作家でごはん!鍛練場
上松 煌

其は青白き馬に (オレにはめづらしく掌編ですw)

 薄く水を張った空に、寒さの名残りがあった。
まつわる羽虫。
遠い鉄路を列車の過ぎる気配。
揺れる花影は返しては寄せ、寄せては返し。
うらうらと陽に温もる石たちの群れ。

 気まぐれに雲は去りて、風の止む凪。
やはらかに驟雨は逝きつ戻りつ。
色あせた靄(もや)に、やがてたゆとう帳(とばり)。
今宵もひそかに霜はおとづれ。
石の群れはすでに冷たく。


 蒼穹のかなたは、沸き立つ気流の坩堝(るつぼ)だった。
梢の煌めき。
遥かにけだるく人語にまぎれたるさざめき。
風雨は時にいと猛く、時にいと優しく。
ぐらぐらと焼け焦がれる石たちの群れ。

 虚ろに音は止みて、日向湯のままにたそがれ。
湿気の中の人々は流れ流れず。
立ち止まる薄闇に、ゆるゆるとまつわる昼の残り香。
ようやくの眠りに夢はさらに浅く。
石の群れにほとぼりは色濃く。
 

    ◇  ◇

 今はもう、心踊らず、思いもなく、言葉は消えたのだ。
いつだったろう?
うたかたの日々は還らず。
忘れかけの詠(うた)は疼く傷に似てはかなし。

♪『其(そ)は青白き馬に騎跨し
 細き三日月を刈りて携さう
 声なき頤(おとがい)眼差しなき窩(うろ)
 まとうはただ茫漠たり

 其の名は
 其の名は…』

 もう思い出せない。

     ◇  ◇

 彼方の尽きる果てに、厚くめぐらした群青が見えていた。
わだかまるわくら葉。
そば近く轍の過ぎる音。
枯れ野に向かう想いは、ゆきゆきて行かず。
したしたと霖雨にそぼぬる石たちの群れ。 

 足早に闇は至りて、吹きつのる北風(なれ)。
常の寝ぶりは覚め覚めやらず。
夜寒の木枯らしに、道行くものは絶えて。
石の群れに凍て蝶の骸。
 

 いま一面のむら雲に、やがて陽の光は潰えた。
立ち枯れの裸木。
過ぎる救急車両のどこかしめやかな音。
うつし身のいかに遥けき。
しんしんと雪をまとう石たちの群れ。

 夜半に星は凍えて、流れるすべなき礫に似て。
在りし日の焔はすでに絶え絶え得ず。
振りかえる昔は、もはや帰らざる影。
石の群れに訪(おとな)うはいづれぞ。

     ◇  ◇

 そう、波はここまで来たのだ。
寄せては返し、返しては寄せ。
帰らぬ幾多の想いをよそに。
よせてはかえし、かえしてはよせ。

覚えているだろうか?
あの日蒼ざめた空に、掻き乱れた気の蟠(わだかま)るを。
引き退く海はるかに、くぐもる潮(うしお)のつぶやきを。
風は絶え、みぞれは降り、炎は夜っぴて爛れた。
沖遠くはるかに、蠢く何かの気配。
声は消えゆき、暗がりにはもう何も見えない。
地の果ては今も、この世を支えているのだろうか。

 うねりの底のさらに奥から、いくつものどよめきが聞こえる。
水を陸地のように、走り抜けるモノたちがいる。
瓦礫でとぎれた道を、いつものようにたどる影。
車を覗きこむ横顔は、だれを探すのか。

 
     ◇  ◇

 今日も石の群れに依りて、石の群れに鬼哭す。
石は空し。
石は寂し。
いずくんぞ心晴れるべき。
いずくんぞ人を乞うべき。
誰(た)が問うや。
宇久の時に我が面ざしの褪せざるを。
我が衣(きぬ)の乾かぬを。

 
 君知るや。
我、未だここに在るを。


石の群れに刻むひそやかな文字たち。
平成23年 3月11日 享年

享年…

其は青白き馬に (オレにはめづらしく掌編ですw)

