セーブポイント
「…………ん?」
目を覚ます少年——否、『青年』と呼んだ方が適切だろう頃合いの男。
どうしてか、記憶が曖昧だ。
彼が横たわるは広い空間。
洞窟——正確には異なるが、そう表する以外には適切な言葉が見つからない、陰鬱とする閉ざされた空間であった。
「ここ、は……どこだ?」
勿論のこと、窓はない。それは地下に掘られた迷宮なのだから。
陽が遮られる地下空間となれば『洞窟』と呼んだのもそう間違いではないだろう。
「にしてはやけに明るいな」
光源は等間隔で設置された松明のみ。目で見える範囲で数は十五——いや、もっと少なそうだ。
六十センチ弱の棒と、握り拳よりはやや大きい炎。灯火はこれだけだが、どれほど凝った解釈をしようと説明がつかないほどに、その場は光で溢れている。
松明の光では届き得ない範囲さえも照らす、謎の光。故に視界は良好であった。
「なんでこんなとこで倒れてんだよ」
愚痴を溢す。
あまりにも理解し難い状況だからか。松明のみでは説明が付かないほどに透き通った空間の謎を解明する余裕もない。
不可思議な現象はそれだけに非ず。
一本の棒であれば炎は上へと伸びるが——迷宮の松明は綺麗な球体を保っているなど、探せばキリがないほどに違和感で溢れていた。
だが先ずは、今しがた目を覚ました自分自身の安否が先か。
「傷は……ないな」
目に見える外傷はないことから、頭を強く打ったなどしていない限りは安心だ。
尤も、記憶の混濁が起きていることからその可能性も捨て切れないのだが。
「俺は……なんだ? 何も思い出せない」
身長は百七十ほどと、高くなくとも——それでいて、低くはない背丈。暗い髪色の直毛は耳が隠れるギリギリの位置で刈られており、前髪も少し長め。
顔立ちは綺麗な方だろう。整った目鼻に、シミひとつない白い頬。美形と括って問題のない要素は兼ね備えていると言える。
「ってか、この水晶が謎だな」
今一度、周囲を確認。
すぐ目に映るのは、自身の真横に立つ謎の水晶であった。占いなどで使う円形のものではなく、先の尖った六角形の結晶体がそこには鎮座している。
——いや、鎮座というのは些か違う。
どういう原理か。自身の身長ほどの大きさをしたそれは、数十センチの間隔を空けて宙へと浮いていた。
(どう見ても、浮いてる……よな)
困惑に次ぐ困惑。
触れてみようとは思うまい。
正体不明の結晶に触れてみようと思い至る者は相当に勇敢な者か——或いは、好奇心に突き動かされた阿呆だけだろう。
「…………あぁ、そうだ」
茫然とすること数分。何かを思い出したように小さく漏らす。
「そうだったかもしれない」
ははっ——と、口元に浮かぶ呆れ混じりの笑み。
「俺は勇者だ。世界を救うために旅をしていて……確かこの奥に、魔王の一人がいるんだった」
側から聞いていれば、気でも狂ったのかと疑うほどの言葉だが——しかし、彼の中には妙な確信があった。
胴を観察するように視線を落とし——首を縦に振るう。
「そうだ。間違いない」
鉄の鎧。
足、脛、腰、胴——そして腕に至るまで、全てを覆うようにそれを纏っていた。
なぜ外傷を確認した時に気づかなかったのか。
銀色の、汚れ一つない新品同然の鎧。合わせるように、腰には鞘に収められた剣が下がっている。
一般人でないのは確かだろう。
それがどういった経緯を得て『勇者』と納得するに至ったかは、議論の余地が残るところだ。
それこそ、彼のみぞ知るというもの。
「そうとなれば、早く行かなくちゃな」
魔王を討伐しにここまでやって来た。記憶がなくなるほど寝こけていたというのは随分と間抜けな話だが、その失態を取り返すためにも先に進むしかない。
彼は——勇者を自称する青年は、洞窟の奥へと向かうべく一歩を踏み出す。道はわからないが、自然と体が動いた。
この謎の空間を俯瞰しているかのように、正しい道順で歩を進ませる。
思考と体が一致しない——とまでは言わないまでも、考えるより前に足が向かっていた。反射で動いている感覚に近いだろうか。
(思い返せば、長い道のりだったな)
出会い頭に衝突する異形の怪物を屠りながらも、余裕のある思考で感慨に浸る。
二年——いや、三年。城下町で見送られてからここまで、長い旅路であった。
魔王の配下である幹部との衝突。
仲間との出会い。そして別れ。
(多い時は六人くらいいたか?)
