作家でごはん!鍛練場
復活の呪文

透明人間ロックンロール

「夏は死の匂いがするの」

誰かが夏樹に向かって語りかける。若い女性の声だ。
海の近くだろうか、さざ波の音が聞こえる。
揺蕩う様にぼんやりとした陽光が彼らを包んでいる。

「青く染まった空、風に靡く緑。夏の景色を見ていると、吸い込まれて死んでしまいそう」
スラスラと語る彼女。その声色には、心の底から絞った様な必死さがあった。

「君も夏は嫌い?」

「嫌いだな」
普段通り、夏樹は雑に答えた。

「日本特有のじめっとした暑さが嫌なんだ。出来る事なら家に籠っていたいよ」

「ふーん。何だか意外ね。もっと、アクティブな人だと思ってた」

沈黙の中、波がメトロノームのように決まったリズムを刻む。
夏樹が隣に座る彼女へ目を向けると、彼の高校の制服を着ている事がわかった。

————————しかし、その全身は透明だった。

本来あるはずの、若さに溢れた顔、艶やかな髪、しなやかな手脚。
それらは全て存在せず、向こうの景色が透けて見え、制服だけが海風に靡いていた。

だが夏樹は、その姿を見ても、不思議と恐怖や驚きを感じなかった。

どのくらい時間が過ぎたのだろうか。
2人で漫然と海を眺めていると、夏樹は誰にも話した事のない、あの事を話そうと思った。
名前はおろか、顔すら見えない相手に。

「さっき、夏が嫌いなのは天候のせいって言ったけど、あれは嘘なんだ」

「そうなの? じゃあ、本当の理由を聞かせてよ」

「……夏に、親父が死んだんだ」

「詳しく、聞かせてもらえる?」

セーラー服が揺れる。どうやら、夏樹へ顔を向けたらしい。

「ありきたりな話だよ。事業に失敗して絶望したんだ。借金、責任、全てから逃げて死んだ」

「……そっか」

夏樹は、重い空気に耐えかね海を見ようとしたが、太陽光が反射し、目が眩んでしまった。
その光で海にいる事を再確認した夏樹は、幼い頃、父に海に行きたいと縋った事を思い出した。
晴れる事を願い、久しぶりに作ったてるてる坊主と、父の骸が重なる。

「ちょうど、今みたいな夏だったと思う。だから、夏が来るとどうしても思い出す。夏は俺にとって、死の象徴になっているんだと思う」

彼の堰き止めていた感情が溢れ出す。
ここでやめておけと理性が訴えるが、口と体が分離したかの様に喋り続けてしまう。

「あいつは、現実と過去の対比に勝手に絶望した負け犬さ。思い出なんかに縋るから、絶望するんだ。だから、思い出なんていらない。必要なのは、未来だけだ」

無言の彼女。表情がわからないが、夏樹は、彼女が真剣に聞いてくれていると思った。

「……本当に、そう思うの?」
しばしの静寂の後、彼女が切り出した。

「思い出に意味が無いって言うなら、何でまだ、他人と関わろうとしているの……?」

「それは……」

夏樹は答えを、返せなかった。

「君の生き方は、とても苦しそう。本当は、喉から手が出る程欲しい物があるのに、無理して目を瞑ってる……」
彼女の声は震えている。

「私も同じ。失うのが怖いから、最初から諦めて楽になろうとしてるの……」
夏樹は、透明な彼女の顔に、何故だか、涙が流れている気がした。

砂浜に水滴が落ち、黒く濁る。
夏樹は、自分でも気付かぬ内に涙を流していた。

「君も、俺と同じなのか……?」

「そうよ……だって私は……」


第一章:青城高校集団透明化事件

夏の気配を感じさせる澄み切った昼。強い日差しが、賑わう廊下に差し込んでいる。
人の汗や香水、食べ物の匂いが混ざった空気。
声を張り上げ、客を呼び込む男子生徒。周囲を気にせず写真を撮る女子生徒。
色とりどりの装飾を施され、活気に満ち溢れた校舎の中、大澤夏樹は笑い声で溢れる廊下をかき分け、一人部室棟へ向かっていた。
その左手には文庫本が握られている。

綺麗な黒髪に、鼻筋の通った端正な顔立ち。体格もよく、世間一般的に見れば、男前に分類されるだろう。
しかしその目は、どこか虚ろであった。
彼は、通行人とぶつかる事を躊躇わず、毅然とした態度で人の流れに逆らう。

————全てが、不愉快だ

そう言わんばかりに。

人の熱気でむせ返る廊下の中。
夏樹が周囲を見回すと、明らかに高校生の範疇を超えた装飾や商品が目に入った。

「いらっしゃいませ! 1年5組で、熱々のたこ焼き作ってまーす! 築地直送の新鮮な蛸を使っているので美味しいですよ!」

短い黒髪を、白い鉢巻きで縛った男子生徒が、教室の前で叫ぶ。

「隣のたこ焼きより、美味しい焼きそば売ってます! 都内の有名店監修です!」

その横で、紺色のTシャツを着た女子生徒が負けじと声を張り上げる。

彼らの声に釣られ、通行人達は次々に足を止めて教室へと入っていくようだ。
その客達を丁寧にもてなす生徒達。掛け声とともに、生地が焼ける匂いが漂い始める。

その横では、広い廊下の隅で簡易的な店舗が展開されていた。
冷凍食品ではなく、客の目の前でクレープを焼くようで、手際良く、生地で円を描いている。
その後ろには、高級ブランド苺がダンボール詰で置かれていた。
生クリームの甘ったるい匂いと、焼きそばの匂いが混ざり合う。
教室の前で客を呼び組む生徒達も、道を行き交う生徒達も皆、祭の匂いに包まれ、爽やかな表情をしている。

夏樹は、その表情に、
(全て自分達の力で成し遂げた)
そんな傲慢さが孕んでいる様に映った。

————全部、大人から与えられたハリボテに過ぎないのに。

ここ、青城高校は明治華族の通う私学校に起源を持ち、その名残か、今日も多くの社長子息や未来の経営者達が通っている。
そして今日は、青城高校の文化祭、通称『青学祭』の開催日だ。
都内最大規模を誇る『青学祭』だが、特筆すべきは学校外部との協力が認められている点だ。

生徒達は自身の親族や会社のツテを用いて、全身全霊で文化祭展示に打ち込む。
親族の期待に応える、という目的もあるが、
『最優秀賞クラスには、難関大学への指定校推薦が与えられる。』
そんな噂が、まことしやかに囁かれているのも、生徒達が熱を入れる要因の大部分だろう。
彼らは今日のために連日居残りで準備を進め、その本番を迎えて色めき立っていた。

しかし、夏樹には、この祭が茶番としか思えなかった。

————富裕層の生徒とその親族。やつらは、自身の権威を示す場所として文化祭を利用し、
『クラスの出し物を手伝う偉大な両親と、彼らの期待に応え、人々に称賛される子供』という感動ポルノを作り上げている。
俳優の話題性だけで作られた、出来の悪い映画みたいだ。
スポットライトが、主要人物のみに当てられる出来の悪い脚本。完成の為に駆り出される、教師や一般家庭の生徒などの脇役は、誰も気に留めない。

「1年9組で縁日やってまーす。1等には、何と最新型ゲーム機!」

「今から1年10組で演劇開演します。プロ歌劇団からご指導いただきました!」

生徒の呼び込みが、廊下に堂々と響く。

————俺は奴らとは違う。幼稚園からエスカレーター式に進学し、甘いぬるま湯に浸かった連中とは異なり、必死の思いで勉学と部活動に励み、高校編入試験に合格したんだ。

夏樹は、教室から視線を逸らし前へ進もうとしたが、急に足を止めた。
ブランドもののバックを携えた中年女性が、演劇の衣装を纏った女子生徒を熱心に撮影している。その為に、川の流れが堰き止められる様に、廊下の列が停滞してしまっているのだ。

それを見かねた女性教師が、メガホンを使ってアナウンスをしている。
「本日は、青学祭にご来場頂き、誠にありがとうございます。現在、6327人もの方にご来場頂いております。通路や展示内での混雑が予想されますので、皆様譲り合ってのご利用をよろしくお願い致します」

しかし、中年女性達は、自分が邪魔になっている事に気付いていない様で、甲高い声を上げながら写真を撮り続けている。
その様子を、夏樹は侮蔑の眼差しで眺めていた。

————きっとコイツらは、数十年後、今撮っている写真を見て語るはずだ。
「昔は綺麗だったのよ、昔は楽しかったのよ」そうして、年老いてしまった自分から、現実逃避するんだろう。甘美な思い出に浸かり、向上心を失った人間はクズだ。
俺はそんな人間にはならない。自分の将来は、自身の手で切り開く。
そのためには、手段を選ばない。

夏樹は、その恵まれた体格で滞った列を押し除け、強引に前へ進んだ。

————————

夏樹が冷めた目で廊下を進んでいると、見知った顔に声をかけられた。

「夏樹、一人でどこ行くんだよ?」

青年は、伊藤学。夏樹や友人達からは、ガクと呼ばれている。
茶色い短髪に少し焼けた肌をしており、扁桃形の目が爽やかな、好青年である。身長は夏樹より少し低い。
彼は夏樹と同じく、高校から編入した高校1年生であり、夏樹の数少ない友人だ。

