母親
雪の降るイブの日のことである。母はパートが終わると、そのスーパーから売れ残りの菓子パンをもらい、兄と私を迎えに来てくれた。
母が着いたときは、まだ保母が絵本を読んでいた。
多くの母親が後ろから我が子を見守っていたが、母は部屋に入らず、曇ったガラスの向こうから幼い兄弟を見守っていた。
どの母親も小綺麗な身なりをしていたが、母は洒落た服など持っていなかった。母は我が子に恥ずかしい思いをさせたくなかったから、中に入らなかったのだ。
保母が「最後にみんなで歌いましょう」と言うと、兄と私は賛美歌を歌い、園長が「みんなさん、さようなら」と言うと、私たちは一目散に母の元へ駆けていった。
「あっ! クリームパンだ!」
「やったー!」
クリスマスケーキの代わりが売れ残りの菓子パンなのに、兄も私も大喜びだ。恥ずかしいなんて思わない。私たちは、それで十分幸せだった。
母は毎週日曜、近所の集会所で開かれるミサに兄と私を連れて行った。
神父の話はもう記憶にないが、鮮明に覚えていることがある。
まだ四歳の私が、神を冒涜するようなことを言い放ったのだ。神様なんて嫌いだとか、神様なんていないだとか。
冒涜の理由は判然としない。ただ、よく記憶をたどってみると、いつも貧乏臭い身なりをしていた母は、主婦連中から変わり者とみなされ、仲間外れにされていたような気がする。
私は神にではなく、信者たちに文句があったのかもしれない。大人に文句を言う勇気がないから、神に八つ当たりしたのだと思う。
神父に叱られて外に出された私は、ミサが終わるまで草むらで遊んでいた。黄色い花が咲き乱れ、蝶や蜜蜂が飛びかう草むらは、まるで天国だった。
神が本当に神であるなら、無垢な者を処罰などしない。それをするのは、いつも人間なのだ。
ミサのことで、もう一つよく覚えていることがある。
いつもミサにくる親子の中に、私たち家族とは真逆の意味で、周囲から浮いている母と娘がいた。
貴婦人と令嬢とでも言うのだろうか、団地の住人でないことは明らかだった。
我が家はひどく貧乏だったから、私は子供ながらに格差を感じた。周囲になじめない私は、クラスでは無に等しい存在だった。
そんな私でも一つだけ自慢があった。母が握ってくれるおにぎりだ。大きさは通常の五倍ほど。ソフトボールのような米の塊が、容赦なく黒海苔で包まれている。
同級生が御惣菜との交換を条件に母のおにぎりを求めても、私は全て却下した。そのとき私は無ではなく、誇り高き存在だった。
そんな私にも一人だけ友達がいた。
それは母親と一緒にミサに来ていた令嬢のような娘。貧乏人の私が友達になるなんて夢にも思わなかった。
彼女の名は佳菜子。
通学路が同じで、集団で登校しているうちに仲良くなった。二人とも仲間外れにされていたから、他にしゃべる相手もいなかったのだ。
団地のベランダから佳菜子の家が見えた。丘の上に建つ白い豪邸が彼女の家だったのだ。
彼女はいかにも御嬢様という出で立ちで、持ち物も高価なものばかりだった。
彼女に比べれば、同級生はみな貧乏人だった。中流家庭の子供たちは、彼女に劣等感を抱いていたと思う。なのに貧乏人の私が、なぜか彼女に親近感を覚えた。おそらく、彼女が周囲から浮いた存在だったからだ。
四年の三学期、下校時のことである。竹やぶを抜ける道を歩いていると佳菜子に誘われた。
「ねえ、かず君。あたしの家であそぼ」
「でも……」
それまでにも誘われたことがあった。でも私は豪邸に怖じ気づいていたのだ。
「お母さん、かず君に来て欲しいって、いつも言ってるんだから」
その家の塀の中は本当に別世界だった。
色とりどりの花が咲き乱れ、数本の落葉樹が紅葉を迎えていた。池には睡蓮の花が浮いていて、そのほとりに小さなベンチが据えられていた。