口うるさい魔法使いがいたっけな——と、寝起きのぼんやりとした意識が徐々に覚醒し、忘れていた記憶が線となる。
「それが……今は一人か」
一人。
たったの一人。
周囲を見渡せど——いるのは勇者である自分だけ。
それでも、寂しいとは思わない。仲間と共に進んだ勇気が——戦いが、彼をここまで突き動かした。
寧ろ、親しくなった仲間を戦いで失う方がずっと辛いだろう。そう考えれば、一人というこの状況の方が好都合なのかもしれない。
元は一人で始まった旅だ。
それが一人に戻っただけのこと。
「……っと、そんなこと考えてたらもう着いたよ」
眼前に聳える、巨大な石造りの門。ここがゴールですよと親切に示しているかのよう。
そして横に設置されるは——記憶の隅に残る、宙に浮いた水晶。
「ああ、そうだ。これのことも思い出した」
記憶が曖昧な寝起きの状態で見つけたそれを、初めこそ不気味がってはいたが——今は違う。
納得の首肯と共に、自然と手が伸びた。宛ら、自分のものではない意思——運命に突き動かされるかの如く。
相当に勇敢な者でも、ましてや好奇心に突き動かされた阿呆でもない。
それを知っているからこそ、躊躇いも見せずに触れられたのだ。
「確か……セーブポイント、って呼ばれてたかな」
力の保存。旅路の記憶。
宙に浮いていること以上に不可解な原理だが、それはこれまでの記録を『残す』役割を担っている。
故に、失わない。
ゼロに——戻らない。
旅をする上でここまで心強い存在もないだろう。
「よし」言葉にすることで、再度気合を入れた。
水晶との契約は済ませてある。あとはこの巨大な門を越え、奥にいるだろう魔王を撃ち倒すだけ。
ようやく——ここまで来た。
六柱いた魔王も残るは二体。この奥で待ち構える魔王を攻略すれば、旅の終わりも目の前だ。
装備は万全。
ここに辿り着くまで多少のトラブルはあったものの、『傷を治癒する食料』のおかげで体調も良好。
魔王との決戦にはこれ以上ない、最高の状態だろう。
「…………ははっ」
直前になって、笑みが溢れた。
手の震えは——武者震いということにしておこう。
(あぁ、クソ。……やっぱ一人じゃ、心許ないな)
拳を強く握り、痛みで心を抑える。
仲間を失いたくはない。
そう強がってはみたものの、どう誤魔化しても結局は怖がってしまう。
だって世界を滅ぼそうとする魔王だぜ?