「体調が悪くて少し横になりたいんだ。悪いけど、シフトに出れそうにない」
「サボりかー? まぁ、聞かなかった事にしといてやるよ」

夏樹のどんな嘘でも、ガクは一瞬で見抜く。夏樹は、その鋭さが時折、恐ろしくなる。

「恩に着るよ」
「ただし交換条件だ。あとで祐介と俺と3人で展示回るぞ」
「また、ナンパか?」
「あったりまえよ。他校の女子を口説くなら、お前がいないと始まらないからな」

ガクは、1年生ながら強豪バスケ部のレギュラーに定着し、生徒達から一目置かれている。
しかし、恋愛に対して意欲的すぎるのが玉に瑕だ。

「兎に角、3時に中庭集合な! 来なかったら承知しないぜ?」
「はいはい」
「約束だからな。んじゃ、4組の玲奈ちゃんと劇見る約束があるから行くわ!」

言いたい事だけ言うと、ガクは満面の笑みを浮かべ、1人で走り去った。

————相変わらず快活なやつだ。
その明るさが、夏樹には眩しく感じられた。

気を取り直し、人で賑わう廊下を歩いていると、夏樹は男子生徒と肩がぶつかった。
周りの生徒や来場者が存在しないかのように、横並びで歩く男子生徒達。夏樹とぶつかった事にすら気付かず、だらだらと歩いている。
ワックスで固めた髪、手を叩く音と、大きな笑い声。
夏樹は舌打ちし、左手の文庫本を握り締めて早足に部室棟へと向かった。
歩く最中、彼はふと、一つ考えが浮かんだ。

(全部、ぶっ壊れちまえばいいのに)

一人そそくさと部室棟へ向かう夏樹を、彼女はずっと見ていた。

————————
冷房で冷え切った部室。薄暗い室内には、スパイクに染み付いた汗と泥、消臭スプレーの匂いが立ち込もっている。
冷房に当てられ重くなった体に鞭を打ち、夏樹は体を起こした。重い目を擦り、畳に敷いた筋トレ用マットを所定の位置に戻す。

(今、何時だ……?)

夏樹は、古びた壁掛け時計に目を向けたが、彼が入部した頃から変わらず故障しており、使い物にならない。部長の管理不足に苛立ちを覚えながら、乱雑に掛けたブレザーを手に取ると、ポケットを探った。
小さな空白。
夏樹は、スマホをバッグの中に置いてきたことを思い出した。

(時間を確認する手段がない)

微かな不安が、彼の胸を過ぎる。夏樹はレブザーを羽織ると、ガクと約束した本校舎の中庭へむかった。
白調の扉を開き部室棟の廊下に出ると、いつの間にか太陽は陰り、空は曇っていた。
廊下は、先ほどに比べて酷く薄暗い。
すると夏樹は、長い廊下の奥、本校舎から、蠢く様な音が響いている事に気付いた。

————なんだ、この音は?

先の本校舎で聞いた、人が日常動作で起こす雑音とは違う、攻撃的な音に不信感を覚えながら、夏樹は本校舎へと進む。
部室棟は展示区画外であるため、装飾が施されていない。加えて、生徒も来場者もおらず閑散としており、白を基調とした無機質な廊下に、ただ例の音だけが響いている。
夏樹は、足早にバスケ部の部室を通り過ぎた。

————相変わらず、この高校は無駄に広い。

夏樹が本校舎に近づくにつれ、例の音が大きくなってきている。
部室にいた時と異なり、彼は鮮明にその音を聞いた。

(金属がぶつかり合う音だ)

無機質に鳴り響くその音を聞いて、夏樹は先月見学した工場の製造ラインを連想した。

校外学習として、北区にある金属加工の工場に訪れたのだ。
2メートルほどある大きな正方形の鉄の塊が、一つずつ、時間をかけて削られていく。
カッターが触れるたびに甲高い音を発する鉄塊。
夏樹にはその音が、生き物が今際の際にあげる断末魔のように感じられた。
思えば、学校は工場に似ている。純粋無垢な少年少女達が授業部活動、人間関係といった他者との関わり合いの中で削られ、卒業する頃には一律的な姿へと加工される。

夏樹は、青城高校に合格した際のことを思い出す。親戚の集まりでのことだ。

「夏樹君、青城高校に合格したんですってねー。これで将来は、立派な青年になること間違い無しね」

喧しい金切り声で話す叔母。厚塗りの化粧の所為で首と顔面の色が乖離している。不自然に白い肌は、まるで能面を被っている様だ。今までどれだけ家族が苦しい時でも、連絡一つ寄越さなかった癖に、俺が進学校に合格するや否や、自宅に押しかけてきた厚かましい老婆だ。

一際大きな炸裂音が鳴り響いた。それと同時に夏樹は現実へと引き戻される。

————なんでこんな音が、文化祭中に鳴り響いているのだろう? どこかのクラスの催しなのか。それとも、文化祭は既に終了し後片付けに入っているのか?

夏樹は時間を確認しようと手元を探ったが、その手段はない。
もどかしさを感じ、手持ちを確認すると部室に文庫本を置いてきたことを思い出した。
彼の額を汗が伝う。

弾け飛ぶ赤い火花と、むせ返るように暑かった工場。響き渡る鉄塊の絶叫。
あの日の不快感が、彼の奥から蘇る。
滲み出る脂汗。唾液の量が増え、心なしか腹痛も感じる。
脳が、危険信号を発する感覚。

(文化祭が終了しているかもしれない)
という不安もあるが、何より夏樹には、本校舎に近づくにつれ強まる音の異質さが恐ろしかった。

だんだんと強まる金属音。それに呼応するように、心臓の鼓動が夏樹の頭に響く。

夏樹は、渡り廊下を通り、本校舎へと繋がるドアの前へ立った。
分厚い扉を挟んだ向こうで、例の金属音が響いている。
ドアノブに手をかける夏樹。気を張っているからか、やけに冷たく感じられた。

(今ならまだ引き返せる。部室に戻って様子を伺うべきだ)という考えと、
(一刻も早く音の原因を明らかにし、恐怖から解放されたい)という二つの考えが、
脳内で鬩ぎ合っている。
そんな考えを踏みにじるように、響き続ける金属音。

『開け。扉を開け』

金属音が、彼を急かす。

————校舎を工場とするならば、ここまで歩いてきた俺は、あの鉄塊だ。
ただ進み、削られるだけ。引き返すことなど、許可されていない。
それに、ガクや祐介の身に何かあったら。

夏樹の脳裏に、遠い日のてるてる坊主が浮かぶ。
深呼吸し、覚悟を決めると、一気に重い扉を開いた。

————————————————

「なんだよ……これ」

その情景は、彼が子供の頃に観た映画に似ていた。
少女が不思議な世界に迷い込み、異世界の住人達の騒動に巻き込まれる映画。
そのワンシーン。食器達が躍り狂い、屋敷を訪れた主人公をもてなす場面だ。
夏樹の眼前では、教室の机や椅子、更には制作に使われたであろうトンカチや
鋏が、狂ったように一人でに空中を動いている。

ただ一つ違う点があるとすれば、それらは訪問者へ歓迎のダンスを踊るのではなく、窓や教室、文化祭展示を破壊していた。

金属音は、学校が破壊される音だったのだ。

ガラスを引っ掻く鋏。壁を乱暴に叩くトンカチ。黒板を打ちつけ続ける机。
『学校が、憎くて仕方ない』
そう言わんばかりに発狂を続けている。

薄暗い校舎の中、夏樹は鉄扉の前で立ち竦み、学校が蹂躙される様子を傍観する事しかできずにいた。
突然、ガラスが断末魔をあげた。
すぐ横の窓ガラスを、椅子が叩き割ったのだ。ガラス片が飛沫のように飛び散る。

「うわあ!」

とっさに横に移動した為、夏樹は教室のドアにぶつかった。鈍い音が廊下に響く。
彼は、存在がばれ、破壊の対象が自分になる事を危惧した。
しかし、道具達は襲い掛かるばかりか、気づいてすらいない。まるで意に介さず、ただひたすら破壊を続けている。

(俺のことを認識していないのか……?)

