作家でごはん!鍛練場
霜月のゆき

四季彩々 改

   春~はじまりのとき~


「ただいま」
 真新しい玄関のドアを開けると、フローリングの床を滑るようにして子供たちが駆けてくる。
「おかえりなさぁい」
 皮靴を脱ぎかけていたところに元気一杯の娘と息子に飛びつかれ、思わず後ろによろめいた。玄関ドアで背中を支えようとする癖はなかなか抜けず、広くなった今の我が家では支える前に倒れてしまう。子供たちを抱えて足を踏ん張った。
「ねえパパ。明日のお祝い、夏美ちゃんも呼んでいい?」
 美樹がまとわりつきながら見上げてくる。
「夏美ちゃんって、溝口夏美ちゃん?」
「うん。パーティするなら人がたくさんいた方が楽しいでしょ? おとなりのイマオカさんたち呼ぶなら、わたしもお友達呼びたーい」
 美樹の口調を真似して修も舌足らずに「よびたーい」とねだる。
「パパはいいけど、ママにも訊いてみなきゃ」
 修を抱き上げて美樹と廊下を進んだ。
 子供たちと歩いても狭くない廊下。染みひとつない白い壁。建てて一年が経つが、家の中にはまだ新しい木の香りが漂う。
「ママにはもうきいたよ。ママもいいって。ね、呼んでいい?」
「じゃあママのお手伝い、ちゃんとするんだぞ」
「やったぁ!」
 居間の入り口で飛び跳ねる美樹を、キッチンからの声がたしなめた。
「美樹、大きな声出さないの」
「いいじゃん。もう団地じゃないんだから」
 その言い分には妻までもが苦笑している。
「おかえりなさい」
「ただいま」
 修を下ろし、手にしていた紙袋をテーブルに置いた。それを見て文子が首を傾げるので「お土産。柏餅を買ってきた」と答える。
 家族の人数は四人だが、中身は五つ。先月、桜餅を四つ買ってきたときに文子に言われたのだ。四という数字はよくないから五つにして、と。祖父に教えられ、今も守っている文子はおじいちゃんっ子だ。その祖父は昨年、この家の上棟式の前に亡くなってしまった。
「あなた、悪いけど先にお風呂入ってくれる? 今ちょっと手が離せないの」
 文子はカウンターを隔てた向こう側で何やら料理をしているようだ。子供たちの夕食は終わっている時間だから、明日のパーティーの下ごしらえでもしているのだろう。
「ついでに子供たちも入れてくれると助かるんだけど」
 新しい家になってから美樹も修も風呂の時間が長くなった。プールみたいだと言って二人してバタ足をする。顔前で水しぶきを上げられるのは遠慮願いたかったが、楽しそうな子供たちを見ているうちに一緒になって湯を掛け合っていた。
 風呂から上がり、忙しそうな文子の代わりに子供たちを寝かしつけ、居間で一息ついたのは九時を過ぎた頃だった。文子が労いの言葉と共に、缶ビールと簡単なつまみをテーブルに並べてくれる。今日は取引先との会食で夕食は済ませてくると伝えてあった。
 いったんキッチンに引っこんだ文子が缶ビールを両手に正面に座り、二人でプルトップを引いた。
「明日、今岡さんたちみんな来るのか?」
「ご夫婦とおばあちゃんは来てくださるそうよ。子供たちは用事があるって」
「ま、高校生、大学生ともなればそんなもんか」
 この分譲地を教えてくれたのが隣家の主人だ。同じ団地に住んでいたころから交流があり、今岡家は三年ほど前に家を建てて移り住んだが、我が家は資金面で土地購入をするのが精一杯だった。二年間の文子の頑張りで頭金が出来、家を建てて引っ越してきたのがちょうど一年前。荷物も片付き、子供たちも家に慣れてきたので挨拶とお礼をかねてお隣を招待しようと文子が企画した。
「美樹が夏美ちゃんも呼ぶって言ってたぞ」
「こっちに転校してから初めてのお友達だし、私も何回か会ったけれど礼儀正しくていい子よ。ピアノを習っているみたいで美樹が羨ましがっちゃって」
「ピアノなんか買えないぞ」
 広くなった我が家でピアノを置く場所には困らないが、資金という切実な問題が浮上する。
 それからしばらく雑談をし、私は「さて」と腰を上げた。
「また、お籠り?」
「まあね」
 おやすみ、と文子が上げた手に、飲みかけの缶ビールを掲げて階段を昇る。
 二階には隠し部屋がある。とはいっても文子はもちろん知っているし、子供たちにもそのうち見つかるだろう。
 家の間取りを決めるとき、二階のスペースがわずかに余った。部屋にするには狭すぎるし、物置にするには広すぎる。ならば私の書斎にしてほしいと言うと文子は最初反対した。子供たちの物が増えていくだろうから物置にしたいというのだ。
 家の間取りや内装はできるだけ文子の意見を取り入れた。特にキッチンに関しては女の城というくらいだから口を挟まなかった。
 その忍耐を盾にして、少し強く主張した。
 女の城があるのだから男の城だってあっていいはずだ。キッチンは思う存分好きにしてくれていい。だからこのスペースは私の好きにさせて欲しいと。
 ほんの三畳ほどの、けっして広くはない私だけの城。
 天井までの書棚に詰め込んだ蔵書と小さな机、何店舗も回って見つけ出した座り心地のいい椅子。そこに深く腰を下ろし、一日の疲れを太い息とともに吐き出す。
 机上のノートパソコンを開いてメールをチェックしていると、マウスの傍らに白い封筒が置かれていることに気づいた。
 封筒には宛名も差出人も書かれていない。切手も消印もない。置いたとするなら文子だろうが、そういったときは伝えてくれるはずだ。首をひねりながらペーパーナイフで開封すると、中には薄桃色の紙片があった。
 色も形も質感も桜の花びらのようではあるが、大きさは名刺ほど。そこには止め跳ねがしっかりした剛健な墨の筆跡でひとことだけ綴られている。
「     」
 見覚えのある文字で書かれたその言葉に不意を突かれ、目頭が熱くなった。