そんなの————
(普通に、勝てるわけないだろ)
今まで倒して来た四体の魔王とは違う。
攻略が桁違いに難しいからこそ、こうして最後まで残されているのだ。
こんなことなら、後回しになんてするんじゃなかった。……いや、よくないな。
これはよくない。戦う前から卑屈になってどうするってんだ。
「俺は勇者。……そうだろ?」
誰に向けてもいない——強いて言うのならば、自身を鼓舞するために吐いた言葉。
ここまで来れば、引き返すことは叶わない。
旅の途中で別れた仲間。
背を押した、城下町の顔馴染み。
行く先々で出会った、心優しい人達。
そして、勝利を信じて自分を選んでくれた王女のため。
全ての期待を、その背に。
血を吸い尽くした剣に比べれば、期待なんて軽いもの。
「——————」
門を押し開ける。
見た目で感じる重量とは裏腹に、空気へ触れるかの如く軽い動作のみでそれは奥へと開いた。
自分から勇者を招き入れていると思えるほど。
ズズズ——と、石が地面と擦れ合い、全身を威圧する重低音を奏でる。
「よぅ、跼蹐の魔王。会いに来てやったぜ」
未だ震える手を誤魔化すためか。強がりな言葉を飛ばす勇者。
対するは————
「地下で隠居していたと言うのに……。どうして皆、私の所へ死にに来るのでしょうか」
妍姿艶質。
そんな言葉が似合う少女が、そこには座していた。
否。『美しい』と一言語るだけでは足りない。
どこか魅惑的な——人を魅入らせ惑わす、星の散る夜のような少女。
腰を越す長さをした藍色のそれは毛先にかけて桃色に輝き、陽を浴びていないにも関わらずきめ細やかに輝いている。
垂れた眉と、寝起きのような虚な目。しかしそれはだらしなさを感じさせることなく、彼女の魅力となっていた。
小柄な——折れるのではと予感する華奢な体。
無意識のうちに手を伸ばし抱きしめてしまうような、そんな庇護欲を無条件で抱かせる容姿である。
だが、それらは全て印象でしかない。
現に、彼女はその手で何十という人間を屠って来た。
人を模した、人ならざる異形。
角や翼などは生えていない——が、雪を写し取ったような白い頬には亀裂が走り、その隙間から光亡き漆黒を覗かせている。
グラデーションの掛かった、夕焼け色の髪を映えさせる純白のドレス。
そこから伸びる細い腕も——肘からゆっくりと色が失われ、指先に至っては空間に穴が空いているのかと錯覚させるほどに影で染まっていた。
墨に手をつけたわけではない。初めから——存在した瞬間から、『こう』なのだ。
形だけ真似ようと、それは人間とは決定的にどこか違う。
正に、夜を体現したかのような少女。
「なんで来るのか、だって? 決まってんだろ。お前を殺すためだよ」
「どうしてそんな酷いことをするのかしら。たかが数十人消しただけなのに」
「数十人も殺しちゃあ、立派な『悪』だな。殺されても文句は言えねぇ」
なぜ殺したのか。その理由を過去に説いた者がいた。その答えとして、彼女はこう返したと言う。
なんとなく————と。
ただの気まぐれ。生物とは反する災い。
特に理由はなく、多くの命が奪われたのだ。
とある学者はこう仮定した。
世に溢れる娯楽。その中の一つである、物語——寓話や英雄譚。
ありふれた、ヒーローが活躍するフィクションである。
人を楽しませるストーリーが、平坦ではつまらない。娯楽となり得る、胸沸き立たせる空想には逆境も障害も必要不可欠。
無論、何の突起もないストーリーがあってもいいだろう。だがそれは、数ある英雄譚の中に位置するからこそ娯楽となり得るのだ。