家はモダンな白壁の建物で、彼女が呼び鈴を鳴らすと、厚い木のドアが開き、着物姿の女性が私を出迎えてくれた。
佳菜子の母が「いらっしゃい」と言ったとき、私は子供ながらに「上品」というものを理解した。
私は佳菜子と庭で鬼ごっこをした。彼女を捕まえることは簡単だったが、わざと捕まえずに追い回した。喜ぶ彼女を見ていたかったからだ。
しばらくすると彼女の母が麦茶を出してくれて、それを飲み干すと次は隠れん坊をした。
佳菜子は茂みの奥の岩影に隠れた私を見つけることができず、困った表情を浮かべていた。
「お母さん。かず君が消えちゃったの」
「頑張って探しなさい。あきらめたらだめ」
佳菜子の母は帰り際に、まるで懇願するように私に言った。
「かず君。また遊びに来てね」
どちらかと言えば、佳菜子を我が家に呼ぶことの方が多かった。
彼女の母は疲れて寝込むことがよくあり、そんなときには娘の世話ができなかったのだ。
私の母はパートで帰りが遅かったし、兄は佳菜子が来ると、どこかに出掛けた。だから、いつも彼女と二人きりになれた。
我が家には四畳半と六畳の部屋があり、彼女はその狭い異世界を冒険した。
ある日、私が台所の隅で「もういーかい」と何度声を上げても、「もういーよ」が聞こえなかった。
「佳菜ちゃん。どうしたの?」
すると押し入れの中から声がした。
「かず君。なんか音がするの」
ふすまを開けると、彼女が押し入れの奥に隠れていた。
「ここから音がするの」
「それ、ネズミの穴なんだ」
「あたし、ネズミを見たことないの」
私は穴の周りの荷物をどかすと、ネズミ捕りの針金にチクワを引っ掛けて、穴のそばに置いた。
押し入れの前に布団を敷いて二人でもぐり、穴の様子をうかがった。でも中々ネズミは現れず、しびれを切らした佳菜子が耳元でささやいた。
「本当にいるの?」
「いるってば! 大きい奴が」
「しっ! 大きな声を出さないで」
ネズミは二人の気配を感じ取っていたのだろう。
「佳菜ちゃん。チーズに変えてみよっか?」
「かず君。あれ見て」
振り向くと、小さなネズミが穴から顔を出していた。
小ネズミはカゴに近づいて中に入ると、引っ掛けてあるチクワに飛びついた。すると入り口の金網が勢いよく閉まった。
小ネズミはカゴの中を必死に駆け回っていたが、もはや逃れるすべはなかった。
「やった! 捕まえた!」
「かず君。あれ見て」
別のネズミが穴から顔を出していた。そのネズミは私たちに構うことなくカゴに近づき、金網に鼻先を突っ込んでチューチューと鳴き始めた。
「きっと、お母さんよ」
彼女の目に涙がにじんでいた。
カゴの入り口を開けると、小ネズミは母ネズミと一緒に帰っていった。
「佳菜ちゃん。おにぎり食べよ」
「うん!」
佳菜子を家に呼ぶと言っておけば、母は彼女の分も作っておいてくれた。
銀紙に包まれた三つの巨大なおにぎりに、名前が書かれた紙片が貼ってあるのだ。
孝志。和男。佳菜ちゃん。
母はパートをしていたから、佳菜子とまともに顔を合わせることはなかった。せいぜい、すれ違いざまに挨拶をする程度だ。だが、鮮明に覚えている光景がある。
ある春の日の午後、私と佳菜子は、母のおにぎりを食べ終わると、陽だまりの中に寝転んだ。暖かく柔らかい畳が心地よくて、私たちはついに眠ってしまった。
しばらくすると、ことんことんという包丁の音に気づいた。母が野菜を切っていたのだ。
佳菜子は目を覚ますと、寝ぼけ眼で「こんにちは」と母に挨拶をした。
「里芋の煮っ転がしを作っているんだけど、食べれる?」
「はい」
まともに顔を合わせたのはそれだけなのに、母はなぜか彼女の家の事情に気づいていた。
ある日、母が私に言った。
「佳菜ちゃんは、お父さんいるの?」
言われてみれば、佳菜子の家に父親の影を感じない。日曜に遊びに行ったときも、その姿を見たことがなかった。
