その処方箋、ちょっと待った!!
喫茶店でほっと一息。
スイーツを嗜む。
店内を見渡すと、斜め向かいの席に一人で座っている男が、紙袋から何かを取り出していた。
薬だ。
きっと、病院帰りなのだろう。
何の薬を飲んでいるのかな?
薬を飲んでいる人を見かけると、何を飲んでいるのか、どうしても気になってしまう。
メジコンにムコダインか。
この人は咳と痰が出るんだな。
私が気になるのは、薬の種類だけではない。
飲み方もだ。
一緒に、薬は水で飲むことが想定されて作られている。
その男は、水と一緒に薬を飲んでいた。
うん。
正しい服用だ。
しかし、男は次にアイスコーヒーを口にした。
これって……アイスコーヒーで薬を飲んでいるのと同じじゃないか。
まぁ、メジコンとムコダインなら、カフェインと同時に服用しても、あまり影響はない。
これがもし、テオフィリン系の気管支拡張薬だったら……
カフェインを一緒に飲むと作用が増強されてしまい、患者によっては頭痛や動悸が起きてしまう可能性がある。
また、市販の鎮痛剤には無水カフェインが配合されているものが多く、お茶と一緒に飲むと過剰な摂取になる場合がある。
* * *
私は薬剤師。
他人が薬を飲んでいるのをじろじろ見てしまうのは、職業病の一種かもしれない。
患者さんからよく聞かれる質問の一つに、
「お茶で薬を飲んでもいいですか?」
というものがある。
結論から言えば、お茶で飲んでいいものとだめなものがあるのだが、
「なるべく水で飲んでください」
と答えている。
しかし、この患者さんのように、水で薬を飲んでも、その後、お茶やコーヒー、ジュースなどを飲む人は多い。
胃の中で混ざるというイメージがないのだろう。
薬との飲み合わせが悪い食品というのはいくつかある。
高血圧の患者に処方されることが多いカルシウム拮抗剤は、グレープフルーツと一緒に飲むと効果が強く出すぎてしまう。
血液凝固防止薬のワーファリンを飲んでいる時は、納豆などビタミンKを多く含む食品は食べない方がよい。薬の効きが悪くなるからだ。
クラビットなどの抗生物質は、牛乳と相性が悪い。牛乳に含まれるカルシウムと薬とが結合すると、体内に吸収されにくくなってしまう。
薬を何で飲むかも大事だが、薬と一緒に何を食べたり飲んだりしているのか、そちらの方も注意するべきだ。
* * *
ある日のこと、
私は、「食間」に飲む薬を処方した。
「この薬は食間、つまり、食事と食事の間に飲んでください。空腹のときに飲んでください」
すると、その患者さんは怪訝そうな顔をしてこう言った。
「え? 食間っていうのは食事中、つまり食べながらという意味じゃないんですか?」
「いえ。違います。胃に何も入っていないときに飲んでください。食後、2時間以上は経過していた方がいいです」
食間という意味を勘違いしている患者さんがたまにいるので、薬の服用指導はやはり大切である。
ちなみに、食間に飲む薬は漢方薬に多い。
* * *
私たち薬剤師が必ずもっている物、というか、これがなくては仕事にならないという物がある。
それは……
「はさみ」と「ハンコ」。
はさみは、薬を切り分けるのに必要。
ハンコは、いろんな書類に押さないといけない。
インクがなくなっていないか、毎日必ずチェックする。
あと、薬剤師はある数字に対して敏感だ。
例えば、84。
これは、1回に2錠飲む薬を1日3回、14日間飲み続ける場合の薬の錠数だ。
2×3×14=84
また、168という数字を見れば、次の処方が想像つく。
1日3錠飲む薬を8週間処方されたのだろう。
3×7×8=168
薬剤師は仕事柄、7の倍数を見慣れているので、7が絡む計算はほぼ答えを覚えてしまっている。
* * *
患者さんは、病院でも待たされて、薬局でも待たされる。
気の毒だとは思うが仕方がない。
患者さんは、早く薬をもらって帰りたいと思っている。
しかし、私たち薬剤師は薬を出すときに、患者さんに症状を確認したり、薬の効能を話したりする。
たいていの患者さんは、必要最低限の相槌を打って、そして薬をもらって帰っていく。
しかし、やたらと私に絡んでくる苦手な患者さんもいる。
「症状はさっき先生に言った。同じことを何度も言わせるな!」
「このお薬の処方量が増えておりますので、確認のためにお聞きしております」
薬が増量されていたり、新しい薬が追加されていたりするということは、症状が悪くなってきているから、とも考えられる。
それを再度言わされるのが嫌なのだろう。気持ちはわかる。
けれど、なぜ薬が増えているのか、なぜ別の薬が追加になっているのかは、薬剤師としてしっかり把握しておく必要がある。
「あんたは黙って処方箋通りに出してくれればいいんだよ!」
カチン! とくるが、客商売なので感情的になって言い返すわけにもいかない。
ちなみに、この患者さんの名前は徳田さんというのだが、毎回薬局で毒を吐いていくので、私は心の中で「毒田さん」と呼んでいる。
口に出さないように気をつけなくては。