夏樹は、荒れる息を整え、すでに割れた窓を叩き続けている椅子からゆっくりと距離を取った。むせ返るような暑さと、立ち昇った埃の匂いが、彼の混乱を助長する。
震える手を必死に押さえながら周囲を窺うと、一つ、分かった。

————何かが、何か透明な生き物が、椅子を振っている。

先の飛び散ったガラス片が、丁度、足のような形で空白になっている。
その空白は椅子を振うごとに変化していた。

(透明な怪物が校舎を破壊している。)

その事実に戦慄し、夏樹の体は一段と体温を下げた。
視界内で飛び回る道具全てを、透明な怪物が扱っているのであれば、その数は数10体では足りない。
夥しい量の怪物達が、この階層にいる。

廊下中から、けたたましい破裂音が上がる。
夏樹は、透明な怪物によって破壊されている学校が、悲鳴を上げているようだと感じた。
彼は唾を飲み込み、浅い呼吸を繰り返す。

(に、逃げるか? 部室棟には何もいなかったはずだ…)

パニックに陥っている頭で、捻り出した結論。

『部活で鍛えた脚を信じ、ドアを再度開けると部室へと走る』

深呼吸すると、段ボールや埃の匂いを感じた。そんなことを気にせず、決心し、行動に移そうとしたその瞬間。
何かに左腕を掴まれる感覚と共に、後頭部に痛みが走った。

「ぐあ……!」

何か、硬い物で叩かれたような鋭い痛み。視界に黒い影が忍び寄る。
一瞬、意識が暗転しかけるが、普段の練習から激しい競り合いをしていた事が幸いし、夏樹はなんとか意識を踏み止めた。

ふらつく頭の中、夏樹は必死に左腕を振り解き、距離を取る。
咄嗟の行動が功を奏したようで、必殺の二発目は外れ、教室の壁を叩いた。
痛みに顔をしかめながら前を睨み付けると、夏樹の血で濡れた、黒板消しほどの大きさの木材が空中に浮いていた。
透明の怪物が木材を使って彼に襲い掛かったのだ。

(コイツは明らかに、俺に対して敵意を持っている…)

透明の怪物は、表情はおろか、その全容すらわからない。
しかし、命を奪わんとする殺気が目の前に溢れているのは、夏樹のふらつく頭でも感じとれた。
彼は鼻の中で、血が流れるのを感じた。鉄と埃の混ざった、酸っぱい匂い。

一歩、また一歩と、ゆっくりとした足取りであとずさる夏樹。
夏樹が離れるにつれ、透明の怪物も距離を詰める。

その動きは、
『ここがお前の墓所だ。絶対に、逃しはしない。』
そんな明確な目的意識さえ感じさせる。
夏樹は、目の前の怪物を牽制する一方で、時折、背後に視線を配り、挟み撃ちに遭わないように最新の注意を払う。

幸か不幸か、周囲の怪物達は夏樹を襲いそうな気配はない。この一体だけが彼を襲っている。

(くそ、部室棟から遠ざかっているぞ……)

しかし、唯一の希望である部室棟へのドアは、着実に遠ざかっていた。
頭痛。
血の匂い。
周りの周囲の透明な怪物が校舎を壊す音。
目の前に溢れた 殺意。
夏樹は、死が近づく気配を感じた。

(なんで俺がこんな目に合わなくてはならないんだ……?)

現実味のない、現実味を感じたくない理不尽な状況に感情が、涙が溢れ出す。
涙で滲み、くぐもった夏樹の視界に、父の姿が浮かんだ。

————————
寒い日のこと。
子供の頃、父とどこかの駅に遊びに行った際に、東京オリンピックの聖火台を見せてくれた。
最近のではなく、昭和に開催された方のオリンピックだ。

「お父さん、この大きなバケツなぁに?」

母からもらった小さな赤い手袋をつけた俺と、俺の手を握る父。
父の手は、大きくて力強かった。

「東京オリンピックの聖火台だよ。 あれは、夏樹のおじいちゃんが作ったんだ。すごいよなぁ。」

当時はオリンピックが何なのか判らなかったけれど、
誇らしげに語る父を見て、俺も嬉しい気持ちになったことを覚えている。

父は、昔ながらの町工場を営む職人であった。
元々、父の出身地が鋳物で有名な地域だったこともあり、主に鋳物を扱う工場だったと思う。
大きくはないけれど、技術と伝統の詰まった工場。

そんな工場と、我が家は隣接していた。

その為、学校が早く終わった日などにはよく、自室で寝転んでいると、工場の機械音が俺の部屋にも響いた。

ごうん。ごうん。という機械の鳴き声。

都内なら不快に思われ、苦情が入るだろうが、俺はその音を、壁に耳を当ててこっそりと聴くのが好きだった。
その音を聞くと、自分の部屋がアニメで見た秘密基地になったようで、嬉しかったのだ。
思い返せば、あの頃の生活は決して、裕福ものではなかった。
家族での外食の回数は、年に数回のお祝い事くらいだったし、誕生日プレゼントを遅れて渡される事もあった。
けれども、部下に慕われる父への尊敬、自分の仕事に誇りを持って嬉しそうに働く父の後ろ姿が大好きだったし、何よりも愛されているという実感があった。
そのおかげで、貧しさなど微塵も感じなかった。

しかし、そんな夢のような生活に、現実が忍び寄る。
大企業との取引が終焉したことを皮切りに、工場の経営が立ち行かなくなったのだ。

夕食のおかずが一品減り、父が大事にしていたゴルフクラブが消え、
工場の音の代わりに、父を咎める母親の声が俺の部屋まで聞こえるようになった。

————小学校6年生の夏、俺の秘密基地は崩壊した。


1年後の夏休み、中学校に入学した俺は、ひたすらサッカーの練習に打ち込んだ。

自宅から、逃げるように。

友人と居残りで練習した日には、友人宅で夕食をご馳走になり、そのまま寝泊りさせてもらう事もあったし、理由もなく家の周りを遠回りする事もあった。


自然と、父との会話が減った。


ある日、部活が早く終わり、居残り練習も禁止された日の事。
猛暑日なので、熱中症対策の観点から、屋外での活動を禁止するらしい。
うだるような暑さの中、久々に午前中に自宅に帰ると、父が居間に座っていた。
扇風機が、ぬるい室内の空気をかき混ぜている。

「ただいま」
荷物を置きつつ一応、声を掛ける。

「ああ、おかえり。外、暑かったか?」

「うん。今日は、猛暑日らしくて、居残り練習もダメだって」

「そうか」

長い間仕事の為に断酒していた父だったが、日に日に酒の量が増え始め、
今ではもう、1日に5缶は必ず飲む様になった。
今日も、父の横には、すでに数本の空き缶が置いてある。

「母さんは?」

手を洗い、なんとなく居間の椅子に腰を下ろす。少し体重をかけると、軋んで音を上げた。

「知らん。パートじゃないか?」

「そう……」

業務連絡のように淡白な会話。
形容し難い気まずさを感じる。

テレビに目を向けると、たいて面白くもないギャグを大袈裟に笑う芸人が写っていた。
それを無表情に、呆然と眺める父。
何か話題はないものかと模索していると、父が、急に話し始めた。
今日の夜飯の献立を尋ねるような自然さで。


「昔は、良かったなぁ。」

「え」

「昔は良かった。今よりも、金があった。」

「何、言ってるの……?」

「西園寺創建との契約が決まった時なんか、人生で一番嬉しかったよ。大橋さんと祝賀会で、初めて帝都ホテルに宴会場に行ったんだ」

俺は、父が見知らぬ言語を話している様に思えた。
ちょうど、中学から始まった英会話の外国人教師の様に、流暢に不可解な言語を話している。

「ああ、戻りたいなぁ」

遠くを見据える父の横顔は、見たことのないような笑みを浮かべていた。
透明な色の笑顔。
笑っているようにも、悲しんでいるようにも見える。
いろいろな感情が混ざっているようで、その実、何も感じていないような、恐ろしく透明な笑顔。
俺は、何か恐ろしいものを見てしまった気がした。

「ごめんな、こんな事話して。……情けない父親だよな」

父は、はっと我に帰り、とんでもない過ちをした様に、懺悔を始めた。
俺は、父を責める事も、慰める事もできず、ただ、こう呟いた。

「明日、俺、海に行きたい…。母さんと3人で。久しぶりに部活も休みだし」

理由もなく、涙が溢れた。
いや本当は、わかっていた筈だ。
俺は寂しかったのだ。一人で思い出に浸る父が、どこか遠くにいってしまいそうで。
そして何より、父の人生で一番嬉しかった瞬間が俺が生まれた時ではなく、会社の契約の瞬間だった事。
それがどうしようもなく、悲しかったのだ。
だからせめて、明日は皆で海に行って、この感情も現実も全て、海に流したいと思った。そうすれば、元の父に戻ってくれる筈だ。
仕事を愛し、妻を愛し、俺を愛し、人々から慕われる俺の、自慢の父さんに。

「そうか。いいな、海。久しぶりに行きたいな」

困った様に優しく笑う父の笑顔は、昔のあの、海風の様な優しい温かさを感じさせた。

しかし、決して、『海に行こう』とは言わなかった。

————————

翌日、父は首を吊った。

蒸し暑い雨の日だった。その日、母は朝からパートがあった為、既に自宅を出ていた。
久々の部活の休みだった事もあり、昼前まで睡眠を取った俺は、一人キッチンへ、遅めの朝食を取ろうと向かった。
適当にパンを焼き、目玉焼きでも作ろうかと考えていると、違和感があった。

父がいない。

父の新たな仕事はシフト制であった為、母と入れ替わりで休みをとる事にしていた。
今日、母が出勤ということは父がいる筈だ。しかし、家中のどこを探しても見当たらない。
雨音が聞こえる。
近くに買い物に行ったか、パチンコにでも行ったか。
でも、この雨で出かけるか?

