作家でごはん!鍛練場

増築

 毎朝、午前五時半に起きて森の中を散歩する。朝の森は微かに湿っていて、どんな季節でも気持ちが良かった。
 空気は氷のように澄んでいた。十月に入ると一気に気温が下がった。最初の一週目はティーシャツの上にユニクロのパーカーを羽織って歩いていたが、二週目にはそれでは寒く、もっと厚手のノースフェイスのウインドブレーカーを着た。
 草木を踏み締め、一歩一歩ゆっくりと身体と森を馴染ませるように歩く。元々はニューバランスの運動靴を愛用していたのだが、劣化していたこともあり夏頃にキャラバンのトレッキングシューズに買い替えた。さすがはトレッキングシューズと言うだけあって歩きやすかった。以前より足首が楽だった。なぜもっと早く替えなかったのかと後悔するくらいだった。
 道は一本道、とは言ってもけもの道で、果たしてこれを道と呼んでもいいものかというくらいのものだった。三十分ほど歩き、ちょっとした空き地に出る。聳え立つ木々の中で何故かここだけがぽっかりと空いていた。人工的にできた場所だとは思えないが(普通に考えて、こんなところに空き地を作る理由など無いので)、自然にできたとなるとそれはそれで不自然な場所だった。空き地の端まで歩き、周辺で一番大きな木の硬くも柔らかい肌にそっと手を触れる。これが毎朝の日課だった。
 葉の揺れる音に振り向くと、イタチが一匹木々の隙間から這い出て来た。イタチの方も私を見て立ち止まり、我々は空き地の中で見つめ合うような形なった。少し、近づいてみようと動くと、イタチは瞬く間に木々の中へ消えていった。私も帰路につくことにした。
 来た道を折り返し家まで戻ってくると、もう午前七時を過ぎていた。私としては時間がかかった方だった。気持ちが良かったのでゆっくりと歩いていた。
 玄関の引き戸を開けると、左側にはリビングキッチンと、それに繋がった和室があり、右側には書斎と寝室があった。突き当たりにはトイレとバスルームがあり、右へL時に曲がった廊下のつき当たりにはアルミサッシの小窓が一つある。二十坪ほどの平屋の一軒家だ。決して広くは無いが、一人で暮らしていくには十分な広さだった。私の家は森の中に建っている。近隣に他の家は無く、一番近い隣家までも徒歩で三十分はかかった(七十歳くらいの男性が一人で住んでいるようだが、特別交流は無かった)。
 キッチンへ行き、フライパンに火をかける。冷蔵庫から納豆と卵と鮭の切り身を取り出す。換気扇のスイッチを入れる。古い換気扇はファミコンのような配色で気に入っていた。鮭を焼く。火の通ったフライパンから油の弾ける気持ちの良い音がした。納豆のパックを開け、その中に卵を落とす。少し考え、野菜室から大根を取り出して三分の一だけおろした。炊飯器からご飯をよそう。散歩に行く前にセットしていたので炊き立てだった。納豆と卵、大根おろしをご飯にかけ、その上に七味唐辛子を振り掛ける。タイミング良くティファールのスイッチがカチリと鳴った。インスタントの味噌汁をお椀に入れ、その中にお湯を注いだ。鮭の焼き加減を確認してお皿に移す。
 私は大きく息を吐き、それ等をテーブルに運んだ。席に着き、「いただきます」と頭を下げて朝食を食べ始める。命を食らって今日も生きているのだから、食べ物への感謝は基本だ。
 朝食は十五分くらいで食べ終わる。それが早いのか遅いのかは分からないが、だいたい毎日それくらいの時間を掛けていた。
 食べ終えたその足でキッチンに戻り、食器を洗って片付ける。それで午前八時。一日はまだまだこれからだった。
 私はトイレで用を足したあと、洗面所で髪を後ろに流してジェルで固めた。鏡の中に私がいる。白いシャツを着た私がいる。私という生き物がいる。じっとこっちを見ている。
 書斎に移った。カーテンを開けると薄暗い部屋にさっと光が降り注いで朝になる。書斎の机にはパソコンが置いてある。その周辺に録音機材が置いてある。私は三脚にアイフォーンをセットして、カメラの向きを調整した。マイクは外付けで、三脚に直接セットできるものだった。いずれも昨年購入したアップルの純正品だった。ユーチューブを立ち上げ、ライブ配信へ進む。私と、世界が繋がる。何人か視聴者が入って来たことを確認し、私はゆっくりと話し出した。
「おはようございます。現在、二千二十四年、十月十七日、午前八時十二分。こちらの天気は晴天、良好です。気温は十二度、これは昨日より二度ほど低いですが、そこまでの体感の差はありません。冷んやりしていて気持ちの良い朝です。今日はいつもより時間をかけて散歩をしてきました。戻って朝食を食べ、今に至ります。天気予報を見たところ、九州地方では雨が降っているようですね。時間帯によっては傘のマークが色濃くなっていたので、それなりの雨量が予想されるようです。数日後にはこの雨が関東地区に流れて来るとのことで、それは少し憂鬱です。雨はあまり好きではありません。雨上がりは好きなのですがね。でも雨が降らないと雨上がりも無いので、それを含めると総合的には嫌いではないのかもしれません。いずれにせよ、九州地区の方をはじめとして、皆さん激しい雨には気をつけてください」
 私はここで一度言葉を切り、書斎の傍らにある小さな冷蔵庫からペットボトルの水を取り出して飲んだ。
「失礼。さて、私は毎回このチャンネルで私自身の生活について、取り止めも無い話をしていますが、今日もまた変わらずそのような話です。何せ、暮らしというものは日々間違いなくそこにあり、私など、普段は仕事もしていないので特別なドラマや事件も無く、何かを語ろうと思うのならば、ただ、そこにある手元の生活をすくい取って語るしかないのです。だからいつも、視聴者の皆さんに退屈な思いをさせてしまわぬよう、なるべく面白おかしく話すことを心掛けています。もちろん今日も」
 水面に解き放たれた金魚のようにハートマークが一つ画面右を泳ぎ、『相変わらず独特の空気感』と誰かがコメントを入れた。視聴者数は三十二だった。
「ただ、少しいつもと違うのは、今回は発展の話だということです。以前からこのチャンネルでお話している通り、私が仕事を辞めて東京からこの家に移り住んでから、早くも五年の月日が経ちました。当時、人里離れた郊外で暮らしたいという思いから移住先を探していましたが、ここまで理想に合う家が見つかるとは正直思っていなかったです。私はこの家を住宅販売会社から買いました。元々、どんな人が何のためにこんな不便な場所に家を建てたのかは分かりません。販売会社の営業担当にも聞いてみましたが、繰り返し転売をされた物件だったようで、分かりませんでした。木造作りで、築年数はもう三十年近くになります。移り住むタイミングで水回りなどの最低限のリノベーションは行いましたが、基本的には新築時から改修されないままの姿で今も在ります。もちろんそれに対して何の不満もありません。私はいつもこのチャンネルで、私の家やその周辺の環境がいかに魅力的かを語っているので、それは皆さんもご存知だと思います。ただ、ここらで一つ、日常に発展を持たせるのも悪くないなと考えました。『発展?』あぁ、すみません。少し表現が抽象的過ぎましたね。雑でした。まずは結論から話します。私は今、この家を増築しようと考えています。増築。つまり、家である範囲を広げようと考えています。さらに具体的に言うと、こっちの方……」
 私は三脚を持ち上げ、左手にある庭へ続く大きな窓を映した。
「これ。この窓を外し、今は庭がある場所に部屋をもう一つ作ろうと考えています。業者にお願いするつもりはありません。全部自分でやるつもりです。広さは二坪、いや、もう少し欲しいか。そうですね、四坪ほどの広さにしたいなと」
 『何をするための部屋なんですか?』『そんなの自分でできるものなの??』コメントが二つ入る。視聴者は少し増えて四十人ジャストになっていた。
「何のための部屋にするかはまだ決めていません。とりあえず自分の範囲を広げてみたいなと。本当にそれだけの理由です。文字通り壁を壊すというか、そういうことです。ほら、普通に仕事や学業に励んでいる人なんかは自分の範囲を広げるために勉強して資格を取ったり、留学して異文化に触れたりしますよね? つまり、私にとって、それが増築だったということです。基本的に私は、焦りやストレスや、そこから来る回避できない努力なんてものは人生において不必要なものだと考えているのですが、たまには発展が無いと単調になり、張り合いが無くなってしまうのも事実です。ほどよい発展は人生において必要なものだと思います。普段は乗らない車でもたまにはエンジンを動かしてやる必要があるのと同じで、私にとって今がそのタイミングなのです。『分かるような分からないような』? まぁ、確かにそうですよね。いきなり突拍子もない話ですからね。とは言っても、まだ全然計画段階の話です。次配信する時にはもう、バーンと壁をぶち抜いていて、何てことにはなっていないと思います。じっくりと、しかしある程度のスピード感を持って考えていきたいと思います。また配信で進捗をお話したいと思います。では今日はこのあたりで。さようなら。ありがとうございました」


 バスケットボールみたいに地球儀を回して、世界がどれだけ広いかを知る。この広い世界の中で、私はいったい何をしているのだろう? 何のために生きているのだろう? そんなことをたまに考える。
 大抵それは今のように長い昼寝から目覚めた時にやってきて、朦朧とした頭にさらに靄をかける。しかしそんなことは一時のメランコリーに過ぎず、考えたところでけっきょくは仕方がないことなのだ。まともな頭で考えたらすぐに分かる。
 世界の中で、いったいどれくらいの人が意味のある人間なのだろう? 世界にとって必要な人間なのだろう? パレートの法則に従うのならば、八割方の人間に存在する意味がなくなる。経済学者はたまに恐ろしいことを言う。地球儀はくるくると回ってやがて止まった。午後十七時だった。
 薄暗い部屋に明かりを灯し、私はキッチンに立つ。思っていた以上に眠ってしまったが、予定していた通り夕食にハヤシライスを作ることにした。私はまず玉ねぎとマッシュルームを薄切りにし、次に牛肉を五センチ幅で切った。鍋に火をかけ、サラダ油を注ぐ。ある程度鍋が熱を持ったら、しんなりするまで玉ねぎを炒め、少しだけコーヒーを入れてマッシュルームを加える。十分に炒めてから水を加え、鍋に蓋をした。
 鍋が煮込むまでの時間、私はシーザーサラダを作った。グリーンリーフを一口大にちぎり、ベビーリーフとともに洗って水気を切る。鉄製のフライパンでベーコンを軽く炒める。鉄製のフライパンは重く、手入れも難しいが、その分愛着が湧いて長く使っていた。サラダ皿に野菜とベーコンを盛り合わせて、半分に切ったミニトマト、作り置きをしていた温泉卵を乗せる。クルトン、パルメザンチーズを散らし、その上からキューピーのシーザードレッシングをかけた。
 そうこうしているうちに鍋が沸騰してきたので、あくを取り、火を弱火にした。さらに五分ほど煮込み、ルウを割り入れて溶かす。ゆっくりとかき混ぜながらもう少し煮込み、これでとりあえず夕食は完成した。しかし作ったはいいものの、まだすぐに夕食を食べたい気分とお腹具合ではなかった。
 昔の私ならばこういった空白の時間があれば必ず煙草を吸ったものだが、ここに移住したタイミングで煙草は止めた。煙草のことも含め、私は移住を機に様々な面でライフスタイルを変えた。ビールを飲むのを止めた。テレビを観るのを止めた。新聞を読むのを止めた。四十四歳になっても人間は変われる。環境というものはやはり大きい。東京と森とでは生活に求めるものが違い過ぎた。いろいろなものを削ぎ落とした。削ぎ落とせば落とすほど私は一人になっていった。しかし、寂しく感じることは一度も無かった。一人でシンプルに生きる方が私の性に合っていた。
 リビングの窓から外に出ると、昼間と比べてかなり気温が下がっていて寒かった。一度部屋に戻り、上着を羽織って再び外に出る。外に置きっぱなしにしているデッキチェアに腰掛けた。あたりは真っ暗で、秋の虫が鳴いていた。そこにはただ森が在るだけだった。人工的なものは何一つ無かった。夜になると特に「自分も森の一部である」という感覚が強くなる。私も、虫達も、たまに姿を見せる鹿や猪も、同様にこの森で暮らしている生物なのだ。都会暮らしではなかなか気付けない感覚が森では鋭く研ぎ澄まされる。
 しばらくぼんやりしていると、少しずつ空腹感が生まれてきた。空白は時に物事を消滅させる。あらゆるものを吸い込んでいく。ブラックホールのようなものなのだ。部屋に入り、弱火で鍋に火をかける。すぐにぐつぐつと沸騰して、ハヤシライスを白米にゆっくり流しかけた。冷蔵庫からサラダを取り出し、ドレッシングは直前にかければ良かったと少し後悔した。リビングにあるレコードプレーヤーでスティーリー・ダンのアライヴ・イン・アメリカを流した。聴き慣れたバビロン・シスターズのイントロが心地良い。だだっ広い草原に腰掛けて、遠くの演奏を聴くようなこのアルバムの雰囲気が好きだった。私の人生でベスト3には入るライブアルバムだ。
 ベスト3。あと二つは、フィッシュマンズの男達の別れと、ダニー・ハサウェイのライヴを挙げる。その三つは私の中で時と場合によって順位が入れ替わる。その次点は何だろう? と考え、くるりのフィルハーモニック・オア・ダイが浮かんだ。トップ3とは少し差があるような気がしたが、初めてパシフィコ横浜に行った時は感動した。
 リーリン・イン・ジ・イヤーズが終わる頃にはもう夕食を食べ終えていた。食べ終わった食器はすぐに洗う。水を流していても聞こえるくらいにプレーヤーの音を上げた。ドナルド・フェイゲンの歌う遠い街の物語を聴きながら、私は今ここにある自分の生活のことを考えた。不満は無い。むしろ満足している。しかし何かが足りていない。私は食器を洗い終え、書斎へ行った。明かりをつける。向かって右手には机、その上にはパソコンとその周辺機器があり、左手には本棚と観葉植物、その隣にアンディ・ウォーホルの牛の絵が飾ってあった。床に敷いているラグはIKEAで買ったもので、カーテンは薄緑。正確に測ったことは無いが、おそらく四畳半ほどの広さだろう。夜になると書斎は何となく閉鎖的に感じた。これは他の部屋では無い感覚だった。
 やはり増築すべきなのだ、と私は思った。この閉鎖感はストレスにも似ている。開放すべきだと思う。
 窓を開けて外を見てみる。そこは雑草も無い、少し開けた平地になっていた。考え方によってはそれは庭なのだが、自然のまま特別な手入れは何もしておらず、果たして庭と呼んでもいいものか、と迷う。境目も何も無い。森だ。
 私はそこにはまだ存在しない部屋をじっと見つめて想像をした。それは確かにそこに見えた。何を置いているでもないその部屋は、うっすらとだが確かにそこにあった。