少数だからこそ珍しく、そして目を惹くのであって——全てが平坦では意味がない。
だから神は考えた。
人類の脅威足り得る災いを降らそう、と。
そうして生まれたのが、人々から『魔王』と恐れられる、六柱の災厄だ。
(……これが本当かどうかは、俺にはわからないけどな)
旅の途中で出会った学者の話を思い出し、頰を引き攣らせる。
もしこの話が本当ならば、彼女は乗り越えるべく作られた存在ということ。
——それ即ち。
人類の手で、終わらせられる災いに他ならない。
「終わりにしよう、跼蹐の魔王」
「ええ、そうね。早いとこ終わらせましょう、昊の勇者」
——昊の勇者。
ああ、そうだ。確か、こう呼ばれていたんだっけ。
「あなた、震えているの?」チラリと、勇者の手へ視線を寄越す魔王。
「武者震いだよ、バカ野郎」
指摘を受け、彼は己の手を隠すように剣を抜き放った。
静寂が場を支配すること数秒。
どこから聞こえてくるのか。雄大なメロディが耳を掠め、胸躍らせる。
「「——————」」
しばしの睨み合い。
そして言葉を介さず————
二人はほぼ同時に、前へと出た。
「…………ッ!」
速いのは勇者の方。
剣を抜き放つと同時に加速し、少女との距離を一瞬で詰める。
遅れて、少女——魔王も構えた。
宙に対して拳を掴むと、空間は捩じ切れるかのように歪む。続けて腕を振るい、掴んだ宙を剥いだ。
握られるは、空間の歪みから生まれし漆黒の刃。物理法則を悉く無視した、正に超常的な神秘である。
自身の背を悠に超えるそれを、枝のような細い腕で容易く振るい——
「ぐ、……ゥ」
咄嗟に加速を中断する勇者。
地面を踏み抜くことでブレーキを掛け、勢いを殺した。
遅れて、彼が駆け抜けていたであろう場所に雷撃が走り抜ける。
(剣先からの雷。モーションは横振りってとこか)
冷静に分析し、攻撃へと打って出た。
地面を蹴り上げ、跳躍。そのまま少女の綿のような体躯へと剣を振るう。
対する魔王は、大剣で迎え討った。
二メートル近いそれは攻撃の刃であり、同時に盾にもなり得る。少女特有の小柄な体を守るくらいなら事足りよう。
互いの刃が衝突し、火花を産んだ。
数える間もない僅かな時を経て、
世界が思い出したかの如く、周囲へと衝撃を走らせる。
一度の衝突でこの余波。
世界を担う勇者と、世界を滅ぼす魔王。この二人の激突を象徴しているかのよう。
(ま、防がれるよな)
項垂れることはなく、この結果をわかっていたと言わんばかりに体勢を立て直した。
宙を踏み込み、背後へと大きく下がる。
その直後。魔王の大剣による大振りが目の前を裂いた。
刀身の長さではどう考えても釣り合いの取れていない斬撃は直線上に伸び続け、奥の壁をも抉り取る。
(伸びる斬撃……。出来るなら喰らいたくはないな)
背後の壁を一瞥。
それを食らった場合のダメージを想定し、口角を引き攣らせた。
受けれたとしても三回といったところか。
(いや、三回も持たない。鎧の利点も——まぁ、無意味だろ)
元来、鎧とは攻撃を受けることを前提として作られている。
全身が盾のようなものだ。攻撃を喰らわないことを想定している盾などあるものか。
攻撃を放った直後——それが、対人戦に於いての最大の隙。
故に、受けて返す。
元は体を保護するために生み出されたそれは、時代を重ねることで一つの戦法——『甲冑兵法』へと至った。
無論、鎧とて全てを覆えるわけではない。人体という構造上、動くためには装甲を削らなければならない箇所が多数存在する。
小さな隙間。しかし刃一つ通すには十分過ぎる余裕。この決定的なまでの欠陥をどう説明するか?