色々考えると、先日の父の笑顔を思い返した。
あの時の父は尋常ではなかった。
激情ではないが、何か強い思いを秘めた父の表情。

不安になった俺は、周囲を探すことにした。
朝食も取らぬまま、玄関へ向かうと、父の靴がない。

息を飲み、慌てて雨靴を履き、傘を持った。

玄関のドアを開けると、大きな轟音が俺を迎えた。思っているよりも雨が強い。
傘を差し、父の行き先を思案していると、隣の工場のドアが空いていることに気付いた。

(また、工場で仕事を再開したかもしれない。また、あの頃の父に会えるかもしれない。)
そんな一抹の期待を胸に、ドアを開けた。
一年ぶりに入った工場は、思ったよりも汚く、思ったよりも小さく感じられた。

スイッチの埃を払い、照明をつけ、父を見つけた。
工場の天井からロープを垂らし、顔の色が変色している。
横には椅子が倒れており、遺書らしき手紙も置いてあった。

この一連の騒動から、俺は確信した。

(思い出に浸かり、向上心を失った人間はクズだ)

と。

父は、甘美な思い出に浸るあまり、現実との対比から首を吊った。
俺は、父の様にはならない。
だから、せめて今後の人生では、俺は思い出に囚われない人間になる。
ただひたすらに、前へ。
そうして、人生という旅を謳歌し、俺を愛さなかった父を否定し、復讐すると決めた。

その為には、人とは深く関わらず、最低限の関係性で十分だ。
長い旅行ほど、荷物は軽いほうがいい。


————————

(そうだ、まだだ。)

(俺は、まだ何も成し遂げていない、誰にも見つけて貰っていない……!)

(まだ、人生を生き抜いていない……!)

彼の根底にある生存本能が、掘り起こされる。
夏樹は強く拳を握ると、この死地を超えて、未来へ進むと決心した。
覚悟を決めると、先程まで激痛を訴えていた頭が鳴りを潜め、冷静に考えが浮かび始めた。

————眼前にいるのは、透明の化物。大きな木片を使って、俺を殺そうとしている。
加えて、俺が部室棟に逃げない様に、扉を遮っている様に感じる。
俺に二撃目を交わした後に、すかさず移動し、鉄扉の前に居座る形を取ったのがその証左だ。
コイツが動物なのか、人間なのか、はたまた未知の生物なのかわからない。情報は皆無だ。

コイツの運動能力がわからない以上、無策で逃げても追いつかれる可能性が高い。
その為、背を向け、本校舎中央へ走り逃げるのは得策とは言えない。
加えて、周囲の怪物達がいつ俺を攻撃し始めるか、わかった物ではない。
俺が取るべき行動は、
(自分の最も秀でた能力である、蹴る力を用いて目の前のコイツを無力化する事だ……!)

さながら試合開始を告げるのゴング様に、響く金属音が彼の闘争心を刺激した。

夏樹は、急に背を向け、隙を晒しつつ教室へと侵入した。
透明の怪物がが、彼を追わんと教室へ入ったその瞬間、
「くたばれ……!」
ドアの横に隠れた夏樹は、腰を入れた蹴りを思い切り放った。

柔らかい肉の感覚。
夏樹は生まれて初めて、生き物を蹴った。

「……っ!」
透明の怪物は、苦しそうな息も漏らし膝から崩れ落ちた。
横になった状態で蠢いている。
怪物が手に持った木材は、床に落ちてしまっていた。

————右足に、肉を蹴った感覚がある。
初めてサッカーボールを蹴った時と同じ、新鮮な衝撃。

脳内麻薬が溢れた脳の中、夏樹は、父に初めてサッカーを教えてもらった時の事を思い出した。

「いいか、夏樹。ボールを蹴る時はな……」

「嫌いなヤツを蹴っ飛ばす気でやれ!」

夏樹は、怪物が再び起き上がることのないよう、念を入れてもう一度蹴りをお見舞いした。

「……がっ……!」

透明の怪物は、気を失った様でそのまま動かなくなった。
その様子を確認したのち、夏樹はゆっくりと壁に寄り掛かった。

緊張と興奮の連続で脳が疲弊しているのか、夏樹の頭は燃える様な熱さだった。
夏樹は意識が朦朧としてきた。
(ガクや、祐介は無事か……?)
最後の力を振り絞り、この教室に透明の怪物がいない事を確認すると、薄暗い教室の中で、彼は一人意識を失った。

————————————

夏樹が目を覚ますと、無機質な天井が目に入った。
肌着は寝汗で湿っており、気持ち悪さを感じる。

————どこから、どこまでが夢だったんだ……?

ゆっくり起き上がろうとすると、夏樹の後頭部に痛みが走った。たまらず、顔を顰める。
膨れ上がったたんこぶが告げていた。

透明な怪物達の狂乱は夢では無いと。

「目が覚めたみたいだね。随分と魘されていたけれど、悪夢でも見たのかい?」

「斎藤……先生……」

「今、ちょっと呼び捨てしたね。でも、非常事態だから許す」

そう言って周囲を窺うのは斎藤直紀。20代半ばの爽やかな男性教員だ。
バスケ部の顧問を務めており、強いリーダーシップや頼りになる男らしさから男子生徒、女子生徒問わずに慕われている。

「とにかく、安心してくれ。この教室は安全な筈だ」

たくましく鍛えられた腕を、めくり上げたシャツから覗かせている。
夏樹はその力強さを見ると、安心感を覚えた。

無機質な蛍光灯に照らされた室内は、しっかりと整理整頓が行き届いていた。
先の悲惨な本校舎とはまるで違う情景である。
先生に促され、夏樹は部室中央に置かれた柔らかなベンチで再度横になる。斉藤が敷いた、柔らかなタオルが、夏樹の怪我した頭を包む。
緊張が解けたからか、再度睡魔に襲われるが、後頭部の痛みが彼を許さなかった。

「先生が、俺を助けてくれたんですか……?」

「そうだよ。構内を探索していたら、気絶している君を発見したんだ」

————あの危険な校舎内を徘徊してきたのか?

夏樹はその信じられない行動に驚愕したが、強豪バスケットボール顧問、更には元プロ選手の斉藤ならば、あの修羅場も潜り抜けられるだろうと納得した。

「情報交換したい所だけれど、体調はどんな具合だ?」

「大丈夫です。だいぶ楽になりました」

数分座ると体から熱が抜け、夏樹は冷静さを取り戻してきた。
しかしまだ、耳の奥であの金属音が響いている気がする。
夏樹が、それを取り払う様に深呼吸すると再び斎藤が声をかけた。 

「無事でよかったよ。えーと確か…」

「1年5組の大澤夏樹、サッカー部です」

「ああ、大澤君か。確か、ガクとよく絡んでいる子だね。日本史の点数も良好だと先生の間で評判だよ」

緊急時にも関わらず普段の生活を話し笑顔を振りまく姿は、夏樹に大人の余裕を感じさせた。日常生活は必ず戻ってくる。そんな自信が斎藤から溢れている。

「ありがとうございます。先生方の授業が面白いからですよ」

お世辞を振りまく夏樹。
不安を取り除く為の気遣いか、世間話を続ける斎藤。
夏樹は、ひとときの休息として会話を楽しみ、しばらくした後、現状把握の為互いが持つ情報を共有する事になった。

「大澤君はどうやって…いや、まず、文化祭開始以降どんな行動を取っていたんだい?」

部室の隅からホワイトボードを運びながら、斉藤が尋ねる。

「ホームルームの後、シフトまで暇だったので部室で仮眠を取っていました」

それに対して夏樹は、部室中央えんじ色のベンチに腰を下ろし、解答している。
その光景は、1体1の個人授業が開催されている様だ。

「目が覚めて、本校舎へ向かうと、透明の怪物に襲われました。何とか1体退けたら、そのまま気絶してしまって……」

夏樹は、ありのままの情報を伝える。

「なるほど。そうすると、僕より後に本校舎に立ち入ったという事になるね」

ホワイトボードに時間表を作る斎藤。静寂な室内にペンの音が走る。

「先生も本校舎に行ったんですか?」

「というより、僕は元々、本校舎にいたんだ。そしたら急にあんな事が……」

そう言って俯く斎藤。
きりりとした面長の目に絶望が灯る。項垂れた背中には黒い汚れが付着し、白シャツはしわくちゃになっている。彼が見た惨状の名残だ。

「何が、あったんですか…?」

「目の前で人が消えたんだ。校舎の中央から次々に」

夏樹は息を飲んだ。
部室に漂う清涼剤の香りがやけに鼻につく。

————そういえば、本校舎には一人も人間がいなかった。

「3組の足立、三島先生、来場者の人々。最初は目を疑ったよ。それでも、一人また一人と消えていく。そして、守るべき生徒を置いて逃げてしまった。」

その贖罪の様に、ペンを走らせる斎藤。
目の前で人が消えていく恐怖など、夏樹の想像できる範疇を超えている。

「そして部室棟に到着した後、再度本校舎に戻って生存者を探したんだ。その時、大澤君が倒れているのを見つけた」

「そうだったんですね」

俯く夏樹。
湿布の様な匂いがすると思うと、頭に治療が施されている事に気づいた。

「君は、本校舎で何を見たんだ?」

真剣な顔で尋ねる斎藤。
ありのままに、夏樹は目撃した事実を伝える。
無事な生徒は見かけなかった事。飛び交う道具の狂乱。鳴り響く金属音。
そして、透明の怪物達。自分で口に出すことで、夏樹は改めてこの状況が現実であると実感した。