 翌朝、私は朝食を食べた後、街へ出掛けた。二十分ほど歩くと契約している駐車場がある。駐車場まで来るのは半月ぶりだった。愛車のラシーンは変わらずそこにあった。乗り込んでキーを回す。古い車なので、エンジンが掛からなかったらどうしようかといつも少し不安になる。それならば新しい車に買い換えればいいのだが、それはそれで面倒で、何だかんだ長く乗っていた。ハンドルだけ前の持ち主がナルディのウッドに変えていて少しお洒落だった。今日も何とか動いてくれて安心した。
 月に二回、私は街まで買い物に行く。東京の街は相変わらず忙しなかった。車が多い、人が多い、物が多い、何もかもが多い。私はまず薬局へ行きトイレットペーパーやシャンプー等の生活用品を買った。最近はそういったものもネットで買う人が増えているらしいが、私の家は配達対象地域外なので店舗に買いに行くしかなかった。一通り欲しいものをカゴに入れてレジへ向かう。対応してくれたのは私と同年代くらいの女性だった。ポイントカードはお持ちですか? と聞かれ、持っています、とアプリから会員バーコードのページを提示した。半月ぶりの他人との会話だった。
 薬局を出て、私は都心にある大型ショッピングモールへと向かった。このショッピングモールには蔦屋書店とHMVが入っている。まずは蔦屋書店に行って本を物色した。目立つ場所に並ぶ流行りの新刊達の表紙はどれも煌びやかだったが、私はあまり興味を持てなかった。キャッチーではあるが薄っぺらく思えてしまうのだ。昔は文芸誌を定期購読するくらい小説が好きだったのに、今では小説自体を読まなくなっていた。これも移住してからの変化だった。森の中では物語など意味を持たなかった。
 ここ数年は哲学関係の本を好んで読んでいた。詩は矢のように真理を射抜くが、哲学は言葉で埋め尽くして真理をあぶり出す。今はたくさんの時間があるので、言葉を受け止める暇が十分にあった。まわり道をしても時間が余る。ならばたくさん歩いた方が良いと思った。一通り店内を巡り、興味が湧いた哲学書を三冊とBRUTUSのバックナンバーを二冊買った。
 次に私はHMVへ行った。特別目当てにしている音源は無かったが、何かしら新しいレコードを買って帰りたいと思っていた。何せ街に出るのは半月に一度なのだ。この機会を逃して後悔したことは何度もある。私の家にはレコードプレーヤーしか再生機が無い。なのでレコードコーナーを漁る。平日の昼間だからか、HMVにはほとんど人がいなかった。店員は暇そうにレジで欠伸をしていた。私と目が合っても気にせずぼやぼやしていた。都心の一部が壊死している。今にして思えば、蔦屋書店も人が少なかった。平日云々以前に、今やもう本や音楽を店舗で買う人はあまりいないのかもしれない。最近の若者は大概のものを電子データで手に入れると聞いた。寂しい世の中になった。私は今でも紙の匂いやレコードのあの焼けるような音が大好きなのに。
 迷った挙句、私はザ・ナインティーンセヴンティファイヴの外国語での言葉遊びとカネコアヤノの燦々のアナログ盤を買った。エコバッグの重さは満足感そのものだった。これで森に帰っても後悔は無い。店を出て時計を見るともう正午を過ぎていた。時刻を見て、思い出したかのように空腹感がやってくる。弁当を作って持ってきていた。フードコートで食べようかと思ったが、天気が良かったのでショッピングモールの横にある広場で食べることにした。
 広場はそこまで混んでいなかった。まだ未就学児だと思われる小さな子供と母親が何組かいるだけだった。私はベンチに腰掛けて鞄から弁当箱を取り出した。二段の弁当。上の段にはだし巻き玉子、鮭の塩焼き、小松菜のニンニク醬油炒め、ブロッコリーの素揚げ、ミニトマトが入っていて、下の段には白米を詰めた上に梅干しを乗せていた。基本的には昨日の夕食の余り物ではあるが、我ながら悪くない出来栄えだった。空は高く蒼い。秋だった。
 こうして外で弁当を食べていると、数年前までの大学講師時代のことを思い出す。あの頃、私はよく大学内の広場で弁当を食べていた。
 高校を出て都内にある大学へ進学し、物理学を専攻した。大学院で博士号を取得し、そのまま学生時代に所属していたゼミの教授の助手として大学に就職した。別にそうなりたいと望んだわけではなかった。ただ流れに身を任せていたらそうなったというだけだった。不満は無かった。何だかんだ運はあったとも思う。でも、楽しくはなかった。普通だった。情熱のようなものは無かったが、物理学は好きだった。自然現象の原因や法則は、絶対的で嘘が無かった。全てのことに理由があるという事実は、何だかとても安心できた。
 特別何かが秀でていたとは思えないが、私はすぐに常勤の講師となれた。二十九歳の春だった。そこから十年間、私は講師として大学に勤めた。准教授や教授になろうという野心は無かった。同じ景色をいくつもの季節がただ流れていった。それは、風のように単調な日々だった。今にして思えば私はずっと抜け出すタイミングを探していたのかもしれない。
 三十九歳の時、それがやってきた。両親が交通事故で亡くなった。散歩中に信号待ちをしているところに居眠り運転のトラックが突っ込んだのだ。即死だった。後日、私も実際の事故現場を見に行った。横断歩道の白いラインの上に生々しいタイヤの焼け跡がこびり付いていた。何故そんなことが起きたのか、簡単には理解できなかった。父は東証一部上場企業の役員で、母は私立小学校の校長だった。それなりの額の遺産があった。
 私には歳の離れた二人の姉がいるのだが、長姉は医者と、次姉は会社経営者と結婚してすでに安定した家庭を築いていた。詳しくは聞かないが、職業からイメージできる通りの裕福な暮らしをしているようだった。
 子供の頃から、明るく開けた性格の姉達とは対照的に、私はどこか自閉的だった。勉強はできたが、周りの友達と上手く馴染めず、学校に通えなかった時期も何度かあった。歳が離れた末っ子の私は、二人の姉達にとって常に心配の種だった。大人になってからもそれは変わず、仕事もいつまで続くかと思われていたらしい。確かに他人との距離の取り方は働くようになってからもよく分からなかった。いずれにせよ社会的に不適応な人間だという自覚はずっとあった。
 そうした様々な理由からだと思うのだが、姉達は両親からの相続を全て放棄した。両親が残したものは遺産を含め、実家も株も、全て私のものになった。自分の貯蓄と合わせるとそれは、当時の生活を捨てられるくらいの額になった。
 捨てられると分かったら、すぐにでも捨てたい気持ちになった。元々、社会の中で生きていくなど向いていなかったのだと、今なら分かる。誰もいない場所に行きたかった。誰の哲学とも交わらず、全ての社会的責任を放棄して暮らしたいと思った。
 私は実家を売ったお金で森の家を購入した。実家は都内でもかなり人気の高い場所にあったので高く売れた。移住にあたっての諸経費を入れて考えても十分過ぎるくらいお釣りが出た。それから五年が経つが、私は基本的に今もこの資産を使って生活をしている。元々私はお金に派手なタイプではなかったし、森の生活ではお金を使うポイントも限られていた。一部の資産を運用に回していることもあり、五年経ってもあまり減ってはいなかった。
 昼食を食べ終え、私はショッピングモールを後にした。次に向かったのはホームセンターだった。増築するための資材を見ておきたかった。
 ホームセンターに来ることはあまりなかった。生活用品は薬局で購入していたし、用具類は一度買ったら数年は買い替えることがないので自然と足が遠のいていた。ましてや、木材や資材のコーナーなど、いつ以来に来たか分からないくらいだった(もしかしたら初めてかもしれない)。
 まだ粗々だが、増築する部分の間取りを私は何となく考えていた。CADソフトをダウンロードして図面を引いた。
 図面を引くにあたり調べてみると、いろいろなことが分かった。まず、ちゃんとしたプロに依頼をせず、個人で増築をするということは基本的には勧められないことのようだった。当たり前と言えば当たり前なのだが、自分の家だからといって自由に増築をして良い訳ではなかった。増築をするにも法律で決められたルールがあった。それは地域地区によって異なるようであったが、ちゃんと考えるには、建ぺい率、容積率、高さ制限等の専門知識が必要だった。法令に合わない増築をした家は違法建築物となり、最悪行政から取り壊しを求められることもあるようだった。また、本体と合わない増築をしてしまうと、建物全体の構造バランスに影響を及ぼす可能性もあった。中途半端な知識で増築をすると痛い目に合う、それが大多数の意見だった。
 しかし、もちろん実際に個人での増築を成功させた例もあった。そういった方のブログは非常に参考になった。写真を交えて経緯を説明してくれていて素人にも分かりやすかった。専門書ももちろん読んだ(前回街に降りた時に数冊購入していた)。そのうえで私は図面を引いた。もちろんそんなことをするのは初めてだった。調べた通りに書いたものの、やはりはっきりとした自信は持てなかった。それで私は昔勤めていた大学の建築学部の教授に図面の確認をお願いした。彼は大学講師時代の同僚で、何かの年中行事で知り合い、お互い文学好きだったこともあり何度か二人で食事をしたことがあった。歳は私よりも二十歳上だったのでもうそろそろ定年に近い。四十代で手掛けた商業施設の設計が評価され、著書も数冊出しているその筋では少し名前の通った人だった。連絡をするのはかなり久しぶりだったし、本来そのような依頼をするのは失礼にあたるとも思ったのだが、私には彼以外に頼る相手がいなかった。
 お前、自分で増築は危険だよ、と彼も大衆と同じことを言った。
『どうしても自分でやりたいんです』
 そこで返信が途絶えた。彼も忙しい身なことは分かっていたし、私は気長にメールの返信を待った。その間にもう一度自分で図面を見直した。間違いがあるとは思わなかったが、やはり確固たる自信は持てなかった。返信が来たのは翌日の夜だった。無理せずこれくらいの広さにしておけ、と赤字が入った図面が返ってきた。見ると、添えられた言葉通り確かに増築面積四坪で送った部屋は二坪にまで縮小していた。少し狭く感じたが、リスクの伴う作業なことは理解していたので、プロの意見に従うべきだと思った。広さ以外にも二、三細かな修正が入っていたが、大筋は私が書いたままだった。私は彼にお礼の返信を返した。その後、最近何か面白い小説読んだか? とさらに返信があったが、最近は哲学書と建築関係の専門書しか読んでいなかった、と答えると、それ以降返信は無かった。
 私は出力した図面を手に木材コーナーの前に立った。どれくらいの幅、長さの木材がどれだけ必要なのかはちゃんと抑えていた。一通り確認した後、次は資材コーナーへ向かった。ピンコロ、モルタウ、基礎パッキン、防腐剤。増築に必要な資材は普段の生活の中では関わることのないものばかりだった。私はその一つ一つの品名のメモを取り、必要数に単価を掛けて費用を算出した。一通り回り終え集計すると、全部で二十万円強だった。一部、ここでは手に入らないものもあったので、それも考慮すると資材だけでざっくり二十五万円は掛かる計算になった。
 自分でやるので施工費は要らないとしても、材料費に加えて資材を運搬する費用も掛かるかもしれないと思った。どう考えてもラシーンでの運搬は無理そうだった。軽トラか、何か運搬用の車を借りなければならなかった。車で入れる範囲から家まで運ぶのもなかなか骨だった。場合によっては人を雇うことも視野に入れなければならないと思った。
 ホームセンターを後にして、次はスーパーへ向かった。久しぶりの街で疲れていたが、食料品を買わずに帰るわけにはいかない。スーパーを回って食材を買い込み(半月分なのでそれなりの量だった)外に出ると、もう日が暮れかけていた。今日は一日中街にいたことになる。普段はホームセンターに行かない分もう少し早く帰っていた。森まで帰り、駐車場に車を停める頃には辺りは真っ暗だった。私はトランクに積んでいたアウトドアワゴンを開き、街で買ったものを順番に乗せた。手に持って歩くことは到底できない量だった。アウトドアワゴンはコールマンの一番大きなサイズのものだった。相当な量を積み込めるが、さすがにこれで資材を運搬するのは無理だろう。
 家までの道にはもちろん街灯など無く、完全な闇だった。私は懐中電灯で足元を照らしながら歩いた。帰りは上り坂になるので、荷物もあり、行きよりも辛かった。家に着く頃にはこんな季節にもかかわらず薄っすらと服の下に汗をかいていた。
 電気をつけると、真っ暗な部屋に生活が生まれた。私は食料品を冷蔵庫に入れながら鍋でお湯を沸かした。夕食にコンソメスープを作ろうと思ったのだ。包丁を手に取り、じゃがいも、にんじん、玉ねぎを一口大に切る。鍋が沸騰してきたら固形のコンソメスープの素と野菜を入れて煮込み、五、六分ほど経ったところで四頭分したソーセージと千切ったキャベツを入れ、塩、胡椒で簡単に味を整えた。
 冷蔵庫からワインを取り出して開ける。以前にカルディで買った赤ワインだった。買ってきたカネコアヤノのレコードをかけ、窓を開けたままスープとワインを手にリビングから庭に出た。デッキチェアーに腰掛けてやっと少し落ち着く。
 身体が疲れていた。特に足が疲れていた。今日は浴槽にお湯を張ってゆっくり浸かりたい。やはり街に出ると疲れる。以前はあんなところに暮らして、毎日大学まで通っていたのだ。今となっては信じられない。疲れているからかすぐにワインの酔いが回った。コンソメスープは温かかった。野菜もソーセージも良い感じに煮えていて美味しかった。
 見上げると、散りばめられた星達が綺麗で、秋の夜は薄氷のようだった。全てが儚く感じた。夜は魂が研ぎ澄まされる。尖る。