佳菜子は上の世界に属する人間だが、母は彼女のことを、いつも気にかけていた。母は佳菜子を守るべき存在と感じていたようだ。
佳菜子の母は物静かで、言い争う姿なんて、想像すらできなかった。
ところが小五の夏休みに、私は意外な光景を目撃した。
その日は客人が来るということで、私は冷房の効いた二階の部屋で佳菜子のピアノにつき合っていた。
彼女は学校で習うくらいの曲は軽々と弾きこなした。
「あたし、ピアニストになるの」
そう言うと佳菜子は、『別れの曲』と言われるショパンの名曲に挑んだ。
でも、さすがに十歳の子供には難しく、彼女は失敗を繰り返した。
「いつもは、もっと上手に弾けるんだから」
私はトイレに行くと言って部屋を出た。すると、階下から佳菜子の母の声が聞こえたのだ。別人かと思うほど激しい口調だった。
階段の手すりの隙間からのぞくと、ソファーに座る背広姿の男に、佳菜子の母が何かを訴えていた。
「もっと高く売れませんか! もう一度交渉してみてください!」
「そう言われましても……」
「娘を守ってやれるのは私だけなんです。でも私は体が弱いから、せめて財産だけでも……」
「旦那様には色々とお世話になりました。だから恩返しと思い、懸命に交渉をしたのです。でも、これ以上は無理です。奥様、理解してください」
夏の終わりが近づいた頃、佳菜子は「遠くに引っ越すの」と私に言った。それを母に話すと、母はとても驚き、寂しげな表情を浮かべた。
引越当日の朝、母は銀紙に包んだおにぎりを、大きな紙袋に沢山入れてくれた。それを持って佳菜子の家に続く道を歩いていると、豪邸の敷地から出て行く大きなトラックが見えた。
私が着いたときにはもう全ての家財が運び出されていて、彼女たちは池のほとりのベンチに座って、庭の風景を眺めていた。
「佳菜ちゃん!」
「かず君!」
おにぎりの入った紙袋を渡すと、彼女はその常識外れをとても喜んでくれた。
「かず君。元気でね」
「うん」
ぶっきらぼうな返事しかできなかった。言葉が出なかったのだ。
「かず君。お母さんに、よろしく伝えてくださいね」
彼女たちは黒い車の後部座席に乗り込むと、私に手を振りながら去っていった。
子供の頃の思い出は美しい。それが普通なのだ。しかし、母が懐かしく過去を振り返るところを見たことがない。
母に一枚の白黒写真を見せてもらったことがある。
満開の桜を背景に、セーラー服を着た三人姉妹が写っていた。
母を挟んで微笑んでいる妹たちは間違いなく美人だ。その写真は、男をどきっとさせるような眼差しを見事にとらえていた。己の美しさを認識している女の眼差しだった。
かたや母ときたら、どこか絵本の中の子豚みたいで、その瞳には自信の無さが滲み出ていた。
微笑む妹たちの真ん中で、母は申し訳なさそうな顔をしていた。
「自分が姉でごめんなさい」とでも言うかのように。
私の記憶では、母が聖書を精読したことは一度もない。
ただ、「悲しむ人たちは幸いである。彼らは慰められるだろう」というイエスの言葉を信じていたのだ。
母は残酷な運命を子供に聞かせることがあった。
「妹たちは可愛いくて、成績はいつもクラスで一番だった。でも母さんはぶさいくで、勉強も苦手だった。いつも妹たちと比べられ、親からも見はなされていた」
写真の母の眼差しが、それが真実であることを物語っていた。
天は二物を与えずとは馬鹿の言うこと。天は母に何も与えず、妹たちには何でも与えたのだ。
私に信仰心が芽生えなかったのは母のせいかもしれない。しかし理不尽な処罰を受けた母に、天罰を受けるいわれなどない。
母は人を恐れて生きるような人間となり、影のように生きる弱い男とめぐり逢った。
父が田舎にいた頃の写真を見たことがある。写真の父はまだ十七歳の若者だった。
