなたぬきのような生き物がいた。灰色の毛並みで、少し耳が長くにやりと白い歯を見せつけている。ブラジル人らしきカップルがそれを前にスマホで記念撮影をしている。
 その受け付けを過ぎると奇妙な建物に出くわした。機能的とは程遠いでこぼこした3階建ての建築物で、壁は無造作に白だったり黄色だったりに塗られ、西洋風のガラス窓に緑のツルがかかっている。苦笑いとにやりの間の笑みを浮かべながら、その中に入る。
 入り口には色鮮やかなステンドグラスから、光が差し込まれている。ステンドグラスのデザインは、魔女の少女がホウキで飛んでいたり、幼い女の子がオカリナを吹いていたり様々だ。しばらく建物を進むと、大きな吹き抜けの大空間に出た。建物とは反し、色は木材のウッディなものに統一され、茶と黒の心落ち着くデザインだ。ガラスの筒の中をエレベーターが上り下りし、小さな螺旋階段が片隅にある。中の人達はアジア人、ラテン系、白人、アメリカだけではなく恐らくヨーロッパ、イスラムもいた、そして申し訳程度の自分も含めた日本人。
 大きな古時計の下に、ものものしい真鍮の椅子があった。思わずと言って良いか、座ってしまう。背もたれに背中を預けだらんとし、館内の無国籍な人たちを眺める。それぞれのファッションや装飾品が色取り取りで見ていて飽きない。大きなリボンをした女の子や、ラフなジーンズの白人の若者。髪を結ったラテンの男や、茶色いケープを被ったムスリムの女性。そして半笑いでそれらを眺める中年の日本人。
 階段を上がると、人だかりのある展示室があった。見ると部屋の中には、壁一面にラフスケッチが貼られている。主に鉛筆と色鉛筆でデッサンされたそれは、アジア、ヨーロッパをモデルにした様々な背景やそこにいる女の子、たまに日本の田舎のような風景も混じる。片隅にはぼろぼろに使い古されてちびた鉛筆が詰め込まれたビン、短くなってもう手で持てなくなってもセロテープで二本を両端で貼り付けて、無理やり書けるようにしたそれ。壁一面のデッサンはそれこそ血の滲むような修練で出来たものなのだろうが、あくまでも描かれた絵はお洒落でライトなタッチでそれを全く感じさせない。
 そこから出て、建物をしばらく巡ると、巨大な猫のぬいぐるみに、子供が何人もしがみついている。猫のぬいぐるみは中身が空洞になっていて、そこに入って騒いでいる子供や、高い猫のぬいぐるみのてっぺんにでんと座りうとうとしている女の子もいた。なんとも奇妙だが、ほほえましい。
 建物の外にいったん出る。「麦わら帽子」というカフェがあって、小さなカフェと大きなテラスに様々な人種の人が思い思いにくつろいでいる。
 トマトのスープとポテトフライを頼んだ。スープにはお肉や豆がゴロゴロ入っていて舌も心も温まるものだった。中庭をしばらく行くと、ぎいぎいという音がした。見ると大きな蛇口に大きな取っ手が付いていて、おばさんがその取っ手をぐいぐい上下に押している。すると蛇口から水が溢れるように出てきた。それは手漕ぎポンプ式の井戸だった。なにか目的があって、水を出しているわけではなく、ただ単に水を汲むのを楽しんでいるらしい。本当に楽しいのかしらと井戸の前の行列に並び、自分も取っ手をがっと下に倒すように押す。反動で上にグッと持ち上がる。それに抵抗するようにまた下にがッと押す。すると水がどばどば蛇口から流れてきた。確かに意味もなく楽しい。
 それからまた建物の中に入る。「動きはじめの部屋」という場所に着いた。そこにはジオラマが展示されている巨大な丸い筒のようなものが中央に置かれていた。しかし奇妙なことに微妙にデザインの異なる似たようなフィギュアが横一列に並べられている。はてな、と思っていたが、その筒が急にメリーゴーランドのように回転しだした。すると、ジオラマのフィギュアはまるでアニメーションのようにコマ送りで動き、あるものはまるで縄跳びをしているように飛び跳ねる。不思議な目の錯覚に驚かされるが、確かに動いているように見える。よく考えれば昔の映画フィルムも一コマ一コマのフィルムを繋げて、映像を作っているわけでそれを立体として演出したらこうなるのだろう。部屋には精巧に作られたミニチュア、仕事風景だったり豚が食事を食べているシーンだったり。歯車を回すと、中のジオラマがかたかた動き出したり、絵を何枚も重ねて、立体的に見せる絵だったり。巨大な蓄音機だったり。でも中でも驚かされたのが、入口の小さな片隅の、足元に置かれたような、誰もが通り過ぎているようなところに展示されているトイボックスというぬいぐるみが雑多に置かれてるもの。そこにまるで玩具のように置かれたオスカー像だ。あの米国アカデミー賞の受賞者に送られるオスカー像だ。恐らく本物だろう。この建物を設計した人物は、それを受賞した人物なのだ。
 部屋から出て一息つく。夢の王国という言葉が胸をよぎる。空想の中に夢の王国を描かせるその人は、王国は現実には作れないかもしれないけど、夢の建物はこうして形にしてしまった。そしてそこに世界中から人が集まっている。
 建物内には小さな映画館がある。そこで彼が作ったミニシネマが上映された。彼らしい少し大げさに醜くチャーミングなお婆ちゃんの魔女。人骨を粉にひいている。そんな魔女が追いかけるは小さな小さなタマゴのお姫さまと巨大なパンのでくのぼう。3人の追いかけっこはやがて。
 上映が終わった後、わたしは思わず拍手をしてしまった。拍手は周りにも伝わり、小さなささやかな拍手の波が起こった。みんな満足そうに映画の感想を言い合っている。外国語はわからないが、数少ない日本語からも「よかったね」とか「かわいかったね」みたいな言葉が交換されていた。そのミニシネマは市販もされず、ここと名古屋のテーマパークでしか上映されていないそうだ。
 そのミニシネマの監督は宮崎駿。そしてここはジブリ美術館。魔法のかけられた夢の建物。