 ある日の昼過ぎ、私のスマホに着信があった。登録の無い東京都内の市外局番からの電話だった。誰かが電話を掛けてくるなんて、本当に久しぶりのことだった。少し迷ったが私はその電話に出た。
「はい」
 第一声を発した時、久しぶりに自分の声を聞いたような気がした。意識しないと森での暮らしでは声を出す機会も無いのだ。
「突然のお電話申し訳ございません。月島様の携帯でお間違いありませんでしょうか?」
「はい。私が月島ですが」
「お久しぶりです。あの、竹中です。お分かりになられますでしょうか」
 竹中という名にも、おずおずとしたその声にも心当たりは無かった。でも向こうは私のことを知っているようだった。
「申し訳ございません。どちらの竹中様でしょうか」
「島本スイミングスクールの竹中です。五年ほど前にお世話になった」
「ああ、ああ」
 東京で暮らしていた時に通っていたスイミングスクールのインストラクターだ。思い出した。私は森の家に移住するまで、十年近くそのスイミングスクールに通っていた。竹中さんは私より十歳ほど歳上の男性で、前方から薄くなった髪とインストラクターらしくない華奢な身体つきが特徴的だった。物腰が柔らかく、会員からの人気も高かった。一人で通う私にも気さくに声を掛けてくれていた。
「ご無沙汰しております」
「こちらこそ。どうなされましたか?」
 元々、そこまで深い間柄ではなかったし、電話を掛けてくる理由に想像がつかなかった。
「実はこの度、島本スイミングスクールが閉館することになりまして。そのご連絡でした」
「閉館?」
「ええ。今月末で閉めることになりました」
「それはまた……。あんなに賑わっていたのに」
 島本スイミングスクールは設備は古かったが、近隣のスクールよりもリーズナブルな価格設定とアットホームな雰囲気から人気があった。子供達が走り回り、いつも賑わっている印象だった。
「お陰様で長年一定の会員数をキープさせていただいていたのですが、昨年からオーナーと土地の利権問題でちょっとトラブルになっておりまして、結局折り合いがつかずこのような結論に至りました」
 竹中さんは残念そうな声で言った。
「そうですか。それは残念です」
「ええ、本当に」
「そのことでわざわざ私に連絡を?」
「島本様はもう数年ご利用は無いのですが、会員登録がずっと残っておりまして。そういった休眠のお客様には一応こうしてお電話を入れさせていただいているんです」
「そうなんですね」
 移住する時に退会手続きをしたと思っていたのだが、手続きが通っていなかったのか。しかし、それならば月々の会費の請求が来そうなものであるが、そんなものは一度も来たことがなかった。だから本当に登録が残っているのかは怪しかったが、実際電話が掛かって来ているのだから何かしらのデータベース上に私の情報が残っていたことは間違いなかった。
「実はもう東京を離れているんです」
「あぁ、そうだったんですか。それでずっとご利用が無かったんですね。今はどちらに?」
 今の住所を言うと、竹中さんは驚いた様子で住所を反復した。
「それはまた、随分と郊外に越されたのですね。お仕事の都合ですか?」
「いえ、そういうわけではなくて」
 竹中さんはそれ以上は聞かなかった。何件くらい電話を掛けているのだろうか。私はプールの事務所で休眠会員に電話を掛ける竹中さんの姿を想像した。海パンの上裸の上にユニフォームである青色のポロシャツを着て(竹中さんはいつもその格好でスクール内をうろうろしていた)、事務所で電話を掛ける竹中さん。何だか少し不憫にも思えた。
「閉館後、竹中さんはどうされるんですか? どこか別のスクールに移られるんですか?」
「正直申しまして、まだ何も」
 そう言って竹中さんは笑った。
「子供がまだ大学一年と高校二年なので、そんなことも言ってられないんですけどね。とりあえずちょっと間女房の収入に頼って次の仕事を探すつもりです」
「そうですか」
 世帯を持つとは大変なことだ。子供がいるのならば尚更である。私の今の生活だって、もし家族がいたら絶対に成り立たないことなのだ。
「月島様には長い間当スクールをご利用いただき、本当にありがとうございました。お電話での連絡で失礼いたしますが、感謝の意を伝えさせていただきます」
「いえいえ、こちらこそ。ありがとうございました」
 電話を切ると辺りの静けさがぐっと際立った。音が欲しくて、私はレコードをかけた。ドナルド・フェイゲンのナイトフライを選んだが、グリーン・フラワー・ストリートの途中で何となくイメージに合わず止めた。テーブルの皿に盛っていた素焼きナッツを齧りながら少し哲学の本を読んだ後、私は書斎へ行き、配信の用意をした。バタバタしていてしばらく配信ができていなかったことを思い出したのだ。
「こんにちは。現在、二千二十四年、十一月五日、午後二時三十五分。天気は曇天、予報では夕方から雨が降るようです。確かにそのような空模様です。気温は十八度。室内でも少し肌寒いです。前回配信から少し間が空いてしまいました。基本的にはいつも通りの生活を送っていたのですが、前回お話ししていた増築についての勉強を粛々としておりました。建築学、奥が深いですね。知らないことを知るということはいくつになってもやはり面白いです。そして一応、増築部分の図面ができました。なかなか苦労しました。自分一人では不安だったので、知り合いの大学教授にも確認していただきました。先日、資材の下見にも行き、だいたいの予算感も確認してきました。あとは実行に移すだけのところまでは駒を進めることができました」
 『さすがのスピード感』『つうか本当にやるのか!』と二人からコメントが入った。視聴者数は二十三だった。
「冬が深くなる前には実行に移したいと思います。そう考えるとあまり時間が無いですね。じきに冬はやってきます。森の冬は都会の冬よりも一、二歩早いです。そうですね、年が明けるまでには完成させたいところです。『本当に一人でやるつもりですか?』ええ、そうですね。そこは譲れない、というか一人でやらないと意味が無いことだと思っています。私が欲しいのは新しい部屋ではなく、増築をした、という事実なのです。それは業者にやってもらって意味があるものでははありません。もちろんリスクを伴うことは理解しています。いろいろ調べましたが、自作業での増築を勧めるものはありませんでした。しかしリスクの無い発展は無いと私は考えます。人は何かを危険に晒すことによって何かを手に入れるのだと思います」
 ハートが一つ、画面を泳いだ。私は三脚を手に書斎の窓から外に出て、森の風景を映した。
「森は今日も穏やかです。街では今日も様々なことが起こっていると思います。しかしここではそんなことは関係ありません。株価がどうなろうと、芸能人がどうなろうと、誰が大統領になろうと関係がありません。ただ、風に揺れる穏やかな生活が続くだけです。夕食は山菜の天ぷらを作ろうと思います。青みず、山わさび、ノビル、ムカゴ、全て森で取れたものです。年を越した頃にはまた違った山菜が取れます。私の愛すべき日々であります。さて、改めてここが増築予定の場所です」
 私は家の書斎側にカメラを向けた。
「前回は中から映しましたが、外はこんな感じです。ここに二坪の部屋を増築します。次に配信する時にはさすがに何かしらの変化があると思います。乞うご期待。お楽しみに」
 それで私は配信を止めた。森の中で一人、本当に一人で立ち尽くしていた。それは私の求めた孤独だった。
 言ったからには期日を目標にやらなければならないと思った。発言は自身に対する戒めでもあった。まぁ、当たり前と言えば当たり前だ。スケジュールの無い発展なんて有り得ない。これは進化ではなく発展なのだ。
 手に持っていたスマホが震え、見るとLINEの通知だった。誰かからメッセージが来るのも珍しい。onodera。高校の同級生の小野寺からだった。
『相変わらずだな』
『何が?』
『配信』
『観てたのか?』
『観てた』
 くまがお辞儀をするスタンプを送る。
『何だよ増築って』
『配信で話している通りだよ』
『理解に苦しむ』
『価値観の違い』
『変人め』
 私はひよこが手を振りながら消えて行くスタンプを送った。これで話は終わりかと思ったが、まだ返信があった。
『久しぶりに飯行こうよ』
『いいよ』
『いつ空いてる?』
『別にいつでも』
 見渡す限り、増築以外何の予定も無い。
『近々東京来る予定ないの?』
『無い。小野寺の予定に合わせる』
『じゃあ、今週の金曜日は?』
 私はカレンダーを見て今日が何曜日なのかを確認した。曜日の感覚などとうに失っていた。今日は火曜日だったので、金曜日は三日後だった。
『OK』
 こうして久しぶりに人と会う予定ができた。


 金曜日、私は朝食を食べてすぐに家を出た。車で街まで出て、先日のホームセンターへ行った。資材の配達についての確認をしたかったのだ。対応をしてくれた店員さんは愛想の良い若い男性だった。見たところ、二十五、六歳くらいだろうか。短髪で、私と同じくらいの背丈だったが、私とは比べ物にならないくらい良い体格をしていた。別にマッチョと言うわけではないのだが、細身ながらもしっかりと筋肉がついていて、こういう体型が一番女性にモテるのだろうな、と私は思った。学生時代は野球をやっていて、今も月二くらいのペースで趣味の草野球をやっていそうな好青年だった。平日のこの時間から働いているところからして正社員なのではないかと思う。
 基本的には一ヶ所の配達先で商品代金の合計が税込八千円以上であれば無料で配達いたします、と彼は笑顔で答えてくれた。しかし、今回のケースは彼の言う「基本的」には当てはまらないような気がした。代金は八千円以上ではあるが、無料で運んでもらえるような物量と距離だとは思えない。私は事情を説明して、森の家の位置と購入予定の資材のリストを彼に見せた。彼は、おお、と一瞬驚いたが、すぐに表情を戻し、ちょっと確認してきます、とバックヤードに入って行った。
 私はその場で彼が戻ってくるのを待った。そこはネジや釘が陳列したエリアだった。そこには様々な種類やサイズのネジや釘があった。こんなに細かく種類を分ける必要があるのかと思えるくらいだった。私はその中の一つのパックを手に取ってみた。「なべ頭タッピング4×40㎜」という品名の、回し口が丸型になっているネジだった。何となく親しみの持てるフォルムではあったが、増築のための購入リストの中には入っていなかった。見回すと辺りには誰もいなかった。十一月の平日の午前、誰もネジや釘に興味は無いようだった。
 しばらくすると彼が戻ってきた。先程と変わらぬ笑顔だったので良い答えが得られたのではないかと思ったが、まさにその通りだった。
 購入後、一週間猶予をもらえるのであれば指定日に一万円の配達料でご自宅までお届けいたします、と彼は言った。悪くない話だと思った。
「車で行けるところから自宅まではさらにまだ少し距離があるのですが」
「ですよね。地図で見ました」
 そう言って彼は笑った。
「僕が行くように調整しますので、大丈夫です。資材に耐えうる台車を持って行くようにしますから」
「運ぶのを手伝ってくれるのですか?」
「これくらいの距離であれば大丈夫ですよ」
 彼はそう言ってもう一度笑った。確かに彼ならば力になるとは思った。良い条件だった。私は彼の提案に合わせて、予定していた資材を全て注文した。本当は今日は相談ベースで留めておくつもりだったのだが、彼の好意に負けた形となった。
 注文した資材の配達は来週の火曜日の午前中になった。クレジットカードで支払いをして、これでとりあえずの準備はできたことになる。いよいよ増築が始まるのだ。私は彼に礼を言ってホームセンターを後にした。外は気持ちの良い秋の晴天だった。ツンとした冷たい空気がほどよく肌を刺し、薄い太陽の光はヴェールのようだった。目についたラーメン屋で昼食を食べ、別のホームセンターで残る細かな資材を追加で購入してもまだ午後三時だった。小野寺との約束は午後六時からだったので、まだ三時間も時間が余っていた。
 国道沿いにマクドナルドがあったので、ウインカーを出して駐車場に入った。暇つぶしにコーヒーでも飲んで休もうと思ったのだ。車を停めると急に疲れが来た。私ももう若くないのだ。時間なら十分にある。少し眠ろうと思いシートを後ろに倒すと、視界いっぱいにラシーンのベージュの天井が広がった。私は溜息をついて目を瞑った。やはり街まで出ると疲れる。特に今日は、資材の配達の段取りや契約に時間がかかったので疲れた。あの店員さんは最後まで愛想が良かった。手続きにかかる時間は長かったが、彼の説明は分かりやすく、無駄は無かったと思う。誰にでもそんなことができるとは思えなかった。人間は、ある程度頭が良くないとちゃんとコミュニケーションを取ることもできない生き物なのだ。
 あんなに長く人と話したのはいつぶりだろうか。だからこんなに疲れているのだろうか。普段人と関わらない生活をしていると、たまに他人とコミュニケーションを取ると疲れる。相手が初対面の人であれば尚更だった。
 私は小野寺との約束が少し面倒になっていた。うとうとしながら森の家のことを考えた。虫の鳴き声や草の匂いのことを考えた。このまま帰りたいと思った。しかしもう約束した時間までは残り三時間を切っており、いくら旧知の仲とはいえこのタイミングで約束を反故にするのは抵抗があった。
 小野寺は高校の同級生だった。高一の時に知り合ったので、何だかんだもう二十年以上の付き合いになる。入学してすぐに入った鉄道研究部で私は小野寺と知り合った。鉄道研究部とは、その名の通り鉄道を研究する部活動だ。主な活動は鉄道旅行検定試験の受験と年二回の鉄道巡りの旅行で、普段はだいたい部室に溜まって鉄道模型をいじったり時刻表を辿ったりしている、そんな部活だった。私は鉄道に特別な思い入れがあったわけではなかったが、名列順が一つ前だった同級生に誘われて何となく入部した。その時すでに小野寺もいた。彼にしても鉄道が好きだったかと言われると、私は見ていてそうは思わなかった。鉄道旅行検定試験も受験していたし(受かっていたのかは知らないが)、旅行にも参加していたが、普段は鉄道模型にも時刻表にも興味を示さず、部室の隅で少年ジャンプを読んでいたイメージが強い。ただ、私は半年ほどで飽きて辞めてしまったが、小野寺はけっきょく高校三年間部活を続けた。よく分からない男である。部活を辞めた後も何だかんだで繋がりがあり、卒業してからもたまに連絡を取り合っていた。腐れ縁だった。
 目が覚めると当たり前だがそこはラシーンの中だった。時計を見ると、三十分ほど経っていた。頭はだいぶすっきりした。
 私は車を降りてマクドナルドに入った。店内はガラガラとまでは言えないが、余裕を持って席を選べるくらいには空いていた。私は空いているカウンター席に座り、モバイルオーダーでSサイズのコーヒーを注文した。すぐに店員さんがコーヒーを持ってきてくれた。最近は席で待っていたら商品を届けてくれるのだ。便利な世の中になった。気付いたら空に雲がかかっていて、怪しげな天気になっていた。調べると夕方から夜にかけて雨が降る予報になっていた。一応、車に傘はあるが億劫な気持ちになる。夜の約束がなおさら面倒になった。
 しばらくすると、隣に女子高生の二人組が座った。二人ともバトミントンのラケットバックを肩に掛けていた。
 彼女等もモバイルオーダーで注文をしていた。一通り注文が終わると、何だかんだでもうあと半年で引退じゃないですかぁ、と私の隣に座っている方の女の子が話し出した。肩までの髪を二つ括りにした、まだ幼さが残る女の子だった。
「まぁ、そうね」
 どうも奥に座る女の子の方が先輩らしかった。すらっと背が高く、確かに上級生らしい佇まいをしていた。
「あんたらの代、誰がキャプテンするか考えてんの?」
「いや、まだ全然です」
「ぼちぼち考え出さないとだよ。私らも去年の今頃くらいから話し出してた」
「最初から山根先輩って感じだったんですか?」
「んー、いや、そんなことはないね。でも山根は最初から立候補してたよ」
「えっ、山根先輩って立候補だったんですか」
「そうそう」
「何で? キャプテンなんて大変じゃないですか」
「キャプテンやると内申取れるんだって。ほら、山根ってそういうしたたかなとこあるじゃん?」
「あぁ、まぁ、確かにそういうとこありますね。てか、キャプテンやったら内申取れるんですか?」
「本当かどうかは知らないけど、そういう噂は前からあるよ」
「じゃあ私もキャプテンやろうかなぁ。指定校推薦受けられたら受験楽だし。勉強したくないし」
「でもキャプテン大変そうだよ。みんな好き勝手なこと言うし、山根もちょっと後悔してる。一個上の上地先輩みたいに統率力があればいいんだけど、そんなのなかなかね」
「上地先輩、かっこ良かったですもんね。あの人と比べられたら、うちの代なんてみんな無理ですよぉ」
「あんたらの代はキャプテン決め揉めそう」
 そう言って先輩は笑った。私は彼女達の話を聞きながらコーヒーを飲んでいた。街にはいろいろな世界があり、いろいろな悩みがあるのだなと思った。それからも彼女達はずっと部活の話をしていた。練習のことだとか、試合のことだとか、顧問のことだとか、私が身を置いたことの無い体育会の世界の話だった。
 やがて彼女達は店を後にした。帰り際、アップルパイ食べ切れなかったんですけど、鞄に入れて中で潰れないですかね? と後輩が先輩に聞いた。先輩は考えているのかいないのか分からない声で、大丈夫っしょ、と言った。私は彼女の鞄の中でアップルパイが潰れないことを願うばかりだった。店内の時計を見ると時刻は午後五時二十分だった。私もそろそろ店を出なければならない時間だった。