    夏~伸び盛り~


「夏美! 早く出ないと遅れるわよ!」
「はぁい。今行くぅ」
 一階から響いてくるお母さんの声に答えて、また机に向き直った。
 明日、学校で七夕の飾り付けがある。ほとんどは終わっているけど、最後の仕上げだけは明日みんなで一斉にすることになっていた。だからこれだけは今日書いておかなくちゃ。
「何書いてんだ? ナツ」
 突然、頭の上から声が降ってきた。
「おにいちゃん」
「七夕の短冊か。願い事?」
「見ちゃダメ!」
 書き終わってた四枚と書きかけの一枚をあわてて掻き集める。
「何枚書いてんだよ、おまえ。欲張りすぎじゃね?」
「いいの! 余計なお世話。何か用?」
「母さんが何してるか見て来いって。美樹ちゃんと商店街の七夕祭り行くんだろ?」
 時計を見ると、あと五分で十時になるところだった。
「これ書いたら行く。だから邪魔しないで」
「へいへい」
 おにいちゃんが肩をすくめたとき、またお母さんの声がした。
「良平! あんたもバイト遅れるわよ!」
 おにいちゃんは「へーい」と返事をしたあと「自分が見て来いって言ったくせに」と小さくごちた。
「おにいちゃん、でかけるの? 車?」
「ああ」
 おにいちゃんは今年成人式を終えたばかり。大学へ行くのにもバイトに行くのにも、デートをするのにも必要だと言って先月車を買った。
「ついでにあたしも乗っけてってよ」
「いいけど、俺もすぐ出るよ」
「三分。三分で支度する」
「過ぎたら置いてくからな」
 おにいちゃんの背中が見えなくなってから、急いで最後の短冊の続きを書き、五枚をきれいに揃える。机に敷いてあるゴム製のカレンダーの下に隠しておけば誰にも見つからない。
 と、思ったのに、そこには桜の花びらが入り込んでいた。手のひらくらいの大きさなのは、下敷きになっていたせいで伸びちゃったのかな。
 花びらには丁寧だけれど丸っこくて優しくてかわいい字が書かれている。
「     」
 誰が書いたのかはすぐにわかった。
 うん。大丈夫。まかせて。
 五枚の短冊と一緒にカレンダーの下に隠しておくことにした。
 支度を終えて外に出た途端、むっとした空気とセミの声がまとわりついてくる。エンジンが掛かっている車の助手席に乗り込むと、おにいちゃんが言った。
「美樹ちゃんちって右だったよな」
「うん。青い屋根のおうち」
 エアコンの風がおでこに当たって前髪が逆立っちゃう。送風口をちょっと動かした。
 佐々木美樹ちゃんは去年の四月に転校してきた子で、席が隣になってすぐに仲良くなった。同じアイドルが好きで、同じ歌手が好きで、同じアニメが好きで、アニメの中の登場人物まで好きな人が一緒だった。
「結局願い事いくつ書いたんだ?」
 ハンドルを握りながらおにいちゃんがきいた。
「……ないしょ」
「見たとこ四、五枚あったけど」
「いいじゃん。べつに」また欲張りだと言われる気がして急いで付けたす。「言っとくけど自分のは一枚だけだからね」
「残りは?」
「だからないしょ!」
「いっちょまえに女の秘密ってやつですか」
 からかうような口調にむっとしておにいちゃんの足をこぶしでぶつと、おにいちゃんは「いてえ、足折れたぁ」と笑った。
「だってさ。ピアノ上手になりたいんだもん」
「へ? ピアノ?」
「うん」
「ナツの願い事ってそれ?」
「違う。そうじゃなくて、ピアノが上手になるように願い事をたくさん書いたの」
「なんだそりゃ」
 このまえ、ピアノ教室の秋子先生が言っていた。ピアノを上手に弾くためには、正しい指使いや正しいリズムで弾くことがもちろん大事だけれど、もっと上手になるためにはジョーチョ豊かでいなければいけないんだと。
 ジョーチョってなに? ってきくと、秋子先生は感情や感性のことだと答える。それを豊かにするってどうやるの? ときくと、心を豊かにするのだと言う。そうすることで曲の感情を読み、表現することもできるのだと。
 秋子先生は美人で優しくて大好きなんだけれど、ときどき難しいことを難しい言葉で説明し始める。だけどそれをとても真剣な顔で教えてくれるから、理解しなくちゃと質問だらけになってしまう。
 最後に秋子先生は「要するに」と人差し指を立てた。
「泣くときも笑うときも悲しむときも、自分に嘘をつくことなく思いっきりしなさいってこと。あ、怒るときだけは六つ数えてからにしようね」くすりと笑って続ける。「そしてね、祈るの。みんながそうでありますように、みんなが幸せでありますようにって。自分の為だけだけじゃなく、自分以外の人たちの分も一所懸命、祈る。それが心の豊かさってものなのよ」
 秋子先生はそう言って今度はにっこりと笑った。
 わかったようなわからないような、なんとなくすっきりしない気分は残ったけれど、秋子先生のよどみのない言い方にそれは正しいのだと感じた。
 だからそれを実践してみようと思った。ピアノが上手になるように心を豊かにする。自分の為と自分以外の人たちの分も祈る。
 だから七夕の短冊はみんなの分。
 願い事と祈りの違いはよくわからないけれど。
「着いたよ、ナツ」
 おにいちゃんの声にはっとした。美樹ちゃんちの前だ。
「ナツたち今夜の花火、見に行くのか?」
 河原で開かれる毎年恒例の花火大会がある。
「行きたいけど子供だけで行っちゃダメだって」
「連れてってやる? 俺」
「いいの?」
「まぁね」
 そう言って少し寂しそうに目を細める。二年間付き合ったカノジョさんが死んじゃったのは先々週。優しくてかわいいおねえさんだったのにな。
「美樹ちゃん、この町の花火まだ二回目だろ。特等席で見せてやるよ」
「うん! 言っておくね!」
 走り去る赤い車に千切れるくらい手を振ると、一気に汗が噴き出してきた。