——人類の叡智を侮る勿れ。
隙間を埋めて機動力を削ぐくらいならば、動き回ることを念頭に設計した方がずっと現実的だ。
隙間の問題は? それも何ら心配はない。
弱点を把握していれば、どこに攻撃が飛んでくるのかを予想するのは容易いだろう。
こちらもサンドバッグではない。攻撃されるならば、動けばいいだけのこと。
受ける箇所を絞らせ、最小の動きで防御する。
鎧の間を縫うような精度の求められる攻撃ならば、体を少し下げれば済むだけの話。
「……それが通用すれば、ここまで苦労しないんだけどなぁ」
思わず愚痴を漏らす勇者。
ここまで長く語ったが、それはあくまで『対人戦』でのこと。
鎧という武装自体が、人を相手にすることを前提とされているのだ。
それが大砲——ましてや、それを超す『化け物』となれば話は大きく変わった。
鎧すらも両断する斬撃が相手では、受けるもクソもない。
「ゔ…………っ、あぁッ⁉︎」
全てを避け続けることは叶わず、勇者は初めて攻撃を許す。
予想してはいたが、それは鎧の分厚い装甲をものともせずに右肩を引き裂いた。
「わかってはいたけどさぁ!」
思わず暴言が飛び出す。
剣の大振り程度ならば弾き返せる強度を持つそれを、一撃で——それも直撃ならいざ知らず、余波による衝撃波だけで貫通されたらお手上げだ。
それと相対する彼の心情も察してほしい。
(傷は深くない。鎧のおかげか?)
いっそのこと鎧を全部脱ぎ去ってやろうかと考えたが、攻撃を和らげることには一役買っていたらしい。
想定よりも出血が少ないことを確認し、自暴自棄な思考を留めた。
「さぁ、てと……」
通常攻撃でさえ即死になり得る威力。
近づくことすら困難にも思えるが、一応——隙はある。
人型故の欠点。更には、目の前のそれは幼い少女の姿を取っていた。
自身を越える漆黒の大剣。それを振るう度、僅かだが無防備を晒すこととなる。
時間にして零コンマ五秒といったところか。
一秒にも満たない刹那。
だが、それでも——
「十分過ぎる」
ニタリ、と頬を歪ませる勇者。
直後。彼は魔王の眼前から姿を消した。
「なに…………?」
思考の揺らぎ。
ほんの一瞬、魔王の意識が置いてかれる。
「後ろ——————!」気配で追い、振り返るが、
「おせぇよ」
その時には、剣を振り終えた後だ。
——昊の勇者。
この異名は、彼と親しい人間が名付けたものではない。
敵対する者達——魔王の関係者が畏怖を込めて呼んだのが起源であった。
正に、大空を駆ける風が如し。
そして晴天に煌めく、我らを照らす光。その威光を思わせる、巨悪を討たんとする一撃。
「嗤え——————」
頬をこれでもかと釣り上げた青年から、乱暴な言葉が吐き捨てられる。
合わせて振るわれた、光を纏う一閃。
金属が弾け合う甲高い啼き声と共に、少女の白い肌から赤色が舞った。
後を追うように周囲を照らすは、青白い神秘的な光だ。
「化け物でも血は赤いんだな!」
「こいつ……ッ!」
右肩。
勇者が初めて攻撃を貰った箇所と全く同じである。
負けず嫌いなのか、なんなのか。
だがここまで自我が強くなければ、剣を振い続けられはしない。
世界を任された英雄とはかけ離れた性格が、彼をここまで導いたのだろう。
童話に登場する王子と違うだって? なんとでも言うがいい。
「魔王を殺せりゃあ、誰だろうと英雄だ!」
豪快な笑みを滾らせ、二撃目を紡いだ。
同じく、自身の名の由来となった『昊』に準える一撃。
「——————っ、う!」
声にならない細い悲鳴。
続けて斬撃が放たれ、白いドレスを鮮血が染め上げる。
こんな大技、本来ならば続けて放てようもない。
が、今回ばかりは違った。
魔王の動きを観察しながらも、彼はこの大技の準備を進め続けたのだ。
結果放たれたのが、二度に及ぶ太陽を映しどった斬撃である。
(これで四分の一ってとこか)
相手の残り体力を計算。
完全に想像でしかないが、これまでの経験から導き出されたそれは当たらずとも遠からずといったところか。
「さて、次はどう来る……」
一度距離を取り——集中。欲をかいて深追いすれば、こちらも手痛い一撃を貰うだけ。
大技二回で怯ませられたが、こちらは一度でも致命傷になってしまう。
余裕を持って退避を選択した彼が、目に映すのは————
「………………」
音が失われたのではと錯覚した。
世界の全てが、自分の思考だけを置いて止まってしまったかのよう。
(これは、……やばい)
魔王の持つ刃が弾けたかと思うと、それは空間の全てを飲み込まんとする雷撃となり、辺り一体を削いで回る。
人体という点に引っ張られすぎたらしい。
まさか、こんな手を残しているとは——
(いや、何言ってんだよ。……こいつは最初に、なんもないとこから刃を引っぺがしたじゃねぇか)
人ならざる力を持っていることは初めから示されていた。それをうっかり忘れていた自分の失態だろう。
「く、…………ッそ!」
避けられない。
悟るが————次に目を開けた時、自分だけを避けるようにして雷撃は空間を薙ぐ。
…………?