 JR神田駅の南口に着き、傘をたたむ。雨は予報通り夕方から降り出した。集合場所に着いた旨を小野寺にLINEすると、もう着いてる、とすぐに返信があった。見回すと出入口のところに立つスーツ姿の小野寺を見つけた。
「何年経ってもスーツが似合わないな」
 私は会うなり悪態をついた。いつものことだった。
「うるせえ」
「お疲れ」
「どこ行く?」
「どこでもいい」
「あそこの、餃子は?」
 小野寺は、すぐそこにある餃子をメインとした居酒屋のことを言っていた。前に一度二人で行ったことがあった。前を通り過ぎて様子を見てみる。店頭に、生ビール冷えて〼、と書いた看板が掲げてあった。ぱっと店内を見た感じ入れそうではあったが、私はあまり気が進まなかった。
「餃子は、ちょっとな」
「どこでもよくないじゃねえか」
 そう言って小野寺は私の肩を軽く殴った。
 けっきょく私達は目についたイタリアンバルに入った。小野寺に合わせて一杯目はビールにしたが、久しぶりに飲んだビールはあまり美味しくなかった。二杯目からは赤ワインに切り替えた。
「相変わらず洒落たもん飲みやがって」
「ビールは労働者の飲む物だと思ってる。私は労働をしないから」
「この脛齧りのボンボンめ」
 何とでも言え、と言って私は笑う。小野寺にしても地元では有名な整形外科医の次男坊で、そのコネで都内にある総合病院に勤めている脛齧りのボンボンなのだ。私達の通っていた私立高校は親が金持ちな人が多かった。
「仕事は上手くいってるのか?」
 小野寺は就職してからずっと総務の仕事をしていた。
「上手くいくも何も、あんなのただの流れ作業だよ。毎日その日にやらなければならないことをただこなしてるだけだ。良いも悪いも無い」
「それでも、多少の揺らぎはあるだろ。波というか。精神的なムラも、外的要素も」
「無い」
 小野寺はそう言い切って鶏ハラミのスパイシーマリネを齧った。みんないろいろと思い悩んでいる中で、そこまで言い切れるのは逆にすごいことだ。それは小野寺の良いところでもあり悪いところでもあった。
「増築がどうこう言ってたな」
「今日資材を全部買った。来週の火曜日に届く」
「俺には理解できない」
「何が?」
「差し迫った必要性も無いのに家を広げる意味なんて無い。意味が無いものが存在する意味も無い」
「だから必要なのは部屋じゃなくて発展なんだよ」
「その話をしてる配信も見てた。正直言って、俺はあまり落ちていない」
「スパイスだよ。お前だって単調な日常に辟易しているんだろ?」
「そりゃしてるさ。でも無理に何かを変えようだなんてことは考えない」
「退屈というものが一番厄介なんだよ。魂が劣化する」
「俺ならそれを楽しむことを考えるね」
「私よりまだ、生活に動きがあるからかな? その差かな?」
「いや、もちろんお前の言わんとすることも分かるよ」
「私は私で、自分の人生を豊かにしたいんだ」
「本当にやるんだな?」
「やる。今日資材も全て買ったって言ったろ」
 私はそう言って赤ワインを飲み干した。小野寺はそんな私を見て少し笑った。
「設計ミスがあって倒壊しても知らないぞ」
「そんなことにならないように考えてるさ」
 リスクの無い発展なんて、と言い掛けて止めた。ちょうど次のワインと料理が運ばれて来た。ワインはフランス産のル・ピジュレをボトルで頼んでいた。冷たいワインを小野寺のグラスに注いでやる。料理はブロッコリーのアンチョビ炒めと牡蠣のアヒージョだった。どちらもワインに合いそうだった。
 私は先程のマクドナルドにいた女子高生の話を小野寺にした。
「面倒だな。体育会系ってやつは」
 小野寺は苦笑いを浮かべて言った。
「お前だって、ちゃんと三年間部活動をやり抜いたじゃないか」
「体育会系と文化系は違うよ。文化系は汗を流さないからな。一緒に汗を流す経験ってのはやはり大きい。体育会系はそれだけにいろいろな想いがある」
 小野寺はそう言ってアヒージョのオイルにバケットを浸して食べた。
「月島は何年の時に部活辞めたんだっけ?」
「一年の秋」
「じゃ旅行は一度も行っていないのか?」
「行ったよ。秋の旅行に行って、そのままレポートも出さずに辞めたんだ」
「そうだっけ?」
「そうだよ。小野寺怒ってたよ」
「辞めたことに?」
「いや、レポートを書かなかったことに」
「そこなんだ」
 小野寺は笑いながら私のグラスにワインを注いだ。
「本当に覚えていないのか?」
「全然」
「ふぅん。まぁ、そんなものか」
「だって、何年前のことだと思ってるんだよ」
「確かに」
「元々、あんまり過去を振り返ることもないし」
「全てはもう通り過ぎて行ったことだからな。常に心に留めておく必要なんてない」
「まともな考え方だと思う。今を生きよう、なんて強いことは言わないが」
 私は頷いてブロッコリーのアンチョビ炒めを皿に取り分けた。ボトルのワインはすぐに空いた。このタイミングで店を変えても良かったが、もう一本追加でワインを注文した。赤玉スウィートワインのボトル。すぐに店員さんが持ってきてくれた。
「お前、今日はどうやって帰るんだ?」
「運転代行を呼んで帰るよ。車でしか帰れない場所だし」
「そうか。一度、俺も行かせてくれよ。お前の森の家に」
「ああ。別に何か楽しいものがあるわけではないけれどな」
 そう言って私は笑った。小野寺が私の家に来たいと言うのは、私が記憶している限りこれが初めてだった。別に悪い気はしなかった。
 小野寺とは二十三時に神田駅で別れた。十代の頃から変わらない小野寺の丸まった背中が雑踏の中に消えて行く。私はそれを見送ってから運転代行に電話を掛けた。長いコール音の後、やっと担当者が出た。若い女性の声だった。行き先や現在地を伝えると、いったん確認します、と彼女は電話を保留にした。保留音はカーペンターズの遥かなる影だった。私は神田駅前を行き交う人々を見ながらそれを聴いた。しばらくして電話が繋がると、今度は事務員なのか運転手なのか分からないが、男が出た。彼は、今ちょっと混んでいて、三十分くらいは待ってもらうことになる、と言った。構わないのでお願いしたい、と私は言った。文句を言ったところで、それしか家に帰る方法は無いのだ。
 私はワインの酔いを覚まそうとガードレールにもたれた。十一月の夜風が私の頬を打った。疲れて眠りたかったが、そういうわけにもいかない。缶コーヒーでも買って飲もうかと思ったが、とりあえず少し休憩したかった。頭上を電車が通り、地面が揺れる。いろいろな人がいろいろなことを話しながら私の前を通り過ぎて行った。街は音で溢れていた。私は深く、深く、息を吸って吐いた。


 火曜日の午前九時半頃、ホームセンターのあの店員さんからの電話が掛かってきた。
「あと三十分ほどで駐車場に着きます」
 承知しました、と伝え、私も家を出る。駐車場に着くと、すぐに彼がトラックで現れた。おそらく二トントラックだろうという大きさだった。
「お待たせしました」
 彼は今日も変わらず笑顔で愛想が良かった。
 今日の彼はホームセンターのユニフォームではなく、私物であろうadidasの青いジャージを着ていた。動きやすい服装を選んだのか。私も汚れていいように使い古したユニクロのフリースを着ていた。
「いえ、今来たところなので」
「良かった。じゃあ、さっそく運びましょうか」
 トラックの後ろの荷台を開けると、増築のための資材がパレットに積まれて置いてあった。覚悟はしていたが、やはりそれなりの物量になっていた。
 台車を二つ持ってきました、と言って彼が積み下ろしたのは山道用の電動運搬車と大型のスチール台車だった。
「電動の方は楽ですけど積載量が少ないんです。ピンコロとか束石なんかはこれで運んで、木材とかの大きいものはスチールの方で運びましょう」
「ありがとうございます」
 まさか電動運搬車まで持ち出してくれるとは思っていなかったので驚いた。先に私が電動運搬車で細かな資材類を家まで運び、その間に彼がスチール台車に大きな木材を積み込んでくれることになった。まずは二人で電動運搬車に資材を積み込んだ。二人でやるとすぐに積み込めたが、家ではこれを一人で積み下ろすのだ。電動運搬車があるので運搬はかなり楽にはなるが、それでもやはり大変な作業だった。
 木材の積み込みを彼に任せて、私は電動運搬車を押して家までの道を歩いた。電動運搬車には両サイドに大きなキャタピラが付いていて、多少の凸凹ならば気にせず進めた。横幅が不安な場所もあったがなんとか通れた。遠くの茂みに鹿が二頭いた。悠々と進む電動運搬車を不思議そうな目で見ていた。
 いつもと同じくらいのペースで家まで戻って来れた。予め資材を置いておくスペースを作っていたので、そこに順番に資材を積み下ろしていく。十一月も折り返しを過ぎて昼間でも寒かったが、積み下ろしをしているうちに私は全身にしっかりと汗をかいていた。日頃の運動不足を感じた。やはり毎朝の散歩だけでは運動が足りていないのだ。
 資材を積み下ろして駐車場に戻ると、積み込み作業で暑くなったのか、彼はadidasのジャージを脱いでティーシャツ姿になって車止めのブロックに座っていた。
「三往復はしないとダメそうですね」
 彼は木材を積める限り積んだスチール台車を指差して言った。かなり大きなスチール台車だったが、さすがに家を増築するサイズの木材は積みきれず、台車から大きくはみ出していた。一応ロープで固定はしているものの、二人がかりで慎重に運んで行く必要があった。
 私達は覚悟を決めて山道に入った。木材を積んだ台車は思っていた以上に重かった。私が前に立ちロープで台車を引っ張り、彼が後ろから姿勢を低くして押した。二人がかりでも相当な労力が必要だった。一人ではまず無理だった。
「一度休憩しますか?」
 駐車場を出て二十分ほど経つ頃、私は後方の彼に声を掛けた。まだ半分くらいしか進めていなかった。
「いえ、僕は大丈夫ですよ。休んだ方が後が辛くなりそうな気がして。問題なければこのまま行きましょう」
 私は頷いて、またロープを引いた。私も中途半端に休まずにこのまま行った方がいいと思っていた。汗が額を伝う。首にかけたタオルで時折それを拭った。ユニクロのフリースは脱いで腰に巻いていた。シャツも汗でぐっしょりと濡れていた。とにかく前に進むことだけを考えた。
 普通に歩くのの倍の時間を掛け、やっとの思いで家まで辿り着いた。木材を積み下ろすより先に何か飲みたかった。私はキッチンに行って氷をたくさん入れたグラスに水を注いだ。二人分を用意して庭に出る。彼はまだ余裕があるように見えた。しっかりと足を曲げてアキレス腱を伸ばしていた。水を渡す。
「ありがとうございます」
 彼は笑顔でそれを受け取った。休憩がてら少し座って話した。それで私は初めて彼の名が山田君だということを知った。驚くことに、彼は本当に学生時代に野球をやっていて、今も大学時代の先輩達と草野球をやっていた。早生まれで、年が明けたら二十五歳になるらしかった。
「大学から付き合ってる彼女が結婚したいって言うんですけど、結婚したら野球がしにくくなると思ったら躊躇ってしまって」
 と言って山田君は笑った。
「結婚しても続けたいって説明したら理解してくれるんじゃないですか」
「今はそうかもしれないですけど、子供ができたりしたらね、話が変わるでしょ」
「それは確かに」
 私も笑った。結婚するということは、誰かの人生を預かるということだ。私には考えられない。
 気持ちを切り替えて山を降りる。駐車場まで戻って木材を積み、もう一度山を登った。二度目は慣れもあり、一回目よりも時間が掛からなかった。このままもう一回行きましょうか、と二回目の積み下ろしを終えた後彼が言った。さすがに若いからスタミナがある。私としては少し休みたい気持ちもあったが、彼の拘束時間のことを考えると早く終わらせた方が良いと思い、頷いた。
 最後の一回は満身創痍だった。これが最後だと思い、必死でロープを引いた。腕の筋肉もかなり限界に近かった。踏ん張る足も笑っていた。もう少しです! と山田君が後ろから私を鼓舞する。言葉で応えることができず、何度も頷きながら歩みを進めた。
 家まで着くと、安心からか一気に力が抜けてその場に座り込んでしまった。身体が言うことを聞かず、動けなかった。僕、積み下ろしやるんで休んでくださってていいですよ、と山田君が言う。悪いので、いや、大丈夫、と言いつつも身体は動かなかった。酸欠になっているのか、気分も悪かった。
「僕なら大丈夫なんで、無理しないでください」
 けっきょく私は山田君の言葉に甘えた。彼はシャツの袖をまくってタンクトップのようにしていた。ロープを解き、順番に木材を積み下ろす。力を入れる瞬間、彼の腕の筋肉が隆起した。私は遠目でそれを見ていた。若さだけでなく、しっかりと鍛え上げられた根拠に基づいた筋力だった。徐々に頭に酸素が戻ってきて、周りが見えてくる。見上げると、極限まで薄めた水色の空が広がっていた。雨が降らなくて良かったと思った。もし雨が降っていたら、運搬作業はなおいっそう大変だっただろう。
 山田君が積み下ろしを終える頃、私も少しずつ動けるようになってきた。時刻はもう午後一時を回ろうとしていた。私は、もし良かったら昼食を食べていきませんか? と山田君を誘った。
「えっ、いいんですか?」
 と彼は驚いた。
「と言っても、簡単なものしかできないですが」
「いえ、助かります。朝から何も食べていなかったので、ありがたいです」
「朝から何も?」
 私は驚いた。それであんなに動いていたのか。私ならば絶対に無理だ。
「僕、朝が弱くて朝食はいつも食べないんです。その分昼を早く食べているんですけど、この時間になるとさすがにお腹空きましたね。辛かったです」
 そう言って山田君は笑った。
「急いで何か作ります。ちょっと部屋を片付けるので、少し外で待ってもらえますか」
「ありがとうございます。分かりました」
 毎日掃除をしているので、急に人を招き入れることになってもそこまで慌てることはなかった。テーブルの上に置いてあった本とコップを片付け、軽くアルコールスプレーを吹きかけて表面を拭いた。
 ふと思い立ち、鞄の中から財布を取り出した。配送費用の一万円はすでに契約時に支払っていたが、良くしてもらったので、個人的に彼にお金を渡しても良いのではないかと思ったのだ。
 財布の中を見ると一万円札が三枚あった。私はその中から一枚を抜き出した。裸で渡すのは違うかと思い、適当な封筒を探した。しかしどうにも封筒が見当たらなかった。長3のクラフト封筒を買い置きしていた記憶が確かにあるのだが、どこに片付けたのだろうか。文房具をまとめている棚にも、手紙類を入れているケースにも無かった。
 しばらく探した後、彼を外で待たせていることを思い出した。私は慌てて外に出て彼を中に招き入れた。
「良いお家ですね」
 彼はリビングキッチンを見渡して言った。
「ありがとうございます」
 家のことを褒められると素直に嬉しい。
「もうここは長いんですか?」
「五年くらいですね」
 私は明太子のパスタを作ろうと思い、冷蔵庫から明太子と大葉と有塩バターを取り出した。
「綺麗にされてますね」
「まぁ、基本的に暇なので」
 と言って私は笑った。
「失礼ですが、お仕事は?」
「今はしていません。たまに日雇いの仕事に行くくらいですね」
「悠々自適というやつですね」
「よく言えば」
 私は大葉と明太子を包丁で刻み、鍋に火をかけた。ボウルに明太子、バター、胡椒、麺つゆを入れ、軽くかき混ぜる。
 山田君はリビングの窓から外を見ていた。森の景色が珍しいようだった。沸騰した鍋に塩とパスタを入れる。袋に記載された茹で時間より少しだけ早くにパスタを上げた。ボウルにパスタと茹で汁を少し入れて再びかき混ぜ、最後に刻みのりを振りかける。これで完成だった。皿に盛ってテーブルまで運ぶと、山田君はやたらと感動した。
「こういうのをさらっと作れる人はすごいです」
「別に簡単ですよ。やるかやらないかの問題かと」
「いや、でも感動です」
「まぁ、一人暮らしが長いですからね」
 それで私達はテーブルで向かい合ってパスタを食べた。
 山田君は一口食べ、美味しいです、と驚いた顔をした。それを見て私はついつい笑ってしまった。明太子パスタを不味く作る方が難しい。
「山田君は一人暮らしですか?」
「はい。出身は栃木で、大学時代から東京で一人暮らしをしています」
「料理をしたいとは思わなかったですか?」
「そうですね。部活や仕事が忙しかったりで、お米を炊くくらいはしていましたけど、だいたいはコンビニやスーパーのご飯で済ましてましたね」
「楽しいですよ、料理」
「昔からされるんですか?」
「実家を出てからは基本的には自炊だったので、もう二十年くらいですかね。その割には全然ですが」
「いえ、美味しいです」
 彼はそう言ってパスタを口に運んだ。こうも美味しいと言ってもらえると作り甲斐がある。普段は一人なので、美味しいと思ったとしても声に出すことは無い。そう考えると、一人じゃないというのも悪くはなかったが、これをいつも欲しいとは思わなかった。
 二人ともお腹が空いていたので、すぐにパスタを食べてしまった。もっと何か作りましょうか? と聞いてみたが、さすがに山田君は遠慮した。私はお湯を沸かしてコーヒーを淹れた。
「ホームセンターで働き出して何年くらいになるのですか?」
「バイト時代から入れるともう六年ですね。正社員は四年目です。僕、大学中退してて」
「そうなんですか」
「何か、研究室が合わなくて。部活は楽しかったんですけどね。最後は教授と揉めてしまって、半ば喧嘩別れで辞めてしまいました」
「大学教授なんて、変わった人が多いですからね。あまり相手にしたくない人種です」
「偏屈な教授でした。あの人のことは未だに許せていません」
 大学を辞めるくらいなのだからよっぽどのことがあったのだろう。私は、自分も元々は大学で講師をしていたことを言おうか迷ったが、止めておいた。
「でも部活は残念でしたね。ずっと野球を頑張ってきたのに」
「そうですね。でもまぁ、プロを目指すほど上手かったわけではないですからね。部活の仲間達とは今でも繋がっていますし、全体で見るとこれで良かったのではないかと思います」
「それならば良かったです。後悔の無い過去というものは、自分の人生の確かな軸になりますからね」
「月島さんは、何か後悔がありますか?」
 そう聞かれて、私は少し考えた。しかし具体的なことは何も浮かんで来なかった。
「ありませんね。多分ちょっと特殊な人生を歩んでいると思うのですが、後悔のようなものはありません」
「そう言い切れるのはすごいなぁ」
 彼はそう言ってコーヒーを飲んだ。ミルクも砂糖も入れなかった。
「過去を振り返っても何も意味が無いって考えだからですかね」
 話していて、小野寺とも最近そんな話をしたなと思った。
「僕はそこまで強くはなれないです」
「私だって強くない。弱いからこそ忘れるんです」
 そう言うと山田君はクスッと笑った。
「月島さんって、ちょっと変わってますよね」
「まぁ、でないとこんなところに一人で住んでいないです」
 そう言って私も笑った。
 前に買ってずっと食べていなかったロイズのクッキーを皿に出した。お互い二枚ずつ食べたところで、そろそろ帰ります、と山田君が言った。時計を見るともう午後二時半だった。
 山田君を駐車場まで見送った。空になったスチール台車は山田君が押した。静かだなぁ、と山田君は誰に言うでもなく呟いた。遠くで、鳥が木の枝を蹴って飛び立つ音が聞こえた。どこからどこへ行くのだろうか。世界は想像を超えて広い。とりあえず私達は駐車場を目指す。少しずつ気温が下がってきて、二人とも上着を着ていた。
 山田君は台車を荷台に積み込み、エンジンをかけた。
「いろいろとありがとうございました」
 私は頭を下げた。
「いえ、こちらこそ。すっかり居座ってお昼までご馳走になってしまって」
「また何かあったらお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
 山田君のトラックが見えなくなると、一気に日常に戻った。何も無い秋の森と私がいた。
 家に帰り、食器を洗って片付けた。二人分あることに多少の違和感を感じたが、並べてしまえばただの皿だった。さすがに身体が疲れていた。腕も足もダルくて、多分明日は筋肉痛になるだろうなと思った。和室に大の字になって倒れ、遠い木目の天井を見つめた。このタイミングで、運んだ資材にビニールシートを掛けなければならないことを思い出したが、すぐにやる気にはならなかった。雨の予報は無かったので、夜でも大丈夫だろうと思った。
 目が覚めると、辺りはすっかり暗くなっていた。傍らに置いていたスマホを見ると、驚くことにもう午後八時半だった。四時間も眠っていたことになる。よっぽど疲れていたのだろう。
 私は起き上がり、上着を着て外に出た。息が白くなる冷たい夜だった。冬はもう、すぐそこまで来ている。私は資材にビニールシートを被せた。改めて見るとやはりそれなりの物量だった。これを駐車場から運んだのか、と考えると今在る身体の痛みも納得できた。
 家の中に戻った時、ふと私は財布から抜き出した一万円札のことを思い出した。結局適当な封筒が見つからず、山田君に渡しそびれていた。彼を呼びに行く時にリビングの棚の上に置いて、おそらくそのままになっているはずだった。
 しかし、見に行ってみるとそこに一万円札は無かった。私は確かにこの棚の上に一万円札を置き、無くならないように昔鳥取で買った砂丘モアイの置き物を上から置いたはずだ。でもそこに一万円札は無く、砂丘モアイが置いてあるだけだった。
 一応棚の周辺を探してみたが、無かった。他にも自分が置きそうなところを考えて見て回ったがどこにも無い。私としても、確かに棚の上に置いた記憶があった。では、何故無いのか?
 山田君の顔が浮かんだ。私はそれをすぐに打ち消した。
 彼がそんなことをするはずがないと思った。しかし現に一万円札は無くなっている。彼が盗ったのではないとは言い切れない。もちろん、私が全然思いもよらない場所に一万円札を置いているという可能性もある。だが、ここにその確証が無い限り疑念は残り、私は山田君を疑わざるを得なくなる。私はそんな自分がどうしようもなく嫌だった。
 山田君に親切にしてもらったことは何がどうあろうと事実で、しかしそんな事実に反して疑念はここに確かに在り、その矛盾がどうしようもなく気持ち悪かった。
 だから他人と交わるのは嫌なのだ。たとえ上手くいっていたとしても、何が原因で急に綻びが生じるか分からない。いちいち頭を悩ませてその綻びを紐解くのも面倒だった。どうせそんなことになるのならば、誰とも関わらずに生きていきたいと私は思った。増築を、早く進めなければならないと思った。私は私の生きる範囲を改めてしっかりと定義付けたいと思った。