父は髪を後ろに流し、派手なワイシャツを着ていた。当時の田舎なら、かなり目立っていたはずだ。優しくて押しが弱い父の性格からは、とても想像できない姿だった。
七人兄弟の末っ子として生まれた父は病弱で、本当に「いらない子」だったそうだ。
おそらく父は、精一杯の自己主張をせざるを得なかったのだろう。結局、父が故郷を離れるときも、両親は一切関心を示さなかったそうだ。
世間はおろか、家族からも見捨てられた男女が、自動車部品の工場でめぐり逢い、式も挙げずに籍を入れた。
そんな両親の下に生まれた兄弟が、阿呆になることは必然だった。
自慢をするつもりはないが、兄も私も勉強ができたし、兄にあっては有名な国立大学まで出た。
そして二人とも就職し、しばらくは普通の社会人として生きることができた。
でも結局はだめだった。なぜなら、兄も私も底辺の人間だったからだ。
高く飛んでも磁力に引っ張られるようにして堕ちる。それに、正直底辺の方が居心地がいいのだ。
私は居心地の悪さに耐えながらもがき続けたが、兄は社会から身を引いてしまった。
おそらく兄は、既に中学生のころから人に嫌気が差していた。だから部活にも入らず、勉強ばかりしていたのだ。
結局兄は大学生になっても人づきあいをせず、卒業後しばらく予備校の講師をしたが、やがて疲れて辞めてしまった。
父は弱い体で無理をしたせいか、六十半ばで他界した。
父は影のように存在が薄く、死んだ翌日に忘れ去られるような人だった。
しかし母は、そんな父なしでは生きられない人だったのだ。
伴侶を亡くした母は心身ともに衰弱し、やがて筋肉が硬直する難病を患い、寝たきりになってしまった。
そのころ兄は仕事を辞めて引きこもっていたが、それは私には好都合だった。兄が介護を全て引き受けたからだ。
私の目標は家族みたいな人間にならないこと。「人間失格」にならないこと。つまり、「人間合格」になることだった。
そのために家族とは距離を置こうと考えていた。私は兄に介護をすべて任せ、都会で一人暮らしを始めた。
人の良い兄は、「介護は俺がするから、お前は仕事に専念しろ」と言ってくれた。
私は上司から信頼され、部下からは慕われていたと思う。
飲み会ではわざと酔っ払ってドジもした。つまり「良い人」を演じていたのだ。しかし、心のどこかで、そんな自分を恥じていた。
母の物忘れはひどくなる一方だったが、突然古い記憶がよみがえり、おかしなことを話し始めることがあった。
私がたまに帰ると、母は私に佳菜子のことを聞いた。
「和男。佳菜ちゃんは、いつ来るの? あの子のおにぎりも、作っておくから」
「母ちゃん。佳菜ちゃんは随分前に引っ越したんだよ」
「引っ越した?」
「丘の上の家には、もう別の人が住んでいるんだ」
「そう……」
母はうつむき、ため息をついた。
母は一人で用を足すことができなかったし、床擦れを起こさないよう一時間おきに体の向きを変えなければならなかった。
だから兄は、夜中も度々起きなければならなかったのだ。
疲れ切っている兄のことが心配になり、私は母に介護施設を勧めた。だが母は子供のように泣いた。
老いても母は他人を恐れていたし、母の喜びは、家族と暮らすことだけだったのだ。
兄は涙をこぼす母に言った。
「母ちゃん。無理に入らなくてもいいんだよ。俺が母ちゃんの面倒を見るから」
しかし病状はひどくなる一方で、一日中痛みに苦しむ母は、介護の不手際をなじることもあった。それでも兄は嫌な顔ひとつせず、母の面倒を見ていたのだ。
やがて母は、「早く逝きたい」と兄にこぼすようになった。
私は兄が「最後の親孝行」に悩み苦しんでいることに気づいていた。もし兄が罪を犯したら、その罪をかぶるつもりだった。
しかし…… 、罪をかぶる? 兄の罪? 兄は罪人? お前が殺せ!