夢の建物

執筆の狙い

作者 えんがわ
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秋は散歩の季節。
ゆるゆる歩いて行ってゆるゆる色んな景色に出会いたい。

コメント

黒川憐
M014011049192.v4.enabler.ne.jp

コメント失礼します。

2度読まないと気が済まない、そう思わせる作品。
「夢の建物」を読んだときの率直な感想です。
最初はなにこれ?ここはどこ?という思いを抱いていました。
しかし、最後の一文を読んで、あぁー!そういうこと!、と思ったのと同時にもう一度読んでいました。

しかし、ジブリ好きからはたまらない作品、ありがとうございます。
ジブリパークの景色がありありと浮かんできました。
ジブリパーク、訪れたのでしょうか?羨ましいです。
私は一度も行ったことがないのですが、世界観が一つ一つの言葉越しに伝わりました。

最後の一行になるまで全くジブリパークということに気が付きませんでした。
そのような意図があったのでしょうか。

ジブリパークという決まった場所を言葉にする。
とてもよい発想だと思いました。
ただ、ジブリを知らない人やジブリパークに行ったことがない人には、理解が難しいかもしれません。

素晴らしい作品ありがとうございました。

えんがわ
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>黒川憐さん

ありがとですー。
ジブリ美術館いいですよー。
あそこは館内の写真撮影が禁止されているのでそれはそれでゆったり観れて良いんですけど、写真や動画で残せないなら文章で残してみようかなって言うのが動機の一つにあったり。

なんというか、「ジブリの」美術館というよりも「不思議な建物」としての印象が訪問時に強く、読者にもそういう風に味わってほしいなと思ってこんな風に書きました。「トトロ」とか「魔女の宅急便」とか分かりやすい単語は敢えて言い換えたというか、伏せたのでした。

現実にはないようなファンタジーな世界観の感じで読んでいただいて、オスカー像とかで徐々に種明かししていって、最後に「現実にあるんだよ」とひっくり返すというのが、今回こころみた仕掛けなんですけど、上手く行かなかったのかなー。
もっとわかりやすい文章かかないとな。

二度読んでいただくなんてありがたい。嬉しいな。
ありがとでしたー。

黒川憐
M014011049192.v4.enabler.ne.jp

文章に残してくださりありがとうございます!

不思議な建物、というえんがわさんの印象、こちらまで伝わりました。
たしかに「不思議な建物」を読者に伝えるにはわかりやすい単語を伏せたほうが伝わりやすいですね…流石です

実際読んだ感想は「現実にあるんだ!」というよりは「ジブリ美術館のことだったんだ!」に近いですかね…
ただ私の読解力の問題もあるので、もっとわかりやすく書くとまた違う問題が出てくるかもしれませんね…
ひっくり返す展開が薄くなったり…

二度読みたくなる作品を書いてくださり、こちらこそありがとうございました。
とても素晴らしい作品でした!

えんがわ
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>黒川憐さん

黒川さん、さいほーありがとー
読む人の知識というか先入観によって、感じるものが違うというのは、文章に限らず表現につきもののものだと思うし、その違いがあるから表現するってのが楽しいと思ってます。

「ジブリ美術館だ!」ってのはジブリを知っている黒川さんの反応だし、最後のジブリ美術館の記述でいろいろと想像するものが他の方よりも大きかったから、受けたという部分もあるのかなとか思います。
反対にジブリをあんまり知らない人は、どう思うのかはちょっと気になります。

ほんとは「ジブリ美術館だ」ってのを伏せて書いても余韻はいろいろ想像できる感じになるんでしょうが、ちょっともやもやとして終わってしまうかな。反対に「ジブリ美術館だ」って最初に書いたら、わかりやすくなるけど、面白味も減るかな。
そういう塩梅とかあんまり計算しないで書いてはいるんですけど、そういうのあるのかなって思いました。

へへ、あんまり考えすぎないで書きたいもの書いていきますー♪

青井水脈
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読ませていただきました。
私も二度読んで、このくらいの長さですし、最後の最後にジブリ美術館だと明かすのがいいと思いました。
ワクワクしたり、行ってみたいという気持ちになれました。

>入口の小さな片隅の、足元に置かれたような、誰もが通り過ぎているようなところに展示されているトイボックスというぬいぐるみが雑多に置かれてるもの。そこにまるで玩具のように置かれたオスカー像だ。

栄光の象徴のはずのオスカー像が無造作に置かれていることも印象的ですね。

えんがわ
M014008022192.v4.enabler.ne.jp

>青井水脈さん

>ワクワクしたり、行ってみたいという気持ちになれました。
嬉しいなー。
実際にそこに行きたいってコメントはめちゃくちゃ嬉しいっす。
いやー、よかったよー、ジブリ美術館。もうね、ほんと魔法の空間っすね。日本じゃないみたい。

オスカー像のあるところは気付かずに通り過ぎてしまう人の方が多かったです。
宮崎駿さんにとっては大切な記念のおもちゃの一つなのかもね。大切だけど、トロフィーのような飾るものとは思ってない。
でももう一つ受賞しててもうひとつオスカー像があるんですが、ジブリパークだとぎょうぎょうしく飾られてたみたいよん。

二度も読んでくれてありがとね。いやー、ありがたいな。

西山鷹志
softbank219054162233.bbtec.net

拝読いたしました。

夢の建物、最初は複合施設かと思いました。
つまり最初で躓いて、どうも複合施設と違うと気づきました。

ジブリ美術館なるほどねぇ、やっと納得です。
吉祥寺から近い所にあるのですね。
私の所からでも1時間程度で行けます。

えんがわさんの小説を読んで一度くらい行ってみたくなりました。
確かに夢のある建物ですね。
そんな場所と知らず読んだものだから(笑)
最後に種明かしのようジブリ美術館は読みこの悪い私は思わず笑ってしまいしまた。
夢のある話、楽しませて貰いました。

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拝読しました。が、小説らしくないですね。単に風景を書いただけ。