「こんばんは。現在、二千二十四年、十一月二十五日、午後六時十二分。辺りはすっかり真っ暗です。晴天のまま夜になりました。気温は七度。冬用の厚手のジャケットを着ています。今日は外からの配信です。空が澄んで、星がとても綺麗です。映像では上手く映らないですかね? どうでしょう?」
 私はそう言って空にカメラを向けた。満天の星空だが、アイフォーンのカメラではそれを捉えきれないかもしれない。星空に関してのコメントは無かった。視聴者数は二十一だった。
「前回配信から三週間ほど開いてしまいました。すみません。珍しくちょっと忙しくしていました。バタバタしていました。ええ、それはもちろん増築の関係でです。資材を買って、もう無事に作業に入っています。けっこう頑張っているのですが、実情を映すとまだまだな感じです」
 ライトをつけて増築中の場所を照らす。これから床になる、木材を張り巡らせた骨組みがぼうっと闇に浮かんだ。壁や天井はまだ無い。部屋と呼べる状態には程遠いが、確かな苦労の跡がそこにはあった。
「とりあえず、根太を配置するところまでは終わりました。見てください。何となく床のベースっぽい感じにはなっているでしょう? まぁ、これだけ見ると、あぁ、そうか、このくらいか、という感じになるのかもしれませんが、ここまでたどり着くのは本当に大変でした。何せ私は素人で、資材の扱い方も探り探りで、とても慎重な作業になっていたので。増築部分の地面はやや傾斜していたので、それをスコップで均して遣り方を作りました。遣り方というのは、建物を建てる場所の回りに巡らす板と杭のことです。これは、私も最近専門書で知った単語です。普段、普通に生きていたらまず耳にしないですよね。でも、こうした単語との出会いも一つの発展ではないかと私は思います。完成にはまだ遠いですが、私は日々発展を感じております」
 『マジで作り始めてんじゃん』『もう引き返せませんよー笑』『意外とちゃんとしてる! 本当に素人か?』いくつかのコメントが入る。視聴者数は三十三に増えていた。
「四隅の基礎は束石を使い、その他はピンコロを使いました。ちょっとした経費削減です。約一メートル間隔で、十六個の束石もしくはピンコロを埋め込みました。これだけでもけっこうな時間がかかりました。床束には木材を使うので、束石との接触面が吸湿しないよう、先にパッキンを打ち付けました。これで床束の耐久性が格段に上がるようです。ここら辺は全てネットの受け売りです! ネットはすごいです。本当に侮れません。土台と床束との固定は四箇所斜めのビス打ちのみ。これもネット情報からです。根太は二×四材の十二フィートを使いました。現状、ここまでの進捗です」
 私は私が作った増築部分を満遍なくカメラに映した。たとえ伝わらなくともしっかりと発信したかった。
「一応、年内完成を目指しています。新しい部屋、発展した心で新年を迎えられたら嬉しいなと。もうすぐ十二月ですね。すっかり寒くなってきました。街は、じきに慌ただしい季節に入ると思います。私はここで増築をしております。皆さんはどのようにお過ごしでしょうか。ご自愛ください。また進捗をご報告いたします。では」