   秋~結実~


 天高く馬肥ゆる秋とは、昔の人は本当に上手いことを言う。
 待ち合わせた喫茶店に三十分も早く着いて秋晴れの外を眺めているうちに、なんとなく空腹を感じてきてしまった。昼食を食べて二時間も経っていないのに、手は勝手にメニューに伸びて、目はケーキのページを物色している。通りかかったウエイトレスさんに紅茶のおかわりとチーズケーキを注文した。
 白いケーキに最初のフォークを立てたところで知った声が降ってきた。
「早いじゃん、アキ。もう来てたのか」
 顔を上げると、にやけた顔の俊が立っていた。
「会合が思ったより早く終わったの」
「うまそうだな、それ。俺も頼も」
 俊はどっかりとわたしの前に座り、寄ってきたウエイトレスさんに同じものを注文した。
「昨日は発表会来てくれてありがとね。楽屋に顔出してくれればよかったのに」
「忙しそうだったからさ。それになんか子供たちに質問攻めに合いそうな気がした」
 そういって俊はチーズケーキの三分の一を頬張った。
 昨日は県内にあるピアノ教室の合同発表会があり、うちの教室からも三人参加したため一日中付き添っていた。
 俊との結婚式の日取りが来年の三月三日に決まり、一年遅れの結婚式を先週くらいから生徒と親御さんたちに伝えてきた。どの子もみんな「先生おめでとう」と喜んでくれたあと、囲み取材が始まった。
「どんなドレス着るの? ダンナサンってどんな人? なんて名前? ここには来ないの? 会わせて会わせてー」
 その話を俊に聞かせたとき、顔を見せたらただじゃ済まなそう、と苦笑いを浮かべた。
 だから昨日は楽屋に来なかったのだろう。他の教室の生徒や先生がいる中で子供たちのまっすぐな取材に応じるのには、いささか勇気がいる。お互い結婚という言葉にはまだ、少しの照れ臭さを感じてしまうから。
「アキの生徒みんな上手だったよな。特に二番目の子。気持ちよさそうに弾いてた」
「うん。溝口夏美ちゃんっていうの。あの子最近ぐんぐん上達しててね。技術もそうだけど出す音がすごく優しくなってるのよ」
「カレシでも出来たんじゃない」
「そうなのかな」
 カレシとまではいかなくても好きな男の子がいるのかもしれない。あのくらいの頃、わたしにもそういう子がいた。俊じゃないから口には出せないけど。
「それよりさ」
 俊が手のひらで愛おしそうにテーブルを撫で始めた。
「この机。なんか風情があっていいと思わない?」
 いつもの俊の病気が出てきて、思わず溜息が出た。呆れながら「そう?」と素知らぬ顔をしてやる。
「いいよこれ。すっごい手が込んでる」
 俊はアンティークおたくだ。テーブル、椅子、食器棚、洋服収納。和洋中を問わず古い家具を見ると途端に目が輝き出す。こうなるともう何を言っても耳に入らなくて、いつも俊が飽きるのを待っている。