徳田さんの絡み癖はやっかいで、こんな風に絡まれたこともある。
「薬剤師なんて、医者に言われたとおりの薬を出すだけだろ? 誰でもできるんじゃないの? それで給料もらえるなんて楽な仕事だな」
こんな失礼なことも平気で言ってくるのだ。
楽な仕事ではないし、そもそも、薬剤師になるためには大学に6年間も通わなくてはいけない。4年制の薬学部では薬剤師になれないのだ。
そして、大学を出るだけではなく、薬剤師国家試験に合格する必要がある。
問題の量は膨大なので、2日間かけて試験が行われる。
合格率は例年70%程度。
6年制の薬学部を出ても、全員が合格できるわけではないのだ。
* * *
今日は、沢口さんという患者さんが来た。
この人もやっかいな患者さんの一人だ。
ジェネリックが嫌いなのだ。
「こんなに安い薬出して、効果ないんじゃないの?」
「いえ。後発品でも試験を行い、先発品と同様の効果があると確かめられたものだけがジェネリックとして認められています」
とは言っても、値段の高いものが素晴らしいという価値観をもっている人にとっては、安いもの イコール 粗悪品 なのだろう。
「薬のつなぎの部分に外国産のもの使っているから安いんじゃないの?」
なんて文句をつけてくる。
つなぎの部分を外国産にしたところで、薬の値段は1円も変わらない。
ジェネリックが安いのは、材料費の問題ではないのだ。
開発費があまりかかっていないことが安さの理由だ。
薬の開発にはお金がかかる。
先発品はたいてい、300億円くらいかけて開発される。
一方、同じ効能の後発品の開発費は1億円くらいだ。
よって、薬の値段は変わる。
先発品が高いのは、素材の良し悪しではなく、開発費を回収しようとしているからである。
しかし、この理屈は分からない人には分からないらしい。
ジェネリックは安物の素材を使っていると本気で思っているらしい。
プラセボ効果というものがある。
この薬は効くと思って飲めば効くが、効かないと思って飲めば効き目が弱くなる。
ジェネリックは効かない、と固く信じている人にジェネリックを処方すると、プラセボ効果で薬の効きが悪くなることも考えられる。
こういう患者さんにはジェネリックへの理解を求めるよりも、とっとと先発品を出した方が早い。
人間は、自分の信念をそう簡単には曲げることはできないものなのだ。
ジェネリックを嫌がる沢口さんへは、先発品を出すようにしているのだが……
今日も添付文章をまじまじと見つめる沢口さん。
「ちょっとなにこれ、『先発品はありません』って。この薬局に在庫がないってこと? だったら別の薬局に行こうかしら」
「いえ、そういうことではありません。昭和42年以前に承認された薬は先発品の区分がないのです。今、出回っているすべての薬が後発品になります。別の薬局に行っても同じですよ」
先発品が存在しない薬があると知って、沢口さんは驚いていた。
ジェネリックが嫌いであっても、後発品しかないのだからそれを飲むしかない。
他にも、先発品の生産は終了しているため、ジェネリックのみが出回っているというものもある。
ちなみに、ジェネリックの推進は国策である。
国民医療費のうち、薬剤費は10兆円を超えている。
健康保険組合の負担を減らすために、ジェネリックの割合を増やそうとしているのだ。
医師が処方箋を書く時、「商品名」で書いてしまうと融通が利きにくい。
よって、ジェネリックへの代替が可能な「一般名」での処方を国としては推奨している。
例えば、睡眠導入剤の処方で、医師が「商品名」の「レンドルミン」で書いてしまうと、薬局では先発品のレンドルミンを出すことになる(ジェネリックに替えることも可能だが手続きが必要)。
一方、医師が「ブロチゾラム」という「一般名」で処方箋を書けば、薬局の方では「レンドルミン」の他に「ブロチゾラム」や「グッドミン」などの後発品を出すことができる。
解熱鎮痛剤で言えば、「ロキソニン」は商品名であり、「ロキソプロフェン」は一般名である。
ジェネリックの割合を増やして処方すると、診療報酬や調剤報酬が少し上がる制度になっている。
逆に、ジェネリックの割合が50%以下の薬局では、調剤報酬を減らされてしまうこともある。
財政に悩む国や健保組合は、なんとか医療費を節約しようと必死なのだ。
そのため、医師にも薬剤師にも、なるべくジェネリックで処方するよう、医療業界ではこのようにさまざまな制度を作ってジェネリックの普及に取り組んでいる。
* * *
今日も、徳田さんがやってきた。
また、毒を吐かれるのだろうか。ちょっと憂鬱になる……
徳田さんが持ってきた処方箋はくしゃくしゃだ。
病院の目の前の薬局なのに、どうしてこうも短時間でくしゃくしゃになるのだろう。
処方箋、もっと大事に取り扱ってほしいのだが……
それはさておき、徳田さんに薬の説明をする。
「え~っと、『プロパジール』 新しいお薬ですね。甲状腺の病気が見つかったんですか?」
「は? なんだそりゃ? 俺はそんな病気じゃない」
!!