 バスは時間通りに来て、私を含めた二十人ほどの男女を乗せてすぐに出発した。マイクロバスと観光バスの間くらいの中途半端なサイズのバスで、座席が狭く隣の人と肩が当たった。隣の人は私より四、五歳ほど歳上に見える男性で、上下セットのスーツを着ていたのだが、体格が良く、ジャケットの前ボタンが弾けてしまいそうなほど立派な胸筋をしていた。足も太く、私のスペースにやや入り込んでいた。会話は無かった。私は身を小さくして窓の外を見ていた。何の感情も湧かない灰色の景色がただ流れていた。
 久しぶりの仕事だった。栃木の山奥にある工場でスマートフォン関連の製品の箱詰めを一泊二日でする。増築関係でいろいろとお金が掛かったこともあるが、少し気分を変えたいという気持ちもあった。ここ最近根詰めて増築作業をしていたので少し疲れていた。
 二時間ほど走り、バスは目的地に着いた。大きな工場だった。外観は白く綺麗で、まだ新しい工場のようだった。バスを降りるとすぐに作業着が支給され、男女に分かれて更衣室に通された。
 支給された作業着は透明なビニール袋にパッキングされていたものの、細かな汚れや傷が付いており、新品ではなかった。周りを見渡すと、そこには様々な種類の男がいた。太っている男、痩せている男、若い男、歳を取った男。バスで隣だった男は、確実に私が支給されたものより大きな作業着を支給されていたが、着替えている様子を見ると、それでもかなりきつそうだった。集まった作業者は男性の方が多かったので、更衣室内はそれなりの人口密度になっていた。
 着替えるとすぐに作業場に通された。作業場はバスケットコートほどの広さの部屋で、机と椅子が等間隔でぎっしりと並べられていた。席に着くと、すぐに社員らしき男が出てきて作業の説明が始まった。まだ二十代後半であろう幼顔の男だった。場慣れしたその様子から、おそらく主任くらいのポジションではないかと推察した。彼は名前を名乗ることもなく、作業内容と注意点だけを手短かに説明した。少しでも時間が惜しいという感じだった。
 作業は、急速充電器とコードを箱に入れていくというものだった。急速充電器二つを箱の両サイドに入れ、その間にコードを詰め込む。それらを包むように説明書を上から入れて箱を閉じ、最後に開け口をテープで封緘するというものだった。難しい作業ではない。コードも予め巻いた状態でテープで留めてあり、一箱作るのにそこまで時間は掛からなさそうだった。
 机が並べられた場所の前にコンテナに入ったそれぞれの部材が置かれていた。作業者はそこから自分が使う分をコンテナ単位で自席に持って運び作業をする。
 最初のうちは一箱作るのに十秒ほどかかったが、慣れてくると五秒くらいで作れるようになった。しかし、二十箱ほど作ったあたりで早くも作業が雑になりつつあることに気付いた。テープの長さが長くなったり短くなったり、安定していなかった。決められた個人のノルマは無かったが、流れ作業の中に身を置くとどうしてもスピードを意識してしまう。完成品が雑だったり作業が著しく遅かったりすると社員から注意を受ける。正確かつ速やかに作業を進めなければなかった。
 しばらく作業を続けると、だんだん周りを見渡す余裕ができてきた。三つ前の列にバスで隣だった男がいた。やはり体格が良く、周りにいる作業者の中でも一際目立っていた。彼は何故この仕事を選んだのだろうか? もっと彼の力が活かせる仕事が他にたくさんあるのではないかと思った。
 例えば、警備員なんてどうだろう? あれだけ鍛えられた身体があれば重宝されるのではないか。こんなところで急速充電器をちまちまと箱詰めするよりもずっと良いのではないか。私は、彼が警備員として悪漢からビルを守る姿を想像した。悪漢はそれらしいことを言ってビルに侵入しようとするが、彼はそれを許さない。悪漢はビルに入る資格を持っていなかったのだ。彼のスタンスが強固なものだと気付いた悪漢は無理矢理侵入を試みて強引な行動に出るが、彼の腕力の前でそれは無意味だった。彼の目に怒りの感情が滲む。悪漢は怯みながらも気持ちは収まらず、合理的ではないことを一言二言声を張り上げた。しかしもちろんそんなことでは彼は怯まない。悪漢はまだ納得できない様子ではあったが、それ以上は抵抗せずその場を去って行った。
 素晴らしい話だと思った。彼は今すぐこの部屋を飛び出して自分に合った仕事をするべきなのだ。適材適所。どれだけ否定をしてもやはり人間は社会の歯車に過ぎない。自分に合ったポジションというものが必ずある。
 そんなことを考えながら作業をしていたら、説明書の端を箱に引っ掛けて折ってしまった。私は折れてしまった説明書を箱から取り出し、各自に配布されたロス品ボックスに入れた。ロス品の数が多くても、やはり社員から指摘を受ける。この手の仕事をするのは今回が初めてではないが、単純作業というものもなかなか難しい。注意しなければすぐに思考は別のところに移ってしまい、作業に綻びが生じる。全ての精神を作業に集中させるべきなのだが、それはそれで気持ちが持たない。バランスを保つことが重要だった。
 昼休憩のチャイムが鳴った時、正直言って助かったと思った。何とか泳ぎ着いた気持ちだった。久しぶりの仕事は思っていた以上に疲れた。増築作業も疲れる。しかし、それとはまた違う種類の疲れだった。精神を擦り減らされていた。増築作業ではそれは無かった。空が見えているからだろうか? いや、それはおそらく労働か労働じゃないかの差だろう。やはり労働は面白くない。誰かに何かをやらされるという構図は好きではない。今日、改めて思った。
 当たり前だが、食堂には私達日雇い作業者以外にもたくさんの人がいた。昼食は大きく分けると定食、麺類、カレー・丼ものの三種類があり、それぞれの種類のコーナーに列をなしていた。その中で、カレー・丼ものの列が一番人が少なかった。疲れていたのもあり、あまり並びたくなかったので、特に食べたい気持ちは無かったがカレーを食べることにした。カレーは四百円だった。普通のお店で食べるのと比べたら格段に安かった。これはもちろん給料とは別会計で自費となる。出てきたカレーには何の特徴も無く、食べるとイメージ通りのカレーの味がした。半分ほど食べた頃、隣に座っていた男が突然話しかけてきた。
「俺のこと、分かります?」
 男はにやにやと締まりの無い顔をしていた。まだ二十代前半くらいの若い男だった。長い髪をマンバンヘアにしており、体型的にはホームセンターの山田君に似ていた。分かります? と聞かれても、私は彼の顔にまったく覚えがなかった。作業着の胸元に付けられたネームプレートには「土屋」と名が書いてあったが、その名前にも覚えは無かった。
「いや、分かりません」
「えぇ、寂しいなぁ」
 そう言って男は定食のチキンカツを頬張りながら笑った。食べ物を頬張りながら笑う口元が下品で不快だった。面倒な奴に話しかけられたと思った。
 もう一度考えたが、やはり彼に対して何も思い出せなかった。
「申し訳ないですが、本当に思い出せないです。どこかでお会いしましたか?」
「え、マジで分からないんだ? 午前中ずっと隣で作業してたのに」
「隣?」
「そう。正しく言うと、左隣」
 真横だと逆に視界に入らないのだ。こんな男が隣にいたことなどまったく気が付かなかった。
「すみません。失礼しました」
「別に謝らなくたっていいですよ。仕方ない、仕方ない」
 土屋は、どうみても私の方が歳上なのに馴れ馴れしい話し方をした。別にそれを咎めるでもなかったが、良い気持ちはしなかった。
 昼食を食べ終わったら別れられると思っていたのに、その後も土屋は私についてきた。工場の中庭には綺麗な芝生があった。私は売店で買った缶コーヒーを手にそこを歩いたのだが、彼もピタリと私の後ろをついて来た。
「俺の斜め前にいた女の子、分かります? 顔見ました?」
 分かりません、と私はぶっきらぼうに答えたが、土屋は気にすることもなく話を続けた。
「めちゃくちゃ可愛かったんですよ。歳は俺と同じくらいかなぁ。小さくて、可愛らしいって感じでね。俺、身長が低い子が好きなんですよ。何か、守りたくなるじゃないですか。小動物みたいで。そういえば昔、ミニモニってグループがありましたよね。俺、全然世代ではないですけど。低身長アイドルっていう着眼点はなかなか素晴らしいですよね。さすがハロプロだなって。あ、でも別に俺、小さい子が好きだからって、ロリ好きってわけじゃないんですよ。若い子が好きとかもないですし。まぁ、でもやっぱり頭は良くないとダメですよね。馬鹿はダメです。どんな可愛いくても知性が無きゃね。その点、竹内さんは、あ、竹内さんって言うんですけどね、俺の斜め前にいた子。休憩に入る時、こっそりネームプレートを見たんですよ。俺、そういうところは抜かりないんで。まぁ、竹内さんは知的ですよ。賢そうな顔をしてる。多分どっか、国立大を出てるんじゃないかなぁ。うん、きっとそうですよ。俺は大学、単位足りなくて三年で中退しちゃいましたけど。サークルは楽しかったですけどね。俺、何のサークルに入ってたか分かります?」
 さぁ、と私は半ば呆れたような声を出した。興味の無い話をひたすら聞かされることほど不快なことは無いな、と心の中で思っていた。何故この男は見ず知らずの私にこんなにくだらない身の上話をベラベラと話せるのだろうか? 理解に苦しんだ。自分が今冷めた顔をしていることが鏡を見ずとも分かった。それでも土屋は話を止めなかった。馬鹿みたいに強靭なメンタルを持っている。
「テニスっすよ、テニス。大学と言えばテニサーでしょ。王道っすよ。まぁ、とか言って高校までは野球部だったんですけどね。地区大会で準決勝まで行くくらいには強かったんすよ。今時坊主頭で、本気で甲子園目指してました。実際、惜しかったんですよ。あれは時の運です。最後の夏、準決勝でうちの高校が延長十二回で三対四で負けたところが甲子園に行ったんですけど、その高校が甲子園の初戦で延長十二回で今度は三対四で負けたんです。だからけっきょく紙一重だったんですよね。俺等が甲子園行ってても全然おかしくなかった。えーと、月島、月島さんですね。月島さんはなんか、スポーツとかしなさそうですよね。まぁでも、それはそれで良いと思いますよ。文化系だって別にね、絵描いたり本読んだりするのも楽しいですからね。あと、楽器とか。俺はやらないけど。って、あれ? 何の話でしたっけ?」
 そう言って土屋は笑った。私は何も面白くなかったので笑えなかった。ポケットの隙間からスマホの画面を見ると、もう昼休憩が終わる五分前だった。ねぇ、何でしたっけ? としつこいので、竹内さん、と私は短く答えた。
 あぁ、そうだ、竹内さんだ、と土屋は手を打った。しかし、時間も時間だったので、そろそろ行かないと、と言うとそれ以上の話はせずに大人しく作業場に戻った。
 土屋が隣にいる、という事実だけで午後は作業に集中できなかった。もちろん、社員が見ているので土屋もぺちゃくちゃと話をすることはないが、何となくずっと見られているような感覚があり落ち着かなかった。その影響か、私は午前より多くのロス品を出してしまい、一度社員から注意を受けた。
 土屋の左斜め前に、確かに小柄な女性がいた。おそらく彼女が竹内さんなのだろう。暗めのブラウンのショートボブで、後ろ姿だけでは知的なのかどうかは分からなかったが確かに美人そうな感じはあった。
 十七時のチャイムが鳴ると社員が作業者達の前に立ち、今日の作業はここまでだと告げた。社員はこの後の流れと明朝の起床時間を手短かに説明し、すぐに私達を作業場から出した。本当に、何をするにもせかせかしている。私は森のスローライフを恋しく思った。何箱作ったのか分からないが、身体にも心にも確かな疲労が残っていた。私は歩きながら手首をぶらぶらと振った。
 作業が終わるとすぐに夕食で、作業場からそのまま食堂に通された。昼と違い、食堂には私達しかいなかった。おそらく勤務交代前の閑散の時間に押し込められているのだろう。十七時に夕食は少し早い。
 特にお腹は減っていなかったが、今食べなければもうタイミングは無いのだろうと思い、きつねうどんを注文した。きつねうどんは何だか懐かしい味がした。高校の学食を思い出した。そういえば、私は昔からメニュー選択に困るといつもきつねうどんを選んでいた。
 作業終了後、土屋に話しかけられないようにわざと距離を置いた。それでも土屋なら強引に話しかけて来るかもしれないと思ったが、意外にも何も話しかけて来なかった。つくづくよく分からない男だと思った。昼に私に話しかけて来たのはただの気まぐれだったのだろうか? 私は哲学が見えない人間が苦手だった。行動の理由が分からないなら、信じることができない。
 食事を終えた人間から順にシャワールームに通された。ロッカーに荷物を入れて裸になる。指示通りに事を進めていると、まるで自分が製造工程上の製品になったような気持ちになった。熱いシャワーに打たれて洗浄される。目を閉じてその熱に身体を任せた。両隣からも同じく誰かがシャワーに洗浄される音が聞こえた。私達は両産品だ。そんなことはずっと前から分かっていたが、その事実に改めて呆れる。溜息が出た。
 シャワーを終えて外に出ると十八時過ぎだった。日はもう暮れていたが、時間的にはまだ早い。これから何をしようかと思ったが、何一つ思い浮かばなかった。他の社員の迷惑にならないように、私達作業者は工場内で行ける場所を制限されていた。レコードも聴けない、ワインも飲めない、本も持って来ていない。八方塞がりだった。
 仕方がないのでもう仮眠室へ行った。作業者は今夜、男女に分かれて仮眠室で眠る。仮眠室にはそれぞれ二段ベッドが二つあり、使うベッドは予め指定されていた。私が割り当てられたのは仮眠室Cの3のベッドだった。二段ベッドの上段だった。
 私はベッドに横になって深く息を吐いた。ある程度予想はしていたが、あまり良いベッドではなかった。マットレスの肌触りも悪く、枕も固かった。可能な限り経費を抑えた半ばやっつけなベッドだった。天井までの距離は一メートルほどで、やや圧迫感はあるが、ここだけが明朝までの私のパーソナルなスペースだった。周りを見ると、私以外にももう二人ベッドに入っている作業者がいた。やることが無いのは皆同じだった。
 明日も十七時まで今日と同じ作業をして、そこから東京に戻る。私の場合、東京からさらに車で帰るので、家に着くのはかなり遅くなるだろう。その頃の疲労度を想像すると気が重くなった。
 薄暗い仮眠室のベッドの中、またしばらくは働きたくないと強く思った。やはり労働は嫌いだ。世間の人達はこれを毎日繰り返しているのだ。同じような仕事を毎日毎日淡々と。もはや狂気としか思えなかった。数年前までは自分もそのサイクルの中にいたのだと思うとぞっとする。ブルジョワと言われたらそれまでだが、皆何かを見失ってしまっているのも事実だと思う。
 疲れてはいたが、さすがに眠ってしまうには早い時間だった。目を閉じれば眠れるは眠れるが、変な時間に目が覚めるのは嫌だった。スマホでヤフーのニュースを見る。特に目を引くトピックスは無かった。世界は掌の中で広がっており、簡単にどこにでも繋がることができるのだが、空白で重たい時間だけが今ここにはあった。
 ふと気まぐれで、私は過去に勤めていた大学のホームページを開いた。トップページはキャンパスの風景や、授業や部活等の学生生活を映したムービーだった。私がいた頃からこのような感じだったのか、それとも最近変わったのかは分からないが、今風で、整った印象を受けた。キャンパスは以前から変わりなかったが、学生は全員知らない顔だった。陸上部の練習風景が流れていた。そういえばあの大学は陸上競技に力を入れていた。箱根駅伝にも出ていた。時期的にインターネット出願の案内が出ていた。毎年、年明けから入試広報課が忙しそうにしていたことを思い出す。私も試験の当日運営に駆り出されたことがあった。当たり前だが、私がいなくなっても大学に大きな変化はなかった。懐かしさは感じたが、戻りたいとは思わなかった。
 大学紹介のページをぱらぱらと見ていたら、斜め下の方から動画の音声が聞こえてきた。見ると、向かいのベッドの下段で坊主頭の男がタブレットで動画を観ていた。仮眠室の中には他にも何人か作業者がいたが、男は気にもせず大きな音で動画を流していた。お笑い芸人が芸人仲間の愛車を紹介をする動画のようで、よく分からない車関係の単語や、芸人らしい大きなリアクションが鼻についた。私はいろいろ面倒くさくなって目を瞑って壁の方を向いた。
「ちょっと兄ちゃん、音止めてえや」
 真下から声がした。関西訛りの言葉だった。見ると、私と同じくらいの年齢だと思われる男がベッドから出て坊主頭に詰め寄っていた。関西訛りの男が怒っていることは口調から容易に想像ができた。しかし坊主頭はまったく動じなかった。見た感じまだ若そうだったが、肝が座った男だった。
「イヤホンが無えんだよ」
「じゃ、観るのやめえや。さっきからうるさいねん。クソガキが」
「クソガキだぁ?」
 と睨みをきかせて坊主頭もベッドから出てきた。思っていたより小さかったが、ずんぐりとしていて、柔道や空手をやっていそうな体格だった。
「うるさいって言うてんねん。ちょっとは周りの迷惑考えろや」
「何だお前、喧嘩売ってんのか?」
「喧嘩売ってんのはそっちやろ」
 どちらが先に手を出してもおかしくない状況だった。変に見ていて絡まれるのも嫌だったので、私は目を閉じて眠ったフリをしていた。
 一触即発ムードではあったが、けっきょく二人は二、三言言い争っただけでそれぞれのベッドへ戻って行った。大きな喧嘩にはならなかった。しかし坊主頭はまだ動画を観続け(多少なりとも音量は下げていたが)、またいつどうなるか分からない状況が続いていた。物音一つも張り詰め、ピリピリとした空気が仮眠室を満たしていた。目を瞑っていても気が休まらなかった。私は仕方なく二段ベッドを降りて部屋の外に出た。そこで土屋に出会した。
「うわ、月島さん、探してたんすよ」
 偶然に会ってしまい、しまったと思った。
「何してたんすか」
 何もせずベッドで寝ていた、と言ったら土屋は笑った。月島さん、マジでギャグセンスありますね、と笑われた。何が面白いのかよく分からなかった。私はただ事実を述べただけだったのに。
 まぁ、行きましょうよ、と連れ出されたのは工場の中庭だった。日はもうすっかり暮れて暗かった。そこには暇を持て余した何人かの作業者達がバラバラといた。ごめん、お待たせ、と土屋が声を掛けたのは茶髪のショートボブの女性だった。一瞬誰か分からなかったが、すぐにそれが竹内さんなのだと気付いた。
 お疲れ様です、と竹内さんが小さく頭を下げた。私もお疲れ様です、と返す。竹内さんは、大学生かもしれないと思えるくらいに若く見えた。知的かどうかはよく分からなかったが、とりあえず美人の部類には入る容姿をしていた。土屋に上手いこと言われて誘い出されたのか。
 月島さん、ベッドで寝てたんだって、と土屋は私を指差して笑ったが、竹内さんは苦笑いを浮かべるだけだった。それはそうだと思った。土屋の笑いのポイントが分からない。気まずい感じになったが、土屋は気にしていない様子だった。竹内さんも不思議そうな顔をしていて、私同様に何も聞かされないままにここに集められたのではないかと推察した。
 じゃあ、行きますか、と土屋に連れられて三人で歩き出す。中庭の端から外周の薮に入った。どこに行くんですか? と聞いたが土屋は、まぁまぁ、と誤魔化すだけで何も答えなかった。暗い薮を抜けると、工場の敷地と外を隔てるフェンスに当たった。この工場は工場地帯の中に建っていたので、道を隔てたすぐ向こう側に違う工場が見えた。外にある街灯の灯りを頼りにフェンス沿いを歩いて行く。当然、我々作業者が立ち入っていい場所ではなかった。禁止地区に入ったらペナルティを受けますよ、と前を行く土屋の背中に言ったが、無視された。竹内さんは私の後ろを黙って付いてきていた。
 しばらく歩いたところに勝手口があった。どうやら土屋はこの勝手口を目指してこんなところを歩いていたようだった。ノブを回すとドアが開いた。ここ、いつも開いてるんですよ、と土屋は得意気に笑う。私達は土屋に言われるままに工場の敷地外に出た。こっちこっち、と誘われ、薄暗い道をさらに行く。無断外出は重度のペナルティだと社員が言っていた。しかし、今更そんなことを土屋に言っても無駄だろうなと思い言わなかった。
 少し先に自動販売機の灯りが見えた。そこには全部で四台の自動販売機があり、その前にボロボロの青いベンチが二つ並んでいた。着きましたよ、と土屋が親指で自動販売機を指す。どうやらここが土屋の最終目的地のようだった。
「よくこんな場所を知っていましたね」
 自動販売機はキリンとコカコーラとサントリーと酒類だった。
「前に来た時に見つけたんですよ。俺、この工場での仕事三回目ですから」
 無事目的地に辿り着いて、土屋は上機嫌だった。竹内さんは何も言わずにコカコーラの自動販売機を眺めていた。口数が少なく、大人しい人のようだった。
 俺の奢りです、と言って土屋は酒類の自動販売機で缶チューハイを三本買った。飲酒も禁止事項となっていたが、私も竹内さんも何も言わなかった。お礼を言って缶を受け取った。
 私達は土屋を中心にベンチに座り、缶チューハイを飲んだ。グレープフルーツの缶チューハイだった。思っていたよりアルコールが強いなと思って表記を見てみると、9%もアルコールが入っていた。度数だけで言えばいつも飲んでいるワインの方が強いのだが、何となく身体に合わないアルコールだった。横を見ると土屋は楽しそうに竹内さんに話しかけてきた。昼に私に話しかけてきた時と同じような感じだった。竹内さんは勢いに押されながらも嫌がっているわけではなさそうだった。土屋の話にコクコクと頷いていた。あまりお酒に強くないのか、早くも頬がピンクに染まっていた。私一人が蚊帳の外だった。かと言って、会話に入れてほしいとも思わなかった。何故私はここにいるのだろうと不思議に思った。土屋は竹内さんに好意を持っていた。上手く誘い出せたとして、何故私まで誘ったのだろうか?
 分からないまま、私はただ缶チューハイを飲んだ。缶を持つ手が冷たかった。その冷たさはすぐに全身に伝わり、やがて身体がガタガタと震え始めた。それでも他にやることがなかったので缶チューハイを飲んだ。缶チューハイはなかなか無くならなかった。ロング缶ではあったが、それにしても驚くほど減らなかった。あ、月島さん寒いですか? と土屋が思い出したかのように私に声を掛けてきたが、反応を待つこともなくすぐに二人の会話に戻っていった。いつの間にか竹内さんも楽しそうだった。二人で笑い合い、時折肩を叩き合ったりしていた。
 私はどうにも惨めな気持ちになった。今すぐこの場から消え去りたいと思った。でも足は動かず、けっきょく一向に無くなる気配の無い缶チューハイを飲んだ。鈍い酒酔いが思考を狂わせた。酷く下品な酔いだった。それでも私は缶チューハイを飲むのを止められなかった。会話が途切れたと思ったら、二人は私の横でキスをしていた。べちゃべちゃと人間同士が混ざり合う音がした。言いようのない不快感が身体を巡った。でも私はその様をずっと見つめていた。何故か目を逸らせなかった。震えが止まらなかった。濁った頭で、私は昔のことを思い出していた。ずっと前、大学生の頃にも同じようなことがあった。同じ研究室だった同級生から、意中の相手と食事に行くのに不安だから付いてきてくれと頼まれた。気は乗らなかったが、彼は私にとって数少ない友達と呼べる人間であったし、熱意に負けて仕方なく付いて行った。彼の意中の相手はバイト先の後輩だった。化粧の厚い女の子だったことを覚えている。居酒屋で酒を飲み、その後彼の家で飲み直すことになった。その時点で二人はもうかなり打ち解けていて、私がいる必要は無いと思い遠慮したが、すでに酔っ払った二人は何故か私を帰してくれなかった。三人で彼の家のローテーブルを囲んでビールを飲んだ。私は疲れていてあまり酒が進まなかったが、二人はまだ調子よく飲み続けていた。二人は楽しそうに笑い合い、やがて身体を絡め始めた。私はちびちびとビールを飲みながら、ただその様子を見つめていた。人間の生々しい欲望を見つめていた。そう、欲望。これは欲望だ。嘘偽りの無い確かなエネルギーで、信じられないくらいの熱量を持っている。私はそれを見つめていた。
 土屋と竹内さんは私の存在など忘れたかのように音を立てて絡み合っていた。私はあの時と同じように目を逸らせなかった。これこそが人間の本質だと思った。
 そこからのはっきりとした記憶が無く、気付いたら私は仮眠室の自分のベッドで横になっていた。スマホを見ると午前五時四十七分で、朝だった。部屋の中はまだ暗く、起床時間まではまだ少し時間があった。身体を起こして向かいのベッドを見ると、坊主頭が反対側を向いて眠っていた。酒酔いの感じは全く無かった。むしろ、綺麗に疲れが取れていて調子が良いくらいだった。
 カーテンの隙間から明けるか明けないかというくらいの空の色が漏れ出していた。美しい色だった。来るべき今日のことを考えると、昨晩の出来事など嘘のように思えた。あれは、本当にあったことなのだろうか? それとも、全ては私の夢だったのであろうか。
 やがて起床時間なり、作業者は皆食堂に集合した。午前七時だった。朝食は洋食と和食の二種類から選べ、私は洋食を選んだ。クロワッサン、ベーコンとレタスのサラダ、オニオンスープだった。美味しくはなかったが、とりあえず腹は満たされた。
 食器を戻しに行った時、偶然土屋に会った。気まずかったが昨晩のこともあるので、昨日はお疲れ様でした、と私から声を掛けた。土屋は少し驚いたような顔をして、お疲れ様でした、と言った。それだけで、すぐに作業場の方に行ってしまった。昨日までの土屋とは様子が違うように思えた。やはり昨晩のことは私の夢だったのだろうか? それとも私は昨晩彼に迷惑をかけてしまい、彼はそのことに対して腹を立てているのだろうか?
 いや、特に腹を立てている様な感じではなかった。怒りというより不思議そうな目をしていた。現実がぼやける。焦点が合わなくなる。私は溜息をついた。他人と関わると人生が複雑になる。早く森の家に帰り、一人になりたいと思った。
 その日も昨日と同じ作業をしたが、席順は昨日と違っていた。土屋も竹内さんも今日は同じ部屋にいなかった。私の隣は行きのバスで隣だった体格の良い男だった。私は一日中無心で急速充電器とコードを箱に詰めた。帰りのバスに乗る時、すでに席に座っていた竹内さんと目が合った。でもお互い知らない人のように目を逸らして通り過ぎた。もう二度と会うことの無い人だった。
 家に帰り着き玄関に上がるとどっと疲れが出た。本当は風呂に入り、ワインを一杯飲みたかったのだが、着替えもしないまま和室の床で眠ってしまっていた。孤独が私を優しく包み込んだ。私の求めた泥沼のような眠りだった。


