作家でごはん!鍛練場
斉藤学

大穴の雄叫び

少し伸びた雑草は、微風でその葉を揺らし、僕の背部や腕を擽る。だが、それは僕の睡眠を妨害するほどの刺激は無くて、特に不快感もなかった。とは言っても、やはり、深夜ほどの熟睡は出来ず、緑広がる野原で手を頭の後ろで組んでは寝転び、すっと瞼を閉じて、少しすると、温かな春の風に乗ってやってきた季節の香りが鼻腔を刺激してきて、懐かし記憶を蘇らせくれる。それは、とても平穏な思い出ばかりで、やがて意味がわからないくらいに幸福な思いで一杯になり、精神的にも肉体的にも、何とも言えぬ心地よさに包まれる。それによく耳を澄ましてみれば、遠くの方からちゅんちゅんと小鳥の囀りが聞こえてきて、その甲高い鳴き声はまるで、自然界を清々しく生きているような様子であり、しばらくの間、僕の心には草木が蠢くような思いが居座っていた。
 お祭りのような賑やかさもなければ、人の声すらあまり響かないこの里は、実に辺鄙な里である。標高九百メートルほどあり、急斜面に畑や民家、観光目的でこの場を訪れる者も多く、寝泊まりできる民宿が数店舗と寄り添って建っている。里に住む住人も、それほど多くはなく、里に暮らす殆どが農業に勤しむ老人ばかりで、だから、学校なんかも里にはなく、わざわざ険しい山道を降りて山麓の村の学校に通わなければいけなかった。それは、非常に面倒な事で、しかし、そうでもしないと、退屈な毎日を送る羽目になってしまうのも事実で、だからその、退屈を凌ぐという理由で、里には留まらず、強風の中であろうが豪雨であろうが、僕は下町へと足を運ばざるを得なかった。ただ、たまにはこうして、自然に触れ合うというのも、決して居心地の悪いものではなかった。むしろ僕にとって、価値ある時間であった。
 寝転がってからどれくらい経ったのか、あまり正確な時間がわからない。スマホとかテレビの画面を眺めている時間と、こうして何の情報も頭に入れずに寛いでいる時間は、どうしてこんなにも時の流れに差があるのだろうか。同じ時間を過ごしていても、やはり、何かしら脳に刺激を与え続けているのか否かで、時間の感じ方が変わる。それは、脳が窮屈だと認識して、だからじっと壁を眺めるような刺激のない無意味な時間に長いこといると、経過した時間にあっと驚く。

大穴の雄叫び

執筆の狙い

作者 斉藤学
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作品の一部分を切り取りました。冒頭です。ジャンルは純文学。
批評の方よろしくお願い致します。批評の度合いは特に無いです。

コメント

神楽堂
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>斉藤学さん

読ませていただきました。
ジャンルは「純文学」ということですが、斉藤学さんが考える純文学の定義は何でしょうか?
検索してみると、美的感覚に重点を置いた文学、なんて出てきますが、文学における「美的感覚」つまりは「芸術性」をどう捉えるか。
このあたり、作家としての純文学の捉え方の差が出るように思います。

この小説、冒頭ということですが、内容は草原で昼寝して時間経過を考えるといった、他愛のないものですよね。
純文学の多くは私小説になりがちなので、こういった内容もある意味、純文学に近いといえるかも知れませんが、この先、どういった展開が待ち受けているのか。
まだ冒頭部分なので読者はついてくると思いますが、この先、読者の興味を惹きつける内容へと展開していけるのか。それが気になりました。
というのも、私個人の感想ではありますが、草原での昼寝から始まる物語にどこまで期待していいのか、という不安もあります。

表現について吟味ですが、表記がどうも「両論併記」であり、主張に欠けます。
例えば冒頭の草の刺激。
その刺激がどういったものなのか、読者にはっきりと伝わるでしょうか。

>刺激は無くて、特に不快感もなかった。とは言っても、やはり、深夜ほどの熟睡は出来ず、……

この表現で、草の刺激がどの程度のものなのか、読者に明確に伝わりますか?
熟睡できない理由は、草の刺激のせいですか?
私には、それ以外の要因があるように思えました。
冒頭の草の刺激にどういう意味を持たせたのか、そこが曖昧である印象を受けました。