————何か、見落としている気がする。
情報を羅列する最中、夏樹は何か違和感を感じた。

「そうか。やはり、僕が本校舎で見た怪物達は幻想ではなかったんだね」

ここはサッカー部よりも本校舎寄りなので、あの音が部室内でも聞こえる。
廊下を見据える斎藤。夏樹は、その目を以前どこかで見たことがある気がした。

「一度、情報をまとめようか」
ペンを止めホワイトボードを叩く斎藤。

1時20分頃:透明化現象(?)が発生
・学校の中央から、人々が透明になって消える。

1時25分頃:斎藤先生が本校舎から部室棟へ移動。バスケ部部室で待機。

1時35分頃:大澤が起床し、本校舎へ向かう。
・大澤が、学校を破壊する透明な生物(?)と邂逅。

1時42分頃:大澤と斎藤が合流。バスケ部部室で待機。

2時00分頃:大澤が休眠。

2時30分頃:大澤が起床。

斎藤:透明化現象が発生し、校舎中央から逃走。その後、再度本校舎に戻り生存者を捜索。
大澤くん:透明化現象が発生した際は部室等で昼寝をしていた。その後本校舎に向かい透明な怪物に襲われ気を失う。



「僕が昼寝した情報必要ですか?」

「数少ない情報の一つだから、しっかり書いておいた」

斎藤は悪戯っぽく笑った。彼が童顔な事もあり、スーツを着ていなければ高校生と間違われてもおかしく無い。
少しの間、二人は黙って情報を羅列したホワイトボードを眺める。
斎藤は痛そうに腹をさすっている。少し前に夏樹が怪我をしているのかと尋ねた所、夏樹と同じく透明の怪物に襲われたと告白した。

————そう言いえば、今朝、砂浜にいる夢を見たな。
ぼーっと前方を眺めていると、夏樹は夢のことを思い出した。
砂浜での透明人間との会話。爽やかな海風が心地よく、校舎の惨状とはかけ離れた平和な風景。

————幾ら透明人間でも、砂浜を歩けば、足跡で存在がバレるな。
透明人間の足跡が砂浜にできる風景を思い浮かべる。何も存在しない場所から、足跡だけ浮かび上がる様は何だかホラーチックだ。

脱線しかけた思考を軌道修正し、学校からの脱出方法を探ろうとすると、夏樹は恐ろしい考えが浮かんだ。

「先生、ちょっと考えを聞いて貰ってもいいですか…?」

「勿論だよ。話してみてくれ」

口にするのも憚られる程恐ろしい内容を、夏樹は勇気を持って伝える。

「先生は、人が消えたと言いました」

無言でうなずく斎藤。

「けれど、数千人が急に消滅して、新たに透明な怪物が現れたとは考えにくい」
斎藤は何も言わない。
「僕が遭遇した透明の怪物達は、人間らしき足の形、動きをしていた…と思います」
ガラス破片の動きを思い出す。あの空白は、明らかに人間の様な足の形をしていた。
意を決して、結論を伝える。

「僕は、透明化した人々が校舎を破壊する怪物の正体だと思います」

口にする事で、フィックションのような恐ろしさに現実味が帯びる。
少しの間、斎藤は沈黙した。
静まりかえった室内に、遠くに響く学校が壊される音が祭囃子の様に聞こえた。

「……正直、信じきれない自分がいる。透明人間なんて本当に存在するのか…?」
斎藤はついに口を開いた。その眉間には深いシワが刻まれ、年相応の見た目になっている。
そしてその足は、バスドラムを多叩く様に一定のリズムで動いている。

————それは、俺も思う。
透明人間が存在するならば、この世界からプライバシーが消えると言っても過言ではない。
少年達の秘密話も、女子高生の恋話も、国家の重要な会話も全て、彼らが聞いているかもしれない。そんな恐怖に世界中が貶められるのだ。
加えて、今回の透明人間達は校舎の破壊、人間への攻撃など、明らかに人間に敵意を持った行動をしている。視認不可能な怪物達が街に溢れたらどの様な惨状が待っているか。想像に難くない。

————俺だって信じたいさ。全部夢だったと。

段々と目が覚め、自宅の世界一安心できる柔らかなベッドで目を覚ます。左側のカーテンからは黄金色の陽光が降り注ぎ、近くの川で歌う鳥の声が聞こえる様な、穏やかな朝。

『それら全ては学校を脱出しなければ取り戻せない。』

そう、夏樹の頭部の傷が訴えている。

数分後、斎藤は覚悟を決め、ようやく口を開いた。

「矛盾点がない以上、君の考えを信じるしかない」
その瞳には、覚悟が宿っている。

「それに、大澤君の推論だと生徒達が消滅せずに、まだこの学校にいる事になるよね」

立ち上がり、斉藤が言う。

「はい」

「教師として、そっちの方が嬉しいな」

にっこりと微笑む斎藤。
どうやら夏樹の考えを信じたようだ。

改めて斎藤を見ると、夏樹は全体的に筋肉質で若さに溢れている印象を受けた。
身長は夏樹と同じ位だが、シャツの上からでもわかる程に筋肉がついている。
夏樹はその爽やかながら力強さを感じる風貌に、草食動物を連想した。肉食動物の持つ他者を圧迫する暴力性や危険性はないが、芯の部分で鍛え抜かれたしなやかな強さを持っている。

————斎藤先生となら、この危険な校舎も脱出できるかもしれない

「透明人間の第一発見者として取材されちゃうかもな。インタビューでなんて答えるか考えておこうか。大澤君」

しかし、その冗談なのか真剣なのか掴みどころのない部分は、夏樹を少々不安にさせた。

「冗談はさておき、警察に通報するのが先だ。大澤君、スマホは持っているかい?」

「手元にないです」

「実は僕もなんだ。職員室の机の上だなきっと。」

項垂れる斎藤。

「二階の中央階段横にある固定電話を使うのはどうですか?廊下を真っ直ぐ進むだけだからここからも近い」

「職員室の固定電話を使うにも、道中が安全とは言い切れない」

「どうしてですか?」

「透明化現象が発生した時、中央中庭で生徒達のエンタメ大会が開かれていたんだ」

————そういえば、ガクがそんなことを言ってたな。2組の可愛い子が踊るらしいから見に行くとかなんとか。と言うことは、ガクも学校中央あたりで、透明人間になってしまったのだろうか……? 祐介は運営本部から動いていないはずだから、いるなら生徒会室だ。

「僕は職員室横にある中央ラウンジからエンタメを見ていたんだけど、身動きが取れない位、多くの人が学校の中央でその様子を眺めていた」
斎藤は、俺の答えを待っているかのように語る。

「と言うことは、透明人間達は中央、特に職員室周辺に集まっている可能性が高い」

「さすが。できるね大澤君。大正解のご褒美にお菓子をあげたいところだけど、生憎それも職員室だ」

大袈裟にジェスチャーする斎藤をよそに、何か手段はないかと考える夏樹。
すると、ある考えが浮かんだ。
————使い慣れた、あの場所ならあるいは。

「公衆電話を使うのはどうですかね。110番通報なら代金もかからないですし」

「これは盲点だった。最近の若い子達は、公衆電話見たことすら何と思ってたよ」

「数ヶ月前から野暮用で使うことが多いんです。それに意外と目を配ると多いですよ、公衆電話。学校から最寄りの公衆電話ボックスは、校門すぐ正面にあります」

ほとんどの生徒から忘れ去られた、公衆電話ボックス。それは夏樹にとって唯一心休まる場所でもあった。

「完璧じゃないか。問題は、どうやって校外に出るかだね。部室棟からは外に出繋がるドアはないし、第一ここは二階だ」

夏樹と大澤は窓に目を向ける。部室棟の窓は、全て転落防止の観点から半開きまでしか窓が開かない仕様になっている。薄暗い光が校舎に窓から入り込む。

「こうなったら正面突破しかない……か。僕が先導するから校門まで走り抜けよう。そして、それ以降は君の案内に従って公衆電話へ。なんて作戦はどうかな」

「いいと思います」

「よし。決まりだね」
窓の外では、雲の隙間から日の光が顔を覗かせていた。

————————

「最後にルートの確認をしよう。ここ2階部室棟から渡り廊下を通って本校舎へ侵入する」

「その後、廊下を走り抜けて中央階段へ移動。その後階段を下り、学校中央の昇降口から脱出ですね」

夏樹と斎藤は最終確認をしながら、本校舎への入り口まで向かっていた。
廊下に二人分の足音が響き、雲の隙間からは太陽が顔をだしている。

「流石良く分かっているね。今からでも遅くないからバスケ部に入らないかい?」

「嬉しいですけど、遠慮しておきます。流石に強豪校にはついていけないや」

「そんな事ないと思うけどなぁ。まぁいいや」

二人が渡り廊下に差し掛かると、両面に窓貼りになっている為、部室棟よりも日の光が強く差し込んでいた。斎藤は、無言でただ前を見据えている。
夏樹が、窓から外に目を向けると、遠くの方で車が行き交うのが見えた。