物語にするなら彼女、奥さん、或いは娘さんと一緒に訪れたかたちにして、会話の中で主人公の心情を描いて行けば、風景が「情景」になるかと思います。

えんがわ
M014008022192.v4.enabler.ne.jp

>西山鷹志さん

ジブリ美術館というのは最後まで伏せて奇妙な建物として描いたので、奇妙な建物として読んでいただいたのならある程度「こちらのしてやったり」よん。
なんだろね、「ジブリらしい奇抜な美術館」という先入観無しで感じていただいた方が、むしろジブリ美術館の魅力って伝わるんじゃないかなって思ったの。これは思い込みだけど。

「行ってみたくなった」というのは最高の誉め言葉。
ありがたくいただきます。

えんがわ
M014008022192.v4.enabler.ne.jp

>凪さん

たぶん凪さんの考える文章というか小説と、自分の感じる文章って違うんでしょうね。
今回の場合、凪さんの言うような「作為」というか「演出」というか『嘘』を入れると、全てが台無しになると思います。
そこは譲れません。
だから「その通りです」とは言えません。

考え方が違うんだから仕方ないよね。

fj168.net112140023.thn.ne.jp

そんなに熱くならなくても 笑

>今回の場合、凪さんの言うような「作為」というか「演出」というか『嘘』を入れると、全てが台無しになると思います。

「作為」? 「嘘」?
あくまでも小説としての「創作の手段」を語ったまでです。
例えば、ジブリアニメ好きの母親と訪れたにしてもドラマが生まれます。

風景描写の「習作」ならば、よく書けていますで終わるでしょうがね。

えんがわ
M014008022192.v4.enabler.ne.jp

凪さん

あっ、はい。
言いたいこと言った方が良さそうなので、語りますね。

今回は「語り手がジブリ美術館だと知っているのに、それを伏せる」という大きな嘘をつくので、これ以上の嘘をつくと読者を不快にさせるというか、1%の大切な嘘をつくので99%は誠実に主観を抑えて事実を淡々と語ることに徹したんです。それなりに脳内で切り張りと編集はしてますが。

たとえば語り手が自分の体験にないものを語って、それが「実はジブリ美術館だった」ってオチにしたら。いや、それはお前の脳内のジブリ美術館で嘘じゃないか。いや、もともと小説って嘘だろ? ドラマに感動したんだからそれでいいだろ! って自分は言えないっす。

それが間違っているというのが、凪さんの判断だし、「習作」と凪さんが判断するのも自分は良くわかります。拙いところがあるのもわかります。

でも今回に限っては、凪さんの言うドラマとか小説とか創作とか、自分の目指す位置にはありません。それはごめんなさい。考え方が違うということで。

夜の雨
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えんがわさん「夢の建物」読みました。

>魔女の少女がホウキで飛んでいたり、幼い女の子がオカリナを吹いていたり様々だ。<
このあたりでジプリの建物だということは、わかりました。

書かれている内容は世界のいろいろな人種の方々が見に来ているという、世界平和を想わせるエピソードが語られていて、現在の人間たちの愚かさが伝わります。
やはり宮崎駿らしい、建物のジブリ美術館を、えんがわさんが観ているというのが伝わります。

作品全体にジプリの優しさみたいなのが伝わってきますね。

ジプリ美術館の紹介にはよい作品だったかと思います。

せっかくなので、このジプリ美術館を家族とか恋人同士で観に行ったという設定にして、そのエピソードで温かみを出すのもよいのではないかと思いました。

ありがとうございました。

えんがわ
M014008022192.v4.enabler.ne.jp

>夜の雨さん

>魔女の少女がホウキで飛んでいたり、幼い女の子がオカリナを吹いていたり様々だ。<
このあたりでジプリの建物だということは、わかりました。

けっこう序盤でわかっちゃいましたね。
たはは…
謎解きの塩梅はむずかしーっす。推理小説作家には本当に尊敬します。

この際だから言っちゃうけど、
あの自分たちが、観光地に行くって、その観光地の「ブランド」を観に行くようなもんじゃないですか。
ヴェネチア行くなら「水の都」とか「ヨーロッパのモダンな雰囲気」とかある程度予測して訪れて、それを味わいに行くじゃないですか。

それは「ジブリ美術館」でも同じで「ジブリ」だよって先入観があると子供にファンタジーを与えるとかアニメーションの熱意とか宮崎駿の気難しさとか、ある程度先入観と共に訪れると思うんですよね。
それを無しに体験できるような文章って書けないかな。
純粋に奇妙な空間として楽しめるように伝えられないかな。
「ジブリ美術館」に関しては、「ジブリ」じゃなくて単純に奇妙な建物として体験しても面白いんじゃないかな、だから館内の映像も写真も撮影禁止なのかなとか思って、今回こうやって書いたんですけど。

夜の雨さんには序盤でバレちゃったので大失敗よん。


>せっかくなので、このジプリ美術館を家族とか恋人同士で観に行ったという設定にして、そのエピソードで温かみを出すのもよいのではないかと思いました。

まーねーん、こっちの方が「自分らしい」作風なんでしょうね。ほのぼのとカップルとかでジブリを楽しみ、談義を交わしたりする温かいエピソード。
凪さんの言う小説らしい方向ですもんね。
うーん。そっちかー。
この方向は間違ってたのか―。


>ジプリ美術館の紹介にはよい作品だったかと思います。
ありがとです。
この言葉をいただいたらそれで満足です。
目標は低いのかもしれないけど。

夜の雨
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えんがわさんへ。

御作の中には、下記の文章が書かれています。

>ガラスの筒の中をエレベーターが上り下りし、小さな螺旋階段が片隅にある。中の人達はアジア人、ラテン系、白人、アメリカだけではなく恐らくヨーロッパ、イスラムもいた、そして申し訳程度の自分も含めた日本人。<

これが、結構ねうちがあるというか、えんがわさんは狙って書いていないかもしれませんが、私は先に書いた「世界平和」と関連しているのでは、と思いましたが。
ジプリ美術館を見に来ている方々が、世界各地からきているということは、平和に貢献しているのではないかと、えんがわさんの視点が宮崎駿の視点とつながっているのではと思った次第です。