その処方箋、ちょっと待った~~~!!
「すみません。徳田さんは甲状腺の病気ではないんですね?」
「そう言っただろ! さっさと先生が書いてくれた通りに薬を出してくれ!」
「……処方箋の内容に疑問がありますので、先生の方に確認させていただきます」
「なんだよそれ。俺が先生の処方にケチつけたみたいになるだろ。先生とは長い付き合いなんだ。俺の印象悪くなるから余計なことするな!」
「いえ、そうはいきません。薬剤師法第24条に基づき、|疑義《ぎぎ》照会をさせていただきます。少々お時間がかかりますので、お座りになってお待ちください」
徳田さんはカンカンになって怒っている。
それでも私は、徳田さんの担当医に電話をかけた。
「あ~、○○薬局の△△です。□□先生に疑義照会、お願いします」
保留音が流れる。
いつもことだが、疑義照会の電話はかなり待たされる。
医師は忙しいのだ。
今、この時間にも診療を行っているに違いない。
それを分かっていながらも、私は疑義照会の電話をかけるのだ。
やっと医師につながった。
「はい、□□です。また疑義照会ですか?」
やたらと不機嫌な声だ。
そう、医師にとって疑義照会は嫌なものなのだ。
要するに、自分の処方にケチをつけられたということだからだ。
薬剤師の中には、医師に疑義照会をするのをためらう者も多い。
医師からの不機嫌丸出しの対応に、メンタルをすり減らしてしまうのだ。
しかし、疑義照会は薬剤師として大切な仕事である。
「徳田さんに『プロパジール』が処方されていますが、徳田さんは甲状腺機能亢進症の自覚がないようなんですけど……」
「え~? ちょっと待ってください……」
担当医のイライラが受話器越しに伝わってくる。
「あ~、そうですね。処方、間違えました。『プロパジール』じゃなくて『プロヘパール』でお願いします」
やっぱりそうだったか~!!
私は処方箋を訂正する。
「徳田さん、お待たせしました。お薬、変更になります。『プロパジール』ではなく、『プロヘパール』になります」
徳田さんは唖然としている。
「どういうこと?」
「『プロパジール』は、甲状腺機能亢進症のお薬なんです。徳田さんは甲状腺の病気ではないんですよね。
今回、処方されるお薬は『プロヘパール』になります。肝臓のお薬です。徳田さん、甲状腺の病気はないとおっしゃってくれてありがとうございました。間違えた薬を出すところでした」
「それって……先生が間違えたのか?」
「そうですね。『プロパジール』と『プロヘパール』は名前が似ているので、間違えたんでしょうね」
「医者でも間違えること、あるのか……」
「えぇ、医師も人間ですからね。間違えることもありますよ。だから、私たち薬剤師が処方前にチェックするんです」
徳田さんは、神妙な面持ちで帰っていった。
今まで徳田さんは、薬剤師の仕事なんて誰でもできるなんて言ってきたけど、今回の件で薬剤師の役割、少しは分かってくれたであろうか。
* * *
医師によって、処方する薬の種類には癖があるものだ。
例えばかぜ薬。
あの病院の○○先生は、やたらとPL剤を出したがる。
今日の患者さんは初診だ。
PL剤の処方箋を持ってきているので、症状はかぜであろう。
「かぜですか?」
「はい」
「緑内障ではないですよね?」
「え?」
患者さんの表情が変わる。
その処方箋、ちょっと待った~~~!!
