運命の女性はどちらか
九歳のトゥトは玉座に座っていた。先王亡き今、父の代わりにそこに座るのは彼をおいてほかにいなかった。
トゥトの座る椅子の右側には、宰相が立っていた。宰相はトゥトの補佐をすることはもちろん、今回の謁見の進行を務めるためにそこにいた。
トゥトの視線の先では二人の女が、鼻が床につくほど頭を低くした状態でひざまずいていた。この二人こそ、運命によって定められたといわれる彼の結婚相手であり、かつ騒ぎの原因だった。
「おもてをあげよ」
トゥトは精いっぱいの威厳をこめて言った。その声に反応して二人の女は顔をあげた。
その後、宰相が話し始めた。
「アンケセパーテンとギルヒパーテンよ、あなたたちはそれぞれ別の占い師によってトゥトアンクアテン王との結婚を予言された。しかし当然ながら正妃は一人である。そして、正しい予言もまた一つである。占いの真偽はのちほど判断するものとして、アンケセパーテンよ、あなたは王と結婚する意志がおありか?」
アンケセパーテンは宰相ではなく、トゥト王のほうを見て答えた。
「はい。私はトゥト王と結婚したく存じます」
トゥトはアンケセパーテンをまじまじと観察した。きらびやかな金の髪飾りをつけ、目には黒い縁取りをつけ、自分より体の大きな、美しい大人の女性。聞いた話によれば、彼女は今年で十六歳になるという。
「ギルヒパーテンよ、あなたは王と結婚する意志がおありか?」
「はい。私はトゥト王様と結婚したいと思っております。もし結婚することができましたら、王に献身的に仕えることを誓います」
「余計なことは言わなくてよい。結婚する意志があるかどうかだけを答えればよいのだ」
「失礼しました。お許しください、宰相様」
ギルヒパーテンは深々と頭を下げた。
トゥトはギルヒパーテンのほうを見た。彼女もまた、アンケセパーテンに負けないほど美しかった。ただ、顔立ちはだいぶ違う。アンケセパーテンのほうはほっそりとしていて、目つきが鋭かった。一方で彼女はふっくらとした顔をしていて、目つきが穏やかだった。
このうちのどちらかと結婚することになるといわれても実感がわかなかった。それにまだ九歳の彼には、結婚して子をなすためにはなにをどうしたらいいのかもわからなかった。
もっとも、この場でトゥトが何かを判断する必要はない。宰相からは、この場では、もう下がってよいとだけ言えばいいと言われていた。宰相が、なにかありますでしょうか、と尋ねてきたらそう言えばいい、と教わっていた。
「では二人とも結婚を望むわけだな。しかし王の結婚相手は一人と決まっている。つまりどちらかの占い師が嘘をついていることになるわけだ。もし、占い師が嘘をついていると分かればそのときは占い師と、その占い師が指定した者を処刑することとなる」
「処刑、ですか?」
アンケセパーテンは聞き返した。
「当然だ。王を欺こうとするような大罪人は、その罪を死でもって償わなければならない。しかし、もしここで結婚を諦めるならば、占いの真偽は問わず、命も取らずにおこう。そのうえで重ねて尋ねる。結婚する意志はあるか?」
アンケセパーテンとギルヒパーテンはしばらくの間、何も言わなかった。
「どうなのだ? どちらか、結婚を辞退しないのか?」
「わ、わたしは、王と結婚することを望みます……」
アンケセパーテンは答えた。
「ほう。ギルヒパーテン、あなたは?」
「私も、結婚を望みます」
ギルヒパーテンのこの一言によって、どちらか片方の処刑が確定した。
一方でトゥトは、ただ嘘をついただけで死ぬことになるなんてひどすぎる、と思っていた。神の化身と言われた彼でも嘘くらいついたことがある。しかし母は笑ってそれを許してくれた。彼女たちを許してくれる者はいない、ということがトゥトにはかわいそうに思えた。
「この謁見が終わった後から、占い師たちへの拷問を始める。あなたたちを捕らえるつもりはないが、この王宮からはなるべく離れないように。わたしからは以上だ」
宰相はトゥトの方を向いた。
「王、この娘たちに言いたいことは、なにかありますでしょうか?」
ついにあの問いが発せられた。トゥトは、もうさがってよいというだけでよかった。それでこの謁見は無事終わるのだ。
しかしそれで本当にいいとは、彼には思えなかった。彼の願いは、運命の相手を探し出して、偽物を処刑することではなかった。
トゥトはもの心ついたときから先生から問題の解決法を教わってきた。どちらが嘘をついているか判じる方法や、人の動かしかたも教わった。
「そなたたちは占い師が嘘をついていないと思うのだな?」
トゥトの声は震えていた。宰相から怒られるのではないか、という不安もあったし、そもそもこのようなものものしい雰囲気の場で発言すること自体、怖かった。
彼が発言したのを見て、宰相は眉をひそめた。
アンケセナーメンとギルヒパーテンは、トゥトが発言するとは思っていなかったので、驚きのあまりしばらく返事をすることができなかった。
「どうなのだ?」
トゥトの声はさらに小さくなっていた。間違ったことを言ってしまったのではないか、と不安だった。
「あ、はい。わたし占い師が本当のことを言っていると思っております」
アンケセナーメンは我に返ると、言った。
「わたしも、占い師の言ったことは正しいと信じております」
ギルヒパーテンは言った。
「しかし二人の占いが違うのはおかしな話ではないか。占いが間違っているのだと思う。しかしどちらの占いが正しいのか、余にはわからぬ。そこで余は、この占いはなかったことにしてしまうべきではないかと思うのだ」
トゥトは発言を終えると、宰相の顔を見た。
宰相は驚愕の表情を浮かべてトゥトの顔を見つめ返していた。彼は固まったまま、何も言えずにいるようだった。
「ヘムおじさん、僕なんか変なこと言っちゃった?」
トゥトは、花嫁候補たちには聞こえないよう、小声で尋ねた。その言葉で宰相は我に返った。
「失礼しました。いや、素晴らしい決断だと思います。ただちに占いの結果はまったくの誤りであったと告知を出しましょう」
「そしたら、彼女たちは処刑されないよね?」
トゥトは尋ねた。
「彼女たちの命を心配されていたのですか、王よ。ええ、心配ありませんとも、占いの誤りは彼女たちの非ではありません。彼女たちは無実です」
「よかった」
トゥトはここで初めて笑みを見せた。自分がやりとげたのだ、ということを知って安堵したのだ。
「あとは、なにかありますでしょうか?」
トゥトは首を横に振ってから娘たちのほうを向いた。
「もうさがってよいぞ」
トゥトは言った。こうして彼は見事、王の資質を見せつつ、謁見を終了させた。
執筆の狙い
ツタンカーメン(トゥトアンクアテン)に興味があったので書いてみました。とはいうものの、実際にこのようなことが起こったわけではありません。
九歳のトゥトが、結婚という問題、それもかなり厄介なものに直面するハラハラ感を表現したいと思いました。