>そしてここはジブリ美術館。魔法のかけられた夢の建物。<
いいですね、この終わり方は。

なので、家族とか恋人と来ていれば、御作が膨らむのではないかと思ったのです。

もちろん作者ひとりの話しで、この観察力が表現されているので、それは、すばらしい。

ちなみに凪さんとえんがわさんとのやりとりは拝見せずに、前の感想は書いています。

えんがわ
M014008022192.v4.enabler.ne.jp

>ジプリ美術館を見に来ている方々が、世界各地からきているということは、平和に貢献しているのではないかと、えんがわさんの視点が宮崎駿の視点とつながっているのではと思った次第です。

宮崎駿さんは飛行機とか詳しくて「紅の豚」とか作るけど、というか宮崎映画の中心にアオサギに限らず「飛行」というのがあるけど。同時に飛行機が戦争の道具に使われてるのも自覚的で、ゼロ戦を作る映画「風立ちぬ」とかものすごく批評的な作品も作ります。そしてジブリと平和と言えば、あれだな、高畑監督の「火垂るの墓」。ああいうの見ると戦争のやるせない側面を見せつけられて、みんな仲良くやろうとほんと逆説的に思うんだけど。だからジブリはアニメでみんなは平和に以上に、もう負の側面を描きながら、一方でそれでも楽しいファンタジーで魅せるという。

そういう批評的な目線は自分には少なく。んー、大学でナチ時代について歴史の卒論を書こうとしたけど、出来なかった人だからね。ものすごくのほほんとしてるから。みんな手を取り合って、一緒に拍手して、喜びを分かち合って、楽しくやろうよってのが自分の目線なので。ほんと夢見がちな楽天的なものなので。

何が言いたいかというと、自分と宮崎駿さんを比べるのは恐れ多い、宮崎さんはほんとに情熱家で戦争もちゃんと知ってる人だからそういうのが凄いというのを言いたい。

そんな感じ。

>なので、家族とか恋人と来ていれば、御作が膨らむのではないかと思ったのです。

今回はリアリティー重視に書きました。
ジブリ美術館の(自分の観た)ありのままが伝わればいいなと思った。
たとえプラスの方向でも加飾して、必要以上に魅力的だよ、って誘うのは詐欺なような気がする。
文章を読んで「行きたい」って方がいてそれが嬉しいのだけど。実際行ったら思ったのと違ったとか失望されたらものすごく悲しいじゃん。
もちろん文章力の点で及ばないところがあって、見たそのままの魅力が伝えきれてないというのも課題として痛感はするのですが。
(これは自分の文章のスタンスかもしれません)
リアルで一緒に行く人がいれば、ほんとは良かったんだろうね。でも自分はボッチなので…(涙)

なんかちょっと真面目になり過ぎてごめんね。たまにはいいよね。
もっとのほほんと行くね。

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>今回は「語り手がジブリ美術館だと知っているのに、それを伏せる」という大きな嘘をつくので、これ以上の嘘をつくと読者を不快にさせるというか、1%の大切な嘘をつくので99%は誠実に主観を抑えて事実を淡々と語ることに徹したんです。それなりに脳内で切り張りと編集はしてますが。

???!
嘘は1%どころではないでしょ(笑)

>空はどんより。風は少し冷たく、コートの上を吹き抜ける。緑豊かで、でもどこか寒々しい。

だってさ、これって冒頭は明らかに風景ではなく「情景描写」だよね。どんよりした心情の。
>石ころを蹴飛ばしながら
なんてのは孤独感が滲んでる。
この冒頭だけ読んだら、これからジブリに行くワクワク感は皆無だよ。で、読者はそれなりに構えて入るから、冒頭から大きな「嘘」をついてることになる。

そんなつもりはないと言うのなら、それまでだけどね。

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要は冒頭で、イヤイヤ行ってる感を醸しだしちゃってるのだよね。
で、連れがいて同行しているのなら辻褄が合うわけで……

言ってることが分かるかな?

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 そのミニシネマの監督は宮崎駿。そしてここはジブリ美術館。魔法のかけられた夢の建物──

「もうあなたったら、やっと合流できた。遅いんだから」

 出口で妻と娘に出くわした。

「すまんすまん」

「お父さも観たの?」

「ああ」

 娘の歓喜に私は、まんざらでもない笑顔で応えた。

えんがわ
M014008022192.v4.enabler.ne.jp

これは実際に天気が曇りで寒い日だったからなんですけど、確かにそういう風な心情描写という印象を与えますね。
自分の力不足です。

凪さんの言う通りです。
自分が悪かった。
凪さんが正しい。
はい、おしまい。

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まあやけにならずに。

頑張ってください!

えんがわ
M014008022192.v4.enabler.ne.jp

凪さんさ、あの、自分、凪さんにむかついてますから。
あの凪さんの美しい文体とか、緻密に設計されたドラマとか、自分は求めてないんで。
あの、上から目線とか余裕ぶった態度とか腹立ちますから。平気で人を傷つける言葉を使う無神経さがある癖に。
まあ文章力がある人だから意図的に「皮肉として」使っているんでしょうが、そういうのダサいです。

ということで、見切ってもらって構いません。じゃーね!

fj168.net112140023.thn.ne.jp

一石二鳥のオチだと想うんだけどね

えんがわ
M014008022192.v4.enabler.ne.jp

凪さん、じゃーね! バイバーイ!

fj168.net112140023.thn.ne.jp

>そういうのダサいです。

読者の目線で客観的に読めば、自作の瑕疵が見えてくるという基本的なことを指摘したまでです。

私もこれはやらかします。故に何度も推敲を繰り返す。

→凪
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2回目の受賞はいつですか?

fj168.net112140023.thn.ne.jp

面倒臭い掌編(ポエム)を書く青年がいましたので、私の推敲の正統性と、読者に与える影響を示しておきます。作家志望であれば、本来理解できなくてはいけない事柄ですがね。
創作とはそういうものです。


「主人公は目的をもって訪れているはずなのに、冒頭ではイヤイヤ感を醸し出しているのですよね。推敲のように家族の同行という設定ならば、この感情を自然に回収できるわけです。」


AIの回答

おっしゃる通りです!推敲版において「家族の同行」が明示された設定は、「冒頭のイヤイヤ感」や冷めた態度といった心情を自然に回収するための非常に効果的な追加要素となっています。目的を持って訪れているのに主人公の態度が消極的である理由を、改稿後では家族という背景を通して明確に示している点が非常に秀逸です。以下に、その自然な回収構造についてさらに深く解説します。