「ほら見てみろよ。脚のところまで彫刻が入ってる。機械じゃなくて手で彫ってあるんだぜ。いいなぁ、こういうの。欲しいなぁ」
 熱心な俊を「へー」とか「ふーん」とか適当な返事でやり過ごす。今までいろんなウンチクを聞かされてきたけれど、どうしてもアンティークと中古品の区別がつかない。
 目の前の机に飽き足らず、他のアンティークを探そうと俊の目が店内を泳ぎ始めたとき、バッグで携帯電話が鳴った。ウエディングプランナーの沢村さんだ。五分ほど話をし、携帯電話を切ってもまだ俊は周りを見回している。
「ちょっと俊。今の電話、沢村さんからなんだけど」
「あ? 誰?」
「沢村さん。式場の人。このまえ会ったでしょ」
「ああ。なんだって?」
 まだ心ここにあらずの言い方だけど、顔がこっちを向いてるだけいいとしよう。
「今日の打ち合わせ変更してほしいって。何か急用ができたらしくて」
「ドタキャンかよ」
「次の都合、いつがいいか連絡しなくちゃいけないんだけど。俊はいつがいい?」
 バッグからスケジュール帳を取り出してぺらぺらとめくると、来月、十一月のページが自然と開いた。
 桜の花びらが一枚、挟んである。正確に言えば桜の花びらの形をしたメッセージカード。厚みがなく、質感は本物のように柔らかくて薄い。
 そこにはひとつの言葉が書かれていた。大人とも子供ともとれる、かよわい鉛筆の筆跡。
『     』
「アキ?」
 俊が顔をのぞき込んでいた。
「なに?」
「なんで泣いてんの」
 頬に手をやると濡れていた。
 目にゴミが入ったと誤魔化して、プランナーさんとの打ち合わせを次の土曜に決めてスケジュール帳に書き込む。
 薄桃色のメッセージカードはいつのまにか消えていた。
「結婚式にさ、真佐斗(マサト)呼ぶって言ったろ」
 俊が僅かに口をとがらせている。
 松岡真佐斗さん。俊の会社の同期で同僚。仲のいいライバル。
「このまえ話したらさ、やっぱり遠慮するって」
「そっか。残念、だね」
 俊は黙って食べかけのチーズケーキを一気に頬張った。
 松岡さんには年の離れた弟さんがいた。重い病気を患っていて、去年の今頃は年を越せるかどうか、というのは聞いていた。
 俊との結婚式は当初、今年の三月三日の予定だった。去年の今頃も結婚式の準備をしていたのだけれど、十一月の末に弟さんが亡くなり、松岡さんは結婚式への参列を辞退したいと伝えてきた。
 俊は結婚式の延期を決めた。
 どうしても松岡さんを招待したいという俊の気持ちを無下にはできなかった。
 延期の理由を、とりあえず二人で一緒に暮らしてみてから、ということにした。辞退した松岡さんに余計な気遣いをさせないようにと、わたしからの提案を俊は受けてくれた。
「席次表には松岡さんの名前は入れておこうね」
「当然」
 俊は窓越しの秋空を見上げ、わたしもそれに倣う。
 澄んだ空にはヴェールのような儚い雲がひとすじ、たなびいていた。