何が、……起きた?
(攻撃を外した————いや、違う)
強く否定。
攻撃を貰って動揺しているとはいえ、魔王がそんなヘマをするとは思えない。
ならば、何がそうさせたというのか。
落ち着いて状況を分析。
俺、が…………
「避けたのか?」
意識を現実へと引き戻した刹那。
飛び上がった魔王が、掴んだ雷撃の一部をこちらに撃ち落とした。
対応が遅れたことに気づきながらも——しかし、体が自然と回避を選択する。
それだけに留まらず、潜り込んで一撃を浴びせたではないか。
「…………!」
自分の行動に思考が追いつき、驚きが顔に出た。
これまでの研鑽。その集大成。
体に刻まれし『経験』とでもいうのだろうか。
いくつもの修羅場を乗り越えてきた体が、思考よりも早くに最善手を打つに至る。
所謂、『無我の境地』と呼ばれる領域だ。
この極限の集中自体は多くはなくとも——ゼロに等しい話でもない。これまでの戦いで、彼は近しいものを体験していた。
初めて訪れるはずのここで、迷わずに最奥まで来られたのも似たようなもの。
だが、ここまでの精度は——
「はじめてだ」
体が震える。
それは戦闘前の緊張からくるものではなく——自身の行いに対する、高揚によるものであった。
「やってやる……!」
光にも似た加速。
一瞬で魔王の死角に回り込んだかと思うと、一振りで五つもの斬撃を走らせる。
刹那による五連撃。極限状態から成った、至高の剣技だ。
勝てる。そう、確信した。
そして二十分にも及ぶ死闘の果てに——
◆ ◆
(あぁ、クソ。……しくった)
目の端に映るは、傷を負えど——しかし両の足でしっかりと立つ少女の姿。
その傍には、血を広げて倒れ込む自分自身。
(最後の、『跼天蹐地』とかいう技……。あれは、無理だろ)
無から一夜にしてこの迷宮を創り上げたのだ。地形の変化くらい、想像しておくべきだったろう。
尤も、あれが来るとわかっていたところで、地盤を歪める範囲攻撃を凌げたかどうかは別なのだが。
(こいつ、……いくらなんでも、強過ぎる)
これまで倒してきた四体の魔王。
確かに強敵ではあったが——しかしここまでだったか、と思考を巡らせる。
苦戦は強いられたが、全て一度の戦闘で倒し切っているのだ。
それ故の慢心か。違和感を感じた時点で引くべきだったと後悔。
(ま、もう遅いけどな)
死を悟る。
回復の効果を齎す食料も疾うに底をついた。
仮に残っていても、それを取り出す余裕があるかどうか……。
(俺にしちゃあ……頑張った方じゃないか?)