————世界中の人間が皆、透明人間になったわけじゃないのか。

夏樹はなんだか、この騒動がちっぽけなものに思えてきた。今この瞬間も世界は当たり前のように回っている。ある人は飯を喰い、ある人は安寧の中睡眠につき、あるひとは恋人を愛している。
透明人間など存在せず、本当は過度な緊張で幻覚を見ただけ。そんなオチが浮かび上がる。
たった一つの高校で起きた事件など誰も気にしない。そんな気がしてくる。

————そういえば、透明化現象以降にやってきた来場者はいないのか……?一人でもあの惨状を目撃すれば、警察に通報するはずだ。

夏樹が再び考え事を始めようとすると、それを遮るように斎藤が話しかけた。夏樹の俯く姿を見て不安を感じていると思ったらしい。

「兎に角、無茶はしないでくれよ。期待の新人に大事があったら、加藤先生にシめられる」

「任せてください。先生こそ、僕に置いて行かれないでくださいね」

「はっ。言うじゃないか」
快活に笑う斎藤。

正直、夏樹は彼の取ってつけたような笑顔が苦手だったが、話してみると悪い人間ではないと感じた。
先ほども、斎藤は自分の怪我した手にテーピングを施す最中、夏樹の頭に再度治療を施した。その様子を見て夏樹は彼の笑顔や明るさは、培った技術や経験の現れだと夏樹は感じ、こんな大人になりたいと思った。

再度、二人は鉄の扉前に着いた。
斎藤が包帯で覆われた手で鉄製のドアを握りしめる。

「いいかい、行くよ」
夏樹は斎藤の呼びかけに無言でうなずくと、一気にドアから駆け込んだ。

最初に感じたのは、吐瀉物のような匂いだった。
二人が扉を開けると、本校舎に閉じ込められていた重々しい空気が彼らを包み込んだ。照明が消えた校舎は灰色に染まっている。
数時間の間、校舎を破壊し続けていた数千人の透明人間達の汗、流れ出た血の匂い、文化祭で使われる予定だった食べ物の匂い。全てが混ぜ合わさり、形容し難い不快な匂いを熟成させている。
およそ、人間が普通に生活していれば嗅ぐ事のない、原始的な匂いが彼らを迎える。

夏樹と斎藤は、その匂いに吐きそうになった。
食道から這い出ようとする胃酸をなんとか押さえつけ、前を見据えると透明人間達が未だに校舎の破壊を続けているのが見えた。
しかし、筋肉の疲労からか先ほど夏樹が目撃したような、狂気的な意思の強さは感じられない。ゆっくりと、道具を振りかざしている。

急に重い風が乱暴に扉を閉め、大きな音がなった。丁度それがスターターピストルとなり、斎藤と夏樹は全速力で駆け始める。

二人が周囲に目を配ると、学校の惨状が目に焼きついた。生徒達が、数日かけて作り上げた看板、入り口の装飾、屋台。それらは、みるも無残に破られてしまい、元々どんな形だったのか判別できない。
加えて、床は食べ物や来場者の物であろう所持品で溢れかえり、ゴミ処理場のようだ。
その無情さに目を背け、スピードを上げる。

————俺は、ここまで、壊れて欲しいなんて思っていない……!
夏樹は、人々の想いが踏みにじられる様子をを目に入れると
(全部壊れてしまえばいい)
と一度でも考えた自分を呪った。

溢れかえったクレープの生地液、踏み荒らされ原型を留めていないイチゴや焼きそば。
それらに足を取られ滑らないよう、最新の注意を払いながら二人は全速力で1階の昇降口を目指す。
すると、背後で轟音がなった。
後方をいく夏樹が慌てて振り返るが、景色に何も変化はない。
ただ、動物的本能から、夏樹は悟った。
先程は夏樹の存在など意に介さず、校舎を破壊していた透明人間達。
しかし、今度は死に物狂いで彼らを追いかけてきている。
この音は、彼らが追いかけて走る音だ。

それを理解した瞬間、再び夏樹の背筋に冷たいものが走る。
急に水風呂に入った時のように、心臓が血管が収縮する感覚。恐怖から脳内麻薬が分泌され、夏樹はいつの間にか廊下に溢れる異臭が気にならなくなっている。

恐怖を振り払い、必死に足を動かし前へと進む。校舎を破壊するのをやめ、全力で二人を追い詰める透明人間達。夏樹は床のゴミを、廊下に溢れた机を、吹き飛ばしながら走る。

風を切る音と心臓の鼓動が、急かすように耳元で叫ぶ。


『後ろに奴らが来ているぞ、今、そこに!』


段差を飛び降り、1年生の教室前の廊下を駆け抜け、曲がり角に差し掛かる。

「…先生!」

「分かっている! スピード上げろ!」

こちらを振り返らずに鼓舞する斎藤。
生まれて初めて、命を狙わう存在に追われる体験に、夏樹の脳内は狂乱していた。
食物連鎖の頂点に立ち、理性的な生活を送る人類。しかし、追われる側になった際の恐怖はどの生物にも平等であったらしい。

背後の音は加速度的に大きさを増し、今では大きな地震が起きているような地響きが聞こえる。教室の前を通るたびに、室内に留まっていた透明人間達も背後の列に加わり、夏樹と斎藤の後ろには数百人の透明人間達が走っている。
轟く足音の中、人が転ぶような音さえ聞こえる。転んだ透明人間を気にせず、斎藤と夏樹を置いかける透明人間達は、明らかに校舎の外に出すまいとする意思があった。

騒音を切り裂くように、先導する斎藤。流石は強豪校バスケットボール部の顧問だ。
斎藤の走る速さは、20代半ばの教師にも関わらず目を見張る物があった。
夏樹も自分の脚には自信があったが、気を抜くと置いていかれてしまいそうになる。

加えて、斎藤は目の前にいる透明人間がこちらに気付くや否や、その太い腕で叩き、払いのけている。そのたびに透明人間が横に倒れる音が響くが、お構いなしと言わんばかりに廊下を駆け抜ける。

「そろそろ中央に出るぞ……! 階段降りて、そのまま正面の昇降口に向かおう!」
息を切らしながら、叫ぶ斎藤。夏樹側からその表情を見ることはできないが、きっと苦悶の表情を浮かべているに違いない。

「わかりました!」
階段を3段飛ばしで、跳ねるように降る。踊場に数体の透明人間がいたが、彼らの伸ばす腕を掻い潜り1階へと飛び降りる。1階にさえつければ、昇降口は目の前だ。
階段を下り切り視界を上げると、二人の背筋に悪寒が走った。
一見、昇降口は廊下にくらべて損傷も少なく、平生の風景に思われる。しかし、正面から轟音が聞こえるのだ。
ばあん、ばあん、と言う破裂音は、今日夏樹が聞いたどの音よりも大きく、鋭い。
この音を聞いて夏樹は、男子生徒達がふざけてロッカーの戸を叩いていた様子を思い出した。彼らは肩を使って、誰が一番大きな音を出せるか競い合っていた。

(いる。透明人間達が確実に、目の前から走ってきている……!)

この破裂音は、目の前から二人を捕まえんとする透明人間達が行き位の余り方をロッカーにぶつけている音だと夏樹は判断した。

「先生……! 正面にいます!」
不安から叫ぶ夏樹。その息は切れ切れで、声が上ずっている。

「分かってる……!」
足を止めて返答する斎藤。二人の背後には階段。そしてまだ彼らを捕まえようと追いかける透明人間達が迫ってきている。もう2、3秒で二人は挟み撃ちされるだろう。

斎藤は、額から頬へつたう汗を舐めると、決心したようだ。
すると斎藤はルートを変更し、本校舎1階中央から、さらに奥の実習棟へと走り始めた。

「俺がこいつらを引きつける! その間に隠れて、外に出ろ……!」
振り絞った声で叫ぶ斎藤。体力の限界も近そうだ。怪我をしたと言う腹部を押さえながら必死の形相でん月に訴えかける斎藤。

「隠れろ! 速く!」
斎藤が絶叫する。その声は大きく、目の前から聞こえる轟音をかき消すほどだ。

「はい!」
その気持ちを無碍にしないためにも、夏樹は1人、すぐ横にあった掃除用具入れのロッカーに身を隠すことにした。
邪魔なホウキやモップ、バケツを投げ捨て人一人分のスペースを確保し中へ入ると、カビの匂いが夏樹を出迎えた。

ロッカーの中はホコリがたまっており、夏樹は思わずくしゃみをしそうになる。
しかし透明人間達が何を基準に夏樹達を認識しているかわからない以上、不必要な音は立てるべきではないと夏樹はなんとか我慢した。
荒れる息を整えつつ、ちょうど夏樹の視線と同じ位置にある3本の横線型の空気孔から外を伺う。
すると夏樹の正面、昇降口から多くの透明人間達が走っていく音が聞こえた。
弾けるような足音と物が倒れる音。音と共に進んでいく彼らは、透明な音楽隊のようだ。