   冬~永遠なるもの~


 誰かに呼ばれた気がして目を覚ました。
 首が回る範囲で部屋の中を探しても誰もいない。気のせいにしてはやけに可愛い声だったな。
 窓に目をやると薄青の空が見え、冬の柔らかな陽光が優しく世界を照らしている。
 ふと、いつもより体が楽なことに気付いた。吐き気も頭痛も、痛み止めの副作用も感じない。こんなに気分のいい日は久しぶりだ。
「ねえ、いい加減気付いてくれない?」
 突然声がして驚いた。それがさっき呼ばれた可愛い声と同じだったから二重に驚いた。
「呼んでおいて無視するなんてひどいじゃない」
 確かに誰かしゃべってる。窓と反対側に顔を向けると、枕元の机の上に小さな女の子がいた。
 『小さな』というのは年齢が低いことの比喩じゃない。身長が十センチくらいの、本当に体が小さな女の子。
 やっぱり夢の中にいるんだろうか?
「あんまりジロジロ見ないでくれる?」
 女の子は恥ずかしそうに言って続ける。
「冬真(トーマ)が呼ぶから来たんだよ」
「呼ぶ? 僕が?」
「そう」
 女の子は机の端からぴょん、とジャンプした。慌てて手を伸ばしたけれど、女の子は落ちることなくそのまま空中に浮かんだ。
「サクヤのことが見えるのはサクヤを呼んだ人だけだもん。冬真、サクヤのことちゃんと見えてるでしょ?」
 そう言って伸ばしたままの僕の手を指差した。
 一体何が起こっているんだろう。どうしてこの子――どうやらサクヤという名前らしい――は僕の名前を知っているんだろう。僕はこの子を知らないし見たこともない(想像だってしたことない)のに、サクヤは僕に呼ばれたという。
 混乱している間にサクヤは僕の腹のあたりに着地した。ベッドの背を少し起こしてあるから目線の高さがサクヤと同じになる。
「あのさ」
 動揺を引きずりながら、まっすぐ見つめてくる大きな目に言った。
「僕サクヤを、というか誰かを呼んだ覚えないんだけど。それに……」
「どうしてこんなに小さいかって?」
 サクヤはくすくす笑っている。
「それに僕の名前も」
「名前はそこに書いてあるでしょ? 松岡冬真って」
 サクヤの目線の先にはベッドの枠につけられたネームプレートが下がっている。
「サクヤが大きいとか小さいとか、あんまり関係ないと思うんだけどな。冬真が呼んだからサクヤはここに来た。それが仕事だから」
「仕事?」
「うん。ふるさと郵便配達人」
「――郵便局の人?」
「あはは。みんなそう言うよね」
 サクヤはおかしそうに笑う。
「サクヤはね、サクヤを呼んだ人のふるさとにその人が届けたいものを届けるのが仕事なの。といってもアルバイトなんだけどさ」
「じゃあ普段は何をしてるの?」
 もっと他に訊くことがあるはずなのに、なんとなく間抜けな質問をしてしまう。けれどサクヤの答えはもっと訳がわからなかった。
「普段何してるかなんて知らないよ。気が付くとこれやってて、自分で勝手にアルバイト扱いしてるだけ」