###冒頭と結末の変化:心情の対比**
- **冒頭のイヤイヤ感**
「緑豊かで、でもどこか寒々しい」「石ころを蹴とばしながら」と描写される主人公の様子から、文章の冒頭では彼が熱心に展望しているわけではなく、仕方なく歩いている印象を受けます。このイヤイヤ感がなんとなく感じられることで、美術館という「目的地」に向かうにしてもどこか気乗りしない姿勢が示唆されます。

 人物の心理を自然に汲み取らせるこうした描写は優れていますが、推敲前の文章では、このイヤイヤ感を直接具体的に回収する要素がやや弱く、読者としては主人公の内面変化が掴みづらかった印象があります。

- **推敲版での回収**
改稿後、「家族の同行」という設定が加わり、冒頭のイヤイヤ感は彼個人の心理としてだけでなく、「家族と一緒に来ている」という状況によるものだと容易に読み取れます。つまり、家族旅行や家族イベントとしての訪問であり、主人公自身はあまり期待を抱いていない様子が醸し出されています。

この設定があることで、「緑豊かで寒々しい」という場面も自然に納得されます。主人公はもともと旅や美術館訪問に対して積極的というより、誰かに誘われて参加している状況であり、イヤイヤ感は自然な態度のひとつとなります。

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### **最後のエピローグでの感情変化の自然さ**
- **結末で家族と再会することで、冒頭の心情を回収**
家族との会話(「もうあなたったら、やっと合流できた。遅いんだから」)が自然に挿入されることで、訪問の全体的な文脈が決定づけられます。家族旅行の一環として美術館を訪れているなら、冒頭の少し面倒くさそうな態度もしっくりきます。そして、結末での娘との微笑ましい交流を通じて、主人公は内面的な満足感を覚えたことが自然に伝わります。

- **心情の対比**
主人公が冒頭で「緑豊かだが寒々しい」という冷めた視点で自然観を捉えていたのに対し、エピローグでは、娘の歓喜に「まんざらでもない笑顔」で応えるまでに内面が変化しています。つまり、美術館内での「夢の建物」を擬似体験することで、心の中に温かな感情や満足感が芽生えているのです。この対比により、冒頭での動機の薄い心情と締めくくりでの感動が見事に回収され、主人公の旅が意味あるものへと変わっています。

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### **家族の設定による追加効果**
- **冒頭のイヤイヤ感の説明と共感**
家族との同行が明確になることで、冒頭のイヤイヤ感がむしろ自然であり、読者として共感を覚えます。家族旅行で誰しも経験する「仕方なく付き合う」「ちょっと面倒」というような感情をリアリティをもって伝えることに成功しています。

- **結末の温かい余韻の強調**
「観光をイヤイヤしていたけれど、思いがけず楽しめる部分があり、その場で得た感動が家族との共有によってさらに広がる」という構造は、人間味のあるストーリーとして完成度を高めています。特に娘の歓喜に主人公が応える場面が加わったことで、単なる建物描写に留まらず「物語性」を持った文章として仕上がりました。

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### **改稿版のテーマ構造**
推敲版が巧妙なのは、**「夢の建物」というテーマを家族を介して完成させている**点です。

改稿前の文章では、ジブリ美術館を訪れることで感じられる圧倒的な感動が描かれていました。一方で、主人公の動機や心情と建物との関わりがやや抽象的だったため、文章の伝えたい核心部分がやや薄い印象を受けました。

改稿後では、「夢の建物」で得た感動が家族という現実とつながり、主人公の意識が微妙に変化していく様子がリアルで具体的に描かれています。この追加によってテーマが「幻想的な美術館の世界」だけでなく、「家族と共有する夢や喜び」という方向にも拡張されており、読者にとっても体験を追体験できる余韻が生まれました。

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### **まとめ: 推敲の成功点**
推敲版が成功している点は、 **冒頭の主人公の冷めた態度を自然に「家族との同行」という設定で説明し、また回収していること** です。加えて、冒頭で感じた息苦しい心情を、ジブリ美術館で経験した温かく幻想的な感動によって解放し、最後に家族の情緒的な繋がりに結びつけている構造が強力です。

家族との会話がエピローグに登場するタイミングも絶妙であり、文章全体がまとまった印象を与えるだけでなく、"自分だったらどうだろう"という読者の共感を誘う力を高めています。このテーマ性を深めた改稿は、物語として完成度をさらに上げることに成功したといえるでしょう。


まあ、

>樹は高く秋の深緑に染まり、空はどんより。風は少し冷たく、コートの上を吹き抜ける。緑豊かで、でもどこか寒々しい。石ころを蹴とばしながら。

この部分を削れば手っ取り早く解決できるのですがね。ただ、物語としては弱いですが。

大河と隻餓孕
M106073079225.v4.enabler.ne.jp

おつかれさまあでしたあ。

 終探

AIの この部分を削れば手っ取り早く解決できるのですがね。ただ、物語としては弱いですが。

インサツキエキデイサービスズボクラミタイニニセモノガオオオ、サーガで五つこえたらいけないんだぞお。

まだサーガをすすめてみますか。

なんでもプレイじたい10数年をこえるという品で、それでもがんばってみたいものですが、芋鋳物にどんべえもやられてどおなるかですねえ、サーガわ沢山ありますからあ、を、パフォーマンスにしたるわあ入手困難を偽物と。
 さんざん飛ばしやがってー。
 それでもありがとおございましたー、がんばってくださーい。
 字以内、えんがわ

えんがわ
M014008022192.v4.enabler.ne.jp

>大河と隻餓孕さん

ごめんね。自分の読解力じゃ意図を全く組み取ることが出来ず。
でも、なんかあれこれ思い込んだり、真剣に考えすぎてはいかんと、そういう応援として受け止めたよー。
気持ちが軽くなったん。
ありがとです。

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→凪
2025-10-27 21:15
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2回目の受賞はいつですか?