執筆の狙い

作者 上松 煌
M106073145001.v4.enabler.ne.jp

旧作。
ごく初期の作品なので文章は硬く、鮮烈なイメージのもとに言葉は際立っている。
多少難解だが、『石たちの群れ』は3.11の惨事の犠牲者の墓標を示し、前半の記述はそれにたゆとう四季の有様を述べている。
表題は第4の騎手(死神)のことで、文中でそれが詠われ、末尾近くで、語り手がすでに死者であることがわかる。

コメント

神楽堂
p3339011-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp

>上松 煌さん

読ませていただきました。
詩のような作品で、雰囲気を味わうことができました。
執筆の狙いにある解説のおかげで、言わんとするところをなんとか読み取ったところです。
冒頭の連にある

>揺れる花影は返しては寄せ、寄せては返し。

は、後半に出てくる

>寄せては返し、返しては寄せ。

これにつながるのですね。
執筆の狙いにある

>前半の記述はそれにたゆとう四季の有様

これは、冒頭の四連のことでしょうか。
四季は春夏秋冬の順にはなっていない、というおさえでよろしいですか?
読み取りが間違っていたらごめんなさい^^;


いいなと思ったところは、詠に

>其は青白き馬に騎跨し

とあり、その後

>群青が見えていた。
>わだかまるわくら葉。

と、色が効果的に使われていて、なんとも美しい。
また、

>そば近く轍の過ぎる音。

これが 動 を表し、

>枯れ野に向かう想いは、ゆきゆきて行かず。
>したしたと霖雨にそぼぬる石たちの群れ。 

と、動けぬ思いや墓石に続くあたりがなんとも対照的。
あと、

> 今はもう、心踊らず、思いもなく、言葉は消えたのだ。

>石の群れに刻むひそやかな文字たち。

この対比もよいなと思いました。
言葉は消えて、石の群れと文字だけが残ったのですね。


題名である『其は青白き馬に』は、
ヨハネの黙示録の第四の騎士(死神)ということで、
なるほど、それで

>細き三日月を刈りて携さう

なのですね。

あえて気になった点を言うとなれば、
キリスト教の雰囲気と、文体から感じる漢文的な雰囲気とが
合っているのかどうかが微妙、といったところでしょうか。

ラスト。

>平成23年 3月11日 享年
>享年…

享年を2回繰り返していますね。
これは、生きてきた年数を振り返る、という終わり方を表したものでしょうか。
それとも、… に込められた、具体的な年数に着目させる終わり方なのでしょうか。
この作品をどう締めるのかは難しいところだな、と思いました。


私は日頃はこういった文体のものは読まないのですが、
たまに読むと、こういう文体もいいものだな、なんて思いました。


上松煌さん、読ませていただきありがとうございました。

上松 煌
M106073145001.v4.enabler.ne.jp

神楽堂さま、こんばんは
 毎回、短いことは短いですがw、決して読みやすくなく、内容も教養や素養、日本人らしい繊細で真摯な感性がないと読みこなせない作品群をよくぞお読みくださり、あまつさえ理解し、共感の感想をくださることにとても感謝し、同じ日本人としてうれしく思っています。

   >>詩のような作品で、雰囲気を味わうことができました。執筆の狙いにある解説のおかげで、言わんとするところをなんとか読み取ったところです<<
     ↑
 本当にありがとうございます。
これは初回に掲載した時、読者のかたが
【地の果ては今も、この世を支えているのだろうか】
の部分に非常に共鳴してくださり、
>>(3,11の時)これと同じことを感じた。地の果ては今も、この世を支えているのだろうか、って。この言葉のとおりですね】という感想を思い出しました。

   >>揺れる花影は返しては寄せ、寄せては返し。は、後半に出てくる>寄せては返し、返しては寄せ。これにつながるのですね<<
      ↑
 はい、そのとおりです。


   >>前半の記述はそれにたゆとう四季の有様 これは、冒頭の四連のことでしょうか。四季は春夏秋冬の順にはなっていない、というおさえでよろしいですか?<<
      ↑
 いいえ。
執筆の狙いの書き方が悪かったですね。
冒頭の、
【薄く水を張った空に、寒さの名残りがあった】~【石の群れはすでに冷たく】までが早春。
次の、
【蒼穹のかなたは、沸き立つ気流の坩堝(るつぼ)だった】~【石の群れにほとぼりは色濃く】までが盛夏。