寧ろここまでよくやったと讃えてやりたいくらい。
魔王との戦いは————他の誰かが引き継ぐだろう。
一緒に旅をした仲間の誰かか、未だ知らない英雄か。
(なんだか、酷く疲れたな。……眠い)
先ほどから魔王が何かを言っているようだが、半分以上も聞こえていない。
少しの申し訳なさを抱えながらも——彼は疲労に身を預け、深く瞳を閉じた。
眠りにつく直前。
ふと、疑問が走る。
時折見かけたあの水晶——旅の記録を保存するための奇跡。
あれは跼蹐の魔王が待ち構える迷宮の中にも設置されていた。
他の場所ならいざ知らず、ここでも——だ。
魔王が設置したとは思えない。こちらが有利になるものをわざわざ置くような奴ではないはず。
一瞬、こちらの成長度合いを把握するための装置なのかと過ったが、それにしては魔王が苦戦しすぎだ。
では、なんなのか?
魔王が置いたわけではないとしたら、それこそ、神にしか————
◆ ◆
「…………ん?」
目を覚ます少年——否、『青年』と呼んだ方が適切だろう頃合いの男。
どうしてか、記憶が曖昧だ。
彼の特徴は、この際省かせてもらおう。
「ここは、……どこだ」
気を失っていたのだろう。
まだ思考がぼんやりと霞み、記憶もはっきりとしない。
「…………」
徐に周囲を確認。
真っ先に映るは、眼前に聳える巨大な門だ。次いで目を惹く、宙に浮いた謎の水晶。
「あぁ、そうだ。思い出した」
正に天啓が如く、彼の脳を閃きが貫いた。
「俺は勇者だ。魔王を倒しにきて……」目の前の門を睨む。「この奥に、あいつがいる」
武器はある。
体力は十分。
戦いを補佐する道具も申し分ない。
「よし」
気合を入れ、彼はその門を押し開けた。
そして奥で佇む少女——魔王と思しき彼女と目が合うも、なぜだか白いドレスを纏ったそれは目を泳がせている。
「なん、……なのですか」
幽霊でも見たかのような反応で、動揺を叫んだ。
「なんなんだッ、お前はぁあ!」
記録を保存する水晶。
世界を逆行させる——運命への反逆とも思える力。
その奇跡を行使した後でも、時折。記憶を保持する者が現れるという。
そして最悪なことに、彼女が……
「何回目だと思ってるの⁉︎ いつまで繰り返せば、私は解放されるのですかッ!」
体は小刻みに震え、言うことを効かない足を引き摺りながらも距離を取る。
「なんだ? 震えてんのか?」煽るような勇者の言葉に、
「…………武者震いよ」魔王は何もない宙から漆黒の刃を引き抜いた。
相手が何を訴えているのかは理解できないが——世界に災いを降らす魔王の言葉だ。理解しようとしてできるものではないだろう。
意思の疎通が取れるのなら、この戦いは疾うに終わっているというもの。
「終わりにしよう、跼蹐の魔王」
どこから聞こえてくるのか。
雄大なメロディが耳を掠め、胸躍らせる。
執筆の狙い
打ち倒されるべくして生まれた巨悪に挑まんとする主役——主人公とも呼べる、『英雄』の理不尽をテーマに書きました。
私自身、ゲームはあまり嗜まない方なのですが、小中学生の頃は星のカービィを熱心にやったものです。最後に触ったゲームはモンハンだったかな? 大学生ぐらいの頃だったと記憶しています。
そんな、有名どころしか触っていない私でも楽しめる理由の一つが『セーブ機能』でしょう。
トライアンドエラー。経験と学習。
ゲームに限らず、何かを成す上では必要不可欠な過程です。
勿論、馬鹿をクリアさせるための親切設計ではないはず。一度の失敗で全てリセット——なんてのは、娯楽にしてはあんまりすぎる。
備わるべくして備わった機能であり、それに何度も助けられましたが——仮に登場する敵役が自我を持っていた場合、それはどれほどの苦痛なのでしょうか。
まぁ、しかし。
ゲームに出てくる敵役に自我なんて存在しませんから、要らぬ心配ではあるんですけどね。