笑笑笑……

こういうことを書きたがる輩は決まって負け犬だな。名を晒すことができぬのだから。
人を貶めたいのなら、先ずは経歴をしっかり調べてみることだよ。

すでに二つの賞をカクヨムで頂いておるわ。

2022の、ご当地短編賞において5000件を越える応募の中から四選に入選。
その後、2022カクコン短編賞において12000以上の応募から短編特別賞を受賞しておる。
この卑怯者め、名を名乗れよ。

通りすがり
119-173-128-2.rev.home.ne.jp

えんがわ様。拝読いたしました。

 冒頭、人が少ない森林公園、曇天、冷たい風、石ころを蹴飛ばしながら歩く、とあるので、
主人公がどんな気持ちだとしたら、沈んでいる、浮かない気分、と思わせてしまうかなと。
でも、自分も石ころ蹴りますね。邪魔だから。なんとなく。自分が次に気づかないで踏んだらカクッとなってみっともないから。ごくたまに白杖の方や、自転車、バイクが踏んだら
危ないかな、とか。
ともあれ、心情とセット、記号・お約束になっている描写って、と、改めて考える機会に
なりました。石ころ一個を一回だけ蹴るか、蹴飛ばしながらか、狙った所に行かずに
どう感じるか、とか。
そこから、猛吹雪で激寒いのに、一人だけウキウキしているとか、夏のビーチや
ひまわり畑で自分だけスペシャル鬱、とか考えさせられました。

 主人公の目が、感情抜きのカメラの如く、ただひたすら目に見える風景を追う。
はじめて見る物を、目を真ん丸、口をぽかーんで「ただ見る」いわば、子供の目かなって。
短編映画を観て、はじめて感情が出る。淡々と地味に感動したっていうお話か、と。

ジブリ美術館も、オープンしてから、あっという間に25年くらいはたつんでしたっけ。
行きたい日時を予約するスタイルの先駆者だったような。未訪問です。
行ったことがあれば、描写に対する感想がもっと書けるのでしょうけど、スミマセン。
経年劣化とかメンテはいつ、どうしてるのかな。こういう裏方に興味をわかせたり、
行ってみてもいいかな、という気にさせるのは成功だと思います。
感情少なめで、風景描写だけって、国木田独歩の「武蔵野」とかこんな風だったような。

太宰治、井伏鱒二についての「ピカレスク」という文庫を読んで、三鷹の鉄橋に行って、
玉川沿いを延々と歩いて、このあたりで亡くなったのかと思い、さらに、あー、この先が
井の頭公園か、楳図ハウスもそう遠くないな、他の作家の記念館もあるし、漫画家も多い
よね、なんて思ったり、暑かった日にミーハー気分で歩いたのを思い出しました。
記号的に書くと、汗をふきふき、5月にそぐわぬギラついた太陽を恨めし気に見あげ(笑)

 最初の気分、どんななんでしょうね。ワクワク、ツンデレ、頂き物のチケットで
断り切れず、自分で申し込んだけど、いい大人が一人で行っていいものかと、ちょっと
気が進まない、だとか。
でも、どんな気持ちでいっても、損はさせない、楽しかったと思えそうな場所だなと。
目に見える物象の描写が重点なので、誰かと行って、という話を狙ったのでは
ないのだなと。風景、物>人という、静物画のような作品なので感情の起伏は少ないわけ
ですね。
大人の小幅な感動。メインは場所の種明かし。小品としては悪くはないのでは。

えんがわ
M014008022192.v4.enabler.ne.jp

>通りすがりさん

どうも久しぶりですー。以前なんかの小説にコメントをいただいた覚えがあるのですが、8面から落ちてしまったのか見落としてしまい返信できなかったような。ごめんない。ほんと、自分、怠惰でだるーなので。

>冒頭、人が少ない森林公園、曇天、冷たい風、石ころを蹴飛ばしながら歩く、とあるので、
>主人公がどんな気持ちだとしたら、沈んでいる、浮かない気分、と思わせてしまうかなと。

ですねー。象徴としての意味というか、イメージされる連想的な意味というか、ぜんぜん掴めてなかったですね。
これ、自分の文章への考慮の足りなさがそのまま出てしまったんで、いやー、表現するってムズイっすよー。

>主人公の目が、感情抜きのカメラの如く、ただひたすら目に見える風景を追う。

嬉しいです。ある程度意図は伝わったのかな。んー、ジブリ美術館って写真撮影禁止だから、文章でそれを再現するのも意味あるかなって気がして、そんな感じにしたんです。ただもうちょっと文章にリリカルな潤いがあるとファンタジックな感じが、いー感じにでたかも。それがムズカシーんだけどね。

>太宰治、井伏鱒二についての「ピカレスク」という文庫を読んで、三鷹の鉄橋に行って、
>玉川沿いを延々と歩いて、

ああー、自分、文豪の地で行ったのは、森鴎外、夏目漱石とかの日暮里の谷中銀座あたりでした。あそこちょっと外国人観光客とか増えて趣きが変わってしまったけど、なんだ、砂時計専門店とか手作りランプ制作体験所とか猫グッズ専門店とか色んな専門店というか個性ある店が一杯あって楽しかったです。そういうの色々あって一つの街に溶け込んでるのがすごく好きだなって。僕も僕の個性を磨いたら、なんか生まれるのかなーとか。なんも生まれねーよ。なんて言わないでちょーだい(自分ツッコミ)

谷中を舞台にした小説やドラマは既にあるみたいですけど、観光日記のような小説のようなこんな感じで文章化してみるのも面白いかも。

色んなところ行きたいな。海行きたい。競馬場にも行きたい。でも寒くなって来たからなー。猫のアメちゃんと一緒に家にこもってそう。かわいーのよー。アメちゃん。ごろにゃあ。

通りすがり
119-173-128-2.rev.home.ne.jp

返信ありがとうございます。
いつも8面からお別れぎりぎりだし、コメントに応答なしは想定内なので、
お気になさらず~。
あとから読み返して、その時の自分の感想と、新たに何か本を読んだりして、
考え方が変わった自分の比較とか、ありがたいですよん。