「開放隅角緑内障ではないですか?」
「あ、確かそんな病名だった気がします」
「この病気のこと、先生には言いましたか?」
「……いえ。目の病気は、かぜとは関係ないと思って……」
「そういうのはちゃんと先生に言わないとだめですよ」
「はぁ……」
私は医師に電話をかける。
「あの、疑義照会なんですけど、先程のかぜの患者さん、開放隅角緑内障でした。……はい、では処方を変えるということですね。分かりました」
PL剤には抗コリン作用があり、眼圧を上昇させてしまう。
緑内障患者には禁忌だ。
これは医師のミスとは言い切れない。
患者さんが、いつもいつも、正確に自分の病気のことを医師に話しているわけではないからだ。
* * *
今日の患者さんは佐藤さん。
脳梗塞を防ぐために、血液を固まりにくくするワーファリンが処方されている。
定期的に血液検査を行い、PT-INRの値を調べる。
これは、血液の粘度を表している。
値が大きいほど、血液はさらさらであるということだ。
今日の処方箋を見てみると、処方量が少し減っている。
私は聞く。
「お薬の量が減っていますけど、検査の結果がよかったんですか?」
「いえ……目の出血の副作用があるんで、それで減らしてもらったんです」
「結膜下出血ですかね」
「たぶん、それだと思います。白目が赤くなっちゃうんです」
ワーファリンは血液をさらさらにするので、一度出血すると血が止まりにくくなってしまう。
結膜下出血が起きると白目の部分が血で赤く染まってしまう。
視野には影響がなく、数週間で出血した血は吸収されるので、重篤な副作用ではないが、患者さんにしてみれば、目の出血は恐怖であろう。
「減薬しても目の出血がひどいようでしたら、すぐに担当の先生に相談してくださいね」
次の月、佐藤さんの処方箋に変化はなかった。
「副作用の方は大丈夫でしたか?」
私は、佐藤さんの目を覗き込む。
白目は、ちゃんと白いままであった。
「あ……はい……」
* * *
さらに次の月。
佐藤さんへのワーファリンの処方量が増えていた。
「ワーファリン、増えていますね。検査の結果がよくなかったのですか?」
「……あ……はい……」
なんとも歯切れが悪い。
佐藤さんは言った。
「これ、出された量はちゃんと飲まないとダメなんですかね?」
何を当たり前のことを……
と思ったが、私にはピンときた。
その処方箋、ちょっと待った~~~!!
「佐藤さん、ということはこれまで、出された量をちゃんと飲んでいなかったのですね」
すると、佐藤さんは気まずそうに言った。
「……はい。副作用が怖くて減らしてもらったんですけど、やっぱり目が真っ赤になって……それで怖くなって、少なめにして飲んでいたんです……」
「自己判断で減薬したらだめですよ。血栓ができたら脳に障害が起きますし、最悪の場合は死にますよ」
私は医師に電話した。
また疑義照会かと嫌がられたが、これは医師のミスとは言い切れない。
患者さんが副作用を怖がって自己判断で減薬していたことを伝えた。
PT-INRの値は案の定、低下していた。
それで、上昇させるためにワーファリンが増量になっていたのだ。
処方の量を増やしても、患者さんが飲んでくれないのなら意味がない。
自己判断で飲んでいた量を患者さんから聞き取り、医師に伝えた。
その量ではPT-INRが下がるので危険なのだ。
その量より少し多い量で、処方箋を作り直すことになった。
「佐藤さん、副作用が出たら先生に相談してくださいね」
「はい……でも、なんだか言いづらくて……」
気持ちはわかる。
しかし、この薬は命に関わる。
量を勝手に変えるのは、文字通りの命取りとなる。
「佐藤さん、減薬していたことをお話しいただきありがとうございました。これからもお薬のことで心配なことがありましたら、いつでもご連絡くださいね」
医師には言いづらいことも、薬剤師になら言えるのかも知れない。
今回、薬剤師である私に、患者さんが副作用のことを話してくれたので問題を見つけることができた。
薬剤師は、医師の言いなりで薬を出すだけの仕事ではない。
そして、医療は医師だけで行うものでもない。
薬剤師は「最後の砦」だとよく言われる。
医師には言えなかった患者さんの声をしっかりと聞き取っていく。
そういう薬剤師であるよう、患者さんとのコミュニケーションをこれからも大切にしていきたい。
< 了 >
執筆の狙い
約7000字の「職業もの」作品となります。作家でごはんに投稿した作品は、これで7つめになりますが、この作品も過去に投稿した作品と同じように知識メインの作品となっております。工夫した点としては、主人公に決めセリフ「その処方箋、ちょっと待った!!」を言わせたところです。主役らしさを演出してみました。薬剤師は一見すると地味な仕事ですが、医療では「最後の砦」と言われています。そのあたりを表現できていればいいかな、と思っています。