 十二月も中旬になり、本格的に寒さが厳しくなってきた頃、小野寺が本当に私の家を訪ねてきた。
「まさか本当に来るとはな」
 私は一番近くにあるJRの駅まで小野寺を迎えに行った。曇り空からこの冬初めての雪がちらついていた。
「遠いわ」
 小野寺は助手席のドアを閉めて言った。昔から着ている見覚えのあるダウンジャケットを着て、灰色のニット帽を被っていた。
「本当に来るとは思わなかった」
「そうか?」
 小野寺はそう言って欠伸をした。
「ところで、家のことはどうなった?」
「家のこと?」
「増築」
「あぁ」
「無事諦めたか?」
「まさか。順調に作業を進めてるよ」
 本当に作業は順調に進んでいた。壁パネルを設置して、ようやく部屋らしくなってきていた。屋根はまだ無いのでビニールシートを被せていた。この調子で降るのならば、雪を一度払い落とす必要がある。そんなことを考えながら車を走らせた。
 森の家に着いた頃には小野寺はもうすっかりへばっていた。
「こんなに歩くなんて聞いてないぞ」
 そう言って和室にどかっと腰を下ろした。
「慣れたらそうでもないよ」
「山道なんて久しぶりに歩いた」
 私はお湯を沸かしてコーヒーを淹れた。ミルクと砂糖は要るか? と聞いたが、小野寺は、要らない、と言ってブラックのまま飲んだ。私も何となくブラックのままコーヒーを飲んだ。普段はミルクだけ入れるのだが、誰かといる時は相手に合わせることが多かった。
 良い家だな、と小野寺は部屋の中を見回して言った。ホームセンターの山田君も同じことを言ってくれたなと、少し彼のことを思い出した。彼は今日も元気で働いているのだろうか。あの積み下ろしの日から早くも一ヶ月が経とうとしていた。相変わらず月日が過ぎるのは早い。私は、彼の顔を早くも忘れつつあった。
「近くに何かスポットは無いのか?」
「おい。観光地じゃないぞ」
「分かってるよ。でも何か無いのかなって。こんな遠くまで来たんだし」
 私は少し考えた。
「車で少し行ったところに今は使われなくなった廃駅がある」
「車? またさっきの駐車場まで歩くのか?」
 そう言いつつも小野寺が廃駅に少し興味を持っていることは分かった。
 少し休憩してからまた駐車場まで歩き、車を出す。雪はまだ降り続いていた。今はまだ積もる感じの雪ではなかったが、夜にはどうなるか分からなかった。いよいよ本格的な冬が来る。先週のうちにスタッドレスタイヤに履き替えておいて良かった。
 廃駅は車で二十分ほど行ったところにある。今は廃線になった電鉄の終着駅で、使われなくなってからもう二十年近くもそのまま山中に放置されていた。当然壁はひび割れ、雑草は生え、建物や線路は見るに耐えない状態になっていたのだが、その様が逆に一部の鉄道ファンにはウケて、最近ではちょっとしたスポットとなっていた。
「聞いたことの無い駅名だ」
 小野寺は煤けて黒くなった表示板を見て行った。三年間鉄道研究部をやり切ったながらも、小野寺は別に電車に詳しいわけではなかった。もちろん私も元々はこんな駅の存在など知らなかった。照明のスイッチを押してみたがもちろん灯りは点かず、電気は通っていないようだった。
 ホームに出て、二人で冷たいベンチに腰掛けた。雪は徐々に強くなり、視界が霞んだ。反対側のホームに大層なカメラを持った男が三人いた。彼等はどうやら鉄道仲間のようで、駅や線路を思い思いに撮って盛り上がっていた。
「電車じゃなくて駅を撮るのも楽しいのだな。ああいう人達は」
「まぁ、広く見て鉄道関連ということだろうな」
「俺も部活をやっていた時は周りに合わせて電車の写真を撮ったりもしていたけど、何が楽しいのかいまいちよく分からなかった」
「けっきょく、小野寺は電車が好きだったのか?」
「好きだったよ。でも、乗る方かなぁ。模型とか、写真に撮ってどうこうとかはまったく興味が持てなかった」
「それで正しいと思う」
 と、私は笑った。本来、電車などただの移動手段に過ぎないのだ。造形美を求める対象ではない。
 吐き出す息が白く煙った。一番分厚いダウンジャケットを着ていてもまだ寒かった。手袋が無かったので、ずっとポケットに手を入れていた。静かだった。雪に音は無い。言葉も無い。ひらひらと妖精が舞っているようで、目に映る世界は美しかった。いつの間にか反対側にいた男達はいなくなり、私達だけになっていた。
 結婚することになったんだ、と不意に小野寺が独り言のように言った。最初はその言葉の意味を上手く理解できなかった。
「誰が?」
「誰がって、俺がだよ」
「小野寺が? 結婚?」
「そうだよ」
 ついつい鼻で笑ってしまい、小野寺に小突かれた。私は小野寺のことを結婚から最も遠い人間だと思っていた。その小野寺が結婚。驚きを超えて笑ってしまった。
「何だ、恋人がいたのか。そんなこと一言も言わなかったじゃないか」
「恋人ってほどでもないよ。ほぼ親が決めた結婚相手だ」
「病院関係?」
「親父の知り合いの外科医の娘」
「歳は?」
「来年、三十になる」
「へぇ」
「同じ病院で看護師をしてるよ」
 小野寺の言葉に頷いたが、まったくどんな女性か想像ができなかった。
「何にしてもおめでとう。良かったじゃないか」
「お前、本心ではそう思ってないだろ」
 小野寺は訝しげな目で私を見た。
「何でだよ。おめでたいことだろ」
「まぁ、そりゃそうなんだけどな」
「気が進まないのか?」
「気が進まないって言うか」
 小野寺は言葉を切って空を見上げた。しんしんと雪を降らす灰色の空だった。私も空を見上げる。澄み切っていて、擦り切れてしまいそうな空気だった。吐く息は、見惚れてしまうほどに白い。
 よく分かんねぇんだ、と小野寺が呟いた。
「月島、お前、所帯を持つってことの意味が分かるか?」
「言葉としては理解しているよ」
「違う。そうではなくて、誰かと一緒に生きるという意味をだ」
 そう言われて私は少し考えた。
「頭では分かるが、それを自分の感覚にまでは落とし込めてはいないな」
「うん。俺もそうなんだ」
「しかし、そんなものは経験してみないと本当には理解できないだろう」
「それはそうなのかもしれないがな。俺はあまり他人のことを考えないで今まで生きてきたからな。いまいちピンと来ない」
「私も同じようなタイプの人間だから分かるよ。他人と関わるのはやはり難しい」
「深く関わるといろいろ抱え込まなければならないからな。そりゃ、嬉しいこともあるだろうけど、喜びなんてものは刹那だろう?」
「分かるよ。その刹那のためにその他の諸々を引き受けるのは割に合わない。私だってそう思う。そう思うから一人でこんな暮らしをしているんだ」
「ああ」
「しかし結婚するのだろう? それなら、そうも言っていられないじゃないか」
「分かってる。なぁ、俺だって何も嫌々結婚するわけではないよ。親がレールを敷いたのは事実だが、最後は自分で決めたことだ」
 私は頷いた。
「幸せになりたいんだよ、俺だってさ。それで、できれば誰かを幸せにしたい」
 小野寺はそう言って大きく息を吐いた。遠くから鹿の鳴き声が聞こえた。寒空に鮮やかに響いた。
 雪はさらに勢いを増し、夜を待たずして景色を白く染め始めた。冬の森の匂いがした。また今年もこの季節がやって来るのだと思った。冬の森は厳しく冷たい。生き物が生きていくにはタフさが必要になる季節だった。
 四季が巡り人は歳を取る。結婚をする人もいれば仕事を辞める人もいる。環境を変えたり、夢を見たり、恋をしたり、それ等がどうでもよくなったりしたりもする。別れを選ぶこともあれば出会いもある。生まれて、生きて、いつかは死んでいく。そんな生命のサークルがごうごうと音を立てて何万年も巡り、私もその中にいる。生きている間に私に何ができるのか。それは何がしたいかにもよる。私は何を好み、何を嫌うのか。そしてどうやって最期を迎えるのか。薄く、白い景色を見つめながらぼんやりとそんなことを考えた。
 家に戻り、増築部分に掛けたビニールシートから雪を落とした。大変な作業だったので小野寺も手伝ってくれた。
「これ、ビニールシートで全体を覆うのはきつくないか?」
 私もそう思った。雪は一向に止む気配は無く、落としてもまたすぐにビニールシートの上に積もるだろう。設置中の壁パネルがその重さに耐えられるかと考えると、怪しかった。
「ビニールシートは床に敷いておくのが限界じゃないか?」
「でもそれだと壁や梁が雪曝しになる」
「それは確かにそうだが」
 小野寺の言う通り、今はそれしか方法が無いことは理解していた。しかし私は雨曝しになった木材の強度や品質への影響が気になっていた。
 けっきょく小野寺と二人でビニールシートを増築部分の床に敷き、その四方を重しで抑えた。これで少なくとも風でシートが飛んでいってしまうことは無いはずだ。天気予報によると、雪は明け方まで強く降るようだった。
 家の中に入ると私も小野寺もびしょ濡れだった。一応、あり物の雨合羽を着ていたのだが、安物だったので下の服にまで雪が染み込んでいた。私は小野寺を風呂に入らせ、彼の着ていた服を乾燥機にかけた。クローゼットから適当な着替えを出して浴室の外に置いておく。私と小野寺は似たような体格をしていたので、おそらく不自由はないだろう。
 そうこうしている間も私は雪曝しになる増築部分のことが心配だった。書斎へ行きパソコンを立ち上げ、インターネットで「建設中 雪 対処法」と検索する。いくつかのページがヒットした。
 冬の新築住宅の工事は避けた方がいいか? というページが多かった。見ると、凍結や乾燥不足等、雪以外にも冬の作業にはデメリットが多かった。私は増築の計画立案時に、季節的なことをまるで考えていなかったことを反省した。痛い手落ちだったと思った。少し考えればこれくらいの時期に雪が降ることなど当たり前のように予測ができたのに。
 建築中の新居が雪ざらしに! というページを見つけた。読んでみるとそれは、上棟したが、屋根はまだ無い状態で雪に降られた人の体験談だった。東北の寒い地域に住む男性で、やはり、雪晒しになった部分の完成後の不具合を危惧していた。記事には彼がいろいろと調べた結果が書かれていた。
 雨や雪で濡れたくらいでは木材の中までは水分が浸透しない、と彼は結論付けていた。工事をしながら日にあてていれば何も問題無い、とあり、確かなエビデンスがあるのかは不明だったが、読み進めていくと何となく納得はできた。
「何か分かったか?」
 風呂上がりの小野寺がドアから顔を出して言った。
「まぁ、とりあえずは大丈夫なんじゃないかな」
「それなら良かったけど」
 そう言って小野寺は大きく欠伸をした。
 雪も強いので、小野寺は一晩泊まって帰ることにした。
 夕食はカレーを作った。ジャワカレーの辛口にさらにガラムマサラを足した。レタスと玉ねぎと温泉卵で簡単なサラダも作った。ドレッシングはピエトロのグリーン和風しょうゆを掛けた。二人、テーブルで向かい合って夕食を食べる。何か、林間学校みたいだな、と小野寺は笑った。思えば、長い付き合いだが小野寺に料理を振る舞うのはこれが初めてだった。
 食後にブルーチーズをつまみに赤ワインを飲んだ。
「で、いつ結婚するんだ?」
 私は二杯目のワインを自分のグラスに注ぎながら聞いた。
「二月だね」
「記念日か何か?」
「二月四日。彼女の誕生日なんだ」
 私は声を出して笑ってしまった。
「何だよ。何で笑うんだよ」
「いや、失礼。何か、本当に結婚するんだなと思って」
「だから何度もそう言ってるだろ」
「未だに実感が持てないんだよ」
「それは、俺だってそうだ」
 そう言って小野寺は笑った。何だか、高校生の頃に戻ったようだった。店で酒を飲むのとはまた違う感じがあった。小野寺が結婚をする。ということはいずれは子供ができたりするのだろうか? おそらくそうなるだろう。そんな正当なループに小野寺が乗るのだと思うと、やはり笑ってしまう。あまりにも似合わない。しかしそれが現実なのだろう。私はこれからもずっと、結婚をすることはないだろう。誰かと一緒に暮らすなど考えられない。でも、どこかで気持ちが変わったりするのだろうか。人間はその抗い難いループに乗って今まで生命を繋いできた。私だってその例外ではないのかもしれない。
 朝になると予報通り雪は止み、森は一面の銀世界になっていた。すげぇもんだ、と小野寺はその景色に見惚れていた。確かに、東京でここまで積もることはあまり無いだろう。乳白色の太陽の光がリビングの窓から部屋に差し込んでいた。ガスストーブが暖かい空気を吐く。手を当てて暖を取った。
 音が欲しかったので、柴田聡子のユアフェイバリットシングスのレコードをかけた。最近の歌? と、小野寺は知らないようだった。
「今年の、かな」
「へぇ、いいじゃん」
 小野寺はレコードのパッケージを手に取り、その表裏を見ていた。
 昼に昨日の残りのカレーを食べ、小野寺を駅まで送った。おそらくもう年内は会わないだろうと思い、良いお年を、と言って別れた。家に帰ると、私はまた一人に戻った。少し寝て、十五時頃から増築作業を再開した。