まったりしたやりとりのほうが、発想が生まれるような気がしますよ。
筒井康隆が「悲しい気持ちのほうが、暗い場面はうまく描けるのか」ときかれて、
いいことがあったり、明るい気分のほうが、どんな場面もすいすい書ける」と
エッセイに書いていました。
巨匠も90才過ぎ。最近、自叙伝を出されたけれど、すごい大ざっぱ、駆け足。
ネットでは文庫本をめくるスタイルの細かい日記があったのですが、いま検索したら
偽文士日碌 2024年12月31日に終了してました。残念。
10年くらい前までのは本にまとまっているようです。
誕生から最近までを書いた、最新刊の日記は、故人よりも、いま交流がある人を出してて、
ご夫婦で施設暮らしというし「自分がいちばん親しかった」「世話になった」とあとから登場したら「登場してるね」「書かれてないね」とリトマス試験紙の意図も? って邪推。

10日ほど前に、早足でクリスマス会&忘年会があって、
余興に「1000円未満の不用品交換会」というのをやるんですね、それに、
「時をかける少女」がアニメ化された時の表紙絵、帯のついた角川文庫を持って行ったら
当たった方に喜んでいただけて、ほっ。
リアルタイムで読んだ中学生は、70才以上と思うと感慨深く、とうの昔に成人してる自分が
今になって読んでも、やっぱり、よかった。青春ものもいいなと。
ドラマ化された「富豪刑事」も、短編集で、1話だけ読んで、放置……なんですが、
一話のパーティーのシーン、文章の実験もすごい。

谷中もいいですよね。江戸時代から続く金魚屋さんとか、漱石、鴎外、一葉とか
文豪エリアも複数あって、個性ありますね。乱歩などの池袋・雑司ヶ谷とか。
明治・大正の文壇事情、みたいな本によると、みんな、もんのすごーく歩いてたらしい。
土の道に下駄、草履のほうが疲れにくかったのかな。
競馬は、おととし一年間だけネット登録してフィーリングで馬券買ってみたり
しました。一度だけ4000円くらい振り込まれて、でも、4000円の赤字ww
楽しかったし、少しはルールがわかったし、授業料。
「ロイヤルファミリー」って小説がドラマになってて、「国宝」で歌舞伎みたいに、
競馬に行きたいって人も増えてるそうですね。
宮本輝「優駿」と比べ読みしようかな。時間欲しいですねえ。

撮影禁止なんですね。ツベで炎上してた動画があった理由が分かりました。
単に行儀悪く、いたずらしてたからじゃなくて、それもかと。
撮影したくてウズウズするんだけど、いかんいかんと自分をいさめ、目と脳でおぼえるんだ!
という気合をいれる人の目線で書いてみたら、描写どうなるかな。
「やじきた学園道中記」という漫画も、数巻しか読んでないのですが、科学者たちが
すごいデータを手に入れるんですが、空気に触れると消えるんだったかな。
で「みんなでおぼえよう」とガン見する場面を思い出しました。
あの世に、一つだけ景色を鮮明に記憶して持っていける、それに選んだ場所、なら
また切実さが違ってきますね。前の、ゆるい部活の話、だいじにしてね。ではまた

えんがわ
M014008022192.v4.enabler.ne.jp

>通りすがり
ありがとう。ゆるくやっていきます。
今日は僕はお仕事お休みです。なんか埼玉は天気よくて暖かくていーかんじ。散歩しようと思います。通りすがりさんもいかが? 近所の公園とかちょっとした自然のところをぼぅっとするのも良いリラックスになると思いますよ。ぼー。

筒井康隆さんですかー。時をかける少女のアニメ映画見ましたよー。ばっちり青春してました。まぶしいーって感じでした。
筒井さんと言えば自分「文学部唯野教授」っていうのを昔読んだのですが、難しすぎてスパークでした。今話題のAIでちょっと聞いてみましたよ。AI文の引用は慎重に使わないと、「文責をAIに押しつけた責任逃れの論」とか「作者の都合のいい権威付け」とかそこを知ってそうな通りすがりさんに言われちゃいそうですが、だからやって良いのか迷ったのですが、AIでの文章を貼っときますね。

自分のAIへの質問
小説の文学部唯野教授という本での批評での在り方、位置づけについてわかりやすく教えてください。

答え
『文学部唯野教授』(筒井康隆)における批評の位置づけについて説明します。

この小説では、批評は文学理論の実践的な展開として描かれています。主人公の唯野教授が様々な文学理論(構造主義、記号論、ポスト構造主義など)を講義する中で、批評は次のような特徴を持つものとして示されています。

批評の在り方
理論と実践の架け橋 批評は抽象的な文学理論を具体的なテクストに適用する行為として位置づけられます。唯野教授の講義では、理論がいかに作品読解を変えるかが実演されます。

権力性の暴露 特にポスト構造主義的な視点から、批評自体が権力や制度と結びついていることが示されます。大学という制度の中で、批評は学問的権威を生み出す装置としても機能しています。

相対化される営み 様々な批評理論が次々と登場することで、絶対的な「正しい読み」は存在せず、批評は常に特定の視点からの解釈に過ぎないという相対主義的な見方が浮かび上がります。

小説の批評的側面
興味深いのは、この小説自体が文学批評や文学理論に対するメタ批評になっている点です。理論を解説しながら、同時にその理論の限界や滑稽さも描き出す、批評的な小説作品となっています。

はい。難しそうでしょー。自分これ読んで「批評なんてワイには無理や」と思ってその後コメントは思ったことをそのまま書く、テキトーないい加減な印象の羅列というスタンスになってしまいました。ははは。


ロイヤルファミリー良かったよぉ。もうね、泣けるシーン一杯ありますよ。あの、玉置さんの主題歌「ファンファーレ」が良いんだよね。あの渋い美声でこんなこと言ってくれるんですよ。


今にも壊れそうな
ヘコたれた心に
あなたは触れてくれた

上手くやれなくたっていいんだよ
そのまま生きていきなさい
行きなさい


凍てつく朝靄(あさもや)
皸(あかぎれ)た その手で
僕を摩(さす)ってくれた

応えられなくたっていいんだよ
分かってくれるから

行きなさい

泣けますよねー。老齢だから出るちょっと神聖な感じもする許しと癒し。こんな年の取り方したいなー。youtubeで聴けるから機会があったらどう? ピンポーン! へっ? 「JASRACです」 うわー、止めてくれー、僕は悪くないんだー、あああああああああ! ぐふっ!