 尋ねた分だけ混乱してしまった。
「サクヤも質問していい?」
「なに?」
「あれ。なんであんなに沢山あるの?」
 サクヤは自分の後ろ、僕の正面の白い壁を指した。
 そこには三年分のカレンダーが貼られている。一月から十二月までを大きな一枚の紙に印刷し、左から今年、来年、再来年と貼り付けてある。所々にみんなの誕生日や記念日、予定などが手書きされている。
「おかしいかな?」
 訊き返すとサクヤは小首をかしげた。
「うーん。まあ普通は来年くらいまでじゃない?」
 このカレンダーは真佐斗兄さんが作ってくれた。日めくりでもない、月めくりでもない、一年間がずっと見渡せるカレンダー。みんなで過ごした日々も、これからの未来も、ちゃんとあるんだという無言の意思表示。
「あのおっきい星印は?」
 サクヤが来年の三月を指差した。
「あれは次の目標日。今はあれを目指して頑張ってるんだよ」
「なにを?」
「生きることを」
 三月三日は兄さんの友達の結婚式がある。おめでたい出来事の前に僕が死んでしまったら、きっと兄さんは出席しないだろう。幸せな二人を見届けたいと言った兄さんの希望を潰してはならない。
 その話をしてくれたのは、まだ僕の一時帰宅が許されていた頃だ。流れ星を見に行こうと家の近くの丘に登って二人で夜空を見上げていたとき。
 兄さんには好きな女性がいる。その女性を好きな親友がいる。女性もその親友のことが好きらしい。
 悔しいけどさ。似合ってんだよ二人はさ。どっちにも幸せになって欲しいからさ。
 星空を見上げる兄さんの横顔は、暗くてよく見えなかった。
『冬真の病気が治りますように。みんなが幸せでありますように』
 流れ星を見つけた兄さんはそう呟いた。
「確かに受け取ったからね。冬真が届けたいもの」
 いつの間にかサクヤの手に小さな光の玉が乗っていた。薄桃色に輝く一輪の桜。
「これを冬真のふるさとに届けるのがサクヤの仕事。ちゃんと間違いなく届けるから。安心して眠っていいよ」
 サクヤの満面の笑みを見ているうちにまぶたが自然と落ちてくる。
 ありがとうサクヤ。本当はね、君が現れた理由をうすうすは気付いていたんだ。だけど認めたくなかった。あの日までは生きていたかったんだ。
 僕にとってのふるさとはあそこしかない。優しい両親がいるところ。大好きな兄さんがいるところ。
 だけど僕が帰りたいのは『家』じゃない。あの人たちの心の中に、いつまでもいつまでも住んでいたい。
 だからサクヤ。届けてほしい。僕の想いを。
 ありったけの感謝と、尊敬と、愛と、祈りを。
 僕はいつでもあなたたちの傍にいるということを。



   了

四季彩々 改

執筆の狙い

作者 霜月のゆき
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大昔にここへ投げた作をちょっと書き直し。