 中休みがあって、この部分ではかつて生者であった話者の記憶の中の死神の姿が詠われ、ここで表題の【其(そ)】が何者であるかが明かされます。

 そして、
 【彼方の尽きる果てに、厚くめぐらした群青が見えていた】~【石の群れに凍て蝶の骸】までが初秋から晩秋。
〆は、
【いま一面のむら雲に、やがて陽の光は潰えた】~【石の群れに訪(おとな)うはいづれぞ】の厳冬で四季は終わります。


 そのあと、起承転結の転の部分ですが、ここで【石たちの群れ】が何であり、このお話が3,11の惨事を表し、さらに【うねりの底のさらに奥から、いくつものどよめきが聞こえる】~【車を覗きこむ横顔は、だれを探すのか】までは霊となった死者たちの行動を描いているのがわかります。

 【今日も石の群れに依】る話者はすでに埋葬された犠牲者であり、【石の群れに鬼哭す】以下、ラストまでは彼の無念の思いが吐露されます。


   >>いいなと思ったところは、詠に>其は青白き馬に騎跨しとあり、その後>群青が見えていた。>わだかまるわくら葉。と、色が効果的に使われていて、なんとも美しい<<
     ↑
 ありがとうございます。
色はあまり意識しなかったので、あなたの鋭敏な感性を感じます。

   >>また、>そば近く轍の過ぎる音。これが 動 を表し、>枯れ野に向かう想いは、ゆきゆきて行かず。>したしたと霖雨にそぼぬる石たちの群れ。と、動けぬ思いや墓石に続くあたりがなんとも対照的。
あと、> 今はもう、心踊らず、思いもなく、言葉は消えたのだ。>石の群れに刻むひそやかな文字たち。この対比もよいなと思いました
    ↑
 良いと感じていただけてうれしいです。
おっしゃるとおり、想いも言葉も生命も消えて、ただ、石たちの群れが残ったのです。



   
   >>題名である『其は青白き馬に』は、ヨハネの黙示録の第四の騎士(死神)ということで、なるほど、それで
>細き三日月を刈りて携さう なのですね
     ↑
 非常に明確にご理解いただき、感謝に耐えません。
死神の持つ、死を刈り取る草刈鎌を表しています。

   >>あえて気になった点を言うとなれば、キリスト教の雰囲気と、文体から感じる漢文的な雰囲気とが合っているのかどうかが微妙、といったところでしょうか<<
     ↑
 おれは全く気になりませんでした。
今の日本人は、日本式の死者が纏う白い経帷子(きょうかたびら)で髪をザンバラに振り乱した瘦せた爺さん=死神でなく、西洋風の骨の馬に跨って頭巾を被った骸骨のほうを思い浮かべるからです。
同様に、日本の仏式なら極楽と言わなければならないのに、現代人はなぜか天国と言ってしまう。
宗教・宗派の混乱は問題ですよね。



   >>享年を2回繰り返していますね。これは、生きてきた年数を振り返る、という終わり方を表したものでしょうか。それとも、… に込められた、具体的な年数に着目させる終わり方なのでしょうか。この作品をどう締めるのかは難しいところだな、と思いました<<
     ↑
 そうですね。
享年を2度繰り返し、2度目は・・・で締めくくったのは、詠嘆の助動詞のかわりでしょうかね。
平成23年3月11日が享年になった多くの人々。
その人たちへの思いの余韻を、享年 享年・・・と繰り返すことによって表現したかったのだと思います。

   >>私は日頃はこういった文体のものは読まないのですが、たまに読むと、こういう文体もいいものだな、なんて思いました<<
     ↑
 古文体はお嫌いですか?
でも、>>こういう文体もいいものだ<<と思っていただけてうれしいです。
書いた甲斐がありました。


   >>上松煌さん、読ませていただきありがとうございました<<
     ↑
 とんでもございません。
読んで感想まで書いてくださり、よかったと共鳴していただいただけで存外の喜びです。
日本人のふりをした朝鮮人や中国人の多いごはんで、日本人の神楽堂さまにお会いできて大変幸せです。

ご利用のブラウザの言語モードを「日本語(ja, ja-JP)」に設定して頂くことで書き込みが可能です。

テクニカルサポート

3,000字以内