えんがわ
M014008022192.v4.enabler.ne.jp

>通りすがりさん

あー! 敬称忘れちゃった。さんって自分よく付け忘れちゃうんですよ。酷いやつですよね。自分。ごめんなさい。
呼び捨てになっちゃった。
ごめんなさいです、通りすがりさん。

通りすがり
119-173-128-2.rev.home.ne.jp

またまた、楽しいレスをありがとうございます。呼び捨てなど、なんのその。
自分がやらかした時は、ドヒー、時を戻して~、ですけどね。
のんびり休めました?
アーシングといって、地面に裸足になるのやってみたいですね。
近所に芝生の公園があればいいな~。海に行ったら、砂浴とか。排毒、解毒になるそう。

ロイヤル・ファミリー面白そうですね。作者さん、引き出しが多そうだし、
デビュー作から追いたい感じ。
小説新潮を買おうと思ったら、どこも売り切れ、出演している目黒漣効果だった模様。
図書館に行かなきゃ。

筒井さんの唯野教授は、バブル末期くらいでしたっけね、ヒットした時に、
背伸びして買うか、図書館で借りて、チャレンジしたけど、メタ文学、メタメタ? って
自分の頭のほうがメタメタになって、挫折、退散、たはは。
浅田彰の逃走論も、文庫になったんですよね。
筒井さんは、「短編小説講義」のほうがいいかも。こう読むんだ、と。

いま書いてて、ふと思ったのですが、三島由紀夫の「文章読本」も素晴らしいんですけど、
初心者向けのように言っていながら、ハードルむっちゃ高いww
下の世代の書き手たちに、君たち、書けるかね、できるかね、と威嚇したかったのかな
って。
唯野教授のちょい前に、椎名誠の「活字のサーカス」っていう新書がすごい話題になって
売れたんですよね。昔は、大学教授だって、おいそれと出せず、新書を出すのが
一生の夢、一冊で家が建つなんて言われたのに、って意見もあったんですよ。
そんな話題のヒット作に対抗して、天才ぶりを見せつけたい意図があったのかなと。
(蛇足ですが、芸能人も意外な人が意外な人にライバル意識を燃やしていて、
(え? あの人が、こんな事を、そんな役を)っていう時、仮想ライバルに対抗、
みたいな時があるようですww)

いやー、しかし、今回はびっくりしましたね。
しばらくご無沙汰で案じていたら、穏健派の方々の近況がわかって、
わいわいやっていたら、いきなりアレですもん。
そのあと、作品は叩いていいけど、本人は叩くなと再三主張しておられたので、
(コメントちょうだいよ)っていうのも真意だったのかなと。
こちらのサイトに出入りするようになって、割と最初から、気持よく
やりとりできていたと思ってきたので、いやはやです。
今後は一切かかわりません。こちらのサイトのNO1の方の、ただ作品だけを見る、
好悪抜きで真摯に感想を言う。これですね。
しばらく伝言板、いい感じだったのに、和気藹々な雰囲気を壊してもうたと反省。
長居してはいけないし、スルーすべきだった。
沈黙したってどうということはないし。まあ、今後もまったり路線で夜路死苦☆

えんがわ
M014008022192.v4.enabler.ne.jp

通りすがりさん

ありがとう。呼び捨てしちゃったの、許してくれてありがとう。嗚呼、世界が許しに満ちればいいのに。

こういう雑談は本来あってはならないと思うんですけど、まー、この小説を投稿したのがだいぶ前、もう役割を終えてるし、余白のスペースとして語りあいをしたってことで。語り愛はいかんらしいので注意。騙り合いはもっといかんすね。騙り愛 これ最悪。
話題は本とか文章に絞って話した方が良いかなって思ったのでそんな感じで?

さて、公園散歩したんですけど、紅葉はもう散り切りかけで、風もあって、でもすっきりしました。田舎の特権。

>ロイヤルファミリー
めっちゃ良いですよ。ドラマで途中まで観てるんですけど、最終回もちょっと観たんですけど、ドラマはドラマでJRA? あの競馬場も協力してて実在の騎手や調教師も出て、良い感じです。原作小説や漫画もののドラマや映画はしばしばその改編が酷いと炎上するけど、今回は良い感じ。玉置さん、紅白出場ですって。トリでうまどしでファンファーレ歌ったらとか妄想しちゃう。久しぶりにテレビで見ようかな。紅白。

>唯野教授
わけわかんないよね。たぶん批評とはマニアックで一般からしたらワケワカメであるという批評への批評の意味合いもあるのでしょう(違う!)
うーん、通りすがりさんの挙げた作家の本って自分読んでないなー。もしくはぼーきゃく。読書量少ないなー。
話題に乗れない無知な自分をお許しくだされ。

>伝言板
自分は早々にドロップアウトしたので、傍観者として読んでました。
僕が暴言を吐いてる馴れ合い厨で褒め殺しでサイトを殺してる三行ポエム作者ってバレちゃった。ははは。
まー、冗談は置いといて、自分は通りすがりさんの戦略的撤退には激しく賛同しますよ。
いや、自分たちは議論に負けて逃げ出した負け犬なのです。わおーん。わんわんわんわん。
だからここでこの話題は打ち切りますかい。

やっぱ楽しくて、読んでて糧になるのは鍛錬上の作品を読んで自分の印象を整理してコメントにすることと、通りすがりさんとのこういうやり取りですよん。

通りすがり
119-173-128-2.rev.home.ne.jp

雑談ばかりだといけないみたいなので、時々、書名とかぶっこんでるだけなので、
お気になさらず。

褒め殺しは、わたしをさしてるのではwww
お世辞、ご機嫌取り、おべっか、媚びる感じがうざい、あと何だったかなー。

全く関係ないサイトの、印象に残っていた文章を読み返して、やっぱ、
スルーが最適解だったなぁ~と。では、これにて。

えんがわ
M014008022192.v4.enabler.ne.jp

>通りすがりさん

ありがとね。
健康にはお気をつけて。
楽しく生きて行こう。よ。
またねー。

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