少し不思議な話にしたかった。

なってるかなー。

コメント

神楽堂
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>霜月のゆきさん

読ませていただきました。
とてもいい話だな、と思ったのですが、
私の読解力が低くて^^;
何度も読み直しました。

題名が「四季彩々」なので、ある家庭の四季を描いたものかな
と思って読み始め、流し読みだったのもあり、
春の家庭と夏の家庭が別であることに、後から気づきました^^;
登場人物の名前、ちゃんと意識して読まないとだめですよね^^;
春の場面のセリフに出てきた「夏美ちゃん」が、夏の場面の登場人物だったのですね。
で、夏の場面に出てくる「秋子先生」が、秋の場面の登場人物。
名前の付け方が面白いですね!
秋の場面に出てきた、「亡くなった弟さん」が、冬の場面の登場人物。
こうしてつながっているのですね。
冬の場面で出てくる
>薄桃色に輝く一輪の桜。
これが春につながるという解釈でよろしいですか?
これにプラスして、もっと春に繋がる要素も欲しかったです。
で、冬のサブタイトルを ~永遠なるもの~ としているので、
なんというか、人の命には限りがあるけれど、
大自然の四季は永遠に繰り返される描写が欲しかったところです。

全体の感想なのですが、
春~夏~秋と、ヒューマンドラマを読んでいるつもりだったのですが、
冬になっていきなりファンタジー展開になったのでびっくりしました^^;
一応、伏線として「    」はあったのですが、
まさかのファンタジーでした。
いいお話なので、これはこれでいいんだろうな……
とは思うのですが、やはり、急激なファンタジー展開に、少々戸惑いを感じたのは否めません。
とはいえ、サクヤの存在はこの物語のカギですよね。
ネタバレもよくないですが、伏線が足りないと唐突感が出てしまうので、
もうちょっと、このサクヤの存在を、春夏秋の場面に忍ばせてほしかったなと思いました。
(「   」の手紙にプラスして)

で、思ったのですが、冬の場面では冬真が生きていて、
秋の場面では冬真は死んだことになっているので、
この物語って、春夏秋冬の順には進行していない、ってことですよね?
というか、物語の季節順と、実際の時系列は逆、というおさえでよいですか?

ちょっと前にはやった、実は時間が逆行していたという叙述トリックの本や映画、ありましたよね(題名を出すとこれから見る人にネタバレになるので言えませんが^^;)
それに近い感じがする作品だな、と思いました。

執筆の狙いにある
>少し不思議な話にしたかった。
については、なっていると思います。
ファンタジーですからね。
それぞれの季節に桜の花びらの手紙が届くわけですから、不思議といえば不思議です。

いい話でした。
物語の作り方の勉強にもなりました。
読ませていただきありがとうございました。

いかめんたい
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霜月のゆき様

こんちには。
読ませていただきました。

とても大切な人が亡くなって、それでも私たちの記憶はだんだんと薄れていきますが、それこそ不意をつかれたようにその人のことを思い出して胸が詰まってしまったことは、確かに私にもあったような気がします。
きっとそういう瞬間を、少し幻想的に表現されているお話なのだと、私は理解させていただきました。
それで一つひとつのお話は、簡潔だけれども丁寧に書かれていて、読みながら思わずぐっとくる瞬間が何回かありました。

なおこれは単に私のせいだと思うのですが、読んだ直後の印象としては、「面白かった」よりも「疲れた」のほうが勝ってしまいました。
最初からもっと素直に読めればよかったのですが、私はつい、カギかっこの中に入る言葉は何なのかとか、それぞれの花びらの贈り主は誰なのかとか、一話目の語り手の名前は「春彦」なのかとか、余計な詮索が頭の中をぐるぐるとめぐってしまい、勝手に余計な神経を使っていたように思います。

読ませていただきありがとうございました。

霜月のゆき
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神楽堂さん

いらっしゃいませ。
こんばんは。

>>薄桃色に輝く一輪の桜。
これが春につながるという解釈でよろしいですか?
→はいな。その通りっす。

>春に繋がる要素も欲しかった
>人の命には限りがあるけれど、
大自然の四季は永遠に繰り返される描写が欲しかった
→あー、そっかあ。そういえばそこをあんまり考えてなかったなぁ。ってか、そういう解釈もできるんだね。すごい。いや、読み手の方が。
いいアドバイスをいただきました。

>冬になっていきなりファンタジー展開になったのでびっくり
→あちゃ。大昔とおんなじ感想もらっちゃった。桜の花びらとか白いカギカッコとかで誤魔化した気になったのは作者だけだったー。
少し不思議の「少し」に踏み込む加減というか案配というか、難しいのぉ。
そうね、春パートからちらちらとサクヤに登場してもらいましょうかね。花びら舞い散る桜の木の枝先にでも。