「こんばんわ。現在、二千二十四年、十二月二十日、午後四時五十五分。西の空が赤く、鮮やかに染まっています。じきに日が暮れ、また一日が終わります。今年ももう残すところあと二週間を切りました。早いものです。いろいろな季節をついこの前のことのように感じるのですが、いつの間にか遠くまで歩いてきてしまっていたようです。二千二十五という途方もない数字がもうすぐそこまで来ています。東京も十二月の中頃からぐっと気温が下がったと聞きます。もちろんこちらの寒さも厳しいです。雪もたくさん降りました。体感では、例年よりも雪の多い冬な印象です。さて、今日もまた前回に続き外からの配信となります。増築の進捗報告です。気付いたら、前回から一月近くも配信が空いてしまっていました。増築作業も含め、いろいろと忙しくしていましたが、ちょっと空き過ぎですね。もう少し小まめに進捗報告をしようと思っていのですが、何かとバタバタしてしまっていました」
 私は増築部分にカメラを向けた。夕日を全面に浴びたそれは、もうかなり家屋らしい形になっていた。
「今週で壁パネルを全て付け、妻壁の設置までを終えました。屋根を横から見たときに三角になる側を妻といいます。ここの枠組みには正直言って手こずりました。この部分のみの詳細な設計図を別途CADで作成しました。タルキを受けるモヤには2×6材を使いました。スパン1間、ピッチ半間。これは専門書の受け売りです。でも、これでだいぶ部屋らしくなりました。ここから屋根を付けます。そこから壁に透湿防水シートを貼り付け、外壁作業、塗装をしたり通気層や窓の取り付けます。それを終えたらついに完成です。まぁ、今で七合目と言ったところでしょうか。年内完成はちょっと厳しそうです。ここのところ根詰めて作業をしていたので、私も少し疲れました。クリスマスから年末くらいまでは休もうかと思っています」
 視聴者数は四十二だった。私はカメラを手に家の中に入った。書斎に入り、窓から増築部分の部屋に入る。未完成な薄暗い部屋の中、骨組みの天井の向こうに暮れゆく空が浮かんでいた。私は真新しい木製の床に寝転がり空にカメラを向けた。
「どこまで伝わるかは分かりませんが、とても綺麗な空です。私は最近よくこの天井の無い部屋に寝転がって空を見ます。それは、普通に外で空を見るのとは違います。自分で増築した部屋から空を見るということが良いのです。この部屋は、私が作らなければ存在しなかった部屋です。私の発展。何だか数ヶ月前に自分が言ったことなのに、今となっては懐かしさすら感じます。確かに、今回の増築で私は大きく発展できたと思います。様々なことを学び、何人かの人と話をして、たくさん汗をかき、今こうして皆さんに発信をしています。まだ未完成ながらもその成果物がこの部屋です。暖房も灯りも、天井すらもまだ無い。でも私はここでこうして星を見ていると非常に心が落ち着きます。人は、安心できる場所で眠るためにその日一日一日を生きているのかもしれない。最近はそんなふうに思います。人は、何かに励んだり、退屈したり、傷ついたり、笑ったりして、そして必ず最後には眠ります。その時を少しでも安心できる場所で迎えたいと、少なくとも今私は思います。皆さんは今どこでこの配信を観ているのでしょうか? そこが皆さんにとって良い場所であることを願わんばかりです」
 ハートが三つ不揃いに流れた。私は、さようなら、と言って配信を切った。空はもうほとんど暮れていた。また夜が来る。私は目を瞑って世界と一つになった。私は、ここにいる。世界がここにあるのと同じで、ここにいる。


 扉を開けると、緑があった。普段から森に触れているのでそれ自体に驚きはなかったが、やはり整備された緑は美しかった。昼下がりの散歩。ホテルの中庭には池があった。それはホテルの建物を中心とした半円の形をしていて、私はその縁をなぞるようにして歩いた。
 半円が建物に対して直角になるところに座り、池越しにホテルを眺めた。古い洋館が鎮座している。かつては白色だった壁も、今ではもう燻んだクリーム色に変色していた。このホテルはバブル期に建てられたものなので、ところどころ老朽化している部分が見られた。しかし私はそれを、むしろ味があって良いと思っていた。
 気分転換のために郊外のホテルに一泊二日で来ていた。働いていた頃から贔屓にしているホテルだったが、何だかんだ来るのは一年半ぶりだった。
 雨が降りそうな空になってきたので、私は建物の裏側からホテルに入り、ロビーに出た。ロビーは天井が高く、開放感があって好きな場所だった。私は和風造りの建物より洋館の方が好きで、こういったホテルの方が気持ちが落ち着いた。
 ドリンクカウンターに行き、赤ワインを注文した。
 月島様、ですよね? と声を掛けられて見ると、声を掛けてくれたバーテンダーの顔に見覚えがあった。前に来た時に少し立ち話をした。一年半ぶりで、しかも名前まで覚えていてくれたことに驚いた。すごいですね、と言うと、彼はにっこりと笑った。記憶する、という能力は人間が持ち得る中で一番素晴らしい能力かもしれない。
 赤ワインを受け取り、ロビーにあるソファに腰掛けた。気が抜けたのか、大欠伸をしてしまった。慌てて周りを見回す。チェックインの時間帯を過ぎ、夕食にはまだ早い合間の時間だったので、幸運なことにロビーにはあまり人がいなかった。都心から少し離れているので、外国人観光客もここまでは来ない。微かに流れるBGMはビートルズのハロー・グッドバイのオルゴールバージョンだった。昔、イエローマジックオーケストラがNHKの番組でバンド演奏をしていたのを思い出した。もう十年以上前だろうか? メンバーも二人亡くなった。
 ロビーの両側は大きなガラス張りの窓だった。片方が私がさっき入ってきた中庭で、もう片方は外周に面していて、チェスができそうな白黒のタイルが一面に敷き詰めてあった。チェス。最後にやったのはいつだろう? なんてことを考えながら私はワインを飲んだ。銘柄は分からないが、甘口で口当たりの良いワインだった。また欠伸が出た。ここのところの疲れが身体に溜まっているようだった。私ももう良い歳なのである。企業に勤めていたら管理職になっていてもおかしくない年齢なのだ。そう考えると、本当に遠くまで歩いてきてしまったと思う。そしてまだ、歩いている。生活はシンプルになっている。家族も無い、仕事も無い。守るものなど何も無い。しかし、歩いている。発展する。退化もする。増築する。そんな日々がこれからもただ何となく続いていく。それを何と呼んだらいいのか、私には分からなかった。
 ウイスキーを持った初老の男が私の隣のソファに座った。目が合ったので、軽く会釈をする。
「どこから来られたのですか?」
 落ち着いた、大人の男の声だった。六十歳を超えたくらいであろうか。品の良い男だった。もしかしたら純粋な日本人ではないかもしれない。私が、森の家のある地区名を伝えると、彼は驚いた。
「ずいぶん郊外に住んでらっしゃるのですね」
 その反応にも慣れていた。
「移住してもう五年になります」
「それは長い」
「都心から離れたところに行きたかったんです」
「失礼ですが、お仕事は?」
「今はしていません」
 私がそう言うと、彼は笑った。
「それは、良い人生だ」
 と言ってウイスキーのグラスを私に向けた。乾杯をして、何となく私も笑う。
 予想していた通り、雨が降り出したようだった。窓の外のチェスボードを灰色の雨が打つ。雨足はだんだんと強まり景色が霞む。今日はクリスマスイヴだ。世界中の空をサンタクロースが飛び交う。夜が明けたら明日が来る。それが十二月二十五日だというだけで特別な意味を持つ明日。朝までには雨が止めばいいなと思った。どんな朝も、気持ちよく晴れていた方が良い。たとえクリスマスであろうとなかろうと。

増築

執筆の狙い

作者
om126156183146.26.openmobile.ne.jp

描写は気に入っていましたが、全体的に納得はできませんでした。新人賞応募候補から外したのでアップします。ご感想をお願いします。

コメント

羊さんへ
f120-88-26-251.flos.avis.ne.jp

はじめまして。(一度くらいは感想を入れたことがあるかも)
たゆまず書き続ける姿勢を拝見していましたが、感想は入れずにきました。表現についての価値観が自分とは違いすぎると思えたからです。それなのになぜ今日はコメントを入れたかというと、書き手としての苦悩が見えたようで勝手に共感したからです。
書き続けるなら何度も峠を越しますが、そのためには読み手の客観が必要ですよね。

>バスケットボールみたいに地球儀を回して、世界がどれだけ広いかを知る。

まさにそういう印象を、羊さんの作品に抱いています。
語彙を自在に駆使しているけど、現実味を感じない。だから共感できないままに言葉の流れや美しさを追って終わります。オシャレなカタログを観たようで、一人称は何も残してくれません。カタログを観るのと、カタログを観て買うのとでは大きく違う。観せたなら、買わせなければ。
けれど、もし、本作にあるきらびやかな語彙たちが(森もワインもクリスマスもブランドも)羊さんのことばに置き換えられたら、それはもう羊印のカタログになって、私はその世界に遊び、多くを持ち帰ることでしょう。
書くことは長い道のり。楽しんで、苦しみましょう。それではまたいつか。

om126208255220.22.openmobile.ne.jp

ご感想ありがとうございます。

おっしゃられる通り、これはかなり苦悩して書きました。小説が読めない、書けない状態になった二カ月の後に書いたものです。哲学も何もなく、ただただ書いたという感じです。何も訴えかけられてはいないと自分でも思います。

でもこれを書いて振り切れた感もあります。そういう意味では大事な一作ではありました。ここで成仏できればと思います。

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