ああ神の子よ。あなたは罪を償うのではなく、犯すべきだったのです。
私は悪夢にうなされるようになった。そして、その夢は、いつも同じような展開を見せた……
疲れ切った兄が、介護ベッドの横で敷物もせずに眠っている。
私は兄を起こさないように、そっと母に近づき、そのほおに触れる。
ほんのりと温かい……
すると母が目を覚ます。
「母ちゃん。俺が楽にしてあげるから」
「和男。ごめんね」
母が涙をこぼすと、私はその首に両手を添えて力を込める。
やがて母は苦しみから解放されて、穏やかな表情を取り戻す。
裁判では「人間合格」たちが殺人の動機を求める。
「私たち家族は、みんな阿呆なのです」
すると易々と死刑が宣告される。
刑場に移送されると、黒い服を着た神父が待っていて、私を慰めてくれる。
「悲しむ人たちは幸いである。彼らは慰められるだろう」
「ならば、兄を慰めて下さい」
刑務官は親切な人ばかりで、家族に伝えたいことを書きなさいと言って、机上に便箋とペンを置いてくれる。
「兄に直接伝えたいのです。いつも家族を愛していたと」
するとその刑務官は、「これを使いなさい」と言って携帯を差し出す。
しかし、なぜか電話番号を思い出せない。何年も使った番号なのに、どうしても思い出せない。
「ああ神様! どうしても伝えたいのです! いつも家族を愛していたと」
もはや無神論者を気取っている場合ではない。しかし都合の良い神頼みが叶うはずもなく、頭を布で覆われて首に絞縄が掛けられる。
「兄ちゃん。俺を許して」
床板が落ちると悪夢から覚めるのだ。
しかし、その夜は目を覚ますと枕元で携帯が鳴っていた。それは兄からだった。
「和男。さっき、母ちゃんが死んだ」
急いで実家に戻ると、数人の鑑識と年配の刑事が検視をしている最中だった。
兄は人目もはばからず、床に崩れ落ちて泣いていた。人前で感情をあらわにする兄を初めて見た。
「兄ちゃん。大丈夫?」
「俺が眠っている間に死んだんだ。可哀想に。母ちゃんは、きっと俺を呼んでいたんだ」
兄は何年ものあいだ仮眠しか取っていなかった。ほんの数時間熟睡するくらい当たり前だ。
私がそう言っても、兄は自分の失態を責め続けた。
私は兄が過失致死の罪に問われないか心配になり、それを年配の刑事に聞いた。
すると彼は私の目を見つめて言った。
「お兄さんに罪はありません」
彼はうずくまる兄の横に腰を下ろすと、その背中をなでながら、「お兄さん。お母さんを介護してくれてありがとう」と言った。
嗚咽をもらす兄に代わって私が礼を言うと、彼は「私も妻を介護していました。だから、お兄さんの気持ちがよく分かるのです」と言った。
私はその刑事のことを生涯忘れないだろう。
葬式は町の葬儀屋の一室で兄と私だけでやった。
兄は何も言わず、棺に眠る母の顔をずっと見ていた。しかし、しばらくすると、ぽつりと言った。
「和男。母ちゃん、本当に死んだのかな?」
どう答えていいか分からなかった。
すると、「お車の準備ができました。心の整理がついたら声を掛けてください」と扉の向こうから声が響いた。
霊柩車の運転手は、ハンドルを握りながら「いい天気で良かったですね」と言った。
彼の言うとおりだ。もし雨だったら、兄は悲しみに耐えられなかっただろう。そして私は、生きることは悲しみに耐えることと断定したに違いない。
火葬場は広い霊園の中にあった。
母の遺体を荼毘にふし、薄紅色の骨壷に、ことんことんと骨を落とした。
火葬を終えると、紅葉につつまれた霊園を散策した。兄が遺骨を胸に抱いていたから、母も一緒に歩いているような気がした。
「兄ちゃん。母ちゃんのおにぎりを覚えてる?」
「うん。遠足のときは、いつも握ってくれたよな」
紅葉を眺めながら遊歩道を歩いていると、茂みの奥から「ニャァ」と鳴き声が聞こえた。
兄と一緒に茂みの奥をのぞき込むと、座布団ほどの隙間がぽっかりと空いていて、猫の親子が日向ぼっこをしていた。
二匹の子猫が、母猫の腹に顔をうずめて鳴いていたのだ。
終わり
聖夜雪
玻璃窓の影身を隠し
母は幼き我を見守る
せいやゆき
はりまどのかげみをかくし
はははおさなきわれをみまもる
慕尼黑歌集より
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