正面の透明人間達が去ったと思うと、今度は夏樹の横から集団が階段を降りる音が聞こえた。一段一段、手早くしかし確実に降る音。小さな一定のリズムの音がカエルの輪唱のように増え続け、テレビの砂嵐のような耳を指す騒音と化した。
埃が鼻腔内に溜まる感覚も合わさり、夏樹は風の強い日、校庭に吹き荒れる砂煙を思い返す。
夏樹は扉を開けられることを恐れて目を閉じ、ただひたすらに砂嵐が止むのを待った。

数十秒後、砂嵐は音を潜め、夏樹は再度目を開く。すると夏樹は信じられないものを見た。

青城高校の女子制服が空中に浮いている。

正確には、青城高校の制服をきた透明人間がゆっくりと夏樹の前を歩いていた。

今まで夏樹達が目撃した透明人間には一つ共通点があった。それは、身に着ける衣服や靴など、全てが透明な点だ。
夏樹がイメージする透明人間は、その身体だけが透明であり、包帯やサングラスを纏う事でその存在を示す。けれども、夏樹達が目撃した透明人間達はその例ではなく全てが透明だった。衣服を脱いでいるという可能性もなくはないが、夏樹達が走ってきた廊下に、衣服はほとんどなかった。

————この透明人間は、他の個体と違うのか……?

加えて、他の透明人間達が斎藤を追って走っていく中、この個体だけは廊下を茫然と歩いているだけだ。フラフラと歩く様子は不安定さや、虚無感を感じさせる。他の透明人間達が持つ、動物的な強い衝動にくらべ、その様子はとても理知的で人間味を感じさせた。
誰もいない廊下を一人、拙い足取りで歩き進む透明人間。
その様を見て夏樹は、自分と彼女の境遇を重ねた。
一人、誰からも見つけられないまま誰もいない、永遠に続くような廊下を進む彼女。
気がつくと夏樹は、扉を開き外に飛び出していた。

扉を開ける際に軋むような音がなり、それと同時に目の前の透明人間は、夏樹の方を向いた。

「なんで、なんで……あなたが……」
その透明人間は声を発した。美しい小川を思わせるように、綺麗で透き通った女性の声。この声を、夏樹は以前聞いたことがある気がした。

「お前は……夢で見た……」

「こ、来ないで……!」

夏樹がさらに声をかけようとすると、透明人間は悲鳴をあげた。その声には、恐怖がこもっている。昇降口に響き渡る声に呼応するように、今度は透明人間達が走り去った実習棟から彼らの近く音が響いてきた。

「くそ……っ」

夏樹は、歯軋りをし昇降口へと走り出した。
このまま、自分の不必要な行動で計画が破綻したら斎藤に合わせる顔がないと、自分の愚かさを投げ捨て、ひたすらに前へ進む。

こんな時にも普段通りの速さで動く自動ドアに苛立ちを覚えつつ、昇降口から飛び出すと、
夏樹が自動ドアを出ると同時に、数体の透明人間が彼の背中を掴んだ。

夏樹は、精一杯の力でそれらを払い除け用とするが、透明人間達の力は凄まじくなかなかふり解けずにいた。

「邪魔……すんな……!」
夏樹は背後に、馬蹴りをかましなんとか透明人間達の腕から逃れると、文化祭用に作られた入場ゲートを潜った。アクリル板で装飾された、青や赤の極彩色に煌めくトンネルを潜り抜ける。それは異界から現世へと繋がる不思議なトンネルのように夏樹は感じた。
トンネルから出ようとしたその瞬間、夏樹は急に体勢が崩れ、足首を捻ってしまった。ゴミでも踏んだのだろうか。痛みを感じるが気にする余裕などない。
トンネルを出ると、もはや彼らの足音は聞こえなず、まるで全て夢だったかのように、落ち着いた青い空が夏樹の視界に入った。

それでも夏樹は走った。後頭部の傷が開きかけており、夏樹は頭皮に血が垂れるのを感じた。
体に熱が籠り続けているせいで、夏樹は外が暑いのか涼しいのかすらも分からない。

————公衆電話ボックスは確か、大通りにつながる道にあった、筈だ。
夏樹は乱暴に噛み合わせの悪い扉を開き、中へ入ると荒れる息のまま、電話番号を打った。


————————


————そこからの事は、あまり覚えていない。
鳴り響くサイレン。
おどろおどろしく光るパトカーのランプが、背後の夕焼けに混ざって綺麗だったこと。
焼けるような足首。そういえば、文庫本はどこに置いて来たっけ。

ふと、校舎に目を向けると、目を疑う光景が映った。
夢で見た透明な彼女が、校門からこちらを見据えている。
慌てて二度見するも、彼女の姿は消えてしまっていた。

以上が、歴史上初めて透明人間の存在が明らかとなった事件。
青城高校集団消失事件である。
俺、大澤夏樹はこの事件の第一発見者であり、ただ一人、透明化被害を免れた生徒だった。

透明人間ロックンロール

執筆の狙い

作者 復活の呪文
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前回、こちらに投稿した作品を2週間かけて、2万字ほどに書き上げてみました。
読んでいて不可解に感じた部分、物語の構造の是非、、テンポ感の良し悪しや臨場感の有無など、忌憚ない指摘をいただけると幸いです。よろしくお願いします。

追記:今後の展開としては、夢で出てきた少女(事件の原因の透明人間)と主人公が邂逅し、恋に落ちます。そして、一年後に開催される文化祭で、透明人間を用いた学校の陰謀を解き明かしていく。
そんなストーリー展開にしようと考えています。

コメント

しまるこ
133.106.218.168

すいません、最初舐めて読んでたのですけど、途中から、これは……と思って、冒頭に戻って、最初からちゃんと読み直しました。

比喩や表現が直接的で、いかにもといったところはあるのですが、それがかえって清々しくて気持ちよかったです。お若い方ですかね、素直で勢いがあって、この物語を書こうと思うのが凄いと思うのですが、実際にここまで書けちゃうところがパワーがあって羨ましいと思いました。

ただ、ここまでがんばって書いたからには、ラストはもう少し満足させてもらいたかったです。この後、エピソードが続くそうですが、今回、ここで2万字以上も費やすのであれば、それなりに満足させてくれるものを提供して欲しかったです(笑)

ちょくちょく挟まれる過去のエピソードも、何から何まで古典的といいますか、これまで作者さんがサブカルチャーから寄せ集めたもので構成されているように見受けられましたが(西園寺とか、帝都ホテルとかは、工場とか、ゴルフクラブがなくなったとか……)、ちょっと古典的すぎて、笑ってしまったというか。真っ直ぐすぎて、私はそこに、純粋で瑞々しい素敵だなと思ったのですが。

モチーフが明確で、それが簡潔な文体で支えられていて、次に来てほしい文章がちゃんと来てくれるから、読みやすかったです。とても上手いと思いました。何より、文章に迷いがなく、一気通貫されたエネルギーがありました。

ところどころハッとさせられる文章も散見されました。

————俺は、ここまで、壊れて欲しいなんて思っていない……!
夏樹は、人々の想いが踏みにじられる様子をを目に入れると
(全部壊れてしまえばいい)
と一度でも考えた自分を呪った。

私は、ここの文章が一番好きでした。↓

文化祭用に作られた入場ゲートを潜った。アクリル板で装飾された、青や赤の極彩色に煌めくトンネルを潜り抜ける。それは異界から現世へと繋がる不思議なトンネルのように夏樹は感じた。

とても才能がある方だと思います。

クレヨン
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 拝読しました。

 ガクの目を「扁桃形の目」という風に描写していますが、アーモンド形の目、っていう風にしたほうがいいと思います。そっちのほうが多分、わかりやすいので。

>夏樹はレブザーを羽織ると、ガクと約束した本校舎の中庭へむかった。

 ブレザーが誤字ってました。

>(透明な怪物が校舎を破壊している。)

 最後の読点がいらないと思いました。

>命を狙わう存在に追われる体験に、夏樹の脳内は狂乱していた。

 狙う、のところが誤字ってました。

 読むのが二回目になったことで、前とは違ったところを発見できました。

 まず、十代の少年を中心として、思春期の心をみずみずしく描写するのがうまいと思いました。主人公がやり場のない怒りや葛藤にさいなまれている様子は、見ていてすごいな、と思いました。特に前半部分の文化祭のところや父親のところはその良さが出ていたと思います。

神楽堂
p3339011-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp

>復活の呪文さん

書き直したのですね!
前作での問題点がほとんど解決されていて、
かなりグレードアップしたように思いました。
続きも楽しみです。
この調子で頑張ってください。

浮離
KD111239171030.au-net.ne.jp

読み始めて早々に“脱落必至“みたいな印象ではあったんですけど、こんなサイトですから、こんな感じのものを読んで一体どんな感想が寄せられるものなのか、自分もある程度読ませてもらった上で感想も含めてその印象を疑いたいなって、ただそれだけを理由に意地で読み通した感じです。