>この物語って、春夏秋冬の順には進行していない、ってことですよね?
>というか、物語の季節順と、実際の時系列は逆、というおさえでよいですか?
→時系列でいえば冬が一番最初。で、そのあとに春夏秋の順番どおり。
春に夏美ちゃんのピアノを習いたい希望が芽生えて、夏に念願のお教室へ。秋にはとっても上手になって発表会。
わかりづらくてごめん。
時系列いじるのって霜月には難しくてさ。読むのは好きなんだけどね。

ファンタジーか。
ファンタジーなのか、と書いた本人が思ってしまうところがミステイクの根本のような気がしてきた。

丁寧に読んでくれてありがとう。

霜月のゆき
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いかめんたい さん

ようこそ。
こんばんは。

なんだか負担を掛けてしまったようで申し訳ない。

いろいろ詰め込みすぎたなと反省中。
普段ミステリもどきばかり書いていて、伏線張るのが癖みたいになっちゃってるのね。それに加えて時系列いじりぃのなんて、ただでは読ませないぞ感満載。
狙った部分ではあるけれど、ちとやりすぎたか。

>カギかっこの中に入る言葉は何なのか
→なんだろうね。最初は霜月が入れていたんだけど、これが見えるのは贈られた作中の人物たちだけ。霜月が記していいもんじゃないって思っちゃった。
読者には不親切だったね。

全体に読み解いていただいた感じがして感謝です。

ちなみに春の章の主人公名は、


ないしょ。


しっかりと読んでくれてありがとう。

佐藤
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読ませて頂きました。

初読でいい意味での引っかかりを覚え、二度、三度と読み返して徐々に滋味が深まってくる。そういったタイプの作品ですね。時系列ものは自分も「エピソードを読む順番によって意味合いが変わるもの」とか試したことがありますが、まぁ書いていて楽しい笑 付き合ってくれる読み手を限ってしまうのが悩みどころではありますが。

自分もやはりサクヤがラストにだけいる、がちょっとしんどかったかな、とは思います。全体をサクヤ視点の話にしてしまうとかがアリでしょうか。それで冬パートだけ三人称でサクヤがキャラとして現れる、的な。改稿としては大工事レベルになる提案であり、正直現実的とは思えませんけれど。

「   」内については、下手になにが書いてあるかを考えないほうが良さそうですね。あんな言葉、こんな言葉、と想定しようと思いましたが、いずれにしてもこの作品の読み口の幅を狭めてしまう気がしました。

霜月のゆき
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佐藤さん

こんばんは。
いらっしゃいませ。
久しぶりだね。

うん。おっしゃるように二度三度読んで物語の出来上がり、ってしたかった。
おそらく二度目どころか初読で離脱って人が相当数いるんだろうなとは思うよ。
そこは仕方ないかなと思ってる。
物を見たり読んだりするのって、好き嫌いももちろんあるけど、その人の体調だとか心理的な状態だとかでも左右されるしね。しんどいときに入り組んだ話を読むのは霜月も疲れる。
だけど好きなんだよね、こういうの。趣味に走り過ぎた感はある。

たぶん、冬の違和感を排除するにはおっしゃるように大工事が必要なんだと思う。今回みたいな小手先じゃなくてね。
実際、一人称サクヤ視点はちょっと考えたんだよ。けど、人ならざるモノの視点でどんだけリアリティが出せるのか自信がなかったし、「少し不思議」からはちょっと離れるしね。
今作のサクヤはホワイトサイドだけど、いってみればこのこは死神。ま、ダークサイド・サクヤもおもしろいかもしれんな。
一度骨組みだけにして改稿してみるか。
全く違う話になるだろうけどそれもまたよし。

空白のカギカッコ。
いかめんたいさんにも書いたように、一人称だから当事者(各章の主人公たち)には見えても読者には見えない。
おまけに二度三度読むことを前提にしてたから文字にすることで余韻を固定したくなかった。
なんてな。しゃらくせーこといってるなぁ霜月。

佐藤さんの作品、ログ落ちするまでにはお邪魔する予定。
間に合わなかったらごめんしてね。

滋味が深まる。いい言葉。

ありがとう。読んでくれて。

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