>だからその、退屈を凌ぐという理由で、里には留まらず、強風の中であろうが豪雨であろうが、僕は下町へと足を運ばざるを得なかった。ただ、たまにはこうして、自然に触れ合うというのも、決して居心地の悪いものではなかった。むしろ僕にとって、価値ある時間であった。

ここは主人公の価値観が示されています。
この主人公がどういう暮らしを望んでいるのか、今の暮らしについてどういう評価をしているのか、これからどうしたいと思っているのか。
そういった主人公の思いはもっとはっきりと書いたほうがいいです。
主人公の思いがはっきりしていないと、読者は物語に入っていきにくくなります。

>僕は下町へと足を運ばざるを得なかった。ただ、たまにはこうして、自然に触れ合うというのも、決して居心地の悪いものではなかった。

両論併記と先ほど書いたのは、こういう部分です。
で、結局どっちなの?
という感じで、主人公像がつかみにくいんですよね。

何を望んでいるのか、
どうしたいのか、
何が満足で何が不満なのか。
せっかく「人間」を主人公にしているのですから、そのあたり、もっと打ち出してほしいと思いました。

ラストでの、時間の流れの感じ方も、書いてあることは誰しも思う当たり前のことで、ここに主人公の主張がないんですよね。

ここにアップされたのは短い文章ではありますが、
あれもいい。でも、これもいい。
のような書き方に見えて、ピントが定まらない書き方のように私は感じました。

と、いろいろ書いてしまいましたが、
「純文学」とは何かを、私自身が考えるきっかけを与えてくれた作品のようにも思えました。
読ませていただきありがとうございました。

偏差値45
KD106180001138.au-net.ne.jp

読めるし、分かる。
だが、あまり残らない。
主人公が寝転んでいるだけ……。
少なくともストーリーの方向性を示した方がいいかもしれない。

紅蓮焔
124.89.0.123.cc9.ne.jp

冒頭だけなので何とも言えませんが、なんというか主人公の価値観がぼやけてよくわからない感じがしました。

あのん
p4422129-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp

読ませていただきました。

ワンシーンを切り取った作品とのことですが、風景や情景は文章からも思い浮かべることができました。
全文を読んでみないとなんとも言えないのですが、この調子のまま話が進むとなると、ちょっと物足りない気がしないでもないような。
ジャンルは純文学ということですが、今は大衆文学との境界線も曖昧になってますので、作者本人が純文学といえばそれは純文学になると私は思います。

というか、今までにないような斬新で新しい作品こそが純文学だと私は思うんですよね。しかし、最近の純文学系の新人賞は、既存の枠組みで普遍的なテーマを洗練された文体で書いたものが受賞している傾向にあるので、「新しい」が経年劣化している節があるんですよね。
賞にはずっと出したりはしているんですけど、最近はほんと一次落ちばかりで嫌んなっちゃいます…。

とまあ、脱線しちゃいましたが、この作品の話が進むにつれて何か世界観を壊すような展開があると俄然と面白くなると個人的には思いました。
ご自身の考える純文学を突き詰めていってほしいです。応援してます。

いかめんたい
M106073000002.v4.enabler.ne.jp

お隣からこんにちは。読ませていただきました。

さて、何度か読んでみたのですが、この提示された部分だけでは作者の意図するところがわからないというのが正直な印象でした。

最初の段落は野原で寝転んで幸せだった幼少期を懐かしんでいるような様子に癒されなくもないのですが、ただ草木が「蠢く」とか、言葉のチョイスに個人的にはちょっとひっかかるところがありました。

二段落目で、退屈凌ぎに麓の学校に通うという主人公の年齢がわからなくなって、あとは農業に従事する老人しかいない辺鄙な里に、民宿が何軒も必要なほど観光目的で訪れる人なんているのかなとか(登山道の入り口があるとかならわからなくもないですが、その場合は観光目的とは言わない気もします)、いろいろと疑問が出てきました。

もしかすると続きを読めば解決されるのかもしれませんが、この部分だけでは面白いのか面白くないのか判断のしょうがないよなというのが正直な感想です。

いろいろとえらそうにすみません。読ませていただきありがとうございました。

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