とにかく誤字が多すぎることは感心しないですし、言葉選びや修飾センスがあまり良くないことは明らかなはずで、そんな上での“文体“ってことなんですけど、お話の中で都合、人称が切り替わるパートがあるんですけど、主語が“夏樹“から“俺“に変わっただけで文体は何も変化がないところから見るだけでも単純にこの書き手は文章的な作用としての“人称“っていう意図を理解していないことは明らかだと感じさせられたものなんですよね。

ちょっとわかりづらい表現になってしまうかと思うんですけど、“地の文“と一口に言ってもその機能っていうのは万能が許されるものばかりでは決してないはずで、むしろそれってどの“人称“を用いたとしても限定する、されるからこそのそれぞれっていう個性や効果、“拘束力“みたいな前向きな意味での“不自由さ“っていうあえて用いる手筈を当たり前に理解して作用として獲得を目指すもののはずなんですよね。
つまりは“観察の飛距離“だとか、ちょっとわかりづらいかもしれないんですけど、書き手の書き振りから察するにはきっとムカつかれるだけで理解してくれないとは思うんですけど、要するに自由すぎる気がするんですね、書き手の情報の取り方、扱い方表現の仕方に見る“拘束力“っていう万能である必要はないことについて奔放すぎる認識か理解っていう有り様についてなんですけど。

“地の文“っていうのは、なにもすべてを知り得て案内する語り部であるべきばかりでもないはずと個人的には思うところがあって、そんな感覚において書き手の書き振りっていうのはおそらく含みのほとんどをあからさまにしたとてもお節介か無邪気な感じになっているはずで、行間っていう読み手が楽しむ余地を与えるにはうるさすぎる書き振りのような気がするんです。

お話の内容自体は突っ込みどころが多すぎて指摘するつもりはないんですけど、とはいえ“どうしてそうあるべきなのか?“だとかあるいは“そういうものだろうか?“といった感じの検討、本文に据える以前に検討されるべきはずの前提的な認識や手筈を飛び越えて実行されるらしい場面や人物の行動や言動といったディテールの半ばせっかちか暴走に近い印象は読感的にすごく目が滑るし、世界に没入するよりは、書き手の意図を不足に感じながらも汲むことに付き合わされるだけの作業的な感触がすごく強い印象を思わされるわけなんです個人的には。

書き手は若い人らしいといった感想があるんですけど、確かにそんな気もするしそうじゃなくてもこの程度を本気になって書き進めてしまう無邪気な人は普通にいるのでそういった条件を引いて手加減することはこの際しないことにするんですけど、これは一つの提案としてなんですけど、“小説的“な表現を求めて書きたがる意図をいったんは堪えて、単純な筋書きとしてここまでのことを設定としてシンプルに書き表せられるのかどうか、書き手自身がちゃんと検証して整理し直した方がいい気がするんですよね。

“透明人間“一つとってもディテールの設定が不安定な気がするし、あたしは書き出しにあった情報に付き合った上で“こいつら素っ裸ってことかよ“って普通に思ってましたし、だからこその釈明のつもりかどうかはわからないですけど余計な説明が後付けみたいに現れてリズムも場面の動きも悪くなった、っていうのはケチつけてるんじゃなくて明らかな事実でしかないはずですよね。
はっきりいって夏樹と斎藤の脱出シーンはどんな条件でどんな相手をどんな距離感で辛くも逃げ切るつもりのものなのか、個人的にはこれっぽっちも臨場感を持って理解もお付き合いもできた気がしていないですし、それどころか掃除用具のロッカーに隠れるとか、

>もう2、3秒で二人は挟み撃ちされるだろう。

っていう距離感にあって、それが把握できる事情がわからないことももちろんなんですけど、その間隔で掃除用具放り出していそいそとロッカーに隠れる姿想像するだけで、夏樹と透明人間諸君どっちが馬鹿なのかまぬけなのか、まあどっちもよなみたいな景色しかあたしは想像できなかったし、それってやっぱりケチでも悪口でも全然なくて、書き手の筆力や誤字の多さからも見て取れるはずの客観性や冷静な観察の欠落が許してしまうだけのことのような気がしてしまうんですね。

まだお話の途中なのだそうですけど、それを言い訳にされる筋合いは読み手にはないはずなんですよね、それでもよしとして投稿したのは書き手の判断なので。
中学生とかが好きそうな邦画とかによくある現実舞台なだけのあり得ないグロファンタジーっぽいやつらしいってことはわかるんですけど、暗殺教室とか神様の言うとおりだとか、ああいうの個人的にはとっくにまともに付き合えない感じなので余計に冷たい感じになってしまうのかもしれないんですけど、ああいうのって本当にディテール一発だと思うし、とにかくそのイメージを過分ではなくそれにしても必要正確に案内できないと本当に無邪気なだけのどたばた風景になってしまうはずだし実際、このお話はあたしにはそういうものに読み取れる気がするし、それって単純に文章力の未熟さ以外の何ものでもないはずだと思わされるわけなんです。

まずはもっとストレートな文章で書きたいことを順序よく筋に従ってちゃんと書けるのかどうか、単純な筆力としての自己検証が必要な気がします。
書きたいことが頭の中でせかせかと書き手をせき立てるらしいことは読みながら伝わってくるんですけど、たぶんそれは書き手のいいところでもあるんですけど、それに応えられる筆力がないことは明らかなはずですし、落ち着いてちゃんとプロットを組んで検証して必要な情報や場面や筋書きそのものを整理してかかった方がいいような気がします。
現状、勢いや思いつきで書き抜けられるほどの器用さは見受けられる気がしません。

“観察の飛距離“って言ったんですけど、その認識やコントロールが書き手はたぶんあまりよくないはずなのでちゃんと日頃から観察的な読書を意識した方がいいと思うし、気になるポイントがどういう必要で書かれているのかなぜ面白いのか、そういう一つ一つの道義を掬って選択できる落ち着いた書き方をちゃんと身につけたほうがいいような気がします。

楽しんで懸命に書いてることは伝わってきますしそれって大切なことだと思うんですけど、それを活かすには現状としては残念ながらめちゃくちゃだと思う。

復活の呪文
KD106176001185.ppp-bb.dion.ne.jp

しまるこ様

まずは、2万字と言う文量をお読みいただきありがとうございます。
おっしゃる通り、私は二十代なりたての若者です(笑)
感想でご指摘いただいたラストの不完全燃焼感や、今まで見たことのあるような設定や展開、安直な表現や文構造などは全て、人生経験や読書量が不十分なためだと再認識しました。またじっくりと、それらを貯めてから頑張っていこうと思います。
ありがとうございました。

復活の呪文
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クレヨン様
お久しぶりです。またお読みいただきありがとうございます!!
何度も読み返してはいるのですが、誤字が多くて読みづらい文章になってしまってすみません。
扁桃体→アーモンドに直しておきます!!ありがとうございます!
10代の心情に対しては自分の実体験を含めているので、お褒めいただけて嬉しいです。今後はこの高校生の葛藤をメインに進めていこうと思うので、また機会があれば呼んでいただけると嬉しいです。

復活の呪文
KD106176001185.ppp-bb.dion.ne.jp

神楽堂様
お久しぶりです!またお会いできて嬉しいです!!
この調子でガンガン進めていくのでよろしくお願いします!
神楽堂様の作品も読ませていただきますね。

復活の呪文
KD106176001185.ppp-bb.dion.ne.jp

浮離様
まずは、読了いただきありがとうございます!
正直な話、今までリアルの友人やインターネット上に投稿した際に頂く感想は、『書いている事』に対しての賞賛が多く、その内容や文体といった小説の骨格の部分に対する評価、さらには悪い点をご指摘いただくことがなかったので、しっかりとしたF Bをいただけて本当に嬉しいです!ありがあとうございます!
ご指摘の通り、言葉選びや修飾センスの粗末さ、そして地の文が説明口調になってしまう点などは、全て僕の読書量の少なさが原因だと思います。
例えるならば、サッカーのルールも知らず、かつ、筋トレもしていない状態でいきなり試合に出場しているようなものだと改めて認識しました。
特に、やはり勢いに任せて書いているために、登場人物達の行動に主体性や計画性のなさが現れているなと。浮離様が仰るように、再度プロットや設定部分に立ち返ってみようと思います。加えて文章を多く呼んで、どのような文章が世界にはあるのかを知るのが急務だと思います。

観察の飛距離について
何度も、浮離様の文章を読んで理解しようとしたのですが、もし違っていたらすみません。
観察の飛距離は、映画撮影のカメラのようなイメージであっていますか…?
その場面に合わせて、周囲の情報を取捨選択し、近くからの視点と遠くからの視点で分けるみたいな感じでしょうか?
例:主人公とヒロインのキスシーンは、その顔元だけをカメラで撮る。
主人公達が街中を歩くシーンでは、ビルの上から引きのカメラで撮る。など

どうしても全体的に力及ばずといった部分があるので、一度しっかり他にどのような文章があってどんな表現方法があるのか、自分はどういった文章が書きたいのかを時間をかけてしっかりと認識していこうと思います。
改めて、ご感想いただきありがとうございました。初めて否定的な意見をもらった為、しっかりと自分を見つめ直すことができました!本当にありがとうございます!

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